千代田区立番町小学校
千代田区立番町小学校 | |
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![]() 正門 (2018年6月26日撮影) | |
過去の名称 |
東京府小学第二校 文部省小学第二校 第一大学区第三中学区第一番小学 番町学校 番町学校 番町尋常高等小学校 東京市番町尋常小学校 東京市番町国民学校 東京都番町国民学校 千代田区立千代田番町小学校 |
国公私立の別 | 公立学校(区立) |
設置者 |
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設立年月日 | 1871年(明治4年)12月4日 |
開校記念日 | 12月4日 |
共学・別学 | 男女共学 |
所在地 | 〒102-0085 |
東京都千代田区六番町8番地 | |
外部リンク | 公式サイト |
プロジェクト:学校/小学校テンプレート |
千代田区立番町小学校(ちよだくりつ ばんちょうしょうがっこう)は、東京都千代田区六番町にある公立小学校。東京都に現存する中で最も古く長い歴史を持つ小学校の1つである。[1]
概要[編集]
1871年(明治4年)創立。学制発布以前に設立された伝統校、東京府小学六校(いわゆる官立六校)のうち、1870年(明治3年)6月13日に、市谷八幡町の洞雲寺境内に設けられた小学第二校が番町小学校の前身にあたる。翌1871年12月4日、文部省直轄の小学第二校[2]と改称されたときが創立記念日になっている。
太平洋戦争(大東亜戦争)前には、府立一中や府立四中、高師附属中などの上級学校への進学率が高い学校であった。
敗戦後の1947年(昭和22年)4月1日、学校教育法の施行にともない、現在の校名に改称された。以来、本校経由 麹町中学校 - 日比谷高校 - 東京大学と進学することが「日本のエリート」の代名詞となった[3]。現在も、誠之小・麹町小などと共に名門小学校として知られ[4]、小学校「御三家」と括られることもある[5]。
かつては、都立日比谷高はじめ第一学区の都立高等学校への進学を念頭に、学区外からの越境通学者は後を絶たず、膨大な数に膨れ上がった[6]。今日においても麹町中学はじめ名門公立中学への進学者の他、中学受験での難関校への進学者も多く、越境通学者数も多分に漏れない。
創立記念式典[編集]
官立校として設立された経緯と、東京の中心千代田区にある関係から、日本の公立小学校の代表として、創立80周年(1951年)には昭和天皇、創立90周年(1961年)には皇太子、創立100周年(1972年)[7]には昭和天皇・皇后夫妻、創立110周年(1981年)には皇太子・皇太子妃夫妻、創立120周年(1991年)には皇太子を迎えて創立記念式典が挙行された。以後、創立記念行事は中断していたが、創立140周年(2011)に皇太子を迎えて20年ぶりに創立記念式典が復活、挙行された。
2021年に創立150周年を迎える。
- 小学校の児童数と教員数[8]
年度 | 児童総数 | 1年生 | 2年生 | 3年生 | 4年生 | 5年生 | 6年生 | 教員数 | 職員数 |
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平成25年 | 355人 | 58人 | 54人 | 49人 | 67人 | 59人 | 68人 | 22人 | 3人 |
平成26年 | 353人 | 61人 | 61人 | 54人 | 48人 | 68人 | 61人 | 19人 | 3人 |
平成27年 | 353人 | 61人 | 62人 | 61人 | 53人 | 49人 | 67人 | 20人 | 2人 |
平成28年 | 360人 | 69人 | 63人 | 61人 | 65人 | 53人 | 49人 | 24人 | 2人 |
平成29年 | 378人 | 59人 | 70人 | 65人 | 64人 | 65人 | 55人 | 26人 | 2人 |
平成30年 | 404人 | 62人 | 64人 | 71人 | 67人 | 71人 | 69人 | 25人 | 3人 |
令和元年 | 405人 | 67人 | 61人 | 66人 | 73人 | 68人 | 70人 | 24人 | 3人 |
著名な出身者[編集]
- 広津柳浪(明治10年度卒) - 作家
- 狩野亨吉(明治11年度卒) - 教育者、一高校長、京都帝国大学文科大学初代学長
- 野口寧斎(明治11年度頃) - 漢詩人(「あゝ世は夢か幻か」…麹町臀肉切事件関係者)
