塩の道 (日本)

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塩の道(しおのみち)は、塩や海産物を内陸に運ぶのに使われた道のことをいう[1]。また反対に内陸からは、山の幸(食料に限らず、木材や鉱物も含む)が運ばれた道でもある。製塩が化学製法に代わり、専売法に依る規制がかけられる以前は海辺の塩田に頼っていたことから、日本の各地で、海と山を結ぶかたちで数多くあった。日本各地にあった塩の道は、現在も整備された形で物流の主要なルートとして残っている。

また海外においても、ネパール西北部のカリガンダキ渓谷地域[2]マレーシアボルネオ島サバ州の世界最大の花ラフレシアが咲くクロッカー山脈公園を横切る塩の道をはじめ、各地に存在している。

概要[編集]

日本海側の千国街道(糸魚川 - 松本)や北国街道(直江津 - 追分)、太平洋側の三州街道(岡崎 - 塩尻)、秋葉街道御前崎 - 塩尻)などが日本の塩の道を代表する。日本では、全国各地に塩の運搬路はいくつもあり、特に雪深い内陸地域に住む住人にとって、冬場は漬物や味噌を作って保存するなど、塩は生活に欠かすことのできないものであることから、重要な生活路であった[1]。また、宿場町やその周辺は藩によって重点的な開発が行われた例もある[3]

これらの街道沿いには、宿場町、城下町、神社、寺院があるほか、当時の道標、道祖神、二十三夜塔、庚申塔馬頭観音・牛頭観音[注釈 1]、塩倉(現・長野県小谷村千国)、牛方宿[注釈 2]が残っていたり、番所(長野県小谷村千国)が復元されているほか、周辺の自然をジオパークとして整備し地域振興にも利用される例もある[4]

主な塩の道と宿駅[編集]

千国街道[編集]

千国街道(ちくにかいどう)は、新潟県糸魚川から長野県大町を経て松本盆地松本塩尻に至る道筋である[1]。別名、糸魚川街道、松本街道とも呼ばれる。信濃側では糸魚川街道、越後側では松本街道と呼称された。沢渡宿と佐野宿、飯田宿と飯森宿は併せてひとつの宿として機能した。

三州街道[編集]

三州街道は、愛知県足助から、長野県飯田伊那のある伊奈盆地(伊那谷)を通って塩尻に到達する街道である[1]。盆地の道筋は、伊那街道、飯田街道とも呼ばれる。

足助街道[編集]

愛知県の足助 - 岡崎間は「足助街道」という呼び方が定着しており、この地域では「三州街道」という呼び方は一般的でない。

三河湾(碧南市や一色町や吉良町など)で取れた三州塩を矢作川とその支流の巴川を舟で遡って豊田まで運び、そこから馬で信州まで運ぶ「塩の道」。奥三河、足助の宿は中馬[注釈 3]などで輸送された塩や茶荷などをここで積みかえられて信州方面へ送られた。伊那地方では「足助塩」とか「足助直」とよばれるほど、足助は中馬としての位置を占めていた。

伊那街道[編集]

根羽宿で分岐し三河吉田に至る

秋葉街道[編集]

秋葉街道(あきはかいどう)は、静岡県御前崎から長野県飯田を経て、塩尻に至る街道である[5]

北国街道[編集]

北国街道(ほっこくかいどう)は、新潟県の直江津から長野県上田を経て、追分(現・長野県北佐久郡軽井沢町追分)に達する道筋である[1]。上田市にも塩の道の終着地を意味する「塩尻」の地名が残る[1]

故事成語 敵に塩を送る[編集]

敵の弱みにつけこまずに、逆にその苦境から相手を救うという意味で使われる。戦国時代の戦いで、駿河今川氏相模北条氏は、海側からの塩の道の絶って、武田信玄の領地である甲斐に、流通を止める兵糧攻め作戦に出た。甲斐で塩が不足して苦しんでいることを知った、越後上杉謙信が「武士道に反する」として、敵対する武田氏に塩を送ったとされる故事が有名で[1]、その塩が運ばれたのが千国街道であると言われることがある[6]。しかしながら、当時の資料からは、塩止め(荷留)をしたという事実は無いと考えられ、後世の人の作った美談とされている。

脚注[編集]

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注釈[編集]

  1. ^ 道中死亡した馬や牛の霊を慰める観音。
  2. ^ 人と牛が泊まれる宿。長野県小谷村沓掛にある。
  3. ^ 馬で荷物を運送する業者。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g 浅井建爾 2001, pp. 104-105.
  2. ^ 森田剛光、塩の道の変遷とトレッキング・ツーリズム : 西北ネパール、カリガンダキ渓谷地域の地誌学的考察 名古屋大学人文科学研究. v.38, 2009, p.85-97, hdl:2237/23135
  3. ^ 田中道彦、『塩の道と塩島新田開発』 技術史教育学会誌 10(1・2), 57-63, 2009-03, NAID 40016661866
  4. ^ 竹之内耕、糸魚川ジオパークと地域振興 地学雑誌 Vol.120 (2011) No.5 P.819-833, doi:10.5026/jgeography.120.819
  5. ^ 中根洋治、奥田昌男、可児幸彦 ほか、秋葉古道の成立過程と果たしてきた役割の研究 土木学会論文集D2(土木史) Vol.68 (2012) No.1 P22-37, doi:10.2208/jscejhsce.68.22
  6. ^ 「日本の道100選」研究会 2002, p. 92.

参考文献[編集]

関連項目[編集]

外部リンク[編集]