トヨタ自動車

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トヨタ自動車株式会社
Toyota Motor Corporation
Toyota logo.svg
Headquarter of Toyota Motor Corporation 3.JPG
トヨタ自動車本社
種類 株式会社
市場情報
略称 トヨタ、TMC
本社所在地 日本の旗 日本
471-8571
愛知県豊田市トヨタ町1番地
北緯35度3分8.6秒 東経137度9分29秒 / 北緯35.052389度 東経137.15806度 / 35.052389; 137.15806座標: 北緯35度3分8.6秒 東経137度9分29秒 / 北緯35.052389度 東経137.15806度 / 35.052389; 137.15806
設立 1937年8月28日
(トヨタ自動車工業株式会社)
業種 輸送用機器
法人番号 1180301018771
事業内容 自動車(車種一覧を参照)
代表者
資本金 3970億4900万円(2016年3月期)[1]
発行済株式総数 33億3799万7492株[1]
売上高
  • 連結:28兆4031億1800万円
  • 単独:11兆5858億2200万円
(2016年3月期)[1]
営業利益
  • 連結:2兆8539億7100万円
  • 単独:1兆4021億2600万円
(2016年3月期)[1]
経常利益
  • 連結:2兆9833億8100万円
  • 単独:2兆2840億9100万円
(2016年3月期)[1]
純利益
  • 連結:2兆3126億9400万円
  • 単独:1兆8103億7000万円
(2016年3月期)[1]
純資産
  • 連結:18兆0881億8600万円
  • 単独:10兆8594億4300万円
(2016年3月期)[1]
総資産
  • 連結:47兆4275億9700万円
  • 単独:16兆1002億0900万円
(2016年3月期)[1]
従業員数
  • 連結:36万4445人
  • 単独:7万2721人
(2017年3月31日現在)
決算期 毎年3月31日
会計監査人 PwCあらた有限責任監査法人
主要株主 (2018年3月31日現在)
主要子会社 トヨタグループ参照
関係する人物
外部リンク https://www.toyota.co.jp/
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トヨタ自動車株式会社(トヨタじどうしゃ、: Toyota Motor Corporation)は、日本の大手自動車メーカーである。通称「トヨタ」、英語表記「TOYOTA」、トヨタグループ内では「TMC」と略称される。豊田自動織機を源流とするトヨタグループの中核企業で、ダイハツ工業日野自動車の親会社、SUBARU筆頭株主である。TOPIX Core30の構成銘柄の一つ。

トヨタグループ全体の2017年の世界販売台数は約1038万台で3位[2]、トヨタブランド単独では約847万台で世界第1位である[3]

本社が位置する豊田市は、奈良時代から約1,300年間「挙母(ころも、挙母市)」と称された地名を1959年に「豊田(豊田市)」へ改称することを市議会で決議し、本社所在地の表示が「挙母市大字下市場字前山8番地」から「豊田市トヨタ町1番地」に変更された[4]。日本の企業城下町で、市名に企業名が採られた稀な事例である。

目次

歴史[編集]

創業[編集]

実質的創業者の第2代社長 豊田喜一郎

豊田佐吉(人名は「とよ」と濁る)が創業した豊田自動織機製作所内(愛知県刈谷市)に、1933年9月に開設された自動車部がトヨタ自動車の起源で、自動車部設置にあたり、中京デトロイト構想創案者で大同メタル工業創立者の川越庸一が豊田喜一郎を説き伏せ、自動車部設置に至った。初代自動部部長に川越庸一氏を迎え入れた。佐吉の息子である豊田喜一郎[注釈 1]が中心となって設立したが、初代社長は佐吉の娘婿で喜一郎の義兄である豊田利三郎が就いた。

織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年11月にG1型トラックを発表。翌1936年9月に、同社初の量産乗用車であるAA型乗用車と、同時にG1型の改良型であるGA型トラックを発表した。これまで豊田自動織機製作所の自動車部として刈谷市で開発・製造されていたが、1937年8月28日に独立した新会社が広大な敷地のある愛知県挙母市(現豊田市)に設立され、本社と工場が設置された。創立記念日は本社工場が竣工された11月3日としている。

豊田自動織機製作所自動車部時代は、社名中の「豊田」の読みが「トヨダ」であったため、ロゴや刻印も英語は「TOYODA」でエンブレムは漢字の「豊田」を使用していた。しかし1936年夏に行われた新トヨダマークの公募で、約27000点の応募作品から選ばれたのは「トヨダ」ではなく「トヨタ」のマークだった。理由として、デザイン的にスマートであること、画数が8画で縁起がいいこと、個人名から離れ社会的存在へと発展することなどが挙げられている[5]。1936年9月25日に「トヨタ(TOYOTA)」の使用が開始され、翌年の自動車部門独立時も「トヨタ自動車工業株式会社」が社名に採用された。

初期[編集]

1936年に発売されたAA型乗用車(復元車)

1941年に利三郎は会長に退き、第2代社長に創業者の喜一郎が就任した。日中戦争および太平洋戦争中は主に帝国陸軍向けのトラックと、少数のAA型乗用車、派生型のAB型(ABR型)・AC型などを生産し、陸軍の要請で川崎重工業との合弁で後にアイシン精機となる東海航空工業を設立したり、トヨタも航空機部門を作って航空機用エンジンを製造した。大戦末期の1945年8月14日にアメリカ軍の爆撃で挙母工場の約4分の1が破壊された。

1950年にドッジ・ラインに伴うデフレと戦前の好調を支えた割賦販売方式の影響を受けてトヨタは経営危機に陥った。豊田喜一郎社長は辞任に追い込まれたが、直後に朝鮮戦争が勃発して軍用トラック特需があり倒産を回避、同時に技術者の中村健也の監督のもと、国産自家用車の開発を開始した。

この経営危機時、都銀・地銀含めトヨタと取引のあった銀行24行による協調融資団が結成される中、帝国銀行東海銀行を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(トヨタ自販)が設立された。このとき融資に協力した帝国銀行と東海銀行が主力銀行となるが、融資条件に合理化も含まれており、トヨタは初のリストラを断行している。貸付金を回収した大阪銀行は、後継の住友銀行がさくら銀行と合併するまで50年のあいだ口座開設や取引はされなかった。千代田銀行は取引解消に至らずも再建策に消極的であったことから、後継の三菱銀行は住友銀行ほどではないが、海外の資金調達や決済など一部に限られて東京銀行と合併するまで45年のあいだ全面的な口座開設や取引はされなかった。

中興[編集]

カローラは33年連続で国内販売台数1位を獲得し、日本のモータリゼーション発展に貢献した。

喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にクラウン(1955年)、コロナ(1957年)、ダイナ(1959年)、パブリカ(1961年)などロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。1956年クラウンがロンドン-東京間を走破、国産自動車メーカー各社の自信となった。のちの中川不器男社長時代にスポーツ800(1965年)、カローラ(1966年)、ハイエース2000GT(1967年)などを発売し、カローラの躍進によりトヨタはシェアトップを不動のものとした。このころから北米、タイブラジルなどにも進出してカローラランドクルーザーが一定の地位を築いた。

この頃日本はOECDに加盟して外国車の輸入が自由化され、日本の自動車メーカーは生産力に勝るGMフォードに対抗するべく業界再編が行われていた。シェア首位のトヨタは独占禁止法の関係で他社を合併吸収することが認められなかったため[6]、1966年に日野自動車と[7]、1967年にダイハツ工業[8]と業務提携した。日野はトヨタの生産ノウハウを吸収してトヨタの小型車生産を請け負い、ダイハツはカローラやパブリカの事実上の上級モデルであるシャルマンコンソルテを開発・販売しながら四輪開発の経験を積んだ。こうしてトヨタは「200万台体制」に向けた準備を整えた。

豊田英二社長の時代にセンチュリー(1967年)、スプリンターマークII(1968年)、カリーナセリカライトエース(1970年)、スターレット(1973年)、タウンエース(1976年)、ターセルコルサ(1978年)、カムリ(1980年)、ソアラ(1981年)などを発売し、公害問題や排ガス規制などに対処した。1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店トヨペット店カローラ店オート店(1998年に「(旧)ネッツ店」に改称)とともに「販売5チャネル体制」を確立した。

企業統廃合[編集]

ソアラはトヨタのイメージリーダーとして最新技術が多数投入された。

1982年にトヨタ自工とトヨタ自販が合併し、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長に喜一郎の長男・豊田章一郞が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場で1982年のビスタマスターエース、1984年のハイラックスサーフMR2、1985年のカリーナED、1986年のスープラ、1989年のセルシオ、1991年のウィンダムなど次世代のトヨタを担う車種を発売し、国内販売高トップの座を強固にした。

1989年にアメリカを主要マーケットとしたトヨタの上級ブランド「レクサス」を立ち上げた。レクサス・LS (日本名、セルシオ) の成功は、日本車が高級乗用車としても通用することを証明した。

1992年に章一郞は社長を退き弟の豊田達郎が社長に就いた。バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃してトヨタも影響を受けた。時代はトヨタの得意とするセダン・クーペなどの高級感・格好良さより、SUVやミニバンなどの実用性を重視する分野へと移り変わって行き、シェアは一時40%を切った。トヨタはセダンに力を入れる一方、ミニバンのエスティマ(1990年)や、クロスオーバーSUV(CUV)の先駆けとなるRAV4(1994年)を投入して状況に対応した。不況の続く中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。

日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ[編集]

第8代社長・第7代会長の奥田碩により積極的な海外販路拡大路線が推し進められた。
LS460は日本車として初めて世界カーオブザイヤーに輝いた

奥田は創業家出身の会長の章一郞を後ろ盾に、業績が下降していたトヨタを再生させ、積極的な海外販路拡大路線を開始した。1997年に高級SUVの先駆けとなるハリアーと、世界初の量産ハイブリッドカープリウスの販売を開始し、1999年のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。張は奥田の海外販路拡大路線を推進し、2002年 頃以降は年間50万台ものペースで海外販売台数が急拡大し始めた[9]。2003年 に2代目プリウスの販売を開始したが、この成功は「ハイブリッドカーを擁する環境先進企業・トヨタ」のイメージを確立させる事に成功した。2000年から部品の設計開発段階からの原価低減を目指したCCC21活動を開始し、ピーク時の2003年に3,000億円の原価低減を達成した[10]。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、トヨタグループの連結子会社の合計は264,096人で日本最大、世界で第三位の企業規模となった。2004年に旧ネッツ店とビスタ店を統合して新生・ネッツ店として再出発した。

傘下企業の関係強化も進み、1998年にダイハツ工業[8]、2001年に日野自動車の株式の過半数を取得した[7]

2005年に張の後任として渡辺捷昭が社長に就任した。渡辺も、奥田社長時代以降続いている拡大路線を継続しつつ、CCC21活動を発展させてシステム単位で原価低減を目指すVI活動を開始した[10]。同年、トヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が完成。8月にレクサス店を日本へ導入した。10月にゼネラルモーターズが保有する富士重工業の約20%の株式のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表した。2007年に世界販売台数が過去最多の936万6,418台を記録し (世界2位、生産台数は世界1位)、2008年3月期の連結営業利益も過去最高となる2兆2703億円を記録した[11]。2007年に、名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部と名古屋市内と東京本社からそれぞれ日本国内・日本国外の営業部門が移転した。

消滅危機からのV字回復[編集]

THS-IIと低価格により爆発的にヒットした3代目プリウス。
スピンドルグリルを採用するレクサス・RC F

2008年のリーマン・ショックで世界の自動車販売台数は急減し、トヨタも2009年3月期の連結営業利益が4,610億円で58年ぶりに赤字に転落した[12]。2008年の年間世界販売台数はGMの販売台数が落ち込みが激しかったため、897万2,000台の販売台数を記録したトヨタグループが初めて販売台数世界一となった[13]。この自動車市場の冷え込みに加えて、2009年 から2010年 にかけて大規模リコールが発生したため、トヨタの経営は一転して危機的状況に陥った。この危機に対して、2009年6月に新社長に就任したばかりの創業家出身の豊田章男は、トヨタが経営学者ジェームズ・C・ コリンズが言うところの企業消滅手前の「企業凋落の4段階目」に瀕していると表明した[14]。2011年に東日本大震災タイ大洪水が発生し、2010年から続く記録的な円高もあって、トヨタグループの世界販売台数はGMとフォルクスワーゲングループに抜かれて世界3位に後退した。2008年から、さらなる原価低減を目指す緊急VA活動を開始し、全社VA活動、VA開発部の発足まで発展させ[15][16]、2011年から、意思決定の迅速化のために大幅に取締役を削減した上で海外事業体にいくつかの権限を委譲するなど[17][18]、様々な企業努力を行った。

2012年に過去最多となる世界販売台数974万7,762台を達成し、2年ぶりに世界販売台数1位を奪還した[19]。2012年末からのアベノミクスの金融緩和による円安で、2013年3月期はリーマン・ショック後初で5年ぶりとなる営業利益1兆円越えを達成する。

2013年4月にレクサス・インターナショナル、第1トヨタ、第2トヨタ、ユニットセンターの4つのビジネスユニットを新設し、意思決定を迅速化した。これは1982年の工販合併後の最大の組織改編であった[20][21]。同年のグループ年間生産台数は1011万7274台を記録し、世界の自動車メーカーの中で初めての年間生産台数1000万台超えを達成し[22]、翌2014年は、年間販売台数でも初の1000万台超えを達成した[23]。2015年3月期は日本企業で初の純利益2兆円越えを達成し、2016年3月期売上高28兆4千億円は、5大商社である三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事、丸紅を抑え日本1位である[24]

2015年に新しい設計開発思想「TNGA」の導入を開始し[25]、さらなる原価逓減と「もっといいクルマづくり」の姿勢を鮮明に打ち出した。一般投資家向けに中長期保有を前提とした元本保証の種類株式『AA型種類株式』の発行を発表[26]。即座に業績へ反映されない研究開発に投資するのが目的とされる[27]。株式名はトヨタ初の量産乗用車AA型にちなんで命名された。

2016年3月1日にヤマハ発動機に対抗するためヤンマーホールディングスヤンマー)とマリン事業分野で業務提携を[28]発表、同年4月4日にマイクロソフトと合弁でコネクテッドカー関連の研究開発および商品開発を行う新会社「Toyota Connected」(トヨタ・コネクテッド)設立を発表[29]した。

2016年4月から、意思決定のさらなる迅速化と次世代リーダーの育成を目的に、専務役員がプレジデントを務める7つの部門からなるカンパニー制を導入した[30][31]

