ポケットビスケッツ

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ポケットビスケッツ
別名 ポケビ、口袋餅乾(中国語表記)
出身地 日本の旗 日本
ジャンル J-POP
活動期間 1995年 - 2000年 (活動休止中)
レーベル 東芝EMI/
TM FACTORY・EAST WORLD
(1995年 - 2000年)
ユニバーサルミュージック
(20周年記念盤リリース時)
共同作業者 パッパラー河合
メンバー 内村テルプロデューサーリーダーキーボード
坂本千秋ボーカル
独活野大木ショルダーキーボードギターエレクトリックドラム

ポケットビスケッツ(POCKET BISCUITS)は、日本テレビ系の当時の看板バラエティ番組、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!!』から誕生した音楽ユニット。通称ポケビ[1]。中国語表記は、口袋餅乾。所属レコード会社は東芝EMI(20周年記念盤リリース時はユニバーサルミュージック)。

ウッチャンナンチャン内村光良(TERU)、タレント千秋(CHIAKI)、キャイ〜ンウド鈴木(UDO)の3人組から成り、1995年から2000年まで活動していた。主な発表曲に、それぞれ100万枚以上の売上を記録した『YELLOW YELLOW HAPPY』、『Red Angel』、オリコン週間チャートで1位を獲得した『POWER』などがある。同番組から後発されたブラックビスケッツと共に、番組が生んだ2大ユニット[2]、2大スター[3]などと呼ばれた。

メンバー[編集]

※以下の年齢等は番組上の設定である。

TERU(内村テル)

演者はウッチャンナンチャン内村光良プロデューサーリーダーキーボード担当。8枚目のシングル『青の住人』と、アルバム収録曲「Orange」ではメインボーカルも務めた。内村の相方である南原清隆が扮した音楽プロデューサー・南々見一也が経営する「居酒屋ナミちゃん」の雇われ店長として登場した[4]。初登場時71歳[4]。語尾が「ダニ」と訛ることが特徴[4]。楽器演奏は当初アテ振りであったが、第2作「YELLOW YELLOW HAPPY」からはソロパートで実際に演奏を行い、ライブで披露した。「青の住人」・「Days」では全編に渡り演奏を担当した。

CHIAKI(坂本千秋)

演者は千秋ボーカルと作詞を担当。テルと同じく「居酒屋ナミちゃん」の店員であった[5]。初登場時12歳。幼い頃から歌手になることを夢としていた。

UDO(独活野大木(うどのたいぼく))

演者はキャイ〜ンウド鈴木ショルダーキーボードギターエレクトリックドラム担当。4作目のシングル「Green Man」ではメインボーカルも務めた。初登場時27歳。南々見一也のスタッフであったが、厄介払いされるような形でポケットビスケッツに加入した[6]。ユニット名の命名者でもある[6]。テルと同じく演奏はアテ振りであるが、アコースティックギターのインストゥルメンタル曲「まごころ」をライブで生演奏している。

歴史[編集]

結成までの経緯[編集]

1995年10月20日、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』(以下、ウリナリ)の前身番組『 ウッチャンウリウリ!ナンチャンナリナリ!!』 で始まった「スーパースター誕生」という企画に活動の端を発する。当初は「ポケットビスケッツ」という存在は企画の予定に入っておらず、高山理衣をアジアへ売り出すことが主なテーマであり、テル(内村)と千秋は、南原清隆扮する音楽プロデューサー・南々見一也が利用する居酒屋の店長と看板娘という設定の脇役だった[7]

その後企画が進み、オクトアーツEMIから「3人組の女性ユニット」という条件でデビューの話がもたらされた[7]。高山以外の2名について、千秋も含む番組企画参加者3名を対象にオーディションが行われたが、南々見の事務所社長・白石恵(国生さゆり)と高山の事務所社長・滋花実(室井滋)が指名され、千秋は選に漏れた。私的にも歌手になることを目標としていた千秋はこの結果に泣き出し、これを庇ったテルが咄嗟に「第2のマモー・ミモー作ってやるダニ[注 1]」と叫んだことから、もうひとつの音楽ユニットを作ることが決まった[8]。テルの台詞は全くのアドリブであり、番組の企画総合演出を担当した土屋敏男は「あのやりとりがなかったら、ポケビは存在しなかった」と語っている[8]

