青柳進

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
青柳 進
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 福岡県久留米市
生年月日 (1968-07-09) 1968年7月9日(55歳)
身長
体重
180 cm
76 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 捕手
プロ入り 1986年 ドラフト3位
初出場 1989年4月30日
最終出場 2002年10月16日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

青柳 進(あおやぎ すすむ、1968年7月9日 - )は、福岡県久留米市出身の元プロ野球選手捕手)。

来歴・人物[編集]

福岡県久留米市出身。1984年4月西日本短期大学附属高等学校へ入学。同校硬式野球部には後にプロ入りする選手として同学年に後藤将和(亜大ダイエー)、1学年後輩に石貫宏臣柴原浩が在籍していた。1986年に2年生エース石貫とバッテリーを組み、四番打者として夏の甲子園に出場。1回戦で県岐阜商に完封負けを喫する[1]

1986年度ドラフト会議ロッテオリオンズからに3位指名を受けて入団。当時チームには袴田英利が正捕手として君臨していた為、なかなか一軍昇格の機会がなかった。

1990年には49試合に先発マスクを被る。その後は福澤洋一と併用される。

1992年には開幕から正捕手を務めるようになる。1992年4月には打率.397、2本塁打、11打点の好成績を残し月間MVPを初受賞する。

1994年にはに強肩が持ち味の定詰雅彦に定位置を譲った。

オフに内藤尚行との交換トレードでヤクルトスワローズへ移籍。そこでも古田敦也が不動の正捕手であったため正捕手の座は奪えず、青柳が守備に就くときと言えば、古田に万一の事態が起こった場合だけに等しかった。そんな中、自ら肩力の衰えを感じ、守備にも不安があることから、代打業に専念することを決意。

1997年にチームはリーグ優勝、そして日本シリーズで日本一を飾り、青柳も代打など陰から貢献した。しかし、日本シリーズには縁がなく、1995年の日本シリーズでは第3戦で代打で登場するも代打の代打を送られ、1997年・2001年もチームは日本シリーズに進んだが結局現役引退まで日本シリーズの出場はそれだけに終わった。1995年のシリーズに関してはスポーツニュースでも悲劇の選手として採り上げられ、その点を指摘された野村克也監督は「お前も戦力や」と説得して青柳を交替させたという。

ヤクルトで代打要員となってからは、代打成功率は4割以上をマーク。いつしか「代打の切り札」と呼ばれるまでになった。また、左右どちらにも打ち返す技術を身につけ、普段選手をあまり褒めることのない野村克也監督が「青柳は天才だ」とまで言わしめた程である。

2002年に現役を引退。現在は親会社のヤクルト本社で営業職を務めている[2]。2015年10月現在は直販営業部の部長[3]

エピソード[編集]

  • タレント藤岡久美子は、青柳に一目惚れしてマリーンズファンになったという。男前の顔立ちで、週刊ベースボールで「キューティ」というニックネームが付いた女性的な細身の顔立ちの福澤洋一共々女性人気が高かった。
  • ロッテ時代の応援歌はJITTERIN'JINNの「プレゼント」をアレンジしたもので、青柳が移籍・引退後15年以上が経った現在でも根強い人気がある(ヤクルト時代は移籍1年目のみ汎用歌だったが、2年目以降天理高校の応援歌「ワッショイ」を転用)。
  • 正捕手だった1991年アオヤギが原因とされたコレラ患者大量発生の騒動が起き、相手チームのファンから「コレラ」と野次られたことを週刊ベースボールで愚痴っていた。
  • 尾崎豊のファンであり、彼が亡くなった1992年4月25日の西武戦では本塁打1本を含む5打数5安打6打点と奮起した[4]

詳細情報[編集]

年度別打撃成績[編集]

















































O
P
S
1989 ロッテ 9 10 9 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 1 0 0 3 0 .222 .300 .333 .633
1990 87 216 181 18 41 9 1 6 70 20 0 2 5 2 27 0 1 54 3 .227 .327 .387 .714
1991 74 168 144 9 32 7 0 1 42 9 0 0 9 1 12 0 2 33 1 .222 .289 .292 .581
1992 107 362 322 38 79 16 1 9 124 41 0 0 10 1 26 0 3 84 8 .245 .307 .385 .692
1993 97 293 264 25 59 16 0 5 90 21 1 0 11 1 13 0 4 69 5 .223 .270 .341 .610
1994 51 82 76 8 19 3 0 2 28 12 0 0 1 1 3 0 1 20 0 .250 .284 .368 .652
1995 ヤクルト 4 5 5 0 1 0 0 0 1 0 0 0 0 0 0 0 0 1 0 .200 .200 .200 .400
1996 24 37 32 2 6 1 0 0 7 4 0 0 0 0 4 0 1 5 2 .188 .297 .219 .516
1997 28 28 27 4 8 3 0 0 11 5 0 0 0 0 1 0 0 10 1 .296 .321 .407 .729
1998 19 23 23 0 2 1 0 0 3 0 0 0 0 0 0 0 0 7 1 .087 .087 .130 .217
1999 48 71 68 6 21 8 0 3 38 21 0 0 0 1 0 0 2 16 2 .309 .324 .559 .883
2000 47 50 44 0 8 3 0 0 11 7 0 0 0 0 6 2 0 22 0 .182 .280 .250 .530
2002 1 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000 .000 .000
通算:13年 596 1346 1196 110 278 68 2 26 428 140 1 2 36 7 93 2 14 324 23 .232 .294 .358 .652

年度別守備成績[編集]


捕手 一塁 外野
試合 刺殺 補殺 失策 併殺 捕逸 守備率 企図数 許盗塁 盗塁刺 阻止率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率 試合 刺殺 補殺 失策 併殺 守備率
1989 9 13 0 1 0 0 .929 2 2 0 .000 - -
1990 76 327 24 0 2 8 1.000 46 35 11 .239 - -
1991 70 290 31 1 4 3 .997 39 26 13 .333 - -
1992 106 695 54 6 9 11 .992 86 70 16 .186 - -
1993 96 572 62 6 10 10 .991 113 79 34 .301 - -
1994 32 91 4 3 1 3 .969 14 13 1 .071 - -
1995 - - 2 0 1 0 0 1.000
1996 15 59 1 0 0 3 1.000 10 9 1 .100 1 0 0 0 0 ---- -
1997 1 2 0 0 0 0 1.000 0 0 0 ---- 4 6 1 1 2 .875 -
1998 8 25 1 0 0 1 1.000 2 2 0 .000 - -
1999 13 55 4 0 1 1 1.000 11 8 3 .273 - -
2000 7 23 0 0 0 0 1.000 1 1 0 .000 - -
通算 433 2152 181 17 27 40 .993 324 245 79 .244 5 6 1 1 2 .875 2 0 1 0 0 1.000

表彰[編集]

  • 月間MVP:1回 (野手部門:1992年4月)

記録[編集]

背番号[編集]

  • 59 (1987年 - 1993年)
  • 4 (1994年)
  • 44 (1995年 - 2002年)

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]