遺愛女子中学校・高等学校

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遺愛女子中学校・高等学校
過去の名称 ミセスカロラインライトメモリアル女学校
遺愛女学校
国公私立の別 私立学校
設置者 学校法人遺愛学院
校訓 信仰・犠牲・奉仕
設立年月日 1874年(創設年)
創立者 M・C・ハリス夫妻
共学・別学 男女別学(女子校)
中高一貫教育 併設型(外部混合有)
課程 全日制課程
単位制・学年制 学年制
設置学科 普通科
英語科
学科内専門コース 普通科一般コース
普通科特進コース
高校コード 01522K
所在地 041-8543
北海道函館市杉並町23-11
外部リンク 公式サイト
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遺愛女子中学校・高等学校(いあいじょしちゅうがっこう・こうとうがっこう)は、北海道函館市杉並町にある私立中高一貫校(高等学校からの入学も可能)。

北海道の遺愛女子高等学校は、女子校として東北地方以北最古である。

概要[編集]

メリマン・コルバート・ハリス(M・C・ハリス)夫妻により創設された女学校。学校法人遺愛学院が設置する。

キリスト教精神を信条とするプロテスタントミッションスクールである。三大精神を「信仰・犠牲・奉仕」とし女子教育を行っている。

遺愛女子中学校・高等学校の略称は「愛中」及び「愛高」、「遺愛女子」、「遺愛」とも称される場合がある。

入試は函館と札幌、帯広、北見で実施され、道内各地から女学生を募集するため女子寮として「遺愛寮」を設置している。

歴史と進学実績[編集]

その歴史と進学実績から、北海道における女子校として、札幌市所在の藤女子中学校・高等学校と共に双璧を成す女学校として知られる。1874年(明治6年)設立の日々学校を発祥とし、1882年文部省認可の女学校として東北地方以北で最も古い女子校である。(日本国内において、さらに古いあるいは同程度に古い女子校としては、1870年設立の東京都千代田区所在女子学院中学校・高等学校、神奈川県横浜市所在フェリス女学院中学校・高等学校、1875年設立の東京都千代田区所在雙葉中学校・高等学校、兵庫県西宮市所在神戸女学院中学部・高等学部、1881年設立の東京都千代田区所在白百合学園中学校・高等学校、1882年設立の東京都文京区所在お茶の水女子大学附属高等学校、1886年設立の北海道函館市所在函館白百合学園中学校・高等学校、1887年設立の北海道札幌市所在北星学園女子中学高等学校、1892年設立の東京都豊島区所在豊島岡女子学園中学校・高等学校がある)

メリマン・コルバート・ハリス(M・C・ハリス)[編集]

オハイオ州出身のアメリカ・メソジスト教会牧師。明治6年(1873年)、妻フローラ・ハリスとともに来日。明治7年(1874年)に来函、キリスト教を伝え、遺愛女学校の前身である日々学校を開設するとともにアメリカ合衆国領事も兼ねた。また、英語教師として札幌農学校においても教鞭をとった[1]。 1877年4月にウィリアム・スミス・クラーク博士が、ハリスに札幌農学校一期生の信仰的指導を仰いだ。1877年9月2日、ウィリアム・スミス・クラーク博士門下の札幌農学校の第一期生佐藤昌介大島正健ら15人に洗礼を授け、続いて1878年6月2日に第二期生の内村鑑三新渡戸稲造宮部金吾らの7名にも洗礼を授けた[2][3]

文化財の指定[編集]

東北以北最古の女学校である遺愛女子の歴史的建築物は、日本国および北海道文化財指定を数多く受けている。

校舎は日本国の重要文化財に指定されている「本館」(設計:ジェームズ・ガーディナー[4])、高等部の教室が入っている「新館」、食堂などが入っている「ライト館」、チャペルや理科室、及び放送室などが入っている「科学館」、中学部の教室、及び新設の図書館が入っている「東館」からなる。

さらに、通称ホワイトハウスと呼ばれ親しまれている旧遺愛女学校宣教師館(日本国および北海道の重要文化財)、登録有形文化財の「講堂」(設計:ウィリアム・メレル・ヴォーリズ建築事務所[5])、茶道のための和室や同窓会室のある「謝恩館」(登録有形文化財)がある。

その他[編集]

