スポ根

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スポ根(スポこん)とは、「スポーツ」と「根性」を合成した語で、日本の漫画アニメドラマにおけるジャンルの一つ。このジャンルの作品を「スポ根漫画」「スポ根アニメ」「スポ根ドラマ」と呼ぶ。

目次

[編集] 概要

スポ根はスポーツ漫画の一種であるが、その中でも、努力と根性でひたむきにスポーツに取り組みあらゆる艱難辛苦を乗り越えて選手としての能力向上への努力を続けるその過程を、試合結果の勝利以上に価値のある美しいものと位置づけ、これを主眼に描く作品ジャンルのことをいう。

1960年代から1970年代に隆盛した劇画の影響を受けて大流行した。主人公と仲間はどんな困難や逆境にも耐えて練習に明け暮れ、努力で最後にはライバルから勝利を掴み取る。ただし、この種の漫画では努力と根性こそが至上であり、勝利は結果に付随する要素でしかなく、勝利が努力を超越することがないというのも大きな特徴といえる。

主に取り上げられる対象は、“血と汗と泥にまみれて自己を鍛え上げ、泣きながらも全てを犠牲にして練習に打ち込みひたすら努力を続ければいつか必ず大きな大会日本選手権、著名な国際大会、世界選手権オリンピックで勝利を掴める”という日本人好みの筋で描きやすい、野球サッカーラグビー(古くはバレーボールテニスも)・柔道レスリング相撲など球技武道格闘技に限られる。

[編集] スポ根の歴史

1945年夏に太平洋戦争が“日本の降伏”で終結し、荒廃した日本の復興に国民は力を注いだ。その復興中の日本に1953年、全く新しいメディアであるテレビ(テレビ放送)が登場する。街頭テレビが中心のテレビ放送初期に於いてプロレスプロボクシングプロ野球などのスポーツ中継は、荒廃から立ち上がる日本と重ね合わせて国民の間で熱狂的に受け入れられ、この時期に困難に立ち向かい努力を積み重ねることの美徳が「根性」や「努力」といったキーワードとなって形成された。

戦後日本の復興の総決算を象徴する国家的イベントとなった1964年東京オリンピックの成功を受けて、日本国民の多くがスポーツイベントに関心を寄せるようになり、とりわけ戦後のベビーブームにより増加した若年層(いわゆる団塊の世代)に「スポ根」は漫画文化と共に一気に浸透した。その後も「欧米に追いつき追い越せ」という国家的スローガンがあったこともあり、団塊の世代以降にも「スポ根」は受け入れられ高度経済成長期の60年代後半から70年代にかけて一大ブームとなり、スポーツもの以外でも『アテンションプリーズ』(1970年)の様な、主に女性向けの職業根性もの製作され、コメディ作品でも『ど根性ガエル』(1970年 - 1976年)や『がんばれ!!ロボコン』(1974年 - 1977年)などの派生作品も生まれた。

[編集] 梶原一騎とスポ根

「スポ根」を語る上で避けては通れない存在が漫画原作者梶原一騎である。梶原の作品表現の手段として根幹を成すものが「スポ根」であり、梶原原作の『巨人の星』、『あしたのジョー』の2作品は『週刊少年マガジン』の発行部数を飛躍的に向上させ、少年誌をそれまでの子供向け雑誌から青年期以降の世代にまで購買層を拡大させた。

梶原の作品には「貧困層」と「富裕層」という対比の構造がしばしば描かれ、スポーツという舞台で貧困層出身の主人公が様々な困難や差別と闘いながら究極の達成感を勝ち得るという「スポ根」のパターンを定着させた。立身出世ストーリーともいえるが、主人公がこの境地に至るには悲劇的あるいは破滅的な代償を払うことが多く「サクセスストーリー」と「悲劇」が混在するのが梶原作品の特徴である。

