MIM-14 (ミサイル)

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MIM-14 ナイキ・ハーキュリーズ

発射機上のMIM-14 ナイキ・ハーキュリーズ

発射機上のMIM-14 ナイキ・ハーキュリーズ

MIM-14 ナイキ・ハーキュリーズ: Nike-Hercules)は、固形燃料ロケット・モーターにより推進する地対空ミサイルであり、地対地ミサイルとして使用することもできた。高々度及び中高度防空のためにアメリカ合衆国及びNATO軍により用いられた。当初の制式名はSAM-N-25で、後に[いつ?]M6に改称した。

概要[編集]

ナイキ・エイジャックス・ミサイルに続くナイキ・ハーキュリーズ・システムは、敵の爆撃機と敵の爆撃機編隊を破壊するだけでなく、弾道弾迎撃ミサイル・システムとしても使用することも視野に入れて冷戦期に開発された。ナイキミサイル計画として、ナイキ・ハーキュリーズは大陸間弾道ミサイル(ICBM)迎撃用に発展したナイキ・ゼウス/スパルタンが開発された。これは第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)の一部において弾道弾迎撃ミサイル制限条約が締結されるに至った。

通史[編集]

1953年より開発が開始され、1958年より配備が開始された。ウェスタン・エレクトリックベル研究所及びダグラス・エアクラフトがシステムの主要な契約者であった。アメリカ陸軍に加え、システムは1963年から配備が始まった西ドイツを皮切りに、オランダベルギー及びギリシャ1980年代後期まで輸出された。また、ナイキ・ハーキュリーズ・ミサイル・システムは日本航空自衛隊にもナイキJとして輸出(ライセンス生産)され、その後ナイキJには、初期の真空管による電子装置をトランジスタ化されたものと交換することによって内蔵誘導装置の改善が施された。

145個のミサイル中隊が冷戦期に配備されたが、アメリカ本土防衛にとって最大の脅威が爆撃機でなく弾道ミサイルであることが明らかになったとき、大部分のナイキ・ハーキュリーズ部隊は解散した。すべてのアメリカ合衆国本土(CONUS)のナイキ・ハーキュリーズ中隊は、フロリダ州アラスカ州のものを除いて、1974年4月までに解散した。残りの部隊は、1979年の春のうちに解散した。フロリダのサイトであるエバーグレーズ国立公園のアルファ中隊、キーラーゴ(Key Largo)のブラボー中隊、キャロル市のチャーリー中隊とマイアミ郊外のクローメ通りにあったデルタ中隊の解体は、1979年6月に始まり、その年の初秋までに完了した。

アメリカ陸軍は、MIM-104 パトリオット・ミサイル部隊が配備される1983年までヨーロッパの最前線の防空兵器としてナイキ・ハーキュリーズを運用し続けた。西ドイツ、オランダ、ベルギー、ギリシャ及びトルコからのNATO部隊は、1980年代後期まで高々度防空のためにナイキ・ハーキュリーズを運用し続けたが、東ヨーロッパ共産主義国の崩壊により部隊は解散した。

パトリオット・ミサイルは、高々度及び中高度防空任務で、ナイキ・ハーキュリーズと交替した。パトリオットがナイキ・ハーキュリーズ・システムに勝るその利点は、その機動性であった。ナイキ・ハーキュリーズ発射サイトが確立するのには何日もかかるが、パトリオット発射サイトは数時間で確立することができる。パトリオットはまた、より先進のフェイズド・アレイ・レーダー・システムを使用し、ミサイル目標に対してより良好な追跡を実現していた。

ナイキ・ハーキュリーズの発射サイト

ナイキ・サイトはごく少数が保存されたが、アメリカ国内及び国外に多くのナイキ・サイト跡がまだ存在する。サンフランシスコゴールデンゲート海峡の北にある1つは、作戦用地下ミサイル・シェルターを完備する国立公園サイトとして維持されている。

特徴[編集]

