伊勢湾岸自動車道
高速自動車国道 一般国道自動車専用道路(A') (有料) |
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E1A 伊勢湾岸自動車道![]() |
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地図 | |
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路線延長 | 56.4 km |
開通年 | 1985年 - 2005年 |
起点 | 豊田市(豊田東JCT) |
主な 経由都市 |
豊明市、 名古屋市、東海市、弥富市、桑名市 |
終点 | 四日市市(四日市JCT) |
接続する 主な道路 (記法) |
E1A 新東名高速道路 C3 東海環状自動車道 E1 東名高速道路 C2 名古屋第二環状自動車道 ![]() ![]() E23 東名阪自動車道 E1A 新名神高速道路 |
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伊勢湾岸自動車道(いせわんがんじどうしゃどう、ISEWANGAN EXPRESSWAY)は、愛知県豊田市の豊田東JCTから三重県四日市市の四日市JCTに至る日本の高速道路(高規格幹線道路)である。略称は伊勢湾岸道(いせわんがんどう、ISEWANGAN EXPWY)。
高速道路ナンバリングによる路線番号は、新東名高速道路・新名神高速道路ともに「E1A」が割り振られている[1]。
概要[編集]

伊勢湾岸自動車道は、新東名高速道路と東海環状自動車道の結節点である豊田東ジャンクション (JCT) を起点として西へ進み、東名阪自動車道の四日市JCTに至る延長56.4キロメートル (km)[4] の高速自動車国道(このうち6.1 kmは一般有料道路[5])である。全線が中日本高速道路(NEXCO中日本)の管轄路線である。計画では豊田東JCT - 東海インターチェンジ(IC)間が第二東名高速道路、東海IC - 飛島IC間が一般国道302号「伊勢湾岸道路」、飛島IC - 四日市JCT間が第二名神高速道路として策定され[6]、日本道路公団の発表では、豊田東JCT - 四日市JCT間は当面、伊勢湾岸自動車道の名称で運用するとしている[2][7]。
当該路線は東西両経済圏を連絡する東名、名神高速道路のバイパス路線として[8]、さらに東海環状自動車道および名古屋第二環状自動車道の南側ルートを兼ねることで環状道路の機能を持つ路線でもある[9]。また、国際拠点港湾の名古屋港、四日市港へのアクセスを担う物流の基幹道路として[10][11]、さらに知多半島道路等を介して中部国際空港(セントレア)と中部圏の各都市を直結する空港アクセスの役割、およびレゴランド・ジャパン、ナガシマリゾート、名古屋港水族館等へのアクセスを担い、地域観光の振興に寄与する役割を持つなど[12]多機能型の高速道路となっている。
路線は伊勢湾北端を東西に貫き、そのほとんどが平野を通過することから縦断線形は概ね平坦である[13]。山間部は路線東端の豊田東JCTから矢作川までの短い区間に限られている[2]。当該路線は都市近郊に敷設されているため、一般道路と並行、重複する区間が多く、インターチェンジの間隔が短い上にインター形式はダイヤモンド型を多数採用するなど、都市型高速道路に近い構造となっている[13]。また、路線中ほどで名古屋港と木曽川、揖斐川を横断することから[注釈 1]3つの斜張橋(名港トリトン)と2つのエクストラドーズド橋(トゥインクル)が架橋されている[14][15]。
高速自動車国道の政令上の路線名は第二東海自動車道横浜名古屋線(豊田東JCT - 名港中央IC)、近畿自動車道名古屋神戸線(名港中央IC - 四日市JCT)である[16]。東海IC - 飛島IC間は高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路(事業路線名は国道302号伊勢湾岸道路〈一般有料道路〉)である。このため、適用される道路交通法に差異があることから、上り線は飛島ICの先に、下り線は東海ICの先に「ここから一般有料道路」と記された標識と、3つ連なった速度規制標識が併設されている[3]。もし規制がない場合、一般有料道路区間に進入した際に、一般国道の法定速度(最高60 km/h)までスピードダウンする煩わしさがあるため、ドライバーの混乱を防ぐ意味からも規制を設けて高速道路の法定速度のままで一般国道302号を通過できるように取り計らっている[3]。また、通過後は「ここから高速道路」の標識を提示して[17]規制解除を行っている。
豊田JCT - 四日市JCT間の総事業費は1兆3150億円であった[18]。
路線データ[編集]
高速自動車国道法による法定路線名[編集]
- 第二東海自動車道横浜名古屋線
- 近畿自動車道名古屋神戸線
有料道路名[編集]
- 伊勢湾岸道路(路線名は一般国道302号)[19]
区間[編集]
- 起点 : 愛知県豊田市(豊田東JCT)[20](新東名高速道路、東海環状自動車道と接続)
- 終点 : 三重県四日市市(四日市JCT)(東名阪自動車道、新名神高速道路と接続)
設計諸元[編集]
インターチェンジなど[編集]
- IC番号欄の背景色が■である区間は既開通区間に存在する。
施設欄の背景色が■である区間は未開通区間または未供用施設に該当する。
未開通区間の名称は全て仮称である。 - 路線名の特記がないものは市道。
- 英略字は以下の項目を示す。
歴史[編集]
第2名四国道の構想[編集]

伊勢湾岸自動車道は、もともとは交通渋滞の激しかった国道23号(名四国道)のバイパス「第2名四国道」として計画された[27]。当初は名古屋環状2号線の海上部(東海市 - 海部郡飛島村間の名古屋港横断区間)と飛島村 - 三重県三重郡川越町間の第2名四国道を併せて東海市 - 川越町間の道路として一体的に計画された[28]。その起源は1967年の中部圏基本開発整備計画の策定時期までさかのぼる[29]。さらに1968年から1970年にかけて、名古屋市と愛知県から相次いで公表された将来計画の中で、東海北陸自動車道や名阪国道[注釈 2](現・東名阪自動車道)の構想に混じって第2名四国道の整備構想および計画図までが具体的に示された[30][31]。
また、建設省における幹線道路整備計画調査のうち、名古屋環状2号線海上区間については1969年度から調査開始されたが、1973年度以降は名四国道の混雑解消のほか、伊勢湾岸道路全体としての計画調査を行なう必要性から大規模特殊事業計画調査として取り上げられた[32]。第2名四国道はこの調査の一環で具体化した。
