戦艦ポチョムキン

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戦艦ポチョムキン
Броненосец «Потёмкин»
ソ連での公開時のポスター
監督 セルゲイ・エイゼンシュテイン
脚本 セルゲイ・エイゼンシュテイン
原作 ニーナ=アガジャーノ・シュトコ
音楽 ニコライ・クリューコフ
撮影 エドゥアルド・ティッセ
編集 セルゲイ・エイゼンシュテイン
公開 ソビエト連邦の旗 1925年12月24日
日本の旗 1967年10月4日
上映時間 75分
製作国 ソビエト連邦の旗 ソビエト連邦
言語 ロシア語
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戦艦ポチョムキン』(せんかんポチョムキン、ロシア語: Броненосец «Потёмкин»ブラニノースィツ・パチョームキン、英語:Battleship Potemkin)は、「第1次ロシア革命20周年記念」として製作され、1925年に製作・公開されたセルゲイ・エイゼンシュテイン監督によるソビエト連邦サイレント映画1905年に起きた戦艦ポチョムキンの反乱を元に製作されているが、終盤の黒海艦隊の多くの艦が反乱に同調する(実際は数隻のみ)など史実とは大きく異なる部分も多い。

概要[編集]

モンタージュ手法を確立した映画として知られるが、映画に含まれる共産主義プロパガンダのために海外での公開は検閲を受け、多くの場面がカットされるなど難航した。スターリン時代にはソ連国内でも政治的理由でオリジナル・ネガがカットされるなどしたため、完全なオリジナルは散逸してしまった。1976年に、ソ連映画関係者の努力により世界中に散らばったポジ・プリントから復元版が再構成された。この版はショスタコーヴィチの交響曲からとった音楽がつけられたため、通称「ショスタコーヴィチ版」と呼ばれる。しかし、その後ドイツの作曲家エドムント・マイゼルがドイツ公開(1926年)の際に作曲したスコアが発見され、もともとマイゼルへの作曲依頼者がエイゼンシュテイン本人であることや、伴奏音楽として優れていることから、こちらの版の復元が進み、2005年には元ミュンヘン映画博物館館長エンノ・パタラスの指揮によりこの「マイゼル版」の復元版が完成した。復元マイゼル版では、当時のドイツ公開版にならい、戦艦のマストに掲げられた旗が手彩色作業により赤旗になっている。

なお、戦艦ポチョムキンの実物は国内戦期イギリス軍によって爆破されてしまった。その後、ソヴィエト政府は革命記念艦である同艦を復旧しようと試みたが果たせず、艦はちょうど映画が製作された1925年に解体されてしまった。映画に全体が登場する場面があるが、これは模型である。俳優らが艦上を動き回るシーンの撮影は当時のソ連海軍の練習巡洋艦コミンテルンと、当時第8号繋留廃艦と呼ばれ住居や倉庫として使用されていた旧戦艦十二使徒(当時繋留廃艦)で行われた。両艦ともポチョムキンとはかなり形が異なるが、映画では違和感なく処理されている。艦の全体が映る場面では模型を使っているが、一部で実物の艦艇も登場している。しかし、フィルムの一部場面には1905年当時は存在しなかった弩級戦艦などが映っており、ポチョムキンとは若干ギャップが生じてしまっている。

日本においては、戦前は共産主義プロパガンダが含まれているとみなされ、政府の検閲により上映禁止措置が取られた。1959年の有志(評論家山田和夫など)による自主上映運動により、初めて日本の観客が目にし[1]1967年にようやく劇場で一般公開された。

パブリックドメイン化[編集]

公開が1925年、監督エイゼンシュテインの没年が1948年であることから、いずれを基点としても日本の著作権法(2013年現在)上はパブリックドメイン化しており、自由に複製、上映、改変、翻案などが可能となっている。


オデッサの階段[編集]

オデッサの階段の虐殺 。映画「戦艦ポチョムキン (1925年)から。
階段シーンの撮影現場(オデッサ)

この映画で最も印象的とされるのは「オデッサの階段」と言われる約6分間の場面で、「映画史上最も有名な6分間」と言われる。特に撃たれた母親の手を離れた乳母車が階段を落ちていくシーンは、ブライアン・デ・パルマ監督の『アンタッチャブル』などの映画でも引用されている。だが史実によると「オデッサの階段での虐殺事件」というものは存在しない。

階段シーンのオマージュ/パロディがある映画など[編集]

ソフトウェア[編集]

脚注[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]