琵琶湖

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琵琶湖
Lake biwa.jpg
衛星写真
所在地 日本の旗 日本 滋賀県
位置
面積 669.26[1] km2
周囲長 235.20[1] km
最大水深 103.58[1] m
平均水深 41.2[1] m
貯水量 27.5[1] km3
水面の標高 84.371[2] m
成因 構造湖
淡水・汽水 淡水
湖沼型 中栄養湖
透明度 2.2(南湖)5.5(北湖)[3] m
Project.svg プロジェクト 地形
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琵琶湖(びわこ)は、滋賀県にある日本最大面積と貯水量を持つ一級水系淀川水系」に属する一級河川で、河川法上の名称は「一級河川琵琶湖[要出典]国土交通大臣から委託を受けて滋賀県知事が管理を担う。湖沼水質保全特別措置法指定湖沼で、ラムサール条約登録湿地でもある。

約400-600万年前に形成された古代湖であり、40-100万年前に現在の位置に移動してきた。古くから近畿地方の水運・水利における役割を担い、作品の題材となることも多い。多数の固有種を含む豊かな生態系をもっており、環境保全活動も盛ん。「びわ湖」「びわこ」と表記されることもあるほか、「Mother Lake」の愛称や「近畿の水瓶」の別称で呼ばれることもある。

地理[編集]

琵琶湖の面積は669.26平方キロメートルで、滋賀県の面積の6分の1を占め、日本最大である[1]。貯水量は275億トンで、こちらも日本一である[4][注 1]。湖底が最も深い水域は竹生島安曇川河口の間にあり[2][5]、これまでに観測された最大水深は104.1メートルである。琵琶湖の湖底は1000年間に1メートルというペースで沈降している[6]

最狭部に架かる琵琶湖大橋を挟んだ北側の主湖盆を北湖(太湖)、南側の副湖盆を南湖と呼ぶ[7][8][9]。面積58平方キロメートル・平均水深4メートルの南湖に対し、北湖は面積623平方キロメートル・平均水深41メートルであり、湖水の99パーセントは北湖蓄えられている[10][8]。一方、湖底地形から見ると、北湖盆、中湖盆、南湖盆に分けられ、北湖盆と中湖盆の境界は沖島北方付近で、鞍状の湖底地形が存在している[11][要ページ番号]

東京湾平均海面 (T.P.) 基準でプラス84.371メートル、大阪湾最低潮位 (O.P.) 基準でプラス85.614メートルの高さが琵琶湖基準水位 (Biwako Surface LevelB.S.L.) と定められており[2]、「琵琶湖の水位」とはB.S.L.をプラスマイナス0メートルとした水位のことをいう。B.S.L.は、1874年に鳥居川観測点において「これ以上水位が下がることはない」と判断して定められたものと推測されているが[12][13]、その後、瀬田川の改修によって流出量が多くなったことなどにより、水位がB.S.L.以下になることが多くなった[要出典]

湖岸[編集]

琵琶湖湖岸の構造は多様であり、そのため後述するように生物も多様である。傾斜は西岸は急で東岸は緩やかな傾向にあり、下記の山地系湖岸を除く77パーセントは、流入河川の造営力を受けた平野系湖岸である[14]。また、底質植生から次の3つに分類することができる[15]

岩礫型湖岸
北湖北岸と長命寺付近の山地系湖岸。岩や岩礁が主体。
砂質型湖岸
北湖の多くを占める。小礫や砂が主体。
砂泥型湖岸
最も植生が豊かであり、泥の堆積の発達に伴い、植物群落が発達する。

湖岸域には陸上生物圏と水中生物圏をなだらかに繋ぐ推移帯英語版[注 2]が広がり、生物多様性への寄与や水質浄化機能といった様々な役割を果たしてきた[19][20]。しかし第二次世界大戦後、大規模な護岸工事などにより人工湖岸が増え[注 3]、推移帯としての面積は大幅に減少した[20][21][22]

河川[編集]

安曇川三角州

琵琶湖には117本の一級河川を含む400以上の流入河川があり、周囲の山地からの流れを源流とする[23][24]。主な流入河川としては、湖南・湖東では野洲川日野川愛知川などが、湖北では姉川高時川余呉川などが挙げられる。湖西には大きな河川は安曇川しかなく、ほかは比良山地からの小河川である。この内、野洲川と安曇川以外は50キロメートル未満で、急勾配・出水のしやすさ・渇水の多さを特徴とする[25]中世後期以降、一部の河川は天井川化しており、それにともない湖岸の土砂堆積状況が変化し、河口域では三角州が発達したり逆に陸地が後退するなどしている[26]

流出河川は瀬田川のみであり、宇治川、淀川と名前を変えて、大阪湾瀬戸内海)へ至る[25][27]。瀬田川には、琵琶湖の水位調整と下流域の治水・利水のために瀬田川洗堰が設けられている[25]。河川以外では琵琶湖疏水があり、琵琶湖からの流出水路は2つしかない。

内湖[編集]

西の湖

昭和初期ごろまで、琵琶湖の周囲には大小40あまり、総面積29平方キロメートル(1940年時点)の内湖があった[28]。これらの内湖は、繁茂するヨシなどにより河川より流入する水を浄化する機能や、魚類の産卵・生育の場、あるいは堆積した泥による肥料の提供といった役割を担ってきた[29]。また内湖は、今津堅田といったの発展において船溜まりとしての役割を果たしたほか、安土城大溝城の立地にも影響を与えた[20]

しかし、琵琶湖の洪水防御のため1943年から始まった河水統制事業により[30][出典無効]、事業が終了する1952年までに平均水位が数十センチメートル低下したことや、これに前後して内湖の大半が干拓されたこともあって琵琶湖の自然は大きく変化し、固有の風致や生態系が大きく損なわれた[要出典](「入江干拓」および「大中湖」も参照)。2013年現在残されているのは、近江八幡市西の湖をはじめとする総面積4.25平方キロメートルの23内湖のみである[28]