第2名四国道は伊勢湾全体を俯瞰した場合、最も北に位置する。そして伊勢湾周辺地域の広域交通との有機的連結、工業や農業、観光における環境整備を兼ねることを目指して構想された道路の一部でもある。これは第2名四国道を伊勢湾上辺に計画し、さらに、志摩半島と渥美半島を連絡する長大橋も含め[35]、名古屋、衣浦港周辺都市、豊橋、伊良湖、鳥羽、松阪、津、四日市、桑名の各都市を一本の道路で連絡することで[33]、伊勢湾周辺を環状道路で囲うという壮大な構想の一環であった[32]。この環状道路を当初は「伊勢湾岸道路」と呼んだ。やがて時代が下ると、東名高速、東名阪自動車道、伊勢自動車道を活用のうえ、現状道路と計画中の道路を有機的に結合し、この道路群の総称を伊勢湾岸道路とした[32]。このように伊勢湾岸道路は複数の道路の総称であったが、特に建設省が伊勢湾岸道路を指す場合は第2名四国道である場合が多いことから[36]、以下の解説では第2名四国道を伊勢湾岸道路と称して解説する。なお、1989年以後は、伊勢湾を一周する意味における伊勢湾岸道路は「伊勢湾環状道路」と名称を変更している[37]。
この伊勢湾岸道路のうち、名古屋港横断区間(のちの名港トリトンの区間)については名古屋環状2号線と橋梁を共有し、上路4車線(伊勢湾岸道路)、下路6車線(名古屋環状2号線)[38][39]のダブルデッキ道路として計画された[27]。しかし、それに伴う事業費が三千数百億円以上と莫大で事業化の目処が立たないことと、将来予測交通量の減少を考慮して計画見直しを行ない、両道路を統合して、一層式往復6車線とした[27][40]。

1976年度以降は、名古屋周辺道路網を構成する一道路としての位置付けから、名古屋港横断部を東は豊田付近で東名高速に、西は川越町を飛び越して四日市付近まで延長のうえ東名阪道路(東名阪自動車道)に接続する東名 - 東名阪連絡機能を持たせることになった[42]。併せて豊田 - 四日市間の路線調査を行い、当初案は豊田 - 豊明間が道路規格第3種第1級4車線として東名高速豊田ICに直結、あるいは豊田IC付近にジャンクションを造成して直接乗入れをすることが検討された。豊明 - 大高(名古屋南IC付近)間は第3種第1級で国道23号(名四国道)を拡幅して往復8車線化、ないし上下2層(4車線+4車線)方式、大高 - 西2区(飛島IC)が名古屋環状2号線を利用して第2種第1級6車線(自動車専用道路)、西2区 - 川越間が第3種第1級6車線、川越 - 四日市間が第3種第1級4車線として検討された。つまり構想当初から高速道路として検討された訳ではなく、国道23号に準じる道路規格として検討された[41](名四国道の道路規格は第3種第1級もしくは第4種第1級[43])。また予備設計のための測量調査、地質調査等が1970年頃から開始され、1976年には豊田 - 四日市間の全線に及んだ[44]。
このうち事業化が急がれるのが名古屋港横断区間であった。名古屋港は南部臨海工業地帯(南1区、南2区)と9号地、金城ふ頭、西部臨海工業地帯(西2区、西3区、西4区)を東西に結ぶ道路が無いうえに、中部圏随一のコンテナ流通基地である西部臨海工業地帯への陸上ルートは常時混雑する名四国道のみであったことから、港湾上を東西に貫く道路をどうしても必要としたのである[47]。名古屋港は用地買収をほとんど必要としないなど早期建設の条件がそろっていたが、海上に橋をかけることで事業規模が大きく、海上区間の全線早期開通は困難であることから、地元要望が強い金城ふ頭 - 西2区間(名港西大橋)を先行開業させることになった[19][48]。ただし、西大橋単独の開通であることから、通行台数は日1万台にとどまるとの予想を受けて片幅員で先行開業することになった[49]。
こうして1985年3月に名港西大橋が先行開業し、この時は一般有料道路「名港西大橋」として供用された[50][51]。
名港西大橋開通から海上区間事業化まで[編集]

画像:『国土交通省「国土画像情報(カラー空中写真)」(配布元:国土地理院地図・空中写真閲覧サービス)』
名港西大橋は伊勢湾岸道路として最初の開通区間であるが、地元の強い要請で先行開通したとはいえ、西2区と金城ふ頭をつなぐだけの道路であることから、広域移動できる利便性はなかった[9]。この利便性の無さに加えて、高額な通行料金(特定大型車1400円)を徴収したことから[9]、当てにしたトラックは西大橋を避けて今まで通り名四国道と国道1号を利用した[9]。このことから利用台数は、当初計画の日8900台を大幅に下回る1700台と低迷し[9]、その後年々1割程度の増加を見せたとはいえ[52]、公団の有料道路事業としては最悪の成績であった[9]。そして国道23号(名四国道)の道路混雑(当時の1日交通量約9万台[45])は相変わらずで、渋滞による経済損失と併せて大型車両の混入率が高いことから道路施設の老朽化を促進させることになった[9][53]。常時混雑するために補修による通行止めも叶わず、抜本的対策はバイパスルートの伊勢湾岸道路全線開通を待つ以外に打つ手がない状況であった[9][54][注釈 3]。さらに、港と配送先を結ぶ道路が名四国道であることから、混雑によって物流が滞るという問題があった[45]。こうした事情から伊勢湾岸道路の豊田 - 四日市間の全線開通が待たれることとなった[9]。

伊勢湾岸道路は地域幹線の自動車専用道路でありながら、その重要性は国も認めるところであった[55]。港湾物流の国道23号(名四国道)流入阻止を図り、名四国道の渋滞緩和を図る目的と並んで[56]、東名と東名阪の高速道路を連絡することで、京浜圏と近畿圏の短絡経路としての役割、名古屋港と背後地の各事業所を円滑に連絡する役割、名古屋環状2号線の一部区間として、名古屋へ集中する交通を分散導入する役割など、多岐に渡る機能を有する自動車道であることから[57]、内需拡大の効果は絶大と踏んだ政府は緊急経済対策として伊勢湾岸道路の早期建設を目指すとした[58][55]。ただし、名港中央大橋と名港東大橋の建設には莫大な資金を要することから、財政再建中の国の懐事情も勘案の上、民間による資金援助を早期事業化の前提条件とした[59]。
国に対して伊勢湾岸道路早期着工を陳情してきた愛知県や地元経済界は、突然降ってわいた伊勢湾岸道路早期事業化という条件をむげに逃すことはせず、この提案を受け入れることにした[60]。だが、民間の資金協力区間、すなわち資金調達に目処が立っている区間は海上区間の東海 - 金城ふ頭間の約5 kmのみで、他は「段階的な整備」という曖昧な表現にとどめられた[60]。しかしながら、「段階的な整備」とされる陸上区間の建設が伴ってこそ伊勢湾岸道路の採算の見通しが得られる訳で、名港3大橋だけ開通しても赤字に泣くことは明らかであるとして、自治体や経済界はあくまで全線着工を要請した[60]。しかし、こうした地元の不安をよそに政府は1987年度の名港2大橋の着工を表明し、1987年11月に日本道路公団に対して東海 - 金城ふ頭間の事業許可を下した[61]。この結果、供用済の金城ふ頭 - 飛島間(名港西大橋)と併せて、東海 - 飛島間が伊勢湾岸道路全区間に先駆けて事業化された。
