神田松永町

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神田松永町
—  町丁  —
神田松永町(1)
神田松永町の位置(東京23区内)
神田松永町
神田松永町
神田松永町の位置
座標: 北緯35度41分58.78秒 東経139度46分30.18秒 / 北緯35.6996611度 東経139.7750500度 / 35.6996611; 139.7750500
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chiyoda, Tokyo.svg 千代田区
地域 神田地域
人口 (2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 - 計 57人
等時帯 日本標準時 (UTC+9)
郵便番号 101-0023[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川
神田松永町(2)

神田松永町(かんだまつながちょう)は、東京都千代田区町名住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は101-0023[2]

地理[編集]

千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、台東区秋葉原に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に台東区台東一丁目、千代田区神田和泉町にそれぞれ接する。南部は千代田区神田佐久間町一丁目に接する。南西部は千代田区神田花岡町に接する。西部は千代田区神田相生町神田練塀町に接する。神田松永町は秋葉原駅付近の昭和通り沿いの一角で、主に商業地として利用される。

歴史[編集]

元禄11年(1698年)、現・外堀通りが現・鎌倉橋から数寄屋橋にかけての区間で拡幅工事が行われ、神田鎌倉町(現・千代田区内神田二丁目南部)から京橋西紺屋町(現・中央区銀座西縁)にかけての15ヶ町で道路沿いの土地が召し上げられた。翌年5月8日住民は神田佐久間町北側に代地を与えられ、神田松永町が成立した。享保年間にこの場所が火除地となり、北側の徒士組屋敷跡に移転した。江戸時代外神田一帯は町域が複雑に入り組んでおり、神田松永町も3箇所に散らばって存在し、北から大通・中通・片町と呼ばれた。

明治2年(1869年)11月の火災で中通・片町を含む一帯が火除地となり、明治7年(1874年)神田花岡町に編成された。住民は小倉藩小笠原家中屋敷跡に移転し、周囲の町と合併して神田栄町となった。明治5年(1872年)北に延びる御徒町と呼ばれる武家地の一部を編入し、南北に長い町域となった。昭和18年(1943年)北端が下谷区に編入され、後に台東区秋葉原となった。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
神田松永町 28世帯 57人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。[5]

番地 小学校 中学校
全域 千代田区立和泉小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校

交通[編集]

町域内に鉄道駅はないが、南側すぐのところに秋葉原駅がある。

施設[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). 2018年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月2日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
  4. ^ 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
  5. ^ 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。

外部リンク[編集]