愛宕山 (東京都港区)

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愛宕山
Atago-yama Hill Tokyo.jpg
愛宕山(中央はNHK放送博物館
標高 25.69 m
所在地 東京都港区愛宕一丁目5番3号
位置 北緯35度39分53秒 東経139度44分55秒 / 北緯35.66472度 東経139.74861度 / 35.66472; 139.74861座標: 北緯35度39分53秒 東経139度44分55秒 / 北緯35.66472度 東経139.74861度 / 35.66472; 139.74861
山系 独立峰
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出世の石段(2012年2月)
NHK放送博物館
愛宕神社

愛宕山(あたごやま)は、東京都港区愛宕にある丘陵である。一帯の愛宕神社境内には、三等三角点があり、25.7mの標高が記録されている。天然の山としては東京23区最高峰[1]

歴史[編集]

愛宕山より撮影した江戸のパノラマ(1865~66年頃、フェリックス・ベアト撮影)。愛宕山の東一帯は愛宕ノ下と呼ばれ、武家屋敷が広がっていた。奥の広い緑地が現在の浜離宮恩賜庭園で、その右には江戸湾を臨むことができた。築地本願寺台場なども見える。

愛宕山は自然形成によって成立したものであると地質学的に立証されているが、周辺の低地との兼ね合いから形成のメカニズムははっきりしていない。

江戸時代から愛宕山は、武士たちの間の信仰と、山頂からの江戸市街の景観の素晴らしさで有名な場所であった。『鉄道唱歌』の第1番にも「愛宕の山」と歌われている。

山上にある愛宕神社は、もとは1603年にこれから建設される江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社であったが、「天下取りの神」、「勝利の神」としても知られ、各藩武士たちは地元へ祭神の分霊を持ち帰り各地で愛宕神社を祀った。桜田門外の変井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達もここで成功を祈願してから江戸城へ向かったとされる。

また、NHKの前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、1925年7月の本放送から1938年NHK東京放送会館への移行まで、この愛宕山から発信された。

現在は周囲に高層ビルが林立したため、かつてのような見晴らしはなくなったが、大木などによる緑の豊かさは変わらない。歴史ある曹洞宗青松寺愛宕神社NHK放送博物館と、それらを取り囲む超高層ビル群(例えば青松寺を挟んで建つ愛宕グリーンヒルズツインタワーや、虎ノ門神谷町霞が関汐留などのビル群)が同時に存在する、現在の東京を象徴する風景を見せている。

出世の石段[編集]

現在でも「男坂」の急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。これは、江戸時代1634年2月25日寛永11年1月28日)、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にあるが咲いているのを見て、「梅の枝をで取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている(講談浪曲の定番、「寛永三馬術」で今も伝わる)。

以降、出世の石段を馬で登った成功例は今までに3例存在する。1例目は仙台藩で馬術指南役を務め、廃藩後曲馬師をしていた石川清馬で、師の四戸三平が挑み、果たせなかった出世の石段登頂を1882年に自らが成功させ、これにより石川家は徳川慶喜より葵の紋の使用を許された。

2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫で、1925年11月8日、愛馬平形の引退記念として挑戦し、観衆が見守る中成功させた。上りは1分ほどで駆け上がったが、下りは45分を要した。この模様は山頂の東京放送局によって中継され(日本初の生中継とされる)、昭和天皇の耳にも入り、結局平形は陸軍騎兵学校の将校用乗馬として使われ続けることとなった。

3例目は馬術のスタントマン、渡辺隆馬である。1982年日本テレビの特別番組『史実に挑戦』において、安全網や命綱、保護帽などの安全策を施した上で32秒で登頂した。

脚注[編集]

  1. ^ 「23区内の最高地点」とされることがあるがこれは誤りで、あくまでも「自然地形でなおかつ山と呼ばれるものの中では最高」ということである。23区西半部の大半は標高30mを超える台地(武蔵野台地)であり、最高地点は練馬区南西端の約58m。また人造の“山”の最高峰は新宿区の箱根山(45m)である

関連項目[編集]

外部リンク[編集]