東日本フェリー

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東日本フェリー株式会社
HIGASHI NIHON FERRY CO.,LTD.
種類 株式会社
本社所在地 日本の旗 日本
041-0821
北海道函館市港町3-19-2
設立 2006年10月
業種 海運業
事業内容 船舶貸渡業
代表者 古閑 信二(代表取締役社長)
主要株主 ブルーオーシャン
関係する人物 蔦井政信
外部リンク http://www.higashinihon-ferry.com/
特記事項:2009年11月1日解散
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ナッチャンWorld - 青森港

東日本フェリー株式会社(ひがしにほんフェリー)は、かつて存在した国内フェリー事業・国際フェリー事業・船舶貸渡業などを営む海運会社。本社所在地は、北海道函館市港町3-19-2。

東日本フェリー(初代)[編集]

東日本フェリーは、大正末期に炭坑生産で栄えた海に全く面していない空知管内にある赤平市(当時の赤平町)で陸運業・商業を興し、昭和初期に稚内港利尻礼文間の航路(ハートランドフェリーの前身)を開設させ、その後も北海道内で海運・倉庫業など事業を拡大させた実業家蔦井與三吉(石川県出身)が、1961年に出資母体となる道南海運の取締役社長に就任したのが源流である。

道南海運は1964年に函館港-大間航路をカーフェリーで開設したが、同じころに青森の財界が青道フェリーを設立し青函航路の就航を計画。しかし路線免許の獲得が出来ず同社は計画を断念し、道南海運と共同で出資を行い東日本フェリーを設立(蔦井與三吉が社長就任、会社更生法申請まで蔦井家による同族経営)。道南海運は青函航路を東日本フェリーへ集約させ、蔦井家のデベロッパー部門として機能した「蔦井本社」と1972年に合併し、消滅している。

その後は室蘭港(北海道)福島港・苫小牧港三厩港・岩内港・八戸港仙台港大洗港直江津港などに進出し、北海道・本州間のフェリー航路を順次開設。さらに陸送子会社や道南自動車フェリー(後年の一部事業承継会社)、九越フェリー(ハヤシマリンカンパニーとの合弁)の設立、バブル期栗子国際スキー場の出資やケーブルテレビ事業(株式会社札幌ケーブルテレビジョン・略称SCAT)も手がけ、蔦井倉庫ツタイ商事を中核とするツタイグループの下で北海道資本では最大手の海運会社「東日本フェリーグループ」を形成するまでに拡大した。

東日本フェリーグループ各社(1994年頃)

  • 東日本フェリー株式会社(函館市)
  • 道南自動車フェリー株式会社(函館市)
  • 東日本海陸輸送株式会社(上磯郡上磯町
  • 東日本輸送株式会社(室蘭市)
  • 東日本運輸株式会社(札幌市東区)
  • 東日本物流株式会社(茨城県東茨城郡美野里町
  • 北海道航空株式会社(北海道札幌市)
  • 東日本エンタープライズ株式会社(北海道札幌市)
  • 東日本観光サービス株式会社(北海道札幌市)
  • 株式会社札幌ケーブルテレビジョン(北海道札幌市)
  • 板谷観光開発株式会社(山形県米沢市
  • 株式会社ホテル・イーストジャパン(北海道苫小牧市)

1980年代以降は、長崎県に本社を置くハヤシマリンカンパニー船舶整備公団(現:鉄道建設・運輸施設整備支援機構)からの貸渡船借受(船のリース)や共同所有による新造船の導入が行われ、このうち「ゆにこん」は日本で初めて定期就航した高速フェリーであった。

九越フェリー[編集]

1996年に上越-博多航路の運航会社として、運航船舶の賃借を受けるハヤシマリンカンパニーと合弁で設立。社名は州・上から一字ずつ選り抜いた。船体のデザインや発券業務などは東日本フェリーと同一であった。2005年8月に東日本フェリーへ窓口運営を移譲し、九越フェリーの支店(博多・直江津)が東日本フェリーの支店となり、2006年の合併で、事業所もリベラの名称となる。

