青い目の人形

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日米の人形交換を進めた渋沢栄一と「青い目の人形」写真は渋沢史料館所蔵

青い目の人形(あおいめのにんぎょう、: Blue-eyed Dolls)は、1927年に、アメリカ合衆国から日本に贈られた人形のこと。

概要[編集]

インディアナポリスに贈られた答礼人形

日露戦争後に日本満州の権益をにぎると、中国進出をうかがっていたアメリカ合衆国とのあいだで政治的緊張が高まっていた。また、1924年に成立したジョンソン=リード法(通称「排日移民法」)もまた、両国民の対立を高めつつあった。そんななか、1927年(昭和2年)3月、日米の対立を懸念し、その緊張を文化的にやわらげようと、アメリカ人宣教師シドニー・ギューリック博士(1860年1945年)が提唱して親善活動がおこなわれた。その一環として、米国から1927年3月3日に間に合う様に日本郵船天洋丸で日本の子供に12,739体の「青い目の人形」が、遅れて鳥羽丸で各州代表の人形48体とミス・アメリカが贈られた。仲介者は渋沢栄一であった。

12,739体の「青い目の人形」は全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された。ミス・アメリカと48体の各州代表人形は1927年3月18日に横浜の本牧小学校で歓迎式典を開かれた後、皇室に献上される為同月26日に赤坂御所に運ばれた。(48体の各州代表人形は後に香淳皇后より、内帑金(ないどきん)が下賜され、子供たちの利用が多い東京博物館(現国立科学博物館)の上野別館で、同体の日本人形と共に公開されていたが、戦火の混乱でその殆どが行方不明となった。)

返礼として、渋沢栄一を中心に「答礼人形」と呼ばれる市松人形58体が同年11月に日本からアメリカ合衆国に贈られた。

日本に贈られた「青い目の人形」だが、太平洋戦争第二次世界大戦)中は反米反英政策により敵性人形としてその多くが焼却処分された。しかし、処分を忍びなく思った人々が人形を隠し、戦後に学校等で発見された。現存する人形は2010年現在、323体[1]にすぎないが、日米親善と平和を語る資料として大切に保存されている。

人形について[編集]

青い目の人形[編集]

青い目の人形は、シドニー・ギューリックの「日本の雛祭りに人形を送ろう」との呼びかけによって全米から集められたもので[2][3]、一体ごとに衣装や体形など人形のデザインが異なっていた。

当時アメリカでは人形の量産体制が作られており、アメリカの世界児童親善会がジェニウィン社、エファンビー社、ホースマン社に発注し、衣装を着ていない状態の裸人形を「友情指示人形」として1体3ドルで斡旋した。これを男の子達が持ち寄ったお金で購入し、女の子達や母親が衣装や付属品を手作りしたものが送られた。人形の中には体を起こすと鳴いたりするカラクリ仕掛けとなっているものもあった。送られた人形達には生徒達によって名前がつけられ、ガラスケースなどに入れられて学校の昇降口や校長室の前に飾られていたという。

なお、人形に添えられたギューリックの手紙では「友情の人形」と呼称されており[2]、贈り主側が「青い目の人形」と名付けたわけではない。野口雨情が「青い眼の人形」の詩を発表したのは1921年(大正10年)のことで(『金の舟』1921年12月号)、人形交換よりも数年さかのぼる。これに本居長世が作曲したのが童謡「青い眼の人形」で、1923年にはアメリカでも演奏され、好評を博していた。「青い目の人形」との呼称は、これに因んで付けられたと思われる。またアメリカから贈られてきた人形は野口の詩にあるセルロイド製ではなく、多くがビスクドール素焼き)であった。


答礼人形[編集]

渋沢栄一が日米関係委員会委員として外務省から依頼され、全国の役場や学校を通して集められた市松人形がアメリカに送られた。この際は、雛祭りに送られた人形への答礼として「日本からもクリスマスに人形を送ろう」というコンセプトのもとに送られている[2][3]。日本側から送られた人形は皇室下賜人形1体を含めて全58体となっている。

