甲陽高等商業学校

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甲陽高等商業学校
(甲陽高商)
創立 1940年
所在地 兵庫県西宮市
初代校長 伊賀駒吉郎
廃止 1948年[1]
後身校 なし
同窓会 甲陽学院同窓会

甲陽高等商業学校 (こうようこうとうしょうぎょうがっこう) は、1940年昭和15年) に設立された私立の旧制専門学校 (実業専門学校)。1944年工業専門学校に転換され甲陽工業専門学校となった後、1948年に廃止された。

本項では、改称後の旧制甲陽工業専門学校 (略称: 甲陽工専) についても記述する。

概要[編集]

  • 旧制甲陽中学校を経営する財団法人辰馬学院により、皇紀2600年を記念して設立された高等商業学校
  • 第二次世界大戦中に甲陽工業専門学校に転換され、機械科・造船科を設置した(戦後、工業経営科を増設)。
  • 戦後、新制中学校の創設に注力する方針のため、1945年度入学者の卒業を待って 1948年3月で廃止された。
  • 旧制高商・工専卒業者により、同窓会 「望洋会」 が組織されている (甲陽学院同窓会の一部)。

沿革[編集]

甲陽高等商業学校時代[編集]

  • 1939年11月16日:財団法人辰馬学院 評議員会、皇紀2600年記念事業として高等商業学校設立を議決。
    • 校地は辰馬家からの寄附による。
  • 1939年11月30日:文部省に高等商業学校設置認可を申請。
  • 1940年3月14日:専門学校令により甲陽高等商業学校設置認可 (文部省告示第202号)。
  • 1940年4月20日:仮校舎で第1回入学式。150名入学。
  • 1941年4月11日:香櫨園の新校舎に移転。
  • 1941年11月11日:校歌制定。『東に華城のさえぎあり』 (伊賀駒吉郎 作詞、福井直秋 作曲)
  • 1941年11月15日:新校舎落成式を挙行。
  • 1942年7月30日:甲陽高等商業学校報国団 (旧校友会)、団誌 『望洋』 創刊。
  • 1942年9月21日:高商第1回卒業式。121名卒業。

甲陽工業専門学校時代[編集]

  • 1944年2月25日:工業専門学校へ転換、甲陽工業専門学校設置 (文部省告示第205号)。
    • 本科(修業年限3年)に機械科・造船科を設置 (定員各100名)。
  • 1944年4月16日:工専第1回入学式。217名入学。
  • 1944年11月24日:校歌制定。『亜細亜の光 日の本の』(伊賀駒吉郎 作詞、橋本國彦 作曲)
  • 1945年6月5日:空襲で第5棟焼失。
  • 1945年8月6日:空襲で第4棟などに被害。
    • 当時、暁第19766部隊が校舎を使用しており、第4棟消火作業中に第3棟が被弾、隊員14名死亡・30数名負傷。
  • 1945年9月29日:高商第4期生(最終期生)卒業式。120名卒業。
    • 甲陽高商卒業生は 4期合計で 583名。
  • 1946年2月:財団法人辰馬学院、工専廃止の方針。
    • 工専生徒有志、理事長宅で翻意を直訴するも方針変わらず。
  • 1946年5月:1946年度から生徒募集を停止。
  • 1946年9月:本科に工業経営科を増設。
  • 1947年3月15日:工専第1回卒業。機械科77名・造船科82名。
  • 1947年4月1日:工専校舎に新制甲陽学院中学部(現・甲陽学院中学校) を新設。
  • 1948年3月5日:工専第2回卒業。機械科54名・造船科48名・工業経営科71名。
  • 1948年3月31日:甲陽工業専門学校、廃止。

歴代校長[編集]

  • 初代:伊賀駒吉郎(1940年4月 - 1946年3月2日死去)
    • 旧制甲陽中学校校長と兼任。
  • 第2代:宮富賢三(1946年5月? - 1948年3月)

著名な出身者[編集]

校地[編集]

甲陽高商創立時は、西宮市今津高潮町 (現・甲子園高潮町3丁目、ノボテル甲子園付近)の甲陽中学校別館を仮校舎として使用した。翌1941年に香櫨園地区・西宮市中葭原町5番地の新校舎が完成し、移転した。高商から転換した甲陽工専も引き続き同地を使用した。中葭原の校地は新制甲陽学院中学校に引き継がれた。

脚注[編集]

  1. ^ 後身の甲陽工業専門学校の廃止時

関連書籍[編集]

  • 山内英正(編)『甲陽高等商業学校・甲陽工業専門学校校史資料集』 辰馬育英会甲陽学院高等学校・甲陽学院中学校、2002年8月。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]