東北学院大学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ナビゲーションに移動 検索に移動
東北学院大学
東北學院 本館エントランス.jpg
東北学院大学 本館(国の登録有形文化財)

東北学院大学の位置(宮城県内)
東北学院大学
東北学院大学 (宮城県)
東北学院大学の位置(日本内)
東北学院大学
東北学院大学 (日本)
大学設置 1949年
創立 1886年
学校種別 私立
設置者 学校法人東北学院
本部所在地 宮城県仙台市青葉区土樋一丁目3番1号
北緯38度14分57.3秒 東経140度52分40.9秒 / 北緯38.249250度 東経140.878028度 / 38.249250; 140.878028座標: 北緯38度14分57.3秒 東経140度52分40.9秒 / 北緯38.249250度 東経140.878028度 / 38.249250; 140.878028
キャンパス 土樋(仙台市青葉区)
多賀城(宮城県多賀城市
泉(仙台市泉区
学部 文学部
経済学部
経営学部
法学部
工学部
教養学部
研究科 文学研究科
経済学研究科
経営学研究科
法学研究科
工学研究科
人間情報学研究科
ウェブサイト http://www.tohoku-gakuin.ac.jp/
テンプレートを表示

東北学院大学(とうほくがくいんだいがく、英語: Tohoku Gakuin University)は、宮城県仙台市青葉区土樋一丁目3番1号に本部を置く日本私立大学である。1949年に設置された。大学の略称は英称 TGUTG[1]東学大(とうがくだい)[2][3]東学(とうがく)[4]。宮城県内では学院大(がくいんだい)、学院(がくいん)と呼ばれることが多い[要出典]


概観[編集]

大学全体[編集]

東北地方最初の[要検証]キリスト教主義学校であり、教育を通してキリスト教を伝道するMission School(伝道学校)として設立された。リベラル・アーツを重視した私立総合大学である。そのため現在でもキリスト教を教育の基本に置き、「キリスト教学」の講義は、建学理念のバックボーンを理解するために必修科目として位置づけられている。「LIFE LIGHT LOVE 」「地の塩、世の光」(The Salt of the Earth, The Light of the World マタイによる福音書 5章13〜16節)を建学理念(スクールモットー)として定めている。

1949年(昭和24年)、 教育基本法学校教育法に基づく新制大学としてスタートした。

名称の由来[編集]

東北学院の名称は、北日本のMission Schoolとして、North Japan College(Northern Japan University)と称したことによる[5]

合衆国・ドイツ改革派教会(Reformed Church in the United States,German)英語版略称:RCUは日本における福音伝道には日本基督一致教会の諸州派と共同して当たり、仙台を中心に北日本を担当した。北日本の高等教育機関として合衆国・ドイツ改革派教会と伝道局は「NorthJapan」「東北」と「College」「学院」を合わせ、和名「東北學院」英名「North Japan College」と報じた。 東北を冠る最初の学校[要検証]として1891年(明治24年)に東北學院と命名申。

東北帝国大学の前身である1887年(明治20年)創立の第二高等中学校(旧制第二高等学校)が1907年(明治40年)に東北帝国大学(現東北大学)となる16年前であった。

North Japan College」とは、東北学院設立当初からの英文の学校名称であり[要出典]、日本語の学校名が「東北学院」に定まった後も、宣教師が米国の教会やミッション本部に報告を送る際にはNorth Japan Collegeが用いられていた[6][要文献特定詳細情報]

高等教育にいたる諸段階の教育制度や諸種の専門的教育制度を包摂できる総合的 学校組織を目指すうえで、その意図を学校名において明示する必要があった。宗教理念を根底に置く総合的学校組織はキリスト教系学校の多くが目標としたところであり、これらの学校の多くは「学院」の表記を採用した。そうしなければ小学校、中学校、高等学校、大学などのように個別段階 の教育制度に特化した国公立学校との違いを明示できないからである[独自研究?]。国内では1887年の「明治学院」1889年の「関西学院」に次いで1891年「学院」を名乗った[7]。 なお、明治期、多くのミッションスクールでは「英和学校」(Anglo-Japanese school)と呼ばれていた。なお、明治期、多くのミッションスクールでは「英和学校」(Anglo-Japanese school)と呼ばれていた。

東北学院大学のルーツは1886年明治19年)6月に日本基督一致教会の牧師養成を目的として開校された私塾「仙臺神學校」(英文標記:Sendai Theological Training School)に遡る[PR 1]

1872年(明治5年)2月2日3月10日)に横浜で日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会(The Church of Christ in Japan)が成立。この集まりは横浜バンドと呼ばれた。

「日本基督公会」(現・横浜海岸教会)にて宣教師J・H・バラより洗礼を受け、日本基督公会(横浜バンド)の設立に関わった旧伊予松山藩士の押川方義と、1885年(明治18年)に来日したアメリカ人、合衆国・ドイツ改革派教会宣教師ウィリアム・エドウィン・ホーイがキリスト教の伝道者の育成を目的に設置した。

東北学院の創立[編集]

[8] 1876年(明治9年)1月3日「合衆国・ドイツ改革派教会」(Reformed Church in the United States,German)、「アメリカ・オランダ改革派教会」(Dutch Reformed Church in America)と提携して外国伝道を行うことを決定。

日本基督一致教会の指導者
上左から右下へ、奥野昌綱押川方義植村正久井深梶之助熊野雄七

1877年(明治10年)10月3日、「日本基督公会」、「日本長老公会」合同(アメリカ長老教会アメリカ・オランダ改革派教会スコットランド一致長老教会の在日3ミッションが合同)により長老主義に基づく「日本基督一致教会」組織。「合衆国・ドイツ改革派教会」(Reformed Church in the United States,German)これに加盟。

日本基督一致教會仙台教會・1901年(明治34年)に完成した仙台教會会堂

 日本最初のプロテスタント教会「日本基督公会」の一員だった旧松山藩士・押川方義は、伝道地新潟から吉田亀太郎(旧仙台藩士族)と共に1880年(明治13年)仙台に来任し、民家を借りて伝道を開始、キリスト教講義所を開く。二人は聖書を売り歩き、路傍に立って福音を説き、苦斗ののち、翌1881年(明治14年)5月1日最初の受洗者2名を得て、ここを拠点に「仙台教會」を興した。押川は元来、日本基督公会の公会主義(いかなるキリスト教の教派にも属さないキリスト教無教派の理念)を伝承し、無教派主義を堅持して伝道を続けて来たが、明治10年代後半になると、プロテスタントの各派は、競うて東北への進出を図り、押川の独壇場であった東北を己が教派に引き入れようと、盛んに押川説得運動に乗り出して来るようになった。押川は東北全体の教化と伝道継続の必要から宣教団体と宣教師を模索。組合派(ギューリック宣教師オラメル・ギューリック)バプテスト派(ポート宣教師トーマス・ポート)メソジスト派(ハリス宣教師メリマン・ハリス)一致派(バラ宣教師ジェームス・ハミルトン・バラ、フルベッキ宣教師グイド・フルベッキ)と提携せんことを勤誘。各派から魅力ある勤誘あるも、一致派のバラとフルベッキ書状を持って来仙し、日本基督一致教会から「母は唯一人である事を記憶し(押川はバラの弟子)若し私の方へ帰り、私達と提携するなら新来の宣教師を送り、東北の地を思ひの限り開拓させる」旨の回答を得、押川大に感動す[9]。 かつて、押川は旧藩の期待を背負って英語を学び、英語修行が媒介になって、西洋文明の真髄を知りたい一心からキリスト教に接近したのであるが、祈禱会の折、バラが「神よ,日本を救いたまえ」と祈った言葉に心底から深く感動した。元より熱血の愛国の士である押川は、西洋文明の真髄であるキリスト教こそ、罪深い己を救い人びとを救い、また日本を救いうる唯一の宗教であると確信するのである。1885年(明治18年)押川は、多年に渡る独力伝道に終止符を打ち、教派伝道への大飛躍を胸に描きながら、恩師ジェームス・バラの勧説を容れ、自ら組織した東北の諸教会を率いて、その母教会である日本基督一致教会に合同した。

ジェームス・ハミルトン・バラ(James Hamilton Ballagh)

かくて宮城中會は合衆国リフォームド派と協定を結び、1885年(明治18年)11月、東京中會で准充を受け、仙台教會は「日本基督一致教會仙台教會」(仙台基督一致教會)と称した[10]。 この段階から押川の伝道方針は大きく指向を変えて、教会中心主義から学校中心の教育伝道へと移り、合衆国ジャーマンリフォームド教会の宣教師 ウィリアム・E・ホーイ(William Edwin Hoy)の協力を得て、東北學院の前身である「仙台神学校」を創立する。

東北學院 神学部 専門部校舎の完成[編集]

東北學院神学部 明治24年 The Seminary Building1891

1891年(明治24年)9月18日、神学部校舎は当時781ドルの巨費を投じて[要検証]完成した。見事な赤煉瓦造り円錐型ストレート屋根の円塔からなるゴシック式シャトウ風という大変優雅な建物で、前年1890年(明治23年)に完成していた明治学院神学部(日本基督一致教会東京一致神学校)校舎と同一の設計に加えて、城郭風四角形の五層の高塔を備えていた。四つの教室、礼拝堂、他にいくつかの個室、他に3269冊の蔵書を持つ[要出典]「ケルカー記念図書館」を含むものであった。在学生は計119名で、うち61名がキリスト者であった[要出典]

この年(1891年)正式に日本政府の許可を得て、伝道者育成に加え、普通高等教育を施すようになり、校名を仙台神学校から東北學院(英文標記:TohokuGakuin/NorthJapanCollege)に改称した。PoorbaughlettertoKeller.Jan.15.1889[11][要ページ番号] [PR 2][出典無効]