2017年2月にスズキと業務提携に向けて基本合意し[32]、8月にマツダと株の持ち合いによる資本提携と技術提携を締結した[33]

最高幹部[編集]

Mr. Akio Toyoda.jpg
創業家出身の第11代代表取締役社長豊田章男

役員一覧[編集]

取締役
代表取締役会長 内山田竹志
代表取締役副会長 早川茂
代表取締役社長
(兼執行役員社長)
豊田章男
代表取締役
(兼執行役員副社長
小林耕士
取締役
(兼執行役員副社長)
ディディエ・ルロワ (Didier Leroy)
寺師茂樹
取締役
社外取締役
菅原郁郎
フィリップ・クレイヴァン(Philip Craven)
工藤禎子
監査役
常勤監査役 安田政秀
加藤雅大
香川佳之
監査役 和気洋子
小津博司
平野信行
執行役員の体制
社長
(兼代表取締役社長)
豊田章男
副社長
(兼代表取締役)
小林耕士
副社長
(兼取締役)
ディディエ・ルロワ (Didier Leroy)
寺師茂樹
副社長 河合満
友山茂樹
吉田守孝
フェロー ギル・プラット (Gill A. Pratt)
専務役員 14名
常務役員 33名

(2018年6月14日時点[34]

名誉会長・相談役・顧問[編集]

名誉会長 豊田章一郎
相談役 張富士夫
池渕浩介
顧問 6名

(2018年7月1日時点[35]

歴代社長[編集]

トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の社長の変遷

トヨタ自動車工業株式会社 社長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Rizaburo Toyoda cropped Rizaburo Toyoda.jpg 豊田利三郎 1937年8月 1941年1月 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任
初代豊田自動織機製作所社長
2 Kiichiro Toyoda.jpg 豊田喜一郎 1941年1月 1950年6月 創業者
第2代自動車技術会会長
2018年自動車殿堂入り
3 Replace this image JA.svg 石田退三 1950年7月 1961年8月 石田は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任
4 Replace this image JA.svg 中川不器男 1961年8月 1967年10月 中川は在任中に死去
5 Replace this image JA.svg 豊田英二 1967年10月 1982年7月 英二は退任後、トヨタ自動車会長に就任
第2代日本自動車工業会会長
1994年自動車殿堂入り
トヨタ自動車販売株式会社 社長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Replace this image JA.svg 神谷正太郎 1950年4月 1975年12月 神谷は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任
2 Replace this image JA.svg 加藤誠之 1975年12月 1979年6月 加藤は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任
3 Replace this image JA.svg 山本定藏 1979年6月 1981年6月
4 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg 豊田章一郎 1981年6月 1982年6月
トヨタ自動車株式会社 社長
氏名 就任日 退任日 補足 備考
1 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg 豊田章一郎 1982年7月 1992年9月 工販合併前からは通算6代目 退任後、会長に就任
第4代経済団体連合会会長
第4代日本自動車工業会会長
2007年自動車殿堂入り
桐花大綬章受章
レジオンドヌール勲章グラン・ドフィシエ受章
2 Replace this image JA.svg 豊田達郎 1992年9月 1995年8月 工販合併前からは通算7代目 退任後、副会長に就任
第6代日本自動車工業会会長
3 Hiroshi Okuda.jpg 奥田碩 1995年8月 1999年6月 工販合併前からは通算8代目 退任後、会長に就任
初代日本経済団体連合会会長
第9代日本自動車工業会会長
4 Fujio Cho.jpg 張富士夫 1999年6月 2005年6月 工販合併前からは通算9代目 退任後、副会長に就任
第12代日本自動車工業会会長
5 Replace this image JA.svg 渡辺捷昭 2005年6月 2009年6月 工販合併前からは通算10代目 退任後、副会長に就任
第3代首都高速道路会長
6 Akio Toyoda cropped 3 Akio Toyoda 20110818 1.jpg 豊田章男 2009年6月 (現職) 工販合併前からは通算11代目 第15代・第18代日本自動車工業会会長

歴代会長[編集]

トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の会長の変遷

トヨタ自動車工業株式会社 会長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Rizaburo Toyoda cropped Rizaburo Toyoda.jpg 豊田利三郎 1941年1月 1945年11月 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業監査役に就任
2 Replace this image JA.svg 石田退三 1961年8月 1971年7月 石田は退任後も、兼任するトヨタ自動車販売監査役を継続
3 Replace this image JA.svg 齋藤尚一 1972年12月 1978年9月
4 Replace this image JA.svg 花井正八 1978年9月 1982年7月 花井は退任後、トヨタ自動車相談役に就任
トヨタ自動車販売株式会社 会長
氏名 就任日 退任日 備考
1 Replace this image JA.svg 神谷正太郎 1975年12月 1979年6月 神谷は退任後、トヨタ自動車販売名誉会長に就任
2 Replace this image JA.svg 加藤誠之 1979年6月 1982年6月 加藤は退任後、トヨタ自動車監査役に就任
トヨタ自動車株式会社 会長
氏名 就任日 退任日 補足 備考
1 Replace this image JA.svg 豊田英二 1982年7月 1992年9月 工販合併前からは通算5代目 退任後、名誉会長に就任
2 Shoichiro Toyoda cropped 5 Shoichiro Toyoda wins Woodrow Wilson Award.jpg 豊田章一郎 1992年9月 1999年6月 工販合併前からは通算6代目 退任後、名誉会長に就任
3 Hiroshi Okuda.jpg 奥田碩 1999年6月 2006年6月 工販合併前からは通算7代目 退任後、相談役に就任
4 Fujio Cho.jpg 張富士夫 2006年6月 2013年6月 工販合併前からは通算8代目 退任後、名誉会長に就任
5 Replace this image JA.svg 内山田竹志 2013年6月 (現職) 工販合併前からは通算9代目

グループ会社・関連会社[編集]

トヨタ自動車は、戦後すぐに経営危機に陥った時に、日本銀行名古屋支店長の斡旋で、帝国銀行と東海銀行の融資により、これらを取引銀行としてきた。三井二木会・三井業際研究所・綱町三井倶楽部に加盟し、三井二木会にオブザーバーとして参加している。豊田章一郞(名誉会長)の妻は三井家の出身である。

昔の六大企業グループとは、三菱金曜会、三井二木会、住友白水会一勧三金会芙蓉会三和三水会である。

豊田綱領
  1. 上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を拳ぐべし
  2. 研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし
  3. 華美を戒め、質実剛健たるべし
  4. 温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし
  5. 神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし

トヨタグループを形成した先人たちは創業以来の理念をまとめ、「豊田綱領」として制定して精神が長く継承されることを願った。この理念は、グループ各社の社是や基本理念に引き継がれ、それ以後グループに参画する会社も理念を共有してきた。

戦後国民所得が上昇すると、耐久消費財の需要が伸び、昭和40年代に入ると3C(カラーテレビ、カー、クーラー)が「新三種の神器」としてもてはやされた。しかし東京オリンピック後の不況で紡織は経営危機に直面し、日本電装(現・デンソー)から自動車用部品の生産を受け、事業の重点を自動車へと移していく。これは、トヨタグループがいよいよ自動車事業に主軸を置くグループになったことを象徴する大きな出来事であった。グループ各社は、現地との調和を図りながらグローバル展開を一段と加速させた。デンソーは、エアコンの生産会社を主要国に次々と設立したのをはじめ、燃料部品装置の生産会社を他国に設立した。豊田自動織機と共同出資の生産グループもドイツに設立した。トヨタグループは、世界最大の人口を抱え、市場の将来性が大いに期待される中国の事業を重要案件の一つに位置づけ、自動車産業の発展に貢献する活動を行っている。1994年9月の完成車と自動車部品の現地生産を推進する意思を正式に伝え、以後、トヨタグループの中国で現地生産が本格的に開始させたトヨタ自動車幹部の中国訪問の実現、トヨタ自動車(グループ)の生産拠点も豊田通商や現地部との合併を含めて相次いで開始され、2005年に50拠点にいたる。各社が生産拠点をもつ東南アジアで新たな拠点の新設と相互補完体制づくりが大きく進展した。中国と並んで21世紀の巨大市場と目され将来性が大いに期待される南アジアや南米でもグループの生産拠点に支えられ、トヨタの生産体制は強化された。

2004年10月に名古屋で世界会議(ITS)が開催された。この年の世界会議でメイン会場となった名古屋国際会議場で夢いっぱいITS未来博が開催されたのを筆頭に、2005年に愛知県常滑市沖で中部国際空港「セントレア」が開港し、2006年3月に日本国際博覧会の「愛・地球博」を開幕させた。名古屋はセントレアと日本国際博覧会開催に向けて公共交通機関や新しい道路が整備され、名古屋駅前は再開発事業が進展した。トヨタグループの東和不動産は、2002年12月に名古屋駅前にセンチュリー豊田ビルを完成させ、2004年11月にトヨタと毎日新聞社などの3社共同によるミッドランドスクエアを完成させた[36]

トヨタグループの代表的な企業[編集]

  • 豊田自動織機 - 1926年設立。トヨタ自動車の派生元であり、トヨタグループの中心。ヴィッツ、RAV4の生産を請け負っている[37]
  • トヨタ自動車東日本 - 東日本大震災後の2012年に関東自動車工業セントラル自動車・トヨタ自動車東北が合併して誕生。シエンタ、カローラ、アクアポルテなどの大衆車から、センチュリークラウンC-HRジャパンタクシーなど広い範囲の車種を生産[38]。トヨタ自動車の完全子会社。
  • トヨタ車体 - 1945年にトヨタ自動車から分離独立。SUVミニバン、福祉車両、商用車を生産する。2012年トヨタ自動車の完全子会社化。
  • トヨタ自動車九州 - 1991年設立の完全子会社。レクサスのセダンとSUVを生産。
  • トヨタ自動車北海道 - 1990年設立の完全子会社。トランスミッションやハイブリッドなどの駆動系部品を生産。
  • トヨタ紡織 - 1950年設立。自動車のシートや内装用繊維部品などを手がける。
  • 豊田通商 - 1948年設立。幅広い商品を手がける総合商社。
  • アイシン精機 - 1943年、陸軍からの航空機製造の要請により、トヨタ自動車と川崎航空機工業が共同出資して「東海航空工業株式会社」として設立。トヨタを中心に自動車部品を手がける。
  • 東和不動産 - 1953年、トヨタ自動車、豊田自動織機、豊田通商の共同出資で設立。ビルや商業施設の管理を行う。
  • デンソー - 1949年、トヨタ自動車の開発部門が分離独立して誕生。トヨタを中心に自動車の電装部品を手がける。
  • トヨタホーム - 1975年設立。不動産、住宅事業に携わる。
  • KDDI - 前身のケイディディ(日本高速通信)・日本移動通信(IDO)の流れで、京セラに次ぐ第2位の大株主。
  • 日野自動車 - 1966年にトヨタの傘下入り。以降トヨタ生産方式を吸収して自動車生産のノウハウを蓄え、現在は大型車やトラックの生産を受注している。2001年からトヨタ自動車の連結子会社化。
  • ダイハツ工業 - 1967年にトヨタの傘下入り。以降トヨタの四輪車ノウハウを吸収して成長し、現在は小型車開発に参画したり、小型車生産を請け負っている。2016年にトヨタ自動車の完全子会社化。
  • トヨタテクノクラフト - 1954年設立の完全子会社。救急車や道路巡回車などの特装車やレーシングカー開発を手がける。2018年にトヨタ系のジェイテクト・モデリスタインターナショナルと合併予定。

現在提携を結んでいる企業[編集]

  • SUBARU - 旧社名・旧法人名は富士重工業。トヨタが筆頭株主(出資17%)。資本提携以前からG-BOOKで提携していた。86/BRZの共同開発を行ったり、稼働率の下がっていた富士重工の北米工場にカムリの生産委託をした。
  • ヤマハ発動機 - 2016年6月30日現在3.58%の株式を保有する第5位の株主。トヨタ自動車とは提携関係である。車両用エンジン開発、製造、モータースポーツ、マリン事業の提携。古くからトヨタ2000GT開発などで協力関係があり、現在もレクサスのスポーツカー用エンジンの共同開発や生産委託を請け負っている。トヨタからヤマハへマリン用エンジンを供給している。
  • マツダ - トヨタが5.05%株式保有で第2位の大株主となっており、マツダもトヨタ株式を0.25%保有している[39]。トヨタがアクセラのハイブリッドシステムを供給している。マツダのメキシコ工場でブラジル向けに生産する予定であった台数が政治的事情で見込めなくなった時、トヨタにマツダ2セダンをOEM生産することで乗り切っている[40]。2017年に資本提携をすることで合意し、EVを開発するための合弁会社「EVシー・エー・スピリット」も共同出資で設立した。2018年に合弁で新たに北米工場の建設を発表するなど、ここ数年で急速に距離を縮めている。
  • スズキ - スズキ創業者とトヨタグループ創始者の豊田佐吉が同郷で、古くから縁がある。スズキがバイク事業に参入するときにトヨタディーラーでスズキのバイクを販売したり、排ガス規制に対応できなかったときトヨタを通じてダイハツのエンジン供給を受けた。スズキには「なにかあったらトヨタを頼れ」という教えがあるとされる。現社長の俊宏はトヨタ系列のデンソーで下積みをしており、社長になったときも同業他社で唯一トヨタに訪問挨拶をした[41]。2017年に包括的提携をすることで合意した。
  • ロータス・カーズ - 古くから互いに技術供与をしあっていた他、トヨタが株主の時期もあった。現行のロータス車の公道モデルは全てトヨタエンジンを搭載している。
  • PSA・プジョーシトロエン - 2002年からチェコに合弁企業TPCA(トヨタ・プジョー・シトロエン・オートモービル)を設立して、小型車(トヨタ・アイゴ、プジョー・108、シトロエン・C1)を共同開発し、2015年に共同開発したミニバン(トヨタ・プロエース、プジョー・トラベラー、シトロエン・スペースツアラー)を発売した。
  • フォード - 旧くは1950年に技術提供を受けている。2016年にも車内IT技術で提携することに合意している。
  • BMW - ハイブリッド技術を供与し、ディーゼルとカーボン技術の提供を受けることで2011年に提携。燃料電池車、スポーツカーの共同開発も行っているとされる。
  • 天津汽車 - 1984年からダイハツと提携をしていた。2000年にトヨタと共同で天津トヨタ自動車を設立し、トヨタ車の生産を開始。2002年に第一汽車の傘下に入った。
  • 第一汽車 - 上海汽車、東海汽車と並ぶ中国の自動車メーカー。1977年と1981年に大野耐一を招聘してトヨタ生産方式を導入した。これが縁となり、2002年にトヨタと長期的な事業提携を行うことで合意。トヨタ車の生産を請け負っている。
  • ヤンマーホールディングス(ヤンマー) - マリン部門で提携し、ボートを共同開発している[42]
  • 中部国際空港 - トヨタが2.98%の株式を保有。誕生以来トヨタ出身者が社長に就任し続けており、トヨタ流のコストダウン・振興がなされている。
  • マイクロソフト - 2016年に自動運転技術の研究を行う合弁会社「トヨタコネクティド」を設立した。WRCでもIT分野における支援を行っている。
  • KDDI - トヨタが12.4%の株式を保有。配車システムの開発の他、トヨタディーラー内、およびトヨタレンタリース各店、トヨタ部品共販でauの端末(iPhone、およびiPadを含む)を販売している。

