コンテンツにスキップ

刈谷市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
かりやし ウィキデータを編集
刈谷市
刈谷市旗
刈谷市章
刈谷市章
刈谷市旗 刈谷市章
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
市町村コード 23210-6
法人番号 5000020232106 ウィキデータを編集
面積 50.39km2
総人口 154,067[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 3,057人/km2
隣接自治体 豊田市安城市大府市知立市高浜市豊明市みよし市愛知郡東郷町知多郡東浦町
市の木 クスノキ
市の花 カキツバタ
刈谷市役所
市長 稲垣武
所在地 448-8501
愛知県刈谷市東陽町一丁目1番地
北緯34度59分21秒 東経137度00分08秒 / 北緯34.98928度 東経137.00214度 / 34.98928; 137.00214座標: 北緯34度59分21秒 東経137度00分08秒 / 北緯34.98928度 東経137.00214度 / 34.98928; 137.00214
地図
市庁舎の位置
外部リンク 公式ウェブサイト

刈谷市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト

刈谷市(かりやし)は、愛知県西三河地方西端に位置する境川を挟んで尾張地方と接している。豊田自動織機トヨタ自動車の源流企業)、デンソートヨタ紡織トヨタ車体アイシン愛知製鋼(刈谷工場)、ジェイテクトといったトヨタグループの主要企業が軒並み本社を構える自動車工業都市である。

概要

[編集]
刈谷豊田総合病院から見た
刈谷市駅周辺市街地

江戸時代には土井氏2万3000石の城下町だった。現代にはトヨタグループ主要企業の本社や工場が集まる日本有数の自動車工業都市となり、トヨタ自動車発祥地のひとつとされる。デンソーアイシン豊田自動織機などトヨタグループ主要企業の本社が多数存在する。同じく西三河地方の豊田市や尾張地方の名古屋市とともに中京工業地帯を構成する工業都市である。

2018年時点では愛知県で10番目の人口を有する。2015年度の昼間人口比率は123.1%であり[1]名古屋都市圏中京圏)の中心市の1つに指定されている[2]

市章は存在するがアルファベットのKを図案化したシンボルマークが別に制定されている。

地名の由来

[編集]

かりやという地名は、1409年(応永16年)1月11日の『熊野檀那職譲状写』(米良文書)に「一所借屋郷」とあるのが初見である。一般には1533年(天文2年)の刈谷城の築城が地名の発端とされるが、『宗長日記』には1522年(大永2年)に「此国、折ふし俄に牟楯する事有りて、矢作八橋をばえ渡らず。舟にて、同国水野和泉守館、苅屋一宿。」、1524年(大永4年)に「八日に参川苅屋といふ所、水野和泉守宿所一宿。」、1526年(大永6年)に「かりや水野和泉守宿所。」との記載があり、水野和泉守の居館が苅屋にあったという。

『三河物語』には三河一向一揆のくだりで「水野下野守殿、雁屋より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記載され、「刈」の字に「雁」が当てられている。かつては「谷」ではなく「屋」の字を当てており、『宗長日記』や『三河物語』や『信長公記』や『今川氏真判物』では「苅屋」または「かり屋」と表記されている。

「以前は『亀村』と称していたが、877年(元慶元年)に出雲より一族を連れ移住した狩谷出雲守の名による」という伝承があり、平安時代から刈谷という地名があったとする説もある。その他、水野藤九郎代牛田守次寄進状写に「一四百文目 坪本苅屋南 天文十九年 庚戌 三月六日」、水野和泉守寄進状に「合壱所者 坪ハ深見苅屋百姓友三郎 大永五年 乙酉 弐月彼岸日 水野和泉守近守」とある。東照宮御実紀巻一に、三州刈屋の水野右衛門大夫忠政とある。

地元でのアクセントは「かりや」で、地名としての「渋谷」「上野」などと同じ平板型アクセントで発音する。

地理

[編集]
刈谷市中心部周辺の空中写真。
1987年撮影の6枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

位置

[編集]