伊勢湾岸道路が計画具体化した頃、国は長期的視野からまとめた国土開発の指針となる第四次全国総合開発計画(四全総)の構想を具体化しつつあった[62]。四全総は、特定地域における諸機能の過度の集中を避け、特色ある機能を持つ多くの極が成立することで、地域間、国際間で相互に補完、触発して国土形成を図ろうとする地方重視型の計画である[63]。計画策定当時(1980年代半ば)は貿易摩擦問題および急激な円高の進行によって輸出(外需)依存型から内需依存型の社会に転換する必要が生じたことで、東京一極集中から多極分散、各地方域内の交流が必要とされた[64]。こうしたことから国土の均衡ある発展を図るために地域主導の地域づくりを目指し、その一環としてどの地域に対しても多角的で広域的な交流を可能とする「全国一日交通圏」を構築するとした[63]。そのために航空、新幹線、高速道路など交通網の整備が計画され、中でも高速道路網の計画は、7600 kmの全国高規格道路網に6220 km付加して約14000 kmに拡充する計画であった[64][注釈 4]。この大規模な国家プロジェクトがこのタイミングで策定されたことが、後の伊勢湾岸道路計画の方向を大きく変えることになった。上述通り、伊勢湾岸道路全区間の建設計画までは示されなかったが、このあと事態は急展開の様相を見せ、四全総と絡めて留保扱いの陸上区間の建設が急速に具体化することになった。
伊勢湾岸道路と第二東名・第二名神の融合[編集]
開業以来、通行台数の増加により混雑が常態化した東名、名神高速道路の第二路線が必要であると言われ始めたのは両道路の全通から間もない頃であり、1971年度からはさっそく路線調査が始まった[65]。計画を主導した建設省は東名、名神を拡幅する案や上下2層式とすることも検討したが、コスト面から困難とし[66]、計画具体化の動きは鈍いままであった。だが、1986年2月の衆議院建設委員会で建設政務次官が第二東名、第二名神の調査を継続することと、1987年度までに四全総及び高規格幹線道路網計画に第二東名、第二名神の位置付けを明確化することを表明、これをきっかけとして、既に21世紀の道路網の在り方を巡って論議が交わされていた道路審議会基本政策部会も巻き込んで急速に第二東名、第二名神の計画が具体化していくことになった[67]。それも「全国一日交通圏」の達成には東名、名神の混雑がネックとなることから[66][68]、約4000 kmに及ぶ道路網の選定にあたって第二東名、第二名神はその筆頭に挙げられることになった[62][69]。
こうした中で1987年2月、愛知県は国に対して第二東名・第二名神実現の働きかけを行なうことを表明し、併せて四全総への組み入れを目指すとした[66]。さらにその2か月後には、愛知県知事が伊勢湾岸道路を第二東名のルートに含めたいとの意向を表明した[70]。これは国家的必要性ばかりが重視されると名古屋を素通りされかねないとする危機意識から、愛知県知事自らが率先して手を挙げた格好であった[71]。従来の東名は名古屋市の東端をかすめるだけで、名古屋ICと都心を連絡するには大変な時間を要し、さらに名古屋港と名古屋空港(現・県営名古屋空港)ともつながっていなかったことから、第二東名建設においてその再現だけはどうしても避ける必要があった[71]。第二東名の愛知県内通過ルート未定という不安要因を、伊勢湾岸道路計画と結びつけることで解消しようとする愛知県の提案は、言わば地域幹線道路を国家的プロジェクトの幹線高速道路に融合させようとするものだが、政府としても東名、名神の渋滞による高速道路としての機能不全を伊勢湾岸道路活用によって緩和できるものと判断した[71]。これにより、地域振興の観点から幹線高速道路を名古屋に呼び込むことを目指す愛知県の思惑と、東名、名神の渋滞緩和を望む政府の思惑が合致することになり[71]、第二東名、第二名神は1987年6月に四全総の高規格幹線道路網に[7]、同年9月には予定路線に編入されるに至り[7]、政府の反応から伊勢湾岸道路が第二東名、第二名神の一部となることはもはや確実な情勢となった[72]。

1988年5月には三重県知事も第二名神ルートの伊勢湾岸道路活用を要請すると表明し[74]、その翌月には建設大臣が伊勢湾岸道路を第二東名、第二名神のルートに含めることを正式に表明、6月9日には早々と全ルートの構想案を発表した[75][76]。同年9月には愛知県内の伊勢湾岸道路のルートが決まり[77]、翌1989年1月末には満を持して第28回国土開発幹線自動車道建設審議会(国幹審)で第二東名、第二名神が建設準備段階である基本計画路線に昇格した[78][79]。この決定では、高速道路としての基本計画区間を横浜 - 東海(290 km)、飛島 - 神戸(165 km)としたが[78]、東海 - 飛島間が除かれたのは、既に一般有料道路として一部供用(名港西大橋)もしくは事業化されていたことによる[80]。この結果、伊勢湾岸道路は東海 - 飛島間を除いて第二東名、第二名神に取り込まれることになった[7]。
この決定を受けて地域幹線道路として策定された伊勢湾岸道路を高速道路としての規格に揃える必要から、愛知県は1989年5月に豊田市 - 名古屋市緑区間の都市計画決定を行なった[80]。さらに1991年8月には弥富 - 大府市間(名古屋港横断区間を含む)の都市計画変更を実施し、こちらも第二東名、第二名神に準じる規格に変更された[注釈 5][81]。これらの決定を受けて道路規格は第1種第2級、設計速度を100 km/h、道路幅員31 mとし、特に名古屋環状2号線専用部の重複区間(名港3大橋を含む名四東IC - 西2区IC間)については、従来の都市高速道路並みの道路規格(第2種第1級、設計速度80 km/hあるいは60 km/h、道路幅員26.75 m)から大きく規格アップされた[72]。
そして、1991年12月に開かれた第29回国幹審で第二東名、第二名神は長泉 - 東海、飛島 - 四日市、亀山 - 城陽の3区間が基本計画路線から建設前提の整備路線に昇格した[82]。そして1993年11月に建設大臣から日本道路公団に施工命令が下されるに至り[83]、かつて「段階的な整備」として建設が後回しにされた陸上区間は、高速自動車国道として着工することが確定した。1989年1月の基本計画路線決定および1991年の整備計画格上げ後もなお、地元新聞および自治体は伊勢湾岸道路を豊田 - 四日市間の道路と位置づけ[80][84][85]、日本道路公団の見解と相違したが[7]、公団への施工命令が下るに至っては完全に第二東名、第二名神の一部として定義づけた[86]。

ところで、1996年12月に開かれた第30回国幹審で新たな基本計画が策定されることになり、その一環として1989年の基本計画路線指定から除かれた東海 - 飛島間約7 kmのうち、東海から西に約4 km離れた地点(名古屋市内)までを第二東海自動車道に、さらに飛島から東に約3 km離れた地点(名古屋市内)までを近畿自動車道の基本計画区間に含めることになった[87]。これは安定した高速ネットワークの確保と大都市部における混雑解消等の観点から、国幹道に並行して一般国道の整備が急務である場合、両者の性格を併せ持つ一般国道自動車専用道路を建設して国幹道の整備を代替しようとするものである[87]。これによって高速自動車国道の採算性確保と、一般と高速の重複投資を避ける道路整備を目指すとしている[87]。基本計画への組み入れは予定路線1868 kmの中から886 kmを選んで策定し、東海 - 飛島間もその内の一路線である。基本計画への反映は1997年2月5日である[22][88]。
