学校法人東北学院

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学校法人東北学院
学校法人東北学院・本館
学校法人東北学院・本館
法人番号 1370005001402
創立者 押川方義 / W.E.ホーイ
理事長 松本宣郎
創立 1886年
所属学校 #設置教育機関参照
所在地 宮城県仙台市青葉区土樋一丁目3-1
ウェブサイト 東北学院
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学校法人東北学院(がっこうほうじんとうほくがくいん)は宮城県に本部を置く学校法人である。

概観[編集]

学校全体[編集]

押川方義
W. E. ホーイ
D. B. シュネーダー

リベラルアーツを重視したミッションスクールのひとつ。

東北学院のルーツは1886年明治19年)に開校された私塾「仙台神学校」である。キリスト教伝道者の育成を目的に、横浜で日本最初のプロテスタント教会である日本基督公会の設立に関わった日本基督一致教会押川方義合衆国・ドイツ改革派教会宣教師ウィリアム・エドウィン・ホーイが創設した。

日本基督教会の指導者
上左から右下へ、奥野昌綱押川方義植村正久井深梶之助熊野雄七

明治5年2月2日(1872年3月10日)に日本基督公会が成立した。

のちに押川とホーイが本学を離れた後は、ホーイと同じくフランクリン・アンド・マーシャル大学英語版で学び、ホーイの推薦によって日本伝道の任に就いていたデヴィッド・ボウマン・シュネーダーが指導的立場に立った。

1891年(明治24年)には伝道者育成に加え、普通高等教育を施すようになり、校名を「東北学院」に改称した。なお、宮城学院は創設者が同じであるため関係が深い。

福音主義キリスト教に基づく教養教育リベラル・アーツ)を重視しており、卒業生は17万余名である[1]2016年(平成28年)に、創立130周年を迎えた。

先に記した、押川方義W.E.ホーイD.B.シュネーダーの3名は、「三校祖」と呼ばれており、特にシュネーダーは、1901年(明治34年)に第二代院長に就任し、35年におよぶ在職中、その人格的影響力と学校経営の手腕によって、当学院の礎を築いた人物であり、その発展に尽力したため「東北学院中興の祖」と呼ばれている[2]

名称の由来[編集]

東北学院の名称は、北日本のミッションスクールとして、North Japan College(東北学院)と称したことによる。国内では「明治学院」「関西学院」に次いで「学院」を名乗った。合衆国・ドイツ改革派教会(Reformed Church in the United States,German,略称:RCU)は日本における福音伝道には日本基督一致教会の諸州派と共同して当たり、仙台を中心に北日本を担当した。北日本の高等教育機関として合衆国ドイツ改革派教会と伝道局は「NorthJapan」「東北」と「College」「学院」を合わせ、和名「東北学院」英名では「NorthJapanCollege」と報じた。高等教育にいたる諸段階の教育制度や諸種の専門的教育制度を包摂できる総合的 学校組織を目指すうえで、その意図を学校名において明示する必要があった。宗教理念を根底に置く総合的学校組織はキリスト教系学校の多く が目標としたところであり、これらの学校の多くは「学院」の表記を採用した。そうしなければ小学校、中学校、高等学校、大学などのように個別段階 の教育制度に特化した国公立学校との違いを明示できないからである。なお、明治期、多くのミッションスクールでは「英和学校」(Anglo-Japanese school) と呼ばれていた。

ホーイの祈り[編集]

ウィリアム・エドウィン・ホーイは東北学院(仙台神学校)を「北日本の鍵」と呼んだ。

「私の日本到着の三日後に、私に対してなされた押川兄弟の懇願に耳をかさず、東京に留まることも出来たかもしれません。そうなれば仙台はその広大で将来性に富む活動と共に未知の地であり続けたでしょうし、東北学院も存在せず、私の残りの生涯を終えることも可能なのです。

しかし、ああ、日本人への魂の愛、神への愛が、私にこの地で安んずることを許さないのです。神は私に豊富な経験をお与えになりました。私はこれまでと同様に断固として前進する覚悟でおります。押川やシュネーダーの様な人々の道徳時・霊的支持によって、私は前進することが出来ます。未来は招いているのです。ああ主よ、私は東北学院の建設において、私自身をあなたに聖別して捧げます。それは、あなたがこれまで、かくも豊かに祝された、この学校が日本の救いに向けて、一層大いなる永遠の真理と命の殿堂となるためです」 — Ibid, Feb.13,1893.ウィリアム・エドウィン・ホーイ 合衆国・ドイツ改革派教会伝道局幹事キャレンダー宛[3]
東北学院 神学部(仙台神学校)の画像を募集しています。お持ちの方はぜひご協力ください。