2003年現在、滋賀県は一部の内湖を復元することを計画しており[31]、生態系の回復や水質浄化が各方面から期待されている[32]

湖面の島[編集]

琵琶湖には沖島竹生島多景島の3島がある。沖島は近江八幡市の沖合い1.5キロメートルに位置する周囲6.8キロメートル・面積約1.53平方キロメートルの島で、淡水湖沼の有人島としては日本唯一である。竹生島は長浜市の沖合6キロメートルに位置する周囲約2キロメートルの島、多景島は彦根市の沖合い5キロメートルに位置する周囲約600メートルの島である。竹生島と多景島には寺院があり、竹生島は西国三十三所琵琶湖八景に含まれている。また、多景島から西に4キロメートルの地点には沖の白石がある[33]。この他、草津市には、1978年ごろに着工された人工島矢橋帰帆島がある[34]

行政上の扱い[編集]

琵琶湖の河川法上の扱いは、一級河川(淀川の本川)である。通常の国土交通大臣が管理する一級河川とは異なり、滋賀県知事に管理が委託されている[35][注 4]

琵琶湖が所属する市は次のとおりである(北から時計回り)。各市名の右に、市ごとの琵琶湖の面積(単位:平方キロメートル)を示す[36]

琵琶湖の市町境界については、かつて、どの市町にも組み入れられていなかった。2007年5月8日、沿岸の各自治体による共同会議において境界の設定に合意し、各自治体の議会の同意を得た上で総務省に届け出を行い、9月28日付で『官報』に確定が公示された[37][38][39]。境界確定の目的は主に地方交付税交付金の増額である。また、増額された交付金の半分は琵琶湖の保全に使われることが発表されている[40]

歴史[編集]

自然史[編集]

琵琶湖の西岸を区切る琵琶湖西岸断層比叡山(写真左)から比良山地(右)へと続く。琵琶湖西岸はこれによる断層崖が急激に湖に落ち込むため平地に乏しい (冒頭写真も参照のこと)。断層の主活動時期は20万年~30万年前であり、湖よりも歴史が新しい。

琵琶湖は世界の湖の中でも、バイカル湖タンガニーカ湖に次いで成立が古い古代湖であるとも[41]、世界で13番目に古い湖であるとも推定されている[42]。 琵琶湖が形成された時期は、約400万年~600万年前で、現在の三重県伊賀市平田に地殻変動によってできた構造湖であった(大山田湖)。湖は次第に北へ移動し、現在から約100 - 40万年前[43]比良山系によって止められる形で現在の琵琶湖の位置に至ったという。大山田湖以前、現在の琵琶湖の位置には山(古琵琶湖山脈)があり、鈴鹿山脈は未だ隆起せず、今日の琵琶湖東南部の河川は伊勢湾へ流れていた。それを裏付けるように、鈴鹿山脈の主要な地質は礫岩である。また、琵琶湖に流入する最大の川で、東南に位置する野洲川は、当時西方ではなく、東方へ流れていたという。

西岸には、琵琶湖西岸断層帯が東北-南西方向に延び[11][要ページ番号]、断層帯北部の最新活動時期は約2800年前から約2400年前頃とされ、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に2mから5m程度隆起した可能性がある。断層帯南部の最新活動時期は1185年(元暦2年)の文治地震であった可能性があり、活動時には断層の西側が東側に対して相対的に6mから8m程度隆起した可能性があるとされている[44]

人間史・環境史[編集]

近世以前[編集]

大日本沿海輿地全図』(レプリカ)より。

琵琶湖には90を超える湖底遺跡があり、縄文時代後期から近代初期にかけてを存続の終期とするそれらからは、琵琶湖周辺の生活や文化の歩みを窺い知ることができる[45][46][47][注 5]。一方、近世以前の琵琶湖についての史料は限定的であり、湖岸域の土地利用は変化しやすく支配関係の把握が難しいといった問題もあるため、琵琶湖の環境史英語版研究は発展途上である[49]

先史時代
琵琶湖が現在の形に定まったのは、旧石器時代末期ごろであり、琵琶湖周辺ではこのころの石器が発見されているが、詳細は不明である[50]縄文早期後半の石山貝塚などの遺跡からは淡水産の魚介類の貝殻や骨が発見されており、一部山間部にも居住の痕跡はあるが、湖畔での居住を好んだ傾向が窺える[51]弥生前期の湖底遺跡からは、土器木器・石器・炭化米などが発見されており、灌漑・排水が比較的容易であり漁撈の便もよい琵琶湖畔において、初期の稲作が多く営まれていたと推測できる[52]
古代
奈良時代には、後述するように、僧侶行基が琵琶湖の洪水を軽減することを目的とし、瀬田川沿いの大日山の掘削を試みている[53]。また、湖底遺跡は、平安時代末期を存続の終期とするものが多い[46]
中世
中世の文書や絵図に記された耕地の一部は、後に琵琶湖や内湖に水没している[54]後述するの立地の変化の例として、この時期に琵琶湖水位の上昇により内湖が失われた木津[注 6]に代わって、今津が発展するようになったことが挙げられる[55]。また横江遺跡守山市)などにおいては、鎌倉時代ごろので囲まれた集落が確認されている[56]。これらの堀はその深さや幅から、防衛機能よりも灌漑・排水や舟運としての性格が強かったと推測されており[57]水野 (2011, p. 10) は、琵琶湖の水位上昇に対応しての洪水対策という役割の可能性についても言及している。
近世
織田豊臣政権においては、安土城を拠点に湖上を一括管理し、経済・社会的に利用することが試みられた[58]江戸時代の琵琶湖周辺域には、200あまりの集落があり[59]後述するように、琵琶湖の治水などを目的とした瀬田川の浚渫が計5回行われている[53]。1805年(文化2年8月 – 10月)には、伊能忠敬が沿岸を測量した[60]

