日産・フェアレディZ

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フェアレディZFAIRLADY Z / フェアレディ・ゼット)は、日産自動車が製造するスポーツタイプの乗用車

通称は、「Zゼット)」。北米市場では「NISSAN 350Z」として販売されている。アメリカ合衆国での通称は「Z-carズィーカー)」など。

目次

[編集] 歴史

[編集] 初代(S30型系 1969-1978年)

Z-L 1970年モデル
Z-L 1970年モデル
Datsun 260Z 2/2北米向けモデル
Datsun 260Z 2/2
北米向けモデル
240ZG (エアロ装着)
240ZG (エアロ装着)

1969年、先代モデルであるオープンボディの「フェアレディ」に代わって登場。ヨーロッパ製の高級GTに比肩するスペックと魅力あるスタイルを兼ね備えながら、格段に廉価であったことで、北米市場を中心に大ヒットし、長期生産されて「DATSUN」「Z-car」の名を確固たる物とした、記念碑的モデルである。日産の世界的なイメージリーダーとして、9年間もの長期に渡って生産され、世界総販売台数55万台という、当時のスポーツカーとしては空前の記録を樹立した。

[編集] 開発の経緯とメカニズム

このモデルを企画したのは、当時、米国日産の社長であった片山豊であった。従来のダットサン・スポーツカーでは市場競争力が不十分であると考えた片山は、アメリカ市場でのニーズに適合した新しいスポーツカーの開発を要望し、1960年代中期から、腰の重い日産本社に対して熱心な働きかけを重ねていた。「Z」はこの片山の運動が結実したものと言える。

当初の計画ではロードスターとして設計される予定であったが、米国内の安全基準の改定と、GTカーとしての快適性を加味する目的でハッチバックを持つファストバッククーペとなった。1960年代後半、時を同じくして旧式モデル主力で北米市場の情勢変化に適応できなかったイギリスのスポーツカーメーカーの多く[1]が市場脱落していった史実を鑑みるに、片山豊と日産自動車の判断は先を見据えた的確なものであったと言える。

「Z」のスペックは高度なもので、軽量なモノコックボディに、前後輪ともストラット式サスペンションによる四輪独立懸架を備え、市場で先行するジャガー・Eタイプポルシェ・911などに肉薄した。

主力エンジンはコストの制約もあり、重い実用型量産SOHCL型・水冷直列6気筒を搭載。北米向け2.4Lモデルのカタログスペックは最高120マイル/hで、相応に速いが決して俊敏ではなく、ハイスペックな欧州製高級GTを今一歩凌駕するまでには至らなかった。だが、実用面では低速域からのトルクに富んで扱いやすく、ラフな取り扱いにも耐える頑丈なエンジンであった。ジャガーやポルシェの高性能だが複雑なパワーユニットに比して、格段にシンプルで整備も容易であり、スポーツカーをも日常の足として気軽に使用するアメリカ人たちのニーズには、かえって合致していた。

スタイルの面でも量産性を満足しつつ、GTカーらしい魅力を備えたデザインを実現した。このスタイリング松尾良彦以下僅か3名の少数チームに託され、背の高いエンジンを使わなくてはならない制約のなか、片山の求めるロングノーズ&ショートデッキにまとめ上げている。[2]。更に、豊富に設定されたアクセサリーも商品価値を高めた。

[編集] 成功と発展

発売されるとスタイリッシュで買い得なスポーツカーとして、主戦場の北米市場で大成功を収めた。その初期にはあまりの人気から供給不足となり、リーズナブルな価格設定にも関わらず、市場でプレミアが付くほどであった。

オープンエアを求める層に対しては、独立したトランクルームを持つタルガトップモデルが設計され、プロトタイプまで製作されており、また、将来的なモアパワーの要求には、プレジデントV型8気筒Y40型エンジン)で対処する松尾の私案もあったが、どちらも市販化には至っていない。