かつて提携をしていた自動車メーカー[編集]

  • 本田技研工業 - 本田宗一郎は戦前に東海精機重工業を設立してトヨタの下請けをしていた。戦後にトヨタへ東海精機を売却して本田技研工業を設立した。1970年代の排ガス規制が厳しくなった頃、トヨタは本田技研の希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC)の供給を受けた。
  • 日産自動車 - 2002年にトヨタがハイブリッドシステムを供給することに合意し、アルティマハイブリッドが誕生した[43]。長年のライバル同士の提携は、発表当時大きな話題となった。
  • GM - 1980年代に北米で現地生産を必要とするトヨタと、小型車の技術を必要とするGMの要望が合致してNUMMIを共同設立。トヨタ・ヴォルツポンティアック・ヴァイブを共同開発した他、貿易摩擦緩和のためキャバリエをトヨタバッジで日本販売するなどした。リーマン・ショックでGMが破産した後の2009年に提携は解消され、NUMMIも閉鎖に至った。
  • フォルクスワーゲン - 日本国内で販売提携。トヨタ系のディーラーがVWのディーラー「DUO」を展開している。欧州でハイラックスがフォルクスワーゲン・タロとしてOEM供給された。2009年12月22日にディストリビューター契約を終了したが、販売自体はしばらく続行された。
  • アストンマーティン - CEOのウルリッヒ・ベッツが、2007年のニュルブルクリンク24時間レースでガレージを共有していたTeam GAZOOの豊田章男と懇意になり、トヨタ・iQをベースにしたアストンマーティン・シグネットの販売に至った。
  • テスラ - EVの開発などで業務・資本提携[44]を行い、閉鎖したNUMMIをテスラ・ファクトリーに改称してEV生産に利用した。しかし開発に対する思想の違いなどから、2017年に解消した。
  • いすゞ自動車 - 2006年からトヨタが株式を5.89%保有し第3位の大株主となっていた。ディーゼルエンジン開発や代替燃料について共同開発を行っていた[45]が、企業規模の違いやディーゼルへの風当たりが強まったことなどから初期以外は具体的な協業には至らず、2018年に提携解消が発表された。

ランキング指標による企業評価[編集]

  • 日本経済新聞が発表する日本国内のランキングで1位である。(2016年3月付)
    • 売上高ランキング[46]
    • 営業利益ランキング[47]
    • 経常利益ランキング[48]
    • 当期利益ランキング[49]
    • 時価総額ランキング[50]
  • 米国コンサルティング会社のインターブランドが発表する世界の企業ブランド価値ランキング(2013)で国内1位[51]

創業家としての豊田家の存在[編集]

「豊田家はトヨタグループの求心力であり、旗でもある」(当時の奥田会長談)として、創業者一族である豊田家はトヨタグループ各社の中核を担う。創業家の長期に渡る介入は、しばしば経営に混乱をもたらすことがあるが、トヨタの場合はむしろ巨大グループを安定的にまとめ上げる役割を果たしてきた経緯があるとされる。現職者・関連企業役員は下記のとおりである。

豊田家系図[編集]

 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田佐助
 
 
 
豊田平吉
 
 
 
 
浅子
 
(1)豊田佐吉
 
たみ
 
 
 
 
三井高棟
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田稔
 
豊田芳年
 
豊田英二
 
豊田利三郎
 
愛子
 
(2)豊田喜一郎
 
三井高長
 
興子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
豊田周平
 
豊田鐵郎
 
豊田幹司郎
 
豊田大吉郎
 
豊田達郎
 
(3)豊田章一郞
 
博子
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
(4)豊田章男

※丸数字は豊田本家の代数

経営[編集]

ハイラックスは6代目まで、日野自動車の羽村工場で組み立てがされていた

1950年の経営危機を教訓とし、大野耐一が中心となって「改善(カイゼン)」の思想や、「必要な物を、必要な時に、必要な量だけ生産する」ジャストインタイム(JIT、カンバン方式)を考案し、トヨタ生産方式(TPS、Toyota Production System)の基礎が作られた。1965年に、豊田佐吉が開発した自動織機をヒントに異常を感知したら止まる工作機器を用いた「自働化」の概念が誕生した。ジャストインタイムも自働化も、大量生産や在庫の作り置きこそ正義という当時の風潮とは逆行するものであったが、最終的にトヨタ流製品開発(TPD)と並ぶトヨタ躍進の要素となった。一方で00年代に販売台数を大幅に伸ばしていた頃は設備をフル稼働する必要に追われてトヨタ生産方式が機能しなかったため、リーマン・ショック時に大量の在庫を抱えてしまう羽目に陥った[58]

1960年代以降は関東自動車工業(現・トヨタ東日本)・豊田自動織機・日野自動車・ダイハツ工業・ヤマハ発動機といった企業との資本提携を活用し、共同開発や生産・組み立ての委託でコスト削減をしつつ、グループ全体の工場の稼働率を高めている。1980年代以降は一旦自前主義に転換するが、エコ・自動運転技術開発の競争が激しくなった2010年代にはスズキ・マツダ・BMWなど多数の企業と提携・共同開発をするようになった。

日本販売モデルは、現代の製造業で多く見られる生産拠点の海外移転はほとんど行わない。近年の円高が厳しい中でも『国内生産300万台体制』『国内販売150万台』に強いこだわりを持っており、北米が主力市場のカムリも堤工場で生産を継続したり、ハイブリッドシステムを構成する主電池やインバータ、モータ内蔵トランスアクスルなどの大半を自社工場で生産するなどして日本の雇用創出に貢献している[59]。一方で少子高齢化の進む日本市場の先細りには強い危機感を抱いており、現生産体制を維持するため様々な改革を行っている[60]

銀行融資に頼らず自己資本の充実に努め、名古屋式経営の見本ともされる無借金経営で優良企業の代表的企業とされるが、連結子会社には有利子負債が相応に存在し、顧客貸し出し(自動車ローン)事業をおこなう金融子会社が存在するため、連結決算で企業規模相応の有利子負債が存在する。一方で、多大な自己資本を抱え、トヨタ銀行とも称される。2002年3月期の通期決算で日本企業初の連結経常利益1兆円を超え、2004年3月期の通期決算は、連結純利益(米国会計基準)でも日本企業初の1兆円超えを達成した。2007年3月期連結決算(米国会計基準)で営業利益が2兆2,386億円となり、日本企業として初の2兆円の大台を突破し、2008年3月期に7年連続で最高記録を更新し営業利益を2兆2,703億円まで伸ばしたことからマスコミから絶賛された[11]。2008年中頃から2012年末頃までリーマン・ショックや大規模リコール、東日本大震災やタイ大洪水等の天災、超円高などにより、業績が悪化したが、経営改革、商品力の向上、原価低減に努め、超円高が是正されたことで2013年3月期に業績が回復、2012年の年間販売台数も、2007年の販売台数を超えて過去最高となる974万7,762台を記録した[19]。2014年3月期に営業利益が2兆2921億円となり6年ぶりに過去最高を更新し、2015年3月期でも営業利益2兆7556億円として過去最高を更新、純利益は2兆1733億円を記録し日本企業初の純利益2兆円超えを達成した。

近年は社会貢献活動に力を入れており、2006年1月からトヨタ社内に「社会貢献推進部」を設置し、交通安全や中国で植林活動、人材育成、自動車のリサイクルなどの環境への貢献などの社会貢献活動を積極的に行っている。

開発思想[編集]

主査制度[編集]

1955年発売の初代クラウンの中村健也以来、トヨタ車の開発責任者は「主査」(1989年以降はチーフエンジニア)と呼ばれる。豊田英二が「主査は製品の社長であり、(会社の)社長は主査の助っ人である」と語り、主査は自動車の設計・開発だけでなくマーケティングやコスト管理、売り上げまで含めて車両の最適化と責任を一手に引き受けているのが大きな特徴で、これにより才能ある人間が商品力の高い(=売れる)自動車を開発することができた。これは元戦闘機設計者であった長谷川龍雄の提案で、航空機開発のチーフデザイナー制が元になっている[61]。ただしその分主査は才能・人格、幅広い分野の知識など様々な面で優れていなければならないため、主査を務められる人材の育成・見極めまできちんとする必要がある。また主査ごとに自動車に対する思想は異なるため、企業全体で見たときトップの思想・主張とは異なった自動車になることもある。

主査制度は最初から並行して複数案を進めて絞り込んでいく「セットベース開発」、情報共有を円滑にする「A3報告書」と並ぶ「トヨタ流製品開発」(TPD、Toyota Product Development)の代表格で、これらは合わせて「リーン製品開発」としてアメリカで知られるようになり、シリコンバレーや他の国内自動車メーカーにも取り入れられた。企画・設計の段階で生産担当者や部品供給者が関わって、生産の川上で品質の8割を確保する「サイマルテニアス・エンジニアリング(SE)」も早くから採用され、「品質は工程でつくりこむ」を可能とした。一般にトヨタといえば生産の川下のノウハウであるトヨタ生産方式(TPS)の方が知られているが、近年はトヨタ流製品開発の方が注目され始めている[62]

一方でトヨタの場合は各主査が最適化を図るために細部を変更したため、後にプラットフォームや部品の種類が膨大に増えてコスト増加を招いた[63]。市場拡大と技術発展の著しくなった80年代から、技術開発部門が12000人に膨れあがり技術も細分化されたことで技術開発部門の発言力が増した上、部署間の情報伝達や調整に莫大な時間がかかっていた。結果としてトヨタの開発は商品軸から機能軸へと傾き、主査が思う様な自動車を作れなくなる事態も発生した[64]。これに対してトヨタは1992年に『開発センター制』を導入。主査は商品企画部長とセンター長の下に置かれて権限は弱体化したものの、情報伝達・調整が効率化されて再び商品軸で開発が可能になった。しかし技術部門の細分化は解消されず、技術者育成が停滞し、2008年のGI20で機能軸の開発体制に変更された[65]

2012年以降は主査とチーフエンジニアは分離されて別々の役職となり、チーフエンジニアが従来の主査に近い役割になった[66]。チーフエンジニアは製品企画本部長の直轄となり権限が強化され、「お客様に一番近い開発総責任者」としての立場が明確にされた[67]。2017年に激化する自動運転・EV開発戦争の時代に適応するため『社内カンパニー』制を導入、機能軸の横串を残しつつセグメント毎に独立した機能で顧客の要望に柔軟に対応しやすくし、再び商品軸中心の開発体制に戻した[68]

80点+α主義[編集]

1961年にトヨタが発売した初代パブリカは、ラジオ・ヒーター・リクライニングシートなどの快適装備を一切排除して、安価さにおいては100点といえる水準を実現した。しかし販売は不振で、原因を分析したところ「少々高くてもいいから良い車を買いたい」という、高度経済成長の中の消費者心理の変化があることが分かった。そこでパブリカに快適装備を追加して高価にしたデラックスモデルを発売した結果、販売台数を大幅に伸ばすことに成功した。

この時の教訓から『80+α点主義』という思想が生まれる。これは初代パブリカ及び初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した、次の考え方である。

幅広くファミリーカーとして使っていただくためには、性能、居住性、フィーリングなどで満点に近い評価であっても、価格や維持費の面でお客様の手が届かないものでは大衆車としては失格である。また、安くするために品質を落としてはならず、あらゆる面で80点以上の合格点でなければならない。その一方で、全てが80点では魅力のないクルマになってしまう。これだけはほかには負けないというものがいくつかあって、初めてお客様の心をとらえることができる。 — 長谷川龍雄、『カローラの哲学―カローラの生みの親』

初代カローラは快適性を80点にまで高めた上で「+α」をスポーツ性にすることに決まり[69]、ライバルの日産・サニーを上回る「100ccの余裕」と、当時珍しかったマクファーソン・ストラット式サスペンションの前輪懸架、丸型メーター、フロア式4速シフトなどの先進技術が多数盛り込まれた[注釈 2]。この結果カローラは国民車としての地位を確立し、後のトヨタ車やライバル会社にも大きな影響を与えた。

トヨタはトータルバランスと信頼性の高さで国内シェア4割という大躍進を遂げた一方、この欠点を優先して潰していく思想は、やがて「+α」を無視した『80点主義』の名で独り歩きし、コアな車好きたちから「トヨタは退屈」「個性がない」「車を白物家電化させた」という非難を生む原因ともなった。乗用車の走行性能では他社に劣り、「目に見えないところで手を抜く」と批判[注釈 3]などの批判を受けていたことから、時折退屈イメージからの脱却を図った。

もっといいクルマづくり[編集]

ニュルブルクリンクで鍛えたシャシーとキーンルックを併せ持つC-HR

テストドライバーの成瀬弘の薫陶を受けた豊田章男が社長に就任した2009年から、トヨタは「もっといいクルマづくり」というスローガンを掲げ、実用性だけでなく自動車としての魅力やインパクトを持つクルマ作りを目指している。「キーンルック」やレクサスの「スピンドルグリル」といった個性的なデザインを採用して「退屈」から脱却を目指す他[注釈 4]、悪路で知られるニュルブルクリンクラリーでスポーツカー以外の乗用車も頻繁に走り込ませて、シャシーの出来を向上させる努力をしている。

2015年にクルマづくりの開発方針である「TNGA(Toyota New Global Architecture)」を導入した。これにより従来以上に大胆にプラットフォームやエンジン、部品などを共通化・モジュール化して集約して大幅な原価低減を図った。核となるプラットフォームは運転のしやすさ・低重心・ドライビングポジションなど46項目を徹底的に追求し、走行フィーリングの大幅な向上を目指している。