近現代[編集]

1918年ごろの琵琶湖
  • 1890年(明治23年)- 京都市へ水を供給する琵琶湖疏水が開通[8]
  • 1896年(明治29年)- 河川法が制定され、以降琵琶湖とその流入河川は行政の管理下に置かれる[61]
  • 1900年から1908年(明治33年から41年)- 南郷洗堰の築造を含む瀬田川の大規模な改修工事がおこなわれ、以降琵琶湖の水害は減る[61]
  • 1950年(昭和25年)7月24日 - 琵琶湖国定公園が指定される[62][63]
  • 1964年(昭和39年)9月 - 琵琶湖大橋が開通[62]
  • 1972年(昭和47年)- 琵琶湖総合開発特別措置法の制定に伴い琵琶湖総合開発事業が策定される[64]
  • 1974年(昭和49年)9月 - 近江大橋が開通。
  • 1979年(昭和55年)10月 - 琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)が公布される[62]
  • 1985年(昭和60年)12月 - 湖沼法における指定湖沼に指定される[62]
  • 1993年(平成5年) - ラムサール条約登録湿地に認定される[65]
  • 2003年(平成15年)9月 - 「琵琶湖レジャー利用適正化基本計画」が策定される[65]

湖水[編集]

透明度
透明度は、2018年の調査によると北湖で5.5メートル、南湖で2.2メートルであり[3]、気象条件によっては16メートルを超える透明度を観測することもある[66][注 7]
表面静振
水面に現れる周期30分以上の振動(静振)として主に240.9分、71.9分、65.0分、39.8分、32.3分の5種類がある[67]。湖の容量を流入量で割って求めた、全ての水が入れ替わるまでの時間(滞留時間)は5年程度[68]
環流
環流と呼ばれる湖全体を循環する大規模な水流(海洋での海流に相当)は、1926年に発見され、1960年代から1995年頃にかけて精力的な研究が行われた[69][70][71][72][73]。環流は、2つから3つ程度あり便宜的に北から第1環流(反時計回り)、第2環流(時計回り)、第3環流(反時計回り)[74]と呼ばれる。駆動源となるものは海洋における海流と同様にコリオリの力、風、湖心部と沿岸部との温度差[75]気圧などと複雑な要素が考えられ[76]、季節や気象条件により複雑に変動している。なお、環流は常に3つあるとは限らない[74]
全層循環
琵琶湖には、酸素を多く含む表面近くの水が湖底近くの水と入れ替わる「全層循環」という現象がある。生物に酸素を供給する働きがあることから「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる。2020年4月、滋賀県は2年連続で全層循環が確認できなかったと発表した[77](「#環境保全」も参照)

水利用[編集]

滋賀での利用[編集]

琵琶湖への流入河川の一つである安曇川水系伏流水を利用した「川端文化」で知られる針江区

滋賀県の農村地域においては、江戸時代以降「ホリ」と呼ばれる水路と「蛇車(じゃぐるま)」と呼ばれる足踏み式の水車などの揚水機を用いて沿岸部の水田に水を引くようになった[78]。しかし、田畑よりも低い位置にある琵琶湖の水は使いにくかったため、昭和中頃まで琵琶湖の水を農業や生活に利用することは少なく、もっぱら琵琶湖への流入河川や井戸の水を利用してきた。しかし、これらの河川の水量は琵琶湖に比べると少なく、甲良町などでは農業用水の確保に問題を抱える地域も多かった[79]。その後昭和30年代ごろに上水道の普及が始まり、以降湖水の利用量は増えていくことになる[80]。滋賀県では1980年ごろから2000年ごろにかけて、人口の増加などの要因により湖水の利用が大幅に増え、2019年時点における上水道の主要な水源は琵琶湖の水となっている[81][82]。また、農業水利においては1970年代以降、大型ポンプを備えた施設で湖から水を汲み上げ、パイプラインで農地に配水する逆水灌漑による湖水の利用が増加した[81]牧野 (2001, pp. 205-206) は、このような水利用は利用者から見えにくく、生活と水循環の関係に思いを馳せることが難しくなっていると指摘し、八幡堀の保存活動などは、たんなる資源としての水利用に留まらない水問題への地域固有の解決策の方向を示しているのではないかと述べている。

大阪・京都での利用[編集]

琵琶湖から京都へ水を供給する琵琶湖疏水。

京都で琵琶湖の湖水を生活用水の源とするようになったのは、琵琶湖第二疏水を完成させた1912年(明治45年)のことである[83]。第一疏水は第二疏水より古く1890年(明治23年)に完成している[8]琵琶湖疏水の建設は東京遷都によって衰退の危機にあった京都を再興することを目的とし、まずは疏水の水車動力によって工業を近代化し、さらに水運を確保する計画で京都府知事の北垣国道が先導した[84][85]。当時、京都では鴨川に源流を持つ京都盆地の水系を賀茂別雷神社(上賀茂神社)が支配し、御所の水源も「御所御用水流通水掛リ之儀者賀茂別雷神社 旧一社ニテ支配被致候」とされていた[86]。構造的に夏の渇水期になると上流小山郷の田畑の灌漑が優先されることになり、御所の水は枯渇する様であった。疏水によってに御所用水路の新たな付け替えもあり、御所の庭園と防火用桝への安定供給が図られるようになった[87]。琵琶湖疏水を介して毎秒24立方メートル(2017年時点)[88]を取水し、水源の99パーセント(2019年ごろ)[89]を琵琶湖に頼る京都市は、1914年(大正3年)以来京都市民の感謝の意をとして滋賀県に毎年感謝金(琵琶湖疏水感謝金)を支払っている[90][91]。契約は10年ごとに更新され、2015年平成27年)の更新では三日月知事と水田雅博京都市公営企業管理者上下水道局長とで年間2億3千万円の契約を締結した(1千万円増額)[91][92]。財源は京都市民の水道料金で、滋賀県は感謝金を水源保全に充てている[92][93]

