名港トリトン

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国道302号標識
名港トリトン
Meiko Nishi Bridges-2-edit.jpg
名港西大橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 飛島村名古屋市東海市
交差物件 名古屋港
建設 1980年4月[1] - 1998年3月30日[2]
座標 北緯35度03分05秒 東経136度50分02秒 / 北緯35.05139度 東経136.83389度 / 35.05139; 136.83389
構造諸元
形式 3径間連続斜張橋[3]
全長 2,628 m(3橋合計)[4]
6,100 m(全長:東海IC - 飛島IC)[4]
30 m(名港中央大橋)[3]
高さ 165 m(名港中央大橋主塔)[3]
最大支間長 590 m(名港中央大橋[3]
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
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名港トリトン(めいこうトリトン)とは、伊勢湾岸自動車道のうち、伊勢湾岸道路(国道302号愛知県東海市 - 海部郡飛島村間)の東海ICから飛島ICの間にある、3つの斜張橋の愛称である[5]

名港トリトンとその前後の取り付け区間は、高速道路として供用される以前より、一般有料道路「名港西大橋」として先行供用された経緯から[6]、東海IC - 飛島IC間の全線が高速自動車国道に並行する一般国道自動車専用道路となっている[7]

本項では、3橋とその取り付け道路を含む東海IC(西側出入口) - 飛島IC(東側出入口)間をまとめて解説する。


概要[編集]

名港トリトンの3橋の配置。左側の飛島IC側から西大橋、中央大橋、東大橋の順である。
橋からの光景は名古屋港が広がる。
路線は一般国道302号(一般有料道路)の扱いながら往復6車線で設計速度は100 km/hと高速道路規格で設計されている(東海IC付近)。

名古屋港(名港)の埋立地を東西に横断し、流通基地をはじめ工業地帯が点在する各ふ頭間を連絡する使命の他に、名古屋港と周辺工業地帯の有機的連携を目的として架橋された[8]。さらに、東名新東名東名阪新名神高速道路の短絡ルートを構成することから、東西主要都市間の直結ルートとしての役割も担っている[9]

1985年昭和60年)3月、名港西大橋暫定2車線対面通行により単体で供用開始された(後に伊勢湾岸道の豊田方面行き車線、片側3車線として供用)[10]1998年(平成10年)3月には伊勢湾岸道の開通に伴い、名港中央大橋(片側3車線ずつ計6車線)と名港東大橋(片側3車線ずつ計6車線)および名港西大橋(四日市方面行き片側3車線)がそれぞれ開通した[11]。これに伴い三橋の愛称を募集した結果、応募総数約2万通の中から「名港トリトン」が選ばれた。トリトン(Triton)とは、ギリシャ神話の海神ポセイドンアンピトリテの間に生まれた魚の尾を持つ半人半魚の王子で、トライデントを持ち、ほら貝を吹いて荒波を鎮めた海の守護神である。海神であることからのふさわしさと共に、「トリ」が「3つ」を意味する「tri-」に通じることから、3橋になぞらえる意味でこの愛称が採用された[12][13][14]

3橋は西側(飛島IC側)から、名港西大橋、名港中央大橋、名港東大橋の順に架橋されている。架橋されているふ頭と自治体は、木場金岡ふ頭(海部郡飛島村)、金城ふ頭(名古屋市港区)、潮見ふ頭(名古屋市港区)、新宝ふ頭(東海市新宝町)である[15]。名港西大橋が木場金岡ふ頭 - 金城ふ頭間、名港中央大橋が金城ふ頭 - 潮見ふ頭間、名港東大橋が潮見ふ頭 - 新宝ふ頭間にそれぞれ架橋されている。3橋は連続して架橋されていることから、名港トリトン進入の際に、A形の主塔が8つ居並ぶ光景を見ることが出来る[13]。3橋は貿易港たる名古屋港のゲートに位置し、フェリータンカー、貨物船など[16]、一日に約90隻の船が橋の下を通過する[17]

建設は主として日本道路公団(前後の取り付け道路は主として建設省)が担当した[18][19]。運営者はNEXCO中日本(当初は日本道路公団[20])である。

名港トリトンとその取り付け道路の内、金城ふ頭 - 東海IC間の事業費は1,500億円で[注釈 1]、この内の500億円については日本道路公団が発行する低利縁故債を地元が引き受けている[19]。当該区間の建設によって恩恵を受ける地元経済界に対し、応分の負担を求めるとの国の方針から、財界も協力することになったためである[21]

