日産・フェアレディZ

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フェアレディZ は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車。通称「Z」。いずれのモデルも「フェアレディ」の通称名を冠するのは国内のみで、輸出向けは「DATSUN」または「NISSAN」と呼称。現在北米市場では「NISSAN 370Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-car」など。

目次

[編集] 歴史

[編集] 初代 S30型(1969-1978年)

日産・フェアレディZ(初代)
S30型
Z-L 1970年モデル
Datsun 260Z 2/2(北米仕様)
240Z (エアロ装着)
メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間 1969-1978年
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 2人/4人
ボディタイプ 3ドアファストバック
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
エンジン 直列6気筒 2.0/2.4/2.6/2.8L
モーター {{{モーター}}}
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機 4速MT/5速MT/3速AT
駆動方式 FR
サスペンション F:マクファーソンストラット
R:ストラット
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4,115mm~4,425mm
全幅 1,630mm~1,690mm
全高 1,280mm~1,290mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2,305mm/2,605mm
車両重量 975kg~1,145kg
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
燃費 {{{燃費}}}
ブレーキ F:ディスク
R:ドラム(リーディングトレーリング式)
最高速度 180km/h~210km/h
別名 {{{別名}}}
先代 ダットサン・フェアレディ
後継 {{{後継}}}
姉妹車/OEM
車台共有車
同クラスの車 {{{同クラス}}}
-自動車のスペック表-

1969年に先代モデルであるオープンボディダットサン・フェアレディに代わって発売された。

ヨーロッパ製の高級GTに比肩するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、格段に廉価であったことで、北米市場を中心に大ヒットした。日産の世界的なイメージリーダーカーとして、足掛け10年もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台(うち国内販売8万台)という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。「ダッツン・ズィー」の愛称で親しまれ、日産自動車の輸出モデルの総称でもある「DATSUN」の名を世界に周知した日産の記念碑的車両である。

[編集] 開発の経緯とメカニズム

このモデルの開発・販売を企画したのは、1960年代当時、米国日産の社長であった片山豊である。彼はダットサンの北米市場拡販のために強力なイメージリーダーとなるモデルを求めており、イギリス製小型スポーツカーの模倣に留まる従来のダットサン・フェアレディ では、市場での競争力やインパクトが不十分であると考えていた。

片山はアメリカ市場でのニーズに適合した新しいスポーツカーの開発を要望し、1960年代中期から、腰の重い日産本社に対して熱心な働きかけを重ねた末に、ようやく開発のゴーサインを得た。片山は技術者ではなかったが、アメリカ市場のニーズを見据えて日産本社の開発陣に明確なコンセプトと適切なアドバイスを与え、初代「Z」のプロデュースを主導した。

当初の計画ではオープンボディとする予定であったが、米国内での安全基準がオープンボディに厳しく改定されつつあった時勢と、GTカーとしての快適性を加味する目的で計画変更され、ハッチバックを持つファストバッククーペとなった。1960年代後半以降、北米市場の情勢変化に適応できなかったイギリスのスポーツカーブランドの多く[1]は、市場脱落を余儀なくされた。日産の方針転換は時宜を得た適切なものであり、「Zの登場で英国製の古典的スポーツカー群は葬り去られた」と後年評されたほどに、当時のアメリカのスポーツカー・マーケットは一変したのである。

「Z」のスペックは高度なもので、軽量なモノコックボディに、前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を備え、市場で先行するジャガー・Eタイプポルシェ・911などに肉薄した。

スタイリングは、日産の社内デザイナーである松尾良彦以下僅か3名の少数チームに託され、背の高いエンジンを使わなくてはならない制約のなか、片山の求めるロングノーズ&ショートデッキにまとめ上げている。前部に向かって低くなっていくスタイリングに拘ったため、全高の高いL型エンジンの前方部分がボンネットに干渉し、やむなくボンネットの形状を変更したと言う逸話がある。ボンネット前方中央部分の盛り上がりはそのためであるが、完成車には全くの違和感は感じられない。また、ノーズのフェンダー先端を削り取ったようにしてここにヘッドライトを配置するデザインは、4代目に至るまでデザイン上のアイディンティティとして踏襲されている。

主力エンジンはコストの制約もあり、鋳鉄ブロックを持つ重量級の実用型量産SOHCL型・水冷直列6気筒を搭載した。北米向けのL24エンジンを搭載した2.4Lモデルのカタログスペックは最高120マイル/hで、相応に速いが決して俊敏ではなく、ハイスペックな欧州製高級GTを今一歩凌駕するまでには至らなかった。

だがL型エンジンの一見凡庸な設計は、却って良い方向に働いた。スポーツカーをも日常の足として気軽に使用し、時には自らエンジン回りをメンテナンスする事も厭わないアメリカ人たちのニーズには、このエンジンはむしろ合致していたのである。高回転エンジンではなかったが、実用面では低速域からのトルクに富んでおり、大排気量アメリカ車同様に扱いやすく、信頼性も高かった。ジャガーやポルシェの高性能だが複雑なパワーユニットに比して、単純な設計のおかげでラフな取り扱いにも耐え、また整備も容易であった。この面では、実用車向け量産エンジンをチューニングして搭載していたかつてのイギリス製スポーツカーの、良き伝統を受け継いでいたとも言える。

オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つタルガトップモデルが設計され、プロトタイプまで製作されており、また、将来的なモアパワーの要求には、プレジデント用V型8気筒(Y40型エンジン)で対処する松尾の私案もあったが、どちらも市販化には至っていない。

発売されるとスタイリッシュで買い得なスポーツカーとして、主戦場の北米市場で大成功を収めた。その初期にはあまりの人気から供給不足となり、定価では当時4000ドルを下回るリーズナブルな価格設定であったにも関わらず、市場でプレミアが付くほどであった。更に、豊富に設定されたアクセサリーも商品価値を高めた。

[編集] 変遷

1969年

日本国内ではSUツインキャブレターを装備したSOHCL20型と、当時のプリンス系で開発されスカイライン2000GT-Rに搭載されていたソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCS20型の2種類の直列6気筒2.0 Lエンジンが設定された。SOHCモデル(S30型)にはベースモデルで4速MT搭載の「フェアレディZ」と、5速MTを搭載し、AMラジオ付きカーステレオ、助手席フットレスト、リクライニングシートなどの装備を充実させた「フェアレディZ-L」、DOHCモデル(PS30型)は「フェアレディZ432」がそれぞれラインナップされた。「432」とは、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」の意であり、搭載されるS20型エンジンの構成に由来する。その他、競技用ベース車両として、ヒーターすらオプションとなり、アクリル製ウィンドウを採用するなどの軽量化が施された「フェアレディZ432-R」も存在した。 アメリカイギリスでは2.4 LのL型直6エンジンを搭載した「ダットサン240Z」(HLS30 / HS30型)を発売。

1970年

フェアレディZ-Lに3速AT(ニッサンフルオートマチック)車を追加。 それまでハイオクガソリン仕様のみであったが、レギュラーガソリン仕様車も全グレードに追加発売された。L20はハイオクガソリン仕様130ps、レギュラーガソリン仕様125ps、S20は同160ps、155ps。

1971年

フェアレディZにも3速AT車を追加および細部のマイナーチェンジ。 それまで輸出専用であったL24型エンジン(2.4 L)を搭載した「フェアレディ240Z」「フェアレディ240Z-L」「フェアレディ240Z-G」を日本国内でも追加発売。240Z-Gには「グランドノーズ」(後年の通称“Gノーズ”)と呼ばれるFRP製のフロントバンパー一体型のエアロパーツとオーバーフェンダーが装着された。

1973年

2.0Lモデルの「Zシリーズ」をマイナーチェンジ。昭和48年排出ガス規制適合、ダッシュボードの意匠変更とテールランプとリアガーニッシュの変更が施され、バックランプがガーニッシュ内に配置された。 折りからの公害問題やガソリン高騰などの諸般事由などにより、Z432シリーズと日本国内の240Zシリーズの2モデルの生産を中止。

1974年

全長を310mm延長した、4人乗りモデルを追加(GS30)。2by2と称した。
輸出モデルは従前の2.4Lから2.6LのL26型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン260Z」(RLS30)に変更。260Zは一部を国内基準に適合させ、当時右側通行だった沖縄で販売されている。

1975年

昭和50年度排出ガス規制(通称ゴーマル規制)の施行に伴い、SUツインキャブからL20E(ボッシュ社開発のL-Jetronic式電子制御燃料噴射装置・ニッサンEGI)に変更、同時に排気系に触媒を有する排気ガス浄化システム(ニッサン・アンチ・ポリューションシステム、NAPS)を装着。型式が「A-S30・A-GS30」となる。 輸出モデルは従前の2.6Lから2.8LのL28E型エンジンの変更で排気量アップした「ダットサン280Z」(HLS30)に変更。ニッサンEGIシステムであるが、触媒等の排気ガス浄化システムは装着されていない。北米モデルは5マイルバンパーと呼ばれるショックアブソーバ付きの大型バンパーを装着。

1976年

Z-LをベースにFM/AMマルチカセットステレオ、電動式リモコンフェンダーミラー、パワーウインドウなどを追加装備した上級グレードの「フェアレディZ-T」を追加。 昭和51年度排出ガス規制(通称ゴーイチ規制)の施行に伴い、排気ガス還流装置(EGR)などを追加装備。型式が「A-S30・A-GS30」から「C-S31・C-GS31」と変更。

1978年

S130型へのフルモデルチェンジにより生産終了。

[編集] 2代目 S130型(1978-1983年)