琵琶湖唯一の流出(自然)河川である瀬田川。

大阪では1895年(明治28年)に淀川を水源とする本格給水が始まった[83]。戦後の高度経済成長期に際しては、著しい産業発展により淀川での安定した取水が必要になった[94][64]。琵琶湖下流域における水資源の需要の急速な拡大に対応するために、1972年(昭和47年)に琵琶湖総合開発特別措置法が制定。琵琶湖総合開発事業を策定した[64]。事業の策定にあたって上流への影響は避けられないことから、不利益を減らすために原案は滋賀県知事が作成し内閣総理大臣がこれを決定する形がとられた[95]。同事業によって水位低下補償事業が完了し、水位の管理について国(瀬田川洗堰管理者)と滋賀県、下流府県が初めて合意した[96]。規則では、洪水時はあらかじめ水位をマイナス20センチメートルあるいはマイナス30センチメートルに下げて対処、非洪水時は30センチメートルを上限になるべく水位を高く保ち渇水に備えることを基本とし[96]、下流域の渇水時には琵琶湖水位マイナス1.5メートルまで湖水を利用できることになっている[94]。また、増大する水の需要に1991年(平成3年)度までは不安定な「暫定豊水水利権」(河川の流量が一定の流量を超える場合に限って取水できる水利権)で対応してきたが、同年度末には水資源開発事業が概成し都市用水として最大毎秒40立方メートルの新規水利権が与えられた[97][98]。水利権の拡大によって、例えば1994年(平成6年)夏の全国的な渇水によって阪神地区が大きな影響を受けることはなかった[97]。下流域の水利権を拡大せざるを得なかった背景には、京阪地域が渇水時であっても比較的豊富な水量を保つ水源として淀川、さらにその水源である琵琶湖への依存を強めたことがある[94]。琵琶湖総合開発事業では、琵琶湖を文化面を含み多方面で活用し親しんでいる滋賀県民の生活に直接的な影響が及ぶことは避けられず、上流と下流の利権をいかに調整するかが事業の肝となった[99]。上流の不利益を解消するために、下流の利水公共団体は琵琶湖とその周辺の上流域の福祉増進に利するために下流負担金602億円を負担することになった[95][98][100]

琵琶湖の水利用を巡っては、下流の京都・大阪への対抗心を表すために「琵琶湖の水止めたろか」というジョークがしばしば用いられる[101][102]野田 (2001, p. 232) は滋賀県・京都府・大阪府の住民を対象にした1995年のアンケート調査を参照し、滋賀県以外の住民は渇水時などには水源として琵琶湖を意識するが、普段はその存在を別段気に留めていないのだと結論づけている。

自然現象[編集]

冬の蜃気楼、高島市
北比良峠から琵琶湖を見下ろす

津波については、滋賀県によると、西岸湖底断層系南部では最大でマグニチュード7.6の地震が発生し、その場合、4.9メートルの津波が沖島に到達する。また、同断層系北部では最大でマグニチュード7.2の地震が発生し、その場合、長浜市沿岸に3メートルの津波が到達すると予測される。ただし、「西岸湖底断層系南部は活断層だが、300年以内に地震が起こる確率はほぼ0%。他の4断層はいずれも活断層ではなく、津波を伴う地震が発生する恐れは極めて小さい」としている[103]。また、1185年7月9日に、実際に津波が発生した可能性がある。塩津港遺跡で発掘調査が行われた際、湖底で神社が発見され、その神社から津波と見られる痕跡が見つかった(柱が全て琵琶湖の岸に傾いていた)。また、『山槐記』には「琵琶湖の水は北に流れた」、鴨長明は「山は崩れて川を埋め、海(琵琶湖)は傾いて陸地を浸せり」と書いている[104][要文献特定詳細情報]

条件が合致すれば初夏には上位蜃気楼が、秋冬には下位蜃気楼が観測できることがある[105][106][107]

比良山地から琵琶湖に向かって吹く風は比良おろしと呼ばれ、琵琶湖の沈降と比良山地の隆起により生じた急峻な地形をその要因の一つとする。この比良おろしは、漁船やウィンドサーフィンの事故の原因となることも多い[108]。また、琵琶湖畔では、陸面に比べ湖面の比熱が大きいことを要因とした風が発生する。昼間は日照により陸面の気温が上昇し気圧が低くなるため、琵琶湖から陸地に向かって「湖風」が吹く。逆に夜間は陸面のほうが先に冷え気圧が高まるため、陸地から琵琶湖に向かって「陸風」が吹く[109]

水害・治水や事故[編集]

画像外部リンク
明治二十九年大洪水浸水区域之図

琵琶湖の湖岸域では、河川の氾濫のほか、「水込み」と呼ばれる琵琶湖の水位上昇による水害に悩まされてきた[110][111]。古文書における琵琶湖周辺の水害の記録は、701年(大宝元年)以降多く残されている[112]

琵琶湖の水害を防ぐための瀬田川浚渫の歴史は、奈良時代には僧侶行基による、瀬田川の流れを阻害する小山(のちの大日山)の掘削の試みに始まる[111]。その後江戸時代には、幕府の普請が2回と自普請が3回、計5回の浚渫工事がおこなわれており、とくに1699年(元禄12年)の「河村瑞賢の大普請」と、高島郡深溝村の庄屋藤原太郎兵衛家の尽力の末に実現した1831年(天保二年)の普請が大規模なものであった[113][114]。またこの間、流量増加による洪水を危惧する下流住民の反対などによりなかなか浚渫が実現しなかった時期には、あさり取りなどと称した地元住民による小規模な浚渫などもおこなわれている[113]

