名港中央大橋

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動先: 案内検索
名港中央大橋
名港中央大橋
基本情報
日本の旗 日本
所在地 愛知県名古屋市
交差物件 名古屋港
建設 日本道路公団
座標 北緯35度3分12秒 東経136度51分37秒 / 北緯35.05333度 東経136.86028度 / 35.05333; 136.86028座標: 北緯35度3分12秒 東経136度51分37秒 / 北緯35.05333度 東経136.86028度 / 35.05333; 136.86028
構造諸元
形式 斜張橋
材料
全長 1,170m
34m
高さ 190m[注釈 1](主塔)
最大支間長 590m
地図
名港中央大橋の位置(愛知県内)
名港中央大橋
名港中央大橋の位置(名古屋市内)
名港中央大橋
関連項目
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式
テンプレートを表示

名港中央大橋(めいこうちゅうおうおおはし)は、伊勢湾岸自動車道伊勢湾岸道路の名港潮見IC名古屋市港区潮見町)から名港中央IC(名古屋市港区金城ふ頭)の間にある橋梁。名古屋港を横断する名港トリトン名港東大橋、名港中央大橋、名港西大橋)のひとつである[1]

概要[編集]

名港中央大橋(以下、中央大橋と表記)は名古屋港の人工島である金城ふ頭と潮見ふ頭に跨る橋長1,170m、中央径間590mの鋼斜張橋である[2]。また、名古屋港を航行する大型船の航行を考慮して海上面47mの空間を確保するなど、支間長、高さ共に名港トリトンでは最大規模である。1989年12月に基礎工の施工に着手してから主桁の併合までに約7年を要した[3]

中央大橋が架橋されている水域は中央部に北航路(水深12 m)が設定され、ここは潮見ふ頭や金城ふ頭に着離桟する大型船が相当数航行する[4]。北航路以外は小型船が航行し、1日あたり数百隻の船がここを通る[4]。名古屋港のメイン航路だけに大型船を通過させるだけの橋梁規模を有するのが中央大橋である。それは高さに限らず、北航路以外も航路であることから橋脚と主塔の間隔が非常に長く、本橋を特徴づける一要因となっている[5]

本橋は3径間連続斜張橋であり、A形の2本の主塔とその両端の橋脚により構成される。本項では日本道路公団(現・NEXCO中日本)の呼称に従い[6]、金城ふ頭側の橋脚をP-1、同主塔をP-2、潮見ふ頭側主塔をP-3、同橋脚をP-4として記述する。

歴史[編集]

名古屋港横断道路の構想は1964年5月の名古屋港管理組合が策定した港湾計画に端を発し[7]、これが名古屋環状2号線に組み込まれて環状ルートの一部を形成するに至った[8]。やがては産業道路として混雑をきたす名四国道のバイパスとして豊田市四日市市間に第二名四国道が計画され、この内の名四東IC(現・名古屋南JCT) - 飛島IC間で環状2号と並行することとされ、両道路を併せて往復10車線の道路となった。のちに事業費を圧縮するために両道路は統合されて往復6車線の道路となった。さらに第二名四国道は国と自治体の思惑が合致したことによって第二東名、第二名神高速道路の一部に組み込まれた[9][10]

P-4橋脚がリノール油脂(現・日清オイリオグループ)の専用桟橋にかかることから画像のように南側にずらす対策を講じた[11]

以上に見た経緯と連動して、名古屋港横断道路の構想は激しく変化した。1964年当初は「夢の大橋で結ぶ」と報道されたが[7]、しばらく経過すると大橋あるいはトンネル方式とされた[12]。そこへ往復10車線の構想が割り込むことで、橋梁、トンネルの区別なく膨大な構造で計画されるに至った[13]。やがて海上横断道路は往復6車線に縮小され、ほぼ同時期に橋梁式に転換された[13]。つまり、金城ふ頭と9号地(現・潮見ふ頭)間の横断形式は構想も含めて、橋梁→トンネル→橋梁の複雑な経過を辿ることになった[14]