日本国内ではSUツインキャブレターを装備したSOHCL20型と、ソレックスツインチョークキャブレターを3基装備したDOHCS20型の2種類の直列6気筒2.0 Lエンジンが設定された。SOHCモデル(S30型)には「素Z(すゼット)」と呼ばれたベースモデルと、装備を充実させた「L」、DOHCモデル(PS30型)には「432」がそれぞれラインナップされた。 「432」とは、「4バルブ・3キャブレター・2カムシャフト」の意であり、搭載されるS20型エンジンの構成に由来する。その他、競技用ベース車両として、ヒーターすらオプションとなり、アクリル製ウィンドウを採用するなどの軽量化が施された「432R」も存在した。

「432」系の車両は、販売期間の短さや、開発やメンテナンスの優先順位をめぐる旧プリンス陣営との確執などもあり、競技への参戦は少なく、ほとんどの戦歴は後に登場する「240Z」(HS30型)が打ち立てている。高回転で複雑精緻なS20よりも、構造単純で頑丈、トルクを排気量で稼ぐL24の方が、結果として「Z」での競技には適したエンジンであったとも言える。

アメリカイギリスではダットサン・スポーツの名で、2.4 LのL型直6エンジンを搭載した「240Z」(HSL30 / HS30型)を発売、その後厳しさを増す排出ガス規制による出力低下を補うため、2.6L、2.8Lと排気量を順次拡大、車名もそれぞれ「260Z」、「280Z」となる。市場の要求から、ホイールベースを延長した4人乗り(2+2)の「2 by 2」が260 Zから追加されている。

モデルサイクル途中、折からの環境汚染問題に端を発した排出ガス規制に対応するため、日本国内では240Zの廃止に続き、1976年7月、2.0 LモデルはSUツインキャブレターを電子制御式燃料噴射装置に置き換えたNAPS仕様のL20E型エンジンへと変更となり、型式もS31 / GS31型となった。

現在日本国内に存在する240Zの多くは後年北米から逆輸入されたもので、新車当時から残る日本国内向けは、2.0 Lモデルに比べ非常に少ない。

S30は現在でも世界的に人気が高く、ファンは多い。ビンテージカーとして流通もしているが、その多くは今までの所有者によって何らかの改造が施されたものであり、完全に原型の車両を手に入れることは困難である。多くの所有者がレストレーションにより、オリジナルに近づける努力をしているが、製造廃止になっている純正部品も多く、復元のためには各自の工夫が必要となる。

[編集] 2代目(S130型系、1978-1983年)

280ZX Tバールーフ仕様
280ZX Tバールーフ仕様
280ZX リア
280ZX リア

1978年8月、S130型にフルモデルチェンジ。

先代のロングノーズ・ショートデッキスタイルを継承しながら、2代目はややワイドサイズとなって登場。2000ccの「200Z」と2800ccの「280Z」の2つのL型・直列6気筒エンジンを設定していた。しかし、これらL型エンジンは、吹け上がりの重さなどに次第に古さが感じられるようになった。また、ボディの大型化による重量増などから、一部には「セドリッククーペ」などと揶揄された。ただし先代を正常進化させたスタイルは流麗で美しく、ファンも少なくない。

1980年、国産車で初めて「Tバールーフ」仕様車を追加。このモデルを改造、ガス圧開閉式のセミガルウィングウィンドウを装備したのがテレビドラマ『西部警察』に登場する「スーパーZ」である。

1981年10月、マイナーチェンジ。ボンネットフードにNACAダクトを追加。第24回東京モーターショーにアメリカ合衆国で開催されていたレースSCCAに参戦していた「DATSUN ZX TURBO V-8」を参考出品。FRP製のボディにプレジデント用のV8エンジンをベースにターボを組合わせたレーシングカーである。

1982年、アメリカでL28ET型エンジンを搭載した2800ccターボモデルが誕生。初代に引き続き、S130もアメリカでは大ヒットとなり、1年足らずで生産台数10万台を突破。

1982年10月、歴代フェアレディZ初のL20ET型2000ccターボエンジン搭載モデル「200Z-T」が追加。国産車初の60%扁平タイヤ(215/60R15)装着車だった。

