サムエル・ワンジル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サムエル・ワンジル
選手情報
フルネーム: サムエル・カマウ・ワンジル
国籍: ケニア
種目: 長距離走マラソン
生年月日: 1986年11月10日(22歳)
生誕地: ケニアニャフルル
身長: 163cm
体重: 52kg
自己ベスト: 5000m : 13分12秒40(2005年)
10000m : 26分41秒75(2005年)
マラソン : 2時間5分10秒(2009年)

サムエル・ワンジル(Samuel Kamau Wanjiru〔Wansiru〕、1986年11月10日 - )は、日本国内で活躍しているケニア出身の男子陸上競技選手長距離種目)。

目次

[編集] 経歴

ガル高校(Ngaru Secondary School:ケニアの学制は8・4。Secondary Schoolが高校に相当)在学中の15歳で陸上競技を始める。一日わずか30分の練習で5000mを14分06秒で走り注目を浴びた。この頃、先に仙台育英学園高等学校駅伝要員(助っ人)として留学し成績を伸ばしていたサムエル・カビルと話をし、日本留学への興味を持つようになる。そして、日本への留学生の選考会を兼ねたクロスカントリー大会で優勝し、仙台育英高校のスカウトの目に留まり同校への留学を決めた。全ては陸上を始めてから間もない出来事であった。

高校在学当初は初めて体験する仙台の冬の寒さや言葉の壁に悩みホームシックにもなったが、アニメ番組を見て日本語を勉強するなどし、1年後には日本語の日常会話を流暢にこなすようになった。ケニアでは一日30分しか練習していなかったワンジルにとって、最初の一年間は仙台育英高校での練習が非常にきつく感じたと後に語っている[1]。高校生当時は駅伝やクロスカントリーに力を入れ、千葉国際クロスカントリー大会を2度、福岡国際クロスカントリー大会を3度制し、全国高等学校駅伝競走大会では3年連続区間賞の快走を見せ、同じケニアからの留学生、メクボ・ジョブ・モグスらに勝つなど、仙台育英高校の黄金時代に貢献した。しかし、1km2分45秒のペースで2kmを走るロード用のペース走練習にこだわったあまり、スピード練習が不足していたワンジルは高校総体5000mでは1年次3位、2年次2位、3年次3位に終わり栄冠には届かなかった。3年次には同競技で日本人選手の佐藤悠基にも先着を許している。そのため自分にはスピードの才能がないと誤解したワンジルは早期のマラソン転向を志すようになる。(とはいえワンジルの高校3年生当時の自己ベスト記録5000m:13分38秒98、10000m:28分00秒14はいずれも日本高校記録を上回っている。)

高校卒業後はいくつかの実業団からの誘いがあった中で、バルセロナ五輪男子マラソン銀メダリストでもある森下広一が監督を務めるトヨタ自動車九州にマラソンランナーを目指して入社。同社では人事総務部総務室に所属しトレーニングを積む。ところが入社直後の2005年4月の兵庫リレーカーニバル10000mで28分台を破る27分32秒43の自己ベストを記録。翌週には織田幹雄記念国際陸上競技大会5000mで13分12秒40と自己ベストを立て続けに記録した。これにより早期のマラソン転向は棚上げし、マラソンより短い距離の練習を積む。結果はすぐに表れ、同年7月の仙台国際ハーフマラソンで59分43秒の当時世界歴代2位の記録で優勝。続いて8月のベルギーのブリュッセルグランプリリーグ10000mで26分41秒75のジュニア世界新記録を樹立。さらに9月のオランダのロッテルダムハーフマラソンでポール・テルガトの持っていた当時の世界記録を1秒更新する59分16秒の世界新記録を樹立した。

[編集] フルマラソン

マラソン戦績
大会 開催国 成績 タイム
2007 福岡国際マラソン 日本 優勝 2:06:39
2008 ロンドンマラソン イギリス 2位 2:05:24
2008 北京オリンピック 中国 優勝 2:06:32
2009 ロンドンマラソン イギリス 優勝 2:05:10

2006年1月、ハイレ・ゲブレセラシェによってハーフマラソン世界記録が58分55秒に更新されるが、ワンジルは2007年2月にアラブ首長国連邦のラス・アル・カイマハーフマラソンで58分53秒のタイムを出し、ゲブレセラシェの記録を上回る。(しかしこのレースではEPOテストが実施されなかったため記録は公認されなかった。)ついに同年3月、オランダハーグで行われたハーフマラソンで、58分33秒の世界新記録を樹立し世界記録保持者に返り咲いた。満を持して同年12月2日に行われた福岡国際マラソンに出場し、初マラソン初優勝大会新記録の成績を残し、ハーフマラソン世界記録保持者としての実力を見せつけた。なお、この時のタイムは2時間6分39秒[2]で、当時の藤田敦史が持っていた大会記録を12秒上回った[3]