創立者 ホーイの祈り[編集]

ウィリアム・E・ホーイ William Edwin Hoy1885
ドイツ改革派教会の機関誌『メッセンジャー』ホーイ書簡&ルドルフ・F・ケルカー 1887

バラが推薦し押川が迎えた新来の宣教師とは、合衆国ドイツ改革派教会の日本派遣3人目の宣教師、ウィリアム・エドウィン・ホーイ(William Edwin Hoy)のことであった[12][13][14]。 ウィリアム・E・ホーイは並外れた情熱を有する新進気鋭の宣教師であった。 ホーイは、東北學院(TohokuGakuin/NorthJapanCollege)を「北日本の鍵」と呼んだ(鍵はドイツ改革派教会の紋章)[要出典]

「私の日本到着の三日後に、私に対してなされた押川兄弟の懇願に耳をかさず、東京に留まることも出来たかもしれません。そうなれば仙台はその広大で将来性に富む活動と共に未知の地であり続けたでしょうし、東北学院も存在せず、私の残りの生涯を終えることも可能なのです。

しかし、ああ、日本人への魂の愛、神への愛が、私にこの地で安んずることを許さないのです。神は私に豊富な経験をお与えになりました。私はこれまでと同様に断固として前進する覚悟でおります。押川やシュネーダーの様な人々の道徳時・霊的支持によって、私は前進することが出来ます。未来は招いているのです。ああ主よ、私は東北学院の建設において、私自身をあなたに聖別して捧げます。それは、あなたがこれまで、かくも豊かに祝された、この学校が日本の救いに向けて、一層大いなる永遠の真理と命の殿堂となるためです」

— ウィリアム・エドウィン・ホーイ合衆国・ドイツ改革派教会伝道局幹事キャレンダー宛 Ibid, Feb.13,1893.[15]

東北学院三校祖[編集]

[16]

押川とホーイが東北學院を離れた後は、ホーイと同じく、フランクリン・アンド・マーシャル大学Franklin & Marshall College 英語版で学び、ホーイの推薦によって日本伝道の任に就いていたデヴィッド・ボウマン・シュネーダーが指導的立場に立った。 押川方義W・E・ホーイD・B・シュネーダーの3名は、「三校祖」と呼ばれており、特に、シュネーダーは、その人格的影響力と学校経営の手腕により、50年にわたり東北學院の礎と発展に尽力した「東北學院中興の祖」である。

東北学院の使命・スクールモットー[編集]

東北学院を象徴する「3L精神」シュネーダーの3L精神 [17]

シュネーダーは われわれが人として「いかに生きるべきか」の模範と理想として「LIFE(命)・LIGHT(光)・LOVE(愛)」とその精神を説いた。それ以来、東北学院を象徴する「3L精神」(東北学院スクールモットー)として受け継がれている[18][出典無効]

東北学院の建学の精神や教育方針を最も的確に著したものが 旧東北学院中学部校舎の正面入口に掲げられていた「LIFE LIGHT LOVE」の標語である。

  • LIFE 「命」とは神から授かった「大切な生命(いのち)」と言う意味である。キリストを信じて心に迎える時に、キリストは信じる者の心に入り、その命を照らし、正しき道を歩ませるのである。
  • LIGHT 「光」とは「世の光」万物に分け隔てなく注がれる「かけがえのない光明(ひかり)」と言う意味である。「わたしは、世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです(ヨハネ福音書8章12節)」光は神(天)から発せられる。人はその光に照らされる存在にすぎないが、自ら(人格)を磨いて、その恵みを 照り返し「反射する光」としてこの世を明るくすることが出来る。そして主によって照らされた光を心の中に灯しつづけて行くことで、善いことの方に人を導く者となれる。
  • LOVE「愛」とは この世で出会った全ての人(他者)を分け隔てなく愛する「隣人愛」(隣人とはこの世で出会った全ての人の意味)・我が身を犠牲にしてまで他者を救う最も尊い愛「献身犠牲の愛」キリストの磔刑(キリストは私達民衆に矛先が向かないように自ら十字架刑についた)・見返りを求めない愛 「無償の愛」これら「 主イエス・キリストの愛」(神の愛)と言う意味である。
  • デヴィッド・ボウマン・シュネーダー院長は 3つの「L」を「3L」と称し、われわれが人として「いかに生きるべきか」の模範と理想として、次のようにその精神を説いた[19]
「私達の命」は「神から授かった大切な生命(いのち)」であります。この命の限り、私たちは「神から愛されている者」として 既に 「主イエス・キリストにならう」、「この世の暗闇を照らす光」なのであります。「世の光」として「主イエス・キリストがなさった」様に、「この世で出会った人々(隣人)」を 「その希望の光で照らし」、主イエスが 我が身を投げ打って示した「献身犠牲の愛」と「無償の愛」で「寄り添い・慰め・励まし・支え・共に生きる」ことが出来るのであります。今、既に、「救い主イエス・キリストにあって」私達は「地の塩、世の光」なのであります[20][要文献特定詳細情報]
東北學院 専門部 師範科 1927年(昭和2年)
  • 東北学院はこの「LIFE LIGHT LOVE 」と「地の塩 世の光」をスクールモットーとした。

地の塩 世の光(マタイによる福音書第5章13~16節)

地の塩「目立たぬ行いで人のため社会のため意味を与え、腐敗を防ぎ、汚れを清めて行く人材を輩出する」

世の光「自らを磨いて希望の光として人々を支え、励ましと力、 エネルギーを発していく人材を輩出する」

沿革[編集]

(沿革節の主要な出典は公式サイト[PR 3][PR 4][PR 5][PR 6]

年表[編集]

年表
1886年 - 押川方義W.E.ホーイの協力により「仙台神学校」を開校。
1887年 - 東二番丁の本願寺別院跡に移転。
1888年 - D.B.シュネーダー夫妻が仙台着任。
1891年 - 校名を「東北学院」に改称。予科2年・本科4年・神学部3年に学制変更。
1893年 - 押川春浪により野球部設立。
1895年 - 予科・本科を改組、普通科5年・専修部2年(文科・理科)に。
1896年 - 島崎藤村が英語教師となる(翌年まで)。
1898年 - 理科専修部を廃止。
1901年 - シュネーダーが院長に就任。
1904年 - 神学部・専修部を専門学校令による専門科(3年、文学部・神学部)に改組。
1905年 - 専門科を専門部に、文学部・神学部を文科・神学科に改称。
1910年 - 校旗制定。
1921年 - 校歌制定(ゾーグ作詞・作曲、青木義夫訳)。
1925年 - 神学科を専門部より分離、神学部(第1科・第2科)に。
1926年 - 創立40周年記念式典で押川、ホーイ、シュネーダーの三校祖が再会を果たす。
1927年 - W.E.ホーイ永眠。
1928年 - 押川方義永眠。専門部予科を廃止、専門部を4年制とする。
1929年 - 専門部を高等学部に改称、神学部を改組し本科・予科(3年)を設置。
1930年 - 高等学部師範科に専攻科(1年)を設置。
1936年 - 高等学部文科を文科第1部、師範科を文科第2部と改称。
1937年 - 東北学院神学部が日本神学校に合流(1943年廃止)[21]ヘレン・ケラーが東北学院を訪問[22]
1938年 - D.B.シュネーダー永眠。
1941年 - 日米開戦によりアメリカ人教職員たちが身柄を拘束される。
1942年 - 高等学部商科第2部を設置。
1943年 - 高等学部文科を募集停止、商科を高等商業部に改称。
1944年 - 東北学院航空工業専門学校を設置。
1945年 - 航空工業専門学校、東北学院工業専門学校に改称。
1946年 - 高等商業部を改組、東北学院専門学校(英文科・経済科)を開設。
1947年 - 工業専門学校が閉校。
1949年 - 教育基本法学校教育法に基づき、専門学校は新制大学に昇格。文経学部を設置(専門学校の廃止は1951年)。
1951年 - 財団法人から学校法人に改組され、「学校法人東北学院」となる。
1962年 - 工学部を多賀城キャンパスに設置。
1964年 - 文経学部を文学部経済学部に、文経学部二部を文学部二部と経済学部二部に分離。大学院文学研究科を設置。
1965年 - 法学部と大学院経済研究科を設置。
1966年 - 大学院工学研究科を設置。
1975年 - 大学院法学研究科を設置。
1979年 - 土樋キャンパス78年館(のちの1号館)竣工[23]
1986年 - 東北学院創立100周年。
1988年 - 泉キャンパスに教養部(文・経済・法学部)を移転。
1989年 - 教養学部を泉キャンパスに設置。
1993年 - 住居表示の実施に伴い、泉キャンパスの住所が、泉区市名坂字天神沢9番地1から泉区天神沢二丁目1番1号に変更される。
1994年 - 大学院人間情報学研究科を設置。
1997年 - 大学院文学研究科にヨーロッパ文学史専攻とアジア文化史専攻を設置。
1999年 - 大学設置50周年。
2000年 - 文学部英文学科、経済学部経済学科と商学科昼夜開講制を導入。
2001年 - 文学部基督教学科をキリスト教学科に。経済学部商学科を経営学科に、教養学部教養学科言語科学専攻を言語文化専攻に改称。キリスト教学科の募集要綱からキリスト者であることを除いた。
2002年 - 工学部機械工学科を機械創成工学科に、電気工学科を電気情報工学科に、応用物理学科を物理情報工学科に、土木工学科を環境土木工学科に改称。大学院経済研究科に経営学専攻を設置。
2004年 - 大学院法務研究科法実務専攻(法科大学院)を設置。
2005年 - 教養学部教養学科の3専攻を人間科学科言語文化学科情報科学科の3学科に改組、及び地域構想学科を開設。文学部史学科を歴史学科に改称。
2006年 - 東北学院創立120周年。工学部を機械知能工学科電気情報工学科電子工学科、及び環境建設工学科に再編し、工学基礎教育センターを開設。
2009年 - 経済学部を改組し、新たに共生社会経済学科を設置。経済学部経営学科は経営学部経営学科に改組。土樋キャンパス内に東北学院大学博物館を開設。
2011年 - 文学部を改組し、キリスト教学科は募集を停止。総合人文学科を新設。
2013年 - 大学院法務研究科法実務専攻(法科大学院)における、2014年(平成26年)の学生募集停止を決定。
2016年 - 東北学院創立130周年。
2017年 - 工学部を改組。電子工学科は募集停止。電気情報工学科が電気電子工学科に名称変更。新たに情報基盤工学科を設置。
2023年 - 情報国際人間科学、地域の4学部の新設を検討している。[24]