なお、伊勢湾岸道路の名称は当初でこそ、豊田 - 四日市間の自動車専用道路の名称であったが、上述通り東海 - 飛島間を除いて第二東名、第二名神に取り込まれたことで、残った東海 - 飛島間のみが「伊勢湾岸道路」を襲名することになった[90]。同様の理由により、同区間は高速自動車国道としての事業化から取り残されたことから、一般国道自動車専用道路として残る結果となり、その前後で接続する第二東名、第二名神の法定速度とは異なる運用となることが問題となった。これについては後日、愛知県警察との協議により、一般国道区間に高速道路並みの規制をかけることで対応することになった[3][89]。これにより一般有料道路の伊勢湾岸道路は高速道路と同じ100 km/hで走行することが可能とされた[89]。併せて伊勢湾岸道路の導入部に「ここから一般有料道路」の標識を設置し、境界を視覚化することになった[91]。
高速道路としての開通以後[編集]
1998年3月、先行開通していた有料道路「名港西大橋」より以東の区間、名古屋南IC - 名港中央IC間が延伸開通したことで、ここに高速道路としての供用を見ることになった。かつて建設省は、第二東名、第二名神の今世紀(20世紀)中の開通は難しいが、せめて一部区間だけでも完成させたいとの意向を表明していた[78]。その計画は一部にせよ、かつて伊勢湾岸道路と通称された道路の範囲内で実現することになった。これは当該区間がもともとは名古屋環状2号線の整備構想があり[92]、そのための用地取得が進行していたところへ、後年第二東名の計画が相乗りしたことから、都市部でありながら割合早期の開通を見たのであった[93]。
この開通によって「伊勢湾岸自動車道」の路線名が与えられたが、この名称は第二東名の豊田東JCT - 東海IC間、伊勢湾岸道路、第二名神の飛島 - 四日市北JCT間の総称として、そして第二東名、第二名神がその機能を十分に果たせるまでの暫定名称として付与されたものである[7][2]。伊勢湾岸自動車道の名称が採用されたのは、名古屋市内の交通混雑緩和と周辺地域へのアクセス強化を目的とした道路だからである[93]。これは都市圏の幹線道路網強化を当面の急務としたうえで、追って当該路線を第二東名、第二名神に結びつけて新しい国土軸形成を目指す計画の一環である[93]。
伊勢湾岸自動車道をはじめとした周辺高速道路(都市高速含む)の計画は概ね1980年代までに構想されており、その高速道路網が目指すところは次の点である。
- 都心に用がない通過交通を都心に流入させることなく高速道路に乗せて受け流すこと[94][95]
- 既存の国道をはじめとした一般道路のバイパスとすることで一般道路の混雑解消に資すること[57]
- 環状道路を構築することで複数の放射道路と連絡することにより一つの放射道路が渋滞、通行止めになった場合は別の放射道路へ誘導すること(分散導入機能)[95]
- 既存高速道路の渋滞緩和のためのバイパスとなること[57]
伊勢湾岸自動車道をはじめとした周辺高速道路網は中部国際空港開港や2005年日本国際博覧会開催に合わせて整備のスピードが大幅に向上したが、それらは所詮一つの通過地点、きっかけに過ぎず、もとよりそれを目標としてのみ建設された訳では無い[96]。中部圏が車社会に依存し、既存国道や一般道路の慢性的な渋滞およびそれが高速道路の渋滞に及ぶに至り、それを解消するために周到な調査と準備のうえに計画されたものであり[65][42][97]、以下の伊勢湾岸自動車道と周辺高速道路網の延伸開業における効果は計画段階で描いていた効果をそのまま現すことになった。
1998年の最初の開通は名古屋南IC(下り)、大府IC(上り) - 飛島ICであった。この開通による営業距離は既存開通区間と併せても約11 kmに過ぎなかったが、それでも国道23号から大府、名古屋南の両ICと接続して名古屋港と直通出来る利便性が効を奏し、伊勢湾岸自動車道の大型車両混入率が増加すると共に、交通転換によって国道23号の混雑度が幾分緩和され、これを機に伊勢湾岸自動車道は産業道路の性格を強めていくことになった[98]。この開通によって、名古屋市緑区から海部郡弥富町(現・弥富市)までの所要時間は、従来の名四国道経由で45分を要したものが、15分に短縮された[93]。
2000年3月には飛島IC以西が開通し、第二名神と接続された[99][100]。この時は湾岸弥富ICまでの開通であって、幹線道路とはつながらなかったために並行する東名阪自動車道および国道23号からの転換交通はほとんどなかった[101]。しかし、2002年3月のみえ川越ICの連結は交通転換を促進させることになった。伊勢湾岸自動車道沿道の観光施設(ナガシマスパーランド等)へのアクセス改善がその要因とされ、このため小型車中心の転換となった[101]。2003年3月には東は豊明ICまで、西は四日市JCTまで開通し、総延長距離は約36 kmとなった[101]。この延伸では名古屋高速3号大高線と接続したことで名古屋南JCTが同時開設された[102]。そして四日市JCTにおける東名阪自動車道との連結は伊勢湾岸自動車道利用を大いに促進させることになり、逆に東名阪自動車道の愛知県内交通量は暫時減少した[101]。また、豊田東IC - 豊田JCTが開通したことで、豊田市内唯一のインターである東名高速豊田ICの出入り交通量の分散が図られ、接続する一般道路の渋滞解消にもつながった[103]。
2003年12月には豊田南IC - 豊明ICが開通し、東名と東名阪直結まで残り一区間(豊田JCT - 豊田南IC間)に迫ったが、延伸区間の交通量は6000台/日と少なく、周辺高速道路の交通量も大きな変化はなかった[103]。そして2004年12月の豊田JCT - 豊田南IC間開通により東名高速 - 東名阪自動車道が伊勢湾岸自動車道で連結され、東名、名神に代わる東西直結のバイパスルートが完成した[104]。翌年3月には豊田東JCTまで延伸して[105]全線が開通した。全線開通へのスピーディな工事が行なわれた理由の一つとして、2005年3月25日から愛知県で開催された2005年日本国際博覧会「愛・地球博」会場へのアクセス道路を確保するという事情があった[106][107]。結果的に、国際博覧会開催の6日前に全線開通し、同時開通した東海環状自動車道 豊田東JCT - 美濃関JCTと接続することになった。また、中部国際空港が万博開幕前月に開港し、これと足並みを揃えて知多横断道路および中部国際空港連絡道路が開通したことで、知多半島道路を介して伊勢湾岸自動車道(大府IC経由)と中部国際空港が自動車専用道路で結ばれた[108]。
