宮古市

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みやこし
宮古市
とどヶ崎宮古湾 早池峰山 浄土ヶ浜三王岩 田老港ローソク岩
Flag of Miyako Iwate.svg
宮古市旗
Emblem of Miyako, Iwate.svg
宮古市章
 1942年6月20日制定
日本の旗 日本
地方 東北地方
都道府県 岩手県
団体コード 03202-6
法人番号 6000020032026
面積 1,259.15km2
総人口 54,109[編集]
推計人口、2018年4月1日)
人口密度 43人/km2
隣接自治体 盛岡市花巻市遠野市
下閉伊郡岩泉町山田町
上閉伊郡大槌町
市の木 アカマツ[1]
市の花 ハマギク[1]
市の鳥
市の魚
ウミネコ[1]
サケ[1]
宮古市役所
市長 山本正徳
所在地 027-8501
岩手県宮古市新川町2番1号
外部リンク 宮古市

宮古市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

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宮古市中心部周辺の空中写真。1977年撮影の10枚を合成作成。
国土交通省 国土画像情報(カラー空中写真)を基に作成。
月山山頂からの市街地

宮古市(みやこし)は、岩手県三陸海岸に面する本州最東端の地である魹ヶ崎を擁する。

目次

概要[編集]

三陸海岸を代表する都市の一つであり、「本州最東端のまち」を掲げ、三陸沖の豊かな漁業資源と、三陸復興国立公園浄土ヶ浜早池峰国定公園を代表とする森・川・海の豊かな自然環境を背景に、漁業と観光に力を入れている。

1941年に市制を敷き[注 1]2005年田老町新里村を編入し、2010年川井村の編入によって県内一の面積を有する自治体となった。市域は山間部の川井新里地区と、北部の田老地区、旧・宮古市部に大きく分けられる。人口は岩手県沿岸部の市町村の中では最も多い。面積は岩手県内で1位の大きさ、全国の市町村でもランキング11位の大きさを有する。

県庁所在地である盛岡市からは北上山地を隔てて約100km離れている為、盛岡を初めとする北上盆地とは独立した地域圏を形成している。

2011年3月11日に発生した東日本大震災では大きな被害を受けた。市内中心部の被害はある程度抑えられたものの、沿岸集落は壊滅的被害となった。

地理[編集]

位置[編集]

宮古市は三陸海岸におけるリアス式海岸の北端に位置しており、宮古を境にして南がリアス式海岸、北が海岸段丘になっている。又、内陸や対岸との位置関係では、盛岡市(北上盆地)と秋田市(日本海沿岸)から真東に位置している。

2010年1月の川井村の編入により、市の面積は696.82km2から1,259.89km2に拡大し、一関市を抜いて岩手県の市町村で最大の面積を有することとなった[2]。これは東北では鶴岡市に次いで2番目、全国でも11番目の大きさである。(2011年現在)しかしその8割は山林であるため、可住地面積は約117km2と、総面積の約9%に止まり、少ない平地に人家が密集している状態である。そのため総面積当たりの人口密度は小さいものの、可住地面積当たりの人口密度は約490(人/km2)と県内平均を上回る。

市域中央部を西から東に閉伊川が貫流し、市街地のある宮古湾へと注いでいる。西部の川井地区は平地はほとんど無く、川沿いに人家が密集する地区が多い。周囲には早池峰山青松葉山がある。北部の新里地区には刈屋川が南へ流れ、茂市(もいち)で閉伊川に合流する。閉伊川と刈屋川に沿って、国道106号(旧・閉伊街道)と国道340号が並走する。市の南東部から北に向かって津軽石川が流れ、宮古湾に注いでいる。

市街地を覆うように重茂半島が南から延び、宮古湾を形成している。重茂半島には、月山(標高455.9m)があり、市街地への見通しが良い関係から、テレビ・ラジオの中継塔が設置されている。山道口まではバスで行くことができる。太平洋に突き出る重茂地区の魹ヶ崎本州の最東端であり、観光協会が「本州最東端訪問証明書」を発行するなど「最東端の市」として観光にも力を入れている。南に隣接する山田町との境に位置する十二神山には、自衛隊の通信施設があるため、入山に制限が設けられている。

鼻曲がり鮭が新巻鮭として正月に食される。

自然[編集]

閉伊川
  • 山地:早池峰山、青松葉山(あおまつばやま)、十二神山(じゅうにじんざん)、月山(がっさん、別名:御殿山)
  • 河川系:閉伊川、刈屋川、津軽石川(つがるいしがわ)
  • 沿岸地形:宮古湾、重茂半島、魹ヶ崎、浄土ヶ浜、真崎海岸(まさきかいがん)

隣接する自治体[編集]

cf. 岩手県の市町村全図 :≪外部リンク≫ 県内各市町村”. (公式ウェブサイト). 岩手県. 2011年5月14日閲覧。

主要都市までの概算距離[編集]

北方向(沿岸)
南方向(沿岸)
西方向(山側)

地名の由来[編集]