梶原は1983年5月に講談社の編集者に対する傷害事件で逮捕されると、ネームバリュー故に隠されまた語られずに来たスキャンダルが一気に噴出し表舞台からの退場を余儀なくされ、これに呼応するように「スポ根」というジャンルは衰退した。梶原が活躍した1960年代後半から1980年前後までが「スポ根」の全盛期であったといえる。

[編集] 反スポ根とあだち充作品

1980年代になると日本社会全体が豊かになるに従って、努力や根性が汗臭い、泥臭い、古臭いものと見なされるようになり、根性と努力だけで障害を克服する古典的なスポ根ものは敬遠され徐々に衰退を見せ始めた。

スポ根衰退のひとつの契機として、あだち充の『タッチ』(1981年 - 1986年)の成功がよく挙げられる。「タッチ」は、高校野球を題材に全国高等学校野球選手権大会出場を目標とした作品。「素質は恵まれながら執着心の薄い性格のために芽の出なかった主人公・上杉達也が、甲子園出場を目標としていた弟・上杉和也の不慮の死をきっかけに、自らも甲子園出場を目指す」という、スポ根から派生した定番とも言えるストーリーであるが、甲子園出場という目標を「幼馴染である浅倉南との約束」という恋愛要素に設定した点、またその目標を果たした後の描写があまりに淡白であることなどから、本作はしばしばスポ根の対極の作品の様に評される。また、それまでの行き過ぎた感もある努力・根性などの精神論的描写を排した作風により物語がスタイリッシュになったことが、1980年代という時代にマッチし、これに追随する作品が続出したことも、古典的なスポ根を時代後れという位置づけに追い込んでいった。

主人公・上杉達也も、あだち充のはぐらかしを好む演出やなかなか本音を明かさないキャラクターのため、「才能だけで成功してしまう、星飛雄馬などと正反対の主人公」と評されることが多い。実際には、一卵性双生児であるがゆえに才能に恵まれつつ、努力を怠ったせいで努力家の弟の影に隠れる存在だった時期が描かれている。また、主人公の目標だった甲子園出場そのものも苦戦して強豪を退けた結果であり、最終話ではドクターストップを受けるほどの投球により甲子園での優勝を果たしたことが語られている。また、あだち充は才能に恵まれ努力も惜しまない者同士が苦難の末に、甲子園の舞台でまみえる、ある意味『タッチ』の自己リメイクともいえる『H2』で、彼なりのスポ根を提示している。

[編集] スポ根の崩壊

『タッチ』以降、前時代な価値観と見なされることが多くなったスポ根であるが、以降はさらに、スポ根漫画の主たる読者層である少年・青年層を取り巻く社会環境・経済環境の変化や、当時の文部省の教育政策の方針転換、さらにはスポ根的な思考・行動・物語描写に対してスポーツ医学人間工学などの見地からの批判が行われるようになったことなど、時代や読者層の価値観の急激な変化による違和感も追い討ちとなって、旧来のシリアスなスポ根は成立する土壌そのものが失われていった。

さらにはこの時期、スポーツ界には、イチロー中田英寿といった(成功に至るまでの努力の過程を大々的にマスコミにひけらかさない)『天才型』のスター選手が次々と登場し、プロスポーツ界の台風の目になり持て囃された。スポーツ漫画においてもこれの影響を受けた天才型の主人公というパターンが発生し、その生まれ持った才能と実戦の経験で会得した能力で強敵を倒してゆくというストーリーが人気を集めるようになる。

その中にあってはスポ根的な努力をして実力を得たライバルキャラクターが天才肌の主人公にあえなく倒され敗退するパターンも目立つようになるなど、スポ根型努力一辺倒で強くなったストイックなキャラクターが、倒されるライバルや悪役を担うという、かつての梶原一騎の時代とは逆のパターンも珍しくなくなった。上記の実在人物などにも見られる「『優れた努力』とは愚直な根性ではなく効率性の追求にある」という現代的・現実的な考え方を反映、肥大したのがいわゆる「天才」という一種のオカルトとして描かれていくようになったといえる。また同時に、“腕・脚に錘を付けて動けばそこが鍛えられる”といった根性論に根ざした闇雲な鍛錬によるものではない、科学的・理論的なトレーニング手法を描く作品も増えてきているため[1]、努力・トレーニングを巡る物語描写はかつてのスポ根型のそれとはおよそ異質のものとなってきている。

