氷川丸

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
氷川丸
Hikawa-maruYokohama.jpg
横浜市の山下公園で保存されている氷川丸
基本情報
船種 貨客船
船籍 日本の旗 日本
運航者 日本郵船
建造所 横浜船渠
経歴
進水 1929年9月30日
竣工 1930年4月25日
就航 1930年5月13日
除籍 1960年12月21日
現況 山下公園に係留
要目
総トン数 11,622トン
載貨重量 10,436トン
全長 163.3m
垂線間長 155.45m
型幅 20.12m
喫水 9.2m
主機 B&W社製 ダブルアクティング4ストローク8気筒ディーゼルエンジン2機2軸
出力 11,000hp (5,500hp×2)
最大速力 18.21ノット
航海速力 15.0ノット
旅客定員 一等船客: 76名
二等船客: 69名
三等船客: 186名
テンプレートを表示
現係留地の夜景
病院船時代の氷川丸

氷川丸(ひかわまる)は、日本郵船1930年昭和5年)に竣工させた日本の12,000t貨客船。北太平洋航路で長らく運航された。2015年時点では、横浜市博物館船として公開されている。

解説[編集]

世界的には傑出した存在ではない中級サイズの貨客船ではあるが、その接客設備とサービスの優秀さによって太平洋を往来する著名人たちに愛用され、数多くの逸話を残した船として知られる。

多くの日本の貨客船が喪失された太平洋戦争でも沈没を免れた数少ない大型貨客船で、戦後も1960年(昭和35年)まで北太平洋航路で運航を続けた。運航終了後は横浜市の山下公園前(横浜港)に係留されている。戦前より唯一現存する日本の貨客船であり、当時の日本の造船技術を今に伝え、また船内のインテリアなども含めて貴重な産業遺産であるため、2003年平成15年)には横浜市の有形文化財の指定を受けている。

概要[編集]

日本郵船は昭和初期、北太平洋で展開されたアメリカカナダとの貨客船就航(路線)競争の一環として、明治末期から大正初期に建造された天洋丸級をはじめとする老朽船に代わる、新型貨客船を必要としていた。

この結果、政府の援助も受けて6隻のディーゼルエンジン搭載貨客船を建造した。それが17,000総トン・速力20ノットでサンフランシスコ航路に就航した浅間丸龍田丸秩父丸(後に改名し鎌倉丸)と、シアトルバンクーバー航路[注 1]に就航した日枝丸平安丸・本船である[注 2]

船名は埼玉県大宮市(現:さいたま市大宮区)の氷川神社に由来するものである。これにちなみブリッジ神棚には氷川神社の祭神が勧請され、保存船となった後も氷川神社を祀っている。

1933年からの発効が既に決定されていた海上人命安全のための国際条約SOLAS)の基準を先取りした水密区画構造を採用、アール・デコArt Déco)様式のインテリア、オーシャンライナーという船型、そして日本郵船の擁する一流シェフによる料理などのサービス提供など、当時の先端をいく良質な船として建造された。

主機関は信頼性の面で実績のあるデンマークのバーマイスター&ウェイン(B&W社。現在はドイツのMAN社と合併)製ディーゼル機関2基搭載とし、必要な出力と経済性の両立を図った。主発電機にはB&W社 ライセンスによる池貝鉄工所製450馬力4サイクル ディーゼル機関駆動の直流225V 出力325kW 3台を搭載し[1]、ウインドラスやウインチ、各種ポンプ類の動力に直流電動機を用いて騒音振動を軽減した[2]

1930年5月に太平洋を渡りシアトルへの処女航海へ向かった。シアトルには未だ反日の嵐は及んで居らず、5月27日に無事に到着した氷川丸はシアトル市民から大歓迎を受け、3万人近い見学者が船を訪れた。6月29日には無事横浜に帰国、神戸を経由して7月6日に門司に入港した。門司港でも岸壁を整備したばかりであり、接岸第1船が氷川丸ということで、ここでもブラスバンドが繰り出され、数千人の市民が集まり帰国を祝った。

その後、氷川丸のサービスの良さが評判を呼び、著名人を含む多くの乗客で賑わった。1932年の11次航海ではチャールズ・チャップリンが乗船、1937年の47次航海ではイギリス国王ジョージ6世戴冠式から帰国の途にあった秩父宮夫妻が乗船するなど、氷川丸は華々しい活躍を続けた。アメリカ側の発着地であるシアトル市民にとっても、1930年代、日本から定期的にやってくる「ハイカワマル」は馴染み深い存在になっていたという。

しかしながら太平洋戦争への暗雲が立ち込める中、氷川丸の74次航海目前である1941年8月に政府はシアトル航路の閉鎖を決定する。同年10月に日本政府に交換船として徴用され、在日アメリカ・カナダ人を送り届け、在米・在加日本人を乗せて帰国した。