1983年、初代からの累計台数100万台を達成。

キャッチコピーは「新たなるZゾーンへ」。

[編集] 3代目(Z31型系 1983-1989年)

300ZX 2/2 (Z31・前期型)
300ZX 2/2 (Z31・前期型)
300ZX 2/2 (Z31・前期型)
300ZX 2/2 (Z31・前期型)
300ZX 2/2 (Z31・後期型)
300ZX 2/2 (Z31・後期型)

1983年、ロングノーズ・ショートデッキというZのコンセプトを引き継ぎながら、空力性能を重視して、エクステリアをシェイプアップした3代目が登場。

エンジンは直列6気筒のL型から新世代V型6気筒エンジンであるSOHCターボVG20ET(2L)とVG30ET(3L)になり、全グレードにV6エンジンを搭載した(後に再度直列6気筒モデルが設定される)。中でもVG30ETは当時としては大パワーを誇り、トヨタ・スープラに搭載される7M-GTEUが出るまではトップクラスの出力を誇り、空力に優れた欧州向けモデルでは、最高速度が250km/hに届いた。

外観では、別体のパッシングランプを省略するため、消灯時にもレンズの一部が露出する「パラレルライズアップ」ヘッドランプの採用が特徴となった。通常の軸回転式リトラクタブル・ヘッドランプとは異なり、ランプが上下に平行移動する構造をもったものである。因みにこの当時の米国ではヘッドランプに連邦自動車安全基準に準じない異形レンズの使用を認めておらず、北米輸出仕様では連邦自動車安全基準規格の角型ヘッドランプにドライビングランプを組み合わせた状態で対応した[3]

モデル発表時のCMではトンプソン・ツインズの“Love On Your Side”に乗せて、宙に浮いたVGエンジンの隊列と共に300ZXが登場し、長きに渡った直6L型時代から新世代V型エンジンへの転換を印象付けようと懸命であった。

1985年、日産自動車創立50周年を記念した「アニバーサリー」を発売。デジタルメーターやブラックの本革内装、リアオーバーフェンダー、専用アロイホイール、左カウルの記念オーナメントなどを特徴とする。

日本国内では、久々の直列6気筒エンジンとなる、DOHCセラミックターボRB20DETを搭載したモデルが追加設定された。このエンジンはもともとR31型系 スカイライン用として開発されたもので、インタークーラーが上置き形に変更されたため、ボンネット中央に設けられた大型エアスクープが外観上の特徴となった。装備の違いにより「200ZR-I」と「200ZR-II」の2種類があった。VGエンジンを主軸に据えたZ31型であったが、このモデルだけRB20DETが搭載された背景には、VG20型のDOHC化に時間が掛かり、搭載が間に合わなかったためと言われている。DOHCのVG20DETの登場は、1987年のY31型系セドリック / グロリア迄待たなければならなかった。

1986年、日産の北米でのデザイン拠点である日産デザインインターナショナル(NDI)[4]が提案したエクステリアデザインを採用し、3Lモデルはキャビン部(含むリアゲート)と左右ドア以外のパネルを全て意匠変更するという大幅なマイナーチェンジを施される。北米輸出仕様と同様のワイドフレアーフェンダーの3ナンバー専用ボディを与えられ、前期型よりもグラマラスな風貌となった。2.0 Lモデルについては前後のスキンチェンジのみでフロントとリアフェンダーは変わっていない。

エンジンは2.0 LモデルのVG20ETが廃止されRB20DETのみとなり、3.0 Lモデルは前期型からVG30ETを継続する「300ZX」に加え、VG30型のヘッドをDOHC化した新開発のVG30DEとゲトラク社製5速MTが組み合わされた「300ZR」が追加された。この「ZR」は締め上げられた足回りと、Z31型系で唯一の自然吸気エンジンなどから、古典的でスパルタンな味わいを持つマニアックなモデルとなった。なお、このマイナーチェンジで、日本仕様の「300ZX」はAT専用となった。