- 木村駿吉 - 海軍電信の先駆者、日露戦争の勝利に貢献
- 芳賀矢一(明治12年度卒) - 国文学者
- 大町桂月(明治15年度卒) - 作家
- 樋口伊都羽(明治19年度卒) - 辛子明太子の祖
- 伊東忠太(明治20年度卒) - 建築家
- 中村春二(明治23年度卒) - 教育者、成蹊学園創立者、父・秋香は本校校歌を作詞
- 大熊喜邦(明治24年度卒) - 建築家
- 塩野季彦(明治26年度卒) - 司法大臣、大審院 検事局次長
- 武林無想庵(明治27年度卒) - 作家
- 入江貫一(明治27年度卒) - 官僚
- 守山恒太郎(明治27年度卒) - 野球殿堂入りした伝説の一高投手
- 梅崎延太郎(明治27年度卒) - 陸軍中将
- 仙波安芸(明治27年度卒) - 陸軍中将
- 草刈思朗(明治27年度卒) - 陸軍中佐、陸軍航空部の先駆者
- 守屋東(明治29年度卒) - 教育者、女性運動家
- 多忠朝(明治29年度卒) - 雅楽師、宮内省楽部、神楽歌を多数作曲
- 坪内士行(明治30年度卒) - 劇評家、宝塚歌劇団の創立者の一人
- 向井忠晴 - 実業家、大蔵大臣
- 林大八(明治31年度卒) - 陸軍少将、第一次上海事変で戦死
- 山川菊栄(明治33年度卒) - 女性運動家、評論家
- 三宅やす子(明治33年度卒) - 文筆家、三宅艶子の母、三宅菊子の祖母
- 恩地孝四郎(明治34年度卒) - 版画家
- 多忠亮(明治39年度卒) - 音楽家
- 湯河元威(明治43年度卒) - 官僚
- 奥野信太郎 - 中国文学者、随筆家、慶應義塾大学教授
- 網野菊(明治45年度卒) - 作家
- 深谷伊三郎(明治45年度卒) - 灸師、深谷灸法の祖
- 丹下富士男(大正2年度卒) - 画家、一陽会創立会員
- 神西清(大正4年度卒) - ロシア文学者
- 蘆原英了(大正8年度卒) - 音楽家、音楽評論家
- 中村伸郎(大正9年度卒) - 俳優
- 大橋進(昭和3年度卒) - 最高裁判所裁判官
- 芦原義信(昭和5年度卒) - 建築家
- 中村正弘(昭和5年度卒) - 数学者、大阪教育大学教授、推理作家(筆名・天城一)
- 三根谷徹(昭和6年度卒) - ベトナム語学者、東京大学教授、学士院賞受賞
- 山地三平(昭和6年度卒) - 実業家、太平洋海運会長、長年にわたり同窓会長を務めた
- 三川泉(昭和8年度卒) - 能楽師
- 沼波万里子(昭和8年度卒) - 歌人
- 江橋節郎(昭和9年度卒) - 薬理学、分子生物学、東京大学教授、文化勲章受章者
- 中田喜直(昭和10年度卒) - 作曲家
- 吉行淳之介(昭和10年度卒) - 作家
- 福田平(昭和10年度卒) - 刑法学者
- 三輪正弘(昭和11年度卒) - 建築家、インテリアデザイナー、武蔵野美術大学教授、
- 矢牧一宏(昭和12年度卒) - 編集者
- 三輪史朗(昭和13年度卒) - 血液学、東京大学教授、学士院賞受賞
- 胡暁子(長瀬昭子)(昭和13年度卒) - シンガポールの実業家・慈善家、タイガーバームの3代総裁・胡一虎夫人
- 大鷹弘(昭和14年度卒) - 外交官、駐ミャンマー大使、山口淑子の夫、大鷹正と双子の兄弟
- 大鷹正(昭和14年度卒) - 外交官、駐オランダ大使・駐チェコ大使・迎賓館長、大鷹弘と双子の兄弟
- 顔恵民(昭和15年度卒) - 台湾の実業家、一青窈・一青妙の父
- 大國昌彦(昭和16年度卒) - 経営者、王子製紙会長
- 降旗健人(昭和16年度卒) - 国際デジタル通信社長、伊藤忠商事副社長
- 藤室衛(昭和17年度卒) - 真空管、無線研究者
- 衛藤駿(昭和17年度卒) - 美術史家、慶應義塾大学教授
- 篠原有司男(昭和18年度卒) - ニューヨーク在住の前衛芸術家
- 藤井宏昭(昭和20年度卒) - 外交官、駐英大使・外務省官房長、国際交流基金理事長
- 池上明哉(昭和20年度卒) - 倫理学、慶應義塾大学教授
- 股野景親(昭和21年度卒) - 外交官、駐スウェーデン・ベトナム大使
- 吉行和子(昭和22年度卒) - 女優、吉行淳之介の妹
- 井上智雄(昭和25年度卒) - 実業家、発明家、巴川製紙所取締役
- 吉行理恵(昭和26年度卒) - 詩人、 吉行淳之介の妹
- 市川猿翁 (2代目)(昭和26年度卒) - 歌舞伎俳優
- 草刈隆郎(昭和26年度卒) - 経営者、日本郵船会長、経団連副会長
- 市川靖子(昭和28年度卒) - 女優、市川猿翁 (2代目)の妹、市川段四郎 (4代目)の姉
- 中村照夫(昭和29年度卒) - ジャズベーシスト、アメリカ在住