東北学院 神学部[編集]

東北學院 神学部 The Seminary Building 1891

1936年(昭和11年)3月、神学部を学院から分離。1937年(昭和12年)東北学院神学部は明治学院神学部・東京神学社の合併した日本神学校に合同した(東北学院からは19名の学生が日本神学校に移る)。日本神学校はさらに(すでに関東学院神学部との合同を終えた) 青山学院神学部を合同し、第2次大戦後の教育制度改革を経て[要追加記述]、戦後の日本基督教団東京神学大学となる。最終的には神学部は高等学部卒業後さらに三年の課程を設け、日本基督教会の教職者養成に大きく貢献する。出身者は東北のみならず広く全国の教会に赴任した。その50年の歴史で卒業生は300名を越えた[要出典]

明治学院神学部(東京一致神学校)は日本基督公会から日本基督一致教会の流れを汲み、日本基督一致教会は東北学院創設者である押川方義の出身教会であった。

東京神学社は日本基督公会から日本基督一致教会に至るまで、押川と志を共にした明治基督教指導者の重鎮である植村正久の設立した神学校であり、植村は明治学院設立者の一人で理事、教授も歴任していたが、1889年(明治22年)2月25日東北学院理事局決議により東北学院神学部教授に選任せられた(東北学院70年史)[要ページ番号][27]

東北学院神学部の創設にあたった合衆国・ドイツ改革派教会(Reformed Church in the United States,German,略称:RCU)は日本における福音伝道には日本基督一致教会の諸州派と共同して当たり、仙台を中心に北日本を担当した。各教派の宣教師達は日本を地理的に分割して伝道を担当していた。

日本基督一致教会(後の日本基督教会)はウィリアム・インブリーが、その合同事業を主導し、植村正久井深梶之助の三人が中心になりミッションの伝道事業に日本基督一致教会伝道局との緊密な関係の元に行われること(協力ミッション法)を決議した。合衆国・ドイツ改革派教会はこれらを承認し協力ミッションになった。

この様な背景から日本のいくつかの神学校を統合して、東京合同神学校を作る話が進められていった。

シュネーダーは余り積極的ではなかったが、もしもそれが多数意見であるならば、協力するつもりでいた。「教派的観点からは良いことだが、地理的には不便である」と述べている。

シュネーダーの確信によれば、北日本には独自の神学校が必要である。東京に行った学生は牧師となって地理に不便な東北地方へ戻って来ないかもしれないからである「strong and distinctive local feeling」と表現するのがそれである[28][要ページ番号]

1930年代前半から 始まった東北学院神学部の存廃をめぐる論議の中 で、シュネーダーは「それぞれの地域の特性に応じた 神学教育機関が必須だ」という論拠から、また、東北学院は「それ自体の霊的生命のために、神学部の存在を欠かせない」からであった[28][要ページ番号][29]

象徴[編集]

角帽・TG章[編集]

東北學院 専門部師範科 TG章.角帽.1926年(大正15年)
東北學院 TG章
  • 1901年(明治34年)頃から、シュネーダー院長の下に諸般の刷新が行われ、この年の末、普通科生徒の制帽角帽)が定められた。当時生徒の実情から未だ制服までは着用困難の時代で、先ず制帽から始められた。同時に徽章の制定を促して、シュネーダー院長の腹案に従い、新任の図画の教師小泉成一の意匠によって、十字架の中心に院の頭文字TGを現したものが出来上がり、それが校章に用いられ現在にまで至っている。東北学院のシンボルマークでありTG章とも呼ばれる。意匠として、背景にキリストの象徴である十字架鉄十字章を用い(現在のドイツ連邦共和国においても鉄十字章は正式な勲章・ドイツの国籍標識・シンボルとして認められている)その中心に院の頭文字であるTGを据えている。シュネーダーを派遣した東北學院創立ミッションである合衆国・ドイツ改革派教会(Reformed Church in the United States,German,略称:RCU)の信仰を象徴している[30]

スクールカラー[編集]

  • 東北学院大学のスクールカラーは、青(ブルー)で真実を表す。校章の十字架は金、TGは銀で献身の精神を象徴している。

校歌[編集]

ゾーグと学生たち Prof. Zaugg and his Students in 1941
  • 入学式や卒業式、定期戦、仙台六大学野球等で歌われている校歌は、1921年(大正10年)6月に神学部教授エルマー・ハロルド・ゾーグ(Elmer Harold Zaugg:E.H.ゾーグ[31] と中学部英語教師の青木義夫の両人によって作られたものである。まず作詞(英文)作曲ともにゾーグ作の「フェアー・ガクイン」(Fair Gakuin:作詞・作曲:E.H.ゾーグ)が先にでき、続いて訳詞が青木義夫によってできた。折返し5節からなる。
  • 校歌(作詞&作曲:E.H.ゾーグ 和訳:青木義夫)
  • Fair Gakuin(作詞・作曲:E.H.ゾーグ)

百合の紋章[編集]

東北学院 ユリの紋章
東北学院大マーク ・百合の紋章(フルール・ド・リス
  • 東北学院の百合紋章フルール・ド・リス)は大学体育会の紋章(マーク)として昭和30年代の半ばに考案され、現在でも東北学院大学体育会の紋章として使用されている。百合は、キリスト教では「愛」「正義」「勇気」「真実」を表す象徴とされ、主に明治期に創立された同じくプロテスタントミッションスクールである明治学院青山学院立教学院横須賀学院などが紋章、マーク、或いは校章として主に使用して来た経緯がある。
    東北学院の体育会紋章は、百合の紋章の全体図に、正義の剣信仰の十字架を配したもので、帯に記された文字はTGAA(東北学院体育会)をデザインしており、左から「院」の略称である「T」と「G」を重ね文字で表し、TGに続くAAは「athlete association」の頭文字、つまり「体育会」の表記になっている。東北学院創立80周年記念事業の際、体育会独自の事業として記念誌を編集し、この徽章を使用したことにより各部に広まった。幹事会のほか主将、主務にも配ったことでさらに広まり、東北学院大学の紋章として各部で使用されている。現在は、軟式野球部は帽子、準硬式野球部はユニフォームの左肩とストッキングに、硬式野球部もストッキングに百合をあしらっている(かつては帽子のマークと左肩に使用)[32]

教育および研究[編集]

文系5学部、理系1学部、そして国内では数少ない教養学部を擁し、毎日の「大学礼拝」と「キリスト教学」(全学部全学科で必修科目として、1年次及び3年次の科目として履修)の学習による聖書の教えをもとにした、福音主義キリスト教に基づく教養教育(リベラル・アーツ)を重視している。

開校以来の伝統を継承する文学部総合人文学科(旧基督教学科)は、北関東以北で唯一の[要検証]神学教育機関であり、日本基督教団牧師を始めとするキリスト教伝道者・教育関係者を育成している。

大正から昭和初期にかけ「英語の東北学院」と称され[誰によって?]、伝統的に英語教育に力を入れている。

ポール・L・ゲルハード Paul.L.Gerhard [33]

「東北学院といえば英語、英語といえば東北学院」 といわれる[誰によって?]ようになった伝統がある。「東北学院の英語」は、永い苦節の中から、アメリカの母教会から派遣された英語教師によって基礎ができた。1922(大正11)年、ハロルド・E・パーマーロンドン大学教授から、文部省語学教育顧問として迎えられ、翌年英語教育研究所長となり「パーマーの教授法」「オーラル・メソッド」という教授法を普及させた。

P.L.Gerhard(右端)R.H.Gerhard(右2人目)[34]

ポール・ランバート・ゲルハードPaul.L.Gerhard(音声学者・英語教育者、東北学院教授のロバート・H・ゲルハードの父)は、パーマーを積極的に支援協力し、研究所でも重要な位置を占めて参与した。 ゲルハードは学院の教室にオーラル・メソッドを導入した[33]。パーマーの理想が、ゲルハードや山浦拓造の教授理念として確立した[35]。大学[疑問点]の英語教育の状況について新渡戸稲造が、1923(大正12)年に英文で書いた「わが国の英学」のなかに「東北学院」と明記した[要ページ番号]。 これは、“The Use and Study of Foreign Languages in Japan”と題し「新渡戸稲造全集(15巻)」に収められ1929(昭和4)年に東京日日新聞から英文版で出版された。慶応義塾の英学をはじめ、早稲田大学、新島襄の同志社、東京外語、正則英語学校、暁星、聖心、上智、津田女子英学塾などの明治初期の諸学校の英学について触れている[要ページ番号]

学風および特色[編集]