日産・フェアレディZ(2代目)
S130型
280ZX Tバールーフ仕様
280ZX リア
[[ファイル:|250px]]
メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間 1978-1983年
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 2人
ボディタイプ 3ドアファストバック
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
エンジン 直列6気筒 2.8/2.0L
モーター {{{モーター}}}
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機 3速AT/5速MT
駆動方式 FR
サスペンション F:マクファーソンストラット
R:セミトレーリングアーム
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4,420mm
全幅 1,690mm
全高 1,295mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2,320mm
車両重量 1,225kg
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
燃費 {{{燃費}}}
ブレーキ 4輪ディスク
データモデル 280Z-L 2シーター(前期型)
別名 {{{別名}}}
先代 {{{先代}}}
後継 {{{後継}}}
姉妹車/OEM
車台共有車
同クラスの車 {{{同クラス}}}
-自動車のスペック表-
1978年8月
S130型にフルモデルチェンジ。
先代のロングノーズ・ショートデッキスタイルを継承しながら、2代目はややワイドサイズとなって登場。2000ccの「200Z」と2800ccの「280Z」の2つのL型・直列6気筒エンジンを設定していた。先代を正常進化させたスタイルとなる。
1980年
国産車で初めて「Tバールーフ」仕様車を追加。このモデルを改造、ガス圧開閉式セミガルウィングウィンドウを装備したのがテレビドラマ『西部警察』に登場する「スーパーZ」である。オープンタイプはZ32までTバールーフの形態が続き、Z32のみコンバーチブルと併売の後、Z33以降は「Zロードスター」として継承された。
1981年10月
マイナーチェンジ。ボンネットフードにNACAダクトを追加。第24回東京モーターショーにアメリカ合衆国で開催されていたレースSCCAに参戦していた「DATSUN ZX TURBO V-8」を参考出品。FRP製のボディにプレジデント用のV8エンジンをベースにターボを組合わせたレーシングカーである。
1982年
アメリカでL28ET型エンジンを搭載した2800ccターボモデルが誕生。初代に引き続き、S130もアメリカでは大ヒットとなり、1年足らずで生産台数10万台を突破。
1982年10月
歴代フェアレディZ初のL20ET型2000ccターボエンジン搭載モデル「200Z-T」が追加。国産車初の60%扁平タイヤ(215/60R15)装着車だった。
1983年
初代からの累計台数100万台を達成。


[編集] 3代目 Z31型(1983-1989年)

日産・フェアレディZ(3代目)
Z31型
300ZX 2/2 (前期型)
300ZX 2シーター (前期型)
300ZX 2/2 (後期型)
メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間 1983-1989年
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 4人
ボディタイプ 3ドアファストバック
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
エンジン V型6気筒 3.0/2.0L
直列6気筒 2.0L
モーター {{{モーター}}}
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機 4速AT/5速MT
駆動方式 FR
サスペンション F:マクファーソンストラット
R:セミトレーリングアーム
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4,535mm
全幅 1,725mm
全高 1,310mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2,520mm
車両重量 1,365kg
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
燃費 {{{燃費}}}
ブレーキ 4輪ディスク
データモデル 300ZX 2by2(前期型)
別名 {{{別名}}}
先代 {{{先代}}}
後継 {{{後継}}}
姉妹車/OEM
車台共有車
同クラスの車 {{{同クラス}}}
-自動車のスペック表-
1983年
ロングノーズ・ショートデッキというZのコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。
エンジンは直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンであるSOHCターボVG20ET(2L)とVG30ET(3L)になり、全グレードにV6エンジンを搭載した(後に再度直列6気筒モデルが設定される)。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、トヨタ・スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。
外観では、消灯時にもレンズの一部が露出する「パラレルライズアップ」ヘッドランプの採用が特徴となった。通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造をもったものである。ボディの一部を削ってのヘッドランプの装備という従来のデザインを踏襲するためであるが、別体のパッシングランプを省略するためという実用上の意味合いもあった。因みにこの当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した[2]
1983年
日産自動車創立50周年を記念した「アニバーサリー」を発売。デジタルメーターやブラックの本革内装、リアオーバーフェンダー、専用アロイホイール、左カウルの記念オーナメントなどを特徴とする。
日本国内では、久々の直列6気筒エンジンとなる、DOHCセラミックターボRB20DETを搭載したモデルが追加設定された。このエンジンはもともとR31型系 スカイライン用として開発されたもので、インタークーラーが上置き形に変更されたため、ボンネット中央に設けられた大型エアスクープが外観上の特徴となった。ノーマルルーフの「200ZR-I」とTバールーフの「200ZR-II」の2種類があった。
1986年
日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナル(NDI)[3]が提案したエクステリアデザインを採用し、3Lモデルはキャビン部(含むリアゲート)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施される。北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー専用ボディを与えられた。2.0 Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。
エンジンは2.0LモデルのVG20ETが廃止されRB20DETのみとなり、3.0Lモデルは前期型からVG30ETを継続する「300ZX」に加え、VG30型のヘッドをDOHC化した新開発のVG30DEゲトラグ社製5速MTが組み合わされた「300ZR」が追加された。この「ZR」は締め上げられた足回りと、Z31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。なお、このマイナーチェンジで、日本仕様の「300ZX」はAT専用となった。


[編集] 4代目 Z32型(1989-2000年)

