グラマースクール

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索

グラマースクール: grammar school)は、イギリスなどの英語を話す国の教育史における数個の異なった学校の一つである。現在この学校は中等教育を形成している。文法学校(ぶんぽうがっこう)ともいう。

中世のグラマースクールの当初の目的は、ラテン語を教えることにあった。時を経て、カリキュラムは広がり、初めは古代ギリシャ語や時にヘブライ語、後には英語などの欧州の言語が含まれ、同様に自然科学数学歴史地理学などの科目が含まれることになった。後期ビクトリア時代、グラマースクールは異なる制度を発展させていたスコットランドを除きイギリス全土で中等教育を施すために再編成された。こうしたグラマースクールは、異なった手法で発展させていた英国領で創設されたものでもある。

グラマースクールは1940年代半ばから1960年代後半までイングランドとウェールズで行われ北アイルランドで続く国立の中等教育の3部編成の教育制度の選択肢の一つとなった。1960年代から1970年代の非選択型の総合教育に移行するとともに、グラマースクールによっては殆どが廃止されるか総合教育学校化したとはいえ、私立学校化し授業料を徴収することになった。どちらもこの学校の多くは、名称に「グラマースクール」を残した。イングランドの一部では、3部構成の教育制度を維持し、別の総合学校形式を残しているグラマースクールも数校ある。現在のグラマースクールには16世紀以前にその歴史を辿れる学校がある。

初期のグラマースクール[編集]

中世以降グラマースクールはラテン語(後に他の古典的な言語)を教える学校であった。Scolae grammaticalesは14世紀まで広く使われる言葉ではなかったが、こうした学校は古くはカンタベリーのキングズ・スクール(597年創立)やロチェスターのキングズ・スクール(604年)のように6世紀から見られた。[1][2] グラマースクールはラテン語(教会の言語)を未来の神父や僧侶に教えるために大聖堂や修道院に付属していた。音楽と韻(礼拝式)、天文学や数学(教会の暦)、法律(管理)などの宗教活動に必要な他の科目は、時に応じて加えられた。[3]

ウィンチェスターカレッジの礼拝堂

12世紀からの古代の大学の創設とともにトリヴィウムの創設に見られるラテン語と共にグラマースクールはリベラル・アーツ教育の入口となった。生徒は通常14歳からグラマースクールで教育を受け、卒業後は更に教育を受けるために大学や教会を目指した。教会から独立した最初のグラマースクール(ウィンチェスター・カレッジ(1382年)やイートン・カレッジ(1440年))は、大学と密接に関わり、全寮制の学校として文字通り全国的な学校になった。[3][4] 対照的に中世の村落が創設した初期グラマースクールは、ブリッジノースが1503年に創立したブリッジノース・グラマー・スクールである。[5]

16世紀のイングランドの宗教改革で殆どの大聖堂付属の学校は閉鎖され、教会からの分離により新たに創設された学校に置き換わった。[3]例えばウェールズで最も古い現存の学校(ブレコンのクライストカレッジ(1541年創立)やバンガーのフリアーススクール(1557年))は、ドミニカの修道院の跡地に創立された。エドワード6世は治世に多くの学校に出資しグラマースクールの重要な出資者になり、ジェームズ1世アーマフのロイヤルスクールを始めとしてアルスターに多くの「ロイヤルスクール」を創立した。理論的にはこうした学校は全ての人に開かれ学費の払えない生徒には学費が免除されることになっていた。しかし、大半の貧しい子供は、子供の労働が経済的に家族を助けた為に入学できなかった。

スコットランドの宗教改革では、グラスゴー大聖堂聖歌学校(1124年創立)やエジンバラ教会グラマースクール(1128年)のような学校は、教会の管理から村落評議会の管理に移り、村落は新たな学校も創設した。

宗教改革後に聖書を学ぶことが重要視されるにつれて、多くの学校は、ギリシャ語と(中には)ヘブライ語を加えた。こうした言語を教えることは、ラテン語とラテン語に流暢な教師の不足による弊害を招来した。

