津田塾大学
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座標: 北緯35度43分19秒 東経139度27分57秒 / 北緯35.72194度 東経139.46583度
津田塾大学 | |
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津田塾大学 | |
大学設置 | 1948年 |
創立 | 1900年 |
学校種別 | 私立 |
設置者 | 学校法人津田塾大学 |
本部所在地 | 東京都小平市津田町2-1-1 |
学部 |
学芸学部 総合政策学部 |
研究科 |
文学研究科 国際関係学研究科 理学研究科 |
ウェブサイト | 津田塾大学公式サイト |
津田塾大学(つだじゅくだいがく、英語: Tsuda University)は、東京都小平市津田町2-1-1に本部を置く日本の私立大学である。1948年に設置された。
目次
概要[編集]
私立女子大学の最高峰、またその創立の歴史を誇る名門女子大学。 日本の英語教育、女子教育の先駆者である津田梅子が設立した女子英学塾を前身とする[1]。
英文学や国際関係学の分野で活躍する卒業生を多く輩出し、女性の社会進出に貢献した大学である。就職率は高く、総合職や専門職への就職も多い[1][2]。
女子差別撤廃条約批准、男女雇用機会均等法の設立時、津田塾大学卒業生の活躍がめざましく、一流大企業の重役、官公庁の女性職員の出身校が一貫して津田塾大学であり「津田マフィア」という言葉で呼ばれた[3]。
学則に「キリスト教精神に基づく教育」を行うことが記載されている。礼拝が毎週行われ、キリスト教関連の科目が開講されるなどの宗教色が強いキリスト教主義学校であるが、参加は学生の意思に任されている。[4]
歴史[編集]
1900年(明治33年)、従来の「家」制度による家政学が中心だった官制の良妻賢母育成女子高等教育制度に疑問を抱いた津田梅子が、瓜生繁子や大山捨松とともに、日本では先駆的な学問重視の女子高等教育機関[5]を私学、女子英学塾として現在の東京都千代田区に設立[6]。
1905年(明治38年)、女子の学校では初めての英語科教員無試験検定取り扱い許可を受ける。1969年(昭和44年)には、当時はまだ草分け期にあった国際関係論という分野を、日本の大学として初めて国際関係学科として創設。津田梅子の教育方針に沿って、現在も少人数教育を重視している[1][7][8]。入試の難易度等から「女東大」[1][3]の異名をとっていた。
学生の主体性を重んじて校歌、校章、校旗を敢えて持たないのも津田梅子以来の津田塾の伝統である[1]。「自ら学び、考え、行動せよ」という建学の精神を、教師から学生へ、先輩から後輩へ伝えていく女子教育を行っており、校章、校旗は敢えて持たないのではなく、持つ必要性を感じることなく現在に至ったと言える。独立系キリスト教会で洗礼を受けた津田の影響から学内にチャペルがある。
1933年(昭和8年)に「津田英学塾」へ、1943年(昭和18年)に「津田塾専門学校」へ改称。戦後の1948年(昭和23年)、「津田塾大学」として設立[6]。
2010年(平成22年)に創立110周年を迎え、創立110周年事業として津田梅子賞を創設[1]。創立者津田梅子の「女性の自立と社会貢献を促す精神」を継承発展させるために、現代社会でその精神を具体化する活動を行っている団体や個人を顕彰する[1]。
2017年 (平成29年) より女子大としては初の「総合政策学部」を設置[2]。また本学が複数学部体制になるのも創立以来、初である。大学の英語名称も、Tsuda CollegeからTsuda Universityとなった[9]。この学部は東京・千駄ヶ谷に設置され、長年、ワンキャンパス体制で教育を行ってきた津田塾大学は、この学部の開設により蛸足大学となる。
2011年の大学就職偏差値ランキング[10]、大学別生涯給料ランキング[11]では、算出の前提となる定年までの勤務状況などの留保条件が付けられているものの、女子大ながら、東大、京大、一橋、早慶等の男性比の高い共学難関大学を凌いでトップランクに格付け評価されている。
ただし、2014年の『日本経済新聞』や『週刊ダイヤモンド』』2017年9月16日号では、本学も女子大離れの影響を受け、1992年と比較して偏差値が下落していることを指摘している[3][12]。英文学科の志願者数は2015年の510名から、2017年は395名まで減少している。[13]
基礎データ[編集]
沿革[編集]
- 1900年 - 津田梅子により女子英学塾創設(東京市麹町区)。
- 1904年 - 法的には旧制専門学校に昇格。
- 1929年 - 津田梅子死去。
