酒井政利

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酒井 政利
生誕 (1935-11-17) 1935年11月17日(81歳)[1]
出身地 日本の旗 日本 和歌山県[1]
学歴 立教大学文学部卒業[1]
ジャンル J-POP
職業 プロデューサーメディアプロデューサー
活動期間 1961年 - 現在
レーベル ソニー・ミュージックエンタテインメント
日本コロムビア
共同作業者 島倉千代子
青山和子
南沙織
郷ひろみ
山口百恵 ほか

酒井 政利(さかい まさとし、1935年11月17日[1] - )は、日本音楽プロデューサー・メディアプロデューサー。1938年生まれとも書かれた[2]。60歳で退職後酒井プロデュースオフィスを立ち上げた[3]。同社代表取締役社長[1]日本ストリートダンス協会非常勤理事[4]。プロデューサーとして担当した芸能人の売上累計は約3100億円にのぼると言われる[5]

和歌山県生まれ[1]。母は幼い政利を連れて酒井家に後妻として嫁いだということが報道された[3]和歌山県立箕島高等学校立教大学文学部卒業[1]。 大学卒業後映画製作を志し松竹に入社するもまもなく退社し、その後日本コロムビアソニーレコードの音楽プロデューサーとして数多くのミュージシャンを発掘、育成する。プロデュースの原点となった南沙織をはじめ、フォーリーブスキャンディーズ山口百恵など、アイドル黄金時代と呼ばれたこの時期、300人あまりのアイドルや音楽グループを送り出した[6]。50歳を迎えた時、カウンセラー養成所に2年間通った[3]。現在はメディアプロデューサーとして、映画・舞台・テレビ番組の企画やテレビコメンテーター、講演活動などの幅広い分野で活躍。その一方で心理カウンセラーとしての活動も行っている。

平沢貞通との関わり[編集]

帝銀事件で死刑判決を受けた平沢貞通が京都で画家として活動していた時代に酒井の母をモデルとしたことがあった[3]。これをきっかけにして酒井は平沢の隠し子だとする報道がセンセーショナルになされた[3]。1998年に酒井は「ばかばかしい話」だと否定した[3]週刊文春2001年新年号[要ページ番号]で酒井が語ったところによると、、実母は平沢の絵のモデルになった経験があり、平沢も弁護士に対し事実である可能性を示唆する発言をしたとされるが、平沢には長期の拘禁などによる妄想症状もあって、真相は最後まで不明だったという。酒井は真相を求めて平沢との面会を希望したが、実現する事は無かった。

脚注[編集]

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外部リンク[編集]