名港トリトンを含む東海IC - 飛島IC間6.1 kmは国道302号の一般有料道路である[22]。当該区間の1 km換算の通行料金は、その他の区間と比較して高めに設定されている。理由は、斜張橋に関わる工事費が高速道路平均の10倍以上を要し、工事費償還のために割高としているためである[6]。現状、東海IC - 飛島IC間が普通車870円で、これを伊勢湾岸自動車道弥富木曽岬IC - 湾岸桑名IC間(6.5 km)330円と比較しても2倍強の料金設定となっている[23](通行料金については後述)。

なお、伊勢湾岸自動車道と名港トリトンを含む一般有料区間の連続利用に関しては、一本の道路のようにそのまま通過できるが、境界となる飛島ICと東海IC付近には「ここから高速道路」「ここから一般有料道路」の案内標識が設置され、境界が視覚化されている[6](詳細は伊勢湾岸自動車道#概要を参照)。また、名港トリトンを含む伊勢湾岸道路には4つのインターチェンジ(東海IC名港潮見IC名港中央IC飛島IC)が設けられている。

名港トリトンを含む一般有料道路・伊勢湾岸道路(東海IC - 飛島IC間)の路線データは以下の内容である。なお、この区間は高速自動車国道の路線を指定する政令によって[24]東海IC - 名港中央IC間[7]第二東海自動車道横浜名古屋線、名港中央IC[7] - 飛島IC間が近畿自動車道名古屋神戸線に指定されている。

路線データ[編集]

  • 有料道路名 : 伊勢湾岸道路[25]
  • 路線名 : 一般国道302号[25]
  • 主な経由地 : 海部郡飛島村、名古屋市港区、東海市[25]
  • 道路区分 : 第1種第2級[25]
  • 車線数 : 6車線(片側3車線)[25]
  • 設計速度 : 100 km/h[25]

構想[編集]

船舶横断のため橋桁は十分な高さを取っている(画像は太平洋フェリー「いしかり(画像左)海難事故防止のため橋脚は防護柵で囲っている(画像右) 船舶横断のため橋桁は十分な高さを取っている(画像は太平洋フェリー「いしかり(画像左)海難事故防止のため橋脚は防護柵で囲っている(画像右)
船舶横断のため橋桁は十分な高さを取っている(画像は太平洋フェリーいしかり(画像左)
海難事故防止のため橋脚は防護柵で囲っている(画像右)
名港トリトンの3橋は当初はゲルバートラスト橋で構想された(画像は米国ルイジアナ州のミシシッピ川に架かるHuey P. Long橋)(画像左)ゲルバートラスト橋案の破棄後の名港中央大橋は当初、吊り橋式で計画され、その外観は米国カリフォルニア州のゴールデンゲート海峡に架かる金門橋に近いものとされた[26](画像右) 名港トリトンの3橋は当初はゲルバートラスト橋で構想された(画像は米国ルイジアナ州のミシシッピ川に架かるHuey P. Long橋)(画像左)ゲルバートラスト橋案の破棄後の名港中央大橋は当初、吊り橋式で計画され、その外観は米国カリフォルニア州のゴールデンゲート海峡に架かる金門橋に近いものとされた[26](画像右)
名港トリトンの3橋は当初はゲルバートラスト橋で構想された(画像は米国ルイジアナ州ミシシッピ川に架かるHuey P. Long橋)(画像左)
ゲルバートラスト橋案の破棄後の名港中央大橋は当初、吊り橋式で計画され、その外観は米国カリフォルニア州ゴールデンゲート海峡に架かる金門橋に近いものとされた[26](画像右)