三河国の西端に位置し、三河国と尾張国との国境だった境川が市の西端部を流れる。この川に沿って市域は南北に長い形をしており、南北最長は13.2キロメートルとなっている。市域は海抜10メートル前後の平坦な土地であり、郊外には田畑が広がっている。

境川の他にいずれも境川水系の逢妻川猿渡川等の中小河川が市内を東西に横断するように流れ、それぞれの流域に小規模ながら沖積平野を形成している。これらの沖積平野部はかつては衣浦湾が入り込んだ入り江であったところに河川がもたらす土砂が堆積して生じたものである。この沖積平野部に近世初頭以後干拓によって得られた新田が加わり、低湿地帯を形成しており、多くは現在も水田として利用されている。

そのほかの市域の多くは洪積台地であり、工場や住宅地が拡がっている。北部の愛知教育大学周辺は丘陵地帯であり、国の天然記念物である小堤西池カキツバタ群落など僅かではあるが自然が残る地域である。

現在の南北に細長い市域の成立は、近代の市町村合併によるものだが、江戸時代の刈谷藩の時代に既に、元刈谷地区 - 井ヶ谷地区の半分まで、藩領であったことが確認できる。一方で、半城土・依佐美・小垣江の南部・東部は、重原藩であった。そのほか、高浜市域が刈谷藩であったことが確認できる。

地形

[編集]

河川

[編集]
主な川

湖沼

[編集]
主な池

地域

[編集]
市内の地域一覧

人口

[編集]
刈谷市と全国の年齢別人口分布(2005年) 刈谷市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 刈谷市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
刈谷市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 87,672人
1975年(昭和50年) 96,152人
1980年(昭和55年) 105,643人
1985年(昭和60年) 112,403人
1990年(平成2年) 120,126人
1995年(平成7年) 125,305人
2000年(平成12年) 132,054人
2005年(平成17年) 142,134人
2010年(平成22年) 145,781人
2015年(平成27年) 149,765人
2020年(令和2年) 153,834人
総務省統計局 国勢調査より

隣接自治体

[編集]
愛知県の旗愛知県

歴史

[編集]

原始・古代

[編集]

衣浦湾の入り江の奥に位置し、魚介類が豊富に採れ、台地端からの湧水も豊富であったことから、旧石器時代より人の住む地域であったと考えられている。市内には縄文時代の本刈谷貝塚のような貝塚や、古墳も多く存在している。窯業も行われた。

中世・近世

[編集]
城下町としての刈谷

平安時代末期から室町時代にかけては、知立を中心とした広大な荘園であった重原荘の一部となっており、地頭の重原氏や二階堂氏大仏氏が支配した。刈谷の城下町としての歴史は戦国時代前期の天文2年(1533年)、水野氏宗家水野忠政刈谷城築城に始まる。当時は刈谷と東浦の間には衣浦湾が入り込んでおり、刈谷城の背後は入り江、周囲は湿地に囲まれており、水に浮かんだ亀のごとくに見えたことから別名を亀城と呼ばれた。本丸には三層のも建造されていた。

水野忠政は緒川から刈谷に本拠地を移し、徳川家康生母於大の方は刈谷城主の娘として、同じく今川氏傘下の岡崎城主松平広忠のもとに嫁いだ。父水野忠政の死後、兄水野信元が今川氏を離れ織田信秀と同盟(織水同盟)を結んだため松平氏を離縁となった彼女は阿久比城主久松俊勝に再嫁するまでの日々を刈谷城近くの椎の木屋敷で過ごした。三河・尾張に於ける有力な豪族であった水野氏の拠点として刈谷はしだいに政治的戦略的に重要性を増していき城下町としての体裁を整え始めた。