以下の諸説がある。

  • 「港」の転訛
  • 貿易物としての「都物」が収められる場所
  • 「宮」のある「処」であること
  • 閉伊郡の政治、経済の中心地で都のように栄える場所
  • ミヤ(野原)コ(土地)

また、京の「都」と同訓異字の「宮古」を天皇から賜ったとする、和泉式部源義経に関連する伝説が存在する。

いずれにしても中世文書においては「宮古」と地名を記している文献は見受けられない。鎌倉時代においては「閉河」や「閉崎」という特定の地名で呼ばれている。公的な文献で初めて宮古の文字が登場するのは、元和4年(1618年)に、盛岡藩の船員の名前を記した『浜田家文書』(岩手大学所蔵)であり、船員の一人に「宮古衛門二郎」という人物の名が見られる。これ以前の中世の時代に、地名及び集落としての「宮古」が存在したかは不明である。
少なくとも宮古の地名が公的な領地名として広まったのは、領内統一した南部氏が新たに町を制定し、宮古村及び宮古代官所を置いた慶長年間以後の事である。

気候[編集]

ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候だが最暖月が22.2度と日本ではかなり涼しく、西岸海洋性気候に近いような気候である。

宮古市(宮古)(1981-2010)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
平均最高気温 °C (°F) 4.9
(40.8)
5.1
(41.2)
8.3
(46.9)
14.3
(57.7)
18.4
(65.1)
20.5
(68.9)
23.9
(75)
26.4
(79.5)
23.1
(73.6)
18.5
(65.3)
13.2
(55.8)
7.2
(45)
15.4
(59.7)
日平均気温 °C (°F) 0.3
(32.5)
0.4
(32.7)
3.3
(37.9)
8.7
(47.7)
13.0
(55.4)
16.0
(60.8)
19.8
(67.6)
22.2
(72)
18.8
(65.8)
13.3
(55.9)
7.8
(46)
3.1
(37.6)
10.6
(51.1)
平均最低気温 °C (°F) −3.8
(25.2)
−3.8
(25.2)
−1.1
(30)
3.8
(38.8)
8.5
(47.3)
12.7
(54.9)
17.0
(62.6)
19.2
(66.6)
15.2
(59.4)
8.7
(47.7)
2.8
(37)
−1.2
(29.8)
6.5
(43.7)
降雪量 cm (inch) 33
(13)
55
(21.7)
40
(15.7)
3
(1.2)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
0
(0)
16
(6.3)
148
(58.3)
平均月間日照時間 161.0 152.9 178.6 189.3 181.2 149.4 133.8 160.6 128.0 155.2 147.3 147.4 1,882.6
出典 1: 気象庁[3]
出典 2: 気象庁[4]

歴史[編集]

概要[編集]

江戸時代初期に盛岡藩主・南部利直により藩港として開かれると、宮古街道を通じて盛岡城下と結ばれる藩の拠点となるとともに、三陸海岸の漁獲物などを江戸上方へ移出し、また東廻り海運の要所として発展した。明治時代になると三陸汽船により仙台塩釜方面や北海道東京とも結ばれ、山間部では製糸業が勃興し、生産された生糸は宮古港から横浜港へと出荷され海外へ輸出された。昭和時代に入ると国鉄山田線の開通とラサ工業の進出により近代港湾都市として発展。山間部では閉伊川筋の電力資源の開発に伴い、窯業鉱業・木材工業関連の企業が相次いで設立された。戦後高度経済成長期には北洋漁業サンマ漁船の基地として賑わった。また木材港の整備により合板企業の集積が進んだ。1970年代には国道45号国道106号線の全線開通と、宮古港の公共埠頭の整備により三陸海岸の拠点都市としての地位を高め、1980年代にかけてゴルフ場国民休暇村グリーンピアの設置などレジャー観光業の発展がみられた。また1974年ヒロセ電機の進出により、コネクタ関連の日本有数の産業集積地となった。1984年には第三セクター鉄道三陸鉄道が開業した。1992年にはJAPAN EXPO(地方博覧会)として三陸・海の博覧会が開催され、藤原地区にパビリオンが設置された。2011年には東日本大震災津波により甚大な被害を受け、被災した市街地の再開発と、復興道路として三陸自動車道宮古盛岡横断道路の高速交通インフラの整備が進められている。

盛岡藩の外港[編集]

現在の宮古市の発祥は、盛岡藩主・南部利直によって盛岡藩(盛岡城下町)の外港として宮古の町が開かれたことに由来する。また現在の普代村から山田町豊間根までの行政を管轄する代官所(北閉伊代官所、寛文年間からは宮古代官所。小本 - 豊間根に管轄区域も変更)が置かれ、周辺地域の政治、経済の中心地であった。江戸時代に東北と江戸とを結ぶ海運が盛んになると、沿岸部で産出される俵物を集荷し江戸へ移出するための拠点となり、前川善兵衛や鍬ヶ崎の和泉屋などの三陸の水産物を取り扱う豪商や、廻船問屋の活動が活発となった。また宮古は東廻り航路の要港であり、松前・東北諸藩が江戸へ米や材木などを輸送するための廻船の重要な寄港地として、料亭や遊郭が軒を連ねる奥州でも有数の商港として賑わった。