- 1931年 - 東京府北多摩郡小平村(現在の東京都小平市)の新校舎に移転。
- 1933年 - 津田英学塾に改称。
- 1943年 - 理科増設認可、津田塾専門学校に改称。
- 1948年 - 津田塾大学。
- 1949年 - 数学科を創設。
- 1969年 - 国際関係学科を創設。
- 1996年 - 数学科を情報数理科学科に改称。
- 2006年 - 情報数理科学科を数学科と情報科学科に改組。
- 2008年4月 - 千駄ヶ谷に新キャンパスを開設。
- 2017年4月 - 総合政策学部総合政策学科を創設。
- 2019年4月 - 多文化・国際協力学科を開設(予定)[14]。
組織[編集]
学部・学科[編集]
大学院[編集]
附属施設[編集]
- 言語文化研究所
- 国際関係研究所
- 数学・計算機科学研究所
- 総合政策研究所
- 図書館
- 計算センター
- ウェルネス・センター
- 視聴覚センター
- 国際センター
- ツダ・イングリッシュ・コーディネーション・センター
- 女性研究者支援センター
- ライティングセンター
- ソーシャル・メディア・センター
- 津田梅子記念交流館
- 津田梅子資料室
教育[編集]
文部科学省等に採択されたプロジェクト[編集]
- 特色ある大学教育支援プログラム
- 「発展し続ける英語教育」(2004年度採択)
- 質の高い大学教育推進プログラム(教育GP)
- 科学技術振興調整費 女性研究者支援モデル育成
- 「世代連携・理文融合による女性研究者支援」(2008年度採択)
- 大学教育・学生支援推進事業 大学教育推進プログラム
- 【テーマA】「『協働』によるメディア教育の展開」(2009年度採択)
- 【テーマB】「在学生/卒業生を対象としたシームレスな就職支援プログラム」(2009年度採択)
対外関係[編集]
他大学との協定[編集]
- 多摩アカデミックコンソーシアム加盟:国立音楽大学、国際基督教大学、津田塾大学、東京外国語大学、東京経済大学、武蔵野美術大学
- 一橋大学と単位協定
- EUインスティテュート・イン・ジャパン(EUインスティテュートコンソーシアム東京=EUIJ)加盟
- 大学院文学研究科英文学専攻課程協議会(英専協)加盟
著名な卒業生・教員[編集]
秘話[編集]
- 津田マフィア
脚注[編集]
- ^ a b c d e f g “〈42〉高めよ 深めよ 大学広報力 こうやって変革した39 卒業生が「広告塔」にリベラルアーツと少人数教育創立110年で広報強化 津田塾大学”. 『教育学術新聞』第2370号. 日本私立大学協会 (2009年). 2017年11月28日閲覧。
- ^ a b 代慶達也 (2017年11月5日). “女子大は生き残れるか 津田塾、都心から逆襲”. 出世ナビ. 日本経済新聞社. 2017年11月28日閲覧。
- ^ a b c “女子大はなぜ凋落したのか、25年で偏差値最高74から65へ”. ダイヤモンド社 (2017年9月11日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ 本学ホームページ
- ^ ママトクロヴァ・ニルファル. “女子英学塾における教育実践の成果に関する一考察--津田梅子のねらいと初期卒業生の進路”. 『早稲田教育評論』25(1), 107-125, 2011. 早稲田大学教育総合研究所. 2017年11月28日閲覧。
- ^ a b “津田塾の歴史 沿革”. 津田塾大学. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “少人数教育”. 津田塾大学. 2017年11月28日閲覧。
- ^ 小林哲夫 (2017年5月12日). “早慶MARCHも津田塾も。大学ブランド「格付け」に異変あり”. 文春オンライン. 2017年11月28日閲覧。
- ^ “2017年4月からの体制について”. 津田塾大学 (2017年4月5日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ 『プレジデント』2011年10月17日号
- ^ 『東洋経済』2011年10月22日号
- ^ “上品・知的だけじゃない お茶の水大、女性リーダー育む”. 『日本経済新聞』 (2014年2月9日). 2017年11月28日閲覧。
- ^ 津田塾大学ホームページより
- ^ 多文化・国際協力学科が誕生します津田塾大学(2018年3月15日)2019年1月29日閲覧。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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