麹町

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本来の表記は「麴町」です。この記事に付けられた題名は、技術的な制限により、記事名の制約から不正確なものとなっています。

麹町(こうじまち)は、東京都千代田区の地名。現在の麹町は旧麹町区にあたる麹町地域内で、新宿通りに沿って半蔵門から四谷見附までの細長い街区を形成している。郵便番号:102-0083

地理[編集]

麹町地域の西側に位置し、新宿区四谷)との区境にあたる。徳川家による江戸城建設以前は、大手町日比谷方面から局沢(つぼねざわ)を経由して半蔵門から四谷見附へ通じる甲州街道の前身となる古道があり、武蔵府中へ通じる重要な交通路となっていた。麹町通り(現新宿通り)は、複雑に浸食された麹町台地の中央にのびる尾根筋を一直線になるように造成されたもので[1]、道路の両側は人工的に谷頭を埋め立てたところが入り交じっており、麹町通りの沿道は、場所によって地盤が弱いところがある。しかし近世初頭の造成であるため、記録や絵図が残っておらず、総合的な地質調査も行なわれたこともないので、地形・地質の全貌はまだ明らかになっていない。

歴史[編集]

室町時代中期に熊野那智大社の御師が記録した「豊島名字書立」(米良文書)の江戸氏の一門の中に「江戸/こう方殿」という一族の名字が記載され、この「国府方」が麹町の古名であろうと推定されている。江戸から武蔵国府へ通じる中世の甲州街道の通過地点に立地していた。近年の発掘成果によれば、麹町から四ツ谷駅周辺にあった江戸時代の屋敷地跡から、味噌や麴を製造した手掘りの地下室である「室」(むろ)が数多く発見されており、文字通り麴の産地でもあったらしい。

徳川家康江戸城入場後に城の西側の半蔵門から西へ延びる甲州道中(甲州街道)沿いに町人地が形成されるようになり、半蔵門から順に一丁目から十三丁目まであった。このうち十丁目までが四谷見附の東側(内側)にあり、十一から十三丁目までは四谷見附造営の時に外濠をはさんだ西側に移された。

麹町は、江戸山の手を代表する人口密集地域であり、山王祭の時は、行列が四谷見附から半蔵門を通って将軍の上覧を経て竹橋に抜けるコースをとり、麹町からは唐人行列や、巨象の作り物が出されて評判となった。[2]

戦前の麹町区役所は麹町一丁目交差点北西角側に置かれていた。

1943年まで存在した麹町十一丁目、麹町十二丁目、麹町十三丁目は四谷区にあった[3]

麹町通りは、江戸時代には番町の旗本屋敷の消費生活を支える商業地として繁栄し、日本橋越後屋白木屋などと並び称された大型呉服店の岩城桝屋(いわきますや)が、現在の麹町四丁目北側に店を開いていた。また麹町五丁目の大和屋には、天保の改革の一環の失対事業として土蔵群が建設され、戦後の道路拡張工事で撤去されるまで威容を誇っていた。明治維新にともない、徳川家旗本が全て失職して屋敷を失い、多くが徳川宗家とともに静岡に移住してしまった後は、麹町通りの賑わいは急速に衰え、江戸時代から続く老舗も廃業したり移転したりした。その後しだいに番町に元勲や官僚をはじめ、政財界の有力者が邸宅を構えるようになり、麹町地区も1960年代までは商業地としての命脈を保った。

しかし、1968年に都電が廃止されると、麹町通りに沿って走る鉄道がなくなり、地下鉄の有楽町線麹町駅半蔵門線半蔵門駅が開業するまで、都市的な発展は停滞した。1970年代に新宿通りが拡幅され、古くからの町並みが一新されるとともに、麹町一帯はオフィス街に変貌し、商業地区としての性格は薄くなっている。その反面、人口の減少が甚だしく、町会活動の維持が難しくなっているところもある。

町名の由来[編集]

町内に「小路(こうじ)」が多かったためという説、幕府の麹御用を勤めた麹屋三四郎が住んでいたためという説もあるが、府中(ふちゅう)の国府(こくふ)を往来する国府街道の江戸における出入口であったため、つまりは国府路(こうじ)の町であったという説が有力である[4][5]

漢字表記[編集]

地名としての本来の表記は「麹」の印刷標準字体であるものの電子データ上では環境依存文字にあたり、電子データ上ではしばしば「麹」を使用しつつも、プレート・紙媒体等の印刷物・画像データ等には正式な表記を使用しているケースが多く見受けられる。地名だけではなく機関・企業・学校名などの名称にも本来の字体を採用していることも多い。

地域[編集]

機関
企業
教会
政党・政治団体

交通[編集]

鉄道
道路

麹町地域(麹町区)[編集]

概要[編集]

麹町1 - 6丁目のほか、おおむね内堀通り東京都道302号新宿両国線(靖国通り)・東京都道405号外濠環状線(外堀通り)で囲まれた範囲を指す。

歴史[編集]

1878年11月の郡区町村編制法によって東京の市街地に15区が編制された際に、麹町(四谷見附以西の十一から十三丁目までを含む)は番町地区や永田町霞が関日比谷地区、江戸城内濠内の宮城(きゅうじょう:皇居)・丸の内大手町などとともに麹町区となった。1880年9月に麹町十一から十三丁目までは四谷区に編入。(この麹町十一から十三丁目までは1943年に町名変更し、以降現在の四谷一丁目および二丁目の各一部となった。1889年5月1日の市制施行により麹町区は東京市の区となる。宮城や官庁街を擁する国政の中枢であり、また東京府庁や東京市役所も位置した麹町区は東京15区(1932年の市域拡張後は35区)の筆頭に位置付けられていた。

1947年神田区と合併し、千代田区となった。

麹町および番町住居表示が行われていない。- 住居表示実施前後の町名町域の対照を参照。

地域[編集]

著名出身人[編集]

関連項目[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 江戸城に一旦危急がある時は、将軍一行が半蔵門四谷見附を通って甲府へ退避することが考慮されていたと言われる。
  2. ^ 作り物の象が半分しか入らなかったので「半象門」と呼ぶようになったというのが、古くから麹町地域で好まれた俗説である。現在でも旧麹町区日枝神社氏子地域を統括する「糀町惣町睦会(こうじまちそうちょうむつみかい)」が結成され、山王祭の山の手側の担い手として活発な活動を続けている。
  3. ^ 『戦前 昭和東京散歩』人文社掲載の昭和16年時点の地図による。ISBN 978-4-7959-1294-6。1943年にこれらは四谷一丁目、四谷二丁目の各一部になっている。麹町地区全体は日枝神社の氏子区域であるが、現在でも新宿区四谷一丁目は日枝神社須賀神社の両方の氏子区域となっており、山王祭では四谷一丁目まで鳳輦が巡幸する。
  4. ^ 町名由来板:麹町一丁目 千代田区
  5. ^ 町名由来板:麹町二丁目 千代田区

外部リンク[編集]