スポ根自体に前時代的ともいえるネガティブなイメージが付加されていき、それを変化させた新たな要素が登場していった状況下である現在においては、梶原一騎の作品群を正統なスポ根と位置づけるならば、もはや正統なスポ根を商業作品として成功させることは極めて困難なものとなっている。結果として、現在のスポーツ漫画に於けるスポ根はかつて梶原が意図した様な目的で用いられることは少なくなり、友情物語や結果の「勝利」を彩る一要素、あるいは勘違いにも近い度を越した愚直なまでの根性論をギャグとして笑いに転化させるネタとしての使用が中心で、梶原の全盛期の様な成長や勝利を掴み取る為のスポ根そのものが主眼という作品はほぼ見られなくなっている

[編集] 典型的なキャラクター

[編集] 主人公

スポ根における主人公の多くは、よくいえば生真面目で禁欲的、逆に悪くいえば没個性的で、“特訓”などと称するトレーニングに盲目的に依存する性格が与えられる。これは過酷で猛烈なトレーニングの過程で、簡単に手抜きや挫折をする様な性格では物語が成立しないためである。ただし、一部には最初はおよそスポ根型ではない性格であったものが、物語中のできごとをきっかけとして、スポ根型の性格へと変貌してゆくこともある。

家庭環境については、プロスポーツに絡む作品である場合、貧困家庭中流家庭の育ちであり、アッパーミドル以上の裕福な家庭に生まれついている者は少なく、母子家庭父子家庭、梶原作品などでは孤児も見られる。だが、スポ根においては貧困からの脱出、豊かな家庭や富を築く立身出世が最重要のテーマになることは少なく、むしろ恵まれない環境でさらには時に逆境に追い込まれながらも比類なき努力で自力強化した主人公が、豊富な資金を背景に英才教育を受けたライバルをトレーニングの成果で打ち倒し勝利するまでを描くことが多く、スポ根というジャンルにとってはその努力と勝負の経過が最大の主眼点となる(なお、資金力に物をいわせる存在としては昔から野球の巨人軍が例えにあげられることが多いが、1970年代までの巨人軍は圧倒的すぎる子供人気が背景にあるため、物語上での扱いではむしろ例外的な存在とあり、資金にものをいわせ外国人選手を連れてくるという役回りは他球団が担った)。

体格については基本的にはそのスポーツの世界におけるごく平均的なものか平均を下回る小兵選手が多く、恵まれた体格の持ち主は少ない。多くはその体格と体力の不利を、そのストイックさ、根性、そして時に非人間的なまでのトレーニングで補い、これを武器にして独自の技を身に付け、ライバルたちと激闘を繰り広げる。

また、その容姿については美形ということは少なく、どこか垢抜けないが親しみやすい顔であることが多い。 それに比してライバルとなる人物は男女ともに美形に描かれることもある。(例:『巨人の星』の花形満、『エースをねらえ!』のお蝶夫人)

主人公は決して恵まれているとはいえない環境と才能を、比類なき根性・並外れた努力とトレーニング(他人が5で終わるところを10、10で終われば100こなす)で補いつつ、チーム内の競争、チーム外のライバルとの戦いを繰り返しながら、ただひたすらにそのスポーツにおけるトップへと上り詰めてゆく。同時にライバルとの友情物語も時に描かれるが、逆に父親やコーチなどそれまで自身を指導する立場にあった者や、バッテリーの様なコンビを組む相方などが移籍して敵となることもある。また、物語後半になると、高負荷のトレーニングの連続による自身の肉体の限界や疲労による負傷も大きな壁となる。主人公はそれら全てを乗り越えて、また自身の全てを駆使して最後の勝利を掴まなければならない。一部作品では、最後の勝利を掴むために選手生命さえ引き換えにする主人公もいる。

