リディア・リトヴァク

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リディア・リトヴァク

リディア・ウラジミーロヴナ・リトヴァクЛидия Владимировна ЛитвякLydia Vladimirovna Litvyak1921年8月18日 - 1943年8月1日)は、ソ連労農赤軍航空隊(この当時、まだ空軍は独立していなかった)の女性エース・パイロット。公認撃墜機数は12機(未確認3機)。女性エース・パイロットは他に、同じ労農赤軍航空隊のエカテリーナ・ブダノワ(11機撃墜)、オルガ・ヤムシュコワ(17機撃墜)がいる。

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[編集] 経歴

モスクワ生まれ。ロシア人。コムソモール団員。1935年、航空クラブに入会し、ヘルソン飛行教官航空学校卒業後、カリーニン航空クラブで働く。

1942年始め、女性戦闘機航空連隊が編成され、当時までに飛行時間100時間を記録していたリディアは、第586戦闘機航空連隊に配属された。最初の戦闘飛行は、1942年6月のサラトフ上空だった。

1942年8月、最初のスコア(協同撃墜、Ju-88)を上げた。9月初め、第437戦闘機航空連隊に移り、スターリングラード攻防戦に参加した。乗機のLa-5のコクピット両側に愛称の「リーリャ」(百合)に因んだ白百合を描き込んでおり、それを「白い薔薇」と誤認したドイツ軍から「スターリングラードの白薔薇」と呼ばれた。パーソナルマークを持つソ連機は極めて珍しく、敵機の注目を大いに集めたが、これは経験の浅いパイロットが乗る僚機から敵の注意を逸らし、自分を狙わせる為であったと言われている。

1942年9月13日にメッサーシュミットBf-109戦闘機ユンカースJu-88爆撃機を1機ずつ撃墜したのが単独での初の戦果であり、その後もスコアを重ねて行き、間もなく、ソ連邦英雄L.シェスタコフが指揮する第9親衛戦闘機連隊に異動した。1943年2月に中尉に昇進し、赤旗勲章が授与された。

1943年5月21日、同じ連隊に勤務していた恋人のアレクセイ・ソロマチン親衛大尉(個人撃墜15機 協同撃墜12機 ソ連邦英雄)が訓練中の事故で殉職し、リディアに大きな衝撃を与えた。

最後の出撃となった1943年8月1日の空中戦では、Bf109戦闘機8機に包囲されて集中攻撃を受け、この内2機を撃墜するも機銃弾を使い果たして力尽き、未帰還となった。この日までに168回出撃し、うち空中戦89回、撃墜11機、協同撃墜3機を記録していた。

1979年ドミトリェフカ村付近の草原で遊んでいた子供たちによってリディアの乗機の残骸と、その傍に埋葬されていた彼女の遺体が発見され、改めて戦死が確認された。そして1990年5月5日、ソ連のゴルバチョフ大統領により国葬が執り行われ、ソ連邦英雄の称号を贈られた。

搭乗機は、ヤコブレフYak-1(黄の44号機)とYak-1B(白の23号機)。 そのコクピットにはリディアの摘んだ草花が飾られ、最期の日までいつも華やかであったという。

[編集] 撃墜記録

  • 1942年 Ju-88とBf-109
  • 1943年 Ju-87
  • 1943年 Fw-190(撃墜未確認)
  • 1943年 Ju-88
  • 1943年 Bf-109
  • 1943年 Bf-109
  • 1943年 Bf-109
  • 1943年 飛行船
  • 1943年 Ju-88
  • 1943年 Bf-109(撃墜未確認)
  • 1943年 Bf-109
  • 1943年 Bf-109
  • 1943年 Bf-109(撃墜未確認)
  • 1943年 Bf-109

[編集] 顕彰

ソ連邦英雄。レーニン勲章、赤旗勲章、一等及び二等祖国戦争勲章、赤星勲章を受章。

彼女が住んでいたモスクワのノヴォスロヴォーツカヤ通り14番街には、彼女の記念碑が建てられた。

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