中村光一

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中村光一(なかむら こういち、1964年8月15日 - )は、ゲームクリエイター株式会社チュンソフト代表取締役社長。

[編集] 人物

丸亀高校時代は数学同好会に所属。

工学社の雑誌「I/O」においてPC-8001版『ALIEN PartII』(これについては『平安京エイリアン』を参照)の掲載で投稿デビュー。続けて『スクランブル』(権利関係から後に『アタッカー』に改題)、『リバーレスキュー』(オルカリバーパトロール』の移植)を投稿。当時のマイコン少年の間では知られた存在であった。

これらで得た投稿料、印税でPC-8801を購入、1982年の高校3年の時に『ドアドア』を製作。エニックス主催の第1回ホビープログラムコンテストで、準優勝にあたる優秀プログラム賞を獲得し、さらに有名人になる。

このコンテストの模様は週刊少年ジャンプに巻頭特集記事として掲載された。この記事を担当したのが後に一緒に仕事に携わることになる、フリーライター時代の堀井雄二であった。

1983年電気通信大学に入学。入学後早々に株式会社チュンソフトを設立し、エニックス製品の開発に係わる。パソコンゲーム『ニュートロン』を経て、ファミコン版『ドアドア』『ポートピア連続殺人事件』を開発後、『ドラゴンクエスト』を手掛ける。

ドラゴンクエストシリーズは『ドラゴンクエストⅣ』までの開発に携わるが、その後エニックス作品から離れ『弟切草』で自社ブランドデビュー。その後、『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』『かまいたちの夜』『風来のシレン』『街 〜運命の交差点〜』と立て続けに新ジャンルを開拓、いずれもヒットを飛ばし、優良メーカーの代名詞として活躍を見せる。一時自社製品のエピゴーネンに悩まされたが、『3年B組金八先生 伝説の教壇に立て!』のヒットで復活の兆しを見せる。また近年ではセガと家庭用ゲーム事業で業務提携を結んだ。

テレビ東京ワールドビジネスサテライトにおいて2006年、1億2000万円のオーストラリア製クルーザーを購入したことの取材を受ける。

[編集] 作品

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