近代に入ってからは1890年(明治23年)以降、滋賀県内の有志が結成による琵琶湖水利委員同盟会や滋賀県知事大越亨が、繰り返し淀川の浚渫を陳情している[115]1885年(明治18年)の淀川洪水で大きな被害を受けた下流域の反対にも遭ったが、1893年(明治26年)からは小規模な浚渫が実現した[61][116]。さらに1900年から1908年(明治33年から41年)にかけては、大規模な浚渫と前述の大日山の掘削がおこなわれ、また南郷洗堰が築造されたため琵琶湖の水位の調整が可能となった[61][117]。これらの工事以前には、1896年明治29年)に琵琶湖のプラス3.76メートルにまで上昇したことにより、琵琶湖周辺のほとんどの地域が237日にわたって浸水する[注 8]など、ほぼ隔年で長期間の浸水が発生していたが、以降の浸水被害は4年に1度程度にまで減じた[118]。その後1961年(昭和36年)には南郷洗堰の隣接地に瀬田川洗堰が築造されている[102][23]

零戦不時着事故
太平洋戦争の終戦間際に零式艦上戦闘機(零戦)六二型が琵琶湖に不時着した[119]昭和53年、湖底に沈んでいた零戦が引き上げられ京都嵐山美術館が修復、その後は和歌山県ゼロパーク」、広島県大和ミュージアム」と引き渡され、展示された[120]
水難事故
  • 1941年には琵琶湖遭難事故が起こっている。
  • 滋賀県内の水難事故の3分の1が大津市消防局管内で発生している。大津市消防局が平成27年に出動した水難救助件数は21件で、救助件数全体に占める割合は9%であり全国平均の4.4%の2倍以上となっている[121]

生物相[編集]

ビワコオオナマズ

琵琶湖は生物多様性に富み、1,000種類を超える動・植物が生息している。その中には琵琶湖(およびその水系)にのみ生息する固有種も数多く確認されている。魚類57種、貝類49種の生息が確認されており、長い期間自立したため琵琶湖固有種も多い(魚類はビワコオオナマズニゴロブナホンモロコビワヒガイなど16種、貝類は29種)[122]。この内ビワマスアユなどは川を、コイフナドジョウなどは水田を産卵場所として利用することが多いなど、琵琶湖に生息する魚類は周辺の水域との間を移動し、環境の違いをうまく利用している[123]

ニゴロブナ
ホンモロコ
ビワヒガイ
外来魚回収ボックス

オオクチバスブルーギルをはじめとする外来種の侵入や1992年の琵琶湖水位操作規則の改訂、内湖の消失、水田とのネットワークの分断等によって固有の生物相が大きく攪乱を受け、漁獲高が激減した種も多い。それらへの対抗策も講じられ、外来種駆除や生態系に配慮した水位操作、内湖の再生など様々な取り組みが行われているが、まだ十分な効果をあげられていない。また、琵琶湖産の稚アユは日本各地へ放流され、その為に琵琶湖固有種だけでなく稚アユと共に混獲され放流されたハスなどの種が各地で繁殖するという、移入種を生み出す元ともなっている。

琵琶湖(内湖を含む)とその湖岸、流入河川の河口に生息する鳥類は、渡り鳥なども含めると140種類ほどになる。カモ科が31種と最も多く、シギ科サギ科カモメ科がそれに続く[124]

魚類
固有種
ナマズ科: ビワコオオナマズイワトコナマズ
コイ科: ホンモロコビワヒガイアブラヒガイハスワタカ
その他: イサザハゼ科)、ウツセミカジカカジカ科
固有亜種
ビワマスサケ科)、ニゴロブナ(コイ科)
外来種
オオクチバスコクチバスブルーギルカムルチーライギョ)、レンギョ
節足動物
ビワミジンコ、アナンデールヨコエビ、ナリタヨコエビ、ビワカマカ、カワムラナベブタムシ
軟体動物
ビワコミズシタダミ(ミズシタダミ科)、セタシジミ(シジミ科)、ビワカワニナ類(カワニナ科ビワカワニナ属)、オウミガイ(モノアラガイ科)、カドヒラマキガイ(ヒラマキガイ科)、ヒロクチヒラマキガイ(ヒラマキガイ科)、オトコタテボシガイ、イケチョウガイ、マルドブガイ
固有亜種
タテボシガイ(イシガイ科)
扁形動物
ビワオオウズムシ
水草(固有種)
サンネンモ(ヒルムシロ科)、ネジレモトチカガミ科)
プランクトン(固有種)
ビワクンショウモビワツボカムリスズキケイソウ

環境保全[編集]

昭和40年代高度経済成長に伴って湖水の水質汚濁富栄養化が進んだ[125]。原因の1つに合成洗剤リン酸塩が挙げられ[126]、主婦層や女性団体が「石鹸運動」を起こして対策・改善を求めた[127]。このため滋賀県は独自に工業排水家庭用排水を規制する、いわゆる琵琶湖条例(滋賀県琵琶湖の富栄養化の防止に関する条例)を制定するに至った[128][129][130]。このほか琵琶湖に関する滋賀県独自の条例としては、「滋賀県琵琶湖のレジャー利用の適正化に関する条例」や「滋賀県琵琶湖のヨシ群落の保全に関する条例」、景観を守るための「ふるさと滋賀の風景を守り育てる条例」などがある。

1990年から1991年にかけ琵琶湖総合開発事業の一環として水質測定施設である南湖湖心局(大津市唐崎沖1.5km)と北湖湖心局(大津市南比良沖4km及び高島市今津沖3.5km)の3基が設置され、pH値、溶存酸素量、水温、流速などのデータが自動送信されていた[131]。しかし、内部の測定機器が老朽化し、必要なデータ量も確保できたとして2006年度までに稼働が停止された。その後も維持費がかかり、船舶の衝突事故のおそれもあることから2018年度に撤去されることとなった[131]