- 小和田哲男(昭和30年度卒) - 歴史家、静岡大学名誉教授
- 新井巌(昭和30年度卒) - コピーライター、前同窓会長
- 秀島一生(昭和32年度卒) - 航空評論家
- 市川段四郎 (4代目)(昭和33年度卒) - 歌舞伎俳優
- 田中信明(昭和33年度卒) - 外交官、ユネスコ・国際連合事務次長を歴任
- 山根一眞(昭和34年度卒) - ノンフィクション作家
- 山本コウタロー(昭和35年度卒) - 歌手、タレント
- 岩瀬裕全(昭和36年度卒) - 東曹産業取締役社長、同窓会長
- 岡田裕介(昭和36年度卒) - 東映社長、映画プロデューサー、元俳優
- 土田健次郎(昭和36年度卒) - 中国哲学史、早稲田大学教授
- 吉田城(昭和37年度卒) - 仏文学者、京都大学教授
- 米川敏子(昭和37年度卒) - 生田流箏曲家・地歌演奏家、本名:後藤裕枝(旧姓:江藤)、紫綬褒章(平成23年)・日本藝術院賞(平成27年)受章
- 高木美也子(昭和38年度卒) - 日本大学総合科学研究所教授、生命倫理学者、岡田裕介 の妹
- 蒲生俊敬(昭和38年度卒) - 海洋科学、東京大学教授
- 土田英三郎(昭和39年度卒) - 西洋音楽史、東京藝術大学教授
- 畑中龍太郎(昭和39年度卒) - 財務官僚、金融庁長官、駐コロンビア特命全権大使
- 堤邦彦(昭和39年度卒) - 国文学、怪異研究、京都精華大学教授
- 井上一規(昭和39年度卒) - 東京海洋大学教授、航海学、日本船長協会副会長
- 横溝陽一(昭和41年度卒) - 慶應義塾大学教授、KPRI副所長、ローソン執行役員
- 新井充(昭和41年度卒) - 環境工学、東京大学教授
- 高増潔(昭和41年度卒) - 精密工学、東京大学教授
- 下条みつ(昭和42年度卒) - 衆議院議員
- 後藤茂之(昭和42年度卒) - 衆議院議員
- 三輪建二(昭和43年度卒) - 教育学者、お茶の水女子大学教授
- 福井源(昭和43年度卒) - 実業家
- 神保雅人(昭和43年度卒) - 素粒子物理学、千葉商科大学教授
- 片山直之(昭和44年度卒) - サンマルクカフェ創業者
- 富岡幸一郎(昭和44年度卒) - 文芸評論家、関東学院大学教授
- 櫻井哲夫(昭和44年度卒) - フュージョンミュージシャン、ベーシスト、カシオペア (バンド)創立メンバー
- 和泉宏隆(昭和45年度卒) - フュージョンミュージシャン、ピアニスト、T-SQUAREキーボーディスト
- 武見ゆかり(昭和45年度卒) - 栄養学、女子栄養大学教授
- 國中均(昭和47年度卒) - 航空宇宙工学、宇宙科学研究所 (JAXA) 教授
- 井上善雄(昭和51年度卒) - 巴川製紙所代表取締役社長
- 隼海惺(平成11年度卒) - 女優、元宝塚歌劇団月組男役
- 新村理々愛(平成18年度卒) -ハリウッド俳優、フルート奏者
- 一力遼(平成21年度卒) - 囲碁棋士
- 市川三四助(平成23年度卒) - 歌舞伎俳優(女形)
- 東條英機 - 陸軍大将、内閣総理大臣/ 中途在学?[9]
- 吉田久 - 大審院判事 / 学資乏しく中退後、刻苦勉励して大成
- 森雅之 - 作家 / 1922年、成城小学校へ転校
- 里見弴 - 作家 / 赤坂中之町小から転入、のち学習院初等科へ転校
幼稚園[編集]
番町小学校には、千代田区立番町幼稚園が併設されている。
脚注[編集]
- ^ 東京都教育委員会「平成30年度 東京都公立学校一覧|東京都教育委員会ホームページ」『東京都教育委員会ホームページ』。2018年10月30日閲覧。
- ^ 小学第一校は鞆絵(ともえ)学校(港区立御成門小学校の前身)、第三校は吉井学校(新宿区立愛日小学校の前身)、第四校は湯島学校(文京区立湯島小学校)、第五校は育英学校(台東区立台東育英小学校)、第六校は深川学校(江東区立深川小学校)である
- ^ 『日本の名門高校ベスト100 公立高校編』日比谷高校 朝日新聞社
- ^ 『小さいおうち』中島京子著 文藝春秋 2010、p93
- ^ 『総理の乳母:安倍晋三の隠された原風景』七尾和晃著 創言社 2007、p61-p63
- ^ 『日本の母子関係:その心理的な問題』津留宏著 黎明書房 1958、p43(改題「古い母・新しい母」)
- ^ 正式な100周年記念日は1971年12月4日であったが、新校舎建設中のため翌年5月10日に挙行。
- ^ 東京都教育委員会「令和元年度 公立学校統計調査報告書(学校調査編)」統計表、2019年10月24日、2019年11月12日閲覧
- ^ 同窓生名簿には掲載されていない