創立時に欧米のリベラル・アーツ・カレッジをモデルとしている。

宣教に生涯を捧げたクリストファ・ノッス博士 東北學院教授(倫理学、教会史、教理史、弁証法)Christopher Noss itineratingClose [36][37][38]
伝道中若くて沒したハーマン・H・クック宣教師 東北學院・聖書教師   Rev.H.H.Cook on the Road
ダンテ「神曲」の翻訳者 山川丙三郎教授 H.Yamakawa [39]

入学者の出身地をみると、東北地方だけで95%以上を占めている[PR 7]

組織[編集]

学部[編集]

研究科[編集]

附属機関[編集]

研究所[編集]
  • キリスト教文化研究所
  • 東北産業経済研究所
  • 経営研究所
  • 社会福祉研究所
  • 英語英文学研究所
  • 教育研究所
  • 東北文化研究所
  • ヨーロッパ文化研究所
  • 宗教音楽研究所
  • 工学総合研究所
  • 人間情報学研究所
  • 法学政治学研究所
  • アジア流通文化研究所
センター[編集]
  • カウンセリング・センター
  • オーディオ・ヴィジュアルセンター
  • 教職課程センター
  • 情報処理センター
  • 産学連携推進センター
  • 入学試験センター
  • 工学基礎教育センター
  • ハイテク・リサーチ・センター
  • バイオテクノロジー・リサーチ・コモン
図書館[編集]
  • シュネーダー記念中央図書館(土樋キャンパス) - グーテンベルク聖書の不完全本が所蔵されている。[40]
  • 多賀城キャンパス図書館(工学部分館)
  • 泉キャンパス図書館(泉分館)
博物館[編集]

研究[編集]

私立大学学術研究高度化推進事業[編集]

教育[編集]

  • 大学院教育改革支援プログラム
    • 遺跡遺物資料処理技能開発の日中韓共同推進
  • 社会人の学び直しニーズ対応教育推進プログラム
    • 21世紀のキーテクノロジーを学ぶ
  • 私立大学戦略的研究基盤形成支援事業
    • 環境保全と健常生活のための先端バイオテクノロジーの統合的研究
  • 戦略的大学連携支援事業
    • 仙台圏所在大学等の連携を強化・拡充することによる相互的及び総合的発展
  • TG Grand Vision 150(東北学院大学中期計画)[44]

学生生活[編集]

馬術部 宮城野原 1926年(大正15年)

サークル・課外活動[編集]

1.学生会 (文・経済・経営・法・教養学部)
総合役員会
〜総合役員会は、学生の要望をまとめ、学内の問題や学生会行事について審議する学生総会に次ぐ第二議決機関として11団体で構成されている。〜
学生会代議委員会、英字新聞会(休部)、応援団、学生アルバイト委員会、クラブ幹事会、経済・経営学生ゼミナール協議会、新聞会、セツルメント会、体育会常任幹事会、文化団体連合会、放送会
体育会
〜体育会には43団体が所属しており、体育会常任幹事会がその所属団体を統括している。〜
合気道部, アメリカンフットボール部、空手道部、弓道部、剣道部、硬式野球部、ゴルフ部、サイクリング部、サッカー部、山岳部、自転車競技部、自動車部、柔道部、準硬式野球部、少林寺拳法部、水泳部、スキー部、スキューバーダイビング部、スケート部、相撲部、ソフトテニス部、体操競技部、卓球部、軟式野球部、ハンドボール部、馬術部、バスケットボール部、バドミントン部、バレーボール部、フェンシング部、ボウリング部、ボート部、ボクシング部、洋弓部、ヨット部、ライフル射撃部、ラクロス部、ラグビー部、陸上競技部、レスリング部、ワンダーフォーゲル部、硬式テニス愛好会男子、硬式テニス愛好会女子
文化団体連合会(文団連)
〜文化団体連合会には、文科系のサークルが所属。〜
映画部、英語英文学研究部、英語会(ESS)、演劇部、奇術研究会、キャロラーズ(女声合唱団)、グリークラブ(男声合唱団)、軽音楽部(T.M.S.)、考古学研究部、写真部、萩鳳会(法律の勉強)、将棋部、書道研究部、釣友会、地理研究部、ハイキング部、ヒムネンコール(混声合唱団)、美術部、プレクトラムソサエティー(マンドリン中心の管弦楽)、邦芸部(茶道・華道)、漫画研究会、落語研究会、旅行研究会、The Catching Tomorrow(TCT:コンピュータ)紙芝居クラブ
クラブ連合会
〜体育会、文化団体連合会とは別になる体育系と文科系のサークルが所属。〜
  • 体育(10団体)- クラブ連居合道部、クラブ連空手道部、クラブ連剣道部、クラブ連サッカー部、クラブ連卓球部、クラブ連テニス部、クラブ連バスケットボール部、クラブ連バドミントン部、クラブ連バレーボール部、クラブ連ヨット部
  • 文化(7団体)- クラブ連温泉研究会、クラブ連軽音楽部、クラブ連現代文化研究会、競技麻雀団体 三色同好会、クラブ連放送メディア研究会、クラブ連旅行研究会、クラブ連ノートテイクサークル
特別団体
  • 大学宗教部の付属機関である聖歌隊(正式名称は東北学院大学宗教部聖歌隊)は、当大学の学生によって組織されていることから、サークル団体と同様に扱われることがある。大学の公式行事であるクリスマス礼拝等では、他の合唱団(グリークラブ、キャロラーズ、ヒムネンコール)と合同で活動している。


特別団体(47団体)
〜大学のサークルとして公認された団体。〜
基礎スキー愛好会、球技研究会、けん玉同好会、剣道愛好会、祭友会、室内合奏団、推理小説研究会、卒業記念アルバム制作実行委員会、卒業祝賀実行委員会、ソフトボール愛好会(VTEC)、ソフトテニス愛好会stage、チアリーディングチーム、手打ちそば研究会、テニス愛好会Fine、天文同好会、東洋哲学研究会、トリム運動研究会、日本語ボランティアサークルHANDS、バドミントン同好会、バレーボールクラブ ZONE、フォークソング愛好会、フライングディスク・アルティメット、サークルUnchain(アンチェイン)、古着愛好会、フランス文化愛好会(休部)、文芸同好会、民俗学研究会、モーターバイク愛好会、幼稚園英語活動サークル、料理研究会、Ausdruck(アウスドルック:ジャグリング)、Bridge(ブリッジ:留学生へのサポート、Dance Factory's、Extend Hobby Sports(球技)、GUYS(ガイズ:国際交流)、LIBERO(リベロ:サッカー・フットサル)、POCKET'S(ポケッツ:ビリヤード、reMix(リミックス:アカペラ)、SEASON(シーズン:スポーツ全般)、Selfish(セルフィッシュ:球技全般)、SKP(エスケービー:スポーツ新聞発行)、SOUND OF NO GENERATION(映画・音楽等カルチャー研究)、SPAβ(スパーシュ:バスケットボール)、SURGE(サージ:サーフィン)、S.W.E.(吹奏楽部)、TGタイクラブ(休部)、VS-ALL ROUND SPORTS-、4-LEAVES(仙台のまち起こし)
2.工学部学生会
学生会(4団体)
〜多賀城キャンパスで学ぶ工学部学生が所属する各サークルを統括する組織として4団体で構成。〜
学生会執行委員会、応援団、基督教青年会(S.C.A)代議委員会
体育部(27団体)
〜工学部学生会の体育部には27団体が所属し、文科系学部の学生で構成される体育会とは別に組織され、スポーツを楽しむ学生を主体に活動を行っている。〜
合気道部、アメリカンフットボール部、オフロードバイクサークル、カート部、空手道部、弓道部、剣道部、硬式庭球部、ゴルフ部、サッカー部、山岳部、自動車部、柔道部、準硬式野球部、少林寺拳法部、スキー部、ソフトテニス部、ソフトボール部、躰道部、卓球部、ハンドボール部、バスケットボール部、バドミントン部、バレーボール部、洋弓部、ラグビー部、陸上部
文化部(16体)
〜20団体で構成される工学部学生会文化部は、文化団体連合会などにはない独自のサークルも多く、多賀城キャンパスを拠点に活発なクラブ活動を展開している。〜
囲碁・将棋部、英語会(E.S.S.)、エコノパワー研究会、環境土木工学研究会、視覚文化研究会、シミュレーション研究会、写真部、書道研究部(休部)、通信部、釣友会(休部)、天文部、美術部、フォークソング部、ロックバンド部、ロボット研究会、T.G.Machina ものづくり工房
その他公認団体(3団体)
ダンス愛好会(休部)、撞球会、TG sign

スポーツ[編集]

東北学院大学体育会[編集]

[45]

  • 東北学院の百合紋章フルール・ド・リス)は大学体育会の紋章(マーク)として体育会各部で使用されている。詳細は項目「象徴」参照[46][47][48]
  • 東北学院大学スポーツ特別強化プロジェクト
    • スポーツを教育の一貫と捉えた特別強化プロジェクト。特別強化の対象スポーツを「硬式野球」と「女子バスケット」に絞り、人材を集め、全国大会で戦える組織とする。このプロジェクトには、言うまでもなく結果も求められている。
  • 硬式野球部仙台六大学野球連盟に加盟している[49]
Baseball Team in 1925 (大正14年)
押川春浪 Shunrō Oshikawa.
    • 東北学院創設者・押川方義の子息、押川方存(後の冒険小説家・押川春浪)1897年早稲田大学野球部の前身のベースボール部を創部。その後スポーツ社交団体「天狗倶楽部」を結成する。その弟、押川清らが野球に興じていた。やや粗暴で手を焼かせた青年であった方存は 1885年(明治18年)明治学院から東北学院に強制編入させられたが 東北学院に野球クラブを結成させる芽を育てた。
    • また弟の清(押川清)の場合は 東北学院と他校との試合で正選手となり セカンドを守っていた。後に早稲田大学でも活躍した清(早稲田大学野球部三代目主将)は早慶戦の提唱や職業野球、プロ野球創草期には後楽園イーグルスを立ち上げ、球団社長を務め1959年(昭和34年)第1回野球殿堂入りなど、野球界の功労者となっている。 現在、後楽園野球博物館には押川清を顕彰するブロンズが掲額されている。
    • 近年はプロ野球選手(主に投手)を輩出している。岸孝之[51]西武楽天)・本田圭佑西武)・鈴木遼太郎日本ハム
  • サッカー部は第四回全日本大学サッカー選手権大会で準優勝している[52]
  • 準硬式野球部は全日本大学準硬式野球選手権大会で優勝1回、準優勝7回の実績がある。