  • 創立者ハリス夫妻ゆかりの教会が函館市元町にある日本基督教団函館教会である。
  • ハリス夫妻と共に遺愛学院の運営に尽力したカロライン・ライトの基金により、遺愛女学校第2代校長メアリー・ハンプトン(Mary Hampton)と本多庸一が協議の上、1886年に弘前において設置したのが来徳女学校である[14]。カロライン・ライトは、来徳女学校の校名の由来にもなっている。1886年(明治18年)開学の来徳女学校は、1887年(明治19年)には遺愛女学校の分校の形をとり、弘前遺愛女学校となった。その後、弘前女学校、聖愛高等女学校を経て、現在の弘前学院聖愛中学高等学校となっている[14][15][出典無効]。ハンプトンは、弘前女学校の校長も務めた[16]
  • 講堂には道南最大級を誇るドイツ製のパイプオルガンがあり、遺愛女子中学校・高等学校の卒業生や教員はここで結婚式を挙げることもできる。

沿革[編集]

  • 1874年(明治6年) - アメリカ・メソジスト教会牧師、M・Cハリス夫妻来函。日々学校 (Day School) を開設。
  • 1882年(明治14年) - 文部省認可の女学校として開校、校名「カロライン・ライト・メモリアル・スクール」。
  • 1885年(明治20年) - 内藤鳴雪の名付けにより校名を「遺愛女学校」とする。
  • 1886年(明治18年) - 遺愛女学校第2代校長第メアリー・ハンプトンと本多庸一が、カロライン・ライトにちなんで来徳女学校を開設。
  • 1887年(明治19年) - 分校の弘前遺愛女学校が開学。
  • 1937年(昭和12年) - 日中戦争の始まりとともに軍国主義的諸行事への参加が始まる[17]
  • 1941年(昭和16年) - 太平洋戦争始まる。学校報国団結成。
  • 1944年(昭和19年) - 「遺愛高等女学校」となる。
  • 1945年(昭和20年) - 校舎が軍隊に接収され、的場国民学校へ移転。敗戦にともない校舎返還される。
  • 1948年(昭和23年) - 新制高等学校発足。「遺愛女子高等学校」及び「付設中学校」と改称。
  • 1980年(昭和55年) - 創立百周年記念新校舎完成。
  • 1982年(昭和57年) - 旧宣教師館が北海道文化財に指定。創立百周年記念式典。
  • 2001年(平成13年) - 旧宣教師館が日本国の重要文化財に指定[9]
  • 2002年(平成14年) - 創立百二十周年記念式典。講堂が日本国の有形登録文化財に登録[11]
  • 2004年(平成16年) - 本館が日本国の重要文化財に指定。
  • 2005年(平成17年) - 謝恩館が登録有形文化財に登録。
  • 2006年 (平成18年) - 新体育館が完成

制服[編集]

制服は、1930年に制定されて以来の、伝統のあるセーラー服となっている。中高同じデザイン。夏服は、白色のセーラー服に紺のプリーツスカート。冬服は上下ともに紺色となる[18]

セーラー服には襟、胸当て、袖口には白い3本線が入っている。スカーフは非常に目立つ赤となっており、本校自ら制服のポイントとして挙げている[19]。また、スカートのプリーツは、前面中央が幅広の前ひだとなっている。これは、をデザインしたものだからだという[19][18]

渡辺麻友 (AKB48) が全国の制服を着用した姿を掲載した写真集「渡辺麻友 制服図鑑 最後の制服」(2013年4月19日ISBN 978-4-08-780677-9)を発売するにあたり、日本全国から可愛い制服写真を集英社が募集したところ、同校の制服が採用され、写真集に含まれることとなった。

著名な運営者および関係者[編集]