キャッチコピーは「較べることの無意味さを教えてあげよう。」「ワルツ・ナイト」「セラミック・レスポンス」「Zイズム。」「SOUL SYNCHRO MACHINE」。

[編集] 4代目(Z32型系、1989-2000年)

300ZX
300ZX
300ZX(リア)
300ZX(リア)
コンバーチブル
コンバーチブル

1989年7月、スタイル、パフォーマンスを始めとして、完璧なスーパースポーツカーを目指した4代目が登場。バブル景気に沸く当時の日産を象徴する車であり、10年以上という長期(歴代最長)に渡り生産されたモデルである。

2シーターおよび2by2と2つのシャシー、ボディがあり、それぞれホイールベースも異なる為、シャシー別に設計、製造されているのがこれまでフェアレディZの特徴だが、従来モデルに比較してZ32型は2シーターと2by2の外観的差異が最も判りにくいモデルである。ルーフには2代目(S130型Z)からの伝統「Tバールーフ」も一部モデルに引き継がれた。

搭載される2種類のエンジンは共にV6・3000ccで、自然吸気のVG30DE型(230ps)と新開発・ツインターボチャージャー搭載のVG30DETT型。ツインターボは国内で初めて最大出力280PSに達したモデル。自主規制値の280PSはここから生まれた。このZ用のVG30DEエンジンは片バンクずつの独立した吸気排気を持っているため、エンジンルームには所狭しと補機類が詰まり、ローでワイドなボディスタイルも災いし、メンテナンス性、放熱性等は悪かった。

イグニッションキーの材質はチタン、車載ジャッキはアルミニウム製等、バブル景気に沸く当時の日産を感じる事が出来る。

1992年8月、フルオープンモデルとなる「コンバーチブル」を追加。シートベルトの位置がドアよりボディに変更、エアバッグオプション、助手席パワーシートオプション等。

1993年8月、リアウイング等、小変更。

1994年10月、マイナーチェンジ。運転席SRSエアバッグを全車標準装備としたほか、2シーター、2by2、コンバーチブルそれぞれに「バージョンS」追加。リアスポイラーおよび専用シートを装備する。また、2by2 Tバールーフには「バージョンSレカロ」を設定。「バージョンS」をベースにBBS製鍛造アルミホイール、レカロ製シート、ミラーコートTバールーフ、電子制御アクティブサウンドシステムを装備する。

1997年1月、バージョンR追加、新ボディ色パープル追加。

1998年10月、フロントバンパー、リアウィング変更等。

2000年9月、製造終了。2002年7月の5代目 Z33型発売までは一時的に絶版車種となった。


キャッチコピーは「スポーツカーに乗ろうと思う。」(CMナレーションは桑名正博)。また、「あっ、この瞬間が、日産車だね。」のバージョンもある。

[編集] 5代目(Z33型系、2002年-)

5代目フェアレディZ
クーペ VersionST(後期型)
 
 
ロードスター VersionST(後期型)
 
クーペ VersionS(前期型)
 
メーカー {{{メーカー}}}
 
親会社 {{{親会社}}}
 
製造国 {{{製造国}}}
 
製造期間 2002年7月-
 
設計統括 {{{設計統括}}}
 
デザイナー {{{デザイナー}}}
 
乗車定員 2人
 
ボディタイプ 2ドア クーペ
2ドア ロードスター
 
ハイブリッド
 
エンジン 2002年7月-2005年1月
VQ35DEV6 3.5L 280ps
2005年1月-2007年1月
VQ35DEV6 3.5L 294ps
2007年1月-
VQ35HRV6 3.5L 313ps
 
モーター
 
最高出力/トルク {{{最高出力/トルク}}}
 
最高出力 {{{最高出力}}}
 
最大トルク {{{最大トルク}}}
 
変速機 6速MT / 5速AT(5M-ATx)
 