なお水野信元の時代について『三河物語』や『今川氏真判物』に下記のような記述がみられる。

『三河物語』によると、桶狭間の合戦の項目で「小河より水野四郎右衛門尉(信元)殿方カラ、浅井六之助(道忠)ヲ使にコサせラレテ」との記述があり、桶狭間合戦当時、信元は緒川城周辺を守備するか、もしくは戦の成り行きを日和見していたと考えられる。同じく『三河物語』の三河一向一揆の項目では「水野下野守(信元)殿、雁屋(刈谷)より武具にて佐崎之取出え見舞に御越有。」と記述がある。

また、永禄3年(1560年)6月8日付の岡部元信宛の今川氏真判物に「苅屋城以籌策、城主水野藤九郎其外随分者、数多討捕、城内放火、粉骨所不準于他也」とあり、屋が当てられている。上記の判物には桶狭間合戦当時の刈谷城主水野藤九郎(信元の弟)と記されているが、藤九郎信近は信元の城代として刈谷を守備していたと考えるのが妥当である。武家のしきたりとして弟は嫡男の家臣となるのが通例であった。今川方の文書から藤九郎信近を刈谷城主とするのは適当でない。

江戸期の刈谷

江戸幕藩体制の刈谷藩水野勝成の3万石で始まった。その後江戸中期までは頻回に転封があり、石高の最小は阿部氏の1万6000石から最大は本多氏の5万石まで変化したが、いずれも譜代の小藩であった。1747年、土井氏が2万3000石で入封し、以後、土井氏の治世が廃藩置県まで120年余り続いた。この間、刈谷は城下町として少しずつ発展していった。市域は侍屋敷を中心に発達したが、多くの町人も集まり、太田平右衛門、加藤新右衛門、岡本権四郎等の大商人も現れ、活況を呈するようになった。

土井家時代の市域の中部・南部は刈谷藩の領地であり、北部の井ヶ谷村の半分および東境村の半分も含まれた。市の南部や東部の一部(半城土、小垣江など)は刈谷藩の領地であったが、寛政4年(1792年)、土井氏の第3代藩主・土井利制の時代に寛政一揆の責任を取らされ、陸奥福島藩と村替え(領地替え)が行われた。後に重原藩の領地となる。市域の一部には、西大平藩などの領地もあった。

幕末期、刈谷藩主土井利善は早くから西洋式軍隊の優位性を認め西洋式軍事訓練を行う開明的な譜代大名として知られており幕府陸軍奉行に任じられ、やがては幕閣を担う逸材として将来を嘱望されていた。

また同時期に、譜代藩であったにもかかわらず刈谷藩は二人の勤皇志士を輩出している。天誅組総裁松本奎堂と同組幹部の宍戸弥四郎である。 本来、藩主土井利善と松本、宍戸は良き主従であり互いの理解者でもあったのだが、激動の時代の幕開けはしだいに松本や宍戸らを先鋭的な勤王運動へと向かわせ二人は吉野での天誅組の壊滅と共に壮絶な死を遂げることとなった。

そして天誅組の変は刈谷藩主土井利善の運命も変えてしまった。元家臣が天誅組の幹部である責任を問われた彼の幕府内での立場は一転し、隠居に追い込まれたのち失意のうちに死去したのである。

さらには勤皇派藩士の誤認による三家老斬殺事件という悲劇も起きており、大きく動揺した。

近代・現代

[編集]
豊田自動織機G3型(刈谷市歴史博物館所蔵)
明治以降の刈谷

東海道本線開通時の刈谷駅設置、商業酒造業蚕業、窯業等の発達と市域の拡大、刈谷駅で南北にクロスさせる形での三河鉄道敷設の成功、愛知県第八中学校(現愛知県立刈谷高等学校)、愛知県刈谷高等女学校(現愛知県立刈谷北高等学校)の誘致の成功、この鉄道網と教育機関立地の優位性による豊田自動織機の誘致の成功などにより現代の刈谷の基盤となる部分が整えられた。豊田自動織機の誘致が工業都市としての発展につながった。

太平洋戦争中には数日違いで空襲を逃れた。戦後は急速に工業都市へと変貌した。

年表(明治以降)