16世紀から17世紀にかけてグラマースクールの設立は、例えばティヴァートンの裕福な商人ピーター・ブランデルが1604年に創立したブランデル・スクールのように貴族、豊かな商人、ギルドの寄付による公共の活動になった。こうした学校の多くは、生き残りをかけて毎年の「創立記念日」の行事で今も創立記念日を祝っている。通常は無料で土地の少年にラテン語(時にギリシャ語)を教える師匠の賃金を払うために寄付を募るために行われている。[6]

日中の教育は、大抵はラテン語の丸暗記であった。流暢に使えるようにするために校長によっては英語を話す生徒を罰するようにしていた。生徒が構文を可能にするには7年かかり、最終学年で翻訳を始めた。学習を終えるまでに偉大なラテン語の作家、劇、修辞学に完全に親しむようになる。[7]理数系の知識や手書きのような知識は、稀に教わったり公証人のような旅する専門家に教わることはあっても無視された。

1755年、サミュエル・ジョンソンは「辞書」でグラマースクールを習うべき言語が文法的に正しく教えられる学校と位置付けた。[8] しかしこの時期までにこうした言語の需要は大きく減少していた。新たな商業階級は、現代の言語と商業科目を必要としていた。[6]18世紀に創立されたグラマースクールの殆どは、算数と英語も教えた。.[9]スコットランドでは村落評議会がカリキュラムを更新し、アバディーングラマースクールのように名前だけは残しながらもここで言うグラマースクールは最早スコットランドには存在しない。.[10]

イングランドでは商業カリキュラムを求める都市の中産階級の圧力は、評議員(新たな学費を請求する)に支援されるが元の寄付により支援されながら校長により存在することも珍しくなかった。稀に1774年のマックルスフィールドグラマースクール法や1788年のボルトングラマースクール法のように特別な法律で環境が変えられることがあった。[6]リーズグラマースクールの評議員と校長の間のこうした争いから大法官庁裁判所の有名な事件がおきた。10年後エルドン卿(当時は大法官)は、1805年に「寄付の本質をかように変える権限はなく、ギリシア語とラテン語を除きドイツ語やフランス語、数学などを習う生徒にギリシア語とラテン語を教える目的で意図された学校の需要に応じることはない」と判決した。[11]科目によっては古典的な核に加えることが可能とした妥協案を示したが、この裁定はイングランドを通じてグラマースクールに限定的な先例を与えた。グラマースクールはついに終末を迎えたようであった。[3][9]

ヴィクトリア朝のグラマースクール[編集]

19世紀は財団法人立学校法で頂点に達した多くのグラマースクールへの改革があった。古典的な科目を残していることも珍しくないとはいえ、グラマースクールは以下の文学や科学のカリキュラムを学術的にグラマースクールに適応させて生き残った。

1840年のグラマースクール法は、古典的な科目を教えるより他の目的にグラマースクールの収入を当てることを合法化したが、変更は依然として校長の同意を必要とした。とかくするうちに全国の学校はラグビー校トーマス・アーノルドの改革に則って再編成し、鉄道の普及によりマールボロ・カレッジ(1843年)のように広範なカリキュラムを教える新たな寄宿学校ができた。大学入学を目指す最初の女子校は、北ロンドン学寮学校(1850年)とチェルテンハム女子大学(1858年にドロシア・ビールが任命されたことから)であった。[6][9]