12月1日の放送回で女性3人組ユニットの名前を決めることになり、こちらは高山が提案した「McKee(マッキー)」に決まった[9]。内村・千秋のユニットには、高山のマネージャー・独活野大木として企画に参加していたウド鈴木が提案した「ポケットビスケッツ」が宛がわれた[9]。直後にテルが独活野をポケットビスケッツに引き抜き、テル、千秋、ウドの3人で活動を開始した。この時点ではポケットビスケッツはまだMcKeeの添え物扱いであった[9]

デビュー[編集]

McKeeは後藤次利、ポケットビスケッツはパッパラー河合プロデュースによるデビューが決まり、CD発売に先立ちフィリピンでライブが行われた[10]。両者のデビュー曲は共に1996年4月17日の発売と決まり、「オリコン週間チャートでより上位を獲得した曲を番組のエンディングテーマとする」という対決企画へ進んだ[10]。順位発表は5月10日の番組内で行われ、McKeeのデビュー曲「Can't Stop My Heart」が28位、ポケットビスケッツのデビュー曲「Rapturous Blue」はこれを上回る25位となり、ポケットビスケッツが勝利した[10]。以後企画はポケットビスケッツを中心に展開し、McKeeは1作のみで自然消滅した。

その後「Rapturous Blue」はチャート20位まで上昇し、10週連続で100位以内に留まり、累計50万枚以上を売り上げた[11]。作曲を担当したパッパラー河合は、「始め、曲を作った時は、これは売れそうだなとか、ヒットさせてやろうなんていうことは考えてなかったし、のちのちこれほど売れるだろうとは予想してなかったですね」と語っている[12]。また、作詞を担当した千秋は「番組の企画モノ」という雰囲気の中で、どこまで真面目に作ればよいのか悩みながらの作詞であったという[13]

7月12日には番組内で第2弾シングル「YELLOW YELLOW HAPPY」の製作を発表、CD発売に際しては「普通の番組では考えられない予算」(番組ディレクター・塩谷祥隆[14])を投じて、前回作られなかったプロモーションビデオが製作された。発売後、テルが「Rapturous Blueの最高20位に届かなかったら解散」という条件を出したが、初登場で8位に入り、活動継続となった[15]。同作の最高位は4位、累計約150万枚を売り上げている[16]

対決路線の展開[編集]

10月25日の放送では、南々見一也が台湾出身のタレントビビアン・スーを連れて現れ、「祝・ヒットチャートベスト10入り企画」と銘打って15種類の利き酒を行うことを要求。「成功したら初ライブ・失敗したら即解散」という条件で対決が行われた。ポケットビスケッツはこれに勝利し、初めてのライブ開催が決定した[15]。当初は原宿で行われる予定だったが、予想を上回る聴衆が集まったため中止となり、後日新宿アルタ前で改めて開催された[17]。開演前には南々見から再度「利き寿司」対決を持ち掛けられたが勝利を収め、直後に約5000人の聴衆を前に初ライブを行い、「YELLOW YELLOW HAPPY」を披露した[17]。この頃から事あるごとに様々な対決を持ち掛けられ、「できなかったら即解散」という条件が付く対決路線が始まった。

その後、3作目の発売までに至る一連の対戦にもことごとく勝利し、翌1997年1月22日に第3弾シングル『Red Angel』が発売、初登場2位を記録した。発売直前の1月10日には、南々見一也の双子の兄という設定の南々見狂也と、ビビアン(ビビアン・スー)、天山ひろゆき(キャイ〜ン・天野ひろゆき)で結成されたブラックビスケッツが初登場、以後両ユニットの対決が展開されていった[18]。4月には「Red Angel」の売上げが100万枚を突破、同じくミリオンを達成していた「Yellow Yellow Happy」と共に、東芝EMIからゴールドディスクが贈られた[19]。パッパラー河合はこの2曲のヒットについて、「チアキのボーカルとか作詞の力も大きかった」と述べている[12]。「ポケビ効果」により、『ウッチャンナンチャンのウリナリ!』自体も視聴率20%を超える人気番組となった[2]

アルバム発表 - 日本武道館ライブ[編集]

5月2日の放送において、ファーストアルバムを製作することがテルから発表された[20]。発売に先立ちアルバムから1曲をシングルカットすることになり、4曲の候補の中からウドがメインボーカルを務める「Green Man」が選ばれた[20]。この決定には当初ウド自身も反対していたが、7月4日に発表されたオリコンチャートで初登場3位を記録し、番組中で感泣した[20]。パッパラー河合は「ウドのボーカル曲はそのうち注文が来るだろうなとは思ってたけど、まさかシングルカットとは思っていなかった」と語っている[12]。なお、河合が4作目に考えていたのは、アルバムの1曲目に収録された千秋ボーカルの「Pink Princess」であった[12]

