スマイリーフェイス

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スマイリー・フェイス

スマイリーフェイス(Smiley face)とは、黄色い円形に笑顔の描かれたキャラクターグッズ用キャラクター群である。

スマイリーは、日本ではニコちゃんマークニコニコマークスマイルマークなどとも呼ばれる。

概要[編集]

スマイリーが商品のプロモーションキャンペーンで初めて使われたのは1953年の映画 Lili

デザインの来歴についての説は複数あったが、1963年にアメリカで作成されたとする説が一般的である。

1963年アメリカ説は、アメリカの商業美術家であるハーベイ・ボールが1963年にデザインしたとする説である。

1963年アメリカで誕生した[編集]

1963年12月、アメリカマサチューセッツ州ウースター市にある「ステート生命保険」の関連会社で、年明けからの社内キャンペーンとして、ポスター、カード、バッジ等で使うデザインを地元の商業美術家であるハーベイ・ボールに依頼、ボールによってデザインされた。

1996年7月10日、ウースター市のレイモンド・マリアーノ市長により、スマイリー・フェイスが1963年にハーベイ・ボールによって創作されたことが公認されている。ちなみに同市はその7月10日を「ハーベイ・ボールの日」と宣言した。又、マサチューセッツ州上・下院議員総会にてスマイリー・フェイスがハーベイ・ボールによって創作・著作されたことが公認され、「決議宣言」がされた。「ウースター博物館」ではスマイリー・フェイスとハーベイ・ボールを称えて特別の展示コーナーを設け、現在まで続いている。 1998年2月28日、「ウースター市政150周年記念式典」に来賓として来場した連邦上院議員ジョン・ケリー(後の大統領候補)は、演説でハーベイ・ボールがスマイリー・フェイスを創作・著作したという事を公言した。

1999年、アメリカの70年代を代表するイメージとしてアメリカの郵政公社の記念切手にスマイリー・フェイスが採用された。同年10月1日、ウースター市の「ワールド・スマイル・デイ」(第1回)の会場に郵政公社の代表が来賓として参加し、スマイリー・フェイスはハーベイ・ボールが制作・著作したと公言した。

スマイリー・フェイスがアメリカで誕生した事は誰でも認める事である。そしてその後アメリカ国内でハーベイ以外の人物が「自分がスマイルを作った」と名乗り出た人はいない。ヨーロッパ人が「自分がスマイルを創作した」と主張しているが、あり得ない事である。

ハーベイ・ボールの人生[編集]

ハーベイ・ボールのボランティアの人生は、60年前の「沖縄戦」から始まっている。当時日本軍の迫撃を受け、故郷の戦友10数名が死亡して彼1人が残ったエピソードは有名であるが、彼はその時から自分の生き方は他人に奉仕することが大事と考えるようになった。 ハーベイ・ボールは、最初の保険会社から受け取った45ドル以外の収入をこのスマイリーフェイスから受けていない。その為世界中で商標登録を行い、それをビジネスとして多額の収入を得ようというような考えは全く持たなかった。

米国で新聞報道されたハーベイ・ボール[編集]

1996年7月8日 TELEGRAM ウスター市がボール氏の75歳を祝ってボール(パーティー)を開催 黄色いスマイリー・フェイスの生みの親ハーベイ・ボールが10日、75歳の誕生日を迎える。これを記念して、ウスター・ファッションモールで3時から7時までパーティーが開かれる。ハーベイ・ボールがウスター出身であることから、パーティの席上でウスター市のマリアーノ市長が7月10日を「ハーベイ・ボールの日」とすることを発表する予定。これと関連して、スマイリー・フェイスの歴史を展示した「HAVE A NICE DAY:ハーベイ・ボールとスマイリー・フェイス」展が8月18日までウスター歴史博物館で開催中。

1971年9月12日 BOSTON SUNDAY GLOBE 「世界中にスマイル」 「スマイル」バッジと言えば、なんのことか誰でも知っている。目と口がついただけのまんまるいバッジのことだ。スーツやスウェットシャツ、女性の肌着にまで付いている。ここウスター市に、あのバッジを最初に作った会社がある。2つの保険会社が合併した会社で、少なくとも7年半にわたって、「スマイル」バッジを使っているという。作者はハーベイ・ボール氏。