1868年の公的に設立された学校法へと繋がるクラレンドン委員会を参考に先行する学校9校の評議員会を改革し、トーントン委員会は残る財団法人立学校782校を審査するために任命された。委員会は学校と現在の人口に齟齬を来しており学校数は特に制限されている女子向けの学校と共に大いに質に纏まりがないと報告した。[6][9]委員会の目的は、現在の目的に合わせてこうした学校を財団法人立にすることで全国的な中等教育の創設であった。その結果、1869年の財団法人立学校法が制定され、個々の学校の財団化に関する強力な権限のある財団法人立学校委員会を創設した。委員会は「ノーサンバーランドの男子校をコーンウォールの女子校に変更できる」と言われた。イングランドとウェールズ全域で少年に古典的な授業を無料で行う財団法人立学校は、少年や少女に広範なカリキュラムを教える学費を必要とする学校として(一部は競争的な奨学金付きで)再びモデル校化された。[6][9][12]

ヴィクトリア朝時代、古典的な核を残す学校も珍しくないものの現代的なカリキュラムのある新たな学校を創設するきちんとした教育受けさせようと子供達の為にセルフ・ヘルプが重要だとの熱心な大議論が起こり、そうした親がいた。こうした新たな学校は、公的に設立された学校を目指してカリキュラムや精神、方向性を真似し、歴史的な理由として「グラマースクール」を命名することも珍しくなかった。古い男子グラマースクールのある町に創立された女子グラマースクールは、「高等学校」と命名されることも珍しくない。

1907年の行政の行う教育法の下で補助金を受け取る学校は全て公的な小学校出身の生徒のために返還義務のない奨学金として最低25%を提供する必要があった。かようにグラマースクールは1944年までイングランドとウェールズの様々な教育制度の一翼を担っていた。[3][9]

3分岐型教育制度におけるグラマースクール[編集]

1944年の教育法は、イングランドとウェールズの全国的な国立中等教育を初めて創設し、1947年の北アイルランド教育法に反映された。3分岐型の教育制度を形成する3種の学校の一つが、グラマースクールと呼ばれ、現存するグラマースクールの学術面の精神を広めることが求められた。グラマースクールはイレブンプラスで選ばれた生徒のうち最も知力のあると思われる25%にカリキュラムを教えることを意図した。

マンチェスターグラマースクール、直接補助金を受けるグラマースクールで最も有名なグラマースクール

2種類のグラマースクールがこの制度の下で存在した。[13][14]

  • 完全な国立学校として「維持された」グラマースクール1200校余りがあった。古くからある学校もあったが、殆どは新たにヴィクトリア朝から創立されたり建設されたもので、古くからあるグラマースクールで見出される熱心な環境である勤勉さを模倣することが求められた。
  • 直接補助金を受けるグラマースクールが179校もあり、国の制度から生徒の4分の1から2分の1が入学を認められ、残りは親が授業料を支払う生徒から成った。こうした場合も、地元の当局からは相当に自由で、校長会議の一員であった。こうした学校には非常に古い学校が何校かあり、3分岐型教育制度に参加することが奨励された。直接補助金を受けたグラマースクールで最も有名な例は、ジェームズ卿を校長とするマンチェスターグラマースクールで、3分岐型教育制度最大の物怖じしない代弁者の一つであった。

グラマースクールの生徒は、国の制度における児童・生徒が受けられる最高の機会が与えられた。はじめは学校証明高度学校証明を目指して教育が行われたが、1951年にOレベル(普通レベル)やAレベル(上級レベル)における一般教育証明試験に取って代わった。対照的に近代中等教育学校における極少数の生徒は、1960年代に学術度の低い中等教育証明(CSEとして知られる)が創設されるまで公的な試験を受けた。[15]1960年代にロビンズ報告が実施されるまで公立学校やグラマースクール出身の子供達は、事実上大学入学を独占した。こうした学校はオックスブリッジへの入学試験を受けられる予備学校を提供する唯一の学校でもあった。

3分岐型教育制度は回覧10/651976年の教育法とともに1965年にイングランドとウェールズで全面的に廃止された。数校が閉校したが、殆どのグラマースクールは、近隣の総合学校を形成する他の数多の地元の学校と合併した。この過程はカウブリッジグラマースクールとしてこのような学校が閉鎖されると共にウェールズで急速に見られた。イングランドでは変化に抵抗するカウンティーや私立学校が何校かあり一様に実施されたわけではなかった。[16][17]