構想段階では海底トンネル式および橋梁式とトンネル式両方の組み合わせも考案された。しかし、トンネル式では建設費が高く、換気や道路照明に要する費用も高額であることから採算性が劣るとされた[27]。また高潮による浸水被害が心配され、車両火災等のリスクも懸念された。さらに、海底から20 mという長い距離で泥土層が存在することで、トンネル構造物を支えきれないとされた[26]。そして海底トンネルであるために、危険物積載車輛の通行制限がかかることは、当該区間の利用交通がタンクローリー等の港湾業務に従事する車であることを考えた場合、利用実態にそぐわないことからトンネル方式は破棄された[26]。また橋との複合案も、トンネルと橋の移行区間で掘割となることで工業地帯の分断が生じ、急勾配(4.2 %)となることで走行性が劣ることから、こちらも破棄された。なお、複合案における移行区間は金城ふ頭が該当し、西大橋が橋梁式、ほかはトンネル式であった[27]

この点、全てが橋であれば、船舶追突防止対策のほか、場所によっては船舶の航路制限がかかるにしても、土地利用上の問題が少なく、美観的に好ましいことや港のランドマークともなりえることから、橋梁案が採用された[27]。ただし、橋梁案は船舶関係者からは安全面で憂慮されたことから、海難事故防止策として橋桁の最高潮位面高さを十分に取ることのほかに、海中の橋脚に防護柵を設置するなどの対策を講じることになった[28]。当初は橋脚で支えるゲルバートラスト橋で構想されたが、大型船の通過に橋脚が障害となることから、吊り橋式と斜張橋式に変更された[16]

橋梁案決定後、中央大橋建設区域の地盤に問題があることが判った。中央大橋は当初は水域内に主塔が1本のみで計画され(もう1本は9号地に近接設置[29])、これは船舶の航行条件による制約であった[30]。このため橋長1,560 m、中央径間780 mと規模が大きいために吊り橋式で計画された。吊り橋式はケーブルの張力を得るためにアンカーブロックとケーブルを連結させる必要があるが、当該区域にはアンカーブロックを支える支持岩盤が存在せず、これによるクリープ[注釈 2]が特に懸念された[31]。そして中央径間が長すぎることは事業費が多額で、9号地(現・潮見ふ頭)に計画されているインターが片方向しか造れないという問題もあった[30]。そこでやむを得ず中央径間を縮小することになり、航路の変更について海事関係者と協議した結果、了解を得た。これによって主塔は水域内に2本設置することが可能となり、併せて橋長が1,170 mに短縮された。この時も吊り橋案は生きていたが、最終的に工期や経済性に優れる現行の斜張橋式に変更された[30]。また、港湾を出入する船舶の支障なきよう、桁下空間を確保する意図から橋の中央部については海面から47 mの空間を確保した[32]

コンテナ基地と流通基地を控えて港湾交通需要が高いと見込まれることから西大橋を先行建設することになった(画像は飛島ふ頭のコンテナ基地)。

3橋の建設優先順位を決めるにあたり、コンテナ基地および流通基地を控えることによる港湾交通需要の高さ、および地元経済界から早期の建設を要望された経緯から[33]、木場金岡ふ頭と金城ふ頭を結ぶ名港西大橋が3橋の先陣を切って建設されることになった[34]。建設に当たっては、第一期と第二期に分けることになり[35]、第一期として北側(現・上り線)の橋のみが建設され、暫定往復2車線として1985年3月に供用開始した[19]。独立2橋並列とされたのは、第一期と第二期として分離施工するうえで施工プロセスおよび経済性に問題がなかったためである[36]。一方で、名港東大橋並に幅広の主塔を構築して、その中心部に暫定的に細幅の道路を載せて第一期線とする案もあったが、ケーブルを全完成時点の仕様で張ることから、つり合い荷重を必要とし、第二期線の建設(道路を左右に拡幅する)が大変困難になることで破棄された[36]。一方で、上下に道路を構築する案もあったが、一期線建設時点で約90 %の建設費を要することから、こちらも破棄された[36]

名港西大橋および残り2橋の以上に見る構想および調査は進展したものの、実際の着工は西大橋のみで、残りは着工の目途さえ立たなかった。しかしながら、西大橋単独の開通では港湾物流も全く機能せず、採算面でも劣悪で、この状況を一刻も早く脱するためには残り2橋を含む豊田 - 四日市間の全線早期開通が望ましいことから、地元の要請を受けた国はここに来て重い腰を上げることになった[37]。ただし、財政難であることから国は早期着工の条件として地元経済界にも応分の負担を求めることになった。具体的には、日本道路公団が発行する公団債を地元経済界が低利で引き受けるという内容で[38]、国からは無利子金投入、民間からは低利の資金を投入することで建設に弾みを付けて内需拡大につなげるという、当時の内閣総理大臣中曽根康弘の肝いりの政策であった[39]。これによって停滞していた残り2橋も1986年3月には政府自民党によって計画の推進が決定した[39]

