摩耶観光ホテル
摩耶観光ホテル(まやかんこうホテル)は、かつて神戸市灘区の摩耶山中腹に存在したホテル。
ケーブル会社の福利厚生施設として営業開始した時は摩耶倶楽部(補足参照)[1]、第二次大戦前から戦中にかけては摩耶ホテルや摩耶山温泉ホテル・摩耶山温泉、戦後の改装後は摩耶観光ホテルや摩耶国際観光ホテル、ホテル閉鎖後の1970年(昭和45年)頃から1994年(平成6年)頃まで摩耶学生センター等と呼称された。また摩耶観光ホテル・摩耶学生センターの頃から、マヤカン(摩耶観光ホテルの略語)という俗称でも呼ばれている。設計者は今北乙吉[2]。
現在は廃業し、そのアールデコ風のユニークな建築は廃墟となっており、内部は経年劣化による損傷が激しく危険であるため、完全に立入禁止となっている。
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[編集] 概要
摩耶鋼索鉄道(現・神戸市都市整備公社摩耶ケーブル線)により摩耶駅付近に1929年(昭和4年)5月から建設され、同年11月に営業を開始。鉄筋コンクリート造で、軍艦を連想される外見から「軍艦ホテル」と呼ばれた。しかし1944年(昭和19年)に第二次世界大戦の激化により、摩耶鋼索鉄道摩耶ケーブル線が不要不急線として運行が停止されたため、ホテルの営業も翌1945年(昭和20年)に休止となった。
戦時中の空襲により大きな被害を受けたため復旧が遅れ、その後ケーブル会社から民間業者に売却されて、1961年(昭和36年)に全面改装の上で再オープン。内装は1959年(昭和34年)春に大阪で解体された豪華客船「ふらんす丸」(元フレンチ・ライン「イル・ド・フランス」)より装飾品などを買収し改装された。しかし台風等による被害で、1967年(昭和42年)頃にホテルの営業を休止。その後1974年(昭和49年)頃より学生のゼミ合宿やサークル合宿専用の「摩耶学生センター」として転用されたが、震災前の1994年(平成6年)に学生の合宿所としての使用も停止された。
その後の阪神・淡路大震災で倒壊こそしなかったものの、建物自体に大きな損傷が出ており立入禁止、ホテルの脇を通っていた登山道も通行止となっている。
[編集] 補足
一説に、1929年(昭和4年)11月の完成直後はケーブル会社の福利厚生施設(摩耶倶楽部)として営業開始し、1932年(昭和7年)にホテルとしてオープンしたとの説が存在するが、当時の新聞記事およびケーブル会社作成の観光リーフレット[3]によると、明らかに29年の完成直後からホテルとして営業を開始していることが確認される。よって仮にこの説が事実としても、それはホテル営業と同時並行的なものであったと解釈される。
次に、右の2002年(平成14年)の写真で見られるタイヤは天井に突き刺さった状態になっているが、2001年(平成13年)頃までの写真によると屋上に放置されているのが確認できる [4]。このタイヤについては、B-29のもの、かつて周辺に存在した「摩耶遊園」に設置されていた遊具施設に使用されていたもの[5]、あるいは映画・ドラマの撮影(特に1980年代から度々ロケ地になっている)などの際に持ち込まれた[6]などと言われているが、いずれも真偽は判然としない。しかし近年のいくつかの写真[7]から、タイヤを固定していたと思われる基礎部分が確認でき、1980年代の映画[8]やバンドのプロモーションビデオ[9]ではタイヤが同所付近にあることを窺うことができる。これらのことから、このタイヤはかなり以前から設置されていたと解釈できる。ただし、第二次大戦前のマヤカンでは、この屋上部分は使用されていたという記録はない。一方、概要にあるように1961年(昭和36年)に「全面改装」され、それまでの4階建てから5階建てに大規模増築を実施された際には、ここはビアガーデンとして使用されていた [10]。その当時のリーフレットからは不鮮明ではあるものの、残存する基礎部分とほぼ同じ場所に円形の何らかの構築物が確認できる [11]。よってこのタイヤは、改装時に構築物の一部に利用するために設置されたものと判断される。
またタイヤが刺さっているトタン製と思われる天井部は、1960年(昭和35年)頃に全面改装した当時は存在していないことが、当時の写真から確認される(当時はこの上に5階部分が存在)[12]。よって、これは摩耶観光ホテルが営業を停止し、摩耶学生センターであった1970年代後半から1980年代にかけての時期に、何らかの理由[13]で改修が行われた時のものと想定される。なお右の2002年(平成14年)の写真の後、2009年(平成21年)にタイヤを支えていた柱が崩れ落ち、現在それは下に落下しているという[14]。
2000年(平成12年)の8月と10月にフジテレビで放送された廃墟の特集番組にて摩耶観光ホテルがとりあげられているが、いずれも一部を再構成してDVD化されている。
[編集] ロケ作品
- フジテレビ『過ぎし日のセレナーデ』(1989年)
- NHK『朗読紀行 にっぽんの名作』風の又三郎 (2003年1月24日)出演: 小泉今日子
[編集] 特集番組
- 『廃墟シネマ』(2000年8月5日(土)27:35 - 28:35 関東)
- フジテレビ『廃墟』(2000年10月4日 25:55 - 26:26:25 関東)
- プロデューサー:藤原努 ディレクター:松浦徹 監修:瀬々敬久 製作:ホリプロ、フジテレビ
[編集] 映画