7月14日にファーストアルバム『Colorful』が発売され、初登場3位を記録した。この2カ月後、企画上「ポケットビスケッツの邪魔者」という扱いに過ぎなかったブラックビスケッツの台湾デビューが決定。以後しばしブラックビスケッツが前面に押し出され、ポケットビスケッツは一時的に活動休止状態となった。この最中にブラックビスケッツは9月に台湾において第1弾シングル『闘志』を発表し、2週連続の1位を獲得、『STAMINA』と改題して12月に発売された日本では初登場2位を記録した[21]。12月12日の放送でポケットビスケッツとブラックビスケッツが台湾で合同ライブを行ったのち、年末の日本武道館ライブの権利を賭けて「ガソリンすごろく対決」を行い、ポケットビスケッツが勝利。12月28日(放送は翌1998年1月9日[22])に初めての本格的ライブとして日本武道館で単独公演を行った(ブラックビスケッツも後から出演)[22]。このステージでは、千秋が歌の最中に感極まり、声を詰まらせる場面もあった[23]

100万人署名運動 - 初の1位獲得[編集]

1998年4月、ポケットビスケッツのシングル5作目「My Diamond」と、ブラックビスケッツのシングル2作目「タイミング」のどちらを発売するかを賭けて対決が行われ、ポケットビスケッツが敗北。敗者は新曲のマスターテープを破棄するという条件が付けられていたため、「My Diamond」のテープは破棄された。

その後、新曲の発売を目指して100万人の署名を集める活動が始まり、全国各地の小学校を中心に署名運動が展開された。6月21日には有明レインボーステージに1万人が結果公開を兼ねた無料ライブに招待され、目標を大きく上回る178万4892人の署名が集まったと発表された[24](締切後に届いたものを含めると200万に達した[25])。1カ月後の7月22日にシングル5作目となる『POWER』が発売され、2週目の売上げにおいて初めての週間チャート1位を獲得した。テルは企画について、「もしいったとしても、ギリギリ100万、いかなかったら90万ぐらいと思っていたから、すごい突き抜けた数字で驚きました。ポケビの一連の企画で初めて視聴者の力を借りて、みんなの力がここまで押し上げてくれたと思った。スゴイと思った」と語っている[24]

なお、販売店の一部には「100万人に到達しなかったら新曲は出ない」という部分が伝わっておらず、店によっては結果発表前から新曲発売が既成事実のように扱われていたため、「出来レースではないのか」という投書もあった。これについて、東芝EMIのディレクター・長井信也は「みんなこんなに一生懸命やっているのに、そう思われてしまうのは、僕としてもすごくイヤでした」と語っている。長井によれば、結果発表の会場には成功・失敗2種類の台本とくす玉が用意されていたといい、『POWER』の収録も発表当日のジャケット写真撮影をはじめとして、全て結果発表の後に突貫作業で行われた[26]

同年7月から8月にかけて、100万人署名に対する御礼として全国9か所でのライブツアーを開催。最終地・旭川では5万人以上を集めるなど、各地とも盛況だった。年末にはNHK第49回NHK紅白歌合戦に「ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツスペシャルバンド」として出場を果たし、「Power」などをメドレー方式で歌った[23]。他のウリナリ出演者も応援に駆け付け、内村が番組の別の企画である「ランキングキャラクターLIVE」のキャラクター・ホワイティに扮したり[23]、最後に「来年は白組で」という幕が現れる[23]など演出も凝ったものであった。しかし、次の年以降にウリナリの企画グループが紅白に出演することは無かった。

「Power」は累計110万枚を売り上げ[23]、3作目のミリオンを達成。この年はブラックビスケッツの『タイミング』も売上100万枚を達成し、番組プロデューサーの土屋敏男は「2組とも、10何万ならともかく、100万枚以上売れているということはもう、番組を見ない人までが曲に引かれて買ってるとしか思えない」と評した[27]

ソロ活動 - 活動休止まで[編集]

