九段北

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九段北(くだんきた)は、東京都千代田区町名で、現行行政地名は九段北一丁目から九段北四丁目。住居表示実施済み区域である。郵便番号は102-0073。

町会は九段一~四丁目全てがそれぞれ南北合同で結成されている。

地理[編集]

東京都千代田区の北西部に位置し、靖国通りに沿って九段下駅から市ケ谷駅までの細長い街区を形成している。

町域の西は新宿区市谷田町)との区境にあたる。麹町地域(旧麹町区)に属する。千代田区内では東部は西神田神田神保町、南部は靖国通りを境に九段南、北部は富士見飯田橋にそれぞれ接する。南側の北の丸公園とは近接するが境界線は接していない。当地中央部の二丁目から三丁目にかけて靖国神社の境内地が広がっている。歴史のある学校や、高層建造物が集まっている。一般住宅も少数だが見られる。

九段北一丁目[編集]

最東部。通称「九段下」。九段下駅の出口があり、学校や高層建造物が多く集まる。宅地も見られる。

九段北二丁目[編集]

通称「九段上」。靖国通りと平行して靖国神社の参道がある(本殿は九段北三丁目。参道は明治時代には馬場として使われ、「外苑」と呼ばれた)。町域はほとんど靖国神社と学校で占められる。

九段北三丁目[編集]

靖国神社の本殿、拝殿、遊就館、相撲場などがあり、「大妻通り」の入口に向かって南門が開かれる。[5]神社境内と三輪田学園中学校・高等学校、九段電話局、法政大学でほとんどの町域が占められる。

九段北四丁目[編集]

最西部。一口坂・新見附・市ケ谷駅を頂点とする三角地帯。靖国通りに面して高層建造物が多く、裏手にはマンション・官舎が多い。新見附から市谷見附に続く外壕公園の土手の ソメイヨシノは昭和初期に植えられたもので、都心の桜並木としては古木に属し、開花の時期にはみごとな景観を現出する。

歴史[編集]

「九段」という町名は、震災復興計画の中で靖国通りが拡幅・完成した後、1933年7月に初めて設置されたものである。それ以前は、九段北一丁目は飯田町、九段北二丁目は富士見町二丁目、九段北三丁目は三番町・四番町・富士見町三丁目の一部、九段四丁目は三番町・四番町の一部であった。 1966年に、新住居表示が施行され、九段各丁目は靖国通りを境にして南北に分けられた。しかし住民の町会活動は南北合同で運営されている。靖国神社境内の無人地帯をはさむことから、九段一丁目とそれ以外の坂上の町内との人的交流は少なく、また一・二丁目が築土神社、三・四丁目が日枝神社の氏子地域であることから、祭礼も別々になっている。

靖国通りの南側(九段南二~四丁目)が歓楽街(花街)や商店街として賑わっていたのに対し、北側(九段北二~四丁目)の奥は閑静な住宅地であり、戦前は学生下宿や庶民的な住宅が多かった。靖国通りを走る都電が廃止された1970年以後、一口坂周辺にあった町の中心が市ケ谷駅の方に移動した。その後、地下鉄が相次いで開通したことから、現在では、九段の町の重心は市ケ谷駅九段下駅の両端に移っている。

交通[編集]

鉄道
バス
道路

関連項目[編集]

外部リンク[編集]

  1. ^ 平将門を祭神とし、中世は大手町の将門首塚の辺「上平川村」にあったという古社。田安台(田安門付近)に移った後、江戸城築造にともない筑土八幡町に移され、筑土八幡社と並んでいた。戦災で焼失した後、九段中坂中腹の世継稲荷の境内地に移って現在にいたる。九段一・二丁目、飯田橋、富士見、船河原町(新宿区)を氏子区域とする。
  2. ^ 九段坂の北側に平行し、 築土神社に面する坂。坂を下って日本橋川に達する手前に滝沢馬琴の旧居跡があり、「馬琴の井戸」が残る。江戸時代から人気のない坂であったため、地元の口碑では、ここでのっぺらぼうが出たという。
  3. ^ 陸軍将校の共済・社交施設。九段坂に面して威容を誇ったが、戦後、敷地は住宅公団本部(今は移転)や実践倫理宏正会本部となり、偕行社は九段南四丁目に移っている。
  4. ^ 靖国神社外苑のソメイヨシノは、1958年頃、東京新聞社の寄付によって植えられたものである。
  5. ^ 出入口は昔からあったが、木造の南門および左右に伸びる築地塀は、戦後の1950年代に新設されたものである。近年、南門は初詣やみたままつりなどの人出の多い時期に閉鎖されることが多く、神社と地元とのつながりが希薄になっていることを示している。