1972年1月18日 NEW YORK DAILY NEWS 5千万個のスマイルの誕生 この「スマイリー・フェイス」を8年前に描き、「スマイル」の創始者となった人物の存在が明らかになっている。全ては1963年12月に始まった。マサチューセッツ州ウスター市にある保険会社のジョイ・ヤングが年明けからの社内キャンペーンを企画した。ポスター、カード、そしてバッジで使うデザインを地元のアーティストであるハーベイ・ボールに依頼した。

1989年2月12日 ST.PETERSBURG TIMES スマイル・マークが再び流行 60年代にブームを巻き起こしたスマイル・マークが最近また人気を集めている。Tシャツ、ボクサー・パンツ、ソックス等の商品が大ヒット。25~35歳を中心に爆発的な売れ行きを示し、メーカーの中にはこの大ヒットによって過去最高の売上高を記録したところも。

1993年4月19日 TELEGRAM AND GAZETTE スマイリー・フェイスの真実を探る 30年前から思い出したように「スマイリー・フェイスの作者」と名乗る人物が登場していたが、今度やっとそれがハーベイ・ボールによって1960年代初めに創作された事がはっきりした。

1992年9月20日 SUNDAY TELEGRAM 我々は幸せになったか? 「スマイリー」はここから始まった。「スマイル」バッジを覚えてる?おそよ30年前に笑顔を運んできたあのバッジだ。ウスター市のアーティスト、ハーベイ・ボールが1963年に発明したこのデザインは、ジョイ・ヤングとロレーヌ・コピアン二人のアイディアから生まれた。二人は「州立生命保険会社」(現アルメリカ)に合併された地元の会社の社員で、社内の景気づけキャンペーンにこのデザインを起用した。これが「モナリザ以来、最も有名な笑顔」になるのにそう時間はかからなかった。

1996年7月10日 TELEGRAM あのスマイルがセンセーションを巻き起こす モナリザ以上に有名な笑顔を生んだハーベイ・ボールの75歳を祝うパーティが今日行われる。1963年にボールの手によって作られたスマイリー・フェイスはウイルスのように増殖し、大量生産できるものなら何でも付けられて全国へ広がっていった。最近では映画の「フォレスト・ガンプ」にも登場した。今も昔もスマイリー・フェイスを作ったのは自分だという主張をする人物が相変わらずいるが、ほんの少し調査するだけで他の誰よりもずっと以前にボールがこのマークをデザインした事が証明される。

1996年7月11日 TELEGRAM スマイリーな有名人 スマイリー・フェイスの作者、ハーベイ・ボールからサインをもらっているのはウスター市のブリタニー・マーフィ。昨日、ハーベイ・ボールの75歳の誕生日を祝ってウスター・ファッションモールでパーティが開かれた。国中にブームを巻き起こした功績を記念して、7月10日を「ハーベイ・ボールの日」とすることをウスター市のマリアーノ市長が発表。

1996年7月11日 USA TODAY マサチューセッツ州ウスター市は「黄色いスマイリー・フェイス」の生まれ故郷である事を宣言。同市在住のハーベイ・ボール氏(75歳)が、ある会社の合併の後遺症を収めるために依頼されて1963年に描いたのが最初である。

1997年1月19日 THE BOSTON GLOBE 我々は今も幸せか? 西から東へ、幸せを探求する旅―幸せとは何か?ハーベイ・ボールは笑顔の作り方を知っている。1963年12月、合併による士気の低下に悩んでいた保険会社が、コマーシャル・アーティストのボールに社内キャンペーン用のバッジに使う笑顔のデザインを依頼した。その注文は、目はなし、鼻もなし1本の線で描いただけの「笑顔」。「どちらを選んでも良かったのです」とボールは言っている。「コンパスを使ってきっちり線を引くこともできたのですが、そうはせず、自分の手で描きました。そうすることで人間味が生まれました」

1966年7月29日 THE JOURNAL OF COMMERCE 保険会社が「スマイル・バッジ」を採用 現在、スマイリー・フェイスがある保険会社グループのシンボルとして使われている。「ウスター火災保険」「ギャランティ保険」及び「ステート生命保険」の3社は全てマサチューセッツ州ウスター市にあるが、「スマイル・グループ」として知られるようになった。