[編集]
明治22年以前 明治22年10月1日 明治23年 - 明治45年 大正元年 - 大正15年 昭和元年 - 昭和64年 平成元年 - 現在


刈谷村 刈谷町 刈谷町 明治39年5月1日
合併 刈谷町
刈谷町 昭和25年4月1日
市制 刈谷市
刈谷市
元刈谷村 元刈谷村 元刈谷村
小山村 小山村 小山村
高津波村 逢妻村 逢妻村
熊村
下重原村 下重原村 明治24年8月14日
分立 重原村
半城土村 明治24年8月14日
分立 半高村
明治39年5月1日
合併 依佐美村(一部)
依佐美村(一部) 依佐美村(一部) 昭和30年4月1日
刈谷市に編入
高須村
小垣江村 小垣江村 小垣江村 小垣江村
犬ヶ坪村
野田村(一部) 野田村(一部) 野田村(一部)
西境村 境村 境村 明治39年5月1日
合併 富士松村
富士松村 富士松村
井ヶ谷村
東境村 明治24年8月14日
分立 東境村
泉田村 逢見村 逢見村 逢見村
今岡村
今川村
一ツ木村 一ツ木村 一ツ木村
築地村

行政

[編集]
刈谷市役所

市長

[編集]
歴代市長
  • 岡本謹平(1950年4.1日就任、1955年7月2日退任)
  • 竹中七郎(1955年7月20日就任、1959年7月19日退任)
  • 高田一郎(1959年7月20日就任、1967年7月19日退任)
  • 宮田一松(1967年7月20日就任、1983年7月19日退任)
  • 角岡与(1983年7月20日就任、1995年7月19日退任)
  • 榎並邦夫(1995年7月20日就任、2007年7月19日退任)
  • 竹中良則(2007年7月20日就任、2019年7月19日退任)
  • 稲垣武(2019年7月20日就任、2期)

広域行政

[編集]

碧南市、安城市、知立市、高浜市との間で衣浦東部広域行政圏協議会を結成している。また、同じ枠組みで衣浦東部広域連合を結成し、消防業務を共同で行っている。ごみ処理に関しては、知立市との間で刈谷知立環境組合を結成している。

刈谷市が中心市となって、知立市、高浜市、東浦町とともに衣浦定住自立圏を結成している。

財政

[編集]

予算額の約半分をトヨタグループ企業(デンソー、アイシン精機、豊田自動織機、トヨタ車体、トヨタ紡織等)の法人からの税収が占めている。

2019年度(平成31年度)当初予算案は以下のとおり[3]

会計名 予算額 前年度対比
一般会計 581億円 3.0%減
特別会計 239億9,511万円 4.8%増
企業会計 99億1,856万円 2.5%減
全会計 920億1,367万円 1.0%減

議会

[編集]

市議会

[編集]

県議会

[編集]
2019年愛知県議会議員選挙
  • 選挙区:刈谷市選挙区
  • 定数:2人
  • 任期:2019年4月30日 - 2023年4月29日
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:120,487人[4]
  • 投票率:42.26%[4]
候補者名 当落 年齢 所属党派 新旧別 得票数
永井雅彦 58 無所属 17,290票
神谷昌宏 59 無所属 16,670票
渡辺周二 62 自由民主党 16,012票

衆議院

[編集]
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
大西健介 53 立憲民主党 137,944票
石井拓 59 自由民主党 90,214票
牛田清博 66 日本共産党 16,818票

国家機関

[編集]

厚生労働省

[編集]

財務省

[編集]

法務省

[編集]

施設

[編集]
刈谷警察署
衣浦東部連合消防局
刈谷豊田総合病院

警察

[編集]
本部
交番
  • 富士松交番(東境町)
  • 富士松駅前交番(今川町)
  • 一ツ木交番(一ツ木町)
  • 刈谷駅前交番(桜町1丁目)
  • 東刈谷交番(東刈谷町1丁目)
  • 小垣江交番(小垣江町)
  • 広小路交番(広小路3丁目)※現場周辺工事により閉鎖中
  • 高津波交番(高津波町4丁目)

