滝鼻卓雄

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
滝鼻 卓雄
(たきはな たくお)
生誕 (1939-08-14) 1939年8月14日(78歳)
日本の旗 東京府
(現・東京都
出身校 慶應義塾大学法学部卒業
職業 新聞記者実業家
肩書き 読売新聞グループ本社相談役
子供 滝鼻太郎(息子

滝鼻 卓雄(たきはな たくお、1939年8月14日 - )は、日本新聞記者実業家株式会社読売新聞グループ本社相談役、株式会社読売巨人軍最高顧問学校法人慶應義塾評議員

株式会社読売新聞東京本社社長、株式会社読売巨人軍オーナーなどを歴任した。

人物[編集]

生い立ち[編集]

都立西高を経て慶應義塾大学法学部政治学科卒業。大学在学中、新聞研究所(現・メディアコミュニケーション研究所)にも所属し、マスコミュニケーションを学ぶ。

読売新聞社[編集]

1963年4月、読売新聞社入社。社会部中心に記者として活動する。

2004年8月、明治大学一場靖弘投手(後に楽天ヤクルト)を巡る裏金事件で引責辞任した渡邉恒雄オーナーに代わり、第4代目の読売ジャイアンツオーナーに就任。ポスト渡邉をめぐって内山斉とライバル関係にあるとみられたが、親会社である読売新聞グループ本社などの役員を退任し、オーナー職に専念する形となった。

読売ジャイアンツ[編集]

巨人オーナー就任後は積極的にメディアに登場している。選手間で怪我人が続出した時には「東京ドームの屋根を取り払って天然芝の球場にしたい」などのファンの意見も取り入れた発言も行っている。

2011年3月11日に発生した東北地方太平洋沖地震東日本大震災)後、セ・リーグは全球団連名で「開催にあたっては原発問題、消費電力問題を含めて、政府、監督官庁などの指示に全面的に従っていきます」と発表した[1]。しかし、蓮舫節電啓発担当相がセ・リーグの3月29日開幕の見直しを求めたことに対して滝鼻は3月22日に「開幕はお上(政府)が決めることじゃない」と不快感を示した[2]

2011年6月7日、読売ジャイアンツオーナーを退任し、最高顧問に就任[3]

読売新聞入社後の略歴[編集]

  • 1963年 - 読売新聞社入社
  • 1990年 - 社会部長兼法務室長就任
  • 1996年 - 総務局長就任
  • 1998年 - 取締役社長室長就任
  • 2002年 - 読売新聞グループ本社取締役、読売新聞東京本社専務取締役総務・広報担当就任
  • 2003年 - 読売新聞東京本社取締役副社長・編集主幹就任
  • 2004年 - 読売新聞東京本社代表取締役社長・編集主幹就任
  • 2004年8月13日 - 読売ジャイアンツ取締役オーナー就任
  • 2007年 - 読売新聞東京本社代表取締役会長就任
  • 2009年 - 読売新聞グループ本社相談役、読売ジャイアンツ代表取締役オーナー就任
  • 2011年 - 読売ジャイアンツ取締役最高顧問就任

家族[編集]

2011年1月現在、息子の滝鼻太郎も社会部次長として読売新聞社に勤務している。

著書[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 被災地の皆様、ファンの皆様へ 日本野球機構 2011年3月17日
  2. ^ 朝日新聞 2011年3月22日
  3. ^ スポーツ報知 2011年6月7日

関連人物[編集]