1975年の直接補助金を受けるグラマースクールに関する規程によりこうした学校は地元の当局の管理下で総合学校化するか学費で収入を賄う私立学校になるか選択を迫られた。51校が総合学校化し、119校が私立学校化し、5校が「制度の受け入れを拒否し独立した学校になったり閉校した」。[18]かように多くの学校は「グラマー」を冠しながら最早自由ではなかった。こうした学校は入学試験によりまた時に面接で生徒を選んでいる。

1980年代の終わりまでにウェールズのグラマースクール全てとイングランドの殆どの学校が、閉校したり、総合学校化した。(同じ時期にスコットランドで国立学校でなくなる選択も行われた。)多くのグラマースクールだった学校が、選択型を止めたとはいえ、何校かは校名に「グラマー」を残した。数校が1990年代に一部選択型か完全な選択型になったとはいえ、こうした学校の殆どは、総合学校のままでいる。

イギリスのグラマースクールの現状[編集]

今日「グラマースクール」は広くイングランドと北アイルランドの完全選択型の国立学校の一つを指す言葉になっている。

イングランド:地域差のある島[編集]

1995年の労働党大会で、デヴィッド・ブランケット(当時教育担当代弁人)は、労働党政権下での地域差をなくすことを約束した。しかし1997年の選挙向けマニフェストでは「グラマースクールの入学政策に関する変更は、地域の親により決定される」と約束した。[19]労働党政権の1998年の学校基準と枠組み法に基づき、グラマースクールは初めて法定教育により位置付けられることになった。[20][21]この法律は学校の選択を終わらせるための投票に向けた署名をどのように行うかも定義した。[22][23]署名活動は数箇所で始められたが、唯一有資格の親の20%の署名を集めた地域があり、この段階で投票を始める必要があった。[24]かように唯一投票が行われたのは、2000年のリポングラマースクールで、親は2対1で変革を拒否した。[25]こうした過程は、教育と資格に関する特別委員会から無駄で時間と資源の浪費と非難された。[26]

1998年の教育(グラマースクール投票)規定により明らかにされたグラマースクールの地域とグループ。LEAは丸印が孤立したグラマースクールが均衡の学校の一段を示しているとはいえグラマースクール地域が満たされていることを示しているとみなしている。

現在国立のグラマースクールが164校存在している。[27]数箇所で3部編成の教育制度に則り正式なグラマースクール制度を保っているに過ぎない。こうした地域では、グラマースクール教育の為に適当とみなされた子供の一部(約25%)をイレブンプラス試験で確認しているに過ぎない。グラマースクールにこうした生徒が入学しすぎれば、兄弟姉妹や距離、宗派といった基準が、選考に用いられる。こうした制度は、依然としてバッキンガムシャー、ラグビー、ウォーウィックシャーのストラットフォード地区、ウィルトシャーのソールズベリー地区、グラウセスターシャーのストラウド、リンカーンシャーとケント、メドウェイの殆どの地区にある。[28][29] 首都圏のトラフォードとウィラルの殆どの地域は、特別である。[30][31]

他の地域では、グラマースクールはロンドン郊外の村落数箇所に見られるように異なる包括的なカウンティーにおける主に非常に高度な特別な学校として存続している。LEAによっては、11歳の2%程度が、グラマースクールに入学可能である。この学校は大量の寄付金が要求され、入学試験でいくら払ったかによって奨学金が与えられる。執行表で上位に入ろうともする。[32]