全線開通により交通の流れは大きく変化し、豊明IC - 名古屋南ICの断面交通量は22000台から41000台に倍増した[109]。そして東名高速の岡崎以東と名古屋都市圏間の交通は概ね5分の1の交通が伊勢湾岸自動車に交通転換のうえ名古屋南JCT経由で都心と直結する流れとなった[110]。ただし、この影響から空港直結と合わせて3号大高線の渋滞が慢性化したことで[111]、その解決策として名二環と名古屋高速4号東海線の連結が待たれることになった。また、中部都市圏を東西に通過する交通が伊勢湾岸自動車道経由に転換したことで、東名、名神の交通量が減少した[112]。
2011年3月には名古屋南JCTで名古屋第二環状自動車道(名二環)と接続され[113]、さらに同年11月には東海JCTで名古屋高速4号東海線と接続された[114]。ただし、4号東海線の途中区間が未開通であったことから名古屋都心部への直通はならず[115]、2013年11月の全線開通をもってアクセスした[116]。これによって3号大高線に次ぐ2本目の都心直通路線が完成したことで、一方が渋滞もしくは通行止めになった際のバイパスルートが確保され[117]、名二環と併せて環状道路の分散導入機能が強化された[117]。これによって3号大高線の慢性的な渋滞は大きく緩和された[117][118]。
2016年2月には豊田東JCTで新東名高速道路と接続され、かつて第二東名として先行開通した豊田 - 東海間と一体的に運用されることとなった[119]。同年8月には反対側の四日市JCTで新名神高速道路と接続された[120]。かつて公団は豊田東JCT - 四日市北JCT間61 kmを伊勢湾岸自動車道の全区間と案内したが[121]、四日市JCT - 四日市北JCT(新四日市JCT)は新名神高速道路を称したことから[122]伊勢湾岸自動車道とは別路線となった。なお、今回開通の新名神区間に出入口は無いことから、当面の出入りは接続する東海環状自動車道東員ICで行なうことになる[120]。
年表[編集]
- 1967年(昭和42年)7月 : 中部圏基本開発整備計画の施設案に第二名四道路の整備構想が掲げられた[29]。
- 1969年(昭和44年) : 幹線道路整備計画調査の一環として川越 - 飛島間および名古屋港横断区間の予備設計開始[123]。
- 1973年(昭和48年) : 伊勢湾岸道路調査が大規模特殊事業調査として取り上げられる[32]。
- 1975年(昭和50年) : 名四東IC - 東海の路線予備設計開始[124]。
- 1976年(昭和51年) : 路線予備設計が豊田 - 四日市間の第二名四国道全線に及ぶ[124]。
- 1979年(昭和54年)
- 1982年(昭和57年)
- 1985年(昭和60年)3月20日 : 金城ふ頭 - 西2区間の有料道路(名港西大橋)が暫定2車線で開通[51]。
- 1987年(昭和62年)
- 1988年(昭和63年)
- 1989年(平成元年)
- 1990年(平成2年)12月25日 : 長島 - 四日市間の都市計画決定。道路規格第1種第2級、設計速度100 km/h[131][132]。
- 1991年(平成3年)
- 1993年(平成5年)
- 1997年(平成9年)
- 1998年(平成10年)3月30日 : 名古屋南IC - 名港中央IC間が開通[136] 。ただし、大府IC - 名古屋南ICは下り線のみ開通(東海IC上り入口、大府IC下り出口と上り入口は未供用)[137]。名港中央IC - 飛島IC間(名港西大橋)が6車線化。
- 2000年(平成12年)3月25日 : 飛島IC - 湾岸弥富IC間が開通[138][100]。
- 2001年(平成13年)3月30日 : 名古屋南IC - 大府IC間の上り線が開通[139]。
- 2002年(平成14年)3月24日 : 湾岸弥富IC - みえ川越IC間が開通[140]。飛島ICの四日市JCT方面出入口が供用開始[141]。
- 2003年(平成15年)
- 2004年(平成16年)
- 2005年(平成17年)3月19日 : 豊田東JCT - 豊田東IC間が暫定4車線で開通し、豊田東JCTで東海環状自動車道と接続[105]。これに伴い伊勢湾岸自動車道が全線開通。
- 2008年(平成20年)2月23日 : 新名神高速道路の亀山JCT - 草津田上IC間開通により東名、名神の豊田JCT - 草津JCT間の伊勢湾岸自動車道、東名阪自動車道経由によるダブルネットワークが完成[147]。
- 2011年(平成23年)
- 2016年(平成28年)
路線状況[編集]
車線・最高速度[編集]
区間 | 車線 上下線=上り線+下り線 |
最低速度 | 最高速度 | |
---|---|---|---|---|
大型貨物等 三輪・牽引 |
左記を除く車両 | |||
豊田東JCT - 豊田JCT (高速自動車国道) |
8=4+4 | 50 km/h (法定) |
80 km/h (法定) |
100 km/h (法定) |
豊田JCT - 東海IC (高速自動車国道) |
6=3+3 | |||
東海IC - 飛島IC (自動車専用道路) |
50 km/h (指定) |
80 km/h (指定) |
100 km/h (指定) |
|
飛島IC - 四日市JCT (高速自動車国道) |
50 km/h (法定) |
80 km/h (法定) |
100 km/h (法定) |
幾何構造[編集]
第二東海自動車道(新東名、第二東名)および近畿自動車道名古屋神戸線(新名神、第二名神)は通過する地域の特性に合わせて幾何構造基準[注釈 8]が定められている[149]。基準はA規格(大都市圏間)、B規格(大都市圏内周辺間)、C規格(大都市圏内中心部)の3タイプがあって、それぞれ異なる車線幅員、路肩幅員、曲線半径、縦断勾配などが規定されている[150]。この内、豊田市 - 四日市間に敷設された伊勢湾岸自動車道はC規格に該当し[149]、伊勢原市 - 豊田市間および四日市市 - 城陽市間の道路と比べて設計速度は低めに抑えられている[149]。車線幅員は第二走行車線のみ3.75 m、両端は3.5 mである[21][151]。路肩幅員は第二東名、第二名神の規格よりも狭く[注釈 9]、最小曲線半径も700 m(豊明IC - 名古屋南IC、みえ川越IC - 四日市JCT間)[152]とC規格の半径1100 m付近という条件をクリアしない[149]。よって、厳密にはC規格に当てはまらず、従来の道路規格第1種第2級クラスとなっている[13]。補助車線のある豊田東IC - 豊田JCT間を除いて[13]全線6車線、設計速度は100 km/hである[20]。6車線が採用されたのは、当該道路が伊勢湾周辺各都市の発展上、重要な位置付けにあり、その重要性に鑑みて定常時走行が可能な状態を確保するためである[153]。