橋梁に決定すると、西大橋と東大橋は斜張橋で中央大橋のみ吊り橋式とされたが、これは北航路(当時は内港航路と称した[15])の位置が当時は9号地寄りにあって[16]、必然的に支間長が長大化することで斜張橋とするには難易度が高かったためである。しかし、吊り橋に必要なアンカレイジを支えるに必要な地盤がこの付近には無いことが問題化し、これによるクリープ(荷重が当初は一定に保たれていても時間と共にひずみが増す現象)発生が懸念されたことから、地盤が受ける負担の軽減を狙って支間長を縮小することになった[16]。また、支間長が長すぎることは、9号地のインターチェンジが片方向アクセスとなることでサービスレベルダウンとなることから、橋の長さを縮小することは是非とも必要な対策であった[16]。これらの問題を払拭するために、名古屋港管理組合は北航路位置の変更を決定し、この結果、9号地に計画された東側の主塔は水域(金城ふ頭側)へ移動することで、支間長は1560 mから1170 mへと縮小された[17]。この変更を受けて9号地インターは両方向アクセス方式に変更された[16]。橋梁規模縮小によって斜張橋式の採用が可能となったことで[6]、吊り橋案と斜張橋案で検討した結果、工期、経済性に優れる斜張橋案が採用された[17]。決定は1985年5月である[18]。なお、中央径間縮小によってP-4橋脚が西へ移動してリノール油脂(現・日清オイリオグループ)の専用桟橋(15000重量トン級1バース)と重なることから、桟橋を南へずらす配置変更計画を1987年に策定している[11]

本橋は名古屋環状2号線の一部を構成するが、建設計画の面では名古屋環状2号線の中にあって大きく出遅れた。海上区間を橋梁かトンネルで跨ぐ点のみが論じられ、具体的な調査は1973年に入ってからであった[17]。それも国の財政難と架橋反対を唱える船舶関係者への対応が原因であった。そして上述の如く1978年に橋梁案が正式決定されるとまたもや船舶航行に重大な障害が生じるのではないかという警戒論が出された[19]。このため、名古屋港管理組合は船舶航行に一切の障害、危険を生じさせないために中部地方建設局に種々の申し入れを行い、最終計画案に反映させた。この中で中央大橋については最高潮位面から橋桁までの高さは47 mを確保、52番バース前面にターニングベースン(船が回頭する場所)を設置する、海中に防護施設を設けることなどが盛り込まれた[19]

構造[編集]

諸元[編集]

  • 橋長 : 1170 m[20]
  • 支間割 : 290 m+590 m+290 m[2]
  • 桁下空間 : T.P+47 m[21]
  • 基礎 : P-1、P-4 : 場所打鉄筋コンクリート杭 P-2、P-3 : ニューマチックケーソン[22]
  • 型式 : 3径間連続鋼斜張橋[20]
  • 主桁 : 変形六角形箱桁[20]
  • ケーブル : セミパラレルワイヤー 直径7 mm[23]

下部工[編集]

支持層は海部弥富累層(あまやとみるいそう)で[24]、その深さは海面下50 mにあって[25]名港トリトンでは最も深い[26]。3大橋の地層断面は東海層群が基礎を成し、東大橋付近でT.P-30 m付近であるが西に向かうほど深く傾斜することから、それよりも浅い位置にある海部弥富累層に支持を求めた。当該地層はよく締まった砂礫層である[27]