1971年9月10日 BOSTON RECORD AMERICAN スマイル・バッジの創作者

1963年12月「ウスター火災保険」と「ギャランティ保険」の販売促進の指導者であったヤング夫人は、会社の「従業員に明るさと気配り」を増進させるキャンペーンを行った。その7年後には全国的な大流行が起こっていた。彼女はそのアイデアを、ウスターの商業美術家であるハーベイ・ボールの元へ持って行き、2人はこの印象的なデザインを見出した。そのマークは少なくとも1964年の2月まで歴史を辿ることができ、両保険会社の主張を証明している。その日付に出版された会社の刊行物に、スマイル・バッジを付けたジョン・アダム・ジュニア社長の姿が見られるからである。 1970年代初め、WORCESTER MASSACHUSETTS TELEGRAM ユニークな「スマイルバッジ」が人々の心を掴む 「ステート生命保険」の受付嬢であるマリー・コラクスキー嬢は「スマイル」の品切れが続いている。彼女は同僚に語った。「私が何回このバッジを補充しなければならないか聞いたら驚くわよ。皆、受付にやってきた途端バッジを取って行ってしまうのだから」「ステート生命保険」のスポークスマンによると、今年1,000万個のバッジを配る見込みであり、全体では去年より1,300万個多い3,000万個のバッジを配布するつもりだと言う事であった。やがてこのバッジは全米を、そして世界を埋め尽くすだろうと発言した。

1980年1月27日 SUNDAY TELEGRAM ハーベイ・ボール氏の思い出 ハーベイ・ボールのオリジナルの黄金の「スマイル」は、2つの目と笑った口というそのシンプルなデザインでここウスター市で1963年に生まれ、何千回も複製された。モナリザに続く最も有名な「スマイル」はここのマークなのだ。

1981年9月2日 WORCESTER MAGAZINE 流行した黄色い顔 70年代初めに流行した黄色いスマイリー・フェイスを覚えていますか?ウスター市のハーベイ・ボールなら間違いなく覚えている。現在60歳の商業美術家であるハーベイ・ボールこそ、1963年に「ステート生命保険」の子会社のためにスマイリー・フェイスを創作したからだ。

1996年6月号 YANKEE MAGAZINE ウスターの快挙 マサチューセッツ州ウスター市の人々は、ハーベイ・ボールにあのアイデアを思い付かせるほど幸せだったのだろうか?それともハーベイ・ボールはウスター市の人々にこそ必要だと思ったのだろうか?いずれにしても1963年の事、グラフィック・アーティストのハーベイ・ボールがあのよく知られた「黄色い顔」を創作した。

2001年4月12日 ハーベイ・ボール氏が死去した時、全世界の新聞で「スマイルの生みの親」として報道[1]された。

ハーベイ・ボール・ワールド・スマイル財団[編集]

ハーベイ・ボールは2001年4月12日に死去し、その後、彼の息子であり、マサチューセッツ州の弁護士であるチャールズ・ボールを会長として「ハーベイ・ボール・ワールド・スマイル財団」(http://www.smileyface-jp.com/) が設立され、「スマイリー・フェイスを世界平和の礎にする」為のボランティア活動を展開している。1998年には「日本支部」が誕生し、日本でもボランティア活動を行っている。 ハーベイ・ボールは生前の1999年から、毎年10月の第1金曜日を「ワールド・スマイル・デイ」と定めてウースター市と共同でイベントを行っており、2008年で10周年を迎える。 しかし上記のワールド・スマイル・デイを開始した頃からスマイルの商品化事業」を開始して、その収益をそのイベントの費用としている。その商品化事業の代理人はジャス・インターナショナル株式会社(TEL 03-5721-1411)である。又、財団の所有する登録商標は関連会社ハーベイ・ボール・スマイル・リミテッドによって合計873件が日本の特許庁で登録されている。

日本における事例[編集]

日本でも1971年サンスター文具より発売されたバッジの存在により、 同様のキャラクターが既に存在していたことから、フランス説は疑問視されている。1970年に、サンスター文具の関係者が米国の「文具ショー」を見に行って、展示されていたスマイリー・フェイスのマークを真似たのだと「月刊ライセンシングブックス」1998年1月号で証言している。なおサンスター文具が商品化した際、「ラブピース」シリーズとしても販売されていた。

日本での「スマイル・フェイス」の登場は前述したように、昭和45年(1970年)アメリカで大流行した「スマイル・フェイス」(1963年末にハーベイ・ボールによって創作・著作した事による)を真似て「サンスター文具」等の日本の文具メーカー等によってもたらされた事が数々の証言によって明らかになっている。

Unicode[編集]

コンピュータ上の文字コードであるUnicodeには、スマイリーフェイスのようなマークが定義されている。

脚注[編集]

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  1. ^ [1]

外部リンク[編集]

関連項目[編集]

深圳通ユニバーシアードユーユーミニカード

これらは、スマイリーフェイスによく似ている