路線は豊田市と四日市市を東西に貫くも、路線形状は上述通りカーブ区間が一定の割合を占める[153]。制限速度100 km/hの高速道路でありながら蛇行型が取り込まれたのは、他の自動車専用道路、国道との機能的な連絡、沿線集落への影響を最小限に抑えること、地形および地物(河・植物・建築物)への配慮等を勘案した結果である[153]。
伊勢湾岸自動車道は多数の一般道路と並行することが特徴で、路線はそれらの道路と機能的に連絡する。これらの一般道路の一部は伊勢湾岸自動車道建設にあたって都市計画変更を行ない、道路幅の拡大を行なっている[154]。並行区間には地先道路、および歩道、一部に植樹帯を設けた[155]。
- 並行する道路のギャラリー
-
愛知県道56号名古屋岡崎線(豊田南IC付近)
-
愛知県道71号名古屋西港線(湾岸弥富IC付近)
-
愛知県道103号境政成新田蟹江線(弥富木曽岬IC付近)
道路施設[編集]
サービスエリア・パーキングエリア[編集]
伊勢湾岸道ではサービスエリア (SA) は設けられておらず、刈谷パーキングエリア (PA) と湾岸長島PAの2つのパーキングエリアがある。どちらも売店とレストラン(刈谷PAのレストランは隣接するハイウェイオアシス内)があり、ガソリンスタンドが刈谷PAに設置されている。24時間営業は、刈谷PAのガソリンスタンドと刈谷PAのハイウェイオアシス内にあるファミリーマートのみ。いずれも中日本エクシスとは一切関係ない。
主な橋[編集]
区間 | 構造物名 | 長さ | 形式 |
豊田東JCT - 豊田東IC | 豊田アローズブリッジ | 820 m[156] | PC・鋼複合斜張橋 |
東海IC - 名港潮見IC | 名港東大橋 | 700 m[157] | 鋼斜張橋 |
名港潮見IC - 名港中央IC | 名港中央大橋 | 1170 m[158] | 鋼斜張橋 |
名港中央IC - 飛島IC | 名港西大橋 | 758 m[157] | 鋼斜張橋 |
弥富木曽岬IC - 湾岸長島IC | 木曽川橋 | 1145 m[159] | PC・鋼複合エクストラドーズド橋 |
湾岸長島IC - 湾岸桑名IC | 揖斐川橋 | 1397 m[159] | PC・鋼複合エクストラドーズド橋 |
みえ川越IC - 四日市JCT | 古川高架橋 | 1435 m[160] | PC連続箱桁橋 |
伊勢湾岸自動車道は伊勢湾北端を通過することから、名古屋港をはじめ、伊勢湾に注ぐ大規模河川を横断するための橋梁が複数設けられている。なかでも、名古屋港を横断する3つの斜張橋(名港トリトン)と木曽川、揖斐川を渡河するエクストラドーズド橋(トゥインクル)が代表的である。
また、当該道路はそのほとんどが市街地を通過することから、路線も高架橋主体である[165]。そして当該道路は第二東名(新東名)、第二名神(新名神)の一部であることから、第二東名と第二名神に課せられた低コスト化および工期短縮の要請を反映することになった[161]。そのために木曽川、揖斐川横断ではエクストラドーズド橋を採用し[166]、陸上高架橋では主桁本数を削減して人件費抑制に努めた。これは、人件費が鋼材価格よりも低かった時代の工法をそのまま人件費が鋼材価格を上回る時代に応用すると、溶接に要する期間が長引くことで人件費が高額となることから、溶接箇所を出来るだけ減らすために主桁本数の削減に踏み切ったのであった[161][163]。
また、PC箱桁橋においては、主桁を輪切りにしたブロック(セグメント)を現場ヤードで製造しながら直接架橋地点に輸送してケーブルで継ぎ合わせるプレキャストセグメント工法を採用した[99][164]。当該工法は道路建設に一貫生産ラインの工場を持ち込んだようなもので、橋脚建設近傍の広大な敷地内で次々と輪切りのPC箱桁が大量生産され、従来型の手作りの部分が多かった橋の建設はライン化されることで人件費低減につながり、品質も安定することになった[161]。さらに、橋脚等の下部工とセグメントが同時進行で仕上がるために工期の大幅短縮に寄与した[161]。こうした利点の多いプレキャストセグメント工法も、施工延長が長く取れないことや、セグメント製作ヤードが確保できない等の理由により、これまで大規模に採用された例は少なかった[167]。しかしながら、第二名神区間では路線近くに広大なヤードが確保できること、および当該工法を適用できる連続高架橋(弥富高架橋で1.5 km)があることも踏まえて大幅採用に踏み切ったものである[167]。また、長島高架橋も広大なヤードを使用したが、その場所は長島パーキングエリア、インターチェンジとなる用地を有効活用したものである[168]。
なお、みえ川越ICと四日市JCT間の古川高架橋は、市街地に建設されることもあって広大なヤードの確保が不可能であった。ヤードが確保出来ないことは、工場でセグメントを製作のうえ現場まではトレーラーによる運搬となるが、従来型のセグメントは巨大かつ80トンの重量があり、このままでは法的な制約から公道による輸送は不可能である。よって本高架橋では、セグメントを3分割のうえ最も重量のある中央部を30トンまで軽量化することで公道輸送を行なうこととした。古川高架橋の成功は現場近傍にヤードを確保出来ない市街地や山間部でもプレキャストセグメント工法による構築の可能性を示すことになった[169]。
- 橋のギャラリー
環境対策[編集]
伊勢湾岸自動車道は住宅密集地帯を通過することで、騒音対策の遮音壁を必要に応じて設置している。この内、第二東名として当時最も早く開通する見込みの東海市、大府市では、環境アセスメントを実施のうえ、場所によっては環境保全目標の50ホンを上回ることが明らかとなった。このことから、先折れ式の高層遮音壁(高さ8 m)を連続設置して目標値以下に押さえ込むことになった。これは地元住民を対象とした説明会で明らかにされた[170][171]。
後年開通した名古屋南JCT以東は、日本道路公団とブリヂストンで共同開発した[172]「分岐型遮音壁」を採用し、高さを4割、コストを2割以上押さえ込んだ。一見するとY字型に見える遮音壁だが、先端部でさらに細かく分岐している。このように先端部をトナカイの角のように左右に分岐させることで、音の多重回帰、相互干渉作用を生じさせることで騒音を低減することが可能となっている[173]。
路線は刈谷市内で洲原風致地区の南端を通過する[174]。ここは岩ヶ池に近く、刈谷市における景勝地であるが、そのために道路高さを極力抑えて景観に配慮している[175][176]。この付近には岩ヶ池公園と刈谷パーキングエリアが敷設されている。
愛知県弥富市、および飛島村の通過ルートは一部が鳥獣保護区に指定されており、なかでも弥富野鳥園に隣接することから、車両ヘッドライトから発する遺漏光が林縁部で繁殖したり休眠する鳥類へ影響を及ぼすことが懸念された。対策として園内に光が遺漏しないように遮光フェンスの設置や高欄埋込み式照明灯の採用を行なった[177][178]。