翌1999年2月、ポケットビスケッツの活動として、千秋、テル、ウドがそれぞれソロシングルを発売。その内、テルのシングル「青の住人(すみびと)」にてテル本人がピアノを弾いていないという不正が発覚。「完奏できなければ脱退」という条件でFM横浜の「TheRanking」で生演奏し、これをクリアした。しかしテル本人は演奏の出来に納得せず、自ら進んで仮メンバーとなった。その後のZepp Tokyoでのライブで上達した演奏を披露し、3人での活動を再開。これをきっかけとして、7月22日にポケットビスケッツとしてのシングル6作目『Days/My Diamond』を発売。オリコンチャート最高4位を記録した(売上45万枚[23])。

同年末には松任谷由実の年越しライブにゲスト参加し、「Yuming+Pocket Biscuits」として共演作「Millennium」を生中継、生演奏で発表した。同作は翌2000年1月21日に同名義でシングルとして発売された。発売同日の放送において、「ポケットビスケッツが番組の一企画であるため、歌手・千秋の活動を狭めている」とするテルが、千秋にソロ活動を進言[28]。3人の相談の末にこれが受け容れられ、これに伴いポケットビスケッツとしての活動は停止することになった。

2000年3月12日、千秋のソロデビュー前の初ライブ後、日本武道館でポケットビスケッツとしてライブを行う。これは直前まで千秋には秘密にされ、テレビでも告知されないシークレットライブのスタイルを取った。このライブでテル・ウド・千秋の今後を祈って手作りの幸せの黄色いハンカチが入場者に配られ、ファンの提案で即興の卒業式が行われた。

活動休止後[編集]

2002年3月、ウリナリの最終回イベント「ウリナリ祭り」で限定的に復活し、メンバー3人が共演。ポケットビスケッツとして活動したのはこれが最後となっている。以後はテレビにおいて千秋個人のタレント活動の中でポケットビスケッツの歌が披露されている。千秋はブログでポケビについて言及することもあり、2010年に行われたインタビューでは「復活はウッチャン次第」と語っている[29]。長らく3人とも多忙であるがゆえにそろって仕事することはなかなか叶わなかったが、2016年7月24日放送フジテレビFNS27時間テレビ内のテル(内村)司会のバラエティ「スカッとジャパン」にてようやくウリナリ最終回の有楽町・東京国際フォーラムでのライブ以来、約14年4か月ぶりに全員で正式に番組として仕事共演。千秋が自身のインスタグラムにて3ショット写真を披露し、往年のファンを感動させた[30]

人気の背景[編集]

3曲のミリオンヒットを記録するなど「企画もの」としては異例の人気を博したが、既述の通り、当初はメインであるMckeeの添え物であった。番組ディレクターの塩谷祥隆は、「最初の感触では『売れる』という予感はなくて、あとから人気が追いかけてきたっていう感じだった」と語り[14]、東芝EMIのディレクター・長井信也は「こちらの予想を上回る、大きな成長ぶりを見せてくれた」と述べた[31]。また内村は「Power」発売前のインタビューにおいて、「普通、企画物は一発で終わるけど、ポケビはもう4年目。こんなに続くなら、念入りなメークにしなかったのにな[25]」とこぼすなど、いずれもポケットビスケッツの活躍は予想外のものだったとしている。

人気の背景について、プロデューサーの土屋敏男は、「ポケビがここまで大きくなったのは、チアキの『ポケビを存続させたい』というダイレクトな気持ちが、視聴者に伝わった結果じゃないでしょうか」と述べている[8]スポーツニッポンの特集記事では、「形はちょっと変わっていたが、それでも夢をかなえた千秋に感情移入する視聴者の応援に加え、ポケビはいつも解散の危機にさらされながら活動を続けていたことが周囲の共感を呼んだ」としている[32]。塩谷は「解散シリーズなんかでは、番組としては、本当にできなかったら解散になってもいいって心づもりがあって、それに対してチアキががんばる。真剣にグループとしての生命がかかっていたという緊張感が、ただの企画ものグループと違うところですね」と述べている[14]

またスポーツニッポンでは「価格も当時CDシングルの標準だった1000円の半額の500円に設定したことで、小学生ら子どもたちが買いやすかったのもヒットの要因となった」と分析している[32]。この価格は、「もうけるためでなく、少しでも多くの人に彼らの曲を聴いてもらいたい」という考えから設定されたものであった[26]

