踏車

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大正時代の踏車

踏車(とうしゃ・ふみぐるま)とは、日本において江戸時代中期以降に普及した足踏み揚水機。人が車の羽根の上に乗り、羽根の角を歩くことで車を回し、水を押し上げるからくりをいう。別名を水車と称すが、原動機である水車とはエネルギー(人力と位置エネルギー)の変換方向が異なる。なお類似のものはアジアの稲作地域に見られる。

成立[編集]

大蔵永常文政5年(1822年)の著作『農具便利論巻之下』によると、寛文年中(1661年から1672年の間)に大坂農人橋の京屋七兵衛と京屋清兵衛が制作し、宝暦から安永の頃(1751年から1780年の間)までに日本諸国に広まったと記録されている。

水車(みずぐるま)、踏み車(香取市

寸法及び価格[編集]

『農業便利論』では1人足踏み用の寸法は45、5尺、5尺5寸の3タイプがあった。このほか2人踏用の大車や手回しの小車もあった。

泉州摂州、大坂辺りでの踏車の価格は4尺5寸は代銀48、5尺は代銀55匁、5尺5寸は代銀60匁とある[注釈 1]

記録[編集]

エドワード・シルベスター・モース日記には、1877年明治10年)6月29日、栃木県でのこととして、男は器用に水車の上に立って車を回した、と記しており、踏車を回す当時の日本人の様子を絵に描いている[1]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ 『地方史研究必携』[要ページ番号](岩波全書)では文政5年の米価は米1、銀53・1匁とある。

出典[編集]

  1. ^ 『モースの見た日本 民具編』p. 182

参考文献[編集]

  • 大蔵永常『農具便利論 たはらかさね耕作絵巻 抄』青木國夫、松島栄一解説、恒和出版〈江戸科学古典業書 4〉、1977年3月25日。ISBN 4875360045NCID BN02791605 
  • 『モースの見た日本 モース・コレクション/民具編 セイラム・ピーポディー博物館蔵』小西四郎田辺悟構成(普及版)、小学館、2005年5月。ISBN 978-4-09-563016-8 

関連項目[編集]