大成丸 (2代)

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大成丸 (2代)
基本情報
船種 練習船
船籍 日本の旗 日本
所有者 日本郵船(1948-1954)
航海訓練所(1954-1958)
運用者 日本郵船(1948-1954)
航海訓練所(1954-1958)
建造所 三菱重工業長崎造船所
建造費 約1億5500万円(改装)
航行区域 遠洋[1]
改名 小樽丸(1948-1954)
大成丸(1954-1958)
経歴
起工 1947年
進水 1947年12月15日
竣工 1948年4月19日
就航 1948年
引退 1981年4月7日[1]
最後 売却後、解体
要目 (練習船改装後)
総トン数 2,455.81 トン[1]
全長 95.2 m[1]
垂線間長 89.90 m[1]
12.0 m[1]
深さ 6.4 m[1]
機関方式 蒸気タービン
ボイラー 過熱器・空気予熱器付三胴水管ボイラ 2基[1]
主機関 衝動式複汽筒二段減速装置付タービン[1]
最大出力 1,700 PS[1]
定格出力 1,400 PS(常用)[1]
最大速力 13.0 ノット[1]
航海速力 10.5 ノット[1]
航続距離 8,000浬[1]
搭載人員 189名(士官22名、部員44名、実習生120名、その他3名)
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大成丸は、航海訓練所が運用していた航海練習船。本項目では、1954年に就航した2代目を取り扱う。

概要[編集]

元は小型客船28隻組の一隻として1948年に建造された日本郵船貨客船「小樽丸」である。本船は28隻組として9隻が建造された2,000総トン級貨客船の第一船で、西日本重工業長崎造船所(戦後分割されていた三菱重工業長崎造船所)で建造され、1947年12月15日進水、1948年4月19日に竣工した[1]。その後、小樽 - 新潟航路に就航したが、1950年6月に航路廃止になった。

航海訓練所では戦後初の汽船練習船である北斗丸 (初代)1953年に就航させたが、引き続き戦災により失われた船員の補充を進めるため、老朽化した戦時標準船改E型練習船の代船建造が急務であった[1]。厳しい財政事情から代船は新造が認められなかったため、民間の貨客船を買い上げ、所要の改装行った上で練習船とすることとなり、1953年7月に僚船の雲仙丸と共に日本郵船から航海訓練所へ売却された。

練習船への改装においては将来的に遠洋航海に従事することを考慮して、航続距離、耐航性を確保するため、船体中央部を約10メートル延長する船体延長工事が行われた[1]。同時に実習・訓練設備を新設、改装は航海区域を近海から遠洋に変更するため、安全性、居住性の向上に主眼を置いて行われた。主機関は概ね既存のまま継続使用とされたが、主発電機が更新され、ボイラは石炭炊きから重油焚きとなった。改装工事は石川島重工業東京第二工場で行われ、1953年8月12日に着工、1954年2月25日に竣工、本船は大成丸 (初代)の名を引き継ぎ、大成丸 (2代)と改名された[1]。また、同時に売却された雲仙丸は銀河丸 (初代)となった。

1954年4月1日に就航、第1回の訓練航海には富山鳥羽鳥羽大島弓削の5つの商船高等学校の実習生が乗船した[1]。本船は以後、遠洋航海などの訓練航海のほか、帰還輸送航海、遺骨収集航海などにも従事したが、終戦直後の資材が乏しい時期に建造され、改装の際に戦後国内で初めて船体延長工事を施工した影響もあり、船体、機関などが老朽化、1976年以降は遠洋航海を中止して、内航の訓練航海にのみ使用された[1]

代船として大成丸 (3代)1981年に建造され、本船は用途廃止となった。同年4月7日に解体業者に引き渡され、その後、解体された。本船は練習船として27年間に渡り208次の航海に従事し、航海時間は2,442日0時間、556,847海里を航行、11,446名の実習生が乗船した[1]。商船としての就航期間は短かったものの、結果として28隻組の中では国内で活躍した最後の船となった。

脚注[編集]

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u 須藤2009(p87-88)

参考文献[編集]

  • 須藤信行「蒸気タービン練習船の歴史 - 北斗丸(初代)から大成丸(三代)まで」、『日本マリンエンジニアリング学会誌』第44巻第4号、船舶技術協会、2009年、 582-587頁、 doi:10.5988/jime.44.5822017年1月8日閲覧。