田中健二朗

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田中 健二朗
横浜DeNAベイスターズ #46
20130317 Kenjiro Tanaka, pitcher of the Yokohama DeNA BayStars, at Yokohama Stadium.JPG
2013年3月17日 横浜スタジアム
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 愛知県新城市
生年月日 (1989-09-18) 1989年9月18日(28歳)
身長
体重
179 cm
75 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
プロ入り 2007年 高校生ドラフト1巡目
初出場 2010年9月11日
年俸 4,300万円(2017年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

田中 健二朗(たなか けんじろう、1989年9月18日 - )は、横浜DeNAベイスターズに所属する愛知県新城市出身のプロ野球選手投手)。

経歴[編集]

プロ入り前[編集]

小学校2年生の時から、投手として、山吉田少年野球クラブで野球をスタート。中学校3年生の春には、ボーイズリーグの新城ベアーズで全国大会に出場した。

常葉菊川高校への進学後は、投球フォームの乱れから、腰椎分離症に悩まされた。しかし、中日ドラゴンズでのプレー経験がある佐野心部長から『ど真ん中投法』を直々に教わると制球が安定。2年生の秋からエースとしてチームを牽引すると、3年生春の第79回選抜高等学校野球大会でチームを優勝に導いた。3年生夏の第89回全国高等学校野球選手権大会でも準決勝まで進出。野村祐輔小林誠司土生翔平上本崇司らを擁する広陵高等学校に敗れたが、平成に入ってからは静岡県勢初めてのベスト4入りを果たした。

春夏通じて甲子園球場の全国大会で通算6勝(春4勝夏2勝)を挙げたことが評価されて、2007年度のプロ野球高校生ドラフト会議では、横浜ベイスターズから1巡目で指名。佐藤由規高濱卓也の重複指名による抽選で交渉権獲得を逃した末の指名だったが、契約金7,000万円、年俸720万円(金額は推定)という条件で入団した。背番号は46。常葉菊川高から直接NPBの球団に入った選手は田中が初めてで、大学経由を含めても、門奈哲寛以来2人目であった。

プロ入り後[編集]

2008年

左肩を痛めたため、一・二軍を通じて公式戦への登板がなかった。秋のフェニックスリーグで、ようやく実戦登板を果たした。

2009年

イースタン・リーグ公式戦で、主に先発投手として3をマーク。フレッシュオールスターゲームにも、同リーグの監督推薦選手として出場した。

2010年

9月11日の対中日ドラゴンズ戦(ナゴヤドーム)で、6番手投手として一軍初デビュー[2]15日の対阪神タイガース戦(横浜スタジアム)で一軍初先発を果たすと、6回0/3を5安打3失点という内容で一軍初勝利を挙げた。横浜の投手による一軍公式戦初先発初勝利は、2008年小林太志以来であった[3][4]

2011年

一軍公式戦では、先発として1試合に登板しただけでシーズンを終えた。

2012年

一軍公式戦のロングリリーフで投球内容が安定していたことから、4試合で先発に起用。シーズン通算では15試合に登板したが、0勝2敗、防御率4.67という成績で終わった。

2013年

一軍公式戦には、オール救援で9試合に登板。勝敗は付かず、防御率は4.85であった。

2014年

プロ入り後初めて、公式戦の開幕を一軍で迎えた。しかし、インフルエンザに感染したため、登板機会のないまま登録を抹消された。以降のシーズンでは、一軍と二軍を往復しながら、力のあるボールを投げる手応えをつかんだ[5]。9月に一軍へ昇格してからは、登板した試合を全て無失点に抑えるほど好調で、23日の対阪神戦(横浜)では一軍で4年振りの勝利を記録した。なお、シーズン終了後に首脳陣から先発での起用を打診されたが、田中自身は固辞している[6]

2015年

2年連続で公式戦の開幕を一軍で迎えると、新人ながらクローザーに抜擢された山崎康晃につなぐセットアッパーとして活躍。首脳陣の判断で山崎が休養した5月15日の対広島東洋カープ戦(MAZDA Zoom-Zoom スタジアム広島)では、山崎に代わってクローザーを務めると、一軍での自身初セーブを達成した。

前半戦にチームが好調だったことを背景に、マツダオールスターゲームのファン投票では、セントラル・リーグ中継ぎ投手部門で2位にランクイン。結局、同リーグの監督推薦選手として初出場を果たした。もっとも、前半戦の終盤から徐々に調子を落としていたため、実際にはオールスターゲーム第1戦の前日(7月16日)に出場選手登録を抹消。同ゲームでは18日の第2戦(マツダスタジアム)に3番手で登板したが、公式戦では一軍復帰を果たせずにシーズンを終えた。一軍公式戦全体では、35試合に登板。2勝2敗ながら、前半戦だけの登板で防御率2.20、16ホールドという好成績を残した。

シーズン終了後の11月に開催された第1回WBSCプレミア12では、日本代表の第1次候補選手に選ばれた[7]ものの、最終ロースターの28名に残らなかった[8]

2016年

プロ入り後初めて、公式戦の開幕からフルシーズン一軍に帯同。一軍公式戦では、登板試合数(61)・勝利数(5勝)・ホールド数(23)で自己最高の成績を残すとともに、左のセットアッパーとしてチーム史上初のクライマックスシリーズ進出へ貢献した。山崎が不調に陥った8月には、右のセットアッパー・三上朋也と交互に、一時クローザーを務めている。