九越フェリーの航路および船舶は、実話に基づいた2001年の映画「白い船」の舞台として知られた。

会社更生法申請[編集]

2003年6月に、2003年3月期決算特別損失80億円・約85億円の債務超過となり監査法人意見不表明とした事が北海道新聞などで報じられ、6月30日に東日本フェリーと子会社の九越フェリー・東日本海陸輸送・東日本輸送・東日本観光サービスは東京地裁会社更生法を申請し、倒産する。グループ5社の負債総額は約907億円(東日本フェリー単体約580億円、九越フェリー単体約190億円)に上り、約80億円の債務超過状態であった。本業において海運他社(近海郵船商船三井など)によるRO-RO船鉄道津軽海峡線日本海縦貫線など)との競合による売上の減少に加え、新造船の導入費用や栗子国際スキー場の債務負担が重荷となり自主再建を断念した。なお、苫小牧市街地に擁したホテル・イーストジャパン(旧:ホテルビバリー・トム)は同年1月に廃業し、同年中に建物が取り壊されている。

北海道関連企業では、アルファリゾート・トマムの開発を手がけた関兵精麦が同月16日に民事再生法を申請した時の負債総額(674億円)を上回る大型倒産であり、従業員の雇用や事業継続について懸念された。
船舶を貸し付けていたハヤシマリンカンパニーは同年7月に整理回収機構民事再生法申請を申し立てられ、東日本フェリー向け債権の焦げ付きによる連鎖倒産のように見られたが、実際には前年からホテル・不動産事業の不振により私的整理方式で自主再建を銀行団と模索していた。

再建に当たり、当初は神原汽船甲子園運輸倉庫(現:ツネイシホールディングス)・鈴与(陸運事業)が再建スポンサーに名乗りを上げたが2004年に辞退し、会社更生計画案の提出が延期される。また、運輸施設整備支援機構の共同所有船舶の債権放棄にあたり資産の計上方法をめぐる一悶着があり、会社更生計画提出再延期の一因となった。

その後、呉市リベラ旭川市北興グループ(東日本海陸輸送のみ)がスポンサーとして支援する運びとなり、2005年6月にグループ5社は100%減資を実施(蔦井倉庫・蔦井家・海フェリーとの資本関係が無くなる)後スポンサーの出資を受ける形で更生計画を完了した。その後、海陸輸送以外を継承したリベラは2006年に4社を自社へ吸収合併。東日本フェリー・九越フェリーの社名が消滅し、事業所などの名称も新社名リベラとなる。

かつての出資会社であるツタイ商事は、バブル期株式投資の巨額損失によって経営再建を図っていたが、本業(生コンなどの建築資材販売と石油販売)の収益低下に加え、東日本観光サービス向けの債権3億円が焦げ付いたため、東日本フェリーの設立母体である蔦井本社を合併させて資本増強を図ったが、2005年3月に民事再生法を申請(土木関連事業についてはクワザワが譲受)。この結果、蔦井倉庫はかつて傘下に組み入れられた日本通運の完全子会社となり、蔦井家が直接経営に関わるのはハートランドフェリーやツタイコンピュータサービスなどごくわずかとなっている。なお、東日本フェリーとの資本関係の名残として、東日本フェリーを吸収合併したリベラは現在もツタイコンピュータサービスの株主である[1]

東日本フェリー(2代)[編集]

リベラによる吸収合併後は事業名称として東日本フェリーの名称が使われていたが、2006年に新たに出資のうえ(新)「東日本フェリー株式会社」を設立した。前項のリベラが吸収合併した(旧)東日本フェリーの事業を2007年に譲渡させ、事業分割を行った。

リベラは、共同運航の航路を共同運航先へ譲渡させるなど航路を集約し、青函航路に高速フェリー「ナッチャンRera」「ナッチャンWorld」の導入や、函館・青森の両ターミナルの新築、国際航路への進出など新施策も行われ、合理化による収益強化を見据えていたようである。

海運事業撤退と会社の解散[編集]