駆動方式 FR
 
サスペンション 4輪マルチリンク式
 
全長x全幅x全高 {{{全長x全幅x全高}}}
 
全長 4315mm
 
全幅 1815mm
 
全高 1315mm(クーペ)
1325mm(ロードスター)
 
最低地上高 {{{最低地上高}}}
 
ホイールベース 2650mm
 
車両重量 1480-1500kg(クーペ)
1590-1610kg(ロードスター)
 
乾燥重量 {{{乾燥重量}}}
 
総重量 {{{総重量}}}
 
最大積載量 {{{最大積載量}}}
 
燃料タンク容量 {{{燃料タンク}}}
 
燃費 {{{燃費}}}
 
 
 
別名 {{{別名}}}
 
先代
 
後継
 
姉妹車/OEM V36型日産・スカイライン
 
車台共有車
 
同クラスの車
 

1999年1月、デトロイトショーでZ復活の狼煙となる、240Zコンセプトが発表される。エンジンが直4のKA24DEであるなど、車格はSXに近く、後のZ33とは大きく異なるが、Z-carを渇望して久しい北米では、一気に期待が高まった。

2000年7月、ラスベガスで行われたZ30周年記念イベント、「Z2K(Z2000)」に湯川伸次郎中村史郎が出席、開発状況とレンダリングの一部を発表、大きなニュースとなる。

2001年10月、第35回東京モーターショーにZ33型コンセプトモデルを出展。

2002年1月、北米国際オートショーに「350Z」を出展。同月より先行予約受付を開始。6月、第7回北京国際モーターショーに「350Z」を出展。

2002年7月、Z33型発売。2年の沈黙を経てカルロス・ゴーンにより復活したモデル。ボディタイプは2シータークーペのみで、歴代フェアレディZに設定されていた2by2は未設定。エンジンはエルグランドスカイラインに搭載されているV型6気筒DOHC3.5L VQ35DE自然吸気のみ。ブレーキキャリパーはブレンボ社製を一部モデルに標準設定。グレード体系もベーシック・スポーティ系・ラグジュアリー系とわかりやすいものとなっている。

2003年2月、「350Z」がカナダ・カー・オブ・ザ・イヤー、およびベスト・ニュー・デザイン賞を受賞。3月、ジュネーヴ・モーターショーにヨーロッパ向け「350Z」を出展。

2003年4月、ニューヨーク国際オートショーに「350Z ロードスター」を出展。同月、上海モーターショーに「350Z ロードスター」を出展。

2003年10月、フルオープンモデル「ロードスター」(コンバーチブル・オープンカー)追加。同時に「クーペ」の仕様・装備を一部変更し、「Version ST」に5速AT車を追加。プレミアムカラーとして、第35回東京モーターショーに出品されたコンセプトカーのボディカラーに近づけた「プレミアムリキッドシルバー」を設定。以降、イヤーカラーとしてプレミアムカラーが一部改良及びマイナーチェンジの都度、設定されるようになる。

2004年1月、生産拠点を追浜工場から栃木工場へ移管。同月、2月29日までの期間限定モデル「Type E」を設定。前後のオーバーハングを延長し、オーディオレスとされた。実質はJGTC GT500クラスのホモロゲーションモデル。同時に、NISMOの手による「フェアレディZ S-tune GT」を設定。

2004年9月、一部改良。5速ATに「シンクロレブコントロール」機能を採用。同月、パリサロンに「350Z ロードスター」を出展。プレミアムカラーとして「プレミアムサンシャインイエロー」を設定(プレミアムリキッドシルバーは設定終了)。

2005年1月、フェアレディZ生誕35周年を記念する期間限定車「35th Anniversary」を設定。パワーアップされたVQ35DE型エンジン、18インチホイール等を採用する。2005年5月末受注分までの期間限定販売。

2005年4月、上海にて中国向け「350Z」を披露。同月開催された「オート上海 2005」に出展。

2005年9月、マイナーチェンジヘッドライト等の外観も変化し、リアコンビネーションランプにはLEDを採用し、出力が294psまで上げられた。シフトコンセプトは、「SHIFT_ sports」。

