外濠公園
| 外濠公園 | |
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千代田区立 外濠公園 (2018年6月26日撮影) | |
| 所在地 |
東京都千代田区 |
| アクセス | 飯田橋駅、市ケ谷駅、四ツ谷駅 各徒歩2~5分 |
外濠公園(そとぼりこうえん)とは、東京都千代田区(一部新宿区)にある公園である。
江戸城外濠の土手や濠の跡を利用して作られており、濠に沿ってJR中央線飯田橋駅付近から四ツ谷駅南側までの約2kmにわたって細長く続く。江戸城外堀としては往時の姿をそのままに残す国指定の史跡である。
概要
[編集]JR中央線の飯田橋駅付近から四ツ谷駅付近までに残る、かつての江戸城外濠(牛込濠、新見附濠、市ヶ谷濠)の千代田区側に位置している。
外濠の北東側には飯田橋駅付近から四ッ谷駅南側にかけて、外濠から中央線の線路を挟んで土手上に遊歩道が続いている。ただし、新見附橋付近、市ケ谷駅付近、四ツ谷駅付近でそれぞれ街路により分断されている。
また、四ツ谷駅西側には「外濠公園総合グラウンド」として、かつて濠があった場所にナイター設備や観客席を備えた野球場やテニスコートなどの運動施設が設置されているが、ここと他の部分はJR中央線の線路で隔てられている。分断されている部分の間は徒歩数分以内で行き来できる。四ツ谷駅付近は「無番地」の地(区域としては新宿区四谷1丁目)としても知られる。
公園付近にはオフィスや学校が多く、散策以外にも通勤通学、昼の休憩にも利用されている。また、公園内には桜の木が多く、花見の名所としても有名である。例年シーズン中には千代田区によって、花見客向けに仮設の分別ゴミ捨て場が何箇所かに設置されている。
歴史
[編集]江戸城総構えの外周をなす外濠の土手は形式的とはいえ軍事施設と位置付けられており、明治維新以降も「此土堤ニ登ルベカラズ、警視庁」と記された高札が設置され、立ち入りが禁止されていた[1][2]。
しかし1921年に法政大学が牛込濠端(現在の市ヶ谷キャンパス所在地)に移転して以来、禁を破って土手に入り込む同大学生が後を絶たず、警察官が出動し学生との小競り合いが生じる例が後を絶たなくなった[1]。事態を重くみた法政大学は、校友であった東京市会議員の協力を得て東京市(当時)に対して「外濠の土手開放」を強く求め、地元住民と連名で東京市に「公園設置願」を提出[2]。その結果、1927年(昭和2年)8月31日に大学最寄の牛込駅から新見附の間が「土手公園」という名で市民に開放された。現在も「東京市 外濠公園」の石標が、新見附橋付近の公園入り口に残されている[2]。その後、公園の範囲を拡大し「土手公園」の名称は1933年に現在の「外濠公園」に改称され[2][3]、現在の状態に至っている。
このような経緯を経ていることから「外濠を憩いの場として活用できるようにしたのは法大生であった」とされる[2]。
アクセス
[編集]- 東京逓信病院付近の公園内。すぐ右側が中央線、さらにそのすぐ右に外濠
- 市ケ谷駅付近から外濠(新見附濠)方向を臨む。右側から中央にかけて伸びる中央線線路の上に、左右に伸びている木々が外濠公園の木々である
- 飯田橋駅付近の外濠公園から外濠(牛込濠)方向を臨む
- 「東京市 外濠公園」の銘柱
脚注
[編集]- 1 2 『法政大学八十年史』法政大学、1961年8月1日、521頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 1 2 3 4 5 「法政大学の学生たちと住民の要望で生まれた「外濠公園」」『法政大学』。
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- 「議第七十八號 東京市區改正設計土手公園變更ノ件」『都市計画東京地方委員会議事速記録 第四號』都市計画東京地方委員会、1932年12月21日、174-176頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 「議第七十八號 東京市區改正設計土手公園變更ノ件」『都市計画東京地方委員会議事速記録 第四號』都市計画東京地方委員会、1932年12月21日、386-442頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- 「内務省告示第七十六號」『都市計画東京地方委員会議事速記録 第四號』都市計画東京地方委員会、1933年3月23日、541頁。 - 国立国会図書館デジタルコレクション