陸の孤島、海の幸と災害[編集]

宮古駅前通りの津波到達碑(2013年6月1日)

宮古は海岸の西にすぐ山地が峙えているため、平野部が狭く、また、周囲を山と海に囲まれているために「陸の孤島」になりやすく、古来、内陸からの物資輸送がとどこおることの多い土地柄であった。飢饉ともなると、この地理的制約がゆえに被害は周辺地域と比べてもひときわ大きなものとなった(江戸四大飢饉等)。
僧・牧庵鞭牛に代表されるような、陸の孤島になりがちな当地の交通網の整備に尽力する人材が現れた江戸時代中期には、盛岡などとの往路の大規模整備を推し進められ、これらの功績は今もって賛えられている(cf. 閉伊街道など)。

宮古はまた、V字型のの両岸が奥に進むにつれて狭くなるリアス式海岸地形の特殊性によって津波の被害も大きく、古来より大規模な被害の出る津波に襲われている(「三陸沖地震」、「三陸海岸」の「津波」の項を参照のこと)。
また、戦後もカスリーン台風アイオン台風、三陸フェーン大火、平成28年台風第10号などの自然災害に悩まされた。

歴代の支配者[編集]

市内の遺跡からは、8世紀のものと見られる蕨手刀和同開珎が出土しており、それまでは須賀君古麻比留のような蝦夷の有力者が地域を治めていたと考えられている。9世紀初めの征夷大将軍坂上田村麻呂や、文屋綿麻呂による蝦夷征伐は閉伊地方にも及んだ。しかしながら、鎮守府の置かれた胆沢城の勢力下にあったのは奥六郡と呼ばれた北上盆地周辺の地域が主であり、北上山地を隔てた辺境の地である閉伊地方への影響力は少なかった。
そのため11世紀後半になると、蝦夷の完全制圧を目指した後三条天皇により源頼俊清原貞衡が派遣され延久蝦夷合戦が開始される事となる。そして「閉伊七村山徒」は制圧されたと伝わる。これにより力を付けた出羽清原氏であったが内紛による後三年の役で滅亡。以後の統治は清原氏の養子で戦いに勝ち残った藤原清衡に任せられることとなる。
平泉に本拠地を移した清衡は中尊寺金色堂などを建立し、四代に渡る奥州藤原氏による統治が始まる。 江戸期の盛岡藩の文書『奥南落穂集』には、奥州藤原氏の配下に「閉伊右衛門太郎武国」という武将の一族が居たと記している。

源頼朝による平泉侵攻(奥州合戦)で藤原泰衡が倒されると、閉伊地方は鎌倉幕府御家人である閉伊氏の領地となる。閉伊氏は地頭として鎌倉時代を通して地域を支配し、建武の新政後は鎮守府将軍北畠顕家から所領を安堵されている。
閉伊氏は南北朝時代には、北畠顕家に従い奥州武士団の一人として足利尊氏らの軍勢と戦ったが、石津の戦いに敗れ敗走した。その後は北朝側に転じ、奥州総大将石塔義房に従った。

室町時代から戦国時代になると南部氏の勢力が進出し、南部家の武将櫻庭光康らの攻撃を受けて閉伊氏系の一族は衰退していく。
豊臣秀吉から領地を安堵された南部信直は反乱分子であった九戸政実を倒して領内統治を進めていった。当地の有力豪族だった田鎖氏や一戸千徳氏らもこれに従い、文禄の役に従軍した。その後閉伊地方の領地の一部は櫻庭、野田、楢山氏などの南部家の武将やその家臣に与えられ支配された。
慶長年間には南部利直に任命された最初の宮古代官である小本正吉が派遣され、以後約260年の間、盛岡藩の統治下となる。

戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に加わった盛岡藩が敗れると、南部氏は仙台白石に転封(白石藩)となり、閉伊郡松代藩の取締地となる。
半年後、盛岡に復帰した南部利恭1870年明治3年)、廃藩置県に先立ち廃藩を願い出て盛岡藩知事を辞任した。その後閉伊郡は江刺県の管轄となり、江刺県廃止後は盛岡県に編入される。盛岡県はその後岩手県と改称し、磐井県の一部を編入して現在の形となる。

三閉伊一揆[編集]

江戸時代末期には、東北地方最大の一揆である三閉伊一揆が勃発した。これは、盛岡藩の失政のツケを宮古を始めとする閉伊郡に対して重税を課して住民から搾取しようとしたことが直接の原因であり、話の流れ自体は平凡だが、非常に大規模な一揆であった。弘化4年(1847年)、圧制に耐えかねた一揆団は1万数千人という他に例を見ないほどの人数で、遠野城下に押しかけ、藩側に要求を呑ませた。ただし、藩側はのちにこの要求も破り、さらなる人数での一揆へと発展する。

宮古湾海戦[編集]

宮古湾海戦の一場面を描いた挿絵
戊辰戦争当時の日本で唯一の装甲艦であった明治政府軍艦隊主力艦「CSS Stonewall」(東艦)を奪い取ろうと、蝦夷共和国軍艦隊旗艦「回天丸」(右手前)が接舷攻撃を試みる。