2008年9月8日、北海道と青森を結ぶ3航路について、燃料費の高騰や利用客の伸び悩みなどから今年度およそ50億円の赤字が見込まれるため、同年11月末で撤退することを発表した。

主力事業である函館-青森航路の2隻の在来船については、親会社のリベラホールディングス傘下の道南自動車フェリーが引き継ぎ、同年12月以降も運航を継続。残りの室蘭-青森と函館-大間の航路についても、自治体の支援次第で道南自動車フェリーに引き継ぎ、運航を継続する可能性が残された[2]。しかし、前者は支援を得られず廃止が決まった[3]。後者は同年12月の1か月は道南自動車フェリーが支援を受けずに、2009年1月から1年間は暫定的に大間町青森県の支援を受けて運航[4]、2010年6月に大間町・青森県との協議で大間町の支援により2011年以降も航路は存続する見通しとなった[5]

2008年10月28日、金沢-釜山航路について、急激なウォン安や韓国経済の低迷などによる集荷集客の低迷や原油の高騰を理由に同年10月29日の金沢出港便をもって休止することを発表した。これで東日本フェリーがすべての航路の運航から撤退することが確定した。

その後はナッチャンRera・Worldなどの船舶を引き続き保有し、船舶貸渡業を営む会社として存続していたが、2009年11月1日付けで関連会社の東日本シップマネージメントと共に道南自動車フェリーに吸収合併(同時に津軽海峡フェリーに社名変更)され、名実ともに姿を消し、約50年の歴史に幕を下ろした[6]

沿革[編集]