消防

[編集]
本部
消防署
  • 刈谷消防署(刈谷市寿町1-201-1)
分署
  • 北分署(刈谷市今川町鍋田69-2)
  • 南分署(刈谷市小垣江町西高根203)

医療

[編集]
主な病院
  • 刈谷豊田総合病院
    • 私立の総合病院。市内に公立の病院はないが、西三河地区における拠点の病院として機能している。市北部から近い病院としては豊明市にある藤田医科大学病院がある。

郵便局

[編集]
主な郵便局

文化施設

[編集]
生涯学習

運動施設

[編集]

対外関係

[編集]

姉妹都市・提携都市

[編集]

海外

[編集]
姉妹都市
  • カナダの旗ミシサガ市カナダ連邦オンタリオ州
    1981年(昭和56年)7月6日 姉妹都市提携 - 通例Mississaugaは「ミシサガ」と表記するのが一般的だが、刈谷市では表記揺れの一つである「ミササガ市」を中心的に使用している。これに名を得たミササガ通りミササガパークがある。
    1980年(昭和55年)11月、カナダオンタリオ州ミシサガ市より、姉妹都市提携を希望する書簡が届いた。翌年1月、日本企業関係者がミシサガ市長ヘーゼル・マッキャリオンの親書を携えて訪問。これに対して慎重な態度をとり、まず調査団をミシサガ市に送った。ところがミシサガ市側は同日のうちに姉妹都市提携を宣言した。こうした問題があったものの、スポーツ・文化面での交流を中心に友好を深める線で合意に達し、調査団の帰国後、議会で承認可決した。調印式は、1981年(昭和56年)7月6日にカナダのミシサガゴルフカントリークラブでとり行われた。しかしその後、一時は音信が途絶え、また議会先行の提携であったためか市民レベルでの交流はなかった。そこで次にアメリカ合衆国ミシガン州フリント市が姉妹都市提携を申し入れてきたが、これに対し当時の宮田刈谷市長は明確な回答を避けた。
    1983年(昭和58年)4月になってようやく「刈谷市国際友好協会」が発足したことによってミシサガ市との具体的な交流が始まり[注釈 1]、その後協会を通じた刈谷市とミシサガ市はさまざまな交流を行ってきた。ミシサガ市内には"Kariya Park"や、"Kariya Drive"など「刈谷」の名を冠した公園や道路がある。
  • ミササガ通り
    2001年(平成13年)に刈谷市の市制50周年とミシサガ市との姉妹都市提携20周年を記念してミササガパークが整備された。それと一体的にカナダをイメージして市道が整備がされたことから、この道路はミササガ通りと命名された。
    ミササガ通りの沿道にはカエデが植えられており、毎年秋が深まる季節になると色鮮やかな紅葉が通りを演出する。また「ミササガ橋」と命名された猿渡川に架かる橋にはミシサガ市の市章のほかにサーモンメイプルリーフなどの意匠があしらわれている。
    • 区間
      愛知県刈谷市半城土町(半城土町南大湫交差点)から同市田町2丁目(田町2丁目交差点)までを南北に通る
      延長:約735m
フレンドシップ相手国

2005年に開催された愛知万博では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われた。名古屋市を除く県内市町村が、120の万博公式参加国をフレンドシップ相手国として迎え入れた[6]

なお、これまで刈谷市内では国際交流事業として、「ナマステ・インディア in KARIYA」、「カナダ・ストリートホッケー交流会」、「ナマステ・インディア2009 in KARIYA」、「ナマステ・インディア2010 in KARIYA」、「高校生による国際理解教育教材づくり」などが行われている。

国内

[編集]
提携都市

領事館

[編集]
名誉総領事館
名誉領事館

経済

[編集]
刈谷市役所から見た刈谷駅周辺のビル群
刈谷市産業振興センター
デンソー本社
トヨタ紡織刈谷工場
東陽町商店街にあった刈谷名店街ビル
歓楽街桜町

第一次産業

[編集]