日産・フェアレディZ(4代目)
Z32型
300ZX
300ZX(リア)
コンバーチブル
メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間 1989-2000年
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 2人
ボディタイプ 3ドアファストバック/コンバーチブル
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
エンジン V型6気筒 3.0L
モーター {{{モーター}}}
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機 4速AT/5速MT
駆動方式 FR
サスペンション 4輪マルチリンク
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4,310mm
全幅 1,790mm
全高 1,245mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2,450mm
車両重量 1,430kg
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
燃費 {{{燃費}}}
ブレーキ 4輪ディスク
データモデル 300ZX 2シーター(前期型)
別名 {{{別名}}}
先代 {{{先代}}}
後継 {{{後継}}}
姉妹車/OEM
車台共有車
同クラスの車 {{{同クラス}}}
-自動車のスペック表-
1989年7月
スタイル、パフォーマンスを始めとして、完璧なスーパースポーツカーを目指した4代目が登場。バブル景気を挟み、その後の日産の経営悪化のため10年以上という長期に渡り生産されたモデルである。
2シーターおよび2by2と2つのシャシー、ボディがあり、それぞれホイールベースも異なる為、シャシー別に設計、製造されているのがこれまでフェアレディZの特徴だが、従来モデルに比較してZ32型は2シーターと2by2の外観的差異が最も判りにくいモデルである。ルーフには2代目(S130型)からの伝統「Tバールーフ」も一部モデルに引き継がれた。
搭載される2種類のエンジンは共にV6・3000ccで、自然吸気のVG30DE型(230ps)と新開発・ツインターボチャージャー搭載のVG30DETT型。ツインターボは国内で初めて最大出力280PSに達したモデル。自主規制値の280PSはここから生まれた。
イグニッションキーの材質はチタン、車載ジャッキはアルミニウム製等、バブル景気に沸く当時の日産を感じる事が出来る。
3代目のリトラクタブル・ヘッドライトから、再び固定式ヘッドライトに戻っている。これはカナダやアメリカ合衆国の一部の州において、昼間においてもヘッドライト点灯が義務づけになった事への対処である。ボディの一部を削ってライトを搭載するというデザインを踏襲しているが、透明なカバーによってボディは平坦を保っている。余談だが、ランボルギーニ・ディアブロのリトラクタブルヘッドライトは、Z32のヘッドライトとサイズ的に交換が可能であり、同じく昼間においてもヘッドライト点灯が義務づけられた国・地域において、ユーザーによる改造が行われた。それを見たランボルギーニのトップが、これを正式に採用。後期ディアブロではZ32のものが正式に使われた。
1992年8月
フルオープンモデルとなる「コンバーチブル」を追加。シートベルトの位置がドアよりボディに変更、エアバッグオプション、助手席パワーシートオプション等。
1993年8月
リアウイングなどを小変更。
1994年10月
マイナーチェンジ。運転席SRSエアバッグを全車標準装備としたほか、2シーター、2by2、コンバーチブルそれぞれに「バージョンS」追加。リアスポイラーおよび専用シートを装備する。また、2by2 Tバールーフには「バージョンSレカロ」を設定。「バージョンS」をベースにBBS製鍛造アルミホイール、レカロ製シート、ミラーコートTバールーフ、電子制御アクティブサウンドシステムを装備する。
1997年1月
バージョンR追加、新ボディ色パープル追加。1998年10月、フロントバンパー、リアウィングなどを変更。
2000年9月
製造終了。2002年7月の5代目(Z33型)発売までは一時的に絶版車種となった。


[編集] 5代目 Z33型(2002年-2008年)

