宮治淳一

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宮治 淳一(みやじ じゅんいち、1955年 - )は日本音楽評論家ディスクジョッキーである。神奈川県茅ヶ崎市出身・在住。ワーナーミュージック・ジャパンで洋楽編成を務めたり、ミュージック・ライブラリー&カフェ「Brandin」を経営したりもしている。

サザンオールスターズの名付け親としても知られている。

来歴・人物[編集]

1979年にディスコメイトレコードに入社。パイオニアLCD(現・NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン)を経て、1995年からワーナーミュージック・ジャパンで洋楽編成を担当している。

サザンオールスターズのボーカル・桑田佳祐とは、茅ヶ崎市立茅ヶ崎小学校茅ヶ崎市立第一中学校時代の同級生であり、高校に入って以降は別々の道を歩き始めたものの(宮治は神奈川県立鎌倉高等学校へ進学)、高校3年に宮治は学園祭のロック・コンサートを取り仕切り、茅ヶ崎周辺のバンドを参加させることになり、桑田に出演を持ちかけた。桑田は快諾し、ザ・ビートルズの楽曲を披露している。なお、これが初めて桑田が人前で演奏したステージであった。その後も「定期的にコンサートとかあった方がいいな」という話になり、一浪を経た早稲田大学進学後の1975年に「湘南ロックンロールセンター」というサークルを作り定期的にコンサートを開催。桑田は青山学院大学の学生と共に「青学ドミノス」と名乗り、「湘南ロック-」に3回ほど出演し、それ以降も宮治曰く「訳わかんない名前」で出演したという。4回目に出演した1976年には、桑田の望んでいたパーマネントに近いメンバーが揃ったものの、この時桑田は新たなバンド名を思い付けずにいた。4月11日にコンサートが行われるのに伴い、宮治は桑田にバンド名を早く決めるよう催促していたが、バンド名が決定しないままコンサートのポスター製作が進行されていった。最終的に宮治がバンド名の考案役となり、ニール・ヤングの『アフター・ザ・ゴールド・ラッシュ』をBGMにポスターを製作中、一息入れるために風呂でラジオを聴いていた際にファニア・オールスターズの来日コンサートの宣伝が流れ、風呂から上がった際につけっぱなしのレコードからニール・ヤングの「サザン・マン」が流れていて、これを組み合わせた際の響きが良い事から、「サザンオールスターズ」という名前を考え出し、バンド名を「桑田佳祐&サザンオールスターズ」とした。宮治によるとこのバンド名を桑田本人に伝えたのはライブ当日だという[1]。なお、「サザン」という言葉を選んだことについては後に「彼(桑田)の家は(茅ヶ崎市)南湖だったから、ちょうどいいというのもあった」とも語っている[2]。それ以降の事についてはサザンオールスターズ#結成までの推移とアマチュア時代を参照の事。

熊坂出が監督を務めた映画「茅ヶ崎物語 〜MY LITTLE HOMETOWN〜」の制作のきっかけとなった人物である。

出演番組[編集]

著書[編集]

  • MY LITTLE HOMETOWN―茅ヶ崎音楽物語(ポプラ社、2017年)

出典[編集]

  1. ^ Vol.02 - 宮治淳一さん Track 4 ロック・イベントの開催 〜「サザンオールスターズ」の名付親?! 音人千一夜
  2. ^ 朝日新聞 be」2017年7月22日 『みちのものがたり』 「ラチエン通り 茅ヶ崎ミュージックの系譜」より。

関連項目[編集]