パッパラー河合は、「同時期に猿岩石も売れていて、やっぱり企画ものって言われたけど、企画のない音楽ってあるのかな……という気がしますね。音楽をやらない人を集めてグループを作ると企画ものと言われるけど、音楽が良ければいいんじゃないかと思います」との感想を述べ[12]、長井信也は「ポケビは、3人の個性をビジュアル的、かつヒューマンな形で表現したグループだと思います。チアキの持つひたむきさと、音楽を愛する気持ち。テルさんの、シビアだけど暖かいまなざし。ウドちゃんの人がらの良さ。すべてがポケビの力になっていると思います。テレビから生まれたミュージック・グループとしては、最高のグループだと確信しています」と総評している[31]

衣装[編集]

初代(Rapturous Blue)以外の千秋の衣装は、千秋自身がデザインしたオリジナルである。また、初代の衣装は自前で用意したものである。

  • 初代 - 1995年、曲のタイトル(Rapturous Blue)に合わせ全体的に青でまとめられている。千秋は、Tシャツに黒革のジャケットを羽織り、ジーンズ。内村は青いカットシャツに上下黒のスーツ、ウドはシルバーのシャツに赤いネクタイを締め、下は黒のスラックス。
  • 2代目 - 1996年 - 1997年、「YELLOW YELLOW HAPPY」発売に従い、ポップで人形的な衣装に変更。
  • 3代目 - 1997年、「Red Angel」発売に従い、変更。メンバー全員黒いゴシック系の衣装(千秋のドレスは赤いバージョンも使用された事がある)。ウドはこの衣装で出演していた時期に髪の毛を赤に染めている。
  • 4代目 - 同年、「GREEN MAN」発売に従い、変更。内村は白い背広に緑のネクタイ、千秋は薄い緑のドレスにアフロヘアー、メインであるウドは白いライダースーツに緑のシャツで髪の毛を緑に染めている。
  • 5代目 - 同年、アルバム『Colorful』発売に従い、変更。アルバム名どおり、様々な色が混ざったカラフルなワンピースとスーツ。
  • 6代目 - 「My Diamond」の発表に従い、変更。その後、100万人署名達成まで着用し続けた。白とピンクを基調とし、全員左腕にピンクの腕章を着けている。ウドは金髪に変更し以降はそれで通している。
  • 7代目 - 1998年、「POWER」発売に従い、変更。千秋の大きなリボンが特徴。
  • 8代目 - 「Days/My Diamond」発売に従い、変更。千秋はブルーを強調したドレス風の衣装、テル・ウドは黒系の衣装に。
  • 9代目 - 2002年、ウリナリ最終回「ウリナリ祭り」の日のみ見られた衣装。テルとウドは「YELLOW YELLOW HAPPY」の衣装、千秋のみ「Red Angel」の衣装を強調した衣装だった。
  • その他 - アルバム『Colorful』の曲のとき
    • (千秋)「Pink Princess」 - ピンク色のドレスでお姫様のイメージを強調したものである。
    • (千秋)「White Summer Heaven」 - 麦藁帽子にTシャツと半ズボンで夏らしさをイメージしている。
    • (千秋)「Violet Moon」 - 紫色のワンピースを着ている。
    • (テル)「Orange」 - スーツの下にオレンジ色のワイシャツを着ている。
  • その他2 - NHK紅白歌合戦の時

3人とも7代目をベースにしているが服の生地が異なっている。また、ブラビと交代したあと千秋とウドは紅白にちなみ赤と白を基調とした衣装に変えて内村はホワイティに早着替えしている。

ディスコグラフィー[編集]

シングル[編集]

通算 発売日 タイトル 最高位
1st 1996年4月17日 Rapturous Blue 20位
2nd 1996年9月4日 YELLOW YELLOW HAPPY 4位
3rd 1997年1月22日 Red Angel 2位
4th 1997年6月18日 GREEN MAN 3位
5th 1998年7月22日 POWER 1位
6th 1999年7月23日 Days/My Diamond 4位

Yuming+Pocket Biscuits[編集]

  1. Millennium」(発売日:2000年1月21日)Yuming+Pocket Biscuitsとして
    オリコン最高位7位。
    作詞・作曲:松任谷由実・プロデュース:松任谷正隆。実質上、ポケビの最後のシングル。

その他[編集]

  1. 「ポケビのうた」(2000年3月12日)テル・ウドが千秋のために作詞し歌ったポケビ最後の曲。作曲:松任谷正隆。アルバム『THANKS』収録)

メンバーのソロシングル[編集]