日産・フェアレディZ(5代目)
Z33型
クーペ VersionST(後期型)
ロードスター VersionST(後期型)
インテリア
メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間 2002年7月-2008年11月
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 2人
ボディタイプ 3ドアファストバック
2ドア ロードスター
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
エンジン 2002年7月-2005年1月
VQ35DEV6 3.5L 280ps
2005年1月-2007年1月
VQ35DEV6 3.5L 294ps
2007年1月-2008年11月
VQ35HRV6 3.5L 313ps
モーター {{{モーター}}}
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機 6速MT / 5速AT(5M-ATx)
駆動方式 FR
サスペンション 4輪マルチリンク式
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4,315mm
全幅 1,815mm
全高 1,315mm(クーペ)
1,325mm(ロードスター)
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2,650mm
車両重量 1,480-1,500kg(クーペ)
1,590-1,610kg(ロードスター)
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
燃費 {{{燃費}}}
別名 {{{別名}}}
先代 {{{先代}}}
後継 {{{後継}}}
姉妹車/OEM
車台共有車
同クラスの車 {{{同クラス}}}
-自動車のスペック表-
1999年1月
デトロイトショーでZ復活の狼煙となる、240Zコンセプトが発表される。エンジンが直4のKA24DEであるなど、車格はSXに近く、後のZ33とは大きく異なるが、Z-carを渇望して久しい北米では、一気に期待が高まった。
2000年7月
ラスベガスで行われたZ30周年記念イベント、「Z2K(Z2000)」に湯川伸次郎中村史郎が出席、開発状況とレンダリングの一部を発表、大きなニュースとなる。
2001年10月
第35回東京モーターショーにZ33型コンセプトモデルを出展。
2002年1月
北米国際オートショーに「350Z」を出展。同月より先行予約受付を開始。6月、第7回北京国際モーターショーに「350Z」を出展。
2002年7月30日
Z33型発売。2年の沈黙を経てカルロス・ゴーンにより復活したモデル。ボディタイプは2シータークーペのみで、歴代フェアレディZに設定されていた2by2は未設定。エンジンはエルグランドスカイラインに搭載されているV型6気筒DOHC3.5L VQ35DE自然吸気のみ。ブレーキキャリパーはブレンボ社製を一部モデルに標準設定。グレード体系もベーシック・スポーティ系・ラグジュアリー系とわかりやすいものとなっている。
2003年2月
「350Z」がカナダ・カー・オブ・ザ・イヤー、およびベスト・ニュー・デザイン賞を受賞。3月、ジュネーヴ・モーターショーにヨーロッパ向け「350Z」を出展。同月、オーストラリアで発売[4]
2003年4月
ニューヨーク国際オートショーに「350Z ロードスター」を出展。同月、上海モーターショーに「350Z ロードスター」を出展。
2003年10月1日
フルオープンモデル「ロードスター」(コンバーチブル・オープンカー)追加。同時に「クーペ」の仕様・装備を一部変更し、「Version ST」に5速AT車を追加。プレミアムカラーとして、第35回東京モーターショーに出品されたコンセプトカーのボディカラーに近づけた「プレミアムリキッドシルバー」を設定。以降、イヤーカラーとしてプレミアムカラーが一部改良及びマイナーチェンジの都度、設定されるようになる。
2004年1月
生産拠点を追浜工場から栃木工場へ移管。同月、2月29日までの期間限定モデル「Type E」を設定。前後のオーバーハングを延長し、オーディオレスとされた。実質はJGTC GT500クラスのホモロゲーションモデル。同時に、NISMOの手による「フェアレディZ S-tune GT」を設定。
2004年9月8日
一部改良。5速ATに「シンクロレブコントロール」機能を採用。プレミアムカラーとして「プレミアムサンシャインイエロー」を設定(プレミアムリキッドシルバーは設定終了)し、内装の意匠を変更した。同月、パリサロンに「350Z ロードスター」を出展。
2005年1月13日
フェアレディZ生誕35周年を記念する期間限定車「35th Anniversary」を設定。パワーアップされたVQ35DE型エンジン、18インチホイール等を採用する。2005年5月末受注分までの期間限定販売。
2005年4月
上海にて中国向け「350Z」を披露。同月開催された「オート上海 2005」に出展。
2005年9月8日
マイナーチェンジヘッドライト等の外観も変化し、リアコンビネーションランプにはLEDを採用し、さらに、エンジンは「35th Anniversary」のものをベースに、吸気効率の向上やバルブタイミングのチューニングによって出力が294psまで上げられたものを採用した。SHIFT_ワードは、「SHIFT_ sports」。
2006年1月12日
オーテックジャパンによる期間限定車「Version ST Type G」を設定。リア19インチタイヤ、フロント・リヤフェンダーモールを採用し、初代S30型240ZGを彷彿とさせるモデル。同月、東京オートサロン2006 with NAPACに「Version ST Type G」、および「NISMOフェアレディZ RSコンセプト」を出展。
2007年1月11日
再びマイナーチェンジが行われた。これによりエンジンはVQ35HR (313PS) に変更され、ボディカラーは特別塗装色として、かつてS30型に採用されていたグランプリオレンジの復刻版であるプレミアムパッショネイトオレンジが加わった。また、新エンジンを搭載する関係でボンネット中央にバルジが設けられ、かつてのS30型を彷彿させる姿になった。このモデルにはNISMOがチューニングを手掛けた「Version NISMO」が設定されている。また、同じくNISMOからスーパー耐久のホモロゲーション取得用(公道走行不可)モデルとして排気量を3800ccまで上げ、車体にも手を加えられたVersion NISMO Type 380RS-Competitionもリリースされ、2,625万円(税込)で発売される。ちなみに、同モデルの公道仕様が2007年6月に300台限定で発売された[5][6]
2008年1月10日
ボディカラーにプレミアムブレーズレッドが設定され、特別仕様車「Type F」を設定。
2008年12月
生産終了。

生産台数は約22万台で、マニュアルトランスミッション車の比率は約55%、ロードスターの比率は約30%となっている。

[編集] 6代目 Z34型(2008年-)