琵琶湖を始めとする温帯湖沼では、冬季の湖面冷却によって比重が重くなり、湖水の鉛直混合が起こり、湖中下層へ酸素が供給される(全層循環)。これは「琵琶湖の深呼吸」とも呼ばれる[77]。近年の琵琶湖では、暖冬によって全層循環が不完全となり、酸素濃度の低下で生物が大量死滅する異常事態が発生している。地球温暖化が琵琶湖固有種の生態系に影響を及ぼす事例として、研究が進められている[132]。2019年4月9日、観測以来初めて全層循環が完了しなかったと判断された[133]

また、琵琶湖の北方に位置する福井県若狭湾岸には、敦賀原発美浜原発など多数の原発が立地する。琵琶湖との最短距離は20キロメートル程度であるため、原発事故放射能汚染されれば水の供給に影響する可能性があると指摘されている[134]

文化・経済など[編集]

呼称など[編集]

古代には、都から近い淡水の海として近淡海(ちかつあふみ、単に淡海とも。『万葉集』では「淡海乃海」(あふみのうみ)と記載)と呼ばれた。近淡海に対し、都から遠い淡水の海として浜名湖遠淡海(とほつあふみ)と呼ばれ、それぞれが「近江国(おうみのくに、現在の滋賀県)」と遠江国(とおとうみのくに、現在の静岡県西部)の語源になった。別名の鳰海(におのうみ)は近江国の歌枕で、鳰はカイツブリを表す。天智天皇により、一時は琵琶湖西岸に大津宮が置かれた。測量技術が発達し、湖の形が楽器の琵琶に似ていることがわかった江戸時代中期以降、琵琶湖という名称が定着した。

旧びわこ銀行本店

「琵」「琶」が当用漢字常用漢字外であることから、滋賀県内ではひらがな書きにした「びわこ」「びわ湖」という表記も数多く見られる。かつては「びわ町」という自治体も存在した。

「びわこ」の例
「びわ湖」の例

別称や愛称としては以下のようなものがある。

Mother Lake
滋賀県庁は琵琶湖を別称としてMother Lakeと呼んでおり[注 9]「Mother Lake 母なる湖、琵琶湖。預かっているのは滋賀県です。」キャッチコピーを封筒などに記載している。
近畿の水瓶
琵琶湖は上述のように滋賀・京都・大阪に水を供給していることから「近畿の水瓶」などと呼ばれることもある。しかし滋賀県側は、1995年は稲葉稔知事が「水瓶」との表現に抗議する答弁をおこなうなど、琵琶湖を「水瓶」と呼ぶ表現を避けている[136]。これは、滋賀県民にとって自県の象徴的存在である琵琶湖を、いわばたんなる貯水用ダムの一種として扱われては県民感情を大きく損なうとの理由によるものである[137]

交通[編集]

琵琶湖周辺では、縄文時代丸木舟が発見されており、先史時代から湖上交通がおこなわれていたことがわかる。弥生中期後半には丸木舟は準構造船に発展し[注 10]古代には湖北と都を結ぶ航路が築かれていた。中世以降、荘園領主により港が管理されるようになり、湖上に関所が設けられるなど、琵琶湖は経済・軍事的に利用されるようになっていく[58]前述のように、の発展には内湖が関わっており、内湖を含む湖岸環境の変化により、津の立地も変化していった[55]

歌川広重の『近江八景』より「矢橋帰帆」(1834年ごろ)。

急がば回れ」ということわざの語源である現在の草津大津の間を結ぶ「矢橋の渡し」という渡し舟があったものの、運休が多かったらしい。「もののふの矢橋の船は速かれど急がば廻れ瀬田の長橋」(急ぎなら瀬田の唐橋まで遠回りするほうが確実)という、室町時代後期の連歌師、柴屋軒宗長の歌が出典。

若狭湾沿岸からの年貢の輸送路としても利用されており、湖上で賊に襲撃された記録なども残されている。湖西には、大津から若狭国へ向かう西近江路若狭街道京都から琵琶湖などを経て今庄から北陸道につながる[138]北国街道などの各種交通路が整備された。湖上交通による荷物の輸送も行われており、大津や堅田などは港湾都市として発達した[要出典]

安土桃山時代には、豊臣秀吉は大津の船持に大津百艘船を整備し、観音寺の船奉行の支配下に置かれ、特権を与えられて保護された。近世になると、大津は松原や米原など他の港と対立し、江戸時代には松原・米原・長浜が「彦根三湊」として井伊氏の保護を受けた[要出典]江戸時代半ば以降は、西廻海運の発展に伴い琵琶湖の湖上交通は一旦衰退していったが、近代に入り1869年(明治2年)の蒸気船一番丸の就航から1889年(明治22年)の東海道線全線開通および1931年(大正15年)の若桜鉄道今津までの開通にかけては、ふたたび湖上交通が大量輸送を担った。以降は輸送に占める湖上交通の割合は低下したが、小地域間の湖上交通は1960年代まで続いた[58]

高度経済成長期には琵琶湖から運河を掘削して日本海と太平洋瀬戸内海を結ぶ運河構想が持ち上がった。当初は、琵琶湖から日本海と瀬戸内海を結ぶ「阪敦運河」構想を福井県知事の北栄造が調整し始めた。特に三重県四日市市長の平田佐矩が熱心だったこともあり、福井県・滋賀県・岐阜県愛知県・三重県および名古屋市敦賀市・四日市市の間で、総工費2500億円-3500億円をかけ若狭湾-琵琶湖-伊勢湾を結ぶ中部横断運河の建設期成同盟が結成され、自民党副総裁の大野伴睦が会長に就任した。しかし、大野や平田が相次いで死去したことや、北および敦賀市長の畑守が相次いで落選するなど推進の中心人物を失い、1970年には中部圏開発整備本部が調査の打ち切りを発表した[139][要ページ番号]

