第7回日本レコード大賞

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第7回日本レコード大賞(だいななかいにほんレコードたいしょう)は、1965年昭和40年)12月25日神田共立講堂で行われた、7回目の『日本レコード大賞』である。

概要[編集]

第7回の大賞は、美空ひばりの「」に決定した。美空ひばりは初の受賞。

この年は、前年の大賞だった「愛と死をみつめて」と同様に、「かえしておくれ今すぐに」や「ヨイトマケの唄」といった「社会派流行歌」があったが、両曲ともに第1次審査で落選した[1]

この年の大賞候補作品は547曲[2]。大賞は、最終審査で美空ひばりの「柔」、橋幸夫の「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」、日野てる子の「夏の日の想い出」、倍賞千恵子の「さよならはダンスの後に」、フランク永井の「妻を恋うる唄」の5曲に絞られ、この段階では「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」と1票差で「柔」が最上位だった。決選投票では「柔」が17票、「あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)」が14票で「柔」の大賞が決定した[2]

新人賞は、上位8組に男性はバーブ佐竹ジャニーズ叶修二が、女性は田代美代子エミー・ジャクソン水前寺清子奥村チヨが残り、決選投票でバーブ佐竹と田代美代子に決定した[2]

歌唱賞は、フランク永井、越路吹雪北島三郎井沢八郎らから永井と越路の2人に絞られ、決選投票で19対12で越路に決定した[2]

童謡賞は、「マーチング・マーチ」のビクター盤とコロムビア盤の一騎討ちとなったが、天地総子の歌うコロムビア盤に決定した[2]

司会は第1回から担当してきた芥川隆行が降板、三木鮎郎に交代した。 神田共立講堂での開催は4年ぶり。視聴率は0.4P下落の14.2%。

今回の使用マイクロホンは、SONY C-38。

司会

三木鮎郎

受賞作品・受賞者一覧[編集]

日本レコード大賞[編集]

歌唱賞[編集]

新人賞[編集]

作曲賞[編集]

編曲賞[編集]

作詩賞[編集]

特別賞[編集]

企画賞[編集]

童謡賞[編集]

TV中継スタッフ[編集]

  • プロデューサー:
  • 総合演出:
  • 舞台監督:
  • 編成担当:
  • 製作著作:TBS
  • 主催:社団法人 日本作曲家協会、日本レコード大賞制定委員会、日本レコード大賞実行委員会

脚注[編集]

  1. ^ 読売新聞』1965年12月12日付朝刊、20頁。
  2. ^ a b c d e 「混戦だった選考 日本レコード大賞」『朝日新聞』1965年12月4日付東京夕刊、12頁。

関連項目[編集]

外部リンク[編集]