日産・フェアレディZ(6代目)
Z34型
[[ファイル:|250px]]
メーカー {{{メーカー}}}
親会社 {{{親会社}}}
製造国 {{{製造国}}}
製造期間 2008年12月-
設計統括 {{{設計統括}}}
デザイナー {{{デザイナー}}}
乗車定員 2人
ボディタイプ 3ドアファストバック
ハイブリッド {{{ハイブリッドシステム}}}
エンジン VQ37VHRV6 3.7L 336ps
モーター {{{モーター}}}
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
最高出力 {{{最高出力}}}
最大トルク {{{最大トルク}}}
変速機 6速MT / 7速AT (7M-ATx)
駆動方式 FR
サスペンション 前:ダブルウィッシュボーン式
後:マルチリンク式
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
全長 4,250mm
全幅 1,845mm
全高 1,315mm
最低地上高 {{{最低地上高}}}
ホイールベース 2,550mm
車両重量 1,480-1,530kg
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
総重量 {{{総重量}}}
最大積載量 {{{最大積載量}}}
燃料タンク容量 {{{燃料タンク容量}}}
燃費 {{{燃費}}}
別名 {{{別名}}}
先代 {{{先代}}}
後継
姉妹車/OEM
車台共有車
同クラスの車 {{{同クラス}}}
-自動車のスペック表-
2008年12月1日
復活後初めてのフルモデルチェンジを行い、6代目 Z34型に。安全性能を高めながら、エンジンフード、ドアパネル、バックドアのアルミ化や車体構造の最適化により軽量化され、先代のZ33型とほぼ同じ車体重量となった。また、プラットフォームにV36型スカイラインクーペに採用されるEプラットフォームをベースにショートホイールベース化がされたものが採用されたことにより、ホイールベースがZ33型より100mm短縮され、きびきびとしたハンドリングと運転性能を実現。エンジンはVVEL(バルブ作動角・リフト量連動可変システム)を採用したVQ37VHRを搭載。また、MT車はシフトチェンジの際、エンジンの回転数を最適な回転数に制御する世界初のシンクロレブコントロール付6速MTを採用。AT車はMTのようなダイレクト感を持ち、マニュアルモード時で世界トップクラスの変速レスポンスを体感できるマニュアルモード付7速ATとなった。サイドターンランプは“Z”のエンブレムが浮かび上がるエンブレム一体型となり、リアフォグランプが全グレードに標準装備された。ラゲッジにはゴルフバッグ2個が収納でき、出し入れしやすいように改良され、ラゲッジスペース中央にあったタワーバーは前方に移動させた。新技術としてソフトフィールシボが採用され、アームレストのドアノブの内側を、柔らかい素材を使わずに柔らかく感じるようにした。なお、ロードスターは現時点では用意されず2人乗りクーペのみの設定で、標準グレードのほか、Version T(7速ATのみ設定)、Version S(6速MTのみ設定)、Version STの4グレードがラインアップされる。なお、ロードスターについては2009年中に投入される予定である[7]
2009年1月3日
北米市場でZ34型を発売。名称も370Zに変更した。なお、北米市場では350Zロードスター(Z33型ロードスター)が併売される。
2009年4月7日
2009年ニューヨーク国際モーターショーで、米国で発売する新型車370Z ロードスターとニスモ 370Zが発表された。370Z ロードスターの米国での発売は2009年晩夏を予定している。
2009年5月25日
オーストラリア市場において「370Z」として発売。なお、豪州市場ではZ33型350Zクーペ/ロードスターを併売する。
2009年6月17日
2009年モデルの「NISMO 370Z」を米国で発売。最高出力が米国仕様車の332psから350psへと向上した。トランスミッションは6速MTのみが用意された。
2009年6月22日
日本国内で「フェアレディZ Version NISMO」を発売。エンジン出力を19ps向上し、355psとしたほか、専用の補強パーツやヤマハ製ダンパーが採用され、剛性向上と振動減衰を達成した。同時にサスペンションのチューニング、パワーステアリングの特性変更が行われ、スポーティなハンドリングとした。
また、北米仕様車と同一デザインの専用前後バンパー、サイドシルプロテクター、リアスポイラーなどが装着されるが、走行実験部門とデザイン部門の連携により効果的なダウンフォースの獲得と空気抵抗の低減を両立し、世界トップレベルの空力性能を実現している。
トランスミッションには7速ATと6速MTの両方が用意される。

[編集] 車名の由来

ダットサン・フェアレディも参照。

「FAIRLADY」は貴婦人、アルファベットの最後の文字である「Z」は究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産の社長片山豊Z旗を贈ったエピソードもある。ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。

[編集] ミス・フェアレディ

札幌銀座4丁目、東銀座本社名古屋福岡の全国5箇所に置かれている日産自動車の直営ショールーム、日産ギャラリー(ショールーム)内にいるコンパニオンショールームスタッフ)は、「ミス・フェアレディ」と呼ばれており、日産自動車の顔として活躍している。また、東京モーターショーでもコンパニオンとして活躍している。