東北学院の創設[編集]

1876年(明治9)年1月3日「合衆国・ドイツ改革派教会」(Reformed Church in the United States,German)、「アメリカ・オランダ改革派教会」(Dutch Reformed Church in America)と提携して外国伝道を行うことを決定。

1877年(明治10)年10月3日、「日本基督公会」、「日本長老公会」合同(アメリカ長老教会アメリカ・オランダ改革派教会スコットランド一致長老教会の在日3ミッションが合同)により長老主義に基づく「日本基督一致教会」組織。

1891年(明治24年)9月18日、神学部校舎は当時781ドルの巨費を投じて完成した。それは見事な煉瓦造りの建物で、前年1890年(明治23年)に完成していた明治学院神学部(日本基督一致教会東京一致神学校)校舎と同一の設計に加えて、城郭風四角形の高塔を備えていた。四つの教室、礼拝堂、他にいくつかの個室、他に3269冊の蔵書を持つ「ケルカー記念図書館」を含むものであった。在学生は計119名で、うち61名がキリスト者であった。この年(1891年)正式に日本政府の許可を得て、伝道者育成に加え、普通高等教育を施すようになり、校名を東北学院(英文標記:TohokuGakuin/North Japan College)に改称した。 Poorbaugh letter to Keller.Jan.15.1889[4]

建学の精神[編集]

東北学院の三校祖、押川方義、W.E.ホーイ、D.B.シュネーダーは、東北学院の建学の精神を、宗教改革の「福音主義キリスト教」の信仰に基づく「個人の尊厳の重視と人格の完成」の教育にあるとした。その教育は、聖書の示す神に対する畏敬の念とイエス・キリストにならう隣人への愛の精神を培い、文化の発展と福祉に貢献する人材の育成を目指すものである[5]

スクールモットー[編集]

東北学院を象徴する「3L精神

本学の建学の精神や教育方針を最も的確に著したものが 旧東北学院中学部校舎の正面入口に掲げられていた「LIFE LIGHT LOVE」の標語である。

  • LIFE」とは神から授かった「大切な命」と言う意味である。
  • LIGHT世の光」とは万物に分け隔てなく注がれるかけがえのない「光」と言う意味である。光は神から発せられる。人はその光に照らされる存在にすぎないが、自らを磨いて、その恵みを 照り返し「反射する光」としてこの世を明るくすることが出来る。そして主によって照らされた光を心の中に灯しつづけて行くことで、善いことの方に人を導く者となれる。
  • LOVE」とは 「隣人愛」(この世で出会った全ての人を愛する)・「献身犠牲の愛」(我が身を犠牲にしてまで他者を救う最も尊い愛)・「見返りを求めない愛 」=「 主イエス・キリストの愛」(神の愛)と言う意味である。


それ以来、東北学院を象徴する「3L精神」として受け継がれている。

「私達の命」は「神から授かった大切な命」であります。 この命の限り、私たちは「神から愛されている者」として 既に 主イエス・キリストにならう、この世の暗闇を照らす「世の光」なのです。 「世の光」として主イエスがなさった様に、「この世で出会った人々(隣人)」を 「その希望の光で照らし」、主イエスが 我が身を投げ打って示した「献身犠牲の愛」(神の愛)で「寄り添い・支え・共に生きる」ことが出来るのであります。今既に主にあって私達は「地の塩、世の光」なのであります。[6]

  • 本学ではこの標語の原形である「LIFE, LIGHT AND LOVE FOR THE WORLD」をスクールモットーとした。「命(生命の尊さ)と光(知恵・希望)と愛(隣人愛)を世界のために」という意味である。

象徴[編集]

TG章[編集]