青山学院大学対東北学院大学総合定期戦[編集]

北海学園大学対東北学院大学総合定期戦[編集]

  • 毎年、北海学園大学と「総合定期戦」が開催されている。
  • 北海学園大学(大学対抗戦1955年-)道内最古の私立大学で学生総数も道内私大として最多である同大学とは地域に根差した大学間交流がある[66][67]

『体育会入会式』青山学院大学総合定期戦、北海学園大学総合定期戦『結団式』[編集]

  • 総合定期戦は、スポーツの交歓のみならず、両校との友情の発展に大きく寄与して来た。毎年6月、体育会入会式と同時に青山学院大学総合定期戦、北海学園大学総合定期戦に向けての『結団式』が行われる。学長、学生部長、体育会長、体育会本部長、応援団団長の挨拶 、選手宣誓、応援団より、選手にエールが送られる[55][68]

大学関係者と組織[編集]

歴代学長[編集]

大学関係者一覧[編集]

施設[編集]

キャンパス[編集]

2005年(平成17年)、東北大学が青葉山新キャンパス[PR 8] の整備方針を策定した際、同大学の片平キャンパス南地区から電気通信研究所などを移転させて跡地を売却する方針も決めたため、本学は土樋キャンパスに隣接する同地を取得して一体整備する計画を立て[69][70][PR 9]2020年(令和2年)度までに泉キャンパスを土樋地区に統合整備する計画を策定した[69]。しかし、2011年(平成23年)3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)による被害が多額にのぼった東北大学が、売却益より移転費用の方が上回る見込みの片平キャンパス南地区の売却を断念したと6月2日に報道された[70]

2016年(平成28年)12月20日、仙台市が設置した仙台市立病院跡地購入事業者選定委員会は、約1万7500平方メートルの跡地の売却に関する優先交渉者として東北学院を選定したことが明らかとなった。売却額は44億円。これによって東北学院は、2021年(令和3年)をめどに東北学院大の教養学部(泉区)と工学部(多賀城市)を跡地に集約し、近接する同大土樋キャンパス(青葉区)と一体的に整備する方針と報じられている[71][72]

基礎データ[編集]

所在地[編集]

土樋キャンパス[編集]

[73]

当キャンパスは、北側を南六軒丁通り[注 1]、東側を猿曳丁通り[注 2]、南側を土樋通り[注 3]、西側を米ケ袋鹿の子清水通[注 4]に囲まれる街区の多くを占める。東北大学片平キャンパスの南側に隣接する文教エリアにあり、周辺は閑静な住宅街である。

ホーイ記念館

当地は広瀬川河岸段丘である仙台中町段丘と同段丘より一段低い仙台下町段丘にまたがっており、両段丘の間の段丘崖の地形に沿って南西方向に凸の状の街区を形成している。当キャンパスは、段丘崖上に並ぶ仙台藩上級家臣の3邸宅(西から佐藤家、柴田家、砂金家)跡地[PR 10]明治になって継いだデフォレスト邸、ブラッドショー邸、明善分寮などの跡地[74]、および、段丘崖下の町人地に広がっている。正門がある南六軒丁通りは、江戸時代にその東端近くで四ツ谷用水支流と交差しており、ここを境に西側が侍屋敷、東側は奥州街道田町の町域となっていた。

住所の「土樋」は段丘崖下の町人地の町名に由来し、江戸時代は仙台弁の影響で「つっとい」と読んだが、現在は共通語標準語に基いて「つちとい」と読む。

多賀城キャンパス[編集]

  • 使用学部:工学部
  • 使用研究科:工学研究科
  • 交通アクセス:JR仙石線多賀城駅から徒歩10分。JR東北本線国府多賀城駅から徒歩20分・塩釜駅から徒歩25分。
  • 以前は一部東北本線利用者以外の大半が仙石線多賀城駅を利用していたが、東北本線国府多賀城駅が出来たことで混雑を回避しこちらに乗る利用者も多くなった。

1942年(昭和17年)から多賀城村(当時)に建設開始され稼動した多賀城海軍工廠は、第二次世界大戦後の占領期進駐軍「キャンプ・ローパー」として使用された。その跡地は広大であり、現在は多賀城駐屯地東北管区警察学校多賀城市文化センター仙台港臨海工業地区などに転用されている。当キャンパスもその跡地の一部に設置されており、進駐軍完全撤退後の1961年(昭和36年)9月25日東北財務局に払い下げ申請し、1962年(昭和37年)4月1日に多賀城町(当時)に開設した[PR 11]

キャンパス内には稲荷殿古墳という小型の円墳があり、1981年(昭和56年)と1982年(昭和57年)に、大学が発掘調査を実施して、7世紀後半の築造と推定した[75]

多賀城駅からキャンパスの方向を見ると、「工学部礼拝堂」の十字架を望見することができる。打放しコンクリートの近代的な礼拝堂には、毎日「大学礼拝」のため、多くの教職員・学生が集まり、祈りをささげている。

礼拝堂の手前には、工学専門図書を収集している「多賀城キャンパス図書館(工学部分館)」と、トレーニングルームや武道場を設けている「工学部体育館」がある。礼拝堂を中心に霊育・知育・体育の教育施設が設置されており東北学院の教育の特徴を総合的にあらわしている。当キャンパス礼拝堂には、ドイツベルリン)のカール・シュッケ社(de:Karl Schuke Berliner Orgelbauwerkstatt)製のパイプオルガンが設置されている。

近年は、隣接している国有地の取得や、老朽化している施設の解体整理を進めており、「工学基礎教育センター」の開設など、教育施設の拡大充実を図っている。なお、同キャンパス内には東北学院幼稚園がある。

泉キャンパス[編集]

泉キャンパス
  • 使用学部:文学部・経済学部・経営学部・法学部(各1・2年)・教養学部
  • 使用研究科:人間情報学研究科
  • 交通アクセス:地下鉄泉中央駅から徒歩35分。同駅から宮城交通バスを利用し15分。

当キャンパスは1965年(昭和40年)に泉町(当時)において用地取得され、1972年(昭和47年)に当時の東北学院高等学校榴ケ岡校舎が東北学院榴ケ岡高等学校として、現榴岡公園の地から移転した。1986年(昭和61年)の東北学院100周年にあわせ更に造成され、東北学院総合運動場として利用された(現在は東北学院陸上競技場などがある)。泉市(当時)が仙台市に合併された1988年(昭和63年)に文系学部の教養部が当地に移転し、仙台市が政令指定都市に移行した翌1989年平成元年)に教養学部が新設された。

泉キャンパス礼拝堂パイプオルガン

約10万坪の広さと最新の教育施設を誇る、豊かな自然に囲まれた最も恵まれたキャンパスである。また、1200名を収容できる当キャンパス礼拝堂には、国内最大規模[要検証]フランスのアルフレッド・ケルン社(de:Alfred Kern & fils)によるフレンチ・クラシカルオルガンが設置されている。

文化財(建造物)[編集]

[76]

国の重要文化財「デフォレスト館」(東北学院旧宣教師館)[編集]

アメリカン・ボードの宣教師ジョン・デフォレストJohn Hyde DeForest

2016年(平成28年)7月、「現存する日本最古の旧宣教師館」である「デフォレスト館」が「東北学院旧宣教師館」として国の重要文化財に指定された[注 5]。「明治20年代初め」という建築年代については、調査結果から「明治20年(1887年)の冬」であることが確認された。これにより、「デフォレスト館」が「現存する日本最古の旧宣教師館」であることが裏付けされたことになった。[77][78]

国の登録有形文化財「東北学院大学本館」「正門」[編集]

東北学院大学 本館と正門

キャンパス内には多数の建物が所狭しと建っているが、中でもアメリカ人建築家J・H・モーガン設計したカレッジ・ゴシック様式の2つの建物が目を引く。1つは土樋キャンパスのシンボルであり、重厚な正門を入って正面に位置する「東北学院大学本館」である。現存するモーガン作品としては、最古のもので[要検証]モーガン特有のスタイルである城砦風の外観は、横浜山手聖公会教会堂へと受け継がれている。

1925年大正14年)に旧・専門部校舎として建てられ、現在は法人本部が使用している。2014年(平成26年)に国の登録有形文化財に登録された。1923年(大正12年)の関東大震災後に建設が計画されたことから、耐震性も念頭に置いた構造となっており、鋼鉄の窓枠やリノリュームの床はアメリカからの輸入、外壁には秋保の自然石が用いられている。

外形を凝灰岩秋保石を使った石張りにすることで、冬は暖かく夏は涼しい。外部の装飾は少なく、重厚さを感じさせる。壁が厚く、柱が太い円柱であり、入り口が半円形のアーチ状な特徴がある。城塞の建築様式に近く、ゴシック様式に併せてノルマン様式の特徴を併せもち、学校建築としては東洋一と称せられた[79][誰によって?]