そして休む間もなく日本海軍徴用され、病院船として使用されることが発表された。同年12月に着工開始され、同月竣工。国際法により病院船であることを示すため、船体を白色に塗られ、緑色の帯を引き、赤十字が描かれた上、夜間はイルミネーションのように電飾された。その姿は意外にも美しく、純白の氷川丸は兵士から「白鳥」と呼ばれ親しまれた。

同じく徴用されていた姉妹船の日枝丸(特設潜水母艦、のち特設運送船)と平安丸(特設潜水母艦)が戦没する中で、本船は三度機雷に触雷するも生還を果たし、日本の大型民間船の中でも終戦まで沈没を免れた数少ない事例となった[注 3]

戦後は輸送力を活かして帰国者の引き揚げ船や国内航路にも充当されたが、戦後間もない時期に運航可能な貴重な大型船であったため、1950年以降は船齢20年を超えるベテラン船でありながら日本郵船の国際航路に復帰した。以後、老朽化と航空路発達に伴って1960年に運航を終了するまでに北太平洋を238回横断して、延べ25,000人余りの乗客を運んだ。

航路からの退役後、スクラップにされる予定であったが、市や市民の保存を望む声によって山下公園に係留され保管されることになった。この際、船尾の貨物施設が撤去され、大規模な補修が実施された(1961年)。係留後の所有は氷川丸マリンタワー株式会社(以下、「氷川丸マリンタワー」と記す)になり、ユースホステル見学施設として運営された。後に船体がエメラルド・グリーンに塗り替えられた。

船内では船上結婚式ビアガーデンライブ、サロン・コンサート、パーティ、年越しカウントダウンなどの催事・イベントが実施され、多くの観光客を集めた。この間、船体はブルーに塗り替えられていた時期を経て1980年代後半に日本郵船時代の黒い塗装に再度塗り直されている。

しかし、入場者数の減少のため、氷川丸マリンタワーは2006年10月13日、同年12月25日で氷川丸の運営を終了し、船体を日本郵船に譲渡することを発表した。その後、予定通りに運営を終了し、氷川丸マリンタワーは2006年12月31日付で解散した。

2007年8月より船体の部分的な修繕・内装の修復を行っていたが、日本郵船より一般公開を再開する旨が発表され、2008年4月25日から公開を開始した[3]

毎日正午になると時報代わりに汽笛を鳴らす、この他前述のカウントダウンでは新年を迎える際に氷川丸の汽笛を鳴らすのが慣例になっている。船体の大規模な修繕は1961年より実施されておらず老朽化が進行している[4]

歴史[編集]

  • 1930年昭和5年)4月25日 横浜船渠株式会社(現・三菱重工業横浜製作所)にて竣工。
  • 1930年(昭和5年)5月13日 - 5月27日 処女航海 神戸 - シアトル [注 4]
    • 初代船長の秋吉七郎は「軍艦氷川」と評されるほどの厳格な船内規律を徹底させ、以後氷川丸の伝統となるサービスの基礎を築いた。
  • 1930年(昭和5年) ロンドン軍縮会議批准書を輸送。
  • 1932年(昭和7年) 第11次航海の往路にハリウッド俳優のチャールズ・チャップリンが兄、シドニー・チャップリンと乗船。
  • 1937年(昭和12年) イギリス王室ジョージ6世の戴冠式からの帰国時、秩父宮夫妻が乗船。カナダ・ビクトリア港 - 横浜。
  • 1938年(昭和13年) 東京オリンピック誘致のため、カイロIOC会議に出席した嘉納治五郎が帰国時、シアトルより乗船。肺炎により船内で亡くなる。
  • 1939年(昭和14年)6月20日 宝塚少女歌劇団(現・宝塚歌劇団)の訪米芸術使節団一行がアメリカ公演からの帰朝時にシアトルから乗船。シアトル - バンクーバー - 横浜 - 神戸。
  • 1941年(昭和16年)8月 国際情勢によりシアトル航路閉鎖。
  • 1941年(昭和16年) 日本政府に交換船として徴用され、在日アメリカ・カナダ人を送り届け、在米・在加日本人を乗せて帰国。
  • 1941年(昭和16年)11月 日本海軍に徴用され、病院船として南太平洋海域にて活動。戦時中の様子は1943年(昭和18年)に制作された戦記映画『海軍病院船』(日本映画社制作・53分)で確認可能。
  • 1945年(昭和20年) 第二次世界大戦終了後、復員輸送に従事。
  • 1947年(昭和22年) 北海道航路に就航 横浜 - 室蘭 - 大阪
  • 1949年(昭和24年) 不定期で外国航路に就航。
  • 1950年(昭和25年) 不定期で米国航路に貨物船として就航。
  • 1952年(昭和27年) 欧州定期航路に貨客船として就航。
  • 1953年(昭和28年)7月 横浜 - シアトル航路に定期貨客船として復帰。
  • 1953年(昭和28年) - 1960年(昭和35年) フルブライト交換留学生が利用[注 5]
  • 1959年(昭和34年) 宝塚歌劇団が北アメリカ・カナダ公演の渡航に利用。
  • 1960年(昭和35年) 運航終了。日本郵船もシアトル航路から撤退。
  • 1961年(昭和36年) 横浜港開港100周年記念事業として山下公園前に係留、ユースホステルとなる。
  • 1978年(昭和53年) 横浜大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)応援団に銅鑼が寄贈される[注 6]
  • 2000年平成12年)6月15日 係留中の船体から重油が流出。海面約700平方メートルにわたり広がった。
  • 2003年(平成15年)11月 横浜市指定有形文化財の指定を受ける。
  • 2006年(平成18年)10月13日 運営してきた氷川丸マリンタワー株式会社が、営業を同年12月25日で終了すると発表。
  • 2006年(平成18年)12月25日 営業終了、日本郵船へ管理が移管される。
  • 2008年(平成20年)4月25日 リニューアル工事を行った後に一般への公開を再開。
  • 2010年(平成22年)11月12日 - 11月14日 APEC首脳会議開催に伴うテロ対策のため、営業停止。

