愛宕山 (港区)
| 愛宕山 | |
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愛宕山
(中央はNHK放送博物館) |
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| 標高 | 25.69 m |
| 所在地 | 東京都港区愛宕一丁目5番3号 |
| 位置 | 北緯35度39分53.2秒 東経139度44分55.5秒 |
| 山系 | 独立峰 |
愛宕山(あたごやま)は、東京都港区愛宕にある丘陵である。一帯の愛宕神社境内には、三等三角点があり、25.7mの標高が記録されている。天然の“山”としては東京23区内最高峰[1]。
目次 |
[編集] 歴史
江戸時代から愛宕山は、武士たちの間の信仰と、山頂からの江戸市街の景観の素晴らしさで有名な場所であった。『鉄道唱歌』の第1番にも「愛宕の山」と歌われている。
山上にある愛宕神社は、もとは1603年にこれから建設される江戸の防火のために徳川家康の命で祀られた神社であったが、「天下取りの神」「勝利の神」としても知られ、各藩武士たちは地元へ祭神の分霊を持ち帰り各地で愛宕神社を祀った。桜田門外の変で井伊直弼を襲った水戸藩の浪士達もここで成功を祈願してから江戸城へ向かったと言う。
また、日本放送協会(NHK)の前身の一つである社団法人東京放送局(JOAK)は、この愛宕山に放送局を置き、1925年(大正14年)の日本初のラジオ放送は、この愛宕山から発信された。
このように歴史の舞台となってきた愛宕山は現在かつてのような見晴らしはなくなってしまったが、大木などによる緑の豊かさは変わらない。歴史ある曹洞宗青松寺・愛宕神社・NHK放送博物館と、それらを取り囲む超高層ビルの群れ(例えば青松寺を挟んで建つシーザー・ペリによる愛宕グリーンヒルズツインタワーや、虎ノ門・神谷町・霞が関や汐留などのビル群)が同時に存在する、現在の東京を象徴する風景を見せている。
愛宕山は、地形的にも自然形成によって成立したものであると地質学的にも立証されているが、周辺の低地との兼ね合いから形成のメカニズムが今ひとつはっきりしていない。
[編集] 出世の石段
現在でも「男坂」の急な石段は「出世の石段」と呼ばれている。これは、江戸時代の寛永11年(1634年)1月28日、徳川秀忠の三回忌として増上寺参拝の帰り、徳川家光が山上にある梅が咲いているのを見て、「梅の枝を馬で取ってくる者はいないか」と言ったところ、讃岐丸亀藩の家臣(曲垣平九郎)が見事馬で石段を駆け上がって枝を取ってくることに成功し、その者は馬術の名人として全国にその名を轟かせた、という逸話から来ている。
以降、出世の石段を馬で登った成功例は今までに3例存在する。1例目は仙台藩で馬術指南役を務め、廃藩後曲馬師をしていた石川清馬で、師の四戸三平が挑み、果たせなかった出世の石段登頂を明治15年(1882年)に自らが成功させ、これにより石川家は徳川慶喜より葵の紋の使用を許された。
2例目は参謀本部馬丁の岩木利夫で、大正14年(1925年)11月8日、愛馬平形の引退記念として挑戦し、観衆が見守る中成功させた。上りは1分ほどで駆け上がったが、下りは45分を要した。この模様は山頂の東京放送局によって中継され(日本初の生中継とされる)、昭和天皇の耳にも入り、結局平形は陸軍騎兵学校の将校用乗馬として使われ続けることとなった。
3例目は馬術のスタントマン、渡辺隆馬である。昭和57年(1982年)、日本テレビの特別番組「史実に挑戦」において、安全網や命綱などの安全策を施した上で32秒で登頂した。