昭和ノスタルジー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

昭和ノスタルジー(しょうわノスタルジー)とは、昭和時代(主に高度経済成長期およびそれ以降の時期)の社会文化を懐かしむ風潮のことをいう。

語源・定義など[編集]

地方の町、農村漁村などには今も昭和を感じさせる風景が残されている。
昭和の町並みの雰囲気を色濃く残す西脇市の町(同じ構図で同市出身の横尾忠則が絵に描いている。)

昭和年間は64年(厳密には62年と2週間。昭和元年と昭和64年はともに1週間のみ)にわたって続いており、その間に日本では政治経済・社会事情の大きな変化が繰り返されているが、2000年代において昭和ノスタルジーの対象とされることが多い「昭和」とは、いわゆる高度成長期と呼ばれる1955年(昭和30年)から1973年(昭和47年)の間の時期を中心に、1950年代1960年代 - 1974年(昭和49年)頃を指すことが一般的である。ただし、その時期以降からの昭和時代全般、すなわち主に昭和50年代(1975年 - 1984年)の時期を含める場合もあり、その点で曖昧性のある言葉である。

バブル景気の時期(この場合は昭和60年代(1985年 - 1989年1月7日)の時期に加えて、平成一桁前半(1989年1月8日 - 1992年)の時期も含まれる)について、今のところ対象とする機運・動きは本格化していないが、時代の推移・社会構成年代の代替わりでやがて本格的にノスタルジーの対象になる時代が到来するのは確実と思われる(既に映画などで郷愁対象とされている)。

昭和天皇が統治の主体であった期間の昭和、すなわち大日本帝国憲法下(戦前)の昭和年間については、大正デモクラシーで東京・大阪都市圏で芽生え、継承・発展ののちに国内他地域都市圏や、内地よりも比較的生活が裕福であった新京大連といった満州国の都市圏も巻き込む(他、1929年のウォール街大暴落で端を発した世界恐慌発生までの間、アメリカで揺籃を迎え日本にも文化影響を与えていた黄金の1920年代文化など)都市生活者文化(モボ・モガ日本のカフェ文化百貨店文化文化住宅少年倶楽部赤い鳥等の児童文化ラジオ普及)への郷愁も対象となり得る。前述の大正時代と一括りにして「昭和モダン」とする向きもあるが、作家山本夏彦の著書『誰か「戦前」を知らないか』にもあるとおり、実はこの時代の都市生活者はテレビの存在有無以外には昭和30年代とそう大差がなかったという指摘・分析・解説もあり、元号通り昭和の中の郷愁とすべき趣きが強い。評論家日下公人も雑誌WiLL7月号別冊歴史通2009 Summer No.2『特集「戦前まっ暗」の嘘』収録『それは、つくり話か大マチガイ』の中で戦後に再び一般庶民の手に戻ってきた大衆消費文化を見つめる当時の日本人の心情・心境を、1939年(昭和14年)をピークとした「戦前が戻ってきた」と振り返り評している。

戦後復興期については、悲劇・貧困・飢餓といったあまり振り返りたくない苦しさばかりが満ちていた時代であるが、昭和30年代と前述の昭和初期都市文化とを繋ぐ重要な期間(他、裕福な現代の日本人へ警鐘を鳴らす貴重な体験期間として)、広義であれば含めるのも不自然ではない。

高度経済成長期の社会や文化を振り返り懐かしむ風潮はバブル景気が始まった1986年(昭和61年)以後に始まり(当時は「レトロブーム」と呼ばれた)、約20年後の現在まで続いているが、昭和天皇が崩御した後には、社会や文化の変化がさらに進んできたことから、昭和ノスタルジーと称されるようになった。

評論家宇野常寛によると、主に邦画の分野を中心とした昭和ノスタルジーブームは、純愛ブームと同じ「ゼロ年代の物語回帰」のひとつであるという[1]。宇野は、2001年(平成13年)のアメリカ同時多発テロ事件聖域なき構造改革以降、社会が超越性(絶対的・特権的な正義)の存在しない価値相対主義(バトルロワイヤル状態)に陥った状況下では、それが究極的には無根拠であることを織り込み済みであえて特定の物語(自分がよりどころとする価値観・規範)を選択するという「決断主義」が跋扈していると論じている。そして、昭和ノスタルジーブームも感性も「(入れ替え可能性の担保が難しくなった現代とは違って)社会が一人一人に物語(生きる意味)を備給することができた昭和の時代を、それがすでに喪失してしまったものであることは承知の上でファンタジーとして没入する」という決断主義的な物語回帰であり、自分はそれが虚構に過ぎないことに対して自覚的であるという「安全に痛い自己反省のパフォーマンス」が周到に内部に織り込まれることによってより強力な依存が生まれるという構造はセカイ系のレイプファンタジー[注 1]に見られるものと同型であると述べている。

最も注目を浴びている昭和30年代[編集]