構造[編集]

主塔は下部工の負担を和らげる意図からA形を採用。左が東大橋、右が中央大橋。中央大橋主塔の断面は八角形で、耐風安定性に配慮した。基部は塔柱間隔を絞り込んでいるため、西大橋とは印象が異なる。 主塔は下部工の負担を和らげる意図からA形を採用。左が東大橋、右が中央大橋。中央大橋主塔の断面は八角形で、耐風安定性に配慮した。基部は塔柱間隔を絞り込んでいるため、西大橋とは印象が異なる。
主塔は下部工の負担を和らげる意図からA形を採用。左が東大橋、右が中央大橋。中央大橋主塔の断面は八角形で、耐風安定性に配慮した。基部は塔柱間隔を絞り込んでいるため、西大橋とは印象が異なる。
橋桁は薄型偏平六角形として耐風安定性、ケーブルの定着性に配慮[40]。主ケーブルとの連結は外側腹板に定着鋼管を割り込ませる方式である。

主塔[編集]

主塔は、美観向上の意図の他に、軟弱地盤に建設されることから重量軽減のためにA形タワーとされ[41]、最初に建設された西大橋のみ、橋軸中心線基準で45m分離した独立2橋並列とされた[41][42]。これは先述通り、北側(上り線)の橋のみ先行供用として、南側は段階施工とするためである[42][43]

主塔の基部(底辺)は、西大橋は塔上部からストレートで基部に達し、その形状はAであるのに対し、中央大橋と東大橋は基部で塔柱間隔を絞り込んでいる[44]。基礎は海面下40 mと深いことから、工事に当たり気圧による障害防止の観点からヘリウム混合空気マスクを着用しての作業となった[13]

タワーは東側の橋が青、中央が白、西側が赤のトリコロールカラーで塗装されている[45]。最初に建設された西大橋は誘目性、視認性、港のシンボルを考慮して赤とされた[46]。後年になって3橋がグランドオープンするに伴い、色彩に新たな検討を加えることになった。結果、連続する3つの斜張橋は海外にも例がないことから、この景観資源を生かし、港のゲート性を強く印象づけるためにも公団主催の検討委員会の提言によって3橋の色彩を別々にすることになった[45]。これによって、西大橋は親しまれた赤をそのまま踏襲し、中央大橋は伸びやかさの白、東大橋はさわやかさな空と海の青が採用された[13]。また、橋桁は当初は赤だったものが[46]、中央と東の完成によって連続性を出すために、3橋とも白とされた[45]

橋桁[編集]

橋桁は桁高さを抑えて重量軽減を図り、ケーブルの定着性向上と耐風安定性の観点から薄型偏平六角形の箱型構造である[40]。主塔の断面は西大橋の四角[47]から中央では八角形に変更、橋桁は薄型の逆台形として[48]その両端は飛行機のフラップにも似た形の抑流板を取り付けたが[49]、いずれも風洞実験の結果をフィードバックしたもので、伊勢湾台風以上の暴風に対処できる構造とされた[13]。なお、橋桁およびタワー、基礎(ケーソン)の鋼材は三重県津市の日本鋼管(現・JFEエンジニアリング)で製作され、これを名古屋港までえい航している[50][51]

3橋の中で橋桁が最も高いのが中央大橋で、水面(最高潮位面)から47 m、次いで東大橋の40 m、西大橋が38 mである[28]。これと連動して中央大橋の路面高さが最も高くなっている。

ケーブル[編集]

主塔から伸びるケーブルは17本ずつで重さ2万トン以上の橋桁を支えている[13]。中央大橋の場合、直径7 mmの亜鉛めっき銅線を397本束ねて直径17 cmの一本のケーブルとしてまとめている。ケーブルは樹脂で被覆して塩害対策を施し、寿命を100年と想定している[13]。また、中央大橋だけは主塔に合わせて片側17本のケーブルを主塔と同色の白いフッ素被膜で覆い[52]、これが夜間のライトアップでは幻想的なイメージを醸し出している[13]。なお、西大橋は、12本ずつのケーブルによる2面吊りである[41]