なお、選手としての活動を終えた主人公のその後の人生が描かれることはそれほど多くない。ただし、スポ根の王道とされる梶原の作品に限れば、主人公にまつわる最後の描写は決して幸福とは言いがたいものが多い。

[編集] 鬼コーチ

スポ根の多くで見られる「ストックキャラクター」に、主人公を育成するために過酷なトレーニングを課す「鬼コーチ」がいる。主に男子が主人公となる作品で登場し、概して強面、若しくは常にサングラスをかけており表情の読めない男である(これに対し女子が主人公となる作品では、コーチはハンサムな男で、主人公の淡い恋の対象になることが多い)。

鬼コーチは程度の差はあっても、どこか「変わり者」の要素を持つ。一般的な意味とは異なるが、主人公を深く愛しており、その成長のためにあらゆる手を尽くす。時に度が過ぎて主人公自身から疎まれることもある。しかし、主人公は容易には鬼コーチの影響下から逃れることはできない。

鬼コーチは多くの場合強い父性の持ち主として描かれる。代表例が『巨人の星』における星一徹と、『エースをねらえ!』の宗方仁である。鬼コーチの登場するスポ根作品は、父と息子あるいは娘の物語の側面も持つ。主人公・飛雄馬を鍛えそだてた後、彼が自分の手を離れたと見るや、最も恐るべき強敵の立場へまわる(これ自体は同じ梶原一騎作品の『柔道一直線』などに先駆がある)一徹というキャラクタは、時に教育論や社会心理学などの視点から研究対象とされることもある。

『エースをねらえ』は当初、父・宗方の寵愛を競い合う三姉妹(岡・竜崎・緑川)の物語として展開するが、宗方の死と前後してそれぞれ恋愛の対象となる相手が登場して「父からの自立」を果たすことになる。

現実社会で父権の喪失が叫ばれる様になった1980年代になって、こうした父性系鬼コーチも減少したが、『はじめの一歩』の鴨川会長や『グラップラー刃牙』の範馬勇次郎にその名残を見ることができる。

特殊な例としては、水島新司の『ドカベン』で主人公たちの明訓高校の監督をつとめた三人の登場人物があげられる。

  • 徳川家康-飲んだくれの変人だが、いざという時には頼りになる変則的「父性キャラ」
  • 土井垣将-徳川のあとをうけて明訓監督に就任、主人公たちにとっては「兄弟子」のポジションで、星一徹同様強敵サイドにまわった「父親」徳川と死闘を演じる
  • 大平-試合に関しては主人公たちにまかせきりの昼行灯的な「顧問教師」に徹した監督

と、少年漫画における「鬼コーチ」キャラの位置づけの推移をなぞるかのような配列となっている。

母性系鬼コーチというキャラクターは、スポ根ものでは少ない。たとえば『リングにかけろ』の高嶺菊は、文字通り母でなく姉として登場する。息子が目指すべき父はすでにこの世にない理想化された目標として位置づけられ、菊はその橋渡しの役割を担いつつ、主人公の最大のライバルと恋模様を演じもする。スポーツもの以外では、『ガラスの仮面』の月影千草という代表例がある。

その他特殊なケースでは、特撮番組『ウルトラマンレオ』のMAC隊長・モロボシダン(正体はウルトラセブン)が挙げられる。ダン隊長は、負傷し戦えなくなった自分の代わりに、地球防衛の任務をおおとりゲン隊員(正体はウルトラマンレオ)に託すが、未熟と経験の少なさ故にレオはしばしば敗北する。そこでダンはゲンに過酷な特訓を課すことによって敵を倒す突破口を開いてゆく。