青い目の人形が送られた各学校の生徒から1人1銭の募金を行い、そのお金で製作された100体以上の人形の中からコンテストで51体を選出、これを各道府県に送り、それぞれの道府県の学校で送別式を開いた後、再び集められてアメリカに渡ることとなった。残りの7体は大木平蔵商店に依頼して作られた。

アメリカに渡る際は、人間と同様に、パスポート、客船の一等切符なども用意され、鏡や箪笥といったお道具も含めたものとして作られている。製作費用は、人形本体約150円、衣装約150円、お道具約50円、計1体あたり約350円(2010年現在の貨幣価値で約260万円 - 280万円程度)であったという[2][3]

アメリカに送られた後は、すぐに各州に届けられるのではなく、1年間ほどアメリカ各地をまわって紹介、展示された後に、各州に渡された。このような経緯もあり、各地をまわる間に人形本体と台座が入れ違いになっているものもある。行方不明になったものもあるが、日本と比べると戦時中も比較的大切にされていたものが多く、44体が現存している。それぞれの人形は、台座に記された名前の地域名を取ってミス○○と呼ばれている。

青い目の人形が送られた学校[編集]

太字は人形が現存する学校・()カッコ内は人形の名前、カッコがないものは未詳または不明。
出典は外部リンクを参照

北海道地方[編集]

千島
北海道

東北地方[編集]

青森県
岩手県
宮城県
秋田県
山形県
福島県

関東地方[編集]

茨城県[編集]

茨城県には243体の人形が配られたが、現存するのは2体のみである[5]

栃木県[編集]

群馬県[編集]

県内には19体現存する。[2]

埼玉県[編集]

千葉県[編集]

出典
毎日新聞1937年3月19日4月9日発行記事
千葉県小学校変遷一覧(千葉県立中央図書館編)

葛飾郡

印旛郡

香取郡


千葉郡

千葉市

市原郡

海上郡



長生郡

山武郡

匝瑳郡


君津郡

安房郡

夷隅郡


東京都[編集]

神奈川県[編集]

中部地方[編集]

新潟県[編集]

富山県[編集]

石川県[編集]

福井県[編集]

岐阜県[編集]

愛知県[編集]


静岡県[編集]

長野県[編集]

山梨県[編集]

山梨県では129体の人形が寄贈され、第一便の前橋丸と第七便のりすぼん丸の人形が割り当てられた。人形は1927年(昭和2年)3月14日の甲府市の春日小学校で歓迎会、展覧会が行われ、県内の幼稚園や小学校へ配布された。

戦時下では多くの人形が処分され、1945年(昭和20年)7月6日-7月7日の甲府空襲の戦災で焼失したものも多く、現在では進徳幼稚園(甲府市)所蔵の「イヴァンヂリーン」、「相川小学校(甲府市)所蔵の「ジェネラ」、河口小学校蔵の「ジェニサガ」(富士河口湖町)、増穂町民俗資料館蔵(増穂町)の「ヘルン・モナー」、谷村第一小学校蔵(都留市)の「メリー」など5体が現存し、一部の人形にはメッセージが添えられた「パスポート」も付属している。また、日本側からアメリカへ送られた答礼人形のなかには「山梨富士子さん」が含まれ、現在はワイオニング州シャイアンの博物館に所蔵されている。現在では人形が現存する学校において日米交流や教材として利用されている[9]

近畿地方[編集]

三重県[編集]

三重県には194体の人形が寄贈され、県内の小学校や幼稚園に配布された。戦時下で多くの人形が処分され、現存しているものは9体に限られる(内1体は東京に保管)[2]