名港西大橋 名港中央大橋 名港東大橋
名港西大橋
名港中央大橋
名港東大橋

3橋の諸元[編集]

名港トリトンは以下の斜張橋をさす。

名港西大橋[編集]

  • 橋長:758 m[5]
  • 中央径間:405 m[5]
  • 桁下:38 m
  • 塗装:赤

名港中央大橋[編集]

  • 橋長:1,170 m[5]
  • 中央径間:590 m[5]
  • 桁下:47 m[5]
  • 塗装:白

名港東大橋[編集]

  • 橋長:700 m[2]
  • 中央径間:410 m
  • 桁下:40 m
  • 塗装:青[45]

歴史[編集]

名港トリトンを含む東海 - 飛島間は名古屋環状2号線の一部として構想された。のちに飽和状態の国道23号(名四国道)の海側にバイパスを造り、東名高速豊田と東名阪四日市を連絡するために第二名四国道が構想され、名四東IC - 飛島間で環状道路と並行することとされた。並行区間はのちに統合され往復6車線となった。路線名やインター名は計画当時の名称。
名港西大橋は当初は左側の橋のみ建設された。1998年3月までは西大橋のみの開通のため、時間短縮効果のメリットはなく、港湾物流関係者にとっては無用の長物であった[53]

名港トリトンとその取り付け道路(東海IC - 飛島IC間)は名古屋環状2号線の海上区間であり、あくまで環状道路の一部分として構想された[6]。その起源は1960年代半ばで、名古屋市を取り巻く名古屋環状2号線の南側が名古屋港を横断することが具体化したことに端を発している[54]。1967年3月の名古屋環状2号線(一部)の都市計画決定にあたって、陸上区間は現行ルートに決定されたが、東海市と海部郡飛島村を結ぶ海上区間については路線計画が進んでいないために計画から除外された[55]。この時点では、海上区間は臨海工業地帯の適地を横断する、といった程度の構想に過ぎなかった[56]。この時は9号地(現・潮見ふ頭)にインターの計画はなく、13号地(現・金城ふ頭)はダイヤモンド型インターで計画されていた[57]

やがては並行する国道23号と国道1号の慢性的な渋滞を緩和する意図から、海上区間を東西に延ばして[34]、東側は東名高速豊田JCT、西側は東名阪自動車道四日市JCTまでつなげることで、名実ともに国道23号線のバイパス(第二名四国道)とすることになった[58]。この内、名古屋南JCT - 飛島IC間が環状道路と第二名四国道が重複し、当初は両道路を上下に並行して建設することとされ、環状道路が往復6車線、第二名四国道が往復4車線の合計10車線とされた[58]。しかしながら、名古屋港通過箇所は橋の規模が大きくなり、建設費が3千数百億円と事業化の見通しが得られないことに加えて、交通量の将来予測が見込みよりも減少することが明らかとなった。このため、1976年には両道路を統合して、シングルデッキの往復6車線に変更した[58]。この時点では一般有料道路としての規格であったが、1989年に第二名四国道が高速道路(新東名新名神高速道路)に昇格したことを受けて[59][60]、重複する国道302号東海IC - 飛島IC間も高速道路規格の構造に変更され、橋梁の横幅も拡大されるに至った。橋梁は当初は設計速度80km/h規格であったが[35]、この変更を受けて100 km/hとされた[61]

1985年3月20日、3橋の先陣を切って名港西大橋(北側・現在の上り線)が暫定往復2車線にて、有料道路「名港西大橋」(路線名は一般国道302号)として供用開始された[18]。この時は金城ふ頭側に料金所が設置された[62]。なお、その翌日より金城ふ頭で開催された「輸入博」(ワールド・インポート・フェア・ナゴヤ)は西大橋開通に合わせたイベントとして企画された[62]。当時の西大橋の利用台数は1日平均1,700台で、事業主体の日本道路公団の当初予測たる8,900台を大幅に下回った[53]。事業費185億円[42]に対して全くの赤字経営で、会計検査院による調査が入るなど、投資対効果の点で疑問が付された[53]。地元経済界の強い要請で先行建設された割には、蓋を開けてみれば、西大橋の主要な収入源と目論んでいた港湾物流業界から全く見放された格好であった。木場金岡ふ頭(当時は西二区と称した)と金城ふ頭間の約3 kmだけを走るために、片道1,400円(特定大型車)の通行料金を払ってまで利用する価値は希薄であり、それなら、たとえ常時渋滞すると判っていても、並行する国道23号を無料で走る方が経費節約となるためであった[53]。当時の西大橋は行楽客主体の利用で、伊勢湾に沈む夕日を見るための隠れたスポットであって、料金収入に結びつかないこれらの利用方法は公団関係者にとって頭痛の種であった[53]