明治34年頃から、シュネーダー院長の下に諸般の刷新が行われ、この年の末、普通科生徒の制帽が定められた。当時生徒の実情から未だ制服までは着用困難の時代で、先ず制帽から始められた。 同時に徽章の制定を促して、シュネーダー院長の腹案に従い、新任の図画の教師小泉成一の意匠によって、十字架の中に院の頭文字TGを現したものが出来上がり、それが校章に用いられ現在にまで至っている。 TG章とも呼ばれる。背景にキリストの象徴である十字架鉄十字章を用い(現在のドイツ連邦共和国においても鉄十字章は正式な勲章・ドイツの国籍標識・シンボルとして認められている)その中心に東北学院の頭文字であるTGを据えている。本学創立ミッションである合衆国・ドイツ改革派教会(Reformed Church in the United States,German,略称:RCU)の信仰を象徴した。

東北学院校歌[編集]

校歌は、大正10年6月に神学部教授エルマー・ハロルド・ゾーグ(Elmer Harold Zaugg(E.H.ゾーグ)と中学部英語教師の青木義夫の両人によって作られたものである。まず作詞(英文)作曲ともにゾーグ作の「フェアー・ガクイン」が先にでき、続いて訳詞が青木義夫によってできた。折返し5節からなる。

校歌(作詞&作曲:E.H.ゾーグ 和訳:青木義夫)

1.若人われらの 理想の国は 青葉の都よ ああ東北学院 ※(おりかえし)

世の光 わがほこり いざほめよや 友よ
もろごえ あわせて われらの学院

2.大路ひとすじに たどり行けば 知恵の泉わく ああ東北学院

3.いくよ培いし 大和心 神の愛に咲く ああ東北学院

4.命をささげし 真(まこと)の人 うたわるるいずこ ああ東北学院

5.教えのみ母よ 汝(な)がこころは 地のきわみまでも ああ東北学院

東北学院校歌(原歌)[編集]

Fair Gakuin(作詞・作曲:E.H.ゾーグ)

1.
Where Hirose rippling flows
And the purple hagi grows,
There's a place that's all the world to me, to me
There my Alma Mater stands
And with open outstretched hands
A giving of her light to all men freely.
(※repeat)
Oh the Gakuin so fair,
Not another can compare.
She's the fairest of ten thousand to my soul.
So let's sing this merry lay,
And to her our homage pay,
And cheer her till the echoes round us roll.

2.
From the east and from the west
With their faces full of zest,
Come the eager youth of all the land. the land
Yes, they come to learn the way
How to work and how to play
And how for freedom and for right to stand.
(※repeat)

3.
Then wherever we may be
On the land or on the sea,
Ne'er shall we forget her glorious name, her name.
And to her we'll loyal be
While in fondest memory
We'll cherish and enhance her lasting fame.
(※repeat)

日本国登録 有形文化財「東北学院大学本館」[編集]

東北学院大学本館

キャンパス内には多数の建物が所狭しと建っているが、中でもアメリカ人建築家J・H・モーガン設計したカレッジ・ゴシック様式の2つの建物が目を引く。1つは土樋キャンパスのシンボルであり、重厚な正門を入って正面に位置する「東北学院大学本館」である。 1925年大正14年)に旧・専門部校舎として建てられ、現在は法人本部が使用している。2014年に日本国登録有形文化財に登録された。1923(大正12)年の関東大震災後に建設が計画されたことから、耐震性も念頭に置いた構造となっており、鋼鉄の窓枠やリノリュームの床はアメリカからの輸入、外壁には秋保の自然石が用いられている。外形を凝灰岩秋保石を使った石張りにすることで、冬は暖かく夏は涼しい。外部の装飾は少なく、重厚さを感じさせる。壁が厚く、柱が太い円柱であり、入り口が半円形のアーチ状な特徴がある。城塞の建築様式に近く、武骨な外観の建物が多い。これらのノルマン様式の特徴を併せもつ。33万円という当時における巨額の工費は、国内外の多くの篤志家からの献金によって賄われた。1978(昭和53)年の宮城県沖地震で外装の石材が一部剥離したが、その後補修され、東日本大震災でもその堅牢さが証明された。この正門J・H・モーガンの作品である。

日本国登録 有形文化財 「ラーハウザー記念東北学院礼拝堂」[編集]