2006年1月、オーテックジャパンによる期間限定車「Version ST Type G」を設定。リア19インチタイヤ、フロント・リヤフェンダーモールを採用し、初代S30型240ZGを彷彿とさせるモデル。同月、東京オートサロン2006 with NAPACに「Version ST Type G」、および「NISMOフェアレディZ RSコンセプト」を出展。

2007年1月11日、再びマイナーチェンジが行われた。これによりエンジンはVQ35HR(313PS)に変更され、ボディカラーは特別塗装色として、かつてS30型に採用されていたグランプリオレンジの復刻版であるプレミアムパッショネイトオレンジが加わった。また、新エンジンを搭載する関係でボンネット中央にバルジが設けられ、かつてのS30型を彷彿させる姿になった。このモデルにはNISMOがチューニングを手掛けた「Version NISMO」が設定されている。また、同じくNISMOからスーパー耐久のホモロゲーション取得用(公道走行不可)モデルとして排気量を3800ccまで上げ、車体にも手を加えられたVersion NISMO Type 380RS-Competitionもリリースされ、2625万円(税込)で発売される。ちなみに、同モデルの公道仕様が2007年6月に300台限定で発売された。[5][6]

2008年1月、ボディカラーにプレミアムブレーズレッドが設定され、特別仕様車「Type F」を設定。

生産台数は約22万台で、マニュアルトランスミッションの比率は約55%、ロードスターの比率は約30%となっている。

キャッチコピーは、クーペは「神話は、語り継がれる。永遠に。」「五感が、熱狂する。」「言葉は、無力になる。」、ロードスターは「風の中で、踊る。」「楽園は、風の中にある。

[編集] 車名の由来

ダットサン・フェアレディも参照。

「FAIRLADY」は貴婦人、アルファベットの最後の文字である「Z」は究極を意味する。また、初代開発スタッフに、当時のアメリカ日産の社長片山豊Z旗を贈ったエピソードもある。ブロードウェイミュージカルの『マイ・フェア・レディ』に感銘を受けた川又社長が、クルマにも洗練されてゆく美しさを求めた名前といわれる。

[編集] ミス・フェアレディ

札幌銀座4丁目、東銀座本社名古屋福岡の全国5箇所に置かれている日産自動車の直営ショールーム、日産ギャラリー(ショールーム)内にいるコンパニオンショールームスタッフ)は、「ミス・フェアレディ」と呼ばれており、日産自動車の顔として活躍している。また、東京モーターショーでもコンパニオンとして活躍している。

[編集] レース活動

[編集] 初代

フェアレディ 240Z第19回サファリラリー優勝車
フェアレディ 240Z
第19回サファリラリー優勝車

1971年世界ラリー選手権サファリラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。1-2フィニッシュを達成し、総合・クラス・チーム優勝の3冠を獲得。優勝ドライバーはシェッカー・メッタである。

1月、「全日本鈴鹿300kmレース」にて「ダットサン・240Z」が優勝。世界ラリー選手権のモンテカルロ・ラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。アルトーネン/トッド組が総合3位を獲得。

6月、「富士グランドチャンピオンレース」GCクラスにて「ダットサン・240Z」が優勝。ドライバーは「Zの柳田」の異名を持つ柳田春人

1972年、世界ラリー選手権のサファリラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。総合優勝を獲得。6月、「富士グラン300マイルレース」にて「フェアレディ240Z」が優勝。

1973年、世界ラリー選手権のサファリラリーに「ダットサン・240Z」が参戦。総合優勝を獲得。4月、「レース・ド・ニッポン」にて「フェアレディ240ZR」が2位獲得。「全日本鈴鹿1000kmレース」にて「フェアレディ240ZR」が総合優勝を飾る。