幕末から明治にかけての戊辰戦争においては、蝦夷地にて独立を図る榎本武揚土方歳三らの旧幕府軍艦隊(蝦夷共和国軍艦隊。総司令官:荒井郁之助。旗艦「回天丸」[艦長:甲賀源吾])が、宮古湾の鍬ヶ崎湊(くわがさきみなと。現在の宮古港の前身)に停泊する新政府軍艦隊の主力艦である装甲艦「CSS Stonewall (ストーンウォール[日本名:甲鉄艦]。1871年12月に「東艦」と改称)」を奪取すべくアボルダージュ(接舷攻撃)作戦を決行する、いわゆる、宮古湾海戦が勃発した[5]

宮古空襲[編集]

太平洋戦争末期の1945年8月9日、10日、宮古は米第3艦隊空母エセックス及びランドルフの艦載機(F6FTBF等)による空襲を受けた。ラサ工業宮古製錬所、同田老鉱山、岩手窯業宮古工場、三井造船の木造船造船所、鉄道関連施設、湾内停泊中の輸送船、湾岸の倉庫群などが標的となった。特に藤原地区は倉庫内の燃料に引火し燃え広がったため焼け野原となった。

年表[編集]

縄文時代 - 中世[編集]

江戸時代[編集]

明治 - 大正時代[編集]

昭和戦前期[編集]

戦後[編集]

宮古市中心街(2013年6月1日)
キャトル宮古(宮古駅前の複合テナント施設)(2013年6月1日)

平成時代[編集]

東北地方太平洋沖地震に伴い発生した津波によって甚大な被害を受けた田老地区で、観光ホテル付近の瓦礫を捜索する日本の救難捜索隊。アメリカ合衆国海兵隊による2011年3月15日の航空写真
同じく、津波によって壊滅した宮古市港町鍬ヶ崎地区。陸に打ち揚げられた岩手県北自動車(株)所有の観光船1隻(元々定期点検で造船所に陸揚げされていた船舶)と漁船2隻も見える。アメリカ合衆国海兵隊による3月20日の航空写真。
津波により流出したJR山田線の鉄橋

行政区域の変遷(市町村制施行以後)[編集]

cf. 宮古地方の大字小字名 :宮古の大字小字名”. みやこ百科事典@みやこわが町ミヤペディア(非公式ウェブサイト). タウン情報社. 2011年5月16日閲覧。
旧・宮古市、県内位置図
  • 1889年(明治22年)4月1日:東閉伊郡町村制が施行される[注 2][注 3]
    • 宮古村と浦鍬ケ崎村(うらくわがさきむら)がそれぞれ単独で町制を施行し、宮古町と鍬ケ崎町(くわがさきちょう)が成立。
    • 旧制度の山口村・近内村(ちかないむら)・田代村が合併した上で村制を施行し、新生の山口村が成立。
    • 旧制度の千徳村(せんとくむら)・根市村(ねいちむら)・花原市村(けばらいちむら)が合併し、新生の千徳村が成立。
    • 旧制度の磯鶏村(そけいむら)・高浜村・金浜村(かねはまむら)・小山田村(こやまだむら)・八木沢村が合併し、新生の磯鶏村が成立。
    • 旧制度の崎山村と崎鍬ケ崎村(さきくわがさきむら)が合併し、新生の崎山村が成立。
    • 旧制度の津軽石村と赤前村(あかまえむら)が合併し、新生の津軽石村が成立。
    • 旧制度の重茂村(おもえむら)と音部村(おとべむら)が合併し、新生の重茂村が成立。
    • 旧制度の花輪村・老木村(ろうきむら)・田鎖村(たくさりむら)・松山村・長沢村が合併し、新生の花輪村が成立。
    • 旧制度の田老村(たろうむら)・乙部村(おとべむら)・末前村(すえまえむら)・摂待村(せったいむら)が合併し、新生の田老村が成立。
    • 旧制度の茂市村(もいちむら)・蟇目村(ひきめむら)・腹帯村(はらたいむら)が合併し、新生の茂市村が成立。
    • 旧制度の刈屋村と和井内村(わいないむら)が合併し、新生の刈屋村が成立。
  • 1889年(明治22年)4月1日:中閉伊郡で町村制が施行される。
    • 旧制度の門馬村(かどまむら)・田代村・平津戸村(ひらつとむら)が合併し、新生の門馬村が成立。
    • 旧制度の小国村(こぐにむら)と江繋村(えつなぎむら)が合併し、新生の小国村が成立。
    • 旧制度の川井村・川内村(かわうちむら)・箱石村(はこいしむら)・片巣村(かたすむら)・夏屋村(なつやむら)・鈴久名村(すずくなむら)・古田村(ふったむら)が合併し、新生の川井村が成立。
  • 1889年(明治22年)3月29日:東閉伊郡・北閉伊郡中閉伊郡が合併し、下閉伊郡となる。
  • 1924年大正13年)4月1日:宮古町と鍬ケ崎町が合併し、新生の宮古町が成立。
  • 1941年(昭和16年)2月11日宮古町山口村千徳村磯鶏村が合併した上で市制を施行し、宮古市が誕生する。
  • 1944年(昭和19年)4月1日:田老村が町制を施行し、田老町が成立。
  • 1955年(昭和30年)2月1日茂市村刈屋村が合併し、新里村が成立。
  • 1955年(昭和30年)4月1日:崎山村津軽石村重茂村花輪村編入する。
  • 1955年(昭和30年)7月1日:川井村、小国村、門馬村が合併し、新生の川井村が成立。
  • 2005年(平成17年)6月6日:宮古市、田老町、新里村が合併した上で市制を施行し、新生の宮古市が成立。
  • 2010年(平成22年)1月1日:川井村を編入する。