23万円という当時における巨額の工費[要検証]は、国内外の多くの篤志家からの献金によって賄われた。1978年(昭和53年)の宮城県沖地震で外装の石材が一部剥離したが、その後補修され、東日本大震災でもその堅牢さが証明された。また、2021年7月16日、文部科学省文化審議会は土樋キャンパスの正門を現存するJ・H・モーガン作品として国の登録有形文化財に答申した。今後、答申を踏まえ、官報告示を経て、登録手続が行われる[80][81][82][83]。尚、横浜外国人墓地正門1920年(大正19年)も、J・H・モーガン設計している。

国の登録有形文化財 「ラーハウザー記念東北学院礼拝堂」[編集]

ラーハウザー記念東北学院礼拝堂

もう1つは本館の右手にあり、作家伊藤整が「日本の大学のチャペルで最も美しい。」と絶賛した[要出典]「ラーハウザー記念東北学院礼拝堂」である。

名称にある「ラーハウザー」とは、第2代院長であるD・B・シュネーダーが米国にて募金活動を行った際、それに賛同し、献金を寄せた、エラー・ラーハウザー嬢に由来する。

1932年(昭和7年)3月に完成した当礼拝堂は、地下1階地上2階建ての南北に長い鉄筋コンクリート造建築で、十字形の礼拝堂の南に玄関とホール、北に教壇を構え、両脇とホール2階も聴衆席としている。扁平尖頭アーチの縦長窓や笠付の柱形が垂直性を強調するネオ・ゴシック様式カレッジ・ゴシック様式の外観で、外形に凝灰岩秋保石を使った石張りにすることで、冬は暖かく夏は涼しい。外部の装飾は少なく、重厚さを感じさせる。壁が厚く、入り口や窓の上が半円形のアーチ状な特徴がある。また教会堂(礼拝堂)ではステンドグラスが採用され、明かり窓の数も多く内部の明るさを増している。城塞の建築様式に近い、これらのノルマン様式の特徴を併せもつ。本館とともに大学の核を構成している。

設立時、学校礼拝堂においては国内最大級[要検証]約900名を収容でき、正面からイエス・キリストの昇天の場面を極彩色で描いたステンドグラスが見える。高さ約4.4メートル、幅約3.5メートル。これは「ヴィクトリア朝のステンドグラス復興の指導的工房」英国のヒートン・バトラー&バインHeaton, Butler and Bayne英語版(以下HBB)工房で制作されたもので、同社制作のものは当時国内にはほか2ヵ所に設置されていたという。しかしその内の1つ「yokohama christchurch/横浜クライスト・チャーチ横浜山手聖公会J・H・モーガン設計」の作品は1945年(昭和20年)に焼失。もう1つは神戸の邸宅に設置されたもので現存せず、今はこの作品しか遺されていない[84]。東北学院大学が世界に誇るステンドグラスである。キリストと天使たちの衣は同じ黄色でも異なる色で表現。D・B・シュネーダーが横浜のアメリカ人建築家モルガン、HBB工房に注文を出した際の手紙では「天使の数を減らし、キリストを目立たせるように」と指示している。さらに、中央にキリスト教の聖地、エルサレムを強調して描くことで、「仙台をエルサレム(聖地)に」と思料したのである。

戦時中は、このステンドグラスに描かれたキリストが軍の配属将校の怒りを買い、1943年(昭和18年)10月18日東北軍管区司令官より「東北学院は時節柄、不要不急の教育機関である。今年度限りで廃校とし、校舎は陸軍において接収する」との廃校命令を受け[要出典]、廃校の危機もあったが、板を張ってステンドグラスを覆い、その上に日章旗を飾り、最後までこのステンドグラスを守り抜いた。また敗戦後に、このステンドグラスを見た連合国進駐軍は、東北学院の校舎、校地の接収を免除した[85][信頼性要検証]

ステンドグラスの横には、かつて活躍し、形のみを残した米国モーラー社(en:M. P.Moller)製のパイプオルガンが、北関東以北で最も古いパイプオルガンとして現存している。現在は、ドイツハンブルク)のルドルフ・フォン・ベッケラート社(de:Rudolf von Beckerath Orgelbau)による、ネオ・バロックスタイルのパイプオルガンが使用されている。この建物もまた2014年(平成26年)に国の登録有形文化財に登録された[86][87]。なお、礼拝堂地下室には、「東北学院史資料センター」[88][89] がある。

国の登録有形文化財 「東北学院大学大学院棟」(旧シュネーダー記念東北学院図書館)[編集]

この他に「東北学院大学大学院棟」(旧シュネーダー記念東北学院図書館)も国の登録有形文化財に登録された。

シュネーダーの描いたマスター・プランの実現には、大戦をはさんで実に28年の歳月を要した。西半を吹抜けの閲覧室、東半を各階書庫とし階高を抑えた鉄筋コンクリート造5階建であるにもかかわらず、縦長窓を巧妙に配して3階建風にまとめ、均整のとれた外観となっている。1階と3階にそれぞれ2層吹抜けの閲覧室を配し、5層の書庫、10室の教授研究室等を備えたこの建物は、当時日本の大学のどこに比べても遜色のない最新式図書館と言われ賞賛された[誰によって?]。東北学院大学本館北東に西面し、学院の核を構成している。ロバート・H・ゲルハードを記念したゲルハード記念室を有する[34][90]

これらの建造物は1926年(大正15年)から1953年(昭和28年)にかけて、順次、建てられたものである。

3棟の配置については「中央に院長室等を含む管理と教場の本館を、東側(左手)には知性と学識の宝庫としての図書館、西側(右手)に霊性の陶冶を目指す講堂を兼ねた礼拝堂を置き、知識の訓練と霊性の訓練の実現を目指す」(『東北学院時報』61号、1925年(大正14年)7月発行)と、D・B・シュネーダー院長が明快にその意図を述べている[PR 12][91]

対外関係[編集]

地方自治体等との協定[編集]

[92]

  • 仙台学長会議
  • 宮城の将来ビジョン(富県宮城の推進)
  • 河北新報社との連携
  • 多賀城市との連携教育に関する協定
  • 宮城県教育委員会との包括連携協力に関する協定及び、高大連携特別授業の公開等に関わる協定
  • 仙台市教育委員会との連携協力に関する覚書(小学校外国語ヴォランティア活動及び、小学校授業参観)
  • 仙台商工会議所との包括連携に関する協定
  • 仙台市泉区における大学と地域との連携協力
  • 国土交通省東北地方整備局との連携
  • 株式会社ロフトとの連携協力に関する協定[93]
  • ベガルタ仙台との地域活性化に貢献することを目的とした包括連携に関する協定[94]
  • 「新しい東北」地域資源発掘モデルスクール事業 『宮城はっぷん塾』
  • 岩手県宮古市との連携協力(「みやこ・イングリッシュ・キャンプ」、「宮古・ニュートン・スクール」、「小中学生ものづくり体験教室」)[95]
  • みやぎおかみ会及び公益財団法人仙台観光コンベンション協会との提携講座の開講(「おもてなしの経営学」)[95]
  • 「宮城県、仙台市、宮城県内9大学等、七十七銀行、仙台銀行及び仙台商工会議所の 連携・協力に関する協定」[96]
  • 北海道との連携協定を締結(2021年9月1日)北海道出身者を始めとする学生の北海道内へのUIJターン就職の促進を図る[97]

他大学との協定[編集]

[PR 13]

姉妹校[編集]

東日本大震災と東北学院 [編集]

底流に流れる建学の精神[編集]

東日本大震災2020年(令和2年)12月10日時点で、震災による死者・行方不明者は1万8425人 未曾有の大災害が日本を襲った。

しかし過去に遡ること125年前の1896年〔明治29年)6月15日午後7時32分30秒、岩手県上閉伊郡釜石町(現・釜石市)の東方沖200kmの三陸沖を震源としてマグニチュード8.2- 8.5の巨大地震明治三陸地震が起こった。さらに、東北地方太平洋沖地震前まで本州における観測史上最高の遡上高だった海抜38.2mを記録する津波明治三陸地震津波が発生し、甚大な被害を与えたのであった。 この時、「合衆国・ドイツ改革派教会」(The Reformed Church in the United States,German)の宣教師達は人々の過酷な状況を見て見ぬ振りは出来なかった。人々の支援のために奔走した様子は「隣人を愛する」ことをスクール・モットーとする宣教師、宣教師夫人たちの献身によって、その志が貫かれていたのである。

1896年の大津波(明治29年、明治三陸地震津波)

私たちが仙台在住の間、1896年(明治29年)6月15日の大津波が日本の東北沿岸を襲い、約35000人の命が奪われ、負傷者と家屋を失った人の数は、それを優に超えていました。モール氏とわたしの2名は、被災した沿岸に赴いて罹災者支援にあたる役目を任ぜられました。宮城県知事からの書簡を携帯し、町村を移動する際の案内役として警察官数名が同行しました。この時に私たちが見聞きした光景や騒音を二度と再び体験することがないよう願うばかりです。村のほとんど全てが流出されてしまった場所や、波が内陸部 2 マイル(約32km)にまで到達し、ある地点では、標高80フィート(約24m)にまで達していたことが、高木の枝々に引っかかっている残骸が無残にも示していました。よく見ると、こちらには小さな‘ゲタ’(木製の履物)の片方が、あちらには引きちぎられた髪の毛の束や、倒壊した家の家具の一部などが散乱し、それらがかつて繁栄していた漁村に残された全てと知って、哀れで胸が押しつぶされそうでした。町の荒廃したそのような姿は真に無残なものでした。海岸沿いに建設中の急ごしらえの仮設病院と騒音が悲痛さを誘いました。私たちは病人と、家を失った人々の苦痛を少しでも和らげようと最善を尽すしかありませんでした。また、このために心ある友人たちから贈られてきた災害見舞金で、知事が持参すべき 必需品について予め知らせてくれていた物資を取りあえず購入し、かなりの物品を持参することができました。この任務は心身両面で辛く耐え難いものでしたが、宮城県沿岸のこの大津波の被災地で過ごした10 日間ほど真から幸せに感じたことはありません。まさにそれは「受けるよりも与えることの方がより祝福されている」(使徒言行録 20 章 35 節)ことを実感できたからです。