基礎形式は海中部橋脚のP-2、P-3がフローティング工法によるニューマチックケーソン、端部橋脚のP-1、P-4が現場打ちコンクリート杭である[28]。P-2、P-3では鋼管矢板基礎と地中連続壁基礎も検討されたが、中央大橋区域は船舶の航行が多く、鋼管矢板基礎方式では広範囲の作業スペースを要することで航行禁止区域が大きくなる[27]。一方の地中連続壁基礎は海上に島を築いてからケーソンを沈めることから、水深12 mの水域で施工するには莫大な工事と地盤改良を要することで、いずれも不採用となった[27]。この点フローティング工法は築島を必要とせず、鋼殻ケーソンを海の浮力で浮かせてから海底に着底させるだけなので施工性、工事費ともに有利であることが採用の決め手となった[27]。ただしニューマチックケーソンの問題点は、ケーソン底部の作業室に高圧の圧縮空気を送り込むことから[25]窒素酔いもしくは潜函病発症のリスクが付きまとうことである。海面下50 mでは作業気圧が4気圧以上となって安全に作業出来る3気圧を上回る[25]。作業室に地下水を流入させないための高圧圧縮空気の封入であることから、事前に地下水を汲み上げてしまえば海面下40 m以下でもそれほど高圧の圧縮空気を送り込む必要はなくなる。よって、ケーソン周辺に大深度の井戸を掘って揚水のうえ地下水位を下げる作業(ディープウェル工法)が併用された。ただし過度の揚水による周辺埋立地の地盤沈下が懸念されたことで、ケーソン周辺のみ揚水するために薬液注入による遮水壁を構築した[29]

ケーソン鋼殻を沈下させるにあたり、安定的な沈下を期するために海底の地盤改良を行った。沈下予定地は軟弱な沖積粘土層があって、これを海底から概ね10 mの位置まで砂を複数打ち込む工事(サンドコンパクション)を行うものである。打ち込みによって土が盛り上がり、これを含め不良土として回収したうえで厚さ2 mの砕石に置き換えることで地盤が改良される。これにより地盤支持力が強固となってケーソン鋼殻の安定沈降が可能となった[30]

主塔・橋脚[編集]

画像左 : 主塔上部は原則単ブロック溶接接合としたが水平梁上部はHTB接合である。ボルトで接合しているのが判る[31]。画像右 : 下部工(基礎)の寸法を極力小さく抑えるために主塔下段水平梁以下をV字形に絞り込んだ[31]。 画像左 : 主塔上部は原則単ブロック溶接接合としたが水平梁上部はHTB接合である。ボルトで接合しているのが判る[31]。画像右 : 下部工(基礎)の寸法を極力小さく抑えるために主塔下段水平梁以下をV字形に絞り込んだ[31]。
画像左 : 主塔上部は原則単ブロック溶接接合としたが水平梁上部はHTB接合である。ボルトで接合しているのが判る[31]
画像右 : 下部工(基礎)の寸法を極力小さく抑えるために主塔下段水平梁以下をV字形に絞り込んだ[31]

主塔は規模が大きいため、基礎の寸法を極力縮小するために主桁を載せる下段水平梁より下層はV字形に絞り込んでいる[31]。主塔の色は大白鳥が羽根を広げたイメージとして白とした[32]

中央大橋は名古屋港のメイン航路上に架橋されたことから、大型船の航行を考慮して主桁は概ね海面上50 mの高さである。その関係で主桁を支える主塔も他の2橋よりも高くなっている[33]。その規模は190 m(T.P 基準では195 m)である[34]。その高さから有害な発散振動の発生が風洞実験によって確認されたことで、中央大橋に限って塔断面を八角形とした[35]

架設工事は塔下層柱(高さ35 m)を主塔基部に据え付けることから始まった。V字形の柱2本が建ってから主桁を支える下段水平梁を架設し[36]、この時点で後述の海中ベントを建てて主桁大ブロックをベントに載せる工事が開始された[37]。従って主塔が完成してから主桁を架設したのではなく、主塔が上に伸びていく過程と並行して主桁も架設されたのである。下段水平梁より上は西大橋や東大橋のように工場でA形に組み上げたのち、現場に曳航して一括で架設[38]、完成するプロセスが中央大橋では採用出来なかった。主塔規模が大きすぎるためで、このため上部柱を29ブロックに分割の上、P-2はクローラークレーン、P-3はタワークレーンで1ブロック毎に吊り上げて溶接接合した[36]。ただし、上下水平梁上部はHTB(高力ボルト)で接合した[31][39]