  • 1929年6月 - 函館-大間間の定期航路船が別会社にて就航、しかしこの航路は戦前に廃止となっている[7]
  • 1956年7月 - 函館・大間間連絡航路促進連合会が設立され、1960年代前半まで航路開設運動が展開される[7]
  • 1964年6月 - 青森フェリーが、貨物船型自動車運搬船を就航。
(函館市史には、青森フェリーは他に函館青森間の青函航路にも就航との記述有り)[8]
  • 1964年 - 函館-大間間に道南海運が日本初の外洋フェリーボートとなる航路を開設、大函丸が就航(所要1時間40分)。
(なお、就航日は、6月15日とする記述[8]と、7月2日とする記述[7]がある)
  • 1965年3月 - 青森側で海峡フェリー参入をめざし設立した青道フェリーと航路権を持つ道南海運が競合、最終的に北海道と青森県の両知事の斡旋をうけ会社一本化[8]され、(旧)東日本フェリー(本社:函館市仲浜町)を設立。
  • 1965年4月 - 青森商船が、三厩-福島間にフェリー就航[8]
  • 1967年 - 函館-青森間にフェリー航路を開設。
国鉄青函連絡船による自動車航送を打ち出した為に、民間会社は計画中止の嘆願書を出すなど結束して対抗したほか、この年までに、青森フェリー・青森商船が(旧)東日本フェリーに吸収される。なお国鉄も同年、津軽丸型客貨船にて自動車航送を開始した[8]
  • 1967年 - 室蘭-青森航路を開設[9]
  • 1968年 - 函館市末広町に、東日本フェリー本社ビル・旅客ターミナルビルが完成。フェリーの発着が末広町岸壁になる[8]
  • 1969年4月 - 函館-野辺地航路が認可。7月に野辺地ターミナルが完成し就航[10]
  • 1970年 - 室蘭-大間航路を開設[9]
  • 1970年6月30日 - 函館市港町に七重浜ターミナル施設(旧施設)と七重浜岸壁が竣工し、函館-青森航路および函館-野辺地航路の発着ターミナルとする。
のち、同所に本社移転し函館-大間航路の発着も集約[10]
  • 1971年4月 - 函館-野辺地航路、函館商船[11]が北浜埠頭(現:北埠頭)と野辺地にそれぞれターミナルを建設。1,500総トンのフェリー2隻を竣工させ運航を開始[10]
  • 1972年2月 - 道南海運が奥尻町内で営業する路線バス事業を譲受する[12]が、翌年2月奥尻町へ事業譲渡。
  • 1973年12月 - (旧)東日本フェリーが長距離航路部門として設立した新東日本フェリーが、苫小牧-仙台航路を開設。隔日にて運航開始[13]
東日本フェリー就航航路の愛称を「レインボーライン」、新東日本フェリー就航航路の愛称を「スターライン」と呼んでいた。
  • 1976年5月 - オイルショック後の需要減により経営難に陥った函館商船は、函館-野辺地航路を(旧)東日本フェリーに譲渡[10]
  • 1979年 - 室蘭-八戸航路を開設[9]
  • 1984年 - 新東日本フェリーを吸収合併。
  • 1985年 - 室蘭-大洗航路を開設[9]
  • 1990年 - 室蘭-直江津航路を開設[9]
  • 1991年 - 室蘭-大間航路を休止、室蘭-大畑航路開設[9]
  • 1998年4月 - 室蘭-大畑航路を休止[9]
  • 1998年9月 - 室蘭-直江津航路を博多に延航[9]
  • 2002年6月 - 室蘭-大洗航路を休止[9]し、苫小牧-大洗航路が商船三井フェリーとの共同運航となる。
「ばるな」が商船三井フェリーへ裸傭船される。
  • 2003年6月29日 - (旧)東日本フェリー、会社更生法適用を申請。
  • 2003年7月 - 常石造船グループの神原汽船甲子園運輸倉庫がスポンサーに名乗り出たが、同月29日、更生計画案の提出が再延期され、事業家管財人が辞任するとともに常石造船グループがスポンサーを辞退。
  • 2004年10月8日 - リベラ、旧・東日本フェリーに対する支援表明。
  • 2005年8月1日 - リベラを存続会社とし、(旧)東日本フェリーほかグループ会社3社(九越フェリー、東日本観光サービス、東日本輸送)を合併(東日本フェリーの名前は事業名称として使用される)。
  • 2006年10月 - リベラよりフェリー事業を分割・事業継承する目的で、100%出資子会社の(新)東日本フェリーを設立。
  • 2006年 - 室蘭-八戸航路を休止[9]
  • 2006年12月1日 - 苫小牧-八戸航路の同社運航便を川崎近海汽船(シルバーフェリー)へ移管し八戸港から撤退。
同航路に就航していた同社所有の「べにりあ」「べが」を用船するとともに、同社と川崎近海汽船との共有船であった「フェリーはちのへ」の同社持分を川崎近海汽船へ譲渡。
同社所有の「へすていあ」を商船三井フェリーに用船。
  • 2007年1月 - 室蘭-直江津-博多航路を貨物から旅客重視に方針転換し、「ニューれいんぼうべる」「ニューれいんぼうらぶ」を商船三井フェリーの「さんふらわあみと」「さんふらわあつくば」と交換。
この時点では譲り受けた2船を改装の上、同航路に就航の予定であったが同月26日、「さんふらわあみと」をパンスターライン(韓国・ソウル)に用船、「パンスター・サニー」と改称され、釜山-大阪航路に就航した。また、「フェリーつくば」(「さんふらわあつくば」より改称)はギリシャに売却された。
  • 2007年3月1日 - リベラ、フェリー事業を分割し、(新)東日本フェリーへ事業を譲渡。
  • 2007年9月1日 - 函館-青森航路に、高速フェリー「ナッチャンRera」が就航。一部の在来船が転配および引退。
  • 2007年9月30日 - 「ナッチャンRera」が機関故障のため、長時間にわたり陸奥湾内で立ち往生する。
10月13日、「最善の注意を払い、繊細なメンテナンスを行い続けるには現在の短い待機時間の中では少々時間が不足している」との理由により、夜間運航を当分の間休止。また、冬季の厳しい海象が予想される中、航海時間を1時間45分から2時間15分に変更。
  • 2007年11月1日 - 函館-青森航路の在来フェリー配船を一部変更(小型のフェリー「びいな」に代わり、引退した「ばにあ」が復活)。
  • 2008年5月2日 - 函館-青森航路に、2隻目の高速フェリー「ナッチャンWorld」が就航。
  • 2008年6月1日 - QRコードを使用した新乗船システム「スマートチェックイン」システム開始。
  • 2008年6月16日 - 金沢-釜山航路を開設。
  • 2008年10月[14] - リベラホールディングスが新たにフェリー部門の持株会社として「ブルーオーシャン株式会社」を設立し、同社の傘下となる[15]
  • 2008年10月30日 - 金沢-釜山航路を休止。
  • 2008年11月1日 - 高速フェリー「ナッチャンRera」「ナッチャンWorld」の運航を休止。
  • 2008年12月1日 - 函館-青森航路、函館-大間航路および室蘭-青森航路を廃止。前者2航路およびフェリー4隻を道南自動車フェリーへ承継。
函館-大間航路は暫定的な運航継続。
  • 2009年11月1日 - 道南自動車フェリーに吸収合併され、解散。