主要政党のどこからもこれ以上の変更は提案されていない。左翼政党の多くが、特別な学校があることで包括的な構造を傷付けていると主張するが、労働党政権は地域の動きにグラマースクールに関する決定を委ね、いかなる決定も行っていない。更に政府の教育政策は、高度な基準の方法として提案された職業学校、高度学校、指針学校、同様の学校とともにある種の階層が中等教育に存在することを受容しているように見える。多くのグラマースクールは、この課程を特色とし、低い段階の選択が、職業学校で認められている。[33][34] 保守党員の多くは、グラマースクールの拡大を求めているが、2006年から党の政策は、バッキンガムシャーとケントのように人口が増えている特別な地域を除いて新たなグラマースクールを建設しない方針である。デビッド・ウィレッツ(陰の教育大臣)は、中産階級の親が、子供の試験を受けさせるために現在多額の投資をしているのでグラマースクールは最早貧困を背景にした階層の子供に与えられる機会を提供していないと主張している。[35]

北アイルランド:選択型の拡大[編集]

デリーのルメンクリスティカレッジ

総合型に移行する試みは(イギリスのその他の地域として)、北アイルランドの管理に移行することで延期されている。 その結果、依然として北アイルランドはイレブンプラスで入学する殆どの生徒とともにグラマースクールを残している。 1989年の「公開入学制度」改革からこの学校は(イングランドと違い)収容能力を引き上げる必要があり、増えてもいる。[36] 2006年までにグラマースクール69校が転校する生徒の42%を収容し、7%だけがその上位30%から取り込まれている。[37]

イレブンプラスは長く論争の的になり、北アイルランドの政党は、反対の姿勢をとってきた。11歳の進学先として統一論者はグラマースクールを擁護する方向に傾きがちであるのに、共和党員はイレブンプラスを廃止する方向に傾いている。民主統一党は2006年10月のセントアンドリュー合意の一環として州のグラマースクールの存続を保証するよう主張している。契約によりシン・フェイン党はイレブンプラスの廃止を保障していると主張し、続くいかなる制度も拒否するとしている。

最新のイレブンプラス試験は、2008年に行われた(2009年度入学試験)。 14歳で申し込む転校時点で、この後に学校の専門化と共にグラマースクールの将来の役割が示されるかもしれない。[38] しかしグラマースクール25校の協会が、2009年度共通入学試験を行うことを目指し、頂点に位置するカトリックの学校であるルメンクリスティカレッジも、独自の試験を行うことを計画している。[39][40]

イギリス以外のグラマースクール[編集]

グラマースクールはイギリス領の様々なところで創立され、この領土が独立した為に異なる発展を遂げている。

オーストラリア[編集]

19世紀中葉、富裕層が息子をイギリスの学校に送るために私立学校がオーストラリア植民地に創立された。 この学校はイングランドの公的に設立された学校を参考にし、「グラマースクール」と呼ぶことも珍しくなかった。[41] 初期の例にローンセストンチャーチグラマースクール(1846年)、パルトニーグラマースクール(1847年)、ジーロンググラマースクール(1855年)がある。 宗教に関係のないシドニーグラマースクール(1857年)やクイーンズランド州のグラマースクールを除けば、19世紀に創立されたグラマースクールは全てイングランド国教会(現在の豪州聖公会)に付属していた。 クイーンズランドでは1860年のグラマースクール法が州が支援する宗教に関係のないグラマースクールの設立を規定した。 10校が設立され、8校が残っている。[42] 少女のためのオーストラリア最初のグラマースクールは、ブリスベーン女子グラマースクール(1875年)で、まもなく他にも創立された。[43]

1920年代、ビクトリア連合グラマースクールの会員などの他の宗派のグラマースクールが創立され、この傾向は現在も続いている。 今日グラマースクールはクイーンズランド法令でのみ規定されている。 オーストラリアを通じて「グラマースクール」は総じて学費の高い私立学校である。 現代のイングランドのグラマースクールに相当するのは、選択型の学校である。

カナダ[編集]

オンタリオ州では1870年までグラマースクールは中等教育に当て嵌まった。

香港[編集]

香港ではグラマースクールは第一に伝統的なカリキュラムを受ける(職業科目と言うよりも)中等学校である。

アイルランド共和国[編集]

