ヨイトマケの唄

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ヨイトマケの唄
美輪明宏シングル
B面 ふるさとの空の下で(オリジナル盤)
ラストダンスは私と(1998年盤)
いとしの銀巴里(2003年盤)
人の気も知らないで(2003年盤)
リリース
ジャンル 歌謡曲
レーベル キングレコード
作詞・作曲 美輪明宏
美輪明宏 シングル 年表
メケ・メケ
1957年
ヨイトマケの唄
1965年
湯どうふの唄
1966年
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ヨイトマケの唄」(ヨイトマケのうた)は、美輪明宏が自ら作詞作曲した1966年のヒット曲。

発表当時は美輪の旧芸名「丸山明宏」名義だったが、本項では美輪明宏として統一し記述する。

概要[編集]

美輪が幼少時に一緒に育った友人の亡き母を回顧する歌である。主人公の過去には幼少時、母親の職業(日雇い労働者)がきっかけでいじめを受けた悔しさなども折り込まれている。「ヨイトマケ」とは、かつて建設機械が普及していなかった時代に、地固めをする際に、重量のある槌を数人掛かりで滑車で上下する時の掛け声であり、美輪によれば、滑車の綱を引っ張るときの「ヨイっと巻け」のかけ声を語源とする。この仕事は主に日雇い労働者を動員していた。

作詞作曲のきっかけは、興行主の手違いで炭鉱町の劇場でコンサートをすることになったことに始まる。当時きらびやかな衣装でシャンソンを歌っていた美輪は、炭鉱町でのコンサートに乗り気ではなかったのだが、炭鉱労働者たちが安い賃金をつぎ込んでチケットを求め、客席を埋め尽くしているのを見て衝撃を受け、「これだけ私の歌が聴きたいと集まってくれているのに、私にはこの人たちに歌える歌がない」と感じて、労働者を歌う楽曲を作ることを決意したという[1]

初めて発表したのは1964年(昭和39年)、リサイタルにて歌唱。1965年(昭和40年)、NETテレビ木島則夫モーニングショー』の「今週の歌」で発表したところ、非常に大きな反響を呼び、異例のアンコール放送となった。同性愛者であることを公にしてから低迷していた美輪が、この歌がきっかけで再び脚光を浴びることになった。白のワイシャツに黒の細身のスラックス姿で登場し、戦後の復興期の貧しい少年から、高度成長期エンジニアへと成長した凜々しい青年を演じた美輪の姿は、多くの視聴者の胸を打った。

シングルレコード発売は1965年7月。レーベルはキングレコード。40万枚を売り上げた[2]。レコード・CDとして発表されている音源はいくつか種類があり、発表当時と近年では使用楽器などアレンジが異なる(オリジナルの1965年録音盤、1975年録音盤(アルバム『白呪』収録)、2000年録音盤が存在する)。

歌詞が描く世界観と美輪のパフォーマンスによる評価を裏打ちするのは、楽曲自体が、伊藤久男イヨマンテの夜』(1949年)、織井茂子黒百合の歌』(1952年)に代表される、低音域のドラムを強調した古関裕而の土俗的オルタナティヴサウンドの系譜に位置することである。

発表後間もなくして歌詞の中に差別用語として扱われる「土方」(どかた)「ヨイトマケ」が含まれている点などから、日本民間放送連盟により要注意歌謡曲(放送禁止歌)に指定された事でそれ以降原則として民放では放送されなくなる。この制度自体は1983年に廃止されたが、実際は廃止された後もしばらくの間この制度の影響を受け続けることになる。制度廃止直後の1985年には、『夏祭りにっぽんの歌』(テレビ東京)で歌唱している。1990年に美輪が『ぴりっとタケロー』(TBS)に出演する際にこの歌を披露する予定だったが、放送局のTBSから歌のカットを求められた。出演依頼があった際、美輪は歌無しの出演を希望したが、制作会社の強い希望で本曲を歌うことになった。ところが、放送日2日前に突然「歌は止めて欲しい」という申し出を受ける。一方的に二転三転する申し出に美輪は憤慨し、出演自体を取り止めた。このことがきっかけで美輪はNHK(後述)以外のテレビで最近まで歌うことを避けていた。

1998年村上“ポンタ”秀一のアルバム『Welcome To My Life』に収録され、泉谷しげるが歌ったカバーバージョンが『ニュースJAPAN』(フジテレビ)で流れたことで久々に公共の電波に乗り、更に2000年には桑田佳祐が自身の番組『桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』(フジテレビ)でこの曲を歌ったことにより大きな反響を得る。この際、テロップで「この唄は、俗に放送禁止用語と呼称される実体のない呪縛により長い間、封印されてきた。今回のチョイスは桑田佳祐自身によるものであり、このテイクはテレビ業界初の試みである」との説明が付されていた[3] が、以降多くの歌手がテレビでも歌うきっかけとなった。