名港トリトンはあくまでその前後を高速道路で直結のうえ、東名高速と東名阪自動車道を連絡してこそ、その真価を発揮できるのであって[53]、実際、1998年3月の3橋のグランドオープンおよび名古屋南IC - 東海IC間が供用開始した後も依然として赤字経営であった[20]。しかし、1986年時点における逆風のさなかにあっても、建設省は3橋を境にして名古屋南IC直結(すなわち国道23号に連結)で1日交通量約2万台、続くみえ川越ICまでの開通(同様に国道23号に連結)で約4万台、そして最終的に東名高速と東名阪自動車道の連結で約6万台と強気の予想通行量を算出した[63]。結果として、伊勢湾岸自動車道全線開通後の2011年の交通量は約8万台を記録し[17]、予測を上回る好成績を叩き出すこととなった。このことは、高速道路とは一定のネットワークを形成して初めてその真価を発揮することを示し[64]、その中間部分(名古屋港の横断部分)だけを構築してもほとんど意味を成さないことを名港トリトンの歴史は如実に示している。

年表[編集]

  • 1964年(昭和39年)5月 : 名古屋港管理組合は名古屋環状2号線が名古屋港を横断することが具体化したことから港湾計画に反映[54]
  • 1969年(昭和44年)4月 : 名古屋環状2号線の名古屋港横断箇所(海上区間)について建設省直轄の幹線道路整備計画の一環として調査開始[18][65]
  • 1973年(昭和48年)
    • 4月 : 海上区間の大規模特殊事業調査を推進。名古屋港A水域(西二区と金城ふ頭間)の横断構造物を中央径間405 mの斜張橋とする案が具体化[18][65]。ただし、トンネル案は引き続き検討[33]
    • 9月4日 : 建設省中部地方建設局は名古屋環状2号線・第二名四国道の海上区間を当初の海底トンネル式から橋梁式に変更するための調査費を含む来年度予算要求の概要を発表[26]
  • 1976年(昭和51年)8月30日 : 建設省で名古屋港3大橋の予備設計が開始。ゲルバートラスト橋案を完全破棄して斜張橋と吊り橋案で計画推進[16]
  • 1979年(昭和54年)8月10日 : 名古屋環状2号線海上部が都市計画決定(L=9.83 km)[10]
  • 1981年(昭和56年)11月 : 名港西大橋一期線の起工式を仲谷愛知県知事、本山名古屋市長臨席のもと名古屋市国際展示場で挙行[66]
  • 1985年(昭和60年)
  • 1986年(昭和61年)3月22日 : 政府自民党は中央大橋、東大橋を含む豊田市 - 四日市市間の建設推進を正式決定[39]
  • 1987年(昭和62年)
    • 6月15日 : 9号地(現・潮見ふ頭)の企業移転に絡んだ用地交渉が合意[67]
    • 11月20日 : 東海市新宝町 - 金城ふ頭間3.9 kmの事業許可が建設大臣より下る[19]
  • 1990年(平成2年)4月4日 : 金城ふ頭 - 東海IC間の起工式が鈴木愛知県知事、西尾名古屋市長臨席のもと名古屋市国際展示場で挙行[68]
  • 1994年(平成6年)11月24日 : 名古屋市市議会で計画局長が名港三大橋の夜間ライトアップを計画していることを表明[69]
  • 1996年(平成8年)6月22日 : 名港中央大橋の主桁が閉合[70]
  • 1997年(平成9年)
    • 6月17日 : 名港西大橋二期線の主桁が閉合し、これで3橋が全てつながった[71]
    • 7月20日 : 三大橋の愛称を一般公募により、岐阜県出身の塾講師が考案した「名港トリトン」に決定。21日に表彰式を挙行[72]
  • 1998年(平成10年)
    • 3月21日 : 東海IC - 名港中央大橋間で「開通記念サイクリング大会」を挙行[73]
    • 3月30日 : 東海IC - 名港中央IC(名港東大橋、名港中央大橋)が15時開通[11]。併せて名港西大橋の二期線(南側の橋)が供用され、一期線も3車線化された[11]