「ラーハウザー記念東北学院礼拝堂」の画像を募集しています。お持ちの方はぜひご協力ください。

もう1つは本館の右手にあり、作家伊藤整が「日本の大学のチャペルで最も美しい。」と絶賛した「ラーハウザー記念東北学院礼拝堂」である。 名称にある「ラーハウザー」とは、第2代院長であるD・B・シュネーダーが米国にて募金活動を行った際、それに賛同し、献金を寄せた、エラー・ラーハウザー嬢に由来する[7]1932年昭和7年)に建てられた当礼拝堂は、地下1階地上2階建ての南北に長い鉄筋コンクリート造建築で、十字形の礼拝堂の南に玄関とホール、北に教壇を構え、両脇とホール2階も聴衆席としている。扁平尖頭アーチの縦長窓や笠付の柱形が垂直性を強調するカレッジ・ゴシック様式の外観で、外形を凝灰岩秋保石を使った石張りにすることで、冬は暖かく夏は涼しい。外部の装飾は少なく、重厚さを感じさせる。壁が厚く、入り口や窓の上が半円形のアーチ状な特徴がある。また教会堂(礼拝堂)ではステンドグラスが採用され、明かり窓の数も多く内部の明るさを増している。城塞の建築様式に近く、これらのノルマン様式の特徴を併せもつ。本館とともに大学の核を構成する。約900名を収容でき、正面からイエス・キリスト昇天の場面を極彩色で描いたステンドグラスが見える。高さ約4.4メートル、幅約3.5メートル。これは英国のヒートン・バトラー&バイン(HeatonButler& Bayne、以下HBB)工房で制作されたもので、同社制作のものは当時国内にはほか2ヵ所に設置されていたという。しかしその内の1つ「yokohama christchurch/横浜クライスト・チャーチ横浜山手聖公会)」の作品は1945年に焼失。もう1つは神戸の邸宅に設置されたもので現存せず、今はこの作品しか遺されていない。キリストと天使たちの衣は同じ黄色でも異なる色で表現。D・B・シュネーダーが横浜のアメリカ人建築家モルガン、HBB工房に注文を出した際の手紙では「天使の数を減らし、キリストを目立たせるように」と指示している。さらに中央にエルサレムを強調して描くことで、「仙台をエルサレム(聖地)に」と思料したのである。ステンドグラスの横には、かつて活躍し、形のみを残した米国モーラー社(en:M. P. Moller)製のパイプオルガンが、北関東以北で最も古いパイプオルガンとして現存している。現在は、ドイツハンブルク)のルドルフ・フォン・ベッケラート社(de:Rudolf von Beckerath Orgelbau)による、ネオ・バロックスタイルのパイプオルガンが使用されている。この建物もまた2014年に日本国登録有形文化財に登録された。なお、礼拝堂地下室には、「東北学院史資料センター」がある。[8]

日本国登録 重要文化財 「デフォレスト館」(東北学院旧宣教師館)[編集]

アメリカン・ボードの宣教師ジョン・デフォレスト

2016年8月、「デフォレスト館」が「東北学院旧宣教師館」として日本国重要文化財に指定された。この国の重要文化財指定の答申は、単に登録から指定へと一ランク上げるという答申ではなく、市町村レベルの文化財指定と都道府県レベルの文化財指定の段階を一気に飛び越えた異例の措置ということができる。 「明治20年代初め」という建築年代については、調査結果から「明治20年の冬」であることが確認された。これにより、「デフォレスト館」が「現存する日本最古の旧宣教師館」であることが裏付けされたことになった。

沿革[編集]

略歴[編集]

1886年明治19年)5月仙台区木町通に設置された私塾「仙台神学校」を端緒とする。

1891年(明治24年)には、伝道者育成に加え、普通高等教育を施すようになり、校名を「東北学院」に改称。現在では、幼稚園、中学校、高等学校、大学、大学院までを有する総合学園となった。

明治期には、自然主義作家の岩野泡鳴や、冒険小説作家の押川春浪が在学していた。作文教師として島崎藤村が教鞭をとっていたこともある。また、「日本力行会」の設立に加わった島貫兵太夫を輩出している。

大正期には、後に20世紀前半の日本を代表するろう教育の実践者となった高橋潔、その後輩で『大曽根式指文字』の考案者でもある大曽根源助など、著名なろう教育家を輩出している。

年表[編集]