行政[編集]

歴代市長
氏名 就任日 退任日 備考
初代 熊坂義裕 2005年7月3日 2009年7月2日 旧宮古市長
2-4代 山本正徳 2009年7月3日 現職

姉妹都市・友好都市[編集]

日本国内
日本国外

人口[編集]

Demography03202.svg
宮古市と全国の年齢別人口分布(2005年) 宮古市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 宮古市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
宮古市(に相当する地域)の人口の推移
1970年 79,805人
1975年 79,214人
1980年 78,617人
1985年 77,024人
1990年 72,538人
1995年 69,587人
2000年 66,986人
2005年 63,588人
2010年 59,430人
2015年 56,676人
総務省統計局 国勢調査より

 平成22年国勢調査から27年調査にかけての人口増減率は4.63%の減少で、岩手県全体の3.80%を少し上回った。なお平成の大合併以前の区分では旧宮古市が東日本大震災に伴う津波で甚大な被害を受けながら2.23%と県全体を下回った一方で、同じく津波被害を受けた旧田老町が26.27%と27年時点の自治体区分で県内最大である大槌町の23.02%も上回る対照的な結果となった。また直接津波被害を受けていない旧川井村は10.62%と田老町程ではないにしろ大きく減少した[27]

経済[編集]

産業[編集]

入港する底引き網漁船

古来、水産業で栄え、特産品としては、サケイクラウニアワビ毛ガニワカメなどが挙げられる。特にサケやサンママダラは全国屈指の水揚げを誇る。

工業では、ヒロセ電機や関連企業などによる電子部品の製造、ラサ工業宮古工場によるガリウムの生成、製造と同NCRI事業部による石油精製触媒の再生事業、片倉コープアグリ宮古工場による化学肥料製造やホクヨープライウッド(株)による合板加工などが主産業である。
宮古税関管内(宮古港)の平成28年の輸出入貿易額は、輸出が387億9千6百万円で、ドイツベルギーアメリカ向けのポンプ遠心分離機等の一般機械がその8割を占める。輸入は食料品や木材が多く、貿易額ではロシアがその半分を占める。
平成26年の製造品出荷額は7,475(千万円)で、岩手県内で8位である。
平成26年度の一人当たり市町村民所得は276万円(県調査統計課)で、復興需要により震災前より急上昇しており、県南を上回り盛岡市などの県央部に匹敵する額になっている。
平成28年の観光客入込数は1,117,932 (単位・人回、県観光統計概要)で、県沿岸部の市町村ではトップの数字となっている。

震災による影響[編集]

津波被害を受けた宮古市の中心街

宮古市の東日本大震災による被害総額は2457億円と推計されており、このうち住宅被害が1496億円と全体の約61%を占めている。
また市内では1078の事業所が被災し、業種別ではサービス業が547事業所(51%)、商業が334事業所(31%)、製造業125事業所(12%)などとなっている。

市内金融機関[編集]

市内に支店、営業所等を置く主な企業[編集]

商業[編集]

市内の主な宿泊施設[編集]

市内の主なチェーン店等[編集]

市内の主な外食産業[編集]

娯楽施設など[編集]

漁港[編集]

早朝の宮古港
日出島と周辺で操業する漁船

漁港:田老漁港と重茂漁港は第2種漁港、他は全て第1種漁港である。[注 4]

  • 田老地区の漁港
    • 小堀内漁港(こぼりない ぎょこう)[注 5]
    • 青野滝漁港(あおのたき ぎょこう)
    • 小港漁港(こみなと ぎょこう)
    • 田老漁港(たろう ぎょこう):田老地区の中心部にある、岩手県でも有数の漁港。周囲には田老の防潮堤が築かれ、津波防災において先進的な地域であったが、東日本大震災の津波は防ぎきれなかった[注 6]
    • 樫内漁港(かしない ぎょこう)
  • 宮古地区の漁港
    • 宿漁港(やど ぎょこう)
    • 日出島漁港(ひでしま ぎょこう)
    • 蛸の浜漁港(たこのはま ぎょこう):鍬ケ崎(くわがさき)平松に所在。宮古港(旧・鍬ケ崎湊)の基礎となった鍬ケ崎地区にあり、古くから磯漁業を行う。
    • 白浜漁港(しらはま ぎょこう)
    • 津軽石漁港(つがるいし ぎょこう):津軽石川が注ぐ宮古湾最奥部の、赤前地区・小堀内地区・堀内地区に所在。
  • 重茂地区の漁港
    • 浦の沢漁港(うらのさわ ぎょこう)
    • 仲組漁港(なかくみ ぎょこう)
    • 音部漁港(おとべ ぎょこう)
    • 重茂漁港(おもえ ぎょこう)
    • 姉吉漁港(あねよし ぎょこう)[注 7]
    • 千鶏漁港(ちけい ぎょこう)
    • 石浜漁港(いしはま ぎょこう)
    • 川代漁港(かわしろ ぎょこう)