主な港[編集]

漁業と食文化[編集]

高島市の湖岸

前述のとおり、琵琶湖には多様な魚介類が生息しており、漁場の環境も岩場・砂浜・内湖・沖合と多様であり、また淡水であるため魚が湖と河川を行き来することも要因とし、漁法もまた多様かつ独特のものとなっている[140][141][142]。その中でもとくに「待ち(型)の漁法」の発達と新規漁具の制限が特徴として挙げられる[143][140]。これは、積極的・新進的な漁法を用いることによる資源の枯渇を避けるための、閉鎖水域である琵琶湖ならではの知恵である[141][143]

鮮魚店で売られる琵琶湖の水産物(大津市内)。

琵琶湖における魚介類の利用は、1万年以上前にまで遡ることができる[144]前述したように、縄文時代の遺跡からは、貝殻や魚の骨などが発見されており、タンパク源に占める琵琶湖産の魚介類の比率は哺乳類よりも高かったと考えられている[50][145]。稲作が開始された弥生時代には、魚類が水田を産卵場所として利用するようになったこともあり、(エリ)やといった小型陥穽漁具による待ちの漁法が発達し、タンパク源に占める魚介類の比率はさらに高まった[146][147]。その後中世ごろには網漁が発達しており、従来河川や内湖で用いられていた小型の魞が琵琶湖沖合いで用いられる大型で複雑な魞へと発展したのも、中世の13世紀ごろであると考えられる[148]。流通に制約の大きかった中世においては、京都の鮮魚需要に対する琵琶湖の役割も大きかった[61]。このころまでに漁撈をおもに営む集団の組織化が進んでおり、13世紀ごろには漁撈を巡る複数の紛争が起きていたとの記録がある[147]。一方13世紀は、仏教思想が庶民の間にも広まり殺生を禁断とする意識が高まった時代でもあり、その葛藤を伝える説話なども残されている[149]近世17世紀ごろには、淡水魚である鯉から海水魚である鯛に政権の中心部における需要は移っていったが、18世紀から19世紀にかけても、漁撈を巡る紛争は頻繁に起きており、琵琶湖周辺の集落における漁撈はむしろ活発化したと考えられる[150]。このことから橋本 (2001, p. 250) は、現代の20世紀末にキャッチ・アンド・リリースを原則とした食慾には基づかない「漁撈」が主流となるまでは、漁撈の基本的な枠組みは17世紀ごろから変化しなかったのではないかと推察している。なお2001年ごろの琵琶湖の漁獲量は、1967年の3分の1程度にまで減少しており、魚種の構成も大きく変化している[151]

固有種を含む琵琶湖の魚介類は、伝統的な食材として、2013年現在においても盛んに食されている。淡水魚生食を忌避する日本においては珍しく、ビワマスイワトコナマズニゴロブナゲンゴロウブナハスなどは造りとしても食される[152]。このほか「ジュンジュン」と呼ばれるすき焼き寄せ鍋焼き物佃煮などとしても食される[153]。また、滋賀県では発酵食品が発展しており、鮒寿司をはじめとするなれずしも作られる[154][155]。滋賀県には、海産物を扱う鮮魚店とはべつに淡水魚専門の鮮魚店があり、これらの店では鮮魚のほか、佃煮やなれずしといった加工品やなども扱われている[156]

景勝・観光地として[編集]

今村紫紅『近江八景』より「三井(晩鐘)」

近江八景[注 11]は、当初は文学的モチーフであったが、江戸時代中頃には街道を通行する人が増えたこともあり、『名所記』『名所図会』といった挿絵入りの旅行案内書や浮世絵などをつうじて、全国の民衆に膾炙するようになった[157][158]

本格的な湖上遊覧は、1903年(明治36年)の「近江八景めぐり遊覧船」の就航に始まる。以降季節ごとの観光客誘致が展開され、昭和に入ると琵琶湖ホテルの建設や湖水浴場の整備も進められた[159]。第二次世界大戦後の1949年(昭和24年)には、翌年の琵琶湖国定公園の指定に先駆け、滋賀県民からの公募によって「琵琶湖八景」が選ばれている[159][63]。1968年(昭和43年)のびわこ大博覧会以降は、琵琶湖の水質が悪化するなど、観光が軽視されるようになるが、びわこ国体で湖上輸送が試みられたのを機に、再度観光が顧みられるようになる。1982年(昭和57年)には外輪船ミシガンが就航し、滞在型観光を目的としたリゾート・ネックレス構想や水上スポーツ施設の整備なども計画されたが、バブル経済の崩壊により計画は進まなかった。その後は、環境保全や歴史的文化資産の活用などの観点も取り入れた新しい観光スタイルが模索されている[159]

作品の題材として[編集]

美術
琵琶湖が描かれた現存最古の絵画は、おそらく『源氏物語絵巻』の「関屋」の段である[160]高梨 (2001, pp. 269-270) は、これ以前の『一遍聖絵』や鶏足寺十二神将像についても、琵琶湖の水運ネットワークの影響があると指摘している。室町時代後半からは『近江名所図』の大作が残されており、室町時代の狩野派による屏風絵[注 12]、同じく室町時代の大徳寺瑞峯院の『堅田図旧襖絵』[注 13]17世紀前半(江戸時代)の屏風絵[注 14]などが挙げられる[162][161][164]。17世紀後半以降には、近江八景モチーフとした絵画(歌川広重によるものが有名)や着物の蒔絵・陶磁器の絵付けなどが現れるが、同時期には古典文学に材をとったものなど、近江八景以外の絵画も描かれている。近代以降は、多くの洋画家・日本画家が琵琶湖の多様な姿を描いている一方、今村紫紅下保昭などは近江八景の枠組みの中で新たな試みをおこなっている[165]
画像外部リンク
源氏物語絵巻: 関屋(現状模写)
近江名所図(室町時代、狩野派)
近江名所図(17世紀前半)
堅田図旧襖絵[注 15]
音楽
琵琶湖に関連する楽曲としては、琵琶湖周航の歌(高島市には琵琶湖周航の歌資料館がある)、琵琶湖哀歌などがある。
映画
琵琶湖を舞台とした映画としては、幻の湖[注 16]偉大なる、しゅららぼん[注 17]マザーレイクなどが挙げられる。