  • 菰野町立千種小学校(ウォーレン)
    • 1943年に処分されかけたところを、当時の先生が持ち帰って隠し持っていたとされる。1983年に服を新調。現在は、町立郷土資料館に保管されている。
  • 川合小学校(メリー)
    • 校長先生の自宅蔵に保管されており、1986年より学校に展示されている。
  • 新町小学校(名称不明)
    • 2007年に服を新調。
  • 明小学校(不明、後にロザリーと命名される)
    • 1989年に新しい目の人形と判明して以来、学校に展示されている。
  • 豊地小学校(グレース)
    • 校長先生指示の下、当時の先生の自宅蔵に隠し持っていたとされる。1977年に学校に戻され、以後は学校に展示されている。
  • 柿野小学校
    • 『飯南町史』に「1927年(昭和2年)3月21日にアメリカ友情人形歓迎会を開催した」旨が記載されている[10]
  • 中島小学校(エセルアルワ、後にアニーと命名される)
    • 中島小学校→中島幼稚園→保母の自宅→吉徳という経緯で、1992年以降は東京の吉徳に保管されている。服は1992年に新調されている。
  • 越賀小学校(メアリー)
    • 1927年7月10日に小学校に届けられる。1975年に理科室で見つかって以降、学校で展示されている。
  • 河合小学校(メリー)
    • 1988年に木箱の中で見つかって以降、学校で展示されている。服がなかったため、服はその際に作成されている。保管の度合いが良かったため、三重県内の「青い目の人形」の中で唯一、発声が可能な人形となっている。
  • 花垣小学校(エリザベス・ハイネ)

滋賀県[編集]

京都府[編集]

大阪府[編集]

兵庫県[編集]

奈良県[編集]

賀名生小学校(パトリ)

和歌山県[編集]

中国地方[編集]

鳥取県[編集]

島根県[編集]

岡山県[編集]

広島県[編集]

山口県[編集]

四国地方[編集]

徳島県[編集]

香川県[編集]

愛媛県[編集]

高知県[編集]

九州地方[編集]

福岡県[編集]

佐賀県[編集]

長崎県[編集]

熊本県[編集]

大分県[編集]

宮崎県[編集]

鹿児島県[編集]

琉球地方[編集]

沖縄県[編集]

台湾[編集]

朝鮮[編集]

答礼人形が送られた学校、施設[編集]

日本から送り出す際は、「筑波かすみ」や「東京花子」などのように郷土にちなんだ名前が名づけられ、アメリカでは郷土名を取ってミス○○といった形で呼ばれている。但し、既に説明の通り、台座と人形が入れ替わってしまっているものがあり、これに気づいたのは後年であるため、長い間、台座に記された名前が贈り元だとして扱われてきた。例えば、ミス三重は三重子(贈り元が三重県)ではないことが判明しているが、「三重から送られた人形」として扱われている[2][3]

人形の名前 所蔵施設 里帰り 備考
ミス大日本
倭日出子
ワシントンD.C.
スミソニアン国立自然歴史博物館
ミス北海道 アイオワ州ダベンポート
ダベンポート美術館
ミス青森
青森陸奥子
マサチューセッツ州
ミス岩手 アラバマ州バーミンガム
バーミンガム公立図書館
ミス宮城 カンザス州 2003年 カンザス州在住の人物が1982年にオークションで入手した人形が、1998年にミス宮城であることが判明[11]
ミス秋田
秋田蕗子
ミシガン州デトロイト
デトロイト児童博物館
ミス山形 メイン州
州立博物館
ミス福島
福島絹子
モンタナ州 台座、お道具、人形が取り違われ、福島出身の人形である福島絹子がどこにあるのかは判明していない[12]
ミス茨城
筑波かすみ
ウィスコンシン州ミルウォーキー
ミルウォーキー公立博物館
2007年
ミス栃木 行方不明
ミス群馬 行方不明
ミス埼玉
秩父嶺玉子
サウスカロライナ州
ミス千葉 行方不明
ミス東京
東京子
行方不明
ミス東京府 行方不明
ミス神奈川
神奈子
行方不明
ミス横浜
横浜浜子
コロラド州
ミス新潟 コロラド州
ミス富山
八重桜
ケンタッキー州ルイビル
スピード博物館
1995年 1937年の洪水で流失したものとされていたが、その後、1992年に博物館の奥底に眠っているのを発見され、1995年に修繕を兼ねて里帰りを果たした。
ミス石川 モンタナ州
ミス福井 行方不明
ミス名古屋 ジョージア州
ミス愛知 行方不明
ミス静岡 ミズーリ州
ミス長野
長野絹子
ロードアイランド州
ミス山梨
山梨富士子
ミス岐阜
ギフ子
オハイオ州クリーブランド
クリーブランド美術館
1995年 里帰りの返還の際、妹人形として「あゆ」が合わせて寄贈された。また、クリーブランド市からは「セーラ」が、ギューリック三世からは青い目の人形の二代目「マリリン」が岐阜市立明徳小学校に寄贈されている。
ミス三重
三重子
ネブラスカ州
ネブラスカ大学
2009年 実際にはミス三重の台座に乗っている人形は三重子でないことが判明しているが、三重を故郷として、2009年の夏に里帰りを実現した[2][3]
ミス滋賀 行方不明
ミス京都
ミス京都府
京都宮子
ミス大阪
ミス大阪府
ミス兵庫 ミズーリ州セントジョゼフ博物館    
ミス神戸市
ミス奈良
ミス和歌山
ミス鳥取
ミス島根
ミス岡山
ミス広島 メリーランド州ウォルター美術館 1974年 答礼人形の中では最も早い1974年に里帰りを果たしている。
ミス山口
ミス徳島
ミス香川
ミス愛媛 ミシシッピ州ガルフポート公立図書館 1代目が1969年、2台目が2008年1月のハリケーンで喪失しており、3代目の贈呈への動きがある[13]
ミス高知
ミス福岡
ミス佐賀
ミス長崎
長崎瓊子
ロチェスター市立科学博物館 2003年 ミス青森として保管されていた人形が、ミス長崎であることが2000年に判明。
里帰りの返還の際、妹人形として鶴子が合わせて寄贈された。
ミス熊本
ミス大分
ミス宮崎
ミス鹿児島
ミス沖縄
ミス台湾
ミス関東州
ミス朝鮮
ミス樺太