2008年4月13日に行われたロンドンマラソンで、優勝したケニアマーティン・レルに次ぎ2位でゴール、世界歴代5位の2時間5分24秒を記録[2]。7月、ケニアから日本の弁護士を通じてトヨタ自動車九州に退職届を提出。

同年8月24日に行われた北京オリンピック男子マラソンで、2時間6分32秒という五輪新記録で優勝した[4]ケニア勢初のマラソン金メダリストとなり、また、21歳9ヶ月での金メダル獲得は男子マラソンでは1932年のロサンゼルスオリンピックでのファン=カルロス・サバラ(20歳10ヶ月)に次ぐ史上2番目の若さである。閉会式で、IOC会長のジャック・ロゲから金メダルを受け取った。閉会式実況の内山俊哉アナウンサーは「都大路が生み出したオリンピックの金メダリスト」と評した[5]

レース終了後、日本のプレスインタビューに流暢な日本語で応じ、日本への感謝の気持ちを述べた。退社につき「(同社に所属していれば)駅伝を走らなくてはいけない。今後は自分で(考えて)やりたい」と述べる[6]

その後11月11日に明治製菓とスポンサー契約を結んだ。所属名は同社のブランド「ザバス」となっている。

北京五輪のメダリスト3人が顔を揃えた2009年のロンドンマラソンでは、25kmまで世界記録を上回るハイペースで集団が進む中、28km地点と32kmキロ地点でスパートをかけて他の選手を振り切り、大会記録を5秒更新する2時間5分10秒(世界歴代7位)で優勝した。

スプリントの切れ味で決着をつけるタイプではなく、長いスパートを自ら仕掛けてレースを動かし、主導権を握るのが得意なスタイルである。

[編集] 人物

  • 母が陸上経験者。母方の従兄のジョセフ・リリも2004年ベルリンマラソン2位(2時間6分49秒)、2005年びわ湖毎日マラソン優勝の実力者。
  • ケニアに里帰りした際は自宅から300kmも離れた仙台育英高校の先輩サムエル・カビル(2004年7月に白血病で死去)の墓参りを欠かさないという。
  • 高校時代にはスポーツのみならず、書道の全国大会でも金賞を獲得。“書の甲子園”でも全国制覇するほどの実績もある。
  • 2007年に結婚し、母国ケニアに妻と娘がいる。
  • 好物は梅酒焼酎も嗜む。松浦亜弥の大ファンである。

[編集] 主な戦績

[編集] 自己ベスト

  • 5000m - 13分12秒40(2005年4月29日、織田記念陸上、広島)
  • 10000m - 26分41秒75(ジュニア世界記録、2005年)
  • ハーフマラソン - 58分33秒(世界記録、2007年)
  • マラソン - 2時間5分10秒(ロンドン、2009年)

[編集] 年次ベスト

5000m 10000m ハーフマラソン マラソン
2002年 13分44秒80 28分36秒08
2003年 13分38秒98 28分20秒06
2004年 13分47秒22 28分00秒06
2005年 13分12秒40 26分41秒75
※ジュニア世界記録
59分16秒
2006年
2007年 13分18秒25 27分20秒99 58分33秒
※世界記録
2時間06分39秒
2008年 27分56秒79 59分26秒 2時間05分24秒
2009年 2時間05分10秒

太字は自己ベスト

[編集] 脚注

  1. ^ Wanjiru, Kenya’s next marathon great? IAAF公式サイト(英語)
  2. ^ a b 福岡国際マラソンプレーバック 福岡国際マラソン公式サイト
  3. ^ 翌年の大会でツェガエ・ケベデエチオピア)により更新されたため、現在は大会記録ではない
  4. ^ 従来の記録は1984年のロサンゼルスオリンピックでのカルロス・ロペスの2時間9分21秒で、24年ぶりに更新した。
  5. ^ 日刊スポーツ - オリンピック名言集 実況編。
  6. ^ 毎日新聞 - ワンジル、トヨタ九州退社し「長距離」で活動へ。

[編集] 外部リンク

先代:
サムエル・カビル
高校駅伝1区区間賞
2002年2003年
次代:
ジョン・カリウキ