P-1橋脚(金城ふ頭側)。あおなみ線の施設と比較すると橋脚の巨大さが判る。
P-2主塔(金城ふ頭側)。
P-3主塔(潮見ふ頭側)。
P-4橋脚(潮見ふ頭側)。


主桁[編集]

耐風安定性、ねじり変形、軽量化、維持管理対策から1箱桁形式を採用[40]。その断面は両端にフェアリングを取り付けた薄型六角形である。画像は主桁の併合部分である。ブロックを傾斜させながら吊り上げて併合した。

斜張橋のため風による振動が特に心配されたことから風の抵抗を軽減できる薄型を採用した。そして自動車や風等によるねじり変形に抗する強度確保や塗装等メンテナンスの容易さから一体型の多室箱型とされ[41]、両端に鋭角のフェアリングを取り付けた六角形が選択された。主桁両端にてケーブルを連結して吊り上げる2面吊り方式である。全幅は37.5 m、全高は3.5 mである[42]。また、メイン航路に架橋されることから主桁も非常に高く、T.P+63 m[40]、桁下空間は55 m[43](航路空間は47 m)である。

主塔高さもさることながら、中央大橋が他の2橋と大きく異なるのはその径間比である。側径間(P-1とP-2間、P-3とP-4間の径間)も航路となっていることから中央径間(P2とP3間)と並んで側径間も長く、その径間割は290 m+590 m+290 m(側径間と中央径間の比率は1:2)である。このレベルまで長いと側径間に自動車を載荷したあかつきには主桁が重量で沈み込むことで主塔が側径間側へ大きく変形する[44]。さらに中央径間の主桁が盛り上がることで主桁も大きくたわむ。この変形を抑え込むために当初設計段階では中央径間中央に重量物を載荷することが検討された[45]。この場合、重量増によって架設機材が大型化することに加え、下部工の負担が増すなど不利な要素が多く、ケーブル配置や張力を工夫することで対応することとして重量物は載荷なしとした[44]

主桁架設は金城ふ頭側が水中ベント(Bent : 橋脚を意味するが日本では仮支柱をベントと呼ぶ。ステージングともいう[46])併用による張り出し架設工法(Cantilever : カレンチバー[47][48])、潮見ふ頭側がバランスド張り出し架設工法[48](バランシング工法)を採用した[49]。金城ふ頭側の場合、水中ベントを主塔近辺に設置のうえ、フローティングクレーン(船に載ったクレーン[50])によって主桁3ブロック(全長116 m - 150 m)を水中ベント上にまとめて載せた後にケーブルと連結させる[36]。つまりケーブル連結までは水中ベントで主桁を支える。内港航路にはベントを設置できないことから、架設した主桁に架設クレーンを置き、台船に積まれた主桁単ブロックを架設クレーンで吊り上げて連結し、併せてケーブル架設も行うことで[51]主桁は少しずつ中央部に向かって張り出されていく[52]。一方、潮見ふ頭側では航路の関係上水中ベントを設置出来ないためにバランシング工法を採用した[53]。P-3主塔両脇に斜ベントを設置してフローティングクレーンで主桁大ブロックを載せる。その後左右均等に単ブロックを継ぎ足し、左右のバランスを取りながら少しずつ主桁を伸ばしていく工法である。このバランスが崩れると一方に負荷がかかって主塔が曲がるなどの悪影響を及ぼす[52]。こうしてP-2、P-3の両主塔から伸長した主桁は最後の単ブロックを吊り上げることで併合する。この際、主桁接合を容易化するため左右の主桁をそれぞれ陸側に移動(セットバック)して左右主桁の間隔を押し広げる。台船から吊り上げた主桁は水平に吊り上げてははまらないため、一方を下げて傾斜しながら吊り上げて所定高さで水平を回復、セットバックを開放して左右主桁を中央に寄せて併合した[54]。1996年6月22日のことで、中央大橋が下部工を発注してから7年目のことであった[54]