農業

[編集]
  • 逢妻川・猿渡川に隣接する沖積平野に、水田が多く見られる。市北部にはぶどう・すいか・大根等の農家が点在する。
  • 2015年の統計では1,416戸の農家が存在し、うち専業農家が466戸で約7割が兼業農家となっている。農業従事者は減少が続いており、2015年の統計では従事者数1,004人で、2000年の2,152人から大きく減らしている。また耕地面積も縮小傾向にあり、2019年で1,200haだった。2015年度の農業産出額は13億9000万円であった[7]

蚕業

[編集]
  • 明治から大正にかけての刈谷は蚕種紙の取引の中心地として栄えた。高野蚕種製造所、杉浦蚕種製造所などの大規模な蚕種製造業者や町田製糸場などの製糸業者が操業し、この地方では豊橋と並ぶ蚕都であった。刈谷駅北口の刈谷市産業振興センターの曲線の屋根はかつての蚕都・刈谷の名残りとして、繭の形を模したものである。

第二次産業

[編集]

工業

[編集]

2019年の工業製造品出荷額は、前年より1.2%増加した1兆6541億9100万円であった。これは、豊田市(15.3兆)、名古屋市(3.6兆)、岡崎市(2.6兆)、安城市(2.4兆)、田原市(1.9兆)に次いで愛知県内では第6位であった[8]

2019年の工業従業者数は、前年より2.5%増加した49,572人であった。これは、豊田市(11.6万)、名古屋市(9.4万)、安城市(5.1万)に次いで愛知県内では第4位であった[9]

自動車産業
トヨタグループの企業を中心に発展している。豊田自動織機、デンソー、トヨタ紡織、トヨタ車体、アイシン精機、愛知製鋼、ジェイテクト(旧豊田工機)などのトヨタグループの中心企業が軒並み本社、主力工場を構える。なかでも豊田自動織機は豊田佐吉の創業によるトヨタグループの本家であり、大正時代に刈谷に誘致された本社工場を基盤として飛躍的に発展した。この所以をもって刈谷はトヨタグループ発祥の地とされている。愛知県産業技術研究所(旧名:愛知県工業技術センター)も設置されている。
醸造業
かつて刈谷は豊富な地下水を利用した酒造業が盛んであり、菊の世広瀬酒造、稲徳酒造など大きな酒造元が存在した。今の刈谷の姿からは想像が難しいが、美酒の産地として知られた土地であった。このうち菊の世広瀬酒造酒蔵は、犬山市の博物館明治村に移築されている。
窯業
刈谷地方は良質の粘土が産出したことから、明治時代に大野煉瓦工場が操業を開始し、以後土管の製造業が盛んであったが、現在は衰退している。クアーズテックの主力工場が現在も市内小垣江で操業しているが、主力製品はシリコンウエハーなどであり、地元の粘土を使ったかつての窯業とは性質が異なる。

第三次産業

[編集]

商業

[編集]
  • 旧刈谷藩時代から城下町として発展した刈谷は近隣の商業の中心地であり、太田平右衛門、加藤新右衛門ら有力な御用商人がいた。明治以後も発展を続け、特に第二次大戦後はトヨタグループの発展とともに商業も発展を遂げ昭和50年代中頃までは刈谷駅から刈谷市駅にかけて、銀座、広小路、新栄、東陽町など中心地には地方都市としては広大な商店街アーケード街が拡がり、休日ともなると歩行も困難なほどの人出であった。しかしモータリゼーションなど複数の要因により中心市街地の商店街は衰退した。地域エコノミストの藻谷浩介は商店街衰退の典型例として刈谷市の中心市街地を挙げている。
  • 近年は刈谷駅前を中心に再開発が行われている[10]、北口の歓楽街、南口のイベントスペースの設置やそれにともなう刈谷アニメcollectionなどのイベント、商業施設の誘致が行われている。
  • 2016年の年間商品販売額は7977億3700万円であり、卸売業が6408億5300万円である一方、小売業は1568億8400万円と市の人口に対しやや小規模にとどまっており、市外への買い物客の流出も懸念されている[11]
主な商店街
主な商業施設

