スマイリーフェイス

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1963年に創作・著作された最初のスマイリー・フェイス

スマイリーフェイス(Smiley face)とは、黄色い円形に笑顔の描かれたキャラクターグッズ用キャラクター群である。

スマイリーは、日本ではニコちゃんマークニコニコマークスマイルマークなどとも呼ばれる。

概要[編集]

ハーベイ・ボール氏とスマイリー・フェイス

1963年12月、アメリカマサチューセッツ州ウースター市にある「ステート生命保険」の関連会社で、年明けからの社内キャンペーンとして、ポスター、カード、バッジ等で使うデザインを地元の商業美術家であるハーベイ・ボールに依頼、ボールによってデザインされた。ボールはこのスマイリーフェイスに関して、最初の保険会社から受け取った45ドル以外の収入を受けていない。世界中で商標登録を行い、それをビジネスとして多額の収入を得ようというような考えは全く持たなかった。なお当時は類似の意匠がすでに多数出回っていた。

1996年7月10日、ウースター市のレイモンド・マリアーノ市長により、スマイリー・フェイスが1963年にハーベイ・ボールによって創作されたことが公認されている。ちなみに同市はその7月10日を「ハーベイ・ボールの日」と宣言した。また、マサチューセッツ州上・下院議員総会にてスマイリー・フェイスがハーベイ・ボールによって創作・著作されたことが公認され、「決議宣言」がされた。「ウースター博物館」ではスマイリー・フェイスとハーベイ・ボールを称えて特別の展示コーナーを設け、現在まで続いている。 1998年2月28日、「ウースター市政150周年記念式典」に来賓として来場した連邦上院議員ジョン・ケリー(後の大統領候補)は、演説でハーベイ・ボールがスマイリー・フェイスを創作・著作したという事を公言した。

1999年、アメリカの70年代を代表するイメージとしてアメリカの郵政公社の記念切手にスマイリー・フェイスが採用された。同年10月1日、ウースター市の「ワールド・スマイル・デイ」(第1回)の会場に郵政公社の代表が来賓として参加し、スマイリー・フェイスはハーベイ・ボールが制作・著作したと公言した。

2001年4月12日、ハーベイ・ボールが死去した時、全世界の新聞で「スマイルの生みの親」として報道[1]された。

ハーベイ・ボール・ワールド・スマイル財団[編集]

その後、ハーベイ・ボールの息子であり、マサチューセッツ州の弁護士であるチャールズ・ボールを会長として「ハーベイ・ボール・ワールド・スマイル財団[2]が設立され、「スマイリー・フェイスを世界平和の礎にする」ためのボランティア活動を展開している。1998年には「日本支部」が誕生し、日本でもボランティア活動を行っている。

ハーベイ・ボールは生前の1999年から、毎年10月の第1金曜日を「ワールド・スマイル・デイ」と定めてウースター市と共同でイベントを行っている。ワールド・スマイル・デイを開始した頃から「スマイルの商品化事業」を開始して、その収益をそのイベントの費用としている。その商品化事業の代理人はジャス・インターナショナル株式会社である。また、財団の所有する登録商標は関連会社ハーベイ・ボール・スマイル・リミテッドによって合計873件が日本の特許庁で登録されている。

日本における事例[編集]

日本での「スマイリー・フェイス」は1970年(昭和45年)、当時アメリカの「文具ショー」を訪問した日本の文具メーカー(サンスター文具やリリック)の関係者が、帰国後アメリカの大流行を真似て日本で「ニコニコ・マーク」、「ラブ・ピース」として流行を仕掛けたのが最初である。その当時から日本では小学生からお年寄りまで知らない人がいない程有名になっている。1970年に、サンスター文具の関係者が米国の「文具ショー」を見に行って、展示されていたスマイリー・フェイスのマークを真似たと「月刊ライセンシングブックス」1998年1月号で証言している。なおサンスター文具が商品化した際、「ラブピース」シリーズとしても販売されていた。

Unicode[編集]

コンピュータ上の文字コードであるUnicodeには、スマイリーフェイスのようなマークが定義されている。

脚注[編集]

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関連項目[編集]

深圳通ユニバーシアードユーユーミニカード

外部リンク[編集]