[編集] レース活動

[編集] 初代

フェアレディ 240Z
第19回サファリラリー優勝車
11月 RACラリーに「240Z」が参戦し、総合7位(クラス2位)。ドライバーはR.アルトーネン
世界ラリー選手権のモンテカルロ・ラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。アルートネン/トッド組が総合5位(クラス2位)を獲得。T.フォールが総合10位(クラス3位)。
世界ラリー選手権サファリラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。1-2フィニッシュを達成し、総合・クラス・チーム優勝の3冠を獲得。優勝ドライバーは前年もダットサン 510で優勝のエドガー・ヘルマンである。2位はS.メッタ、7位はR.アルトーネン。
1月 全日本鈴鹿300kmレースにて「ダットサン・240Z」が優勝。
6月 富士グランチャンピオンレースGCクラスにて「ダットサン・240Z」が優勝。ドライバーは「Zの柳田」の異名を持つ柳田春人
世界ラリー選手権のモンテカルロ・ラリーに「240Z」が参戦し総合3位。
世界ラリー選手権のサファリラリーに「240Z」が参戦。E.ヘルマンが総合5位。
サザンクロスラリーに「240Z」が参戦し、R.アルトーネンが総合2位。
6月、「富士グラン300マイルレース」にて「フェアレディ240Z」が優勝。
世界ラリー選手権のモンテカルロ・ラリーに排気量を2.5Lに拡大した「240Z」が参戦し総合9位。
世界ラリー選手権のサファリラリーに「240Z」が参戦。S.メッタが総合優勝を獲得。2位にブルーバードU(610)が入りチーム優勝も獲得。
4月 レース・ド・ニッポンにて「フェアレディ240ZR」が2位獲得。
全日本鈴鹿1000kmレースにて「フェアレディ240ZR」が総合優勝を飾る。
世界ラリー選手権のサファリラリーに「240Z」が参戦し、総合4位。
5月 78 JAF富士グランプリ GTSクラスにて「フェアレディ280Z」が2位獲得。
9月 富士インター200マイルレース スーパーT&GTクラスにて「フェアレディ240Z」が優勝。

[編集] 2代目 - 4代目

S130型からは、レース活動の主軸を北米に移し、ポール・ニューマンの手に因ってIMSA-GTOに活躍の場を見出した。IMSAの統括団体の解散に至るZ32型迄、北米でのレース活動が継続された。

1985年、3代目(Z31)300ZXターボが全日本ラリー選手権年間総合優勝。ドライバーは神岡政夫

4月 第3戦 関西ラリー 5位
   第4戦 ACKスプリングラリー リタイヤ
   第6戦 ツール・ド・九州 優勝
   第7戦 ツール・ド・東北 優勝

1987年、Z31型200ZR-Ⅰで参戦。

Z32がIMSA1990年から参戦。エンジンはプレジデントに搭載していたV8エンジンを搭載。ドライバーはスティーブ・ミレン1992年1994年、ドライバーズとマニュファクチャラーの両タイトルを獲得。 また、1994年デイトナ24時間レースセブリング12時間レースで優勝、ル・マン24時間レースでも総合5位・クラス1位を獲得。

[編集] 5代目

全日本GT選手権GT500クラス参戦車

2003年からFIA GT仕様のマシンで全日本GT選手権のGT300クラスに参戦。2003年度ドライバーズタイトルを獲得。2008年度でも、「MOLAレオパレスZ」(星野一樹安田裕信)がドライバーズ、チームタイトルの2冠を獲得。

  • 2003年 ハセミスポーツ・エンドレス・Z(木下みつひろ/柳田真孝) ドライバーズタイトル獲得
3月 第1戦 GT Championship in TI(TIサーキット英田) 6位(総合19位)
5月 第2戦 ALL JAPAN GT FUJI-500(富士スピードウェイ) 2位(総合13位)
5月 第3戦 SUGO GT CHAMPIONSHIP(スポーツランドSUGO) 17位(総合32位)
7月 第4戦 MALAYSIAN JGTC IN FUJI SPEEDWAY GT300(富士スピードウェイ) 3位
8月 第5戦 JAPAN SPECIAL GT CUP(富士スピードウェイ) 21位リタイヤ(総合38位)
9月 第6戦 MOTEGI GT CHAMPION RACE(ツインリンクもてぎ) 3位(総合15位)
10月 第7戦 JAPAN GT in KYUSHU 300km(オートポリス) 4位
11月 第8戦 SUZUKA GT300km(鈴鹿サーキット) 2位

2004年から、エンジンをVQ30DETTに換装したマシンで全日本GT選手権のGT500クラスにR34型スカイラインGT-Rと入れ替わる形で参戦。2004年度シーズンのチームおよびドライバーズのタイトル獲得。名称がSUPER GTに変更された2005年には、チームタイトルを獲得。2007年より、フーガに搭載されているVK45DE型 4.5L V8)エンジンに変更したモデルを投入。2008年よりSUPER GTへの参戦車種をGT-Rに切り替えた為、GT500クラスからは2007年を最後に撤退した。ただしGT300の参戦は2008年以後も継続している。

2003年からスーパー耐久のST3クラスに参戦し、2004年・2005年・2007年にシリーズチャンピオンを獲得。また、2005年からは特認車両を用いてST1クラスにも参戦し、前述の通りエンジン排気量を拡大したホモロゲーションモデルを投入するなどの動きが功を奏し、2007年にはST1クラスのシリーズチャンピオンを獲得した。

