エミール・ザトペック
| 獲得メダル | ||
|---|---|---|
エミール・ザトペック |
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| 陸上競技 | ||
| 金 | 1948 ロンドン | 男子10000m |
| 金 | 1952 ヘルシンキ | 男子5000m |
| 金 | 1952 ヘルシンキ | 男子10000m |
| 金 | 1952 ヘルシンキ | 男子マラソン |
| 銀 | 1948 ロンドン | 男子5000m |
エミール・ザトペック(Emil Zátopek、1922年9月19日 - 2000年11月22日)は、チェコ(現役当時はチェコスロバキア)の陸上選手。
目次 |
経歴[編集]
ロンドンオリンピック(1948年)の10000m、ヘルシンキオリンピック(1952年)の5000m・10000m・マラソンで金メダルを獲得した。この長距離三冠の記録は今後達成する選手はいないだろうと考えられている。
顔をしかめ、喘ぎながら走るスタイルから『人間機関車』と称された。また、インターバルトレーニングの創始者としても知られている。
妻のダナ・ザトペコワも陸上競技選手で、ヘルシンキオリンピック(1952年)のやり投競技で金メダル、ローマオリンピック(1960年)のやり投競技で銀メダルを獲得している。
いわゆるプラハの春の際には、自由化を求める「二千語宣言」の署名者の一人となったため、続くソ連軍のチェコ侵攻のあとは国内で冷遇される日々が続いたが、1989年の民主化により復権した。
マラソン全成績[編集]
| 年 | 大会 | 開催国 | 成績 | タイム | 備考 |
|---|---|---|---|---|---|
| 1952年7月27日 | ヘルシンキオリンピック |
優勝 | 2:23:03.2 | 五輪新記録 | |
| 1956年12月1日 | メルボルンオリンピック |
6位 | 2:29:34 |
エピソード[編集]
1936年、ベルリンオリンピックの5000m・10000mでともに4位入賞を果たした村社講平の力走に、当時13歳の少年であったザトペックは感銘を受ける。
1981年4月、多摩ロードレースに出場するために来日したザトペックが「どうしても村社講平と一緒に走りたい。彼は私を陸上競技の道に進ませてくれた、憧れの人なんだ」と希望したことから、当時75歳であった村社が「そこまで言うのなら」と一緒に走ることを快諾、5kmをザトペックと共に走った。
レースの後、ザトペックは「今日は我が人生で一番幸福な日だ。私にとってのヒーローであるムラコソと一緒に走ることが出来たのだから」と語り、その感激を語っている。
関連書籍[編集]
- 『ザトペック 勝利への人間記録』(F.R.コジック(著)、南井慶二(翻訳)、朝日新聞社、1956)
- 『記録をうちたてた人々(さ・え・ら伝記ライブラリー 6)』(鈴木良徳(著)、さ・え・ら書房、1965/10、ピエール・ド・クーベルタン、ジム・ソープ、パーヴォ・ヌルミ、織田幹雄、人見絹枝、ジェシー・オーエンス、フランシナ・ブランカース=クン、エミール・ザトペックを紹介、ISBN 978-4378018065)
- 『E・ザトペックの実像 人間機関車』(ズデニェク・トーマ(著)、大竹国弘(翻訳)、ベースボールマガジン社、1982/1、ISBN 978-4583021584)
関連項目[編集]
- 村山実 - 投球フォームが「ザトペック投法」と呼ばれた。
- ザトペック (小惑星)
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