主桁架設工法を示す図。張り出し架設工法を採用したが、P-2側はベント(ステージング)併用、P-3側は水中ベントが建てられないのでバランシング工法を採用した。ケーブルを主桁架設中でも活用できることがマルチケーブル方式斜張橋の大きなメリットである。
図の出典:『土木技術』Vol.53・No.5、1998年5月号、30頁

ケーブル[編集]

セミパラレルワイヤー(New PWSとも呼ばれる[55])で、直径7 mmの亜鉛メッキ鋼線を平行に束ね[23]、これを179本から398本までに結束したものを都合10種類製作した[2]。最も太いケーブルは直径173 mmで、最少は124 mmである[2]。主塔側を細いケーブルとして、そこから離れるに従って太くしている[2]。また最も太いケーブルは1本で2445 tの重量を支える強度があるが、全体では136本のケーブルで136000 tの重量を支えることが出来る[56]。ただし、安全率を高めに取っていることから実際はその2倍の強度を有する[56][23]。なお、ワイヤーにねじりを加えてその上から防錆、ケーブル保護のために高密度ポリエチレンを直接押し出して被覆したが、さらにその上に夜間におけるライティング効果を高めるためにフッ素樹脂を被膜してケーブルカラーを白とした[3]。このように中央大橋では主塔、主桁、ケーブルの全てが白で統一されている。

ケーブルは主塔から放射状(ファン型)に伸びて主桁に連結している。主桁の両サイドで連結する2面吊り方式で、17本(17本が8面あるため合計136本)のケーブルで支えるマルチケーブル配置である[2]。複数本あることから先述の張り出し架設工法およびバランシング工法で完成時のケーブルを架設時にも利用できるメリットがある[57]

ケーブルは雨や風によって影響を受け、それがレインバイブレーションとして主桁や主塔に対して影響を与える。雨が降った場合、ケーブルを伝って流れる水みちができることがその原因とされ、振動防止策としてケーブルを水平ワイヤーで縦に連結することが考えられるが、それでは美観を損ねることから制震装置を装備している[56]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ 東京湾平均海面(T.P.)基準では195 m

出典[編集]

  1. ^ 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 55.
  2. ^ a b c d e f 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 56.
  3. ^ a b 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 66.
  4. ^ a b 古郷誠 1990, p. 93.
  5. ^ 村里正彦・井ヶ瀬良則 1990, pp. 2 -5.
  6. ^ a b 村里正彦・井ヶ瀬良則 1990, p. 3.
  7. ^ a b “管理組合が長期整備計画を発表 10年後に大名古屋港 貨物は年間9500万トン 商港の中心に13号地”. 中部日本新聞朝刊: p. 1. (1964年5月17日) 
  8. ^ 名古屋港管理組合三十年史編集会議 1984, p. 488.
  9. ^ “第二東名ルートの一部 伊勢湾岸道あてる 建設相表明”. 中日新聞朝刊: p. 1. (1988年6月8日) 
  10. ^ “第2東名・名神 全ルート固まる 御殿場以東と栗東以西 拡幅し当面供用”. 中日新聞朝刊: p. 1. (1988年6月10日) 
  11. ^ a b 名古屋港史編集委員会 1990, p. 252.
  12. ^ “環状二号道路を急げ 名古屋大都市計画懇談会が中間報告”. 中日新聞朝刊: p. 2. (1965年6月2日) 
  13. ^ a b 名港西大橋編集委員会 1986, pp. 3 - 5.
  14. ^ “名港大つり橋、建設へ前進 西、中央、東の3本 『環2』計画を港湾審が了承 来年度にも着工”. 中日新聞夕刊: p. 1. (1978年12月23日) 
  15. ^ 名古屋港開港百年史編さん委員会 2008, pp. 336 - 337.
  16. ^ a b c d 名古屋港史編集委員会 1990, p. 247.
  17. ^ a b c 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 1989, p. 385.
  18. ^ 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 1989, p. 301.
  19. ^ a b 名古屋港管理組合三十年史編集会議 1984, pp. 488 - 491.
  20. ^ a b c 古郷誠 1992, p. 31.
  21. ^ 古郷誠 1992, p. 33.
  22. ^ 古郷誠 1992, p. 32.
  23. ^ a b c 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 59.
  24. ^ 古郷誠 1992, pp. 33 - 34.
  25. ^ a b c 村里正彦・井ヶ瀬良則 1990, pp. 4 - 5.
  26. ^ 鈴木裕二・橋本昌郎 1998, pp. 24 - 25.
  27. ^ a b c d 村里正彦・井ヶ瀬良則 1990, p. 4.
  28. ^ 古郷誠 1992, pp. 32 - 33.
  29. ^ 横山正則・鈴木裕二・馬場敦美 1992, p. 43.
  30. ^ 横山正則・鈴木裕二・馬場敦美 1992, pp. 39 - 41.
  31. ^ a b c d 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 57.
  32. ^ 鈴木裕二 1997, p. 75.
  33. ^ 古郷誠 1992, p. 34.
  34. ^ 水口和之・長井正・溝江実 1997, p. 81.
  35. ^ 鈴木裕二・橋本昌郎 1998, p. 26.
  36. ^ a b c 水口和之・長井正・溝江実 1997, p. 83.
  37. ^ 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, pp. 63 - 65.
  38. ^ 鈴木裕二 1997, pp. 71 - 73.
  39. ^ 鈴木裕二(土木技術寄稿) 1997, p. 65.
  40. ^ a b 古郷誠 1992, p. 37.
  41. ^ 村里正彦・井ヶ瀬良則 1990, p. 7.
  42. ^ 水口和之・長井正・溝江実 1997, p. 77.
  43. ^ 名古屋港管理組合議会事務局議事課 2013, p. 53.
  44. ^ a b 村里正彦・井ヶ瀬良則 1990, p. 5.
  45. ^ 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 1989, pp. 384 - 385.
  46. ^ 藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌 1994, p. 169.
  47. ^ 藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌 1994, pp. 170 - 172.
  48. ^ a b 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, p. 135.
  49. ^ 水口和之・長井正・溝江実 1997, pp. 83 - 86.
  50. ^ 藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌 1994, p. 152.
  51. ^ 水口和之・長井正・溝江実 1997, pp. 83 - 85.
  52. ^ a b 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, p. 136.
  53. ^ 水口和之・長井正・溝江実 1997, p. 86.
  54. ^ a b 水口和之・長井正・溝江実, 1997 & p86.
  55. ^ 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, pp. 24 - 25.
  56. ^ a b c 名古屋港利用促進協議会 1996, p. 60.
  57. ^ 長井正嗣・井澤衛・中村宏 1997, pp. 27 - 28.

参考文献[編集]

  • 名港西大橋編集委員会 『名港西大橋工事誌』 日本道路公団名古屋建設局、1986年3月15日 
  • 古郷誠「伊勢湾岸道路」、『橋梁と基礎』第24巻第8号、株式会社建設図書、1990年8月、 91-93頁。
  • 横山正則・鈴木裕二・馬場敦美「名港中央・東大橋下部工の設計・施工」、『橋梁と基礎』第26巻第2号、株式会社建設図書、1992年2月、 39-43頁。
  • 鈴木裕二(土木技術寄稿)「新春紹介伊勢湾岸道路 名港中央大橋 上部工の設計・施工の概要」、『土木技術』第52巻第1号、土木技術社、1997年1月、 55-66頁。
  • 鈴木裕二・橋本昌郎「伊勢湾岸自動車道の建設(1)」、『土木技術』第53巻第5号、土木技術社、1998年5月、 23-31頁。
  • 本庄清司・岸川秩世・小原俊和「伊勢湾岸道路 名港東大橋」、『橋梁』第32巻第5号、橋梁編纂委員会、1996年5月、 4-11頁。
  • 古郷誠「名港(中央・東)上部工の設計概要」、『橋梁』第28巻第9号、橋梁編纂委員会、1992年9月、 31-39頁。
  • 鈴木裕二「名港三大橋の開通に向けて」、『橋梁』第33巻第1号、橋梁編纂委員会、1997年1月、 68-75頁。
  • 水口和之・長井正・溝江実「名港中央大橋の主桁連結」、『橋梁』第33巻第1号、橋梁編纂委員会、1997年1月、 76-87頁。
  • 河村忠孝「名港中央大橋の着工と伊勢湾岸道路事業の展望」、『橋梁』第26巻第6号、橋梁編纂委員会、1990年6月、 1頁。
  • 村里正彦・井ヶ瀬良則「伊勢湾岸道路/名港中央大橋の設計概要」、『橋梁』第26巻第6号、橋梁編纂委員会、1990年6月、 2-7頁。
  • 佐久間智・渡部恒雄・山田三郎「施工研究 名港西大橋(II期線)主桁の設計・施工-伊勢湾岸自動車道-」、『土木施工』第39巻第1号、山海堂、1998年1月1日、 6-12頁。
  • 山田隆昭「JH名古屋建設局の事業トピックス 名港三大橋のネーミング(名港トリトン)など」、『高速道路と自動車』第41巻第7号、公益財団法人高速道路調査会、1998年7月1日、 60-63頁。
  • 名古屋港管理組合三十年史編集会議 『名古屋港管理組合三十年史』 名古屋港管理組合、1984年3月30日 
  • 名古屋港開港百年史編さん委員会 『名古屋港開港100年史』 名古屋港管理組合、2008年3月 
  • 名古屋港史編集委員会 『名古屋港史 建設編』 名古屋港管理組合、1990年3月31日 
  • 名古屋港管理組合議会事務局議事課 『平成23年度版 名古屋港管理組合議会一年の動き No.46』 名古屋港管理組合議会事務局、2012年5月 
  • 名古屋港管理組合議会事務局議事課 『平成24年度版 名古屋港管理組合議会一年の動き No.47』 名古屋港管理組合議会事務局、2013年5月 
  • 建設省中部地方建設局 名四国道工事事務所 『三十年のあゆみ』 名四国道工事事務所、1989年10月 
  • 愛知県水道局 『名港導水路海底トンネル工事誌』、1980年3月 
  • 藤原稔・久保田宗孝・菅谷洸・寺田博昌 『第8巻 橋の世界』 株式会社山海堂〈ニューコンストラクションシリーズ〉、1994年6月30日ISBN 438108196XC3351 
  • 長井正嗣・井澤衛・中村宏 『斜張橋の基本計画設計法』 森北出版株式会社、1997年11月13日ISBN 4-627-48461-5 
  • 中井博・北田俊行 『鋼橋設計の基礎』 共立出版、1992年5月20日ISBN 4-320-07363-0 
  • 土木学会関西支部編 田中輝彦・渡邊英一 『図解 橋の科学 なぜその形なのか?どう架けるのか?』 講談社〈ブルーバックス〉、2010年3月20日ISBN 978-4-06-257676-5 
  • 塩井幸武 『長大橋の科学 夢の実現に進化してきた橋づくりの技術と歴史をひもとく』 (SBクリエイティブ株式会社版)〈サイエンス・アイ新書〉、2014年8月25日ISBN 978-4-7973-6200-8