  1. 「青の住人」(発売日:1999年2月24日) - TERU
    オリコン最高位14位、CD出荷枚数25万枚。
    テル作詞作曲の全編ピアノ弾き語り曲。テル(=内村)のソロ。
    ピアノの高速なトリル・フレーズが特徴で、CD収録時はアレンジャー福田裕彦が演奏をしていたが、テルはその後猛練習を積みFM横浜にて生演奏を披露。名誉挽回を果たす。
  2. 「マーガレット」(発売日:1999年2月24日) - Chiaki & Fruits Flowers
    オリコン最高位11位、CD出荷枚数33万枚。
    百秋(もあき)・千秋(ちあき)・万秋(まあき)のユニット「千秋&フルーツフラワーズ」が歌う(一人三役・千秋のソロ)。
    歌詞がCD版とは多少異なるがオロナミンCのCMソングのタイアップがつき、約半年間放送されていた。千秋は大の阪神タイガースファンなのだが、当時のオロナミンCのCMは読売ジャイアンツの選手(斎藤雅樹など)が出演していた。
  3. 「まごころ」(発売日:1999年2月24日)- UDO
    オリコン最高位16位、CD出荷枚数15万枚
    ウドのクラシック・ギターインストゥメンタル曲でウドのソロ。後にプロモーションでのインストアライブの際、当時人気だったSomething ELseと共演する。そして度重なる演奏ミスと番組に出た女性に恋したウドにあきれた内村が、「まごころ〜その後〜」(CD未収録)と称して歌詞を作詞。 シングル・ヴァージョンはアルバム未収録であり、入手困難である。ベストアルバムには、「THANKS Version」と別バージョンで収録されている。またシングル・ヴァージョンとシングルカップリングの「classical version」では旭純が、「THANKS Version」では作曲者である和田薫がアレンジしている。

CDアルバム[編集]

# 曲名 作詞 作曲 編曲 曲長
1 Pink Princess CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:22
2 YELLOW YELLOW HAPPY(Album Version) CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:13
3 White Summer Heaven CHIAKI パッパラー河合 パッパラー河合 5:06
4 Violet Moon CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 4:38
5 Rapturous Blue(1997 Album Version) CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:07
6 Red Angel CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 4:21
7 Orange TERU TERU パッパラー河合 4:23
8 GREEN MAN UDO&ポケットビスケッツ TERU&パッパラー河合 パッパラー河合 4:46
9 Rapturous Blue(New Sound English Memorial Version) CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合 5:23
  • 『Sing a Pocket Biscuits』 (1997年9月10日)9曲収録
    『Colorful』のカラオケバージョンを収録したアルバム。収録曲は同じ。
  • THANKS』 (2000年3月24日) 13曲収録
    ベストアルバム。CD出荷枚数33万枚。
# 曲名 作詞 作曲 編曲
1 Overture-Millennium- 松任谷由実 松任谷由実 和田薫
2 Rapturous Blue CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
3 YELLOW YELLOW HAPPY CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
4 Red Angel CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
5 GREEN MAN UDO&ポケットビスケッツ TERU&パッパラー河合 パッパラー河合
6 POWER CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
7 Interlude -青の住人- TERU TERU 鍵山稔
8 青の住人 TERU TERU パッパラー河合
9 マーガレット CHIAKI 大野宏明 ウエストサイダーズ
10 まごころ -THANKS Version- (Instrumental) 和田薫 和田薫
11 My Diamond CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
12 Days CHIAKI&ポケットビスケッツ パッパラー河合 パッパラー河合
13 ポケビのうた TERU&UDO 松任谷正隆 松任谷正隆
  • スーパー・ベスト』 (発売日:2012年9月5日)12曲収録
    TSUTAYAが限定販売している廉価ベスト『The Best Value』シリーズの一枚。
  • 『THANKS 20th Edition~Poket Biscuits Collection+』(2016年11月23日)15曲収録
    CDデビュー20周年を記念するベストアルバム。

ビデオ[編集]

  1. 『ポケットビスケッツ出世物語Part.1』(発売日:1997年7月30日
  2. 『ポケットビスケッツ出世物語Part.2』(発売日:1997年7月30日
  3. 『100万人署名御礼日本縦断ツアー全記録』(発売日:1998年11月18日
  4. 『ポケットビスケッツ フォーエヴァー 伝説のLIVE IN日本武道館 2000・3・12 〜全てはHappyのために〜』(発売日:2000年6月28日
  5. 『運命のファイナルステージ ウリナリ祭り完全版』(発売日:2002年5月22日)販売元:バップ
    2002年3月11日、東京国際フォーラムにて行われた復活ライブの模様を収録。DVDも同時発売。