ナイキ・ハーキュリーズは、W31核弾頭又は通常のT-45破片効果弾頭を搭載することができた。ミサイルは、全長41ft6in(12.6m)、翼幅6ft2in(1.9m)であった。ミサイルは、約77mi(110km)の射程を持っていた。1段目はナイキ・エイジャックスのブースターを4本束ねたものであり、2段目の安定翼も大型化された。誘導方式は地上レーダー情報を用いた無線指令誘導方式である。

ナイキ・ハーキュリーズとナイキ・エイジャックスはソビエト連邦S-75(SA-2 ガイドライン)中距離ミサイルに相当したが、少数しか戦闘において発射されなかった。ソビエトのミサイルは、アメリカの航空機に対してベトナム戦争中に相当数使用された。それらのミサイルは高々度又は手頃な高度で飛行している航空機に対して非常に効果的で、有効最低高度の下を飛行するか、強力で洗練されたECMポッドまたは専用の電子戦機を使うかといった骨の折れる戦術を用いなければならなかった。

地対空誘導弾 ナイキJ[編集]

航空自衛隊 浜松基地 展示品

日本航空自衛隊では、ソビエト連邦の高高度戦略爆撃機の脅威から防衛する為に、第3次防衛力整備計画において導入が開始された。

地対空ミサイルの採用にあたっては、陸上自衛隊が「対空砲火の延長である」、航空自衛隊が「無人戦闘機である」として、激しい縄張り争いが展開された。結果、ナイキJを航空自衛隊が、ホークを陸上自衛隊が採用するという、玉虫色の決着がなされた。なお先だって陸上自衛隊が採用していたナイキ・エイジャックスは、後に航空自衛隊に移管され、ナイキはこれを更新するものとなった。

基本的に原型のMIM-14と同じだが、弾頭には510kgの高性能炸薬のみ搭載可能な地対空誘導弾 ナイキJとして導入されていた。一部部品の対外有償軍事援助(FMS)を含み、1967年から三菱重工業によってライセンス生産されていた[1][2]

1970年(昭和45年)から部隊配備が開始され、最終的に6個高射群に配備された。沖縄県第5高射群の所在地は、アメリカ陸軍のSAMサイトを移管されたものである。1994年(平成6年)まで運用されており、後継のペトリオットミサイルに順次更新された。

導入に際しては「核兵器の搭載が可能」という点がマスメディア等によって強調されたため、革新政党市民団体による反対運動が展開され、裁判により導入の是非が争われた(長沼ナイキ事件を参照)

仕様[編集]

MIM-14B[編集]

出典:Designation-Systems.Net[3]

  • 全長: 12.52m(41ft1in)
    • 本体長: 8.18m(26ft10in)
    • ブースター長: 4.34m(14ft3in)
  • 翼幅: 1.88m(6ft2in)
    • ブースター翼幅: 3.50m(11ft6in)
  • 直径: 0.53m(21in)
    • ブースター直径: 0.80m(31.5in)
  • 発射重量: 4,850kg(10,710lb)
    • 本体重量: 2,505kg(5,530lb)
    • ブースター重量: 2,345kg(5,180lb)
  • 速度: M3.65
  • 到達高度: 45,700m(150,000ft)
  • 射程: 140km(88mi)
  • 機関
    • ブースター: ハーキュリーズ M42 固体燃料ロケット・モーター(M5E1 ナイキ・ブースター×4)
      推力: 合計978kN(220,000lb)
    • サステナー: チオコール M30 固体燃料ロケット・モーター
      推力: 44.4kN(10,000lb)
  • 弾頭

脚注[編集]

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  1. ^ http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/058/1380/05803271380008c.html 第058回国会 予算委員会 第8号 昭和四十三年三月二十七日 議事録
  2. ^ http://www.mhi.co.jp/ngpsw/introduction/contents/outline/brief_history.html 三菱重工沿革
  3. ^ Parsch, Andreas (2001年10月1日). “MIM-14” (英語). Directory of U.S. Military Rockets and Missiles. Designation-Systems.Net. 2007年7月31日閲覧。
  4. ^ en:Nike-Hercules Missile 2007-07-18 02:57 (UTC)

関連項目[編集]