技術力[編集]

トヨタ車は信頼性が高く故障が極めて少ないことで知られており、「耐久性=トヨタ」のイメージは万国で共通になっている[70]。国内シェア1位の乗用車もさることながら、ランニングコストが重要な商用車の需要も極めて高い。例えばタクシー専用車のコンフォートなどは100万キロ近く走行可能であるため業界シェアの8割を占めるほどの人気を示している[71]。高品質とコストダウンを両立するノウハウは、自動車のみならずあらゆる製造業で参考にされるほど高水準で知られる。特にドアやトランクリッドなどと外板の隙間(チリ)を狭く均一に仕上げる技術や、ドアの閉まり音、遮音性といった品質管理は定評があり、信頼性調査や顧客満足度の順位は安定して高い[注釈 5]

トヨタの代名詞的な技術に、スプリット式ハイブリッド技術「THS-II」と燃料電池車がある。ハイブリッドは1997年12月に「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初のハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。初代はマイナーな存在であったが、二代目は原油価格高騰などを背景に販売台数を伸ばし、三代目に至っては最初の1か月間の受注台数が月販目標の1万台の18倍にあたる約18万台で、納車が最大で10か月以上待ちになるなど空前のヒットを記録し、「トヨタ=ハイブリッド」のイメージを不動のものとした。2017年2月にはハイブリッド車のグローバル累計販売台数が1000万台を突破している。リダクション機構の開発で、苦手な高速走行を克服して以降は欧州でもハイブリッド車の販売が順調である。トヨタのグローバル販売台数におけるハイブリッド車の割合は12%と、世界の自動車メーカーの中で最も多いものとなっている。

2014年12月に世界初の量産型燃料電池車(FCV)であるMIRAI(ミライ)を発売。試作車は1台数億円ともされたが技術開発により、売価は1台700万円とした。最初の1か月間の受注台数が年間販売目標400台を大きく上回る約1,500台を記録。約7割が個人客であり、北海道や岐阜県など遠方からの注文も相次いだ。

1960年代以降はヤマハ発動機にスポーツカーエンジンのDOHC化を委託したり、1970年代の排ガス規制下でホンダからCVCCの技術供与を受けたりするなど内燃機関技術では後れを取っているイメージがあるが、ホンダ・日産が規制の厳しさにDOHCエンジンを諦めてOHVSOHCへと回帰する中でも、トヨタだけは頑強に三元触媒TGP燃焼、酸化触媒の三方式にEFI(電子制御燃料噴射装置)、可変吸気システムなど様々な技術を開発してベースエンジンのDOHC化を可能にし続けた実績がある[72]。1980年代には焼結中空カムシャフトや焼結鍛造コンロッドなど最新の生産技術を駆使した軽量・高機能なエンジン「LASRE(Light-weight Advanced Super Response Engine)」を推進し[73]、低回転にも強いDOHCエンジンの「ハイメカ・ツインカム」を単独開発。それまでスポーツカーの象徴であったDOHCを、トヨタはいち早く全乗用車にラインナップした。1990年代には可変バルブ技術の「VVT-i」により大幅な燃焼効率アップを達成したほか、2005年に世界で初めて筒内直接噴射・ポート噴射を併用する技術である「D-4S」を開発している。

またクリーンディーゼル技術も戦前から研究が進められており[74]、1959年のクラウンでは日本で初めて乗用車向けディーゼルを搭載した。その後は大型商用車・SUVをメインに開発が続けられ、2004年に日野と共同で小型トラック初のディーゼル・ハイブリッドを開発している。現在のトヨタのディーゼルは発展途上国の劣悪な環境や燃料でも使用できることを想定した高圧縮比ディーゼルで、マツダ・ボルボのような先進国向けの低圧縮クリーンディーゼルと同水準の燃費を実現している[75]

1960年代の業界再編期以降はグループ内各社との共同開発も多く、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画はダイハツ工業の、トラック開発は日野自動車の参画を得ている。SUBARUと86/BRZを、ヤマハ発動機と2UR-GSEなどのスポーツモデル用エンジンを共同開発し、自社の技術のみに拘泥せず消費者のニーズに応えている。逆にハイブリッド技術を日産、マツダ、スバル、BMWなどに提供したり、燃料電池車の特許5000点以上を無料で開放するなど、他社への技術供与も多く行っている。またロータス・カーズは、2006年以降の公道車は全てトヨタエンジンを搭載している。

2006年、トヨタの研究開発費は2位の米製薬会社ファイザーを抑え、世界一[76]。2017年も国内企業で唯一年間1兆円を超える開発費をかけている[77]

又将来の中核事業としてロボット技術にも注力、実際の事業化前提の積極的な開発が行われている。各地のイベントでも家庭内や介護医療で使われる事を想定したトヨタ・パートナーロボットをお披露目している。

静岡県裾野市の東富士研究所と北海道士別市、田原工場内に巨大なテストコースを持っており、世界中の走行環境を再現した走行試験や、高速域や極寒冷下の試験などをはじめ、日本国外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。

トヨタが日本で初めて量産車に用いた技術・機構[編集]

出典:[78]

トヨタが世界で初めて量産車に用いた技術・機構[編集]

出典:[78]

ブランド[編集]

トヨタ[編集]

トヨタ・ハイエース(マイクロバス仕様)

170の国・地域で展開され、単体でトヨタグループの約9割にあたる900万台を売り上げる、世界最大のブランドである[79]。OEM・自社開発を問わず、軽自動車からミニバンスポーツカーSUVセダンワゴントラック商用車重機に至るまで幅広いラインナップを揃えている。元来は創業者の名字のままに「トヨダ」であったが、1938年に語感の良さや画数の縁起から「トヨタ」に改名した[80]

戦後しばらくの間、トヨタの車はトヨペットのブランドで発売されていたが、1961年のパブリカ以降は再びトヨタブランドで発売される様になった。乗用車市場では特に日産自動車と激しく覇権を争い、特にカローラサニーのシェア争いはCS戦争と呼ばれた。これはトヨタが勝利するが、結果的にこの競争が日本の自動車の高性能化と低価格化を促した。1970~1980年代にはスポーツカーの分野でトヨタのDOHC対日産のSOHCターボの戦争も勃発した他、1990年代のバブル崩壊時にはタクシー市場にも参入し、最終的に日産からシェア首位を奪った[81]

カローラの圧倒的な成功以降は戦前から全国に根付いていた販売網に加え、多くの兄弟車・オプションを用意するという戦略で安定した売上を築いた。一方でセリカスペシャルティカーカリーナEDハードトップトヨタ・ソアラハイソカーRAV4クロスオーバーSUVなどの新たなジャンルを切り拓いたり、DOHCエンジン(ツインカム)をスポーツカー・乗用車問わず大量生産するなど、時代の先駆者としての役割も担った。トヨタブランドの国内シェアは常に40%以上を占め、大衆車、商用車、高級車に至るまで国民に広く普及した。しかし一方で北米では大衆車ブランドにすぎず、若者にとっては退屈の象徴であったため、のちにレクサスサイオンブランドが登場することになった。

1997年に「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の動力分割式ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。時期尚早と見られていたハイブリッドカーを他に先駆けて成功させ、「トヨタ=エコ」のイメージを定着させた。

2006年に日本国内にもレクサスが導入されるとトヨタブランドは高級車のラインナップをいくつか失ったものの、センチュリークラウンランドクルーザーなどは残されたためトヨタのブランドイメージは維持されている。

2010年以降は、モータースポーツ好きで知られる豊田章男社長が積極的にレースやニュルブルクリンクのイメージを市販車にリンクさせており、従来のエコ・丈夫だけではなく、より車の楽しさを感じられるブランド作りに向けた努力をしている。

レクサス[編集]

レクサスの広告塔(東京・渋谷)。

セダンクーペ・SUVを主力とする、日本車で最大の高級車ブランドである。世界65ヶ国で年間60万台以上を売り上げ、日本や北米市場でBMWやメルセデス・ベンツと激しく覇権を争っている。

1989年 、北米で高級車ブランド「レクサス」(LEXUS )を創設し、大型高級セダンの「LS」(日本では後に「セルシオ」として発売)と「ES」(日本はトヨタ・カムリプロミネント」として発売)を発表した。従前、米国トヨタの最上位車種はクレシーダ(日本におけるマークII)であり、トヨタブランドで高級車種を販売することは限界があるとの判断からだった。開業後、日本の大衆車メーカーの参入余地がないと見られていた北米高級車市場でたちまち成功をおさめ、メルセデス・ベンツをはじめ、BMW、キャデラックなど欧米の高級車メーカーに強い衝撃を与え、北米における高級車の概念をも変えてしまった。また1998年発売のレクサス・RX(日本名:トヨタ・ハリアー)はクロスオーバーSUVが高級車の一形態としても成功するという例を示し、BMWやポルシェなどのSUV参入の遠因になった。

2005年8月から日本国内でもレクサスブランドを展開し、GSSCISの3系列の国内販売を開始した。レクサスの国内展開もウィンダムは発売当初「レクサスES300、日本名・ウィンダム」と称した。 2006年9月19日にレクサスの旗艦車種のLSが投入され、続いてRX、HS、CTが投入された。

レクサスブランドは長年、日本独自のブランドデザインとして知的かつ先進的なステータスを与えたいとの考えから、華美な装飾を抑えた落ち着いた内装で、乗り心地・品質・性能に重点を置く一方で、走行性能は余り重視してこなかった。同様に販売戦略の観点から、レクサスブランドのレース参戦やターボ車の投入に慎重であった。しかし近年は操る楽しさや走行性能に特化した「F」シリーズを登場させたり、ISやNXなどにターボ車を投入したり、国内外のレースにレクサス車を参戦させるなど方針を転換してきている。

2012年に社内カンパニー『レクサス・インターナショナル』として、機能をトヨタから独立させた他[82]、レクサス専用プラットフォームも開発してトヨタブランドとの差別化を図っている。

GR[編集]

ヴィッツ GR SPORT "GR"

2017年に登場したスポーツカーブランド。2010年に誕生したG'sを前身に持ち、黒と赤のロゴを特徴とする。GRは「GAZOO Racing」の頭文字で、モータースポーツ活動を統括する社内カンパニーの「GRカンパニー」がレースで得た知見や技術をフィードバックして開発する。利益はGRカンパニーへと還元し、景気動向に左右されないモータースポーツ活動を可能とすることを目的としている[83]。キャッチフレーズは「IGNITE(イグナイト、着火の意)」。マーケティング戦略は「Face to Face」とし、各都道府県のディーラーの一部を「GRガレージ」に指定して、「GRコンサルタント」やファン同士の交流の場を設けている[84]

グレードは限定生産の「GRMN[注釈 6]を頂点とし、本格スポーツモデルの「GR」、エントリーモデルの「GR SPORTS」、アフターパーツの「GR PARTS」の4つの階層に分けられている[85]。86、ヴィッツ、マークX、アクア、ノアといった既存の乗用車のチューニングカーとなるが、空力・吸排気系・サスペンションなどの強化に加えて、スポット溶接の打ち増しやトランスミッションの多段化など生産工程で強化されており、一般的なチューニングとことなる。「安全」「疲れない」「ずっと乗っていたい」クルマ[86]を目指しており、基本的にGRMN以外はエンジンに一切手をかけていない。今後トヨタブランドのベース車両を用いない、GRで独自に開発されたスポーツカーの登場も予想されている。

レクサス・Fも限定生産車(LFA)を頂点として「F」・「F SPORTS」としてGR同様に階層が付けているが、Fは「Fシリーズ」と称されて[87]いちブランドとして扱われていない点が異なる。またRC FGS Fなどの「F」モデルはオーバーハングやボディラインが変更されるなど、基本設計のレベルからベース車両とは大きく異なっている。

トヨペット(廃止)[編集]

公募により1947年発売のSA型乗用車・SB型トラックの愛称を「トヨペット」とし、それ以降トヨタの小型車にトヨペットの名がつけられることになった。1954年に発売された1000ccのSKBトラック(トヨエース)は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時主流の三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、トヨタ自動車始まって以来の成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行した。

トヨペット・コロナ(初代)

1955年に初代クラウンとマスターが誕生。クラウンは外国メーカーと提携せずに前輪独立懸架や低床はしごフレームなど、アメリカ車並の構成を採った最初の純国産乗用車となった。1960年代にはコロナが日産・ブルーバードと「BC戦争」と呼ばれる激しい争いを展開した[88]。関東自動車工業(現・トヨタ自動車東日本)の技術力で、当時トヨタ車唯一のモノコックボディーを採用してはいたが、既存コンポーネンツの寄せ集めで新味に欠けた初代(T10系)、初期型で強度や耐久性の不足が露呈した2代目(T20系)と、当初は劣勢であったが、「アローライン」スタイルの3代目(T40系)となった翌年の1965年1月、初めてブルーバード(510型系)をかわして国内販売台数で首位となった。

1956年、全国にトヨペット店が登場するが、既存のディーラーを納得させるため、クラウンとマスターはトヨペット店ではなくトヨタ店で扱われ、トヨペット店はコロナを除くと商用車ばかりのラインナップとなった。こうした矛盾からトヨペットの各モデルは段階的に廃止され、1978年の6代目コロナ(T130型)を最後にブランドと車名としての「トヨペット」は廃止されたが、今もなお販売チャネルにその名を残している。

サイオン(廃止)[編集]

サイオン(SCION )はアメリカの若者向けのブランドで2003年に開始。いわゆる「ジェネレーションY」と呼ばれる20代前半の若い世代をターゲットとする。トヨタの主要顧客は概して年齢層が高く、若年層の取り込みが課題であった。商品開発思想や広告展開まで新しい手法を用い、従来の“退屈なトヨタ車”のイメージを覆すことを狙った。クールでスタイリッシュな「ファッション性」を商品力とし、あらかじめ多様なカスタマイズを用意することで「個性化」を呼びかけた。マス(大衆)にもアッパーにも属さない新しいカテゴリの開拓を狙う。開始当時の車種はxA(日本名ist)、xB(初代は日本名bB、2代目はカローラルミオン)で、後に日本未発売のクーペtCが追加された。86は北米でサイオンブランドからFR-Sの名前で販売された。しかしサイオン登場時の若者が中年になり、現代の若者がトヨタの実用性・ブランド力を評価し始めたことでその役割を終えたとされ、2016年に廃止された[89]