アイルランドの教育は、宗教が経営に関わっている。イギリスの宗教に関わるグラマースクールは、1871年にアイルランド国教会廃止されるまでのアイルランド国教会員の為に設立された。プロテスタントの学生の為に広く行われる私立学校として何校かが残っている。アイルランドの多くで疎らなプロテスタント人口の本質を与えるこの学校は、授業料が必要で寄宿生を収容することも珍しくない。このような学校にバンドン[44]、ドロギーダ(1956年よりクエーカーにより運営されている[45])、スリゴ[46]の学校がある。1967年9月にドノウ・オマリー大臣により共和国の包括的な中等教育の始めから設立された他の学校は、多くの国立コミュニティースクールやコミュニティーカレッジ、総合学校に吸収された以前の授業料の必要な学校が多く含まれている。例えば、コークグラマースクールはアシュトン総合学校に置き換わった。.[47]

シンガポール[編集]

シンガポールがイギリスの植民地だった時、ラッフルズ学園、ラッフルズ女子学校、カノッサ修道院、英中学校、メソディスト女子学校のような名門グラマースクールをイングランドの宣教師が創立した。1965年に独立すると、このような学校は全て単一の全国的な学校制度に統合されたが、多くは後に私立学校になるか自治権のある学校になった。

アメリカ合衆国[編集]

イギリスをモデルにしたグラマースクールは、1635年にラテングラマースクールとして創立されたボストンラテン学校を皮切りに植民地時代に創立された。[48][49] 1647年、マサチューセッツベイコロニーがグラマースクールを創立するのに少なくとも100世帯の郡区が必要とする法律を制定し、同様の法律が、他のニューイングランド植民地で続いた。この学校は初めは大学入学の準備として古典言語を若者に教えたが、18世紀中葉までに多くは実用的な科目を含むカリキュラムを拡大した。それにもかかわらず多くの実用的な学校から競争の為に人気が衰えた。「グラマースクール」の名前は、10歳から14歳の子供のための学校により採用され、後には小学校により採用されたが、現在は僅かに使われているのみである。.[50][51]

参照[編集]

