童夢-零
童夢-零(ドウム・ゼロ)は、日本の自動車会社童夢が試作した自動車である。
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概要 [編集]
1975年、童夢代表の林みのるの自宅で開発プロジェクトがスタートした。1976年ごろからスタイリングの設計が始められたが、このころから作業の中心は大阪のハヤシレーシングの工場に移った。当時のレース界はコンストラクターを目指していた者の多くが挫折し始めていた時期だったため、日本のレース界を代表するメンバーが参加した。ボディデザインは林みのると由良拓也、モノコックは三村建治、サスペンションは小野昌朗が設計を担当した。集まったスタッフは大阪の工場街にアパートを借りるも、家に帰るのは風呂に入りに帰るときのみというようなハードスケジュールで開発を進め、1978年初頭に完成。2月の第48回ジュネーブ・ショーで発表された。開発を開始した当初は4人いた既婚者全員が妻に逃げられたというなんとも悲惨な2年間だったという。
モデル別解説 [編集]
零 [編集]
当時スーパーカーブームは下火になりつつあったが、排気ガス規制が厳しかったため、零の登場は大いに話題となった。零は、フェラーリやランボルギーニなどの大型スーパーカーというよりは、ロータス・エスプリをはじめとする、操作性に優れ俊敏に走る中型スーパーカークラスの性能で、価格も1000万円程度を想定していた。
シャシーは複雑な形状を持つスチール・モノコック、サスペンションは前後ともダブルウィッシュボーン+コイル、ブレーキはガーリング製で、フロントがベンチレーテッド・ディスク、リアはインボードタイプのソリッド・ディスクを採用した。足回りは、ピースのアロイホイールにピレリP6という組み合わせだが、フロントが185/60VR13、リアは255/55VR14と、前後でかなりサイズが異なった。2.8リットルの日産L28型水冷直列6気筒SOHCエンジンをミッドに横置き搭載し、ZF製5速MTが組み合わされた。このエンジンはサイズが大きく重量も重かったが、純国産技術にこだわっていたため、他に選択の余地がなかったという。
ボディパネルは軽量なFRP製。ヘッドライトはリトラクタブル・ヘッドライト。ドアはガルウイングドアだが、ポップアップ式である。サイドウインドウははめ殺しだが、ドアのアクリルがスライドをすることにより開閉が可能となっており、高速道路などの料金所ではここが使用される。ラジエターの熱気を逃がすためにボンネットにはダクトが開けられている。ドア後方にあるインテークは、エンジンルームの冷却用で、左側2つ、右側1つとなっている。テールランプは専用のもの。
室内は直線を基本に設計されている。ステアリングホイールは革巻きだが、逆V字型スポーク下側部分のみプラスチック。メーターはデジタルで、ステアリング同様、近未来的なイメージとなっている。室内にバックミラーはなく、ビタローニ製のサイドミラーでしか確認できない。なお林みのる曰く「世界で一番全高の低い車」を売り文句とすべく、車高を980mmとする前提で設計を始めたことから、完成した車は室内が非常に狭くなってしまい、身長175cm程度がまともに乗車できる限界となってしまった[1]。
ジュネーブ・ショー発表後、国内の型式認定を取得するためにさまざまなテスト走行が繰り返された。しかし、国内での型式認定取得を前提に法規に合わせて製作されていたにもかかわらず、許可を受けるどころか、申請さえ受け付けられなかった。そのため、アメリカで認定を取得すべく「童夢USA」を設立し、アメリカの法規に準じた仕様の童夢 P-2を開発することになった。
現在はエンジンが故障しているが、米原市にある童夢の風洞施設「風流舎」内の倉庫に保管されている[1]。なお、童夢の協力により、2003年6月に開催されたイベント「スーパーカー・スーパーカー」に特別展示された。
P-2 [編集]
童夢-零のアメリカでの認定取得を目指して、零をベースとして新たに設計された。
一見零との違いはほとんどないように見えるが、日本とアメリカの保安基準は大きく異なるため、大幅に修正が加えられている。ボディが若干大きくなり、サスペンションのウィッシュボーンはチューブからスチールプレスへと変更された。フロントバンパーも大型化され、取り付けも高い位置へ移動されたが、取り付け位置を変更するだけでは全体のデザインに狂いが生じてしまうため、ボディパネルは新たにデザインされた。そのため、零とのパーツの互換性はない。ヘッドライトの高さも修正されており、周囲のデザインも変更されている。
タイヤはHR規格のものになり、リヤのサイズが変更され、これと同時にシャシーをスチール・モノコックから鋼管スペースフレームに変更し、インテリアも簡素化されるなど、コストダウンも図られた。ホップアップ式のガルウイングドアは、零よりも少し外側に向かって開くよう変更された。零ではオーバーヒートに悩まされたため、大容量のラジエターと2基の電動ファンがフロントに収められた。これによりラゲッジルームはなくなった。
2台が製作され、シャシーナンバー1号車はライトグリーン、2号車はレッド。ライトグリーンは、1979年5月のロサンゼルス・オートエクスポ、11月のシカゴ・ショーで展示された。市販化に向け、アメリカや日本の公道、サーキットでさまざまな走行テストが繰り返し行われたほか、具体的なライバルにフェラーリ・308を想定し、実車を使用してさまざまな数値が比較された。
当初は日本とアメリカ向けにインジェクション仕様が、イギリス向けにキャブレター仕様が研究された。パワー不足からターボ装着も検討されたが、雰囲気に合わないことから中止された。アメリカの現地法人「童夢USA」が設立され、市販化目前だったが、童夢の関心がレースへと向いてしまったため、P-2も市販化されずプロトタイプで終わってしまった。
現在「風流舎」内の倉庫に保管されているが、レッドは実走可能な状態に保たれている(ヒストリックカーレース参戦のため数年前にフルレストアされているため、林曰く「単なる動態保存よりも状態はいい」とのこと[1])。
登場作品/ホビー商品 [編集]
実車の販売こそ見送られたが、国産車初のスーパーカーというインパクトが強かったため当時メディアにも多数取り上げられた。そのため現在でも日本でのスーパーカーブームを代表する一台として非常に人気が高い。
漫画 [編集]
アニメ [編集]
- ヤッターマン(第2作) - 第1話でドロンボー一味(三悪)のボヤッキーが、同僚のトンズラーが盗んだ車の部品を使用して童夢-零そっくりの「ドロンボー・ゼロ」を作り上げ、その後量産し、そのまま販売した。因みに第1話のエンディングのスタッフロールで"協力 童夢"のクレジットが表示されていた。
ゲーム [編集]
- segaGT2002
- アウトモデリスタ
- グランツーリスモ4/グランツーリスモ (PSP)/グランツーリスモ5 - 1978年式が登場。
模型 [編集]
テレビ [編集]
- 幻のスーパーカー「童夢-零」を追え!(MONDO21)