販売戦略[編集]

強力な販売網[編集]

カローラは現在もディーラー名に名を残す(画像は北米仕様)。

創業当初から全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備した。現在国内でレクサスを含め5系統のディーラー網を傘下に持つ。

創業者の豊田喜一郎は車を作ることばかりに熱中して販売に無頓着であったため、車が完成する段階になってから日本GM副支配人・販売広告部長であった神谷正太郎(後のトヨタ自販初代社長)の元に赴き口説いた。神谷は既に高給取りであったが、豊田の熱意を買い引き抜きに応じた。豊田は神谷に販売に関する全権を委託した。神谷はそれまでの人脈とディーラーからの信頼により、多くのGM代理店をトヨタに引き込むことに成功、トヨタは戦前の日本自動車市場をフォードと二分した。戦時体制に伴うアメリカ車輸入・国内組み立て停止に乗じ、GM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網を自社ディーラー網として組織化して取り込んでいった。この作戦は戦後、自動車製造・販売が再び許可されてから大きく役立つことになる。

1949年にGHQによる生産制限が解除され、トヨタは売り上げを一気に伸ばした。既存の販売体制では追いつかないと神谷は判断し、クラウン・マスターなど乗用車を扱う既存のトヨタ店の他、商用車・小型トラックを中心に扱うトヨペット店、大衆車のパブリカを売るためのパブリカ店、大型トラックを売るためのトヨタディーゼル店を次々に誕生させた[90]。パブリカは想定より売れなかったが、1966年発売のカローラが爆発的に売れたため、パブリカ店は1969年にカローラ店へと名称を変更した。カローラのあまりの伸びに販売体制が追いつかず、急遽カローラ・スプリンターとミニエースを専売とするトヨタオート店を設立している[91]

1975年に円高・貿易摩擦による業績悪化に対抗するため、上級小型車クレスタやダイハツ工業が生産する小型四輪駆動ブリザードなど5車種を扱うトヨタビスタ店を設立。トヨタディーゼル店はカローラに移行して、トヨタ店、トヨペット店、トヨタカローラ店、トヨタビスタ店、トヨタオート店の5チャネル制が確立された。1998年にトヨタオートはネッツトヨタに改称、2004年にトヨタビスタとネッツトヨタは合併してネッツ店となった。2005年にレクサス車を扱うレクサス店が展開されて現在に至っている。2017年現在のトヨタの国内ディーラー数は約4900で、ホンダ・日産の倍以上である。この数が国内シェア50%近くを占めるトヨタの顧客対応を円滑にしており、トヨタブランドの信頼・安心感にも繋がっている[92]

全国の販売会社は地元の商業資本と連携しているため、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降も地域に密着した販路を堅持し続け、地元企業などの社用車や個人の自家用車の需要に応じた販売を支えている。

しかしマツダ、ホンダ、日産も相次いで廃止しているように多チャネル制はデメリットも多く、近年はトヨタもプリウス、アクア、シエンタ、86、C-HRを4ディーラーで展開するなどの動きを見せている。ただし長きに渡って各チャネルブランドを築き上げていたディーラーたちは強い反発を示しており、営業部門も多チャネル維持を明言しているため、完全に統合されることは当分は無いと見られる[93]

その代わり2018年には多チャネルはそのままに国内営業体制を縦割りから横割りへと変更し、4ディーラーとは別に全国を七つの地域に分けてそれぞれに営業部を設けて管轄することを決定し、地域密着の方針を鮮明にした[94]。また同年、東京の4販売店を統合して新会社を設立(チャネル自体は維持)することが決定している[95]

多彩な車種とグレード[編集]

姉妹車のノアヴォクシー
「マーク三兄弟」のうちの一台であるチェイサー

1950年代後半から1960年代にかけて、クラウン、コロナ、カローラ、パブリカの乗用車3車種を相次いで発売し、乗用車の基本ラインナップを構築した[注釈 7]

1960年代後半から各車種がモデルチェンジごとに大型化、上級化したことから、パブリカとコロナの中間にカローラを、コロナとクラウンの中間にマークIIを、カローラとコロナの中間にカリーナとセリカを配して中間モデルの充実を図り、パブリカをエントリーモデルにクラウンまでピラミッド型に商品を構成し、セリカでエンジンやインテリアを選べる「フルチョイスシステム」を導入してバリエーションを広げた。1980年代に用いられた「いつかはクラウン」のキャッチコピーは、当時の販売戦略を端的に表している。

同一シャシ・同一ボディでありながら販売店系列別に若干意匠を変えた「姉妹車[注釈 8]を投入し、系列間の競争を促してさらなる拡販を試みた。商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は「技術の日産」に対し「販売のトヨタ」と評された。

車種毎のエンブレム[編集]

1989年に「新しいトヨタが走り始めます」のコピーで新時代と新しいトヨタマークを宣伝した。国内仕様車は車のフロントグリルなどに車種ごとの異なるエンブレムを装着[注釈 9]するものがある。

高級車ブランド戦略[編集]

北米戦略[編集]

カムリは16年連続で全米の乗用車販売台数1位となった
RAV4は2017年にカムリを破って全米乗用車1位となっている

1957年にトヨタ自販とトヨタ自工は共同でハリウッドに米国トヨタを設立したが、当時のクラウンは高速走行時にエンジン出力が低下して騒音や変形による破損が発生するなどの問題があった。1960年にはコロナの輸出車車名であるティアラを投入したが、品質の問題は収まらず累計損失は142万ドルにも上ってしまった。そこでトヨタ自販は人員と車種を削減し、当時3代目となっていたランドクルーザーのみを販売したところ、これが好評を得て4年間で売上が10倍以上に伸びた[96]。のちに品質の問題を解消してオートマティックトランスミッションを搭載したコロナを投入すると徐々軌道に乗り、販売店も増加してアメリカは最大の輸出相手国になった。

1968年にカローラもアメリカに上陸。初年度は9万8000台、1971年に40万4000台と圧倒的な売れ行きを見せ[97]、ディーラー数も従来の倍近く増加した。1969年には米国の輸入車ランキングでフォルクスワーゲンに次ぐ第2位にのし上がった。

しかし1971年8月のニクソン・ショック以後、円切り上げに伴う輸出車の値上げによって、米国の自動車市場は売り手市場から買い手市場へと急変した。それにともないトヨタはコロナ・ランドクルーザーに代わり、カローラ・セリカ・ハイラックスの3車種を重点推販車種とすることに決めた[98]。1975年にオイルショックで販売が落ち込んだが、この時米国トヨタの牧野社長は全米のディーラーを回って「あなた方の繁栄がなければ、われわれの繁栄もない」と信頼関係を確認し、それを自ら示すためディーラーの在庫金利を負担した。港を中心に物流面も整備し、米国のトヨタは一週間の在庫で回ることができる様になった。こうした努力をしているうち、カローラ、セリカ、ハイラックスの販売も回復し、フォルクスワーゲンに代わり輸入車ランキングのトップを占めるまでになった。

しかしトヨタが勢いづく一方でアメリカの自動車メーカーたちは伸び悩んでいたため、「日本は失業を輸出している」といった反発が米世論に湧き起こった。1980年になると全米自動車労働組合(UAW)は通商法の発動を提訴する行動に出て、フォードもこれに同調した。同時期レーガン大統領が日本政府に3年間の日本製乗用車の輸出を自主制限を要請し、最終的に日本はこれに合意した[99]。これ以降トヨタは現地生産の必要性に迫られ、小型車のノウハウを欲していたGMと合弁会社NUMMI(ニュー・ユナイテッド・モーター・マニュファクチャリング)を1984年に立ち上げて足がかりとした。1985年にアメリカはケンタッキー州、カナダはオンタリオ州に現地工場第一弾を設立し、北米の人々の反発心を融和していった。1989年には高級車ブランドの『レクサス』が立ち上げられ、LSが従来の高級車に不満を抱いていた人々の心を掴み、大成功を収めた。また2003年に若者向けブランドのサイオンを立ち上げたり、2006年にテキサス州タンドラ生産を開始してフルサイズピックアップトラック市場へ本格参入するなど、ラインナップの拡充に努めた。

こうして現地生産、北米向けラインナップ、販売網などが強化された結果、1988年に90万台強だったのが1990年に105万台、2007年に262万台に達した。シェアも1988年の6.1%から、2001年に10%を超え、2007年に16.1%と、フォードを抜いて2位に達した。2009年にブランド別販売(トヨタブランド)で3年連続1位、レクサスがラグジュアリーブランドで10年連続1位、カローラとカムリが乗用車セグメントで1位と2位を獲得、ノンフリート(個人向け)販売でも初めてシェア1位を獲得した[100]。小型ピックアップトラック市場においてもシェア首位を獲得し、2012年には同市場シェア70%を占めるまでになった。またパワフルで攻撃的なスタイルにした2代目タンドラが好評で、同市場を寡占していたビッグスリーのクライスラーに肉薄した[101]

2009年に大規模なリコール問題が発生し苦境に立たされたが、NHTSA(米高速道路交通安全局)と(NASA)米国航空宇宙局の包括的調査でトヨタの電子スロットルは欠陥がないことが認められた。この問題によりトヨタの販売は2011年までに50万台減少したが、2012年以降は反転回復傾向にある[102]。2016年にはサイオンブランドを廃止した。

2017年にトヨタのメキシコ工場建設計画についてドナルド・トランプ大統領が激しく非難したが、トヨタはこれに対してケンタッキー工場に13億3千万ドルの追加投資を発表し、一転トランプはトヨタを評価するコメントを出した[103]

中国戦略[編集]

第一汽車集団と包括提携関係にある。2004年9月に広州汽車集団との間でも合弁会社を設立。

  • 2000年12月15日に四川豊田(現・四川一汽豊田)でコースター(「柯斯達」)生産開始。
  • 2002年10月8日に天津豊田(現・天津一汽豊田 第一工場)でヴィオス(「威馳」)生産開始。出遅れていた中国市場へ進出。
  • 2003年9月5日に四川豊田でランドクルーザープラド(「普拉多」)生産開始。
  • 2003年10月8日に長春一汽豊越汽車(四川一汽豊田・長春工場)でランドクルーザー(「陸地巡洋艦」)の生産を開始。
  • 2004年2月23日に天津一汽豊田でカローラ(「花冠」)の生産を開始。
  • 2005年3月21日に天津一汽豊田・第2工場でクラウン(「皇冠」)の生産を開始。
  • 2005年10月24日に天津一汽豊田・第2工場でレイツ(「鋭志」、日本名マークX)の生産を開始。
  • 2005年12月15日に四川一汽豊田・長春工場でプリウス(「普鋭斯」)のノックダウン生産を開始。
  • 2006年5月23日に広州豊田でカムリ(「凱美瑞」)の生産を開始。
  • 2007年5月28日に天津一汽豊田・第3工場で新型カローラ(「卡羅拉」)の生産を開始(従来型カローラ「花冠」の生産も第1工場にて継続)。
  • 2011年12月19日に現行型プリウスを四川一汽トヨタ自動車有限会社で生産が開始された[104]

情報技術戦略[編集]

IT活用の変遷[編集]

トヨタ生産方式(TPS)の高度IT化[編集]

トヨタの文化・企業風土をベースに競争力の源泉であるトヨタ生産方式と両輪を成す情報システム化が推進されている。TPSとITの最初の融合は「工場のライン側に対して、車のどの部品を組み付けるかなど生産指示のデータを打ち出し、作業手順をわかり易くすること」だったとされる[105][106]。トヨタのIT活用は1960年代からスタートしているが、現在はトヨタの開発調達、生産、物流販売金融といった自動車事業の全工程に適用され、他社に追随を許さない圧倒的な仕組みをグローバルに構築している[107]

クルマのデジタル化[編集]

クルマはモノづくりの精神・技術の結晶であり、トヨタは先進的な情報技術を車に搭載することで「もっといいクルマ」を目指している。自動車に対する最初のコンピュートは1980年代に始まったエンジンのEFI(燃料噴射装置)とされるが[108]組み込みソフトウェアによる制御系・非制御系のインテリジェント化、マルチメディア化進行し、自動車とITの融合により安全性能の向上や自動運転機能の搭載、クルマが情報通信デバイスとなるコネクテッドカーが実現した(G-BOOK、T-Connecten:Lexus Link)。

モビリティ社会のスマート化[編集]

トヨタは1980年頃、当時の豊田英二社長が「車は、いずれスタンドアローンの時代から、管理される時代へ変わっていく」[109]との考えを示した事から車と社会の調和を図るためのIT化に注力、スマートモビリティ社会はICT(情報通信技術)によりクルマと人とコミュニティが相互に「つながる」社会であり、トヨタが目指す環境に優しい豊かな「もっといいクルマ社会」とされる[110]。この取り組みでITS(高度道路交通システム)やテレマティクスカーシェアリングパートナーロボット等のモビリティ社会に対するIT活用を推進している。

自動車、住宅に続く、経営の3本目の柱[編集]

トヨタはコーポレートベンチャーとして自動車以外に住宅、金融、ITマリンバイオ緑化などの事業を展開しているが[111]、第3の事業としてIT事業(ITS、e-TOYOTA、GAZOO等)を推進している[112]。トヨタが目指すITサービスは公共性、公益性が高く、自動車や住宅、その他の事業との融合が期待できる利用者のニーズに基づいたシームレスな統合型サービスとされる[113]。車やモビリティの枠を超えて、人々の暮らしを豊かにして社会に貢献することを目指し、必要となる技術に対して積極的に取り組み、自動車以外の新しい産業を創出するとしている[114][115]

自動運転、Connected Car[編集]

自動運転車や車載OSの分野で自動車メーカーに加えてIT企業が参入し始め、自動車とITの融合が加速している。Googleのセルフドライビングカーを代表とする無人自動車が登場し、人工知能技術の実用化が現実味を帯びた2016年に、トヨタはIT企業やベンチャー企業と競合する時代になった。トヨタは自動車が「グーグルのインフラ」的な「単なるハードウエア」になってしまうのを懸念し、グーグルとの提携を断っており、トヨタ独自で開発することを明確にしている[116]。一方、IT業界以外の企業がシリコンバレーに研究開発拠点を設置する動きに同調し、トヨタもシリコンバレーで研究開発を加速させ、人工知能(AI)、自動運転、ロボット、バックエンドとなるIoTビッグデータクラウドコンピューティングの領域でメインプレイヤーと捉えられている。

モータースポーツ[編集]

