リンゴの唄

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リンゴの唄」(りんごのうた)は戦後映画の第1号「そよかぜ」(昭和20年(1945年10月10日公開、松竹大船)の主題歌で戦後のヒット曲第1号の楽曲。作詞:サトウハチロー、作曲:万城目正、歌唱:並木路子霧島昇[1]。並木は映画「そよかぜ」の主演であり、霧島昇も「そよかぜ」に出演している。

目次

[編集] 概要

サトウハチローがこの詞を作ったのは戦時中であったが、「戦時下に軟弱すぎる」という理由で検閲不許可とされ、戦後になって日の目を見た。可憐な少女の思いを赤いリンゴに託して歌う歌詞が、戦後の焼け跡の風景や戦時の重圧からの解放感とうまく合っていたのと、敗戦によって憔悴しきった国民の心を癒される楽曲と評価され、空前の大ヒットとなった。レコードは昭和21年(1946年1月日本コロムビアから発売されたが、3ヶ月で7万枚を売りつくし、17円50銭のレコードに100円の闇値がつくほどだったという[2]

この当時まだリンゴは貴重品であり、1945年12月に行われた公開ラジオ番組(NHK希望音楽会」)において並木がこの歌を歌いながら客席に降り、篭からリンゴを配ったところ、会場がリンゴの奪い合いで大騒ぎになったというエピソードもある。並木も後日「リンゴってどんな味がしたんだろうと思い出しながら歌った」と語っている[2]

また、テレビ番組などの資料映像として終戦直後のモノクロ映像(焼け跡の空撮、闇市買い出し列車etc.)が流れる際、必ずと言っていいほどBGMにこの曲が使われるケースが多いため“定番BGM”としても知られている。

なお、著作権に関しては、歌詞は2023年12月31日、曲は2018年12月31日に消滅する。

[編集] 「リンゴの唄」使用映画

前述の「そよかぜ」のみならず、劇伴音楽も含めるとこの「リンゴの唄」は今日までの邦画作品中で最も多く使われた歌謡曲であると思われる。以下、判明した作品を列記してみた。

このうち、「そよかぜ」と「みんな~やってるか!」以外の作品は、終戦直後の日本が舞台であったり、回想などでその時代が登場するシーンがあるため、劇中で「リンゴの唄」が使われているが、「みんな~やってるか!」はダンカン扮する主人公の頭の上に乗せたリンゴをチャンバラトリオ日本刀で斬ろうとするシーンのBGMに流れる。


[編集] エピソード

  • 映画が封切りされてからレコード吹き込みまでに『そよかぜ』と『リンゴの唄』は再三ラジオで放送されていた。当時、出演する歌手は歌う曲の譜面は放送局に持って行ったが、出演者の一人であった霧島昇はその際必ず『リンゴの唄』の譜面を持って行っていた。『リンゴの唄』のヒットを予感していた霧島は、作曲者万城目正に直談判し、この曲でデビューが決まっていた並木路子と共に歌わせて欲しいとの要請をしたため、急遽『リンゴの唄』は並木とのデュエットという形になった。
  • 『リンゴの唄』吹き込みの際、万城目は度々ダメを出し、「もっと明るく歌うように」と指示した。しかし、この注文は当時の並木には酷で、並木は戦争で父親と次兄、3月10日の東京大空襲で母を亡くしていた為、とてもそんな気分にはなれなかったのである。その事を聞いた万城目は、「君一人が不幸じゃないんだよ」と諭して並木を励まし、あの心躍らせるような明るい歌声が生まれたという。
  • 戦後再開したプロ野球に現れた強打者、大下弘が“青バット”を使用するきっかけとなったのがこの曲であり、「青い空」というフレーズを聞いて思いついた、という。
  • “ボヤキ漫才”で一世を風靡した人生幸朗・生恵幸子ツッコミを入れた曲第1号がこの「リンゴの唄」であり(歌詞を述べた後、「当たり前や!リンゴが物言うか!」と怒る)、このネタは大平サブローの物真似によって今日まで引き継がれている。
  • 双子の100歳姉妹、きんさんぎんさんの愛唱歌もこの曲であり、それが縁で平成初頭に放送のフジテレビ特番で並木路子との共演が実現し、3人で「リンゴの唄」を合唱した。
  • 並木は阪神・淡路大震災1995年1月17日発生)の最大の被災地である神戸市長田区への慰問に訪れた際にも、避難所となった学校の校庭に設けられた仮設ステージでこの曲を歌唱しており、その模様を載せた当時の新聞紙面には「焼け跡に再び『リンゴの唄』が流れた」という見出しが躍った。
  • 並木が死去した直後の2001年4月モーニング娘。のメンバー(当時)・石川梨華(現・美勇伝)が「今私たちがこうして歌えることの源流が並木さんの『リンゴの唄』であることを思うと、その先人の功績を忘れることなく歌い続けなければならない」という追悼談話を述べていた。
  • NHKテレビでは「終戦秘話シリーズ~焼跡にリンゴの唄が流れた~」(1980年8月19日放送)や「その時歴史が動いた・響け 希望の歌声~戦後初の流行歌『リンゴの唄』~」(2006年5月17日放送)をはじめ、これまでに「リンゴの唄」を題材としたドキュメンタリー番組を数多く放送しているが、前者は放送当時(作詞のサトウや作曲の万城目は既に故人となっていたが)並木、霧島昇、上原謙、佐々木康ら「リンゴの唄」に関わった人物の約半数が存命中だったため、彼らの貴重な証言を聞くことができる(なお本放送時、番組中に新宿西口バス放火事件NHKニュース速報が流れた)。
  • また、後者は再現VTRを交えた構成で放送され、並木の生前の著書「リンゴの唄の昭和史」の一節をグラビアアイドル乙葉(リンゴの産地である長野県出身)が朗読している。なお両番組共、NHKアーカイブスで公開されている。
  • 上記のようにリンゴが貴重品であったために、実際に歌詞通りの状況は存在しがたく、そのために「黙って見ている青い顔」という替え歌が流通した。「リンゴ高いや高いやリンゴ」とも。

[編集] 脚注

  1. ^ ただし流通しているレコードやCDは並木のソロでステレオ時代に再録音したものが多い。また霧島は本人の希望でデュエットという形で参加したものの、並木を売り出したいコロムビア側の意向でステージでは歌わなかったという(出典:読売新聞)。
  2. ^ a b 「リンゴの唄」並木路子さんが死去日刊スポーツ2001年4月9日