一方、NHKでは発表当時から一貫して放送自粛の措置はとられておらず、美輪本人による歌唱はもとより、様々な歌手によるカバーも放送されていた。デビュー60年を迎えた2012年には美輪が『第63回NHK紅白歌合戦』に初出場、本曲をほぼフルコーラスで披露した(楽曲はやや短くアレンジされた[4]。美輪本人は「この歌がヒットした50年前にも紅白出演のオファーがあったが、歌唱時間の問題で辞退した」と回想している(当時の紅白では歌手1人につき3分以内という時間制限が設けられており、6分近くあるこの歌も大幅に歌詞を省略して歌うことをNHKから求められたが、美輪は“歌詞の省略はできない”と頑なに主張し、当時のオファーを辞退せざるを得なかったという) [5]

メディア[編集]

カバー[編集]

坂本九なぎら健壱新井英一桑田佳祐Breath Mark泉谷しげる酒井俊米良美一、新結成時のザ・フォーク・クルセダーズ大竹しのぶ大西ユカリと新世界ガガガSP槇原敬之などによりカバーがなされている。

演歌系では中村美律子がリサイタルで歌った。また、2007年8月28日にはアニメソング歌手の遠藤正明が自身のライブで披露した。在日コリアン歌手の趙博は、朝鮮訛りでこの歌をカバーしている。美輪と同じ長崎県出身であるタレント・漫画家の蛭子能収もイベント等でよく歌っている。

収録作品

関連項目[編集]

  • 母に捧げるバラード - 歌詞の一部はヨイトマケの唄を模倣して作成された。美輪曰く、武田鉄矢自身が後に謝罪に来たという[7]
  • 世界の料理ショー - 「パンプキンパイ~マイアミ風~」の回でグラハム・カーがヨイトマケの唄の一節を歌う場面がある[8]
  • シャボン玉ホリデー - 1964年4月19日放送の「コーラスばんざいピーナッツ」(第151回)で、ロシア風の合唱団が「ヴォルガの舟歌」を歌っていると、印半纏を着た植木等が現れてヨイトマケの唄を歌うという、「お呼びでない」コントが有った(ここで取り上げられている「ヨイトマケの唄」は同題の美輪明宏の歌曲ではなく、労働歌としての「ヨイトマケの唄」の方である。このコントでは合唱団が「エイ、コーラ」と「ヴォルガの舟歌」を歌っていると、植木等が「おかちゃんの為なら」と音頭取りをし、それにつられて合唱団が「エンヤ、コーラ」と歌ってしまうというギャグであって、この項で取り上げられている曲と直接の関係はない)[9]
  • 星のカービィ (アニメ) - 第32話「歯なしにならないハナシ」でこの歌のパロディーが登場する。
  • 笑点 - レギュラー大喜利で林家たい平が「ヨイトマケ流」に回答。

脚注[編集]

  1. ^ 2010年10月19日「女神のキセキ」(テレビ東京系)
  2. ^ 日めくりタイムトラベル 昭和40年』(NHK BS2、2009年4月11日放送)
  3. ^ 桑田佳祐の音楽寅さん 〜MUSIC TIGER〜』フジテレビ系 2000年10月13日OA
  4. ^ “美輪明宏:紅白2年連続出場 「ヨイトマケの唄」の感動再び”. 毎日新聞. (2013年11月25日). http://mainichi.jp/mantan/news/20131125dyo00m200044000c.html 2013年11月25日閲覧。 
  5. ^ ““61年目の新人”美輪明宏「衣装はヌード」”. サンケイスポーツ. (2012年11月26日). http://www.sanspo.com/geino/news/20121126/oth12112620140023-n1.html 2012年11月27日閲覧。 
  6. ^ 紅白歌合戦:SMAPなど8組がメドレー 曲目発表 毎日.jp、2012年12月18日
  7. ^ 2011年10月18日放送分の「中居正広の怪しい噂の集まる図書館テレビ朝日より
  8. ^ もちろんグラハム本人が歌っている訳ではなく、吹き替えを担当した黒沢良のアドリブである。
  9. ^ このコントには「後日談」が有り、1965年11月28日放送の「世界の音楽ピーナッツ」(第235回)で、やはりロシア風の合唱団が「ヴォルガの舟歌」を歌っているところへ植木等が現れるが、今度は合唱団がヨイトマケの唄を歌うというオチ。