ラリースポーツプロトタイプに始まり、フォーミュラカーGTなどジャンルを問わず幅広くレースに参加してきた。世界選手権ではWRC(世界ラリー選手権)とWEC(FIA 世界耐久選手権)、北米でもNASCARCART/インディカーIMSAなどでチャンピオンを獲得した実績がある。かつてはコンストラクターとしてF1にも8年間参戦していた。また市販のトヨタ車は、ラリーレイドやオフロードレースなどでプライベーターチームからの人気が高い。

アマチュアレースの振興にも力を入れており、ナンバープレート付き車両で参加できるネッツカップ86/BRZレースTGRラリーチャレンジなどはイベントによっては参加100台の規模を誇る。

豊田章男の社長就任以降トヨタのモータースポーツ活動は、『GAZOO Racing』の名の下に人を鍛え市販車をより良くするためのものとして位置づけられ、社内で地位が高められた。2017年にカンパニー制を導入した際、持続的なモータースポーツ活動を目的としてGRカンパニーも創設された。

トヨタ系のディーラーが自主的にレーシングチームを組織することも多く、スーパーフォーミュラで3年連続でチャンピオンを輩出しているINGING(山口カローラ)、スーパーGTで優勝経験のあるLM corsa(山口カローラ+大阪トヨペット+岡山トヨペット)、埼玉トヨペット Green Braveaprとジョイントするトヨタカローラ三重などが有名である。また現トヨタ自動車社長の豊田章男や、埼玉トヨペット取締役専務の平沼貴之、トヨタカローラ三重社長の永井宏明など、ドライバーとしてステアリングを握る経営者も多い。

自動車以外の事業[編集]

マリン事業[編集]

トヨタのマリンボート

以前からヤマハ発動機のマリン関係部門と提携があったが、1997年にトヨタ自動車独自の造船部門「トヨタ・マリン」を設置した[117]。分野を中小型の個人向けプレジャーボート「ポーナム」に絞り、漁船や貨物船など業務用の船舶は扱っていない。

アルミ製船体の採用や自動車を制御技術を応用した各種安全装置、船体のデザインに自社のデザイナーを起用、生産工程の合理化やエンジンを自動車と共通化するなどのコストダウンを徹底するなど、自動車開発で培った各種ノウハウにより同クラスとしては比較的低価格を実現している[118]。直営営業所の開設や全国規模の販売網など、販売体制も整備されている。

一方でリーマンショックの影響により2015年を目処としていた黒字化と独立が達成不可能となった他、シェアも約6%程度で、ヤマハ発動機やヤンマーの後塵を拝している[119][注釈 10]

2016年にはシェアでヤマハに追いつきたいヤンマーと、技術・生産部品などの幅広い部分での提携を発表[120]。2017年にはレクサスブランドのプレジャーボートを公開した[121]。2017年までのトヨタの国内の販売数は約850隻である。

ロボット事業[編集]

トヨタ・パートナーロボット等において人の活動を援助するロボットの開発をしている。T-HR3 (ロボット)キロボなどが開発されている[122]

二輪販売(撤退)[編集]

1950年から1960年代まで、トヨモーターススズキバイクをトヨタの販売店で売っていたことがある。

航空機製造(撤退)[編集]

もともと航空機にも強い関心のあった豊田喜一郎は、1936年にフランスの航空機や海軍の払い下げ機を購入して挙母工場付近で開発を進め、1943年にヘリコプターの試作機を完成させた。動力面でも豊田佐吉の開発した環状単流原動機をロータリーエンジンとして受け継いで研究したり、ガスタービンの研究も進めた[123]

1942年に陸軍の要請で川崎重工業と共同出資し、東海航空工業(現アイシン精機)を設立した。トヨタにも航空機エンジンの開発・生産が要請され、社内に航空機部門が誕生。刈谷に新設した工場で航空機用空冷エンジン、排気管、冷却器などを開発・生産した[123]戦後にも航空機製造の禁止解除をにらんで航空機分野への進出を企画していたが、立川飛行機から招いた長谷川龍雄(後の初代カローラ主査)から現状のトヨタの体制では難しいと進言されて断念した。

現在はトヨタが筆頭株主SUBARU航空宇宙部門を持っている。また2008年には、三菱重工業が主体となっている国産旅客機MRJに対し製造・販売会社(三菱航空機)への出資を明らかにした[124]

鉄道車両製造(撤退)[編集]

1950年代 - 70年代、トヨタ自動車本社工場や元町工場から名古屋鉄道三河線土橋駅への専用線で、多くの小型ディーゼル機関車が運用されていた。これらは日本輸送機加藤製作所日本車輌の製造であったが、一部はトヨタ自動車工業で自社製造され、名古屋鉄道の車籍のものもあり、ガソリンエンジンの機関車(GB10形)も存在した。

これらトヨタ製機関車は、トヨタ工場内専用線のみで使用され、台数、運用範囲も限定され、他の鉄道会社で使用されなかった。トヨタ製エンジンを用いた各地の森林鉄道鉱山鉄道などの機関車は存在したが、トヨタ自動車製造ではない。

一般的な鉄レールの鉄道車両ではないが、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)で、トヨタグループ開発の磁気誘導式の無人バスシステム「IMTS」が長久手会場で運用され、法的に鉄道(磁気誘導式鉄道)として取り扱われた。

本部、他の主要な事業所[編集]

トヨタ自動車の本社は豊田市と東京都に、名古屋市のミッドランドスクエアに名古屋オフィスがあり、ここに東京本社にある営業部門などが移転している。東京本社は1982年に完成。

研究開発拠点[編集]

日本国内[編集]

  • トヨタテクニカルセンター(愛知県豊田市本社内)
    デザインプロトタイプ研究開発と企画、車両の評価等
  • 東富士研究所(静岡県裾野市御宿) - (1966年設立)
    車両の新技術開発及びエンジンの新技術研究
  • 東京デザイン研究所(東京都八王子市石川) - (1989年設立)
    先進的なスタイリングのデザイン研究・開発
  • 士別試験場(北海道士別市温根別町) - (1984年設立)
    車両の高速総合性能、各種寒冷地試験及び評価
  • 東京開発センター(東京都港区台場) - (2005年設立)
    電子技術分野の先行技術開発
  • 豊田ビームライン(兵庫県佐用郡佐用町) - (2008年度着工)
    SPring-8を利用した燃料電池車、触媒などの技術開発[1]

日本国外[編集]

アメリカ[編集]

  • トヨタテクニカルセンターU.S.A.(TEMA-TTC) - (1977年設立)
    (本部)ミシガン州アナーバー : 技術調査、研究開発、現地車両設計・評価
    (分室)ミシガン州プリマス : 試作車両工場
    カリフォルニア州トーランス、ガーデナ:車両評価、エンジン適合
    アリゾナ州ウィットマン : 総合車両評価
    • 日本国外におけるトヨタ最大の研究開発拠点。米国現地部品・材料の開発、車両評価やエンジン適合、技術調査などの研究開発業務、および、北米向けの製品の技術開発、現地生産車両の開発を実施。
  • キャルティデザインリサーチ - (1973年設立)
    (本部)カリフォルニア州ニューポートビーチ
    (分室)ミシガン州アナーバー (TMNA-TTCの隣地)
    (分室/トヨタ イノベーション ハブ)カリフォルニア州オークランド
    • トヨタ初の日本国外のデザイン開発拠点。米国向け車両デザインの調査・開発。
  • TRD USA, Inc. - (1979年設立)
    (本部)カリフォルニア州タスティン
    (分室)カリフォルニア州コスタメサ、ノースカロライナ州シャーロット
    • 北米におけるトヨタのモータースポーツの拠点。かつては関連会社のトヨタテクノクラフトの米国法人だったが、現在は米国トヨタ自動車販売の100%子会社。現在はNASCAR用マシンやラリーカー、レクサスのGTカーなどの開発・供給を手がける。かつてはCART/IRLエンジンの開発・供給を行っていた。

ヨーロッパ[編集]

  • TME研究開発グループ - (1987年設立)
    (テクニカルセンター) ベルギー ザベンタム
    (分室) イギリス ダービー州ドイツ ケルン
    • 欧州事業サポート、欧州環境の車両・材料評価、認証、技術調査・研究、現地車両開発
  • トヨタヨーロッパ・デザインディベロップメント(フランス コートダジュール)- (1998年設立)
    • 外観・内装・カラーデザインの開発研究、モデル製作、デザイン調査
  • トヨタモータースポーツ(TMG)(ドイツ ケルン) - (1993年設立)
    • トヨタの欧州におけるモータースポーツの拠点。かつてはトヨタF1としてF1カーの開発、F1レースへの参加を行っていた。現在は世界ラリー選手権(WRC)のエンジン開発とル・マン24時間レースの車両の開発を行っている。風洞の貸し出しやカスタマーへのラリーカーの供給も業務として行っている。

アジア・太平洋[編集]

  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックタイ(TTCAP-TH)(タイサムットプラーカーン) - (2003年設立)
    • デザインの研究開発・評価、技術調査、現地車両開発
  • トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックオーストラリア(TTCAP-AU)(オーストラリアビクトリア州メルボルン) - (2003年設立)
    • デザインの研究開発、技術調査、現地車両開発

生産拠点[編集]

日本国内[編集]

直営[編集]

本社工場(愛知県豊田市) -(1938年開業)(工場コードA11)
ランドクルーザーのローリングシャーシ(1951年 - 2007年8月)、ピックアップトラックトラックのラダーフレーム、プリウスのドライブトレーン
元町工場(愛知県豊田市)[注釈 11] -(1959年開業)(工場コードA21、A22)
クラウン、マークX、MIRAI、レクサスLC、レクサスGS 過去の生産車両 2000GT、スープラ・ソアラ(30系まで)、イプサムプログレブレビスレクサス・LFA、マークII、チェイサー、クレスタ、マークIIブリット、パブリカ、クラウンマジェスタ、など。
上郷工場(愛知県豊田市) -(1965年開業)
エンジン、他
高岡工場(愛知県豊田市) -(1966年開業)(工場コードA31、A32)
カローラ(香港・マカオを除く輸出仕様のみ)、オーリス( カローラiM)、ハリアープリウスαメビウス 過去の生産車両 カローラ(日本向けE120型系まで)、スプリンター、カローラルミオン、iQ、ラクティス(初代)、WiLL VS、ヴィッツ、スターレット、セラ、ウィッシュなど
三好工場(愛知県みよし市) -(1968年開業)
足回り機械部品、他
堤工場(愛知県豊田市) -(1970年開業)(工場コードA41,42)
カムリ、アルティス、プレミオ、アリオン、プリウス、プリウスPHV(プリウスプライム) 過去の生産車両 ビスタ、ビスタアルデオ、セリカ、カレンカルディナ、カリーナED、コロナエクシヴ、カムリプロミネント、サイオン・tC、マークIIクオリスなど。
明知工場(愛知県みよし市) -(1973年開業)
足回り機械部品、エンジン、他
下山工場(愛知県みよし市) -(1975年開業)
エンジン(エンジン一部を除くZR・GR・AZ型式などを生産)
衣浦工場(愛知県碧南市) -(1978年開業)
足回り機械部品、他
田原工場(愛知県田原市) -(1979年開業)(工場コードA51 ? A55)
第一製造部:レクサス・GX、ランドクルーザープラド、レクサス・LX、ランドクルーザー(2007年 - )、4ランナー

第二製造部:レクサス・LS、レクサス・ISレクサス・RC
PDI(Pre-Delivery Inspection)センター:アベンシス(TMUKから輸入後の検査のみ)

  • 第三製造部のみレクサス系セダン専用工場となり、技能員の制服・制帽も他とは異なる。
    • 工場コード および過去 - 現在の主な生産車両について
    • 第一製造部 1A組立ライン:A51 ランドクルーザー/ランドクルーザープラド/GX470
    • 第一製造部 1B組立ライン:A52 AE86トレノ/AE86レビン/ハイラックスピックアップ等
      (現在は完成車組立ライン解体の上、1A組立ライン向けの部品順建ライン化により消滅。)
    • 第二製造部 2C組立ライン:A53 初代セルシオ/ソアラ等
      (現在は完成車組立ライン解体の上、1A/2D工場向けのエンジン順建ライン化により消滅。)
    • 第二製造部 2D組立ライン:A54 AE86トレノ/AE86レビン/セリカ/カリーナED/RAV4/ヴァンガード等
    • 第三製造部 3E組立ライン:A55 レクサスLS/GS/IS/IS-F
貞宝工場(愛知県豊田市) -(1986年開業)
工場生産設備、他
広瀬工場(愛知県豊田市) -(1989年開業)
電子装備部品、他

子会社・関連会社運営(車両生産工場のみ)[編集]

豊田自動織機長草工場(愛知県大府市)(工場コードB11)
ヴィッツ、RAV4(海外市場向け)
トヨタ車体富士松工場(愛知県刈谷市)(工場コードC21・C25)
ノア、ヴォクシー、エスクァイア、エスティマ/エスティマハイブリッド、ランドクルーザ70(ピックアップ)
トヨタ車体いなべ工場(三重県いなべ市)(工場コードC31)
ハイエース(ロングボディ)、アルファード、ヴェルファイア
トヨタ車体吉原工場(愛知県豊田市)(工場コードD11)
ランドクルーザー200、ランドクルーザー70(バン・トゥルーパー)、コースター、日野・リエッセII(コースターのOEM車種)
トヨタ自動車東日本東富士工場(静岡県裾野市)(工場コードM21、旧:関東自動車工業東富士工場)
センチュリー、ポルテ、スペイド、JPN TAXI

過去:クラウンコンフォート、コンフォート、レクサスSC、コロナ(TT130系)、カローラフィールダー(140系まで)、ソアラ(30系・UZZ40)、チェイサー(60系〜90系まで)、クレスタ(GX1系〜100系まで)、スープラ(JZA80)、ヴェロッサ、マークX(120系前期のみ)、アイシス