東名高速と接続する豊田JCTでは「テクノフォレスト」(Techno forest:構造物の森)と名付けたデザインコンセプトを採用した[179]。これは周辺景観と調和させるために、ジャンクション全体を森に見立てて移りゆく季節を表現したものである。具体的には、季節を表現する3色のカラーコンクリートを用いて橋脚を構築のうえ、これを樹木に見立てた。さらに橋脚に載る主桁は空色を採用して、自然の森のように木々の上に広がる大空を表現したものである[179]。
料金[編集]
- 豊田東JCT - 東海IC間および飛島IC - 四日市JCT間
- 高速自動車国道・普通区間 - 普通車の料率は消費税抜き24.6円/km。
- 東海IC - 飛島IC間
- 一般有料道路 - 全線利用の場合、普通車870円
割引[編集]
- 伊勢湾岸道路と高速国道との連続利用割引
- 東海IC - 飛島IC間の一般有料道路部分全線を利用し、かつ、接続する高速国道と連続利用する場合、普通車150円引き[注釈 10]。ETCでなくとも適用されるため、料金検索では本割引適用後の額を通常料金として表示している。ETC時間帯割引や障害者割引は、本割引適用後の料金に対して重複適用する。
- 特別区間割引 《終了》
- 「高速道路の有効活用・機能強化」の一環で、高速道路利便増進事業を活用して2009年(平成21年)5月13日開始。ETC車に限り30%引き。割引後料金は24捨25入により50円単位に端数処理を行う。時間帯割引の重複適用はしないが、上記連続利用割引は重複適用する(連続利用割引を先に適用)。2014年3月31日限りで終了した。
- また、並行する名四国道(国道23号)の木曽川大橋・揖斐長良大橋で工事による車線規制が行われる場合、迂回利用のために、みえ川越IC - 飛島IC間の相互間の利用に限り50%引きになった(2007年7月25日 - 同年10月12日、2009年10月1日 - 2010年4月13日及び2010年10月1日 - 2011年3月25日に実施。ETCでなくても適用。時間帯割引の重複適用はなし)[181][182][183]。
- 1998年3月30日の伊勢湾岸自動車道の開通に伴い、料金抵抗を緩和する目的から[184]向こう5年間の全車種を対象とした割引が実施された。伊勢湾岸道路全区間と大府、名古屋南のインターを通しで利用する場合に限って、100円から350円の範囲で割り引いた。日本道路公団はこれを利用促進のためとした[185]。
交通量[編集]
24時間交通量(台) 道路交通センサス
区間 | 平成17(2005)年度 | 平成22(2010)年度 | 平成27(2015)年度 |
---|---|---|---|
豊田東JCT - 豊田東IC | 17,256 | 25,089 | 25,302 |
豊田東IC - 豊田JCT | 29,931 | 39,517 | 41,737 |
豊田JCT - 豊田南IC | 42,290 | 73,661 | 88,144 |
豊田南IC - 豊明IC | 43,572 | 72,804 | 89,213 |
豊明IC - 名古屋南JCT/IC | 46,839 | 74,850 | 100,856 |
名古屋南JCT/IC - 大府IC | 47,073 | 72,095 | 101,019 |
大府IC - 東海JCT/IC | 46,640 | 71,183 | 83,133 |
東海JCT/IC - 名港潮見IC | 52,439 | 76,137 | 92,444 |
名港潮見IC - 名港中央IC | 55,082 | 78,838 | 95,284 |
名港中央IC - 飛島IC | 56,624 | 82,259 | 97,245 |
飛島IC - 湾岸弥富IC | 41,594 | 69,189 | 80,488 |
湾岸弥富IC - 弥富木曽岬IC | 38,244 | 64,891 | 76,249 |
弥富木曽岬IC - 湾岸長島IC | 39,900 | 71,396 | 78,550 |
湾岸長島IC - 湾岸桑名IC | 37,858 | 69,634 | 76,169 |
湾岸桑名IC - みえ川越IC | 31,977 | 61,156 | 69,272 |
みえ川越IC - みえ朝日IC | 25,933 | 48,416 | 59,055 |
みえ朝日IC - 四日市JCT | 27,398 | 50,314 | 60,802 |
(出典:「平成22年度道路交通センサス」・「平成27年度全国道路・街路交通情勢調査」(国土交通省ホームページ)より一部データを抜粋して作成)
伊勢湾岸道・新名神高速道路の開通に伴う交通量の変化 (PDF)
渋滞[編集]
名港トリトンのみが開通した当初は交通量が少なく、無駄な公共事業の代表例として取り上げられたこともある。2004年12月に実質的な全線開通(豊田JCT - 四日市JCT)[131]を果たし、伊勢湾岸道を介して東名 - 東名阪道が連絡されてからは交通量が大幅に増加した(2004年度の通行台数は2583.4万台と、前年比1151.4万台増であり、これは全ての高速自動車国道の中でも最大の増加量であった)[186]。伊勢湾岸道が全通する以前は豊田 - 四日市の移動は名古屋ICから東名阪道(現在の名二環)や名古屋高速を利用する必要があり、伊勢湾岸道の全通で東名高速の岡崎以東から名古屋IC間と名古屋市中心部の渋滞も若干緩和された[110]。さらに、2008年(平成20年)2月には新名神亀山JCT - 草津JCT間が部分開通したことで、東京・静岡方面と関西方面を行き来する車両の多くが東名・名神ルートから新名神ルートにシフトし、交通量が更に増加した[147]。ただし、そのあおりを受けて接続する東名阪自動車道の鈴鹿IC - 亀山JCT間で受け入れ容量超過により慢性的な渋滞が発生することになった[187]。一方、伊勢湾岸自動車道内の混雑は、コンテナターミナルに近接する飛島ICの大型トレーラーによる混雑が顕著であったが、2009年に飛島ICの下り線出口に飛島ふ頭方面出口を増設することで対応した[188]。
道路管理者[編集]
- 中日本高速道路株式会社 名古屋支社
- 豊田保全・サービスセンター : 豊田東JCT - 飛島IC
- 桑名保全・サービスセンター : 飛島IC - 四日市JCT
ハイウェイラジオ[編集]
- 豊田南(豊田JCT - 豊田南IC)
- 刈谷(豊田南IC - 豊明IC)
- 豊明(豊明IC - 名古屋南IC)
- 名港潮見(東海IC - 名港中央IC)
- 湾岸桑名(湾岸長島IC/PA - 湾岸桑名IC)
- 朝日(みえ川越IC - みえ朝日IC)
所管警察[編集]
地理[編集]
通過する自治体[編集]
接続する高速道路[編集]
- E1A 新東名高速道路(豊田東JCTで直結)
- C3 東海環状自動車道(豊田東JCTで接続)
- E1 東名高速道路(豊田JCTで接続)
- C2 名古屋第二環状自動車道(名古屋南JCTで接続)
名古屋高速3号大高線(名古屋南JCTで接続)
名古屋高速4号東海線(東海JCTで接続)