本社を置く企業

[編集]

情報・生活

[編集]
キャッチネットワーク

マスメディア

[編集]

新聞社

[編集]

放送局

[編集]
ケーブルテレビ

ライフライン

[編集]

電力

[編集]

ガス

[編集]

上下水道

[編集]

電信

[編集]
市外局番
  • 市外局番は市内全域で0566(刈谷MA)が使用される。
    • 市内局番は、主に20・60番台を使用する。

教育

[編集]
愛知教育大学
愛知県立刈谷高等学校

刈谷市の中学生は、三河地区の県立普通科高校の他、尾張の愛知県立大府高等学校愛知県立東浦高等学校愛知県立豊明高等学校の普通科に調整特例で進学できる。2007年からは、調整特例校に愛知県立大府東高等学校がさらに追加された。

大学

[編集]
国立

高等学校

[編集]
国立
県立

中学校

[編集]
市立

小学校

[編集]
市立

その他の教育施設

[編集]
  • 刈谷自動車学校

交通

[編集]
刈谷駅周辺
刈谷駅南地区「みなくる刈谷
刈谷駅北地区
刈谷駅バスターミナル
刈谷PA(ハイウェイオアシス)

JR東海道線刈谷駅の周辺はペデストリアンデッキで整備されている。コミュニティバスとして刈谷市公共施設連絡バスがある。刈谷駅北口周辺は歓楽街であり、飲み屋や風俗店が広がる。刈谷駅南口には商業施設や公共施設がある。

鉄道

[編集]

市の中心となる駅:刈谷駅

鉄道路線

[編集]
東海旅客鉄道(JR東海)
名古屋鉄道(名鉄)

市内を通る鉄道路線は東から南へ抜ける名鉄三河線を除いて概ね東西に建設されており、市内を直接南北に貫通する路線はほとんど存在しない。東西方向の距離も短いため、市内にある名鉄本線の駅も少ない。JRはほぼ中心部を、名鉄本線は北部をそれぞれ東西に貫通している。市境から近い場所に位置する駅として、名鉄名古屋本線の知立駅知立市)や豊明駅豊明市)、JR武豊線緒川駅(知多郡東浦町)、JR東海道本線・東海道新幹線三河安城駅安城市)などがある。

バス

[編集]

愛知教育大学など、北部からは刈谷駅などの中心部のJR駅より知立市にある知立駅の方が近いため、知立駅を発着する路線が設定され本数も多くなっている。市内の南北移動をカバーするために、長距離を走るコミュニティバス路線も複数存在する。

路線バス

[編集]
名鉄バス
  • 愛教大線(イオン三好店アイモール前(みよし市)・日進駅(日進市) - 愛知教育大前 - 東境 - トヨタ車体前 - 知立駅(知立市))
  • 刈谷・愛教大線(愛知教育大前 - 富士松駅 - 刈谷総合運動公園 - 刈谷駅)
刈谷市公共施設連絡バス(かりまる、無料)
  • 西境線(ひまわり - 刈谷駅北口 - 総合運動公園 - 富士松駅 - 刈谷ハイウェイオアシス - 洲原温水プール)
  • 東境線(ひまわり - 刈谷駅北口 - 総合運動公園 - 刈谷ハイウェイオアシス)
  • 小垣江線(小垣江駅東口 - ひまわり - 刈谷駅南口 - 刈谷市駅 - 逢妻駅南口)
  • 東刈谷線(半城土町大原 - 東刈谷駅 - 野田新町駅 - ひまわり - 刈谷駅南口 - 生きがいセンター)
  • 一ツ木線(総合運動公園 - 一ツ木駅南 - 刈谷駅北口 - 刈谷駅南口 - 市役所)
  • 依佐美(よさみ)線(東刈谷駅北口 - 野田新町駅北口 - 刈谷駅南口 - 刈谷市駅 - 小垣江駅西口)
東浦町運行バス(う・ら・ら)
  • 刈谷線(刈谷駅 - 緒川駅東口(東浦町))
あんくるバス - 安城市が運行しているコミュニティバス。
  • 西部線(東刈谷駅 - 安城市方面)
ミニバス - 知立市が運行しているコミュニティバス。
  • 3コース(東刈谷駅 - 知立市方面)
  • 4コース(東刈谷駅 - 知立市方面)