公的機関[編集]

官公庁等[編集]

復興庁

警察

消防

海上保安庁

防衛省

法務省

地方検察庁

厚生労働省

財務省

国税庁

国土交通省

農林水産省

林野庁

環境省

特殊法人

独立行政法人

岩手県

主な市の施設[編集]

新里総合事務所
新里総合事務所
田老総合事務所
田老総合事務所
宮古市立図書館
宮古市立図書館
  • 田老総合事務所
  • 新里総合事務所
  • 川井総合事務所
  • 宮古市民総合体育館
  • 宮古市民文化会館
  • 宮古市立図書館
  • 宮古市総合福祉センター
  • 宮古運動公園
  • 姉ヶ崎サン・スポーツランド
  • 湯ったり館
  • へいがわ老木公園

メディア[編集]

テレビ・ラジオ等

郵便[編集]

郵便局

  • 宮古郵便局(集配局)
  • 川井郵便局(集配局)
  • 門馬郵便局(集配局)
  • 鍬ヶ崎郵便局
  • 磯鶏郵便局
  • 岩手花輪郵便局
  • 宮古小山田郵便局
  • 千徳郵便局
  • 宮古田の神郵便局
  • 宮古市役所前郵便局
  • 宮古新町郵便局
  • 宮古日の出郵便局
  • 重茂郵便局
  • 津軽石郵便局
  • 田老郵便局
  • 新里郵便局
  • 刈屋郵便局
  • 和井内郵便局
  • 箱石郵便局
  • 小国郵便局
  • 陸中川内郵便局


簡易郵便局

  • 高浜簡易郵便局
  • 崎山簡易郵便局
  • 攝待簡易郵便局
  • 蟇目簡易郵便局
  • 腹帯簡易郵便局


学校[編集]

短期大学[編集]

高等学校[編集]

日本の水産系高校の中で最も長い歴史を持つ、宮古水産高等学校

岩手県立杜陵高等学校の宮古分室が宮古高校内に設置されている。

中学校[編集]

  • 宮古市立第一中学校
  • 宮古市立第二中学校
  • 宮古市立河南中学校
  • 宮古市立宮古西中学校
  • 宮古市立花輪中学校
  • 宮古市立津軽石中学校
  • 宮古市立重茂中学校
  • 宮古市立崎山中学校
  • 宮古市立田老第一中学校
  • 宮古市立新里中学校
  • 宮古市立川井中学校

小学校[編集]

  • 宮古市立宮古小学校
  • 宮古市立山口小学校
  • 宮古市立千徳小学校
  • 宮古市立磯鶏小学校
  • 宮古市立鍬ヶ崎小学校
  • 宮古市立花輪小学校
  • 宮古市立重茂小学校
  • 宮古市立藤原小学校
  • 宮古市立崎山小学校
  • 宮古市立高浜小学校
  • 宮古市立津軽石小学校
  • 宮古市立赤前小学校
  • 宮古市立亀岳小学校
  • 宮古市立田老第一小学校
  • 宮古市立田老第三小学校
  • 宮古市立新里小学校
  • 宮古市立川井小学校

特別支援学校[編集]

学校教育以外の施設[編集]

交通[編集]

三陸鉄道宮古駅
宮古駅を発つ106急行バス
宮古駅前路線バスロータリー(2013年6月1日)

宮古は三陸沿岸の交通の一大拠点であり、陸路では南の仙台水戸方面、北の八戸青森方面、西の盛岡秋田方面を結ぶ要衝になっている。

鉄道[編集]

摂待駅は津波に備えた堤防の役割を併せ持つ線路施設の一例である。東日本大震災の津波は海岸より1.2kmの内陸部にあるこの駅付近にまで押し寄せた。

東日本旅客鉄道(JR東日本)[編集]

三陸鉄道[編集]

都市間バス[編集]

路線バス[編集]

  • 岩手県北バス
  • 川井地域バス(陸中川井駅 - 小国地区新田・大仁田)

道路[編集]

高速道路[編集]

高規格幹線道路(一般国道自動車専用道路

地域高規格道路[編集]

一般国道[編集]

道の駅[編集]

都道府県道[編集]

主要地方道[編集]
一般県道[編集]

港湾[編集]

航路[編集]

名所・旧跡・観光施設、等[編集]

景勝[編集]

浄土ヶ浜
本州最東端の碑と魹ヶ埼灯台
三王岩
月山展望台からの宮古湾
三陸復興国立公園の中心的な名勝1955年指定)。岩手県指定名勝(第1号)(1954年指定)であり、日本の白砂青松100選1987年)、および、かおり風景100選環境省2001年)の選定地[29] でもある[10]。浄土ヶ浜海水浴場については後述する。
森の巨人たち百選に「『森林浴の森』の木」名義で選定されている。cf.