航路[編集]

過去に就航していた航路[編集]

リベラ継承後[編集]

  • 直江津港 - 博多港(九越フェリー)
  • 室蘭港 - 直江津港 - 博多港(旧東日本フェリー)
    • 2006年12月25日より当分の間、就航船舶の入れ替えのため休止、そのまま廃止となる。
  • 苫小牧港 - 大洗港
  • 苫小牧港 - 八戸港
    • 2006年11月30日の運航をもって川崎近海汽船による単独運航となる。
  • 室蘭港 - 青森港
    • 2008年11月30日の運航をもって廃止。
  • 函館港 - 青森港
    • 高速フェリーは2008年10月31日、在来フェリーは同年11月30日の運航をもって廃止。在来フェリーは道南自動車フェリーが運航を承継。高速フェリーも夏期繁忙期限定で運航(2009年、2010年)。
  • 函館港 - 大間港国道279号国道338号海上区間。)
    • 2008年11月30日の運航をもって廃止。同年12月は、道南自動車フェリーが自治体の支援なしで運航し、2009年1月から自治体の支援で1年間の暫定運航を行う。
  • 金沢港 - 釜山港 (国際航路)
    • 2008年10月29日の金沢出港便をもって休止。

(旧)東日本フェリー[編集]

船舶[編集]

べにりあ - 八戸港(塗色は川崎近海汽船に移籍後の状態)
ナッチャンRera - 函館港
へすていあ - 大洗港
ニューれいんぼうべる - 大洗港
ほるす - 青森港
びるご - 青森湾
ばにあ
びなす
ファンネルマーク

運航していた船舶[編集]

リベラ継承後[編集]