年表 沿革
1886年明治19年) 押川方義、W.E.ホーイの協力により「仙台神学校」を開校。
場所は、木町通りと北六番丁の交差点(地図)の角地にある借家[9]
1887年(明治20年) 5月東二番丁の本願寺別院跡(地図。現・仙台トラストシティ庭園)に、仙台神学校および仙台教会を移転。
1891年(明治24年) 校名を「東北学院」に改称。
予科2年、本科4年、神学部3年に学制変更。
9月には、南町通南光院丁との角地[10]地図。現・仙建ビルほか)に新校舎完成。
1895年(明治28年) 予科・本科を普通科5年(旧制中学)に改組。
その上に専修部(文科・理科)2年を設置。
1898年(明治31年) 理科専修部を廃止。
1903年(明治36年) 東北学院同窓会が発足。
1904年(明治37年) 専修部を専門学校令による専門科(神学部、文学部)3年に改組。
1905年(明治38年) 専門科(神学部文学部)を専門部(神学科、文科)と改称。
1908年(明治41年) 社団法人東北学院」を設置。
1915年大正4年) 普通科を中学部と改称。
1918年(大正7年) 専門部を神学科、文科、師範科商科(旧高等商業学校)に改組。
1925年(大正14年) 神学科を専門部より分離し、神学部とする。
1926年(大正15年) 創立40周年に合わせ、南六軒丁に専門部校舎完成(地図。現・土樋本館)。
1929年昭和4年) 社団法人から財団法人に改組。
専門部を高等学部と改称。
1929年(昭和4年) 高等学部師範科に専攻科1年を設置。
1936年(昭和11年) 高等学部文科を文科第1部、師範科を文科第2部と改称。
1937年(昭和12年) 東北学院神学部と明治学院神学部・東京神学社が合併、日本神学校を創立。

その後青山学院神学部が合流。戦後の日本基督教団東京神学大学の母体になる。

1943年(昭和18年) 高等学部商科を高等商業部、中学部を中学校と改称。
1944年(昭和19年) 東北学院航空工業専門学校設置。
1946年(昭和21年) 英文科、経済科を含む、東北学院専門学校を開設。
1949年(昭和24年) 教育基本法学校教育法に基づき、専門学校は新制大学に昇格。
文経学部を設置(専門学校の廃止は1951年 / 昭和26年)。
1950年(昭和25年) 土樋キャンパスでの第1回公開クリスマスが行われる(以来、12月の恒例行事として毎年開催されている)。
1951年(昭和26年) 財団法人から学校法人に改組され、「学校法人東北学院」となる。
1962年(昭和37年) 工学部を多賀城キャンパス(地図 / 終戦まで「多賀城海軍工廠」。占領期進駐軍「キャンプ・ローパー」の跡地)に設置。
1964年(昭和39年) 文経学部を文学部経済学部に、文経学部二部を文学部二部と経済学部二部に分離。
大学院文学研究科を設置。
1965年(昭和40年) 法学部と大学院経済研究科を設置。
1966年(昭和41年) 大学院工学研究科を設置。
1972年(昭和47年) 高等学校榴ケ岡校舎を東北学院榴ケ岡高等学校として分離独立。
1975年(昭和50年) 大学院法学研究科を設置。
1983年(昭和58年) 高等学校二部を閉校。
1985年(昭和60年) 幼稚園園舎を新築し移転。
1986年(昭和61年) 東北学院創立100周年。
1988年(昭和63年) 泉キャンパス(地図)に教養部(但し、文学部経済学部法学部の1・2年次)を移転。
1989年(昭和64年) 教養学部を泉キャンパスに設置。
1994年平成6年) 大学院人間情報学研究科を設置。
1997年(平成9年) 大学院文学研究科にヨーロッパ文学史専攻とアジア文化史専攻を設置。
1999年(平成11年) 大学設置50周年。
2000年(平成12年) 文学部英文学科、経済学部経済学科商学科昼夜開講制を導入。
2001年(平成13年) 文学部基督教学科をキリスト教学科に、経済学部商学科を経営学科に、教養学部教養学科言語科学専攻を言語文化専攻に改称。
2002年(平成14年) 工学部機械工学科を機械創成工学科に、電気工学科を電気情報工学科に、応用物理学科を物理情報工学科に、土木工学科を環境土木工学科に改称。
大学院経済研究科に経営学専攻を設置。
2004年(平成16年) 大学院法務研究科法実務専攻(法科大学院)を設置。
2005年(平成17年) 教養学部を人間科学科、言語文化学科、情報科学科に改組、及び地域構想学科を開設。
文学部史学科を歴史学科に改称。
東北学院中学校・高等学校の新校舎が仙台市宮城野区小鶴地区(地図)に完成し移転。
2006年(平成18年) 東北学院創立120周年。
工学部を機械知能工学科電気情報工学科電子工学科、及び環境建設工学科に再編し、工学基礎教育センターを開設。
2009年(平成21年) 経済学部を改組し、新たに共生社会経済学科を設置。
経済学部経営学科は経営学部経営学科に改組。
2011年(平成23年) 東北学院創立125周年。
2013年(平成25年) 大学院法務研究科法実務専攻(法科大学院)における、2014年(平成26年)の学生募集停止を決定。
2016年(平成28年) 東北学院創立130周年。