1978年5月、「78 JAF富士グランプリ」GTSクラスにて「フェアレディ280Z」が2位獲得。

1978年9月、「富士インター200マイルレース」スーパーT&GTクラスにて「フェアレディ240Z」が優勝。

[編集] 2代目-4代目

1985年、3代目(Z31)が全日本ラリー選手権年間総合優勝。ドライバーは神岡政夫

Z32がIMSA1990年から参戦。エンジンはプレジデントに搭載していたV8エンジンを搭載。ドライバーはスティーブ・ミレン1992年1994年、ドライバーズとマニュファクチャラーの両タイトルを獲得。 また、1994年デイトナ24時間レースセブリング12時間レースで優勝、ル・マン24時間レースでも総合5位・クラス1位を獲得。

[編集] 5代目

全日本GT選手権GT500クラス参戦車
全日本GT選手権GT500クラス参戦車

2002年からエンジンにVQ35DEを搭載したマシンで全日本GT選手権(現:SUPER GT)・GT300クラスに、S15型シルビアと入れ替わる形で参戦。2003年度、ドライバーズチャンピオンを獲得。

2003年-2005年、全日本ラリー選手権2駆部門に参戦。ドライバーは「マッド・ドッグ」の異名を持つ三好秀昌

2004年から、エンジンをVQ30DETTに換装したマシンで全日本GT選手権(現:SUPER GT)・GT500クラスにR34型スカイラインGT-Rと入れ替わる形で参戦。2004年度シーズンのチームおよびドライバーズのタイトル獲得。2005年度、チームタイトルを獲得。2007年度より、フーガに搭載されている、VK45DE型(4.5L、V8)エンジンに変更したモデルを投入。2008年よりSUPER GTへの参戦車種をGT-Rに切り替えた為、GT500クラスからは2007年を最後にひっそりと撤退した。

2003年からスーパー耐久・ST3クラスに参戦し、2004年・2005年・2007年に同クラスのシリーズチャンピオンを獲得。また2005年からは特認車両を用いてST1クラスにも参戦し、前述の通りエンジン排気量を拡大したホモロゲーションモデルを投入するなどの動きが功を奏し、2007年にはST1クラスのシリーズチャンピオンを獲得した。

[編集] パトカー仕様

1972年にS30型(240ZG)のパトカー日産自動車神奈川県警察高速道路交通警察隊に寄贈した。当時は“最強のパトカー”とも言われ、1980年まで活躍した。その後S130型、Z31型、Z32型、Z33型と代替わりしていった。Z32型は1992年の導入なので現在は引退しているが(ちなみに寄贈された物のため、廃車にしたくても廃車に出来なかったらしく、2004年ごろまでは現役だった)、2006年にZ33型のパトカーが導入された。また、S30型の240ZGのパトカーは奇跡的にも車両が廃棄されず残っており、県警交通安全センターで展示されていたが閉館したため県警が保管していた。現在は日産自動車に譲渡され、座間事業所内の座間記念車庫に保管されている。

2007年にはZ33型Version NISMOのパトカーが栃木県警高速隊本隊に配属され、東北自動車道で運用されている[7]

他にも警視庁大阪府警察でも導入されたことがある。

[編集] 脚注

  1. ^ ほとんどがオープンタイプのロードスターモデルを主流としていた
  2. ^ これらの経緯は後年NHKテレビの「プロジェクトX〜挑戦者たち〜」でも取り上げられた。
  3. ^ 1986年に行われたエクステリアの大幅なマイナーチェンジの際は異形レンズの使用が認可される様になり、日本仕様と同様の状態で輸出された。
  4. ^ 現在の日産デザインアメリカ・サンディエゴ
  5. ^ NISMO NEWS FLASH
  6. ^ フェアレディZ Version NISMO Type380RS DEBUT!!
  7. ^ ベストカー2008年1月26日号を参照。尚、この車両は同県警に配備されているNSX同様に希望ナンバーで「・110」を取得している。

[編集] 関連項目

ウィキメディア・コモンズ

[編集] 外部リンク

  • 日産・フェアレディZ
  • z.com - 英語版のフェアレディZのページへのリダイレクト。なお、一文字.comドメインは通常認められず、例外中の例外である。