6,658総トン。全長134.6m、最大速力20.0ノット
旅客定員450名。車両積載数:トラック96台、乗用車14台。三菱重工業下関造船所建造。
苫小牧-八戸航路(川崎近海汽船と共同運航)に就航し、2006年11月のリベラ撤退後も川崎近海汽船が用船し、現在も同航路に就航中。
6,698総トン。全長134.6m、最大速力20.0ノット。
旅客定員600名。車両積載数:トラック96台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
苫小牧-八戸航路(川崎近海汽船と共同運航)に就航し、2006年11月のリベラ撤退後も川崎近海汽船が用船し、2013年まで同航路に就航していた。
  • フェリーはちのへ(FERRY HACHINOHE、2代目)
5,603総トン。全長126.6m、最大速力21.5ノット。
旅客定員520名。車両積載数:トラック57台、乗用車93台。内海造船瀬戸田工場建造。
苫小牧-八戸航路(川崎近海汽船と共同運航)に就航し、2006年11月のリベラ撤退時に川崎近海汽船がリベラの共同持ち分を譲り受け、2012年まで就航していた。
1993年1月竣工、同年11月就航。13,539総トン。全長192m、幅27m、出力35,600馬力、航海速力24ノット。
旅客定員705名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。(データは「さんふらわあ ふらの」)
大洗-室蘭航路に就航。2002年5月の航路休止後は大洗-苫小牧航路に配転され、2007年のリベラ撤退後も商船三井フェリーが用船し改称。現在も同航路の夕方便に就航中。
2001年9月竣工。11,401総トン。全長190m、幅26.4m、出力39,600馬力、航海速力24.9ノット。
旅客定員154名。車両積載数:トラック160台、乗用車62台。三菱重工業下関造船所建造。(データは「さんふらわあ しれとこ」)
日本海航路(2006年12月)の休止後、商船三井フェリーの「さんふらわあ みと」「さんふらわあ つくば」と等価交換され改名。現在は、大洗-苫小牧航路の深夜便に就航中。
2001年6月竣工。11,410総トン。全長190m、幅26.4m、出力39,600馬力、航海速力24.9ノット。
旅客定員154名。車両積載数:トラック160台、乗用車62台。三菱重工業下関造船所建造。(データは「さんふらわあ だいせつ」)
日本海航路(2006年12月)の休止後、商船三井フェリーの「さんふらわあ みと」「さんふらわあ つくば」と等価交換され改名。現在は、大洗-苫小牧航路の深夜便に就航中。
  • ほるす(HORUS)(→パンスター・ハニー→ブルードルフィン)
7,192総トン。全長136.6m、航海速力20ノット。
旅客定員600名。車両積載数:トラック95台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
室蘭-青森航路、苫小牧-仙台航路、函館-青森航路に就航していたが2007年9月、高速フェリー「ナッチャンRera」就航にともない引退。室蘭港に係船後、韓国へ売却。
6,687総トン。全長134.6m、航海速力20ノット。
旅客定員800名。車両積載数:トラック96台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
室蘭-青森航路、苫小牧-八戸航路等に就航していたが2006年4月、韓国へ売却。現在はHan Il Express(韓一高速)で、「Hanil Carferry No.1(韓一カーフェリーNo.1)」と改名のうえ、莞島-済州島航路に就航。
2,290総トン 全長:98.63m 航海速力:18.65ノット。
輸送人員:456名 輸送車輌:トラック35台(または乗用車100台) 内海造船瀬戸田工場製造。
7,182トン。全長136.6m、幅21m。旅客定員514名。三菱重工業下関造船所建造。パナマ船籍。
前「ほるす」。韓国パンスターラインの船舶であるが東日本フェリーの運航で2008年6月16日釜山-金沢間に就航したが同年10月29日の金沢出港便をもって航路休止し、2010年7月より津軽海峡フェリー「ブルードルフィン」として函館-青森に就航中。
10,712トン。全長112.6m、幅30.5m、出力36,000kW、航海速力36ノット(最大速力40ノット級)。
旅客定員774名。車両積載数:トラック56台、乗用車178台。インキャット社(en:Incat)(オーストラリア)建造。
船名の由来は、船体塗装のイラストをデザインした小学生の愛称「ナッチャン」と、アイヌ語で風という意味の「Rera」(レラ)を合わせたもの。2007年9月に就航したが、2008年10月31日の運航をもって休止した。2012年10月に台湾企業に売却。
10,715トン。全長112.6m、幅30.5m、出力36,000kW、航海速力36ノット(最大速力40ノット級)。
旅客定員772名。車両積載数:トラック56台、乗用車178台。インキャット社(オーストラリア)建造。
船名の由来は「ナッチャン」の呼び名が引き継がれ、世界中から集まった仲間たちがパレードするという船体イラストイメージから、「World」(ワールド)を合わせたもの。2008年5月に就航したが、同年10月31日の運航をもって休止した。なお、2009年からの夏季繁忙期には、津軽海峡フェリーにより青函航路での運航が行なわている。
6,706総トン。全長134.6m、航海速力20ノット。
旅客定員600名。車両積載数:トラック96台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
船名の由来は、和名おとめ座にあたる名称(諸説あるが、東日本フェリー公式サイトによると「王ゼウスと女神テミスの間に生まれた清純な女神の名前」となっている)。2007年9月以前は室蘭 - 青森航路に就航していたがのちに青函航路に復帰。2008年12月から道南自動車フェリーに承継。
5,193総トン。全長126.2m、航海速力20.9ノット。
旅客定員520名。車両積載数:トラック98台、乗用車15台。内海造船瀬戸田工場建造。
船名の由来は、北欧神話のヴァン神族(豊穣と平和をつかさどる神)より。2007年9月、高速フェリー「ナッチャンRera」就航にともない一旦は係船されたが、同年11月より青函航路に復帰。
7,198総トン。全長136.6m、航海速力20ノット。
旅客定員800名。車両積載数:トラック95台、乗用車20台。三菱重工業下関造船所建造。
船名の由来は、ギリシャ神話のアプロディーテー(美の女神、名称はローマ神話由来のウェヌス)より。2007年9月、高速フェリー「ナッチャンRera」就航にともない青函航路から室蘭-青森航路へ転配。2008年12月から道南自動車フェリーに承継されたが、青森-室蘭航路廃止に伴い再び青函航路に転配された。
1,529総トン。全長83.4m、航海速力16.3ノット。
旅客定員470名。車両積載数:トラック23台または乗用車58台。内海造船瀬戸田工場建造。
船名の由来は、インド神話のヴァーユ(風の神)より。2008年12月から道南自動車フェリーに承継。