  1. ^ W.H. Hadow (ed.) (1926). The Education of the Adolescent. London: HM Stationery Office. http://www.dg.dial.pipex.com/documents/hadow/26.shtml. 
  2. ^ Peter Gordon; Denis Lawton (2003). Dictionary of British Education. London: Woburn Press. 
  3. ^ a b c d e Will Spens (ed.) (1938). Secondary education with special reference to grammar schools and technical high schools. London: HM Stationery Office. http://www.dg.dial.pipex.com/documents/docs2/spens.shtml. 
  4. ^ Rev. T.A. Walker (1907–21). “Chapter XV. English and Scottish Education. Universities and Public Schools to the Time of Colet”. In A. W. Ward & A. R. Waller (eds). Volume II: English. The End of the Middle Ages. The Cambridge History of English and American Literature in 18 Volumes. http://www.bartleby.com/212/. 
  5. ^ J. F. A. Mason, The Borough of Bridgnorth 1157-1957 (Bridgnorth, 1957), 12, 36
  6. ^ a b c d e f Geoffrey Walford (1993). “Girls' Private Schooling: Past and Present”. In Geoffrey Walford (ed.). The Private Schooling of Girls: Past and Present. London: The Woburn Press. pp. 9–32. 
  7. ^ Educating Shakespeare: School Life in Elizabethan England”. The Guild School Association, Stratford-upon-Avon (2003年). 2008年10月1日閲覧。
  8. ^ Samuel Johnson (1755). A Dictionary of the English Language. 
  9. ^ a b c d e f Gillian Sutherland (1990). “Education”. In F. M. L. Thompson. Social Agencies and Institutions. The Cambridge Social History of Britain 1750–1950. vol. 3. pp. 119–169. 
  10. ^ Robert Anderson (2003). “The History of Scottish Education, pre-1980”. In T. G. K. Bryce, Walter M. Humes (eds). Scottish Education: Post-Devolution. Edinburgh University Press. pp. 219–228. ISBN 0748609806. 
  11. ^ J.H.D. Matthews; Vincent Thompson Jr (1897). “A Short Account of the Free Grammar School at Leeds”. The Register of Leeds Grammar School 1820-1896. Leeds: Laycock and Sons. http://uk.geocities.com/lgshistories/MatthewsHistory.html. 
  12. ^ J.W. Adamson (1907–21). “Chapter XIV. Education”. In A. W. Ward & A. R. Waller (eds). Volume XIV. The Victorian Age, Part Two. The Cambridge History of English and American Literature in 18 Volumes. http://www.bartleby.com/224/. 
  13. ^ Anthony Sampson (1971). The New Anatomy of Britain. London: Hodder & Stoughton. 
  14. ^ Paul Bolton (2009-01-02) (pdf), Grammar school statistics, House of Commons Library, http://www.parliament.uk/commons/lib/research/briefings/snsg-01398.pdf 2009年1月26日閲覧。 
  15. ^ The story of the General Certificate of Secondary Education (GCSE), Qualifications and Curriculum Authority.
  16. ^ Jörn-Steffen Pischke; Alan Manning (April 2006). Comprehensive versus Selective Schooling in England in Wales: What Do We Know?. Working Paper No. 12176, National Bureau of Economic Research. http://www.nber.org/papers/w12176 2008年3月19日閲覧。. 
  17. ^ Ian Schagen; Sandy Schagen (November 2001) (PDF). The impact of the structure of secondary education in Slough. National Foundation for Educational Research. http://www.nfer.ac.uk/publications/other-publications/downloadable-reports/pdf_docs/slsfinalreport.pdf 2008年3月20日閲覧。. 
  18. ^ "Direct Grant Schools". Parliamentary Debates (Hansard). House of Commons. 22 March 1978. col. 582W–586W. 
  19. ^ new Labour because Britain deserves better, Labour Party manifesto, 1997.
  20. ^ The Education (Grammar School Designation) Order 1998, Statutory Instrument 1998 No. 2219, UK Parliament.
  21. ^ The Education (Grammar School Designation) (Amendment) Order 1999, Statutory Instrument 1999 No. 2456, UK Parliament.
  22. ^ The Education (Grammar School Ballots) Regulations 1998, Statutory Instrument 1998 No. 2876, UK Parliament.
  23. ^ A guide to petitions and ballots about grammar school admissions”. Department for Education and Schools (2000年). 2008年10月1日閲覧。
  24. ^ Judith Judd (2000年3月28日). “Campaign against 11-plus is faltering”. The Independent. http://www.independent.co.uk/news/education/education-news/campaign-against-11plus-is-faltering-697931.html 
  25. ^ Grammar school ballots”. teachernet. 2008年10月1日閲覧。
  26. ^ Select Committee on Education and Skills Fourth Report”. UK Parliament (2004年7月14日). 2008年10月1日閲覧。
  27. ^ House of Commons Hansard, 16 July 2007: Columns 104W-107W, UK Parliament Publications & Records.
