河西昌枝
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| 基本情報 | ||||||||||||||||||
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| 生年月日 | 1933年7月14日(78歳) | |||||||||||||||||
| 出身地 | 山梨県中巨摩郡(現南アルプス市) | |||||||||||||||||
| ラテン文字 | KASAI Masae | |||||||||||||||||
| 身長 | 174cm | |||||||||||||||||
| 体重 | 63kg | |||||||||||||||||
| 選手情報 | ||||||||||||||||||
| 愛称 | ウマ | |||||||||||||||||
| ポジション | S | |||||||||||||||||
| 利き手 | 右 | |||||||||||||||||
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河西 昌枝(かさい まさえ、現姓:中村[1] 、1933年7月14日 -)は、日本の元女子バレーボール選手である。
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[編集] 来歴
山梨県中巨摩郡(現南アルプス市)出身。山梨県立巨摩高等学校卒業後、日紡に入社し、『東洋の魔女』の主将として1962年世界選手権優勝、1964年東京五輪でコーチ兼主将として優勝に大いに貢献した。
1965年1月に日紡を退社、同年5月30日に当時の総理大臣佐藤栄作の取り計らいで2歳年上の自衛官と結婚した。
1992年7月23日、トーク番組『徹子の部屋』(テレビ朝日)にゲスト出演する。
2003年3月に日本バレーボール協会女子強化委員長に就任し、 2004年アテネ五輪では全日本女子チームの団長を務めた。
[編集] 人物・エピソード
1962年の世界選手権対ソ連戦で、1セット目を先取されみんなが意気消沈していると、河西は前田豊団長に「あの程度の相手なら必ず勝ちます」と言い放ち、平然とプレーを続けたという。コート内で冷静な判断を行える司令塔がいたことが東洋の魔女の強みでもあった。
[編集] 球歴
- 所属チーム履歴
- 山梨県立巨摩高等学校 → 日紡関ヶ原 → 日紡足利 → 日紡貝塚(-1964年)
[編集] 脚注
- ^ “楽天失速、ぼやくノムさん「去年より1カ月早い」”. 産経新聞 (2009年6月7日). 2009年6月7日閲覧。
[編集] 参考文献
- VOLLEYBALL(日本バレーボール協会機関誌)1964年10月号 44-45ページ
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