(旧)東日本フェリー、九越フェリー[編集]

  • フェリーはちのへ(FERRY HACHINOHE、初代)
川崎近海汽船との共有船。現在はHan Il Express(韓一高速)で、「Hanil Carferry No.2(韓一カーフェリーNo.2)」と改名のうえ、莞島~済州島航路に就航。
  • ばるな(VARUNA、3代目)(→さんふらわあ さっぽろ(2代目))
1998年8月竣工、同年10月就航。13,654総トン、全長192m、幅27m、出力35,600馬力、航海速力24ノット。
旅客定員632名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。三菱重工業下関造船所建造。(データは「さんふらわあ さっぽろ」(2代目))
大洗-室蘭航路に就航。2002年5月の航路休止後は商船三井フェリーが用船し、大洗-苫小牧航路に就航。2005年1月に改称および船内をリニューアル実施。現在も同航路の夕方便に就航中。
1990年就航。163総トン、全長30.3m、幅8.5m、出力15,200馬力。最大速力45.6ノット(航海速力43ノット)。
旅客定員233名。川崎重工業神戸造船所建造。
函館-青森間を1時間40分で運航していたが、自動車の航送ができなかったほか、燃費が悪く、また冬季の欠航多発で採算にあわず1996年に廃止。その後、九州商船に譲渡され、現在は「ぺがさす2」として長崎-下五島-上五島航路に就航。
  • ゆにこん(unicorn、2代目) - 高速カーフェリー
1997年6月就航。1,498総トン。全長101.0m、幅14.9m、出力35,360馬力。最大速力42.4ノット(航海速力35ノット)。
旅客定員423名。車両積載数:大型車5台、乗用車78台。三菱重工業下関造船所建造。
函館 - 青森間を2時間00分で運航する高速カーフェリー。燃費が悪く、また冬季の欠航多発で採算にあわず2000年11月に廃止。廃止後は三菱重工業で係船ののち、台湾に売却。2006年から「今日之星」として台南安平港 - 澎湖馬公港間を2時間で運航(冬季休航)。
九越フェリーの直江津-博多航路に就航していたが、「ニューれいんぼうべる」就航後、宮崎カーフェリーに売却され「フェリーひむか」に改称。同社の貝塚 - 宮崎航路の廃止にともない売却され「FERRY HIMUKA」に改名。係船後、ギリシャ(HellenicSeaways社)へ売却。九越フェリー時代は「れいんぼうらぶ」とともに映画「白い船」のモデルとなったほか、宮崎カーフェリー時代は映画「LIMIT OF LOVE 海猿」の撮影にも使われるなど、映画と縁の深い船であった。
13,621総トン。全長196m、航海速力24ノット。
旅客定員450名。車両積載数:トラック180台、乗用車100台。
九越フェリーの直江津-博多航路に就航時、映画「白い船」のモデルとなり、映画にはおもに本船が登場した。現在は韓国の威東航運の「New Golden BriageⅤ(ニュー・ゴールデン・ブリッジⅤ:新金橋Ⅴ)」と名前を変え、仁川-青島航路に就航している。
  • さっぽろ丸
  • 第3歓栄丸
  • 第2八千代丸
  • せいらん丸
  • 大函丸
  • まつまえ
  • 第2大函丸
  • 青函丸
  • 青蘭丸
  • 第2青函丸
  • 第3大函丸
  • 第5青函丸
  • 第5大函丸
  • 第1陸奥丸
  • 室蘭丸
  • 第2陸奥丸
  • つがる
  • 第6大函丸
  • 第2室蘭丸
  • 第10函館丸
  • 第11函館丸
  • 第7大函丸
  • 第3陸奥丸
  • 第8陸奥丸
  • 野辺地丸
  • 第6青函丸
  • 第7青函丸
  • 英鶴丸
  • べが(VEGA、初代)
  • びるご(VIRGO、初代)
  • ばるな(VARUNA、初代)
  • びなす(VENUS、初代)
  • べすた(VESTA)
  • ぼらん(VOLANS)
  • べえだ(VEDA)
  • びすば(VISVA)
  • ばるな(VARUNA、2代目)
  • べにりあ(VENILIA、初代)
  • びくとり(VICTORY)
  • へるめす(HERMES)
  • はあきゆり(HERCULES)
  • べら(VELA)