この他、『スチュワーデス物語』の村沢浩、これは人間ではないが『夏子の酒』の酒米「龍錦」らも、スポ根における「鬼コーチ」のキャラクター造詣を受け継ぐものである。

[編集] ライバル

物語を彩る強力なライバルキャラクターもスポ根作品にとっては欠かすことはできない存在である。多くはその天賦の才能を持って主人公の前に立ちはだかる。また、主人公よりも遥かに恵まれた環境に生まれ育っている者や、あるいはその才能を見込んだ金持ちなどが強力なパトロンになっているという背景設定が多い。

物語にあって主人公と長い宿敵となるライバルの場合、基本的に主人公よりも選手としての基礎能力全般に優れており、性格的には主人公より明るく、楽観的に描かれる者が多い。

また、物語スタート当初に登場し、主人公と共に人気となったライバルについては、その後の様々な試合や経緯を経て仲間となったり、あるいは互いに勝ったり負けたりを繰り返す事になる。その性格付け次第では、立場上は悉く対立しながらも、ある意味では主人公にとって友人以上の価値を持ち、多くの価値観を共有し、場合によっては壁となって立ちはだかる共通の敵を前に、共に涙さえする存在となることもある。このライバルの多くは当初こそ主人公を圧倒するが、過酷なトレーニングで強化された主人公の前にほとんどが倒されることとなる。そして、人気キャラクターとなったライバルの多くは、一旦は主人公に破れ挫折することで、これもまた主人公と同様のスポ根的な特訓を積むようになり、主人公の前に再び立ちはだかる存在となる。また、主人公の特訓や新たな技の解説役を担当することも多い。

一方、ライバルでも憎まれ役タイプの場合、能力は優れていても、性格的に屈折していたり、主人公を目の敵にしたり格下と見て挑発を繰り返してくることも多い。そして、このタイプのキャラクターの多くは、一度は主人公を楽に倒すものの、その役割はあくまで単に主人公のレベルアップの踏み台であり、後に必ず主人公が身に付けた新たな技などにより倒される。その後、時を経て再登場することがあっても、この場合ほとんどが主人公の足下にも及ばぬただのやられ役となる。

ただし、憎まれ役のライバルであっても、一部には最初に主人公を圧倒的な能力差で打ちのめし、その後は主人公の一歩先を常に行き、主人公は「いつかは倒さなければならない相手」としてその背中を追い続け、クライマックスで対峙するというパターンもある。

プロスポーツを舞台としている物語においては、重要な仲間がトレードによってライバルチームに移籍し、強力なライバルとして主人公の前に出現することもある。この有名な例は『巨人の星』の伴宙太である。

ただし、ライバルの多く(特に、宿敵に位置付けられた者)も主人公との極限の勝負で肉体を損耗して、主人公が表舞台から去るのと前後して勝負の舞台から去ってゆくことが少なくない。

[編集] 現代のスポ根

現代の日本では「スポ根」を前面に出した作品は少数派だが、そのコンセプト自体は変遷を遂げながら以下の理由で脈々と受け継がれていると思われる。

  • 現代においても、依然として「スポーツもの」と「対決もの」は少年誌の看板的存在であり、その随所にスポ根的要素が見受けられる。現代の「スポ根」はその要素を踏まえたうえで、『はじめの一歩』(週刊少年マガジン連載中:森川ジョージ作)のようなシリアスな方向性のものと、『Mr.FULLSWING』(週刊少年ジャンプ鈴木信也作)のような「スポ根」をネタにしたギャグ的方向性のものに大別される。
    • 現代の「スポ根」の表現として、日常生活を描く場面では梶原作品のような悲壮感は薄れ、ライバル達との戦いの場面でいかに感動的な場面設定をするかによって「スポ根度」はそれぞれ異なる。またかつての様な、努力や根性そのものがテーマという作品は減ってはいるが、勝利を彩り盛り上げる付随要素としては現在でも多く用いられている。
    • また『はじめの一歩』の作中でも鷹村守の様なギャグ要員となるキャラクターが存在している様に、シリアス基調の作品であっても、ただひたすらにシリアス一辺倒に「スポ根」を突き詰めてゆく作品は、現在では読者にあまり受け入れられない傾向がある。
  • 現実のスポーツイベントにおいて、一度敗れても特訓の過程を経て勝利すると「リベンジを果たした」と評価され、感情移入がより高まる。これは「スポ根」の重要な要素のひとつであり、困難を乗り越えたところに価値観を見出すという「スポ根」の洗礼を受けた者にとっては感動のツボを衝かれるものである。