再現された「昭和の駄菓子屋」
狭い店頭には様々な商品が所狭しと並べられた。
「昭和なつかし博覧会」2007年2月17日(明石市立文化博物館

昭和30年代(1955年から1964年)を懐かしむ理由として、今より人々が親密で相互扶助の志向があった点、そして時間の流れが緩やかでのんびりとした気風があった点、街角に子供が多く伸び伸びと育っていた点などが挙げられる。全国の商店街には活気があったし、過労死・過労自殺に至るようなビジネスマンの過酷な競争はなく、植木等の『ドント節』で「サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ」が流行語となるほどホワイトカラーにとってはストレスが少なかった時代である。高度経済成長とも重なる時期で、日々の生活が豊かになっていくことを実感できた時代でもあった。

ただし、その一方で当時はドヤ街寄せ場などを中心に目に見える貧困がまだ残っており、四大公害病を初め大気汚染、水質汚濁や有毒食品添加物などの環境問題も深刻化していた。また、家庭にもよるが職業選択の自由に代表されるように個人の自由が少なく(職業選択の自由については、日本国憲法で明記されていたが、それが必ずしも浸透していたとはいえない状況であった。男女雇用機会均等法は制定されておらず、女子労働者の労働環境が十分に整備されていない会社が多かった)、さらに休日も少ないなど(週休二日制は実施されていないうえ、祝日の日数もまだ少なく、日曜日と祝日が重なった場合の振替休日もなかった)、必ずしもいいことづくめではなかった。

高度経済成長期に生まれ育った世代には、昭和ノスタルジーの傾向を持つ人が思想傾向を問わず少なくないとされる。一方で「昔は平和だったが今はダメな時代…」のような類の発言が繰り返される風潮に対し、疑問を呈する声も多い。実際、当の昭和30年代の新聞や雑誌でも安保闘争太陽族など若者の行動を苦々しく思う年長者により同種の苦言が頻発している。古い時代を懐かしみ現代を批判するというレトリックは、有史以来の年長者の性ではあるが(古代エジプトにも、若者が農作業に精を出さないことを嘆く文言が象形文字で残されている)、近年の昭和ノスタルジーがブームになっている背景には、現在の日本社会の高齢化と長く続く不況が関連している。

なお、昭和30年代以降の「昭和ノスタルジー」は、小学生を中心に、当時幼児~高校生だった年代(団塊の世代)の人の視点でなされることが圧倒的に多い(大学・短期大学・専門学校生や社会人などの青年・成人の視点による試みも幾つかされている)。多感・活動的で責任を問われず。何をやっても許された快活・無邪気な少年時代として過ごせた年代層に訴える手法が、比較的娯楽性を持たせるのが容易であることが理由とされる。

子供の視点で扱われる場合、あまり優等生的なエピソードは重点的には扱われず、いたずらっ子・腕白・勉強嫌いなど、優等生的でない子供の視点で語られることが多い。従って、当時そうではなかった子供にとって、自身の当時の体験の懐古とは必ずしも一致しないことも起きうる。

地域的には、大都市圏(特に首都圏)の下町の生活者の視点で語られることが比較的多いが、それ以外の地域の視点で語られることも多い。よってこの概念は、東京都心周辺部から全国各地の地方都市から山村離島まで、広範な地域の視点で捉えることができる。

昭和ノスタルジーの対象となる事物・人物[編集]

事物[編集]

昭和一桁年代、昭和10年代[編集]

昭和20年代[編集]

昭和30年代[編集]

廃止された昭和53年(1978年)当時の京都市電
レトルトカレーのホーロー看板

昭和30年代から40年代にかけて広く使われたが、その後に代替となるものが開発されたり、社会事情の変化で不要になったりして廃れていったもの、廃れていきつつあるものが対象となる。

昭和40年代[編集]

昭和50年代[編集]

昭和60年代[編集]

昭和60年(1985年)~昭和64年(1989年1月7日(4年1週間) バブル景気も参考とする

プロデューサー巻き/襟立て

平成元年代[編集]

平成10年代[編集]

平成20年代[編集]

人物[編集]

戦前(〜昭和16年)[編集]

昭和20年代[編集]

昭和30年代[編集]

昭和40年代[編集]

昭和50年代[編集]

昭和60年代[編集]

平成元年代[編集]

平成10年代[編集]

平成20年代[編集]

昭和を舞台(もしくはモチーフ、オマージュ)に後年に創作・執筆・製作された娯楽作品[編集]

「年代」は作品の対象とされた昭和の時期を示す。

昭和元年代 - 昭和20年代(戦前・戦中・戦後)[編集]

昭和30年代[編集]

昭和40年代[編集]

昭和50年代[編集]

昭和60年代(1989年(昭和64年)1月7日まで)[編集]

架空の昭和70年代以降[編集]

現実世界の昭和は64年で終了しているが、創作作品には64年以降も「昭和」が存続しているという設定の物も存在している。これには純粋な昭和ノスタルジー以外に、現実世界とは別のパラレルワールドを示す事を意図した場合もある。