トヨタ自動車東日本岩手工場(岩手県胆沢郡金ケ崎町)(工場コードM31、旧:関東自動車工業岩手工場)
アクア(プリウスc)、C-HR

過去:アルテッツァ、オーリス(初代)、ブレイド、ラクティス(2代目)、スバル・トレジア、イスト(2代目)など

トヨタ自動車東日本宮城大衡工場(宮城県黒川郡大衡村)(工場コードN11、旧:セントラル自動車本社工場)
カローラアクシオシエンタ、カローラフィールダー

相模原時代の生産車種:コロナ(170系)、ラウム、bB(初代)など

岐阜車体工業(岐阜県各務原市)(工場コードE11)
ハイエース(スーパーロングボディ)、トヨタ救急車
日野自動車羽村工場(東京都羽村市)(工場コードP11)
FJクルーザー、ランドクルーザープラド、トヨエース、ダイナ、クイックデリバリー
ダイハツ工業本社(池田)工場第2地区(大阪府池田市)(工場コードK11)
パッソ(ブーンのOEM車種)、ルーミー(トールのOEM車種)、タンク(トールのOEM車種)
ダイハツ工業京都工場(京都府乙訓郡大山崎町)(工場コードK21)
プロボックス、サクシード、マツダ ファミリアバン(サクシードのOEM車種)
SUBARU群馬製作所本工場(群馬県太田市
トヨタ86
トヨタ自動車九州宮田工場(福岡県宮若市
レクサス・ES、レクサス・RX、レクサス・NX、レクサス・CT

過去:マークII(90系・100系)、チェイサー(100系のみ)、ハリアー(30系まで)、クルーガー、ウィンダム(20系のみ)、レクサス・HS、SAI、ハイランダー(日本国外仕様)

トヨタ自動車九州苅田工場(福岡県苅田町
エンジン
トヨタ自動車九州小倉工場(福岡県北九州市/苅田町)
ハイブリッド専用部品
ダイハツ九州大分(中津)工場(第1工場)(大分県中津市
ピクシスバン(ハイゼットバンのOEM車種)、ピクシストラック(ハイゼットトラックのOEM車種)、ピクシスメガ(ウェイクのOEM車種)
ダイハツ九州大分(中津)工場(第2工場)(大分県中津市
ピクシスエポック(ミライースのOEM車種)、ピクシスジョイ(キャストのOEM車種)

日本国外[編集]

(26ヶ国、51社[2] (PDF)

北米[編集]

ラテンアメリカ[編集]

  • ブラジル
    • Toyota do Brasil Ltda.(TDB)
  • ベネズエラ
    • Toyota de Venezuela Compania Anonima(TDV)
      • カローラ、フォーチュナー、ハイラックス
  • アルゼンチン
  • メキシコ
    • Toyota Motor Manufacturing de Baja California, S.de R. L. de C.V.(TMMBC)
      • タコマ、デッキ

ヨーロッパ[編集]

  • イギリス
    • Toyota Motor Manufacturing (UK) Ltd.(TMUK)
      • バーナストン工場 ダービー州バーナストン
        • アベンシス、オーリス、オーリスツーリングスポーツ
  • フランス
    • Toyota Motor Manufacturing France S.A.S.(TMMF)
      • ヤリス
  • トルコ
    • Toyota Motor Manufacturing Turkey Inc.(TMMT)
      • カローラ、ヴァーソ、C-HR
  • チェコ
    • Toyota Peugeot Citroen Automobile Czech,s.r.o. (TPCA)
      • アイゴ
  • ロシア
    • Limited Liability Company "TOYOTA MOTOR" in Saint-Petersburg(TMR-SP)
      • カムリ、RAV4
  • ポルトガル
    • Toyota Caetano Portugal, S.A.(TCAP)
      • ランドクルーザー
  • カザフスタン
    • Saryarka AvtoProm LLP(SAP)
      • フォーチュナー
  • ポーランド
    • Toyota Motor Manufacturing Poland SP.zo.o.(TMMP)
      • エンジン、トランスミッション

アフリカ[編集]

  • ケニア
    • Associated Vehicle Assemblers Ltd.(AVA)
      • ランドクルーザー
  • 南アフリカ共和国
    • Toyota South Africa Motors (Pty) Ltd.(TSAM)
      • カローラ、ハイラックス、フォーチュナー、ダイナ
  • エジプト
    • Arab American vehicle Co.(AAV)
      • フォーチュナー

アジア[編集]

  • 中国
    • 天津一汽豊田汽車有限公司(TFTM):天津第一汽車との合弁企業(天津市
      • ヴィオス(威馳)、カローラ(花冠)、クラウン(皇冠)、レイツ(鋭志)
    • 四川一汽豊田汽車有限公司(SFTM):中国第一汽車との合弁企業(成都市長春市
      • コースター(柯斯達)、ランドクルーザー200(蘭徳酷路沢)、ランドクルーザープラド(普拉多)、RAV4(榮放)、プリウス(普鋭斯)
    • 広汽豊田汽車有限公司(GTMC):広州汽車との合弁企業(広州市
      • AZエンジン、カムリ(凱美瑞)、ヤリス(雅力士)、ハイランダー(漢蘭達)、レビン(雷凌)
  • 台湾
  • インド
    • Toyota Kirloskar Motor Private Ltd.(TKM)
      • カローラ、イノーバ、フォーチュナー、エティオス
  • インドネシア
    • PT. Toyota Motor Manufacturing Indonesia(TMMIN)
      • イノーバ、フォーチュナー、ヴィオス、シエンタ
    • P.T. Astra Daihatsu Motor(ADM)
      • アバンザ
    • PT. Hino Motors Manufacturing Indonesia(HMMI)
      • ダイナ
  • マレーシア
    • Assembly Services Sdn. Bhd.(ASSB)
      • ハイエース、ヴィオス、ハイラックス、イノーバ、フォーチュナー
  • パキスタン
    • Indus Motor Company Ltd.(IMC)
      • カローラ、ハイラックス
  • フィリピン
    • Toyota Motor Philippines Corp.(TMP)
      • イノーバ、ヴィオス
  • タイ
    • Toyota Motor Thailand Co., Ltd.(TMT)
      • カローラ、カムリ、カムリハイブリッド、ヴィオス、ヤリス、ハイラックス、フォーチュナー
    • Toyota Auto Works Co., Ltd.(TAW)
      • ハイエース
  • ベトナム
    • Toyota Motor Vietnam Co., Ltd.(TMV)
      • カムリ、カローラ、ヴィオス、イノーバ、フォーチュナー

オセアニア[編集]

  • オーストラリア
    • Toyota Motor Corporation Australia Ltd.(TMCA)
      • カムリ、エンジン

中東[編集]

車種[編集]

トヨタ自動車の車種一覧については別項を参照[125]

ディーラー[編集]

他のメーカーが全店舗全車種扱いに移行していく中、依然としてトヨタ自動車はディーラーごとに取り扱い車種が異なる。特にネッツ店は、他のトヨタ系列との併売をしている車種が極端に少ない。かつては大阪府内のみトヨタ店とトヨペット店の取り扱い車種が逆だったが、現在は一部車種を除き他の都道府県と同様の取り扱いになっている。

取扱車種:クラウンシリーズ、アリオン、ランドクルーザーなど(センチュリー、クラウンは東京都内のみトヨペット店でも販売)
取扱車種:マークX、プレミオ、ハリアー、アルファードなど(マークX、ハイエースは東京都内のみトヨタ店でも販売)
取扱車種:カローラアクシオ、カローラフィールダー、ノア、パッソなど
  • ネッツ店 - ネッツトヨタ店(旧トヨタオート店)とトヨタビスタ店を統合)- 2004年〜
取扱車種:ヴィッツ、ヴォクシー、ヴェルファイアなど

トヨタの4系列全店で販売されている車種[編集]

プリウスシリーズ、アクア、86、シエンタ(2代目)、C-HR
  • 以下の車種は実質的なトヨタ4系列全店販売車種。
ピクシスシリーズ(全国はカローラ店、ネッツ店で販売、希望があった一部地域のトヨタ店、トヨペット店でも販売。)
ポルテ(トヨタ店とトヨペット店)&スペイド(カローラ店とネッツ店、2代目ポルテ発売時登場)
ノア(カローラ店)&ヴォクシー(ネッツ店)&エスクァイア(トヨタ店とトヨペット店、3代目ノア/ヴォクシー発売の約9か月後登場)
タンク(トヨペット店とネッツ店)&ルーミー(カローラ店&トヨタ店)
カムリ(全国はカローラ店、トヨペット店、ネッツ店で販売、東京都はトヨタ店でも販売。)

キャッチフレーズ(コーポレート・ステートメント)[編集]

歴代キャッチフレーズ[編集]

  • ファミリーカーのトヨタ(1966年 - 1969年) - 「ファミリーカーのトヨタと呼んで下さい」という当時の企業広告から。テレビの提供読みの時は「世界のファミリーカー」とコールされたものがある。
  • 進歩のマーク(1967年 - 1970年)
  • 信頼のマーク(1967年 - 1970年) - この2つのキャッチコピーは広告上で併用された。
  • 愛される車をめざして(1971年 - 1980年) - ※筆頭提供で放送される場合「愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることも多く、この場合番組によっては提供時間の終わりのスポンサーコールで「誰からも愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることが多かった。
  • ムダ・ムリ・ムラのない運転で ガソリンを大切に使いましょう(1973年)
  • TTCのトヨタ(1974年) - 「TTC」とは「トヨタトータルクリーンシステム」のこと。
  • ゆたかな明日を築く トヨタグループ(1975年) - 知られざる世界の提供読みで使用。
  • 安全はトヨタの願い(1978年 - 1982年、CMのみで使用)
  • 時代はTOYOTA(1981年 - 1982年)
  • 新技術-時代はTOYOTA(1982年 - 1988年)
  • Fun To Drive(1984年 - 1990年3月)
  • VISION 先進技術で、価値ある1台を(1988年)
  • シートベルトを忘れずに(1989年初頭 - 9月) - 「Fun To Drive」と兼用、コマーシャルなどで使用
  • 新しいトヨタが走りはじめます。 (1989年 - 1990年9月) - この時点から、現在のトヨタのCIが制定される。(後述)1989年までCIを出さないCMもあったが、1990年以降は全てのCMでCIを出している。以前のキャッチフレーズ「Fun To Drive」も兼用された。
  • 人へ。社会へ。地球へ。(1990年10月 - 1999年)
  • BIG CHALLENGE(1993年 - 1996年) - この頃、「Sedan Innovation」や「ACTION」というキャッチコピーも展開されていた。
  • クルマが未来になっていく。(1997年 - 1999年12月) - このあたりから90秒以上の提供時はこれまでの社名のみからキャッチコピー・社名に変更。
  • Drive Your Dreams.(2000年1月 - 2011年9月) - カタログなど一部で2011年秋以降もこのスローガンが使われていた。
    • 人、社会、地球の新しい未来へ。(サブキャッチコピー)
      1社提供・及び90秒以上の提供時は「Drive Your Dreams. トヨタ自動車」(2005年7月からトヨタ)になっている(素敵な宇宙船地球号についてはトヨタグループ全体の協賛であるため、これはコメントされていない)。
  • MORE THAN BEST(2004年 - 2006年3月) - 本キャッチコピー発表後はサザンオールスターズCMソングに起用された。
  • トビラを開けよう(2006年4月 - 2008年頃) - このキャッチコピーよりMr.Childrenの「箒星」がCMソングに起用されている。
  • FUN TO DRIVE, AGAIN.(2011年10月 - 2017年10月) - 1社提供・及び90秒以上の筆頭提供で協賛する場合は左記スローガンを3行で大きく表示し、下部にエンブレムのTマークを挿入している(TOYOTAの社名は表示されていない)。60秒以下の協賛は従来通りに「Tマーク+TOYOTA」である。2011年までカタログの巻末で以前のキャッチコピーが使用されたままだったが、翌年から本キャッチコピーが使用され、上記と同様の表示に切り替えられている。新聞広告で2011年まで本キャッチコピーは使用されず、「Tマーク+TOYOTA」のみの記載だったが、こちらも翌年から本キャッチコピーが使用された。本キャッチコピーとTマークをすべて1行にまとめて表示されているなど、提供表示やカタログとは違い、一部のCMと同じ記載方法となっている。
  • Re BORN(2011年秋 - ) - 企業CM
  • moving forward(米国における企業スローガン)
  • TOYOTA NEXT ONE(2014年 - ) - 制作陣は電通高崎卓馬がクリエイティブディレクターとして統括し、写真は瀧本幹也、デザインは博報堂出身の駒二郎らが担当した[126][127]
  • THE WORLD IS ONE(2015年 - ) - 同様に電通の高崎らが制作担当。
  • START YOUR IMPOSSIBLE(2017年11月 - ) - 1社提供・及び90秒以上の筆頭提供で協賛する場合は、スローガンの右側にエンブレムのTマークを1行だけで配置している(TOYOTAの社名は表示されていない)。それまで「FUN TO DRIVE, AGAIN.」を使用していた場面で、差し替えて使われる。一部のCMの冒頭で、画面の片隅にエンブレム無しで数秒間表示されている。メディアで2017年11月から、東京モーターショーで開幕日の10月27日から使用を開始。

販売店ごとのキャッチフレーズ[編集]

この他、販売店ごとに以下の独自のキャッチフレーズもある。

  • 現在使用中のキャッチフレーズ
    • フロンティアへ 人を、地域を、もっと笑顔に(トヨタ店、2016年4月 - 現在)
    • クルマと、つぎの楽しみを。 TOYOPET(トヨペット店、2016年4月 - 現在)
    • うれしいこと 全力で。あなたの街のカローラ店(トヨタカローラ店、2006年3月 - 現在)
    • Netz Another story(ネッツ店、2016年 - 現在)
    • EXPERIENCE AMAZING(2017年よりレクサスブランドで使用されているスローガン)
  • 過去に使用していたキャッチフレーズ
    • 最上の出会いをトヨタ店で。(トヨタ店、2002年? - 2016年3月)
    • もっとクルマの話、しませんか。 Answer, for you. TOYOPET(トヨペット店、? - 2016年3月)
    • hello!(トヨタカローラ店、2001年 - 2006年2月)
    • Welcome To VISTA(ビスタ店、1981年 - 1999年)
    • ACCESS VISTA(ビスタ店、2000年 - 2004年)
    • Make the style.(ネッツ店、2004年 - 2010年)
    • the Creative.(ネッツ店、2010年 - 2016年)
    • 微笑むプレミアム。(レクサス店、2006年まで)
    • The pursuit of perfection(レクサスブランドのグローバルスローガン。2013年4月まで使用された)
    • AMAZING IN MOTION(レクサスブランドのグローバルスローガン。2016年まで使用された)

ロゴマーク[編集]