旧跡[編集]

明治2年3月25日1869年5月6日)に起こった宮古湾海戦記念碑
1933年(昭和8年)の昭和三陸地震による津波の後で建てられた災害記念碑で、「此処より下に家を建てるな」との先人訓が東日本大震災の津波から現地・姉吉地区の住民の命を守った。

観光施設・多目的施設[編集]

  • 土産物
    • 宮古魚菜市場
  • 海水浴場
  • 展示館など
    • 岩手県立水産科学館
    • 宮古市北上山地民俗資料館:cf.
    • 薬師塗漆工芸館
    • 西塔幸子記念館
    • 寄生木展示室(山口公民館)
  • みなとオアシスみやこ:cf.
    • シートピアなあど:cf.
  • 浄土ヶ浜ビジターセンター
  • 浄土ヶ浜マリンハウス
  • 浄土ヶ浜レストハウス
ラサの煙突

他の名所・施設[編集]

ラサ工業宮古工場構内にある煙突(高さ160m)。小山田地区にある標高90mの山上に建ち、煙突本体と併せて250mの高さを誇る。1939年(昭和14年)6月の操業開始以来、長らく宮古のランドマークである。
田老地区の沖合いに建設された防潮堤cf. 田老の防潮堤は時代を追って巨大かつ堅牢なものとなり、高さ10m[注 9]・長さ2.4kmにも及ぶに至り、中国万里の長城になぞらえて「田老万里の長城」「田老の万里の長城」などと雅称されるようになった。海側と陸側の2重構造になっている、日本最大規模の防潮堤であったが、2011年(平成23年)3月11日に発生した東日本大震災では、地震直後に20m級の津波が押し寄せたため、海側に面した堤防の半分が崩壊した。
現在は明星大学の所有地である。

祭り[編集]

  • 宮古鮭まつり
  • 浄土ケ浜まつり
  • 宮古夏祭り
  • みやこ秋まつり
  • 川井村郷土芸能祭

伝統芸能[編集]

宮古を舞台とした作品[編集]

映画
漫画

出身著名人[編集]

江戸時代
明治生まれ
大正生まれ
昭和生まれ
平成生まれ
生年非公表

その他の関連事象[編集]

目黒のさんま祭り(2010年9月5日撮影)
  • 義経北行伝説
三陸沿岸では古来、源義経の末路について、「平泉にて自刃したのは臣下のであって、義経自身は逃げ延び、沿岸を北上していった」と語り継がれてきた[33]cf. 源義経#不死伝説)。岩手県から青森県の沿岸にはこの言い伝えを残す寺社が多く存在し、史実はどうあれ、郷土史研究家の好奇心をくすぐる格好の材料となっている。
  • 目黒のさんま祭り
宮古市は、東京都品川区上大崎で1996年(平成8年)以来毎年9月開催される「目黒のさんま祭り」に、第4回に当たる1999年(平成11年)以降、水揚げされたサンマ数千匹を無償提供している[34](2007年は5千匹[35]、2008年は6千匹[36]、2009年・2010年は7千匹[37][38])。
  • 宮古列島の「宮古市」命名問題
2004年(平成16年)12月、沖縄県宮古列島の5市町村が合併する際に合併協議会では新たな市の名称を「宮古市」に決めたが、これを受けて岩手県の宮古市は同じ市名が存在すると混乱する点と事前に岩手県の宮古市への照会が無かったことから猛反発し、宮古列島の協議会に抗議した。その後、宮古列島では住民アンケートの結果、「宮古島市」を希望する意見が多かったため、協議会は「宮古島市」を採用した。cf. 宮古島市#合併の経緯

脚注[編集]

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  1. ^ 盛岡市釜石市に次いで県内で三番目に市制移行した。
  2. ^ 宮古市(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 川井村(下閉伊郡)(岩手県)の住所・地名の読み仮名”. 市町村.com. 2011年5月14日閲覧。
  4. ^ 漁港マップ”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  5. ^ 小堀内漁港”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  6. ^ 田老漁港”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  7. ^ 姉吉漁港”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月20日閲覧。
  8. ^ 宮古街道”. いわての街道. 個人. 2011年5月20日閲覧。
  9. ^ 堤防そのものが10mではなく、海抜10m以上という意味である。

出典[編集]