アニー・M・モール(J.P.モール夫人)

救貧活動と病院奉仕活動

仙台の我が家に幼い女の子がやって来て、近所に住む瀕死の状態にある人を助けて欲しいと言って来ました。気の毒さと苦しんでいる人を助けたいという複雑な思いで私はその人が住む小屋(住宅とは言えない)へ行きました。しかし、私がそこに着いた時には、もうすでに病人は息を引き取っていて、この世の苦しみから解き放たれていました。彼の寝床は古びた薪小屋の固く冷たいむき出しの床で、覆いものが厚紙だったことを思えば、日頃の彼の苦しみがいかばかりであったか想像に難くありません。あの小屋とその住人の光景を私は生涯決して忘れることはないでしょう。この出来事がきっかけで、極貧生活の中で打ちひしがれ、絶望の淵にいる仙台の人々の中で奉仕活動を始めることになりました。 宮城病院(現東北大学附属病院)に勤務するキリスト者の日本人医師は、伝道活動に非常に協力的でした。治療を受けに病院へ行くほどの体力がなく自宅で寝たきりの病人の面倒を彼はよく看てくれました。約 6 年の仙台滞在期間中、私はこの病院に通 い自由に入院患者たちを訪ね、一緒にお話をしたり、彼らのために歌を唄ったり、食欲が 出るような美味しい食べ物を持参したりしました。この間に、多くの人が救い主に信仰を誓って受洗しました。

アニー・M・モール(J.P.モール夫人)

HISTORY OF THE JAPAN MISSION OF THE REFORMED CHURCH IN THE UNITED STATES[100]

  • 災害ボランティアステーション
「災害ボランティアステーション」を立ち上げたことで、現在100を超える大学と連携し、その事務局となっている。他の大学とのコミュニケーションが親密になり、また自治体、NPO、住民との関係も築くことができた。地元は元より、国内さまざまな組織と連携している。
  • 東北学院大学震災のプロジェクト
東北学院大学教養学部地域構想学科 教授、社会学者(専門は災害) の金菱清教授(2020年より関西学院大学教授)とゼミ生たちによる東北学院大学「震災の記録プロジェクト」
2015年(平成27年)、東日本大震災から5年。東北学院大学、金菱清ゼミナールが行った「震災の記録プロジェクト」をまとめた本書である。このゼミの学生と指導教官である金菱清が2013年(平成25年)から始めたものである。
  • 「私の夢まで、会いに来てくれた 3・11 亡き人とのそれから」
2018年(平成30年)、2月下旬に刊行された本書は2016年(平成28年)1月に刊行された『呼び覚まされる霊性の震災学 3・11生と死のはざまで』(東北学院大学震災のプロジェクト 金菱ゼミナール編 新曜社刊)と対をなすもので、震災で死去した家族の夢を見た遺族に聞き取りした話をまとめた本である。中央紙から地元紙、地元テレビ局も加わり、当日夜から翌日にかけてニュースとして放送され、新聞では『震災7年特集』として3月11日前後に掲載された。その後も共同通信社時事通信社の配信により、特に関東以西の西日本のメディアによって大きく報道された。一方、東北学院大学のゼミ生は、報告会の後も要請に応えてラジオ番組に生出演し、取材に応じてくれた方々に上梓された本を届ける様子などの取材にも応え、様々なメディアで取り上げられた。
これは東日本大震災により、日本から避難していたブルガリア共和国大使館に代わり、ブルガリア共和国外務省からの「被災地慰問」の意向が 宮城県出身で、これまでブルガリア共和国の国際・イベントプロモーションを主催しブルガリア共和国の花であるブルガリアン・ローズ(burugariann・rose)の普及に努めていた東北学院大学OBに打診され、ブルガリア共和国外務省から正式に上記のOBに依頼されたことによる。
本趣旨を受けた上記OBの援助により、ブルガリアの歌手Valya Balkanska:ヴァリャ・バルカンスカ(ブルガリアン・ヴォイス)とペタル・ヤネフ(バグパイプ奏者)[101][102][103] を日本に招き、上記OBがブルガリア大使館一行に同行し、震災で壊滅的な被害を受けた宮城県東松島市を慰問した。その際、校舎が全壊し多くの犠牲者を出していた鳴瀬第一中学鳴瀬第二中学を慰問。その後、ブルガリア共和国と東松島市は国際姉妹都市となっている。参照 外務省:ブルガリアによる被災地生徒受入れ[104]。また、本件では上記OBが親交のある「青山学院大学」の賛同、協力を得て 東京の青山学院・アスタジオにおいて、司会を行い、ヴァリャ・バルカンスカとペタル・ヤネフの「東日本大震災復興チャリティーコンサート」が開催された。この模様は青山学院・アスタジオから本学にテレビ中継されている。[105][106] また本イベントのチャリティーは上記OBと青山学院の意向によって「日本赤十字社」の東日本大震災義援金と「青山学院大学」から東北学院大学への義援金として納められている。
  • 関西学院大学」、関学大応援団総部(指導部・吹奏楽部・チアリーダー部)の総勢84人が東北学院大学を慰問。
東日本大震災で多大な被害を受けた東北学院大学を「関西学院大学」の応援団、チアリーダーチーム、吹奏楽部が慰問し、東北を元気に、復興応援企画「エール!笑顔ここから‼︎」と銘打ち東北学院大学、東北大学も参加し3大学合同パフォーマンスを披露した。キリスト教主義学校ミッションスクール)として、明治の同時期に誕生し[107]日本基督教団同盟校でもある「関西学院大学」は阪神・淡路大震災で学生15人と教職員ら8人が死亡するなど大きな被害を経験している(震災時、東北学院大学は関西学院大学に義援金援助)。関学の学生は「16年前の阪神・淡路大震災では多くの犠牲者を出して悲しみにくれたが、全国から多くの善意や励ましをもらった。今度は私たちができることをしたい。」「肉親を失い途方に暮れる毎日だったが、多くの方に支えていただき、励まされ、立ち直ることができた。今の私が在るのは、あの時の愛の励ましがあったから。(東日本大震災の深刻な状況に)当時が重なり、早く、早くいかなくてはと、居ても立ってもいられなかった。今度は私たちがお返しして、元気になっていただきたい。」と語った。学生たちの想いから始まった、東日本大震災の深刻な状況に発起した学生主導による慰問であった[108][109]

社会との関わり[編集]

メディアへの露出
2006年(平成18年)、映画「アヒルと鴨のコインロッカー」(原作:伊坂幸太郎)のロケ地の一つに選ばれ、泉キャンパス掲示板、2号館前の噴水、大学生協などで大塚寧々瑛太濱田岳などを迎え撮影が行われた。作中では、「青葉学院大学」として登場している。
2008年(平成20年)、TBS系列である東北放送(TBC)制作の深夜バラエティー番組『サンドのぼんやりーぬTV』の第2回放送で、新入生歓迎行事の模様が放送された。部員不足にあえぐ応援団とチアリーディングチームの新入生獲得を手伝うという設定で、お笑いコンビのサンドウィッチマンが登場。同学応援団やチアリーディングチーム、アメリカンフットボール部、放送会らと絡むシーンもある。TBCアナウンサーの名久井麻利はチアリーダー、サンドは学ランのコスプレを披露した。

系列校[編集]

東北学院大学の各教育機関は大学を頂点とする附属学校ではなく、学校法人東北学院の設置する学校である。学校法人のもとで平等の取り扱いを受ける独立した併設学校である。

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 仙台市道青葉1315号・片平丁線の一部
  2. ^ 仙台市道青葉1311号・田町線
  3. ^ 仙台市道青葉1313号・土樋線の一部。当街区の南辺の区間は「上土樋」と呼ばれた。
  4. ^ 仙台市道青葉1321号・米ケ袋鹿の子清水通線
  5. ^ 本建物の重要文化財指定にともない、それ以前に行われていた登録有形文化財としての登録は抹消された(参照:重要文化財指定による登録抹消(文化庁サイト)。

出典[編集]