現係留地[編集]

現係留地への交通[編集]

周辺の名所[編集]

関連する作品[編集]

映像作品[編集]

模型[編集]

第二次世界大戦開戦まで、日本郵船バンクーバー代理店には籾山艦船模型製作所製の1/48氷川丸大型模型があった。この模型は、カナダ政府による対日資産凍結により没収され、競売により落札したアメリカ人が所有していたが、遺族がウィスコンチン州海事博物館に寄贈して展示されていた。1995年に存在が明らかになり、日本郵船による返還交渉の末、2013年11月に返還されることが決まり、2014年1月14日に日本郵船歴史博物館に到着。2月18日から一般公開されている[5]

この種の民間船としては数少ないプラモデル化された船である。長谷川製作所(ハセガワ)から、1/700ウォーターラインシリーズ(喫水線より上の船体のみ再現したもの)および1/350スケールのフルハルモデル(喫水線以下の船体も再現されている船舶模型の様式)タイプのプラモデルキットとして、現役貨客船時代と徴用病院船時代の2種類ずつ発売されている。

PV・ジャケット[編集]

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

[ヘルプ]

注釈[編集]

  1. ^ シアトルからはグレート・ノーザン鉄道が接続した。1932年当時、シアトルからシカゴまでを70時間で結んだ(氷川丸内にある展示より(2010年5月1日閲覧))。
  2. ^ 氷川丸、日枝丸、平安丸は、頭文字を「H」で統一してある。この船名はいずれも日本の由緒ある神社にちなむ。
  3. ^ 当時病院船氷川丸に従事していた船員からの証言によると、太平洋戦争中、病院船として運用されていながら、航行中に米軍潜水艦に追尾され5日ほど監視されていたという。 当時、氷川丸船内には軍用航空燃料が積まれており、万一敵潜水艦から臨検を要請されて航空燃料搭載が発覚すれば病院船としての保護扱いを喪失して拿捕、撃沈される危険性があった。更に、病院船を軍事輸送船として運用することは国際法への違反であり、もしこれが明らかになれば日本の国際的立場がさらに悪化することが十分に有り得た。そのため、船内にはこの事例に対する対策として自沈装置が設けられており、 臨検を受けざるを得なくなった場合に自沈することを指示されていたという。追尾はされながら幸いにも臨検されることはなく、氷川丸は難を逃れた。
  4. ^ 途中四日市清水横浜ビクトリアに寄港した。
  5. ^ 1960年夏、フルブライト留学生としてプリンストン大学へ向かう下村脩が乗船した。(2008年12月30日 朝日新聞)
  6. ^ 名物応援団長だった池杉昭次郎がこれを使った応援を行い、彼が亡くなった1995年(平成7年)まで使用した。この銅鑼は氷川丸に返還された後、1998年(平成10年)に横浜ベイスターズがプロ野球日本選手権シリーズに優勝した際の記念行事として氷川丸船内で一般公開されている。

出典[編集]

  1. ^ 徳永勇 シリーズ日本の艦艇商船の電気技術史24 第2章 商船の電気艤装・電気機器 船の科学39巻9号p71 1986
  2. ^ 郵船OB氷川丸研究会 竹野弘之 氷川丸とその時代p54 海文堂出版2008
  3. ^ ニュースリリース:「日本郵船氷川丸」リニューアルオープン(2008年1月30日)
  4. ^ 氷川丸と日本丸 老朽化進み保存に課題 カナロコ by 神奈川新聞 2015年1月27日(火)10時12分配信
  5. ^ 「ニュース・フラッシュ 戦前の「氷川丸」Hikawa Maru大型模型アメリカから返還」『世界の艦船』第795集(2014年4月号) 海人社

関連項目[編集]

外部リンク[編集]