神田東紺屋町

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神田東紺屋町
神田東紺屋町の位置(東京23区内)
神田東紺屋町
神田東紺屋町
神田東紺屋町の位置
北緯35度41分35.33秒 東経139度46分28.93秒 / 北緯35.6931472度 東経139.7747028度 / 35.6931472; 139.7747028
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Tokyo Prefecture.svg 東京都
特別区 Flag of Chiyoda, Tokyo.svg 千代田区
地域 神田地域
人口
2017年(平成29年)12月1日現在)[1]
 • 合計 69人
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
101-0034[2]
市外局番 03[3]
ナンバープレート 品川

神田東紺屋町(かんだひがしこんやちょう)は、東京都千代田区町名住居表示は未実施。「丁目」の設定のない単独町名である。郵便番号は101-0034[2]

地理[編集]

千代田区の北東部に位置し、神田地域に属する。町域北部は、神田東松下町に接する。東部は昭和通りに接し、これを境に岩本町に接する。南端は神田紺屋町2町域に分かれたうちの南部)に接する。西部は神田北乗物町・神田紺屋町(2町域に分かれたうちの北部)に接する。神田東紺屋町は神田駅東口方面の商業地の一角を占める。

歴史[編集]

江戸時代、この界隈(かいわい)は、町人と武士の屋敷が混在している地域であった。 このあたりにあったのは、神田紺屋町三丁目(かんだこんやちょうさんちょうめ)、神田紺屋町一丁目代地、本銀町会所屋敷(ほんしろがねちょうかいしょやしき)、神田佐柄木町(かんださえきちょう)代地、永富町二丁目(ながとみちょうにちょうめ)代地といった町々でした。 明治二年(1869年)、これらの町が合併して「東紺屋町」となる。 明治五年(1872年)には、町の北側にあった、江戸時代前期から続く武家地の一角も編入されています。通称「お玉が池」と呼ばれていた。 「紺屋」という町名は、江戸時代から明治時代にかけて、紺屋頭(がしら)の拝領地であり、藍染(あいぞめ)職人が住んでいて、染物業が盛んであったことに由来している。 昭和二十二年(1947年)、神田区麹町区(こうじまち)が合併して千代田区が成立すると、町名の頭に「神田」が付き、神田東紺屋町となる。その後、昭和四十年(1965年)の住居表示の実施にともなって、神田東紺屋町の一部は神田松枝町(かんだまつえだちょう)、神田大和町(かんだやまとちょう)、神田東松下町(かんだひがしまつしたちょう)の一部、神田元岩井町(かんだもといわいちょう)の一部と合併して、岩本町二丁目(いわもとちょうにちょうめ)となり、現在に至る。

世帯数と人口[編集]

2017年(平成29年)12月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]

町丁 世帯数 人口
神田東紺屋町 57世帯 69人

小・中学校の学区[編集]

区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[4]。なお、千代田区の中学校では学校選択制度を導入しており、区内全域から選択することが可能。[5]

番地 小学校 中学校
全域 千代田区立千代田小学校 千代田区立麹町中学校
千代田区立神田一橋中学校

交通[編集]

地内に鉄道駅はないが、町域西部では神田駅、南部では総武快速線新日本橋駅が、東部では東京メトロ日比谷線小伝馬町駅がそれぞれ利用可能である。

施設[編集]

脚注[編集]

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  1. ^ a b 町丁別世帯数および人口(住民基本台帳)”. 千代田区 (2017年12月6日). 2018年1月2日閲覧。
  2. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年1月2日閲覧。
  3. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年1月2日閲覧。
  4. ^ 区立小学校の通学区域”. 千代田区 (2017年8月17日). 2018年1月2日閲覧。
  5. ^ 区立中学校の通学区域と学校選択”. 千代田区 (2017年10月26日). 2018年1月2日閲覧。
  6. ^ 2016年夏頃まではここで首都圏の営業拠点となっていたが、2016年秋に日本橋東京建物日本橋ビル6階に移転した。
  7. ^ 日本メナード化粧品企業ホームページ・営業拠点より

外部リンク[編集]