  • メリマン・ハリス - 遺愛女子創立者。メソジスト教会牧師。クラーク博士の依頼により札幌バンドに洗礼を授けた[1][3][2]
  • フローラ・ハリス - 遺愛女子創立者。メリマン・ハリスの妻。夫メリマンと共に女子教育の普及に尽力した。
  • カロライン・ライト - 当時のドイツ駐在アメリカ公使夫人[20]。ハリス夫妻と共にカロライン・ライト・メモリアル・スクールの開校に尽力した。また1886年、弘前に設置した来徳女学校の校名の由来となった。
  • 佐藤昌介博士 - 北海道帝国大学初代総長および遺愛女子初代理事長
  • 内藤鳴雪 - 明治-大正期の俳人。校名「遺愛」の名付け親。
  • ジェームズ・ガーディナー - 明治-大正期に活躍したアメリカ人建築家教育者。日本国重要文化財である遺愛学院校舎「本館」の設計者[4][21]。立教学校・立教大学校(現 立教大学)の校長を歴任した。
  • メアリー・ハンプトン - 遺愛女学校第2代校長[20]。本多庸一と共に1886年来徳女学校の創設に尽力した[14]。来徳女学校は創設の翌年、1886年には弘前遺愛女学校となった。
  • 雑賀浅 - 遺愛女学校舎監および裁縫教師[22]。雑賀アサとも表記される。婚前名:簗瀬浅。会津藩家老である簗瀬三左衛門の三女[22][23][24]として会津若松城下に生まれる。会津藩の名門である会津三家[簗瀬(柳瀬)家、北原家、内藤家]の一つ簗瀬家の出身。血族に簗瀬三左衛門の孫であり大日本帝国陸軍少将簗瀬真琴がいる。斗南藩士であり開拓使役人の雑賀重村(繁村)の妻となる[22]。函館において、同郷会津出身で婚前の日向ユキ(結婚後名:内藤ユキ。夫は薩摩藩士であり開拓使役人で札幌在住であった内藤兼備)を奉公人として迎え入れた[22]
  • 本多貞 - 本多庸一の妻。婚前名:長嶺貞。盛岡藩士族長嶺忠司の二女として生まれ、東京女子師範学校(現 お茶の水女子大学)で学び[25]、遺愛女学校で教師を務めた[26]。後、弘前遺愛女学校の後身である弘前女学校において教頭を務めた[16]
  • 荒木賢治 - 明治-大正期に活躍した建築技師。ジェームズ・ガーディナー建築事務所に在籍した[27][28]。日本国重要文化財である遺愛学院校舎「本館」の建築にあたり、主任として携わった[27]。ガーディナー建築事務所に勤務後独立。遺愛学院本館のほか、代表的な建築物としてエンゼル館などがある。

著名な出身者[編集]

舞台となった映画・CM・小説等[編集]

映画[編集]

  • PとJK - 2017年公開。亀梨和也土屋太鳳の共演で、警察官と女子高生のまじめな恋愛を描いた映画。主人公の女子高生、本谷歌子(もとやかこ)の通う音尾高校として撮影された。「遺愛高校のレトロな校舎が本作の世界観にマッチし、幻想的な仕上がりになった」と報道された[29]
  • 星に願いを。 - 2003年公開。竹内結子主演の函館が舞台の映画。遺愛の本館と旧宣教師館(ホワイトハウス)が、劇中の病院として撮影された[30][31]
  • パコダテ人 - 2002年公開。宮崎あおいが主演を演じ、勝地涼大泉洋萩原聖人安田顕大森南朋も出演した函館が舞台の映画。遺愛は、宮崎あおい演じる主人公が通う高校はまなす学園として撮影された[32]

テレビドラマ[編集]

CM[編集]

プロモーション・ムービー[編集]

ミュージック・プロモーション[編集]

雑誌・写真集[編集]

小説[編集]

観光への協力と貢献[編集]

「観光庁長官表彰」の受賞[編集]

函館港の外国クルーズ客船寄港時に、英語科生徒が通訳ボランティアとして受入に関わり、観光案内や学校を開放して書道や茶道の体験メニューを提供するなど市民レベルからの国際交流の推進や日本文化の発信、魅力ある地域づくりに貢献した[37]として、2015年10月に、国土交通省観光庁から「第7回観光庁長官表彰」を受賞した[37][38]