脚注[編集]

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  1. ^ 日本郷土玩具博物館 日本に残る友情人形”. 2010年4月14日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g 『おかえりなさい「ミス三重」』 答礼人形「ミス三重」の里帰りを実現させる会、2009年4月1日2010年4月14日閲覧。 - 三重県小学校高学年向け冊子
  3. ^ a b c d e 答礼人形「ミス三重」の里帰りを実現させる会”. 2010年4月14日閲覧。
  4. ^ 平成17年3月限りで閉校。
  5. ^ a b 大穂町史編纂委員会 編『大穂町史』つくば市大穂地区教育事務所、平成元年3月31日、445pp.(211ページより)
  6. ^ 土浦市立博物館 編『土浦市立博物館第31回特別展 幼児教育コトハジメ〜マチの学び舎、土浦幼稚園〜』土浦市立博物館、平成22年3月20日、130pp.(56ページより)
  7. ^ 横浜市立本町小学校概要(p3)
  8. ^ 東郷小学校・学校沿革史
  9. ^ 山梨県に残されている青い目の人形については小畑茂雄「山梨にやってきた「青い目の人形」たち」(山梨県立博物館、2009年)
  10. ^ 飯南町史編さん委員会 編『飯南町史』飯南町役場、昭和59年3月1日、1154ページより
  11. ^ 「ミス宮城」76年ぶり帰郷 歴史民俗資料館で展示”. 2010年5月3日閲覧。
  12. ^ 答礼市松「MISS福島」帰国”. 2010年5月2日閲覧。
  13. ^ レファレンス協同データベース 愛媛県立図書館 (2110043)”. 2010年4月14日閲覧。 - 愛媛に送られた青い目の人形(親善人形)と、そのお返しにアメリカへ贈られた人形(答礼人形)の所在について

参考資料[編集]

  • DOLLS OF FRIENDSHIP (by Sidney L. Gulick,Friendship Press,1929)
  • DOLLS OF FRIENDSHIP (by Sidney L. Gulick,Friendship Ambassadors Press,1997)
  • 人形大使 - もうひとつの日米現代史(ISBN 978-4-8222-4390-6
  • 答礼哀歌(ISBN 978-4-2860-2484-4
  • 児童は叫ぶ 叩き壊せ『青い目の人形』(「毎日新聞」1943年2月20日

関連項目[編集]

  • 友情人形
  • 先生の秘密 - 青い目の人形を扱ったテレビドラマ
  • 吉徳 - 答礼人形の里帰りの際、大半の人形の修復を請け負っている。

外部リンク[編集]