  1. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/weboc/
  2. ^ http://sport.swany.ne.jp/college_baseball/tohoku/sendai6/index.html
  3. ^ a b http://univ.nikkansports.com/press/aoyama/rugby/010761.html
  4. ^ a b c https://mobile.twitter.com/aguwindbaton/status/739033931656269825
  5. ^ Hoy, William Edwin | BDCC[出典無効]
  6. ^ Japan Mission関係資料・ランカスター神学校
  7. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/763/時報763号%20P4.pdf
  8. ^ 東北学院の歴史”. 東北学院大学 (2019年5月28日). 2019年9月10日閲覧。
  9. ^ http://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/89/jiho_089_02.pdf
  10. ^ http://higashi-1.sakura.ne.jp/history.html
  11. ^ ウィリアム・C・メンセンディク著『ウィリアム・ホーイ伝:苦闘の生涯と東北学院の創立』1986年
  12. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/248/jiho_248_06.pdf
  13. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/249/jiho_249_04.pdf
  14. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/250/jiho_250_02.pdf
  15. ^ 『ウィリアム・ホーイ伝:苦闘の生涯と東北学院の創立』1986年 p,145
  16. ^ https://m.youtube.com/watch?v=OTPzndB3fd4
  17. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/100years/100years_03/
  18. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/100years/100years_03/100years_03_07.html
  19. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/100years/100years_03/100years_03_01.html
  20. ^ 説教『神と人』第17号(1923年)寄稿「生命(いのち)、光明(ひかり)、愛」
  21. ^ 官報』 1943年4月28日
  22. ^ 【敬神愛人】本館前ロータリーの記念撮影(史資料センターWEBコラム)
  23. ^ 『東北学院百年史』 1078頁
  24. ^ 【独自】東北学院大が4学部新設検討 23年春目標「国際」「地域」など” (日本語). 河北新報オンラインニュース (2021年6月2日). 2021年6月2日閲覧。
  25. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/273/jiho_273_02.pdf
  26. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/170/jiho_170_02.pdf
  27. ^ http://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/187/jiho_187_04.pdf
  28. ^ a b 『シュネーダー博士の生涯:その人とその時代』 1976年5月
  29. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/100years/100years_04/100years_04_07.html
  30. ^ 東北学院の歴史”. 東北学院大学 (2019年5月28日). 2019年9月10日閲覧。
  31. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/100years/100years_03/100years_03_12.html
  32. ^ 東北学院大学体育会徽章の歴史について”. 東北学院大学] (2016年12月24日). 2019年9月5日閲覧。
  33. ^ a b https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/252/jiho_252_04.pdf
  34. ^ a b https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/253/jiho_253_05.pdf
  35. ^ http://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/167/jiho_167_03.pdf
  36. ^ 『吹雪と自転車-クリストファ・ノッスの生涯』高見沢潤子
  37. ^ 『ある種子は百倍に』A・H・クラーク著(教文館)
  38. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/371/jiho_371_03.pdf
  39. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/303/jiho_303_02.pdf
  40. ^ 東北学院大学図書館だより
  41. ^ 東北における神学・人文学の研究拠点の整備事業
  42. ^ 地域共生教育による持続的な「ひと」づくり「まち」づくり事業
  43. ^ みやぎ・せんだい協働教育基盤による地域高度人材の育成事業
  44. ^ TG Grand Vision 150(東北学院大学中期計画)
  45. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/232/jiho_232_02.pdf
  46. ^ 東北学院大学体育会徽章の歴史について”. 東北学院大学 (2016年12月24日). 2019年9月5日閲覧。
  47. ^ http://www.tgaa.jp/
  48. ^ https://mobile.twitter.com/TGU_junko/status/726283825492283392/photo/3
  49. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/248/jiho_248_04.pdf
  50. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/100years/100years_03/100years_03_06.html
  51. ^ https://sp.kahoku.co.jp/graph/2016/11/11/20161111khg000000000000c/001.html
  52. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/179/jiho_179_03.pdf
  53. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/168/jiho_168_02.pdf
  54. ^ http://www.aoyama.ac.jp/post02/2019/news_20190603
  55. ^ a b https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/tgmind/info/content/IMG_9835.jpg
  56. ^ 青山学院大学TGMIND [@tgmind2018] (2019年5月25日). "記念すべき第70回青山学院大学総合定期戦開会式の様子" (ツイート). Twitterより2019年9月4日閲覧
  57. ^ https://livedoor.blogimg.jp/tgu2014ouendan/imgs/7/1/716fd51f.jpg
  58. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/admission/photolibrary/aoyamateiki.html
  59. ^ http://www17.plala.or.jp/aoyama_tf_ob/record/touhokugakuinsen.html
  60. ^ 第70回対東北学院大学総合定期戦を開催”. 青山学院大学 (2019年6月3日). 2019年7月24日閲覧。
  61. ^ 第70回 対青山学院大学 総合定期戦報告”. 東北学院大学 (2019年5月28日). 2019年7月24日閲覧。
  62. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/tgmind/info/report/20190610-1.html
  63. ^ https://search.yahoo.co.jp/amp/s/gamp.ameblo.jp/agu-swimteam/entry-12396942883.html%3Fusqp%3Dmq331AQPKAFwAZgBp-K-rcHwxqZE
  64. ^ https://mobile.twitter.com/tgu_junko/status/1003498576301809664?lang=ca
  65. ^ https://mobile.twitter.com/aguballhand/status/739094708891189248
  66. ^ 第65回対東北学院大学総合定期戦を開催”. 北海学園大学 (2019年6月21日). 2019年7月2日閲覧。
  67. ^ 目ざすは北の「早慶戦」”. 朝日新聞 (2018年6月18日). 2019年8月6日閲覧。
  68. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/tgmind/info/report/20190510-1.html
  69. ^ a b 仙台経済圏 2010年臨時増刊号
  70. ^ a b 東北大が「片平」一部売却を断念 新キャンパス見直し河北新報 2011年6月2日)
  71. ^ “<仙台市立病院跡地>東北学院に44億円で売却”. 河北新報. (2016年12月22日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201612/20161222_13062.html 2017年3月19日閲覧。 
  72. ^ “<東北学院大>キャンパス集約で空洞化懸念”. 河北新報. (2016年12月29日). http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201612/20161229_13019.html 2017年3月19日閲覧。 
  73. ^ 東北学院大学土樋キャンパス”. 東北学院大学 (2017年12月24日). 2019年9月5日閲覧。
  74. ^ 『仙台地図さんぽ』ISBN 978-4-9903231-7-2
  75. ^ 『多賀城市史』第1巻(原始・古代・中世)、多賀城市、1997年、181-183頁。
  76. ^ 東北学院歴史的建造物”. http://学校法人 東北学院 (2014年2月19日). 2019年9月9日閲覧。
  77. ^ 「デフォレスト館」が「東北学院旧宣教師館」として重要文化財に指定”. 東北学院大学 (2018年5月2日). 2019年9月5日閲覧。
  78. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/admission/characteristics/news/deforest.html
  79. ^ http://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/68/jiho_068_01.pdf
  80. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/info/top/210715-2.html
  81. ^ https://bunka.nii.ac.jp/heritages/detail/233798
  82. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/info/top/191210-2.html
  83. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/about/publicity/pamphlet/pdf/univ2021_03.pdf
  84. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/theology/info/stainedglass.html
  85. ^ https://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/297/jiho_297_02.pdf
  86. ^ 東北学院大学パンフレット
  87. ^ ラーハウザー記念東北学院礼拝堂”. 文化庁 (2014年2月19日). 2019年9月9日閲覧。
  88. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/data/000002290.pdf
  89. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/archives/data/catalog.pdf
  90. ^ 文化遺産オンライン
  91. ^ https://www.tohoku-gakuin.jp/info/assets_c/2019/01/190121-1_2-61353.html
  92. ^ 社会連携活動(東北学院大学)
  93. ^ 株式会社ロフトと連携協力に関する協定を締結
  94. ^ ベガルタ仙台と包括連携協定締結 地域活性化に取り組む
  95. ^ a b 数字でみる東北学院大学(社会連携活動)
  96. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/info/top/201222-2.html
  97. ^ https://www.tohoku-gakuin.ac.jp/info/top/210901%E2%88%923.html
  98. ^ http://www.seinan-gu.ac.jp/news/6717.html
  99. ^ https://www.mgu.ac.jp/home/message/pdf/1809plus.pdf
  100. ^ HENRY・K・MILLER
  101. ^ simple:Valya Balkanska
  102. ^ en:Valya Balkanska
  103. ^ http://www.investbulgaria.com/people/ValyaBalkanska.htm
  104. ^ ブルガリアによる被災地生徒受け入れ”. 外務省 (2012年5月24日). 2019年8月27日閲覧。
  105. ^ ブルガリアの国民的歌手「宙翔ける歌声」バルカンスカさんのコンサートをライブ中継”. 東北学院大学 (2011年5月24日). 2019年9月6日閲覧。
  106. ^ 本学でのブルガリア歌手コンサートのライブ配信詳細”. 東北学院大学 (2011年5月18日). 2019年8月29日閲覧。
  107. ^ http://jihou.tohoku-gakuin.jp/archive/2/jiho_002_02.pdf
  108. ^ 関西学院大学・東北学院大学・東北大学応援団による東日本大震災被災地応援プロジェクトのご案内【11/23開催】
  109. ^ 3大学の応援団が被災地にエール-関西学院大学、東北学院大学、東北大学

公式サイトプレスリリース[編集]

  1. ^ 東北学院の100年(学校法人東北学院)
  2. ^ 東北学院の100年(学校法人東北学院)
  3. ^ 本学のあゆみ(1886年〜)”. 東北学院大学. 2019年5月30日閲覧。
  4. ^ 本学のあゆみ(1887年〜)”. 東北学院大学. 2019年5月30日閲覧。
  5. ^ 本学のあゆみ(1925年〜)”. 東北学院大学. 2019年5月30日閲覧。
  6. ^ 本学のあゆみ(略年史)”. 東北学院大学. 2019年5月30日閲覧。
  7. ^ 東北学院大学都道府県別入学試験結果
  8. ^ 東北大学新キャンパス構想(東北大学)
  9. ^ 東北学院創立125周年記念事業 募金へのお願い(東北学院)
  10. ^ 古絵地図 Archived 2007年2月8日, at the Wayback Machine.(宮城県図書館
  11. ^ 平成18年(2006年)第2回多賀城市議会定例会会議録(第2号) Archived 2011年3月23日, at the Wayback Machine.(多賀城市)
  12. ^ 新着情報:本館・礼拝堂・大学院棟が登録有形文化財(建造物)に答申、2016年1月3日閲覧。
  13. ^ 協定締結大学(東北学院大学)
  14. ^ 放送大学 平成28年(2016年)度 単位互換案内

関連文献[編集]

関連項目[編集]

公式サイト[編集]