交通アクセス[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 北海道高等学校長協会英語部会 ホームページ”. 2014年5月3日閲覧。
  2. ^ a b 鈴木範久『内村鑑三』岩波新書、19ページ
  3. ^ a b 発祥の地コレクション 遺愛学院発祥の地項”. 2014年5月3日閲覧。
  4. ^ a b c 文化遺産オンライン 遺愛学院(旧遺愛女学校) 本館項”. 2014年5月3日閲覧。
  5. ^ a b 文化遺産オンライン 遺愛学院講堂項”. 2014年5月3日閲覧。
  6. ^ 文化庁 国指定文化財等データベース 遺愛学院(旧遺愛女学校) 本館項”. 2014年5月3日閲覧。[リンク切れ]
  7. ^ 文化遺産オンライン 遺愛学院(旧遺愛女学校) 旧宣教師館項”. 2014年5月3日閲覧。
  8. ^ 文化庁 国指定文化財等データベース 遺愛学院(旧遺愛女学校) 旧宣教師館項”. 2014年5月3日閲覧。[リンク切れ]
  9. ^ a b “優雅な装い 90余年 函館・遺愛女子校の「宣教師館」重文指定へ”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2001年4月21日)
  10. ^ 文化庁 国指定文化財等データベース 遺愛学院講堂項”. 2014年5月3日閲覧。[リンク切れ]
  11. ^ a b “遺愛学院講堂 国の文化財に 「今後も活用し次代に継承を」”. 北海道新聞 (北海道新聞社). (2002年3月23日)
  12. ^ 文化遺産オンライン 遺愛学院(旧遺愛女学校)謝恩館項”. 2014年5月3日閲覧。
  13. ^ 文化庁 国指定文化財等データベース 遺愛学院(旧遺愛女学校)謝恩館項”. 2014年5月3日閲覧。[リンク切れ]
  14. ^ a b c 聖愛の歴史”. 2014年5月3日閲覧。
  15. ^ 広瀬院長の弘前ブログ 遺愛女学校項”. 2014年5月3日閲覧。
  16. ^ a b 弘前女学校の音楽教育, 弘前大学教育学部紀要 第82号:87-95(1999年10月) hdl:10129/1567
  17. ^ 写真資料 昭和20年3月11日付 北海道新聞, 総務省ホームページ バーチャル情報館 軍需工場で働く遺愛女学校の生徒”. 2015年2月7日閲覧。
  18. ^ a b 安田誠 『図説 女子高制服百科』 幻冬舎コミックス、2010年、8頁。ISBN 978-4-344-81891-02013年10月26日閲覧。
  19. ^ a b 制服チェック”. 遺愛女子中学校・高等学校. 2013年10月26日閲覧。
  20. ^ a b はこだて人物誌 オーガスタ・デカルソン項”. 2014年5月3日閲覧。[リンク切れ]
  21. ^ 函館遺愛学院(旧遺愛女学校)本館について, 日本建築学会北海道支部研究報告集 (76), 399-402 NAID 110006938912
  22. ^ a b c d はこだて外国人居留地 人物編, はこだて外国人居留地研究会 編集・発行, 2014年3月発行, 電子図書館 新函館ライブラリ”. 2014年6月8日閲覧。
  23. ^ 岩手大学教育学部研究年報, 第57巻第1号, 1997, pp. 29 - 44, 32頁 hdl:10140/1693
  24. ^ 新島八重 武家の女はまつげを濡らさない, PHP研究所発行, 2012年 ISBN 978-4-569-80804-8
  25. ^ お茶の水女子大学デジタルアーカイブズ, 小学師範科卒業生アルバム, 番号:g_ph188107-0006”. 2014年5月24日閲覧。
  26. ^ 弘前と遺愛女学校の音楽教育, 弘前大学教育学部紀要 第80号:37-47(1998年10月) hdl:10129/1566
  27. ^ a b 函館遺愛学院(旧遺愛女学校)本館と関連建築文書, 日本建築学会 学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠 2003, 645-646 NAID 110006642986
  28. ^ ガーディナー建築事務所のスタッフ、荒木賢治と上林敬吉について : 日本聖公会の建築史的研究 4, 日本建築学会 学術講演梗概集. F-2, 建築歴史・意匠 1995, 99-100 NAID 110004140558
  29. ^ シネマズニュース 映画『PとJK』ロケ地、北海道・函館の情緒あふれる街並み&撮影エピソード”. 2017年10月1日閲覧。
  30. ^ 映画 星に願いを。公式ホームページ”. 2014年5月3日閲覧。
  31. ^ a b 遺愛エピソード”. 2014年5月3日閲覧。
  32. ^ はこだてフィルムコミョション”. 2014年5月3日閲覧。
  33. ^ はこだてフィルムコミョション”. 2016年3月27日閲覧。
  34. ^ ポッキー坂恋物語 撮影日記”. 2014年5月3日閲覧。
  35. ^ 遺愛学院 公式サイト 北海道新幹線開業応援プロモーションビデオに出演!”. 2016年3月28日閲覧。
  36. ^ You Tube La, La, Love Youで踊ってみた! 北洋銀行✕雪ミク 北海道新幹線開業応援ムービー”. 2016年3月28日閲覧。
  37. ^ a b 国土交通省観光庁 公式ウェブサイト, 第7回観光庁長官表彰受賞者名簿(敬称略) pdf資料”. 2015年10月4日閲覧。
  38. ^ 国土交通省観光庁 公式ウェブサイト, 第7回観光庁長官表彰”. 2015年10月4日閲覧。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]