現在の「TOYOTA」ロゴマークは1978年4月(アメリカ、カナダは1986年4月)から使用されている。

1967年から1978年3月(アメリカ、カナダは1986年3月)まで、新聞広告・雑誌広告・テレビCMで使われた「TOYOTA」ロゴマークは、書体が現在の物より細いゴシック体となっていた。国内で「進歩のマーク」「信頼のマーク」「'愛される車をめざして」のキャッチコピー、丸の中に片仮名で「トヨタ」と文字の入ったマークと共に使用され、日本国外でもカタログなどに使用された。[注釈 12]

旧トヨタマークは戦前に一般公募を行い制定されたもの。社章・正社員章として現在も使われている。現在のトヨタマークは1989年10月からで、縦と横に組み合わされたふたつの楕円はトヨタのT、背後の空間はトヨタの先進技術のグローバルな広がりと未来へ翔ける無限の可能性を表している。[128]同月にデビューした初代セルシオから採用された(商標登録日本第2392335号)。

造成開発地[編集]

トヨタ自動車は現在、子会社のトヨタすまいるライフ株式会社(旧トヨタ住宅)他と共同で住宅地をいくつか造成開発している。

  • リバーサイドヒルズさくら台 - 愛知県岡崎市細川町字桜台地内(建築条件付土地分譲)
  • 緑陽台 - 愛知県岡崎市(戸建と土地)
  • 土岐プラズマ - 岐阜県(戸建分譲)
  • 自由ヶ丘サウスステージ - 福岡県宗像市(戸建と土地)
  • 上志段味 - 名古屋市守山区(戸建と土地)
  • シーサイド田原光崎 - 愛知県その他(戸建と土地)
  • 共和西27街区 - 愛知県その他(戸建と土地)
  • 東郷町春木台 - 愛知県東郷町(戸建分譲)
  • グリーン アヴェニュー日進笠寺山 - 愛知県日進市(戸建と土地)
  • 日進市 香久山東 - 愛知県日進市(戸建分譲)
  • あざぶの丘 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
  • 黒笹120街区 - 愛知県みよし市(戸建分譲)
  • 三好町根浦37街区 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
  • パークサイドアベニュー桜坂 - フジケン開発との戸建協同プロジェクト。事業開始は2001年から
  • 豊橋レイクタウン大清水台 - 愛知県豊橋市(アイシン開発の開発地。1980年から集合宅地の分譲契約)
  • T'sコート安城桜井 - 愛知県安城市桜井町貝戸尻(一般定期借地権)

スポンサー[編集]

テレビ[編集]

現在(一社提供)
現在(複数社提供)
過去(一社提供)
過去(複数社提供)

不祥事・事件・問題・批判(グループ会社を含む)[編集]

中古車架空販売[編集]

トヨタ自動車が全額出資する大阪トヨタ自動車(旧大阪トヨペット)が、2004年、国産中古車を社員名義で自動車登録を行ない、販売実績を引き上げる架空販売を行なっていた[注釈 13]大阪府警察は2006年10月10日、社員ら4名を電磁的公正証書原本不実記録、および供用の疑いで逮捕した[129]

ルネサスエレクトロニクス[編集]

日本のITにおける重要な基盤技術を担ってきたメーカーでありながら、総合的に厳しい状況にあるルネサスに対する、不当な安価の部品購入や人事介入など、「飼い殺して」いる一員であるとも報じられている[130]

北米トヨタのセクハラ[編集]

過労・サービス残業問題[編集]

トヨタ自動車中国広告問題[編集]

リコール関連[編集]

トヨタ日本国内リコール放置問題[編集]

  • 1988年にモデルチェンジしたハイラックスについて、2004年8月に熊本県内でハイラックスのハンドル操作が利かなくなる交通事故が発生した。
  • 2005年8月に熊本県警は、車軸の欠陥が存在していたにもかかわらず、販売済の車両についてリコールを行わなかった、として同社を家宅捜索。同社に1988年12月のモデルチェンジ以降に販売店から5件のリレーロッドが折れる事故が報告され、96年頃の社内調査で強度不足が発覚していたこと、新規生産分は改良品に切り替えたが市場に出回った分は放置していた事が県警調査で明らかになった。翌2006年7月、 熊本県警は業務上過失傷害の疑いでトヨタ自動車の品質保証部門の歴代三部長を書類送検した。2007年6月に、松尾邦弘 元検事総長がトヨタ自動車株式会社社外監査役に就任した。2007年7月13日、熊本地検は(1)96年時点でロッド欠損などの不具合を報告する販売店からの報告は4件だけだった。(2)菊池市の事故まで人身事故はなかったなどの理由から、リコールしなければならない状況だったとは言えないとして3名を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。

アメリカの大規模リコール[編集]

2010年2月22日、米ABCは南イリノイ大学のデビッド・ギルバート教授が行ったトヨタ車を急加速させる実験の映像を流し、車両に問題があることを示す報道を行ったが、翌月にトヨタ自動車側は報道された不具合は発生し得ないと指摘、それを受けABC側は同年3月12日に、該当の報道は映像に操作を施した捏造であったと認めた。

2010年4月14日、アメリカ消費者団体専門誌「コンシューマー・リポート」で特定の運転状況下で横転する危険性を指摘され、全世界でレクサスGX460の販売を一時停止し、4月19日に全世界で約1万3000台を対象に、車両安定制御装置ソフトウェアの修正を発表、同様にプラドも約2万1000台を対象に実施した[注釈 14][131]

2010年6月21日、中国広州にあるデンソー系の電装(広州南沙)有限公司にて待遇改善を求めてストライキが発生し、トヨタの広州工場に対する自動車燃料噴射装置などの部品の供給が停止した[132]

2010年8月13日、米高速道路交通安全局(NHTSA)は、電子系統に異常がなく、事故のほとんどが運転者の人為的なミスによるものであると報告、2011年2月8日に、米運輸省は、NHTSAと米航空宇宙局(NASA)による10ヶ月の共同調査の結果を踏まえて、電子制御装置に欠陥はなかったと発表した[133]。NASAは電子制御装置に異常は見られず、NHTSAは加速ペダルと運転席フロアマットの欠陥は問題は確認されたものの、急発進事故のほとんどが運転手のミスと確認された[134]ワシントン・ポストなど各新聞は、トヨタ叩きは政治的に引き起こされたヒステリーだったと議会などを批判した[135]。一方、米消費者団体は政府の調査は不十分とした[134]

2014年3月19日、アメリカ司法省とトヨタ自動車は、リコール問題の最終的な和解案に合意。トヨタ側が12億ドルを和解金の支払いとリコールに対する約束事項の遵守を負うこととなった。巨額の賠償金もさることながら、折りしもゼネラルモーターズでも大規模なリコール問題が生じたタイミングであり、アメリカにおけるリコール問題処理の模範になるものとして注目され[136]、日本国内でも連日報道されて大きな話題となった。

中東紛争でトヨタ車人気[編集]

トヨタのハイラックスやランドクルーザーは走行性能・耐久性に優れるとして中東の紛争で非常に愛用される。1980年代のチャドの内戦で政府軍・反政府軍ともにハイラックスの改造車で戦ったため、「トヨタ戦争」とも呼ばれるほどであった[137]。イスラム国もトヨタの車両を愛用していることから「トヨタはイスラム国のスポンサー」と揶揄する声が聞かれ、実際に米財務省がトヨタに釈明を求めたこともある。これに対してトヨタの米国法人はテロ活動の恐れがある購入希望者に車両を販売しない厳格な規定を採用しているとし、一方で中古車の販売や盗難などの全ての経路を断つことは「どのメーカーでも不可能だ」と反論している[138]。実際はアメリカ国務省がシリア自由軍への救援物資のリストにトヨタ車が含まれており、これが横流し・略奪されてISの手に渡っていたことが判明した[139]。トルコ・ヨルダン・イラクなどからも調達できるルートが存在しているとされる。

日本国外における法的トラブル[編集]

1990年1月1日から2006年5月22日のあいだに北米の関連会社Toyota Motor Credit Corporationがアフリカ系アメリカ人(黒人)とヒスパニック系アメリカ人に対し、白人に対して融資する際の年率(APR)より高い値を設定し人種差別を基に不当に利益を上げていたとしてカリフォルニア州中央行政裁判所、およびサンフランシスコ群高等裁判所に起訴された[140]

2006年9月20日にフォード・モーター、ゼネラルモーターズ、ダイムラー・クライスラー、ホンダ、日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長ビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴された[141]

書籍『トヨタの闇』における批判[編集]

米国籍役員による「麻薬」密輸問題[編集]

2015年6月、アメリカ国籍の同社初の女性役員(チーフコミュニケーションオフィサー=広報トップ)が、アメリカから麻薬成分を含む鎮痛剤オキシコドン57錠を、ネックレスと虚偽申告をした上で箱の二重底に隠して宅配便密輸した疑いで、警視庁麻薬取締法違反容疑で逮捕された[142]。同年6月30日に容疑者の役員が辞表を提出してトヨタに受理され7月1日に辞任が発表された。7月8日、本人に違法性の認識が薄かったことや既に役員を辞任したことが考慮され不起訴処分で釈放された[143]。いくつかの米メディアは背後でキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が容疑者の役員辞任を条件に釈放を働きかけたこと、2月に発生した類似事件でも米国人釈放に関与していたことを報じている[144][145][146]

所得税の源泉徴収漏れ[編集]

世界ラリー選手権のラリー用車両の開発などに絡んで同社が2014年度から2016年度までに海外企業などに支払った20億円超について、名古屋国税局税務調査所得税源泉徴収漏れを指摘されていたことが、2017年10月に判明。本来一定割合を天引きして日本で納税すべきだったところ、海外子会社がある現地で納税していた。これ以外に海外で定年を迎えた出向者への退職金などで源泉徴収漏れを指摘されたという。こうした一連の経理上のミスは海外取引の増加や複雑化などが背景にあるとみられる[147]

注釈[編集]

  1. ^ 2014年3月22日,23日にTBS系列でトヨタ自動車監修のスペシャルドラマ「LEADERS リーダーズ」が放送された。劇中でトヨタはアイチに置き換えている。自動車製造の開始、トヨタ自動車の設立、戦後の金融事情、経営危機に際した住友銀行による融資拒否、日本銀行や24の取引行による協調融資団から人員整理1600名の再建案、労働組合と経営陣の対立激化による労働争議、などを描いた。2017年3月26日に「LEADERS II」で、小島プレス工業などを中心とする協力会社組織の協豊会の発足、愛知トヨタなど販売ディーラーとの協力関係、戦時中の自動車配給会社の設立、戦後のトヨタ自動車販売店協会の発足、などを描いた。
  2. ^ 安さを主眼とするマーケットに高級感・高機能を持ち込み席巻するこの手法は、1999年に登場したヴィッツでも用いられている。
  3. ^ 特に過激な事例を取り上げればトップ・ギア司会者3人組の扱き下ろしがある。「カローラの横に並んでいた冷蔵庫をカローラとして紹介し、没個性的だと揶揄」「初代LS(セルシオ)登場時に“退屈なレクサス”と発言」など、トヨタ車がこき下ろされる際のキーワードは「無(没)個性」「退屈」「無味無臭」が多い。また米国におけるサイオン導入も「トヨタ車は退屈」と言うネガティブイメージが背景にあった。車好きからのトヨタの受けの悪さは、『NAVI CARS Vol.29』(2017年3月25日発売、ボイスパブリケーション刊)の『トヨタが好きで、悪いか!』という大見出しにも象徴される。
  4. ^ これらは格好良さよりも見た目のインパクトの強さを重視しており、一目でトヨタ/レクサス車だと分かることを目的としている
  5. ^ JDパワー保険会社のランキングなどによる。
  6. ^ 2009年にG'sに先駆けて登場。MNとはMeister of Nurburgring=「ニュルマイスター」の略で、トヨタのテストドライバー・成瀬弘のニックネームであった
  7. ^ なおカローラは花冠、コロナは太陽冠、クラウンは王冠と、いずれも「冠」にその名を由来する。
  8. ^
    X70系 - X100系までのマークII/チェイサー/クレスタ
    L20系以降のターセル/コルサ/カローラII
    E20系 - E110系までのカローラシリーズ/スプリンターシリーズ
    T150系以降のコロナ/カリーナ(のちのプレミオ/アリオン
    V10系 - V40系までのカムリ/ビスタ
    エスティマエミーナ/エスティマルシーダ
    グランビア/グランドハイエース
    タウンエース/ライトエース/マスターエース
    カローラランクス/アレックス
    ノア/ヴォクシー
    H20系以降のアルファード/ヴェルファイア
    プロボックス/サクシードなど。
  9. ^ 例:ネッツ店専売車種(例:後期型以降のアベンシス、2代目ヴィッツ、後期型以降のウィッシュ、2代目bB、オーリス、3代目RAV4、ヴェルファイア、2代目ヴォクシー等)の「N」マーク、E120系(9代目)カローラシリーズ以降の「NCV」マーク、マークXおよびマークXジオの「X」マーク、プレミオの「P」、アリオンの「A」、初代ラクティスの「R」マーク等。リアは大抵の場合トヨタマークが付いている。
  10. ^ 自動車分野でライバル関係にある日産自動車は国内市場の縮小などから、1995年に造船部門を日産マリーンとして分離し2015年に新規製造と販売を終了している。
  11. ^ 名前の由来は町工場時代の気持ちを忘れない為に、元・町工場から元町工場と命名された
  12. ^ 当時のCMの最後は「愛される車をめざして(進歩のマーク・信頼のマーク)[改行]TOYOTA[改行]当時のトヨタのマーク」が表示された。末期は単にTOYOTAの旧ロゴになった。一時期はCMの最後に「TTCのトヨタ」のナレーションや、旧ロゴ最末期から現行ロゴの初期は「安全はトヨタの願い[改行]TOYOTA」もあった。
  13. ^ 読売新聞2006年 9月24日、同年9月28日記事。2004年6月に35万円で仕入れた国産中古車を同月下旬、営業店社員に45万円で販売し、社員名義で自動車登録。同年11月、この車を80万円で買い取った形にし、数日後、一般顧客に90万円で販売していた。
  14. ^ ランドクルーザープラドのリコール対象は中東、ロシアが主体で日本などで販売された右ハンドル車はリコールの対象外である。 トヨタ・レクサスGXの販売一時中止、世界全体に拡大 MSN産経ニュース 2010年4月14日

脚注[編集]

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関連項目[編集]

ICT・ITS関連企業[編集]

スポーツ関連[編集]

所属スポーツ選手[編集]

直営自動車大学校[編集]

その他[編集]

外部リンク[編集]