マスメディア[編集]

  • 1980年代、HBCテレビで土曜日13:55-14:00の「天気予報」を提供していた。
  • 月曜日-土曜日の朝と夕方の時間帯に、HBCラジオの長寿番組として長年に渡って「東日本フェリーガイド」が放送されていた。
  • uhbスーパーニュース」(UHB)と「サンデープロジェクト」(HTB)で番組提供を行っていた。
  • 上記番組およびCMのBGMに用いられた曲が「北国の海」(作詩:伊藤アキラ、作曲・歌:アイ・ジョージ)である。この曲をA面としたSP盤レコードも作られた(B面:ブルーカントリー)。

脚注[編集]

  1. ^ http://www.tsutai-computer.co.jp/page1.html
  2. ^ 東日本フェリー 道内-青森3航路撤退 11月末までに 高速船売却も[リンク切れ] - 北海道新聞(2008年9月4日)
  3. ^ 室蘭-青森航路の廃止を発表 東日本フェリー[リンク切れ] - 北海道新聞(2008年10月15日)
  4. ^ 函館-大間航路 1年継続を正式合意 青森県など支援 1億2千万円上限[リンク切れ] - 北海道新聞(2008年10月15日)
  5. ^ 【プレスリリース】函館~大間航路の平成22年9月以降のフェリー運航について
  6. ^ 合併及び社名変更のお知らせ
  7. ^ a b c 市民生活の諸相(コラム)『函館・大間間カーフェリーの就航 「函館市大間町」の出現』(函館市史デジタル版 通説編第4巻第7編 コラム46) - 函館市
  8. ^ a b c d e f 戦後の函館の歩み『フェリーブーム』(函館市史デジタル版 通説編第4巻第6編) - 函館市
  9. ^ a b c d e f g h i j 室蘭港の歴史 - 室蘭港
  10. ^ a b c d 戦後の函館の歩み『野辺地航路と七重浜ターミナル基地』(函館市史デジタル版 通説編第4巻第6編) - 函館市
  11. ^ 函館ドックがフェリー航路運営のために設立した子会社。日魯漁業とも提携。
  12. ^ 路線バス事業者リスト(北海道編)奥尻町内路線バス事業の、運営事業者遷移年月の記載あり。
  13. ^ 東日本フェリー、苫小牧-仙台航路休止へ - 苫小牧民報(1999年12月10日)
  14. ^ http://www.libera.co.jp/02hold/index.html
  15. ^ 津軽海峡フェリー 2009年2月27日付プレスリリース

外部リンク[編集]