その一方、スポーツにおける「強さ」を単に精神論根性論に基づく猛特訓だけに求めず、人間工学スポーツ医学などにも配慮する傾向も見られる。根性論ではしばしば特訓と称して非科学的・非論理的な訓練方法も(コーチの思い付きや誤解にも絡んで)編み出され、これによって傷跡や後遺障害が残るようなケースも現実社会では発生している。

他方、現実のボクシングの世界では『あしたのジョー』の影響がいまだに根強い。これもあり日本人の選手・関係者、テレビ中継のアナウンサー・解説者の言動には、「燃え尽きて灰になるまで闘う」ことを至上の美学とした、まさにスポ根的思想に根ざした言動が見られることが珍しくない。だが、その美学を貫こうとした著名ボクサーが脳にダメージを蓄積した挙げ句にパンチドランカー的なおかしな言動を見せたり、あるいはボクサーの選手生命にとっては致命傷である網膜剥離を押し隠して試合を強行するといったケースも起こしているなど、スポ根的な思想の弊害は顕著に現れている。

こういった事情に絡むのか、あるいは漫画の表現技法の進化によるリアリティの追求によるものかは一概には言い切れないが、2000年前後からは漫画でもスポーツ医学上の理論などへの配慮が見られ、一例を挙げれば『アイシールド21』では過酷な特訓の中にも、給水や休息の重要性を訴える描写が行われている。またウサギ跳びは古くスポーツ漫画で好んで描写された基礎練習方法であったが、近年になって負担が掛かるばかりで実質的な効果の薄い運動であるとして避けられるようになり、昨今のスポーツ漫画でも同様の理由から『過激な負荷とそれに耐える根性のみが、さらなる高みを切り開く』という形でのトレーニング描写は行われない傾向にある。

だが、マスコミ報道や雑誌記事などの全国メディアでは、現在でもなお選手の故障・スランプ・挫折からの復活や、その復活によって選手が得たであろう充足感を、スポ根調に描き上げ過度に美化して報道していることが珍しくない(「上野の318球」など)。特に高校野球の地方大会などで、地域面が強豪校ではない「普通の学校」をトピックとして取り上げる際には、記事として使用できる話題が不足しがちなこともあって、この様な傾向が一層強くなり、新聞の紙面・新聞社のホームページの地方欄・高校野球コーナーなどでも全国各地から発信されたスポ根調の文面の記事が並ぶことになる。さらには、選手自身のみならず、監督やマネージャーなど周囲の人物に癌や白血病で闘病している、果ては郷里が大災害で被災したなどのお誂え向きな状況が存在していた場合、郷里や当人の為に全力で勝利しようとする(または、努力したが無念にも試合で敗退して涙する)若者たち、という構図を作り出し、感動を煽ろうとする事も多いが、これなどはまさにスポ根物語的な発想に根ざしたものといえる。

[編集] 主な作品

[編集] 関連用語

  • 根性論
  • 体育会系
  • 熱闘甲子園※スポ根作品ではなく夏の甲子園の結果を報じる番組であるが、「努力と根性」「ハンデの克服」「難病を克服した選手」「選手の親(甚だしい場合は監督や部長)が難病に罹っている」などスポ根のフォーマットを流用した「お涙頂戴」的な編集が多く見られる。

[編集] 脚注

  1. ^ 『巨人の星』におけるスプリングを多用した「大リーグボール養成ギブス」も錘一辺倒の当時から見ると斬新な描写だった

[編集] 関連図書

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