通行料金[編集]

名港トリトン(伊勢湾岸道路)は一般国道302号であるが、東海IC - 飛島IC間は有料区間であるため、通行料金が発生する。

伊勢湾岸道路(東海IC - 飛島IC)のみの利用では、全区間利用で870円、区間利用は、東海IC - 名港中央ICで570円、名港中央IC - 飛島ICで310円となっており、いずれもキロ当たりの料金は他の高速国道と比べ割高に設定されている[23]。また、伊勢湾岸道路を全線利用し、その前後の高速国道(伊勢湾岸自動車道)を連続利用する場合は、東海IC - 飛島IC間の料金から普通車で150円引きとなる[74]ETCでなくとも適用されるため、料金検索では本割引適用後の額を通常料金として表示している。ETC時間帯割引障害者割引は、本割引適用後の料金に対して重複適用する[74]

ライトアップ[編集]

3橋は夜間の一部時間帯にライトアップを実施している。

ライトアップは地元負担とされ、ライティング用機材6億円は名古屋港管理組合が負担し、電気代も同組合が負担している[45]。日本道路公団(現、NEXCO中日本)は高額な斜張橋の建設費が通行料金に跳ね返っていることからライティング費用の負担については消極的である[69]

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 名港西大橋一期線は185億円(『中日新聞』1985年3月20日夕刊、1面)
  2. ^ 吊り橋に見られる現象で、荷重が当初は一定に保たれても時間と共にひずんでいく現象。

出典[編集]

  1. ^ 名港西大橋編集委員会 1986, p. 2.
  2. ^ a b 名古屋港開港100年史 2008, p. 342.
  3. ^ a b c d 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 1989, p. 384.
  4. ^ a b 名古屋港開港100年史 2008, pp. 341 - 342.
  5. ^ a b c d e f 『日本の名橋 完全名鑑』廣済堂出版、2013年3月、pp.76-78、ISBN 978-4-331-80222-9
  6. ^ a b c d “1ヵ所で最大13個・・・運転ご用心 伊勢湾岸「標識」道路? 高速と接続し「規制」強化”. 朝日新聞(名古屋)朝刊. (1998年3月4日) 
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参考文献[編集]

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  • 名港西大橋編集委員会(写真集) 『名港西大橋写真集』 日本道路公団名古屋建設局、1985年 
  • 名古屋港開港百年史編さん委員会 『名古屋港開港100年史』 名古屋港管理組合、2008年 
  • 名古屋港管理組合三十年史編集会議 『名古屋港管理組合三十年史』 名古屋港管理組合、1984年3月30日 
  • 名古屋港史編集委員会 『名古屋港史 建設編』 名古屋港管理組合、1990年3月31日 
  • 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 『三十年のあゆみ』 名四国道工事事務所、1989年 
  • 『人・モノ・情報の交流促進をめざして 高規格幹線道路&地域高規格道路』愛知県建設部道路建設課、2012年4月(パンフレットのためページ数なし・愛知県図書館蔵)
  • ぎょうせい 『道路法令総覧 平成28年版』、2015年ISBN 978-4-324-10011-0 
  • 名古屋環状二号線整備促進期成同盟委員会による以下の3資料は3冊を1冊にまとめた合冊製本である(愛知県図書館蔵)。
    • 名古屋環状二号線整備促進期成同盟委員会 『名古屋環状2号線のあらまし』、1967年 
    • 名古屋環状二号線整備促進期成同盟委員会 『名古屋環状2号線のあらまし 昭和44年6月』、1969年 
    • 名古屋環状二号線整備促進期成同盟委員会 『名古屋環状2号線のあらまし 昭和45年5月』、1970年 
  • 名古屋高速道路公社20年史編集委員会 『名古屋高速道路公社二十年史』、1991年 

関連項目[編集]