東北学院 神学部[編集]

1936年 神学部を学院から分離。 1937年 - 東北学院神学部は明治学院神学部・東京神学社に合同し、日本神学校(戦後の日本基督教団東京神学大学)創設に至る。

明治学院神学部日本基督公会から日本基督一致教会の流れを汲み日本基督一致教会は東北学院創設者である押川方義の出身教会であった。

東京神学社は日本基督公会から日本基督一致教会に至るまで押川と志を共にした植村正久の設立した神学校である。植村は明治学院理事で明治学院創設者の一人である。

東北学院神学部(仙台神学校)の創設にあたった合衆国・ドイツ改革派教会(Reformed Church in the United States,German,略称:RCU)は日本における福音伝道には日本基督一致教会の諸州派と共同して当たり、仙台を中心に北日本を担当した。各教派の宣教師達は日本を地理的に分割して伝道を担当していたのであった。


日本基督一致教会(後の日本基督教会)はウィリアム・インブリーが、その合同事業を主導し、植村正久井深梶之助の三人が中心になりミッションの伝道事業に日本基督一致教会伝道局との緊密な関係の元に行われること(協力ミッション法)を決議した。 合衆国・ドイツ改革派教会はこれを承認し協力ミッションになった。 この様な背景から日本のいくつかの神学校を統合して、東京合同神学校を作る話が進められていった。

シュネーダーは余り積極的ではなかったが、もしもそれが多数意見であるならば、協力するつもりでいた。「教派的観点からは良いことだが、地理的には不便である」と述べている。

シュネーダーの確信によれば、北日本には独自の神学校が必要である。東京に行った学生は牧師となって地理に不便な東北地方へ戻って来ないかもしれないからである。“strong and distinctive local feeling”と表現するのがそれである。[11]

1930年代前半から 始まった東北学院神学部の存廃をめぐる論議の中 で、シュネーダーはそれぞれの地域の特性に応じた 神学教育機関が必須だという論拠から、さらにまた、東北学院は「それ自体の霊的生命のために、神学部の存在を欠かせない」からであった。 [11]


歴代理事長 (理事長は学校法人全体の経営最高責任を負う)


歴代院長 (院長は大学・中高・幼稚園の教学全般とキリスト教教育・活動を統括し責任を負う)

設置教育機関[編集]

過去にあった教育機関

脚注[編集]

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  1. ^ 東北学院同窓会 HOME(東北学院同窓会)
  2. ^ 東北学院建学の精神(学校法人東北学院)
  3. ^ 『ウィリアム・ホーイ伝:苦闘の生涯と東北学院の創立』1986年 p,145
  4. ^ ウィリアム・C・メンセンディク著『ウィリアム・ホーイ伝:苦闘の生涯と東北学院の創立』1986年
  5. ^ 東北学院建学の精神(学校法人東北学院)
  6. ^ 『神と人』第17号(1923年)
  7. ^ ラーハウザー記念東北学院礼拝堂(東北学院大学)
  8. ^ http://www.tohoku-gakuin.jp/ch/tgu/facilities.html
  9. ^ 東北学院の沿革(学校法人東北学院)
  10. ^ 「仙台地図さんぽ」(ISBN 978-4-9903231-7-2 有限会社イーピー 風の時編集部)による1912年の地図より。
  11. ^ a b 『シュネーダー博士の生涯:その人とその時代』 1976年5月

関連文献[編集]

  • 東北学院百年史編纂委員会 『東北学院百年史』 学校法人東北学院、1989年
  • 学校法人東北学院 『東北学院の歴史』 河北新報出版センター、2017年 ISBN 978-4-87341-366-2

公式サイト[編集]