- C2 名古屋第二環状自動車道(飛島JCTで接続予定)
- E23 東名阪自動車道(四日市JCTで接続)
- E1A 新名神高速道路(四日市JCTで直結)
脚注[編集]
注釈[編集]
- ^ 木曽三川は河口付近で長良川が揖斐川に合流することから、河口を横断する伊勢湾岸自動車道は木曽川と揖斐川の二川横断である。
- ^ 『第3次愛知県地方計画』で名阪国道と称する道路は「東名阪道路」として調査中の高速道路のことである。なお『名古屋市将来計画/基本計画』1969年3月発行、60頁では「名阪高速道路」と称している。
- ^ 名四国道の抜本的補修工事は1993年12月に東名阪自動車道(現・名二環)の名古屋IC - 名古屋西JCTが連結されたことによる周辺道路網の渋滞が幾分緩和されたことによって1995年4月より実施された(『土木施工』第37巻第10号、1996年10月号、61-66頁。
- ^ 付加された6220 kmのうち、国土開発幹線自動車道(国幹道)が3920 km(第二東名、第二名神490 kmを含む)、一般国道自動車専用道路が2300 kmで、国幹道の場合、既存の7600 kmに今回策定の3920 kmを足した11520 kmが計画された(『高速道路と自動車』第30巻第10号、20-21頁および同誌第34巻第1号、46頁)。
- ^ 『愛知県公報』第404号、愛知県告示第785号、同786号、同787号、831頁。関係図書は愛知県庁で閲覧可。
- ^ 『愛知県公報』第404号、愛知県告示第785号、同786号、同787号、831頁。関係図書は愛知県庁で閲覧可。
- ^ 当時の豊田東ICは東名高速道路のインターチェンジだった。
- ^ 自動車が高速で安全に走るための道路にはそれなりのスタイル(幅、曲がり具合、勾配)を持つ必要があるが、この姿、形を幾何構造と呼ぶ(『東名高速道路』中公新書、池上雅夫、1969年5月25日発行、24-25頁
- ^ 第二東名、第二名神の路肩は左(第一走行車線側)3.25 m以上とされている。対する伊勢湾岸自動車道は左2.5 mである(『高速道路と自動車』2000年9月号、37頁と『環境影響評価書』愛知県、1989年4月、11頁<豊田市立図書館図蔵>の比較)。
- ^ 他の車種の割引額は、軽自動車等100円、中型車150円、大型車250円、特大車350円。
出典[編集]
- ^ “高速道路ナンバリング一覧”. 国土交通省. 2017年2月28日閲覧。
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- 中日本高速道路(株)中部地区企画調整チーム「紹介 中部圏の高速道路ネットワーク整備による交通の変化とその効果」、『高速道路と自動車』第49巻第2号、公益財団法人高速道路調査会、2006年2月、 31-35頁。
- 中日本高速道路(株)名古屋支社・西日本高速道路(株)関西支社「紹介 新名神高速道路 亀山JCT~草津田上IC間 開通後1年の交通動向と整備効果」、『高速道路と自動車』第52巻第8号、公益財団法人高速道路調査会、2009年8月、 41-44頁。
- 中日本高速道路(株)建設事業本部企画統括チーム「紹介 新東名高速道路の整備について」、『高速道路と自動車』第52巻第9号、公益財団法人高速道路調査会、2009年9月、 54-57頁。
- 中日本高速道路(株)名古屋支社「紹介 名古屋第二環状自動車道(名古屋南JCT~高針JCT)の開通」、『高速道路と自動車』第54巻第5号、公益財団法人高速道路調査会、2011年5月、 59-62頁。
- 中日本高速道路(株)名古屋支社「紹介 名古屋第二環状自動車道(名古屋南JCT~高針JCT)開通後1年の交通動向と整備効果」、『高速道路と自動車』第55巻第6号、公益財団法人高速道路調査会、2012年6月、 43-46頁。
- 中日本高速道路(株)名古屋支社(2016-5号)「紹介 新東名高速道路(浜松いなさJCT~豊田東JCT)の開通」、『高速道路と自動車』第59巻第5号、公益財団法人高速道路調査会、2016年5月、 36-40頁。
- 中日本高速道路(株)名古屋支社(2016-11号)「紹介 新名神高速道路(四日市JCT~新四日市JCT)、東海環状自動車道(新四日市JCT~東員IC)の開通」、『高速道路と自動車』第59巻第11号、公益財団法人高速道路調査会、2016年11月、 28-31頁。
- 呉菲・野竹壮一郎・古田俊彦「20歳を迎えた伊勢湾岸道路 伊勢湾岸道路の今昔物語」、『中部圏研究』第202巻、公益財団法人中部圏社会経済研究所、2018年3月1日、 95-103頁。
- 『技術報告会資料』は愛知県図書館で閲覧可(閉架)
- 山本邦夫・久賀英男・和田実「伊勢湾岸道路計画について」、『第23回 技術報告会資料 道路編』、建設省中部地方建設局、1974年8月、 25-39頁。
- 藤本豊明・足立義雄・水野英男「大型ケーソンの施工計画と揚水試験」、『第25回 技術報告会資料 道路編』、建設省中部地方建設局、1976年7月、 393-406頁。
- 伊藤順夫「伊勢湾岸道路名古屋港横断部の計画について」、『第26回 技術報告会資料 道路編』、建設省中部地方建設局、1977年7月、 79-86頁。
- 青山浩「川越~西二区間に於ける流動化検討結果及びその予測について」、『第33回 技術報告会資料 道路編』、建設省中部地方建設局、1984年8月、 85-92頁。
- 佐藤保・山田哲司・井川隆「金城高架橋の塗装について」、『第33回 技術報告会資料 道路編』、建設省中部地方建設局、1984年8月、 173-179頁。
- 『環境影響評価書』『都市計画決定について』は豊田市立図書館で閲覧可
- 愛知県 『環境影響評価書』 愛知県、1989年4月。
- 愛知県 『都市計画決定について』 愛知県、1988年。
- 荒牧英城「招待論文 第二東名・名神高速道路の計画と課題」、『土木学会論文集(No.444)』第16巻、土木学会、1992年3月、 1-9頁。
- 日本道路公団(年報H15) 『日本道路公団(JH)年報 平成15年版』 日本道路公団、2003年11月。
- 総務局企画部企画課 『名古屋市将来計画/基本計画』 名古屋市、1969年3月。
- イカロス出版 『東名高速をゆく』〈イカロスMOOK〉、2011年8月29日。ISBN 978-4-86320-484-3。
- 愛知県国際博推進局 『2005年日本国際博覧会 愛知県記録誌』 愛知県国際博推進局、2006年3月。
- 名古屋高速道路公社四十年史編集委員会 『名古屋高速道路公社四十年史』 名古屋高速道路公社、2012年3月。
関連項目[編集]
外部リンク[編集]
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- 独立行政法人 日本高速道路保有・債務返済機構
- 中日本高速道路株式会社
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