  28. ^ Admissions to secondary school 2009 booklet”. Kent County Council. p. page 4 (2009年). 2009年5月31日閲覧。
  29. ^ Admission to secondary school”. Medway Council. pp. pp12-13 (2009年). 2009年5月31日閲覧。
  30. ^ David Jesson (2000) (PDF). The Comparative Evaluation of GCSE Value-Added Performance by Type of School and LEA. Discussion Papers in Economics 2000/52, Centre for Performance Evaluation and Resource Management, University of York. http://www.york.ac.uk/depts/econ/documents/dp/0052.pdf 2008年3月19日閲覧。. 
  31. ^ Ian Schagen and Sandie Schagen (2001-10-19). “The impact of selection on pupil performance” (PDF). Council of Members Meeting. National Foundation for Educational Research. http://www.nfer.ac.uk/publications/other-publications/conference-papers/pdf_docs/schagen01.PDF 
  32. ^ Sian Griffiths (2007年11月18日). “Grammars show they can compete with best”. The Sunday Times. http://www.timesonline.co.uk/tol/life_and_style/education/article2889322.ece 
  33. ^ Richard Garner (2001年12月1日). “Anger over Labour's grammar school deal”. The Independent. http://www.independent.co.uk/news/education/education-news/anger-over-labours-grammar-school-deal-619464.html 
  34. ^ Clyde Chitty (2002-11-16). The Right to a Comprehensive Education. Second Caroline Benn Memorial Lecture. http://www.socialisteducation.org.uk/CB2.htm. 
  35. ^ Liz Lightfoot (2007年5月17日). “Tories turn against grammar schools”. The Telegraph. http://www.telegraph.co.uk/news/uknews/1551687/Tories-turn-against-grammar-schools.html 
  36. ^ Eric Maurin; Sandra McNally (August 2007) (PDF). Educational Effects of Widening Access to the Academic Track: A Natural Experiment. Centre for the Economics of Education, London School of Economics, Discussion Paper 85. http://cee.lse.ac.uk/cee%20dps/ceedp85.pdf 2008年4月4日閲覧。. 
  37. ^ Caitríona Ruane (2008年1月31日). “Education Minister's Statement for the Stormont Education Committee (PDF)”. 2008年4月4日閲覧。
  38. ^ “Minister Ruane outlines education reforms” (プレスリリース), Department of Education, Northern Ireland, (2007年12月4日), http://www.northernireland.gov.uk/news/news-de/news-de-041207-minister-ruane-outlines.htm 
  39. ^ Lisa Smith (2007年12月17日). “'Test' schools accept D grade pupils”. Belfast Telegraph. http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/education/article3258563.ece 
  40. ^ William Allen (2008年3月17日). “Top grammar plans own '11-plus'”. Belfast Telegraph. http://www.belfasttelegraph.co.uk/news/local-national/article3532649.ece 
  41. ^ David McCallum (1990). The Social Production of Merit: Education, Psychology, and Politics in Australia, 1900–1950. Routledge. ISBN 9781850008590. 
  42. ^ Grammar Schools Regulation 2004, Queensland parliament.
  43. ^ Marjorie R. Theobald (1996). Knowing Women: Origins of Women's Education in Nineteenth-century Australia. Cambridge University Press. ISBN 9780521420044. 
  44. ^ Bandon Grammar School: mission and ethos”. 2007年2月13日閲覧。 “Bandon Grammar School is a co-educational, boarding and day school founded in 1641, with an historic and valued association with the Church of Ireland.”
  45. ^ Religious Society of Friends (Quakers) in Ireland: Drogheda Grammar School” (2006年). 2007年2月13日閲覧。 “This year sees the 50th anniversary of Quaker involvement with Drogheda Grammar School. At the time a Quaker committee took over the running of the school...”
  46. ^ Sligo Grammar School: the school”. 2007年2月13日閲覧。 “The school is one of a small number of schools in the Republic of Ireland under Church of Ireland management”
  47. ^ Ashton School: history”. 2007年2月13日閲覧。 “Ashton School, as a comprehensive school, was founded in September 1972 when Rochelle School and Cork Grammar School merged on the Grammar School site.”
  48. ^ History of Boston Latin School”. 2008年9月13日閲覧。
  49. ^ “Boston Latin School”. Britannica Online Encyclopaedia. http://www.britannica.com/EBchecked/topic/74909/Boston-Latin-School 2008年9月13日閲覧。. 
  50. ^ Paula S. Fass, ed (2003). “Grammar School”. Encyclopedia of Children and Childhood in History and Society. New York: Macmillan Reference Books. http://www.faqs.org/childhood/Fa-Gr/Grammar-School.html 2008年9月13日閲覧。. 
  51. ^ See definitions of grammar school in most U.S. dictionaries.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]