一説に石原裕次郎主演の『夜霧よ今夜も有難う』(1967年)にも登場するとされていたが、実際にはロケ地になっていない。
- ユー・ガッタ・チャンス(1985年) マヤカンが登場する場面 [1]・[2]
- 「さよなら」の女たち(1987年)
- IZO(2004年)
[編集] バンドのPV
- ACTION!「TEARS OF LOVE」 プロモーションビデオ[3]
- ACTION!「夢みる頃すぎて」 プロモーションビデオ[4]
- サクヤビメ「Unrequited love」 プロモーションビデオ[5]
- DEEP UNDERWATER「Salvage」 プロモーションビデオ[6]
[編集] その他
- 当真ゆき - グラビアアイドルのプロモーションビデオ。
[編集] 関連書籍
[編集] 小説
- 谷崎潤一郎『猫と庄造と二人のをんな』
[編集] 随筆
- 樋口ヒロユキ『死想の血統 ゴシック・ロリータの系譜学』
[編集] 脚注
- ^ 廃墟としての摩耶観光ホテルを有名にした文献に『懐古文化綜合誌 萬(臨時増刊号 緊急特集 廃墟の魔力)』(ゆとり文化研究所 愚童學舎)が知られているが、同書に「この摩耶観光ホテルは、昭和五年(文献により四年のものも)に阪神電鉄系列会社の摩耶鋼索鉄道株式会社の福利厚生施設「摩耶倶楽部」として建設された(設計施工は大林組)。昭和七年よりホテルとして営業を開始」(32ページ)と記載されている。この摩耶倶楽部については、当時の建築学雑誌の新建築紹介ページに写真入りで「摩耶倶楽部 竣工昭和五年二月末日・鉄筋コンクリート四階建・施工大林組」と記載されている(『建築と社会』14-1、1931年1月、9ページ)。またこれを参照にした『阪神間モダニズム』でも摩耶倶楽部として紹介されている(淡交社、1997年、96ページ)。しかし第二次大戦前の資料では、ほとんどが本文で紹介した「摩耶ホテル」「摩耶山温泉ホテル」「摩耶山温泉」であり(例:「まやホテル けふから開業した」神戸新聞1929年11月17日)、「摩耶倶楽部」はこの建築学雑誌でしか確認できない。
- ^ 摩耶ホテルと設計者今北乙吉について
- ^ 摩耶観光ホテルについて
- ^ 摩耶観光ホテル
- ^ Name of the Maya 屋根に突き刺さるタイヤ
- ^ 狂乱Nonaha日記2011年11月4日「マヤカンの新事実な予感」
- ^ Name of the Maya 屋根に突き刺さるタイヤ
- ^ 映画「ユー☆ガッタ☆チャンス」(1985年)でマヤカンが登場する場面
- ^ ACTION!「夢みる頃過ぎて」(1988年)のプロモーションビデオ
- ^ 摩耶観光ホテルについて
- ^ 摩耶観光ホテルについて
- ^ 摩耶観光ホテルについて
- ^ 1999年(平成11年)11月に発行され、上記に紹介されている「特集番組(フジテレビ『廃墟シネマ』)」で、好調な売れ行きであったと紹介された『懐古文化綜合誌 萬(臨時増刊号 緊急特集 廃墟の魔力)』(ゆとり文化研究所 愚童學舎)において、摩耶観光ホテルは「グリルから出た火が元で営業を中止。八十年代中頃に閉鎖された。その後、吉川晃司の主演映画「ユー☆ガッタ☆チャンス」や、田村正和主演のドラマなど、映画やTVにたびたび登場している」(32ページ)と紹介されている。しかし実際には、「概要」にもあるように1967年(昭和42年)頃にホテルとしての営業は停止し、1970年代から1990年代前半まで学生センターとして利用されていた。つまりこの記述は事実ではないと考えられる。ただし、この情報をまったく誤りと捨象することはできない。というのも、この火事が以下の状況証拠によって、「補足」にあるマヤカンの改修工事に関係していると想定されるからである。まず朝日新聞神戸支局による『兵庫の素顔』(1977年発行、海文堂)に、当時のマヤカンの写真が掲載されており、かなり荒れた雰囲気はあるものの、その形状は補足にある「全面改装」(5階建て)された状態である(175ページ)。一方、「ロケ作品」で紹介されている映画『ユー☆ガッタ☆チャンス』(1985年(昭和60年)公開)では、一部現存しない壁や窓が残存するものの、増築部分の大部分は確認できず、形状は現在の状態に類似している。こうした変化は空中写真(国土交通省国土情報ウェブマッピングシステム)からもおよその状態変化を窺うことができる。これらのことから、1970年代末から1980年代前半にかけて「補足」の指摘した改修工事が行われたことは確実である。この改修の理由として考えられるのが、『萬』にある火事の情報である。記事にある「グリル」とは当初は4階にあった余興場(大ホール)に隣接した屋外展望場であったものを、増築時に屋内化され、この上部(5階)に宴会場が造られていた。「補足」にある改修はまさにこのグリルの存在した4階および上部の5階部分に対して行われており、実際には5階部分が撤去され、余興場(大ホール)に隣接する部分にトタン屋根が、グリル部分は再び屋外化されている。これらを総合すれば、『萬』にある火事は学生センター時代の1970年代末から80年代前半頃に実際に起きた可能性が高いと判断されるのである。ただし、これによって一時的な営業停止には至ったものの、『萬』の言う完全な営業中止ではなく、こうした改修を行った後も学生センターとしての営業は継続したと考えられる。
- ^ Name of the Maya 屋根に突き刺さるタイヤ
[編集] 関連項目
- 廃墟
- FRAGILE 〜さよなら月の廃墟〜 - Wiiで発売されたゲーム。本ホテルそっくりの廃墟が登場する。