その他[編集]

鳥人間コンテスト
学習船「うみのこ」(2代目)。
日本遺産
2015年には、「水とくらしの文化」「水と祈りの文化」「水と食文化」の3つのストーリーで構成された「琵琶湖とその水辺景観 ― 祈りと暮らしの水遺産」が文化庁により日本遺産として認定されている[166][167]
スポーツやレジャー
瀬田川を中心とし複数の艇庫があり、毎年5月には琵琶湖漕艇場で日本最大級のボート大会である朝日レガッタが開催される。カヌードラゴンボートソーラーボートの競技もおこなわれる他、ヨットスタンドアップパドル・サーフィンなどを楽しむこともできる[168]。また、1952年にはびわこボートレース場が日本で3番目のボートレース場として開場している[169]
年中行事・イベント
教育・研究における利用

脚注[編集]

[脚注の使い方]

注釈[編集]

  1. ^ 第2位の支笏湖は、面積は78.7平方キロメートルと小さいが、最大水深が大きいため209億トンの貯水量をもつ[4]
  2. ^ 生物群系の境界など、異なる環境が接し連続的に入り交じる場所を指す生態学の用語。生物学の多様性が高い[16][17]。エコトーン、移行帯とも[16][18]
  3. ^ 2018年ごろの人口湖岸の割合は37パーセント(南湖では73パーセント)である[21]
  4. ^ 例えば、琵琶湖岸に構築物を無許可で設置すると、河川法に基づいて滋賀県から撤去命令が出される。例:「行政代執行の実施結果について」
  5. ^ これらの湖底遺跡のうち遺構を含むものについては、水位の変動、あるいは地滑り地震などによる地盤変動により湖底に沈んだものと断定できるが、遺物のみの遺跡の場合は、儀式や遺棄により湖底に沈められた可能性も考慮する必要がある[48]
  6. ^ 読みは「こうつ」。高島市新旭町饗庭に位置する。
  7. ^ 2007年3月15日に海津大崎付近の水深80メートルの地点で16.8メートルの透明度が観測された。なおこの観測は定期観測ではない[66]
  8. ^ 県の記録によれば床上・床下浸水は5万8千棟を超えた[102][23]
  9. ^ 滋賀県庁ホームページ左上部に琵琶湖の地形ロゴとして掲示されている[135]
  10. ^ 日本における船舶の発展については「和船」も参照。
  11. ^ 近江八景の成立には諸説あり、室町時代ごろに漢詩に読まれる中で定着したものとも、江戸時代初期に近衛信尹瀟湘八景に倣って選定した(高梨 (2001, p. 273) によると、この説は2001年現在では否定されている)ともされる[157][158]
  12. ^ 2021年現在、滋賀県立近代美術館所蔵[161]
  13. ^ 後に屏風に改装され、静嘉堂文庫に伝えられた[162]
  14. ^ 2021年現在、サントリー美術館所蔵[163]
  15. ^ リンク先の「みどころ4」節に一部が掲載。
  16. ^ 琵琶湖周辺で1年2月に及ぶ長期ロケが行なわれた日本映画。琵琶湖大橋でクライマックスを迎える。
  17. ^ 万城目学の小説及び2014年春公開の映画。琵琶湖の神から力を授けられた湖の民の話。

出典[編集]

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参考資料[編集]

書籍
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    • 野田, 浩資「琵琶湖は『みずがめ』か? ― 下流からのまなざし」232-233頁。
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    • 橋本, 道範「魚と人の一万年 ― 琵琶湖漁撈史」245-250頁。
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  • 太田, 弘、齊藤, 忠光『地球診断 : 今、地上で何が起きているのか? : 社会がわかる環境問題が見える』講談社、2010年10月16日。ISBN 978-4-06-216468-9
  • 『生命の湖 琵琶湖をさぐる』滋賀県立琵琶湖博物館文一総合出版、2011年4月5日。ISBN 978-4829911914
    • 中藤, 容子「琵琶湖で発達した待ちの漁法」158-159頁。
    • 中川, 元男「琵琶湖の洪水対策」「琵琶湖の水利用」「琵琶湖の水位管理」188-193頁。
  • 水野, 章二「序章 琵琶湖の歴史的環境と人間」『琵琶湖と水の人間史』岩田書院、2011年5月、5-26頁。ISBN 978-4-87294-691-8
  • 熊谷, 道夫「トピック 琵琶湖の最深部は?」『琵琶湖ハンドブック』滋賀県、2012年3月、改訂版。NCID BB09098661
  • 『滋賀県謎歩き散歩』中井均中経出版、2013年5月11日。ISBN 978-4-8061-4729-9
    • 井上, 優「景勝地 ―『近江八景』とは」59-63頁。
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  • 琵琶湖ハンドブック』滋賀県、2018年3月、三訂版。NCID BB259116212021年1月21日閲覧。
論文・発表要旨など
広報誌・パンフレットなど
事典・辞典
法令など
行政資料など
行政機関によるウェブページ
博物館・美術館によるウェブページ
ニュース記事
その他ウェブページ

関連項目[編集]

琵琶湖および周辺の地勢に関する記事
交通
その他
  • ユスリカ(富栄養化に伴って琵琶湖に大量発生するようになった虫。俗に「びわこ虫」と呼ばれる)
  • 大津びわ子(大津市出身のラジオパーソナリティ)

外部リンク[編集]