以上全て東芝EMIより発売

Book[編集]

  1. 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック 日テレムック』(発売日:1997年10月)日本テレビ放送網 出版

その他[編集]

  • 千秋・ウドのソロ活動及び「Millennium」「ポケビのうた」を除く全ての曲に作・編曲でパッパラー河合が関わっている。
  • ファイナルライブ終了後、3人は今の心境を『真っ白』『明るい感じ』そして『幸せな感じ』と笑顔で答えた。
    更にその後明かされたが、千秋から「あれは復活ではない」と言われたらしい。
  • 当時のたまごっちブームに便乗し、ポケットビスケッたと言う商品名の携帯育成ゲームを製作。
    1997年6月にはマークスから販売され、また視聴者プレゼントにもなった。
    A, B, Dボタンを同時に押しながら本体裏のリセットボタンを(ピンなどの鋭利なもので)押すと、「ブラビモード」で再起動する。オープニングの人物紹介のテキストがブラビに置き換えられているが、グラフィックは画面の白黒が反転しただけで通常と変化はない。
  • キャイ〜ンが1999年3月末にZepp Tokyoで行った『キャイ〜ンライブ フルアエロバージョン』の冒頭で、『ウド ギター ソロリサイタル』として「まごころ」を演奏した。
なお「演奏を間違えた場合、その時点で即ライブ終了」という、ポケットビスケッツと同じ様な課題が課せられたが、間違えて即ライブ終了になってしまい、『キャイ〜ンライブ フルエアロバージョン』がスタートされた。

千秋がポケットビスケッツ卒業時に言った、合言葉

  • 「全てはHappyのために」(YELLOW YELLOW HAPPYの一節より)

NHK紅白歌合戦出場歴[編集]

年度/放送回 曲目 出演順 対戦相手 備考
1998年(平成10年)/第49回 POWER & Timing
大晦日MIX
11/25 L'Arc〜en〜Ciel ポケットビスケッツ&ブラックビスケッツ
スペシャルバンドとして合同で紅組から出場
注意点
  • 出演順は「出演順/出場者数」で表す。

脚注[編集]

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  1. ^ マモー・ミモー=ウッチャンナンチャンのかつての冠番組『ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!』で放送されていたコントドラマ「ナン魔くん」で、内村とタレントのちはるが演じていたキャラクター。内村がマモー、ちはるがミモーを演じて人気を博し『マモーミモー野望のテーマ』という曲も発売された。
  1. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.3
  2. ^ a b 『日経エンタテインメント!』1998年6月号(日経BP社)pp.46-49
  3. ^ 『週刊女性』1998年7月21日号、p.66
  4. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.4
  5. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.6
  6. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.8
  7. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.22
  8. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.44
  9. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.23
  10. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.24
  11. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.25
  12. ^ a b c d e 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.49
  13. ^ 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.11
  14. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.46
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  20. ^ a b c 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』pp.34-35
  21. ^ 『ザ・テレビジョン』1998年7月18日-7月24日号、p.17
  22. ^ a b 『TOKYO1週間』1998年3月21日号、p.24
  23. ^ a b c d e f 『ザ・テレビジョン』2000年2月5日-2月11日号、p.37
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  25. ^ a b 『ザ・テレビジョン』1998年7月18日-7月24日号、p.16
  26. ^ a b 『週刊女性』1998年7月21日号、p.68
  27. ^ 『ザ・テレビジョン』1998年7月18日-7月24日号、p.15
  28. ^ 『ザ・テレビジョン』2000年2月5日-2月11日号、p.36
  29. ^ 千秋、ポケビ復活は「企んでいる」 初体験の日比谷野音で野望語る(オリコン)
  30. ^ 【エンタがビタミン♪】千秋『ポケットビスケッツ』の3ショット公開 「本当に復活してほしい!」とファン願う(Techinsight)
  31. ^ a b 『ポケットビスケッツ公式ガイドブック』p.48
  32. ^ a b 【1996年9月】YELLOW YELLOW HAPPY/共感呼んだポケビの一生懸命さ”. Sponichi Annex (2011年9月13日). 2012年8月4日閲覧。>

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]