また、『トップをねらえ!』や『Project BLUE 地球SOS』、『20世紀少年』など、劇中で「昭和」の元号こそ使用されていないものの、昭和ノスタルジーを感じさせる未来世界を描いた作品も存在している。レトロフューチャーも参照。

様々な表現技法の試み[編集]

昭和30年代以降の社会を背景にしたテレビドラマや映画など数多く製作されており、最近ではSFXVFX技術が進歩したことで、より緻密な再現が可能となっている(上記当該項目を参照)。

三丁目の夕日」は古き良き日々の時代(グッド・オールド・デイズ)を、「となりのトトロ」は失われた自然環境を賛美する内容である。

その一方、「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲」は平成・21世紀のネガティビティを指摘しつつ、その超克をも提示している。同作品は、昭和を知らない幼少の主人公達が、21世紀の重圧や責任を負わされていない未成年者でもありつつ、古い時代の陽の面のみに囚われ未来から目を背けてしまった親や大人達を覚醒させ克、己に導くべく奮闘する姿を描いている。

血と骨」、「地下鉄に乗って」に至っては暴力で家庭を支配する男や貧困や不潔さなどの、いわば「昭和の暗黒面」を前面に出している。連載初期のコミックス版「三丁目の夕日」でも、大黒柱の死去による一家離散の話(単行本第4巻収録「うちのパパは世界一」)や火事で焼死する一家の話(単行本第41巻収録「やもりの唄」)、養子縁組に出されてしまった実子との対面が叶わない女性(単行本第3巻収録「雪の日の出来事」)や同級生の病死(単行本第10巻収録「いたずら教室」)、無理心中前の家族旅行で一人助かる子供の話(単行本第10巻収録「海岸通り」)など、暗く悲しい作品回が多数登場していた。

こちら葛飾区亀有公園前派出所」では主人公・両津勘吉の子供時代[注 3]の古き良き思い出話が定期的に描かれるが、「やってきた3人組の巻」(単行本第166巻収録)は、未来の豊さに心躍らせる勘吉少年を引き合いにして、殊更に過去を美化して現代・未来を悲観視する風潮に疑問を投げかけるエピソードとなっている。

このほか鉄人社より出版された「本当は怖い昭和30年代 〜ALWAYS地獄の三丁目〜」など、当時の暗い面を専門的に扱った著書もある。

町興し・テーマパークへの活用[編集]

昭和30年代に使われた個々の物品を保存する試みは多くの個人や企業・団体などによってなされている(あるいは、たまたま昭和30年代から使い続けている例もある)。大分県豊後高田市では、昭和30年代から建物の建て替えが進まず衰退した中心商店街を逆に活かし、昭和30年代の町並みを再現して「昭和の町」と命名し、観光地化を進めている。

1994年(平成6年)3月6日に開館した新横浜ラーメン博物館(の地下)は昭和の下町を再現した造りになっており、好評を博している(但し昭和レトロ型フードテーマパーク嚆矢ではなく、嚆矢1993年(平成5年)6月大阪梅田スカイビル内に出来た滝見小路である(関東地方では嚆矢))。東北地方に展開する焼き肉レストランやき組の店内も、昭和横丁のような造りになっている。

他国におけるノスタルジーブーム[編集]

旧共産圏[編集]

近年、他国においても似たような傾向があり、ドイツでは“オスタルギー”という旧東ドイツ時代を懐かしむ動きがある。 オスタルギーとは、ドイツ語で東を意味する“オスト”と旅愁を意味する“ノスタルギー”を掛け合わせた言葉である。背景には、東西ドイツ統一により旧東ドイツ側が資本主義化し、それに対応できなくなり多くの国営企業が倒産し失業者が増加し、西ドイツとの経済格差が生まれたことなどがある。2003年には、オスタルギーをテーマにした映画『グッバイ、レーニン! 』が公開され大ヒットを記録、また2006年にはオスタルギーをテーマにした東ドイツ博物館(DDR博物館とも)がベルリンにオープンした。さらにはオスタルギー・ショップというのも存在する[2]。 旧ユーゴスラビア圏の国々でもユーゴノスタルギヤというユーゴスラビアの時代を懐かしむ心情がある。 ロシアにも旧ソ連時代にあった大衆食堂スタローヴァヤを模したレトロ食堂が存在する。

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 宇野常寛は、ライトノベル美少女ゲームなどのオタク文化にしばしばみられる(男性の)主人公がヒロインに絶対的に必要とされることで自身のマッチョイズムを回復しようとする物語をこのように呼んでいる。AIR (ゲーム)#批評も参照。
  2. ^ 2011年に東日本大震災に誘発されて福島第一原子力発電所事故が発生した後は、同事故と込みで語られることが多くなった。
  3. ^ 作者・秋本治が幼少時代を過ごした昭和30年代が中心。連載の長期化により40年~50年代が舞台となることもある。

出典[編集]

  1. ^ 宇野常寛 『ゼロ年代の想像力』 早川書房、2008年、94-95頁・267頁ほか。ISBN 978-4152089410
  2. ^ オスタルギーショップ(ヨーロッパ通信)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]