  • 2003年 C-WESTアドバンZ33
4月 第1戦 Hi-landスーパー耐久レース(仙台ハイランド) 4位(総合21位)尾本直史/星野一樹
5月 第2戦 スーパー耐久鈴鹿300マイル(鈴鹿サーキット) 6位(総合33位)尾本直史/星野一樹
6月 第3戦 SUPER TEC(富士スピードウェイ) 6位(総合23位)尾本直史/星野一樹
6月 第4戦 MINE 500km RACE(セントラルパークMINEサーキット) 7位(リタイヤ)尾本直史/星野一樹
7月 第5戦 第10回十勝24時間レース(十勝インターナショナルスピードウェイ) 2位(総合12位)尾本直史/星野一樹/本山 哲/井出有治
9月 第6戦 TI Super Taikyu(TIサーキット) 7位(総合35位)尾本直史/星野一樹
9月 第7戦 SUGO Super Taikyu(スポーツランドSUGO) 3位(総合14位)尾本直史/星野一樹
11月 第8戦 もてぎスーパー耐久500(ツインリンクもてぎ) 3位(総合DNF)尾本直史/星野一樹


2003年-2005年、全日本ラリー選手権2輪駆動部門に参戦。ドライバーは「マッド・ドッグ」の異名を持つ三好秀昌。コ・ドライバーは市野 諮。

  • 2003年 ASイワセ・ADVANフェアレディZ
6月 第4戦 MACラリー2003(愛媛県上浮穴郡美川村・柳谷村) 4位
8月 第6戦 43rd SONNET RALLY(栃木県芳賀郡茂木町~那須郡塩原町周辺) 優勝
9月 第7戦 加勢裕二杯CUSCO MONTRE 2003(群馬県利根郡新治村~吾妻郡高山村周辺) 2位
10月 第8戦 RTC RALLY IN SHINTOKU 2003(北海道上川郡新得町周辺) 3位
  • 2004年 AS・イワセ・フェアレディZ
4月 第1戦 ツール・ド・九州2004 in 七山(佐賀県東松浦郡七山村) 2位
5月 第3戦 MSCC TOKYO RALLY 2004(茨城県久慈郡大子町~福島県東白川郡鮫川村) リタイヤ
6月 第5戦 2004年MACラリー(愛媛県上浮穴郡美川村~柳谷村周辺) 2位
  • 2005年 RSイワセ・ADVAN・Z
4月 第1戦 ツール・ド・九州 in 七山(佐賀県東松浦郡七山村周辺) リタイヤ
5月 第2戦 2005年MACラリー(愛媛県上浮穴郡美川村周辺) リタイヤ
6月 第3戦 シンフォニーラリー2005 in ひよし(京都府船井郡日吉町周辺) 5位

2003年6月 第81回パイクスピーク・インターナショナル・ヒルクライム オープンクラスにチームコムセントより参戦。RB26DETTに換装しアテーサE-TSも搭載したマシンを小林且雄が操りクラス4台中3位/総合57台中32位。ハイパフォーマンス・ショールームストッククラス仕様を長島正與が操りクラス4位/総合37位。

2004年からD1グランプリの参戦車両として使用されている。2007年シリーズでは今村陽一がポイントランキングで6位となった。

[編集] パトカー仕様

フェアレディZ VersionNISMOのパトカー フェアレディZ VersionNISMOのパトカー
フェアレディZ VersionNISMOのパトカー

1972年にS30型 (240ZG) のパトカー日産自動車神奈川県警察高速道路交通警察隊に寄贈した。当時は“最強のパトカー”とも言われ、1980年まで活躍した。その後S130型、Z31型、Z32型、Z33型と代替わりしていった。Z32型は1992年の導入なので現在は引退しているが(ちなみに寄贈された物のため、廃車にしたくても廃車に出来なかったらしく、2004年ごろまでは現役だった)、2006年にZ33型のパトカーが導入された。また、S30型の240ZGのパトカーは奇跡的にも車両が廃棄されず残っており、県警交通安全センターで展示されていたが閉館したため県警が保管していた。現在は日産自動車に譲渡され、座間事業所内の座間記念車庫に保管されている。

2007年にはZ33型Version NISMOのパトカーが栃木県警高速隊本隊に配属され、東北自動車道で運用されている[8]

他にも警視庁大阪府警察でも導入されたことがある。

[編集] 脚注

  1. ^ ほとんどがオープンタイプのロードスターモデルを主流としていた。
  2. ^ 1986年に行われたエクステリアの大幅なマイナーチェンジの際は異形レンズの使用が認可される様になり、日本仕様と同様の状態で輸出された。
  3. ^ 現在の日産デザインアメリカ・サンディエゴ
  4. ^ New Nissan 370Z. The Legend of the Z Continues… Nissan Australia Media Information
  5. ^ NISMO NEWS FLASH
  6. ^ フェアレディZ Version NISMO Type380RS DEBUT!!
  7. ^ 【日産 フェアレディZ 新型発表】ロードスターは来年発売 Response.
  8. ^ モーターマガジン社が高速隊に取材しており、細部の写真も公開されている。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク