日本丸 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Jump to navigation Jump to search
日本丸 (初代)
Nihonmaru 1.jpg
日本丸メモリアルパークで総帆展帆した日本丸
基本情報
船種 練習帆船
船籍 日本の旗 日本
所有者 航海訓練所
運用者 航海訓練所
建造所 川崎造船所神戸工場
姉妹船 海王丸 (初代)
経歴
発注 1928年
進水 1930年1月27日
竣工 1930年3月31日
引退 1984年9月16日
現況 日本丸メモリアルパークで保存
要目
総トン数 2278 トン
全長 97 m
13 m
喫水 5.3 m
機関方式 ディーゼル
搭載人員 138名
テンプレートを表示

日本丸(にっぽんまる、英語: Nippon Maru)は、日本航海練習船大型練習帆船

1930年昭和5年)1月27日、兵庫県神戸市川崎造船所で進水。その美しい姿から、「太平洋の白鳥」や「海の貴婦人」などと呼ばれていた。日本丸は約半世紀にわたり活躍し、1984年(昭和59年)に引退。航海練習船としての役割は日本丸II世が引き継いだ。姉妹船として海王丸がある。2017年平成29年)9月に国の重要文化財に指定された[1][2][3][4]

現在、横浜市みなとみらい21地区の「日本丸メモリアルパーク」内で展示・公開されている。

概要[編集]

1927年(昭和2年)3月、鹿児島商船水産学校の練習船「霧島丸」は千葉県銚子沖にて暴風雨のため沈没、乗組員および生徒の合計53名が全員死亡するという惨事が発生した。この事故が契機となり、1928年(昭和3年)大型練習帆船2隻の建造が決定された。2隻の建造費は合計182万円、当時の国家予算(軍事費および国債費を除いた一般会計予算:約8億7千万円)からすると破格の大型プロジェクトであった。

設計はスコットランドのラメージ・エンド・ファーガッソン社、建造は神戸川崎造船所が担当した。1930年(昭和5年)1月27日に進水した第1船は「日本丸」、同年2月14日に進水した第2船は「海王丸」と名付けられた。同年3月31日には艤装を終え、文部省に引き渡された。同年にはミクロネシアポナペ島へ初の遠洋航海を行った。

その後、太平洋を中心に訓練航海に従事していたが、太平洋戦争が激化した1943年(昭和18年)に帆装が取り外され、大阪湾瀬戸内海にて石炭などの輸送任務に従事した。戦後は海外在留邦人の復員船として25,428人の引揚者を輸送した。遺骨収集にも携わった[5]1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争では米軍人や韓国人避難民の輸送といった特殊輸送任務に従事した。1952年(昭和27年)、帆装の再設置がなされ訓練航海に復帰した。翌年春にはハワイに向け、戦後初の遠洋航海を行った。

1984年(昭和59年)9月16日退役。退役までに約183万kmを航海し、約11,500名の実習生を育てた。海洋練習船としての役割は後継の日本丸II世(現・日本丸)が受け継いだ。1985年(昭和60年)から横浜市の所有となり[5]みなとみらい21地区の「日本丸メモリアルパーク」内で展示・公開が開始された。1998年平成10年)に大規模な修繕を受けているが、以後は大掛かりな修繕は受けておらず老朽化が問題となっている[5]

横浜船渠第一号ドック(国の重要文化財)に繋留保存された後も、船舶安全法に基づく定期検査を毎年受検しており、平水区域を航行区域とする船舶として船舶検査証明書が交付されている[6]

設計[編集]

4檣バーク型帆船で総帆数は29枚、 メインマスト高は46m(水面からの高さ)である。

脚注[編集]

[ヘルプ]
  1. ^ 平成29年9月15日文部科学省告示第117号
  2. ^ 文化審議会答申 ~国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について~(文化庁公式サイト:報道発表 平成29年 (2017年) 3月10日)
  3. ^ 9月15日(金) 帆船日本丸が、国の重要文化財に指定されました!(日本丸メモリアルパーク公式サイト:お知らせ 2017年9月15日)
  4. ^ 帆船日本丸 - 文化遺産オンライン(文化庁
  5. ^ a b c 氷川丸と日本丸 老朽化進み保存に課題(神奈川新聞:カナロコ 2015年1月27日)
  6. ^ みなとみらいにある帆船日本丸は今でも帆走できるのか?(はまれぽ.com 2013年4月25日)

関連項目[編集]

外部リンク[編集]