  1. ^ a b c d 宮古市の花、木、鳥、魚”. 宮古市ホームページ. 2014年7月18日閲覧。
  2. ^ 03 岩手県 - 合併及び境界確定等による市区町村の面積”. (公式ウェブサイト). 国土地理院. 2011年5月14日閲覧。
  3. ^ 平年値(年・月ごとの値)”. 気象庁. 2011年6月22日閲覧。
  4. ^ 観測史上1~10位の値(年間を通じての値)”. 気象庁. 2010年4月23日閲覧。
  5. ^ 戊辰戦争・宮古港海戦”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2010年10月17日). 2011年5月15日閲覧。
  6. ^ a b 崎山貝塚の時代”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2012年8月14日). 2015年1月10日閲覧。
  7. ^ a b c d e 宮古港について 歴史 (1/2)”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月18日閲覧。
  8. ^ a b c “検証・大震災:砕かれた巨大防潮堤 (1) 高さ10メートル「長城」あっけなく”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年5月15日). オリジナル2013年5月1日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20130501123411/http://mainichi.jp/feature/20110311/verification/ 2011年5月15日閲覧。 
  9. ^ 図典 日本の市町村章 p32
  10. ^ a b c 浄土ヶ浜”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2011年1月5日). 2011年5月15日閲覧。
  11. ^ 陸中海岸国立公園の概要”. 生物多様性情報システム(公式ウェブサイト). 環境省. 2011年5月14日閲覧。
  12. ^ a b 宮古港について 歴史 (2/2)”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月18日閲覧。
  13. ^ 北上山地川井村の山村生産用具コレクション(文化遺産オンライン)2015年1月10日閲覧
  14. ^ “検証・大震災:砕かれた巨大防潮堤(8止)伝承 祖母の行動に教えの重み知る”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年5月15日). オリジナル2012年7月16日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20120716010427/http://mainichi.jp/feature/20110311/verification/ 2011年5月15日閲覧。 
  15. ^ シートピアなあど(広域総合交流促進施設)”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2010年10月17日). 2011年5月18日閲覧。
  16. ^ トピックス/2005(2/2)”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2008年1月4日). 2011年5月18日閲覧。
  17. ^ トピックス/2008”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2009年3月12日). 2011年5月18日閲覧。
  18. ^ a b c 震災の状況と体制”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2011年4月18日). 2011年5月18日閲覧。
  19. ^ 震度データベース検索”. (公式ウェブサイト). 気象庁 (2011年3月10日). 2011年4月13日閲覧。
  20. ^ 信じていた強固な防潮堤粉々に 津波防災の岩手・宮古市”. MSN産経ニュース(ウェブサイト). 産業経済新聞社 (2011年3月18日). 2011年4月12日閲覧。
  21. ^ a b c “大震災の津波、宮古で38.9m…明治三陸上回る”. YOMIURI ONLINE (読売新聞社). (2011年4月15日). http://www.yomiuri.co.jp/science/news/20110415-OYT1T00389.htm?from=navr 2011年4月15日閲覧。 
  22. ^ a b c d “東日本大震災:津波38.9メートル 宮古・姉吉地区”. 毎日jp (毎日新聞社). (2011年4月15日). オリジナル2013年5月1日時点によるアーカイブ。. https://archive.is/20130501163800/http://mainichi.jp/select/shakai/ 2011年4月15日閲覧。 
  23. ^ 此処より下に家建てるな…先人の石碑、集落救う”. YOMIURI ONLINE. 読売新聞社 (2011年3月30日). 2011年4月12日閲覧。
  24. ^ ここより下に家を建てるな 宮古、集落守った石碑”. 岩手日報ウェブニュース. 岩手日報社 (2011年4月3日). 2011年4月12日閲覧。
  25. ^ 岩手県発行 岩手県東日本大震災津波の記録 p43
  26. ^ 「平成二十八年八月十六日から九月一日までの間の暴風雨及び豪雨による災害についての激甚災害並びにこれに対し適用すべき措置の指定に関する政令」について (PDF) -内閣府
  27. ^ 平成27年国勢調査”. 総務省統計局 (2016年10月26日). 2017年7月22日閲覧。
  28. ^ 広報みやこ 2018年2月1日号 (PDF)”. 宮古市. p. 5. 2018年4月2日閲覧。
  29. ^ 日本のかおり風景100選”. (公式ウェブサイト). 環境省. 2011年5月15日閲覧。
  30. ^ 浄土ヶ浜海水浴場”. 快水浴場百選(公式ウェブサイト). 環境省. 2011年5月15日閲覧。
  31. ^ 黒森神楽”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2010年4月14日). 2011年5月14日閲覧。
  32. ^ 国指定文化財等データベース”. (公式ウェブサイト). 文化庁. 2011年5月14日閲覧。
  33. ^ 義経北行伝説”. (公式ウェブサイト). 宮古市 (2010年10月17日). 2011年5月15日閲覧。
  34. ^ 「目黒のさんま祭り」の公式ホームページ”. (公式ウェブサイト). 目黒駅前商店街振興組合 (2010年8月). 2011年5月14日閲覧。
  35. ^ 目黒のさんま祭り”. (公式ウェブサイト). 品川区 (2007年9月10日). 2011年5月15日閲覧。
  36. ^ 第13回目黒のさんま祭り”. (公式ウェブサイト). 品川区 (2008年9月9日). 2011年5月15日閲覧。
  37. ^ 目黒のさんま祭りに例年の倍の2万人超”. (公式ウェブサイト). 品川区 (2009年9月6日). 2011年5月15日閲覧。
  38. ^ 目黒のさんま祭り 元気に開催!”. (公式ウェブサイト). 品川区 (2010年9月6日). 2011年5月15日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]