二千語宣言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索

二千語宣言(にせんごせんげん、Dva tisíce slov)は、1968年チェコスロヴァキア改革運動、いわゆる「プラハの春」を象徴する文書のひとつ。4月の『行動綱領』が党による改革の指針であるのに対して、『二千語宣言』は市民社会側からの改革への支持・期待の表明であった。起草者は、作家のルドヴィーク・ヴァツリーク

1968年6月27日、『リテラールニー・リスティ(Literární listy)』、 『プラーツェ(Práce)』、『ゼムニェジェルスケー・ノヴィニ(Zemědělské noviny)』、『ムラダー・フロンタ(Mladá fronta)』 に同時掲載された。

エミール・ザトペックベラ・チャスラフスカをはじめとする著名人が名を連ね、1週間たらずで3万人以上の市民が署名した。

背景[編集]

6月下旬からチェコスロヴァキア領内で実施されたワルシャワ条約機構軍の合同軍事演習「シュマヴァ」によって、軍事介入の可能性がチェコスロヴァキア国民の間でうわさされるようになった。またアレクサンデル・ドゥプチェク第一書記や共産党幹部は、ソ連などの圧力に譲歩して、改革の勢いに歯止めをかけてしまうのではないか、という懸念が知識人の間に広まった。

そうした声を受ける形で、数名の知識人がヴァツリークに、ドゥプチェク指導部および改革に対する支持を表明すると同時に、他国からの圧力に屈しない態度を表明する宣言を起草するように依頼した。

帰結[編集]

ソ連のレオニード・ブレジネフ書記長は、『二千語宣言』は反革命であるとみなし、その公表を許したドゥプチェク指導部に対して厳しい批判を行った。共産党の統制外で、自発的な市民による文書が起草・公表されたことは、党の指導的役割の侵食と受け止められたのであった。

ソ連の厳しい批判を受けて、ドゥプチェク第一書記は、29日に声明を発表し、宣言の意図に理解を示しつつも、宣言の公表が改革運動の進展にとって妨げになる可能性を指摘し、あくまで党主導による改革の必要性を強調した。

関連項目[編集]

関連文献[編集]

  • みすず書房編集部編『戦車と自由(1)チェコスロバキア事件資料集』(みすず書房, 1968年)-『二千語宣言』の日本語訳を収録。