都市間バス

[編集]
中部国際空港バス
高速バス

道路

[編集]

国道1号国道23号知立バイパス)が市域を横断している。衣浦港境川)を渡河する境川橋・平成大橋とその周辺は車の渋滞が起こりやすい。刈谷駅東側にJRの線路をアンダーパスする立体交差がある。

高速道路

[編集]
刈谷ハイウェイオアシス

国道

[編集]
国道1号
国道23号知立バイパス
国道155号
国道419号

県道

[編集]
主要地方道
一般県道

その他

[編集]
  • 境大橋

ナンバープレート

[編集]

観光

[編集]

名所・旧跡

[編集]
城郭・屋敷
寺院
神社
史跡

観光スポット

[編集]
博物館・資料館
公園
その他の施設

文化・名物

[編集]
万燈祭
シーホース三河
刈谷市体育館

祭事・催事

[編集]

名産・特産

[編集]

[編集]
  • 刈谷音頭
  • 刈谷よいとこ
  • 刈谷小唄

スポーツ

[編集]

Bリーグシーホース三河[注釈 2]をはじめ、様々なスポーツチームが本拠地を刈谷市に置いている。 詳細は刈谷市のスポーツを参照。

出身関連著名人

[編集]

著名な出身者

[編集]

マスコット・キャラクター

[編集]
  • かつなりくん - 刈谷市公式マスコットキャラクター。刈谷城築城480年記念マスコットキャラクターとして誕生。
  • カリピー - ウイングアリーナ刈谷のマスコット。
  • キー坊と仲間たち - 刈谷市役所環境推進課所属。

関連項目

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 2003年(平成15年)に「刈谷市国際交流協会」に名称を変更。
  2. ^ シーホース三河は2022年(令和4年)に刈谷市から安城市へ本拠地を移転する予定。

出典

[編集]
  1. ^ 刈谷市総合計画基礎調査”. 刈谷市. 2020年2月18日閲覧。
  2. ^ 都市雇用圏-Urban Employment Area-”. www.csis.u-tokyo.ac.jp. 2021年11月14日閲覧。
  3. ^ 神谷慶「育児や福祉、防犯を重視 刈谷市予算案 市税収入が過去最高」 『中日新聞』2019年2月13日付朝刊、西三河版、22面。
  4. ^ a b 平成31年4月7日執行 愛知県議会議員一般選挙 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2019年4月7日). 2019年4月7日閲覧。
  5. ^ 第50回衆議院議員総選挙(小選挙区) 投票状況速報”. 愛知県選挙管理委員会. 2024年10月29日閲覧。
  6. ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
  7. ^ デジタルブック公開サイト”. kariyacity.page-view.jp. 2020年5月7日閲覧。
  8. ^ 2019年工業統計調査結果(速報)(2019年6月1日現在)(愛知県集計分) - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年5月7日閲覧。
  9. ^ 2019年工業統計調査結果(速報)(2019年6月1日現在)(愛知県集計分) - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年5月7日閲覧。
  10. ^ 駅前再開発が進み新たな都市の顔を生み出す刈谷」『中日新聞』2009年9月7日
  11. ^ デジタルブック公開サイト”. kariyacity.page-view.jp. 2020年5月7日閲覧。
  12. ^ "停電情報 刈谷営業所"”. 中部電力パワーグリッド. 2020年4月7日閲覧。
  13. ^ 主要なガス導管網概要および都市ガス供給エリア 東邦ガス、2021年1月3日閲覧

外部リンク

[編集]