ポストシーズンでは、読売ジャイアンツ(巨人)とのクライマックスシリーズ ファーストステージ第1戦(10月8日)でホールドを記録すると、第3戦(10日、いずれも東京ドーム)で勝利投手になった。チームの1勝1敗で迎えた第3戦では、同点の9回裏から登板。先頭打者・村田修一を内野安打で出塁させたものの、村田の代走・鈴木尚広への牽制球によって、プロ入り後初めて牽制刺を記録した[9]。さらに、後続の打者を凡退させることで延長戦に持ち込むと、10回裏の巨人の攻撃を三者凡退に抑えた[10]。結局、チームは延長11回表の勝ち越しを経て勝利するとともに、ファイナルステージへの進出を決めた。

2017年

同姓の田中浩康が入団したため、ローマ字表記が「K.TANAKA」に変更された。

人物[編集]

湘南シーレックス時代
(2010年11月20日、横須賀スタジアム)

実家は近くのコンビニまで数キロ離れた(車で約10分)山間部で、野球に熱中できる環境だった。このため高校時代は「田舎」がニックネームで、横浜の入団会見では「『ハマの田舎』と呼んで下さい」と語っている(なお田中の入団後、実家近くにコンビニが開店している)。その後、公募でニックネームで募集したところ額の剃りこみに特徴があることから『ハマのソリコミ』を本人が選んでいる[11]。また、砂田毅樹からは「けんけん」と呼ばれているほか[12]、ネットでは「タナケン」という呼び名が定着している。

2013年11月、同年5月に一般女性と結婚していたことを発表した[13]

2015年3月27日の開幕戦(対巨人)に登板した際、2月28日に母親が心筋梗塞により47歳という若さで他界していたことを中継した日本テレビのアナウンサーが明らかにした。

詳細情報[編集]

年度別投手成績[編集]





















































W
H
I
P
2010 横浜
DeNA
5 4 0 0 0 1 2 0 0 .333 103 25.0 22 6 10 0 0 12 1 0 11 11 3.96 1.28
2011 1 1 0 0 0 0 0 0 0 ---- 16 3.0 6 1 0 0 0 1 0 0 4 2 6.00 2.00
2012 15 4 0 0 0 0 2 0 0 .000 153 34.2 38 3 8 0 2 27 1 0 19 18 4.67 1.33
2013 9 0 0 0 0 0 0 0 0 ---- 59 13.0 16 4 6 0 0 11 0 0 7 7 4.85 1.69
2014 11 0 0 0 0 1 0 0 0 1.000 68 15.1 21 1 3 0 1 17 1 0 8 7 4.11 1.57
2015 35 0 0 0 0 2 2 1 16 .500 140 32.2 29 1 16 0 0 29 3 0 9 8 2.20 1.38
2016 61 0 0 0 0 5 3 0 23 .625 197 44.0 46 2 18 3 1 39 3 0 16 12 2.45 1.45
2017 60 0 0 0 0 1 3 0 11 .250 205 48.1 43 3 23 0 1 36 2 0 26 24 4.47 1.37
NPB:8年 197 9 0 0 0 10 12 1 50 .455 941 216.0 221 21 84 3 5 172 11 0 100 89 3.71 1.41
  • 2017年度シーズン終了時
  • 横浜(横浜ベイスターズ)は、2012年にDeNA(横浜DeNAベイスターズ)に球団名変更

記録[編集]

投手記録
その他の記録

背番号[編集]

  • 46 (2008年 - )

脚注[編集]

  1. ^ DeNA - 契約更改 - プロ野球.日刊スポーツ.2016年12月28日閲覧。
  2. ^ 横浜3年目田中「足プルプル」プロ初登板 - 日刊スポーツ(2010年9月12日)
  3. ^ 横浜、3年目の田中がプロ初先発で初勝利 - ウェイバックマシン(2010年9月18日アーカイブ分) - サンケイスポーツ(2010年9月15日)
  4. ^ ベイ投に光…07年センバツV腕が初先発初勝利 - スポーツニッポン(2010年9月16日)
  5. ^ 1軍スタートの田中健二朗、「負けられない」強い覚悟”. 神奈川新聞 (2015年1月24日). 2015年1月24日閲覧。
  6. ^ ベイ田中、亡き母への恩返し”. 神奈川新聞 (2015年4月15日). 2015年4月15日閲覧。
  7. ^ トップチーム第一次候補選手発表!11月に行われる「WBSC世界野球プレミア12」へ向けて65名が名を連ねる 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年7月16日)同年8月4日閲覧
  8. ^ 「WBSC プレミア12」侍ジャパントップチーム最終ロースター28名発表!! 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト(2015年10月9日)同年11月11日閲覧
  9. ^ 鈴木は2016年10月13日に現役引退を表明したため、この時の牽制死が現役最後のプレーになった。
  10. ^ 田中“サヨナラ危機”にスーパーけん制 あの鈴木からプロ9年目初 スポーツニッポン(2016年10月11日)同日閲覧
  11. ^ 横浜田中に新愛称「ハマのそりこみ」 - 日刊スポーツ 2010年9月17日配信、同日閲覧
  12. ^ 砂田毅樹のTwitterより
  13. ^ DeNA・田中が結婚 横浜市内在住の一般女性と”. スポニチ Sponichi Annex (2013年11月25日). 2014年5月13日閲覧。
  14. ^ a b 神奈川新聞、2010年9月12日。
  15. ^ 神奈川新聞、2010年9月16日。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]